藤村

11月28日金曜日。今宵も藤村でございます。

DVD第11弾の編集は順調に進んでおり、昨夜「桜前線捕獲大作戦」のスーパー、テロップ付けが終了。続けて「十勝二十番勝負」のスーパー付けに突入しております。

さて、お知らせ。

皆様からリクエストの多かった「写真集2」の再販売が決定いたしました。

紙から作ったという、コダワリの分厚い写真集。

「水曜どうでしょう写真集2〜改訂版〜」

「改訂版」ということで、写真がいくつか入れ替えてあるようですが、すでに持っている人は、わざわざ買い換える必要はないと思います。

まぁ、写真を差し替えなければならない、なんらかの理由があって入れ替えただけの話ですから。

もう10年近く前の写真にまで、気をつかわなければならない。

世知辛いよなぁ。

ま、そうは言っても、今回もちゃんと昔と同じ紙を使い・・・いや、なんか今回は嬉野先生が心変わりして、もっと白い色の紙を使ったらしいなぁ・・・まぁ、でも同じミルトGAという徳島産の
紙を使用し、当時のままのコダワリを再現!

発売は2月13日!

ロッピー端末での予約開始は12月1日!来週月曜日からです。

よーし、ではまた。

皆の衆、良い週末を!だ。

【DVD第11弾発売決定!】
「桜前線捕獲大作戦」「十勝二十番勝負」「サイコロ5」の3本立て!豪華2枚組!
12月15日予約開始!4月15日発売&受け渡し!

(20:37 藤村)

藤村

いやーう先生、昨日もおとついも日記書いてなかったなぁー

11月27日木曜日。藤村でございます。

犬や猫の役割の話をね、書いてましたけど、ウチの猫はバシバシとねずみを取ってくるし、犬は誰が来たって吠えまくるし、冬になりゃぁ犬ぞりにして、山で
取った薪をわんさと積んで引っ張らせるし、まぁ、犬も猫もあんまりかわいがらないけど、働き手としては、それぞれ健気にやってるなぁと、認めております
よ。

さて私は、新たなノンリニア編集機の操作方法にも慣れまして、相変わらずの猛編集中。

そんな中、先週末は福岡に行って、ナックスさんの作ったフィルムを観てまいりました。

5人それぞれが、脚本・演出を担当し、20分程度の短編を作るという企画。

企画としてはおもしろいけど、まぁ撮影期間も短かったと聞いておりましたので、「出来栄えの方はそんなにね・・・」と思っておりましたが、いやいや、ずいぶんなものをちゃんと作っていたじゃないですか。

やつらは、やっぱりそれぞれに才能があるんだねぇ。

あんなの短期間で作られたら、ディレクターとしては立つ瀬がないよ。

私の場合、感覚がやはり近いのか、大泉洋のが一番おもしろかったかなぁ。

あいつが昔ディレクターとして関わった「いばらのもり」の「モリ侍」(リーダー森崎博之が侍の格好で登別時代村で暴れまわるだけ)という企画は実におもしろかったし、「ドラバラ」で作った「さよなら朝日荘」「山田家の人々」というドラマも、どっちも良かった。

来年のナックスのお芝居は、大泉洋作というから、これはちょっと楽しみだな。

安田さんの作品は、なんというか、ちゃんと個性が押し出されているのが、「安田さんは作り手としても最強の武器を持っているなぁ」と思いましたね。「彼でしか作れない」という個性をちゃんと持っている人は、本当に今、少ないんです。

そんな意味で、音尾先生の作品は、上手にしっかり作れている、申し分ない、けど、個性がはっきりしない、という感じがしたかな。でも、監督としての音尾先生の評価はスタッフから高かったですよ。

シゲはアニメーションを使ったりして、非常に個性的ではあるが、どっか器用貧乏な感じがするんだよなぁ。発想は一番おもしろいんだけどなぁ。

リーダーはもう、「思い」だけで作ってるのがありありと見えて、「らしいな」と微笑ましかったねぇ。

福岡では、ずいぶんやつらと飲みましてね。久しぶりですよ、ナックス全員と飲んだのは。

特にシゲなんてのは、ほとんど話をする機会がなかったもんだから、うれしくなっちゃって、「おめぇーは器用貧乏なんだよ!」「おい!おれの話聞いてんのか!」なんつってやたらとからみついてやりましてねぇ。

私がからんでいる横では、泥酔しきった安田さんが笑いながら座敷から土間に転げ落ちて行きましてね、しこたま頭を打って、先にホテルに帰されて行きましたよ。

飲んでホテルに帰ったら、大泉洋から電話が来ましてね、「おいヒゲ、おれの部屋で飲もう」と。「腹を割って話そう!」と、お誘いを受けたので、今度は二人で部屋飲みですよ。

「広島で買ってきた美味い燻製があるんだ」ということで、それを肴に飲んで笑って午前3時近かったですかね、「よーし寝るか」と、「来年の芝居がんばれよ」と、言いながら、その美味い燻製を全部わしづかみにして「じゃぁな」と、部屋を出て、エレベーターの前に来ましたら、

わたくし、一瞬心臓が止まりそうになりましたね。

深夜のエレベーター前。

ぶつぶつ言いながら、うずくまっている男がいるんです。

両手にはコンビニの袋。ひとつには水が2本。もうひとつにはなぜかお好み焼き。

・・・安田さんでしたね。

先ほど飲み屋で強制送還されたはずの安田さんが、

「屋台のなんとかに行かなきゃ、屋台のなんとかに行く」

みたいなことを、ぶつくさ言ってるんですよ。

気持ち悪くなりましてね、でもほっとくわけにもいかないんで、

「安田さん、帰りましょう」と、

「屋台はもう終わったよ」と、優しく介抱してね、部屋まで送り届けましたよ。

「あー、最強だな」と、思いましたね。

ささ、久しぶりにやつらと会って、存分に息抜きも出来まして、また編集室にこもってDVDの編集を続けます。

じゃ、また明日。

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(18:50
藤村

嬉野

2008年11月24日(月)

嬉野です。

寒いです。
でもまぁ冬ですから。

「そういえばと」と、
昨日思ったのです。

そういえば、昔は犬といえば番犬だったな、と。
不意に思い出したのです。
嬉野さんは年配者だから、思い出せるわけです。
かつての時代のことを。

「奥さんゴムひも買ってくんねぇか、おらぁ昨日ムショからでてきたんだけどさぁ」みたいな押し売りが来ると気味が悪いから、
「ねぇ、うちも犬を飼いましょうよ、この頃変な人来るのよ」
と、そういう動機で犬を飼ったわけです。

つまり番犬として犬を飼うというわけです。

だから番犬は見慣れない来訪者を不審者とみなし、吠える。
噛み付きそうな顔をして、うなる、牙を剥く。
そうすると押し売りは撃退されて奥さんは心強い。
だから犬は玄関先で飼われていた。

そういえば猫はネズミを捕ることを期待して飼われていたなと。

両者はそういう役目を期待されて飼われていた。
まぁその犬猫全部がね、実際のところ家人の期待に添えたかどうか、そこにはまぁね、個体差があったでしょうがね、
それでもね、
いっこうに番犬の役に立たない情けない犬であったとしても、
犬を飼うという動機には「番犬として」という、ハッキリとした名目があった。

猫だって、ネズミなんか捕りゃしなかったとしてもさ、
ネズミをとることが猫を飼う動機だった時代があった。
今から見ると不衛生な家に住んでいたんだろうね。

でも、犬猫それぞれには、家庭内で飼育される役目があった。
だから犬猫と家人は同居していた。

そういうお互いの立場で付き合ううちに、犬猫も人も、温かい血の通う生き物どうしだから、自然とコミュニュケーションをはじめたんだろね。

ネズミがいなかったりさぁ、押し売りが来ない日はね、
犬も猫もとりあえず仕事がないからね。
そういう時、家人も犬猫とスキンシップをしたかもしれない。

飯を食わせ。
しっぽをパタパタ振って喜ぶ犬を見下ろしながら、どこか飼い主は満足し、
「よし!」という掛け声とともに飯し皿に顔を埋めてガッついて美味そうに食う犬を見て飼い主は心が慰められることがあった。

子供はお父さんにひどく叱られて、犬小屋で犬に寄り添って慰めてもらう事だってあったかもしれない。

昨日ね、近くのホームセンターで働く犬たちのデモンストレーションがあってね、それを夫婦で見に行って、警察犬やら救助犬、介助犬の働く姿を見ながら思いだした。

そういえば、昔は、犬猫にだって役割があった、と。

でも、そんな役割を犬猫にぼくらは期待しなくなって久しい。
それでもペットショップに行くと、たくさんの犬猫がいる。
それを見ながら、犬猫全員が新しい飼い主に引き取られていくのだろうかと不安になることがある。

店舗には商品があふれ。
食品であろうと、電化製品であろうと、
自分が欲しいものが何なのか分からなくなるほど、店には商品があふれてね。

楽しいような不安なような…。

テレビをつけると、朝から夜までいろんな物が売られていて、
見ているうちに自分が買わなければいけないものはどれだろうと思い始め、何ひとつ欲しくならず、でも次々と商品が紹介され、だんだん意味も無く不安になることがある。

自分には、必要なものがどれくらいあるのだろう。
自分は、ほとんど欲しくないのに、なのにこんなにいっぱい引き取り手を求められているものがある。

そう考えて、そのうち、ぼんやりと思い始めることがある。

ぼくらは、必要とされているのだろうかって。

それは瞬間的なぼくだけの妄想だけど、引き取り先のない犬猫や欲しくならない新製品が世の中にあふれてしまってるような気に勝手になってしまうと、不意に、人も、なんの役割ももらえず、この世にあふれているような気がしてくる。

そうして、妙にいやーな気になってくる。

昔、飼い犬や飼い猫には役割があったように、
自分に役割があると思えるといういことは、
素朴に他人や社会に求められている存在ということになる。

それを実感して初めてぼくは安心できる。

それも、自分にだって出来る簡単な役割で求められるのが好い。
そんな単純な能力で日々を渡っていける世の中が、
どうも私には向いている。

それが、私の望む、明るい未来。
まぁ、私個人の取るに足らない与太話だけどね。
じゃなきゃ、年寄りのたわごと。
まぁそんなとこです。
どーぞ、お聞き流しを。

じゃ、奥さんまた明日。
今晩も美味しいご飯をつくってね!

解散!

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(15:58 嬉野)

嬉野

2008年11月21日(金)

おや、奥さん。
本日も嬉野でございますがね。

札幌地方、昨日雪が積もったでしょう。
だもんで寒くてさ、
今年の春先に仕舞ったダウンジャケットをね、
引っ張り出して着てみたらあんた、
ポケットから二千円出てきて、おらぁ昨日は喜んだね。

いやまぁ、なんも儲けちゃいないんだろうけどね、
だろうけどさ、
でも、そこは素朴に、えらく儲かった気がしたのさ。
バカだねぇ人間てなぁね。

でも、気分よかったの(笑)。

ということでね、
本日はですよ、
藤やんひとり出張に出ましたものですからね、
本日も私めが書くことになるんでありますよ。
大丈夫ですか奥さん(笑)。

まぁある程度はこの段階で観念してくださいな。

さて、
うちの制作部長に福屋渉(わたる)さんという方がおられましてね。まぁここでもちょくちょく話題にさせてもらっておりますからね、御存知の方も多かろうと思いますし、「激闘!西表島」の寝釣りの晩に、ひとり浮き釣りをしていた声だけの人としても既に有名な方でございます。

この方の御実家が酪農家でね。
福屋制作部長は、小さい頃からたくさんの牛の世話をしていたそうでございますよ。

まぁこのね、ふつう我々、生き物の世話といえば犬猫止まりですが、この方は御実家の家業が酪農ですから、世話といえば牛ということになりましてね、数も100頭くらいいたわけで。
犬猫だって100頭いたら騒ぎになりますから大変なものでございますが、わたるさんのおうちは牛が100頭。

ですが、そこは酪農の家ですから騒ぎにゃなりませんでね、家業になっているわけでございます。

わたるさんによりますとね、牛にもそれぞれ性格というものがあるらしく、100頭いても区別がつくんですよと申されておりましたね。

驚きですけど奥さんね、
酪農家は牛一頭一頭の世話をしますのでね、
エサだって一頭一頭の牛のコンディションに合わせて、その時々に分量も変えて餌場に出すんだそうです。

で、用意された各自の餌場に牛がきちんと行くかといえばそうじゃないそうで。

いえね、そこは人間と一緒で、決められた場所にきちんと行く牛もいるそうですが、中には、分かっているくせに、わざと間違えちゃった振りをして、ちゃっかりと一番エサの多いところへ行ってしまう牛もいるそうですよ。人も牛も一緒なのね。

そうかと思えばさぁ、ぼんやりしてて、テンポが他の牛より遅いもんだからね、いつも量の少ない餌場に追い込まれてしまう牛とかもね、いるそうで。なんだか牛の話で無いようで笑ってしまいそうになるんだけどね。

で、やっぱり、エサの量とか少しも気にせず、というか頭が回らず、なんでも好いから近いところにある餌場で呑気にムシャムシャ食ってるだけのやつとかね、いるそうです。

好いですね。牛それぞの風景というものもね。
そのどれもが可愛いものです。

まぁそういうことで、牛にだって要領の好いのがいたり、要領の悪いのがいたり、無頓着なやつがいたりと、それはまるで人間と変わるところが無いのだそうです。

そうやって日々牛たちを観察しているから、そのうちに、酪農家の子供たちも牛一頭一頭の固体としての性格を把握していくのだそうでございます。

だから牛の顔の違いも分かるようになるし、とうぜん各牛の名前だって自然と覚えるのだそうでございますよ。

まったく聞いてみないと分からんことが多いのが世間というものでございますよ奥さん。ねぇ。

さぁ、
そういう観察も日々行っておりますから、牛への同情や共感、そして反発、それはもういろいろ感じながら、日々の仕事を繰り返す。牛の性格だって日々変わる
ものではないから、あの野郎また間違えたふりして来やがったな、と思いつつも、要領のいい牛の食いっぷりを苦々しく見つめている。

したが奥さん、
そいつがある日、
いつも要領良く真っ先にくるそいつがね、
ある日、どうしたことか、四番手くらいで遅れて出てきたりする。

常ならぬというのはこういうことだね奥さん。

そこで酪農家の頭は事の異変に自然、反応することとなる。

なんかおかしいぞということで、そのいつもは要領の好いその牛を調べてみると、これが奥さん妊娠していることが分かったりするらしいのよ。ねぇ。
面白いねぇ。

でまぁ、そういう観察と発見の繰り返しが酪農家の日常仕事の中にはあるのだと、わたるさんは申されておりましたね。

実に興味深いです。

そのわたるさんに聞きましたの私。

で、結局酪農家の仕事っていうのは、牛の乳を搾って牛乳にして、それを売ってお金に換えて生活する、そういうことになりますか?とね。

したら、わたるさん言いました。
確かにそうですねと。
でも、大雑把に言えばそうであるけども、実際は事業だから、
儲けというものを常に考えなければならない。

つまり単純な話、儲けを多くするためには、まず牛乳の単価を上げるということを考えることが重要になる。

ではどうすれば単価を上げられるかというと、
牛乳の品質を上げる努力をするということになる。


は、どうすれば牛乳の品質を上げることが出来るかというと、血統の好い牛同士を掛け合わせれば好いということになるらしく、そうであれば、まず、血統の好
い牛とはどんな牛なのかを調べ研究し、次にその牛がどこにいるのかを調査し、どうすれば手に入るかを調べ、その上で少しでも安い値段で手に入れようとする
ことになるので、自然と交渉術にも長けてくる。

酪農家の仕事って、だから日々の牛の世話が勿論メインだけれど、どうすれば限られた労働力のままで儲けを増やしていくか、これを同時に考えられる人でなければ酪農家で生きていくのは大変になるんですよと、わたるさんは申されておりましたね。

で、そのわたるさんは、結局、家業の酪農は継がず、街へ出てテレビマンになるわけです。

わたるさんは言うのです、
ぼくは、尊敬できる人としか仕事をしたくないんですと、
とにかく、仕事をするなら長くお付き合いの出来る人としたい。
だって、その人と仕事するということは、その人を食わせて行くことだし、その人の後ろにはその人の家族もいるし、その家族だって食わせていくことにつながるのだからと。

私は、わたるさんから、そんな話を聞いて、仕事でつながりを作るということが、その人を食わせていくのだというイメージに無理なく繋がる福屋渉という人の思考回路に軽い眩暈のような驚きを覚えました。

そのわたるさんが、家業の酪農を継がず家を出たのは、悩んだ末のことだったようです。自分がこの家業を継ぐということは、とりもなおさず牛100頭の面倒をみること。
自分に牛100頭の世話を終生続けることが出来るだろうか。
毎日食べさせて、体を拭いてやって、しっかり面倒をみないと牛を死なせることになる。

おそらく、少年時代のわたるさんのイメージの中で、追いすがるような目をわたるさんに寄せたまま、ばたばたと死んでいく牛の姿というものがあったのではないでしょうか。

その脅迫的ともいえる観念に追い詰められながらわたるさんは育って来た。

そして、自分は、牛の世話に自分の人生をささげることが出来るのだろうかと、日常的にぼんやりと、しかしキリキリと悩んでいたのではないでしょうか。

そんなわたるさんの苦悩を知ってか、ある日、弟さんが、家業を継ぐよと言って、わたるさんは、酪農の家をぽっかりと去る事になる。

子育てというものがありますが、
どんな子に育つか、
それは親の預かり知らぬことだと思えてなりません。

たった一人や二人の大人の考えだけで、人は育てられるものではないような気がするのです。もし、そんなことをしてしまえば、その子は、薄っぺらな人間にしかなれないような気がするのです。

人は自分の置かれた環境に追い詰められながら、追い詰められてはその状況を自分なりに乗り越え乗り越えしながら育っていくのではないでしょうか。
そして、追い詰められながら爆発的に考える。
そうしてその時、結果的に脳を鍛えている。
それは必死だからです。

多分そうだなぁと思います。
そうして個性というものは作られていく。

おそらく子供は、親の目の届かないところで育っているのです。

だから、わたるさんの性質というものは、牛と共に作り上げられたものだという気がします。

わたるさんの仕事振りを見ているとそう思えてなりません。

わたるさんは言いました。
自分は、結局、タレントやアーチストのみんなが牛に見えてしまうんだと。死なすわけには行かないと。食わせていかなければと思ってしまうんだと。

だからあの人は、あんなにもタレントやアーチストのみんなに慕われているのだなと、その時、私は俄かに合点が行きました。

付き合う人を生かそうとする。死なすわけにはいかないという脅迫観念が今もわたるさんを育てている。

そして、そのことは、ぼくに同じことをやれと言われても出来ないけれど、わたるさんは無理なく出来る。

それが、育ちというものだと思えるのです。

だからいろんな人がいる。

いろんな環境があるからね。

そしてその人の育ちが、いつどこで、どのように他人の役に立つのか、
それもまた分からない。

ただ、いろんな人がいる方が好い。
そして、なにより、そのことをし続けることに無理が無いというのがなにより好い。
自分の性質に合わないことは長続きはしない。
長続きする方向を自分で見つけて進むのが好い。

出来ることをやる。
出来なかったことは、出来る人が、あとでやってくれれば好い。

子供は親の目の届かない所で爆発的に育っている。
そのことを忘れてはいけないような気が、なんかするのでありますよ。

じゃ、今週はこれにて終わり。
また来週。

解散じゃ!

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(16:31 嬉野)

嬉野

2008年11月20日(木)

嬉野です。

先週末、熊本へ行ったあとにね、実家の佐賀へ寄りました。
うちのお母さん、右足が痛いといって急に歩行困難になりましてね、整形外科に入院しちゃったものですからね、寄りました。

したら、うちの母さん、足が痛くて大変そうでしたが、食欲もあり元気にしておりました。ま、病気じゃないんだからね、当たり前だね。

ただ、体力が落ちるのが心配な年頃でありますのでね、年が明けたら八十歳なんですよ。もうもう高齢。
ですから、ちょっと先行きが気になる嬉野さんではありますよ。

で、佐賀で三日ほどお見舞いをしましてね、昨日札幌に戻りましたらあなた、札幌は昨夜から雪が降り始めましてね、今朝、真っ白に積もりましたんでございますよ。
ねぇ奥さん、いよいよ冬でございます。

でまぁね、皆さん冬が来ましたね、ということをね、
ここで呑気に確認しつつ、後は思いつくままに書いていくばかりですが。

うーむ、どうなんでございますかねぇ、
このぉ、言葉というものね、
私たち日々むつかしげもなく当たり前に使って会話してますがね、いつでしたか、テレビに言語学者さんが出ておられましてねぇ。
その方がポロッと話されたわけですよ、

「人間は言葉に支配されて生きているんだ」と。

なんかそんなことを申されておりました。
どういうことなんでしょうかねぇ奥さん。

言葉は私らが使うものでしょう。
その使っているはずの言葉にね、実は使ってる私らのほうが支配されてるということなんですかねぇ。

その「支配されている」と、その学者の方が言われていた意味と言うのがね、その本当のところは分からないのですが、

でもね奥さん。

私は聞いた瞬間、私なりに分かるような気がしましたよ。
確かにぼくらは言葉に支配されているかもしれんなぁと。

例えばね、
ほれ、「可能性」という言葉がありますでしょう。
「可能性」というのは「伸ばす」ものと相場は決まっている。
なんでか分からんがそう決まってるわけですよ。
「可能性の芽を摘む」とかね、言いますから、
可能性の広がりを妨害することは悪いことというイメージが、なんだか考えるより前にすでにあるような気がする。
「可能性」には伸ばすものだと言う未来しかない。

そこにはきっと、
「可能性」というのは現実問題としてあまり訪れるものではないから、だからそんなめったに無い「可能性」があなたの前に現れたんなら、だったらそれは好い
ことに違いないだろうから、伸ばす方向でどんどん伸びるだけ伸ばしなさいというイメージをどうやら人間全員が持ってしまってる、そんな気がするわけでござ
いますよ奥さん。

さぁ。
ねぇ。
例によって何を言いたいのか言ってるのか分からない状況に踏み入ってまいりましたが、皆さん大丈夫でありましょうか(笑)。
いいんですよ奥さん。
この辺りでねぇ、よそのサイトへ行かれても、
ねぇ。すんません。
なにしろあなた、こっちは思いつくままに書いてるだけの行き当たりばったりですからね、どうせ結論なんか出ませんよ。

ねぇ、持ち時間の無い方は私なんかに付き合ってると危険です。
お暇な方と笑って済ますことがおできになる寛大な方のみ、こっから先はお付き合いくださいまし。

さて「可能性」の話。

例えば、老夫婦という男女がある。
お年寄り二人、数十年に渡る人生の風雪に絶えてね、
仲良く二人で老い先の短い人生をつましく生きている。
「仲良きことは美しきこと」みたいなものでございますから、はたで見ていても微笑ましい二人ですよ。

若い人だって思うでしょう。
「いいなぁ、私もあんなふうに仲良し夫婦で年を取っていきたいなぁ」なんてね、思うわけでございます。
私だってそう思う。

ところがここに「可能性」というものが現れる。

めったに無いことだけれど、
どちらかに。
例えば奥さんに、ある若い男性が心を寄せてしまう。
つまり老妻である奥さんは、ある日ひょんなことで若い素敵な男性と出会う。出会ってしまう。
普通だったら詐欺とかね、冗談だとかって思いがちだけども、
どうも本気でその素敵な若者は、老妻のことを好きになってしまった。ここで、この奥さんがその若者にまったく興味がなければなんの問題も起きないけれど、
その老妻である奥さんもその若者のことが好きになったら、つまり、そのような高齢で恋に落ちると言う新たな「可能性」が出てくる。

そうすると、その「可能性」の前には、その老夫婦は、もう仲良く残りわずかな余生を共に生きる二人ではいられなくなる。

ひょっとしたらね。
その老夫婦が仲むつまじい夫婦で居られたのは、双方に新たな恋の「可能性」がお互い意外に絶無だったからかもしれない。

まぁ奥さん、
これは極端なたとえであってね、
別にここで恋愛の本質を語っているわけではありませんのでね、その辺り引き算していただきながら読んでいただきたい。
頼みますよ。ねぇ。

えぇっとなんでしたっけ、
はいはい、「可能性」の話ですね。
そうでした。

つまり、「可能性」というのは、上にあげたようなことどもを考えるとね、必ずしも幸福ばかりを呼ぶものではないのかもしれないよ、と。そんなことだって考
えてみたってよいようなもんですが、「可能性」という言葉の前では、そういう発想それ自体を問答無用で禁止しているようなところがあるような気がします。

だから私らは、「可能性」という言葉を聞くと、
考えなしに、それはめったにないことだから伸ばしていくほうが好いですよ、ですよねぇ、まったくです、という発想に自動的になる。

言葉が私らにもたらすイメージには、
確かにそんな拘束力がある。

そんなこともね、私らが「言葉に支配されている」ことの一端のような気がして、その言語学者の人の発言が心に残ったと。
まぁそんなことでしたよ。

老妻にのみ訪れた「可能性」はね、
それを心ゆくまで伸ばすことによって、
老夫婦という共同体のバランスを大きく壊してしまうことになる。
まぁ、夫婦の問題は個人レベルの問題だから、それも人生ということで済ませそうだけどもね、社会というレベルで考えると、それでは済まないような気がする。

個別バラバラに訪れる「可能性」が、その人だけを豊かにするだけで終わるのではなくて、最終的には社会の構成員全員を幸福に出来る方向へ向かって伸びてい
く。そういう結論をみんなが目指そうとするならば、だったら、「可能性」は問答無用で伸ばすべきだと、そうなって初めて言えるんでねぇかなぁと、いうよう
な気が、そん時しましたのよ奥さん。

なんです?
だからどうしましたって?

ま、確かにね、
だからどうってことはねぇ、ないね。
それは、ないのよ。
ただね、なんだかそんなことを思いましたってだけのことなのよ。

はいはい。
すんませんでしたね。
どうでもいいことに長々つき合わせちゃってさ。

ね。
ということで、本日は終わろう。

じゃ、また明日。
解散!

明日はもう来てくんねぇかな?
好いじゃないのよ、来なさいよ。

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(18:58
嬉野

藤村

11月19日水曜日。藤村でございます。

今週もびっちりと編集室にこもり続けております。

現在のところ、「桜前線捕獲大作戦」と「十勝二十番勝負」の編集を終了。残るは「サイコロ5」と、すべてのスーパー、テロップ付け。完成予定は1月中旬。

「桜前線」と「十勝二十番勝負」は、クラシックの放送ラインナップから外れておりますので、見たことのない人が多いかもしれません。

両作品とも、どうでしょうの中では「短編」の部類に属するものでありますな。

「桜前線」は2週。「十勝」は3週。10年前、98年の作品。

「十勝」はonちゃん(安田さん)が初登場。

当時、大泉さんとやっていた「ゴルゴ」というラジオ番組の本番中に、彼は問答無用で連れ出され、自らの意思とは無関係に、そのまま「水曜どうでしょう」というテレビ番組のロケに参加。

「今日からきみはオンちゃんだ」と、

言われるがままに、テレビ局のマスコットキャラクターのぬいぐるみを着せられ、「安田さん」ではなく「オンちゃん」と呼ばわれ、ぬいぐるみを着てない時は顔にモザイクをかけられるという徹底ぶり。

しかし彼は、自らの意思とは無関係に、突然始まってしまったテレビの仕事で、黄色い物体でしかなかった「onちゃん」というキャラクターに、見事にその命を吹き込んだのであります。

酒好きなonちゃん。

塩辛でご飯が4杯食えるonちゃん。

ケリを入れられてうずくまるonちゃん。

ケリを入れ返すonちゃん。

局のキャラクターとしては、あるまじき行為も、「安田顕」という愛すべきキャラクターのおかげで、とても人間味あるマスコットとなっていった。

「黄色という色は、とても人の心を癒す色なんですよ」

とかなんとか、その後のonちゃん人気を説明した人もいますが、それは見当違い。

10年前の、安田顕という人物のキャラクターが、あのonちゃんにすべて投影されていたのです。

「十勝二十番勝負」を見ていると、それがよくわかります。

あんなマスコットキャラクターなら、誰しもが好きになる。

さて、本日の編集作業は終了。

明日も10キロ走ってから出社。じっくり編集に没頭いたしましょう。

じゃじゃじゃじゃじゃじゃぁじゃぁー

また明日!

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(20:05 藤村)

藤村

11月17日月曜日となりました。藤村でございます。

先週の金曜日から嬉野先生と熊本に行っておりました。

鶴屋百貨店で開催中の「大道産子市」HTBブースに顔を出し、みなさんと記念写真など撮りました。

夜は地元・熊本朝日放送のみなさんと朝方3時まで酒を酌み交わし、熱く語らい、充実したいい夜を過ごしました。

その後は、幻想的な夜の祭り「竹楽」が開催されている大分の竹田に向かいましたが、あいにくの雨。

「竹楽」は見られませんでしたが、姫だるまの後藤さんと会い、そこに集まっていたどうでしょうバカの連中と飲み、そして久しぶりに樋口了一さんともお会いしました。

「『手紙』っていう曲を今歌ってんですけどね」

「あーえらい長い曲でしょ?」

「聞いてくれた!」

「いや聞いてないけど」

「聞いてよ」

歌詞はなんでも親から子へ宛てたメールで、作者は不明なんだけど、すごく胸を打つらしい。それに樋口さんが曲を付けたと。

「あーそう。そんなにいいの」

とりあえずCDがあったので歌詞だけをこう、なんとなく声に出して読み始めたら、途中でぐぐっ・・・となり、「やばいやばい!」と読むのをやめてしまいました。

「あーこりゃぁ、くるねぇ・・・」

「くるでしょう」

「やーそうは言っても樋口さん、ウチのドラマも泣けたでしょう」

「あー『歓喜の歌』!」

「見た!」

「いや見てないけど」

「見てよ」

樋口了一、まだ見てないらしいですよ。

その後は樋口さんと温泉に行き、湯に浸かりながら樋口さんのやってるラジオの収録をしましてね。

えーもう風呂に入りながらですよ。

乱暴でしたよ。樋口さんとこの事務所の社長がシャワーハット(奥さんが使ってたやつ)に録音機を入れてね、そいつを湯船の横に置きまして「じゃ録りますか」と。

「いやいや、いいんですか」と言う間もなく、

「さぁーそういうわけで」とすっ裸のDJ樋口了一がしゃべりだし、

同じくすっ裸のゲストである私と、別にしゃべるわけではないけれど、流れで一緒にすっ裸になった社長のおっさん3人が湯船につかり、うわんうわんに反響する浴室で、音楽について、人生について、文字通り熱く語りましたよ。

汗だくですよ。

えらい長くしゃべりましたから。

大分と、東北と?どっかで流れるらしいです。

その夜は、姫だるまの後藤さんのご実家に泊めていただきましてね、山の中の一軒家。

後藤さんのお父さんが焼いた炭を入れた掘りごたつに入り、お母さんが作った漬物をつまみに、シメのビールをぐびぐびと。

振り子時計のかちかち・・・という懐かしい音を聞きながら、静かな夜を過ごしました。

短い滞在でしたが、熊本、大分と、それぞれ良い方々に出会い、良い時間を過ごしました。

さぁ!また編集室にこもってがんばりましょう!

また明日。

【どうでしょうグッズ九州初上陸!】
11月12日から熊本は鶴屋百貨店さんで開催の「大道産子市」にHTBグッズショップが出店。HTB社員が売り場に参上いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

(20:32 藤村)

藤村

11月13日木曜日。藤村でごぜりますよ。

相変わらずの編集三昧。現在は「十勝二十番勝負」の第二夜までを終了。スケジュールより早めに編集を進めております。

昨夜、道内では「ジャングル・リベンジ」を放送しておりまして久しぶりに見ておりました。

ジャングルの中を11キロ、ブンブン・クンバンまで5時間歩くということで、あのヒゲの人はもう出発直後からやる気がなく、

「気持ちで負けるな!」

と、なう泉さんに叱咤激励される始末。

当時38歳。

でも5年後の今、ヒゲの人は毎朝10キロ走ってんですよ。

たとえジャングルだとしても、11キロ歩くなんてたいしたことではない。

変われば変わるもんです。

朝走っておりますとすれ違うのは中高年ばかり。私なんてのは、若手の部類です。50、60の方がほとんど。

でも、私より長距離を走り、私より速い人もたくさんいる。

ランニングというのは、この歳になっても記録がアップするんです。

もう体力的には衰退の一途と思っていた40代の自分が、「まだ体力的に発達できる」とわかった。

これはねぇ、とても大きなことですよ。

単純にうれしい。

それで、ほぼ毎日走ってる。

同年代のみなさん。走ってみたらいいですよ。

キツくなったら歩けばいい。

息が切れたら無理をせず、ゆっくり歩く。

さっきまでの息切れがおさまって呼吸がラクになり、でも体は温まっているから気持ちがいい。

手を大きく振って歩く。

そうすると、どこまでも歩いていけそうな気がする。

100キロでも。

まぁ実際は無理でも、ほんとにそんな気がする。

走る理由は、痩せたいとか、健康のためとか、あるでしょうが、実は一番の効用は、

「自分の足で、人よりも、まだまだ遠くに行ける」

という、心の自信のようなものだと思うなぁ。

行けますよ。まだまだ遠くに。

さて、昨日より熊本は鶴屋百貨店さんにお邪魔しておりますHTBグッズ。

新グッズも取り揃え、鼻息荒く乗り込んだ店長ら一行ですが、割とね、のんびりやっているそうであります。

いいんじゃないですか。そういうのも。

熊本ねぇ・・いいですねぇ。

大分の竹田では、今週末「竹楽」の祭りもやるそうじゃないですか。

いいですねぇ・・・。

明日はちょっと、編集の手を休め、嬉野先生とお出かけしてきます。

ではまた来週。

走れ。

【どうでしょうグッズ九州初上陸!】
11月12日から熊本は鶴屋百貨店さんで開催の「大道産子市」にHTBグッズショップが出店。HTB社員が売り場に参上いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

(20:01 藤村)

嬉野

2008年11月12日(水)

嬉野です。

先週出張で東京へ行ってましてね、
四日ほど滞在してましたよ奥さん。

東京には私も14年ほど前までいましたが、
いやぁあの頃とは比べ物にならんくらいにあなた、
交通網が張り巡らされちゃってて、いやはやもうもう、
どうにもこうにも便利になりましたねぇ東京は。

車なんか要りまっせんよねあの街は。

ですからあの日もわたしゃ地下鉄に乗っとりましてね、
ドアの脇に立っておりましたら、今にもドアが閉まりそうなタイミングで若いお母さんがベビーカーを押してね、乗ってきたわけですよ。

車内はわりと混んどりましてね、座ろうにも空席はない。
ベビーカーには一歳未満の男の子。
そのベビーカーを押すお母さんの後ろについてきたのは三歳くらいのお姉ちゃん。

お姉ちゃんは、きっと歩きつかれたんだねぇ、
お母さんを見上げながらべそをかきそうな顔でね、
お母さんのジーンズの裾を小さい手でひっぱりひっぱり何か言っている。
きっと「座りたいよ」と駄々をこねていたんだろう。

でも空席なんかどこにもない。
小さいお姉ちゃんはお母さんにたしなめられて、ますます顔をしかめてしまいました。

そうしたら今度はベビーカーの上で太平楽をこいていた小さい弟がキンキン声を上げるのです。

「ママー!ママー!」

手を伸ばしながら叫ぶのです。

「ママー!ママー!」


ぶけどね、いや、彼は間違いなく何かを強く要求しているのだと分かるのだけれどね、残念ながら彼の語威力は今のところ「ママー!」しかないらしく、でも
「ママー!」の意味はそのつど違うだろうということは誰の目にもあきらかなことでね、その彼の要求するものの意味は、そのつどお母さんが推量しなければな
らない。

その推量が当たるまで、
つまり自分の欲求が満たされるまで、
彼はベビーカーの中でぬくぬくとキンキン声を上げていられる身分なわけだね。

でもたった二つくらいしか違わないのに、
お姉ちゃんは、もう自分の足で歩かされて立たされてね、
で、疲れて座りたいよぉと駄々をこねると、お母さんに叱られて。だから仕方が無いから我慢しながら、歯を食いしばって立っている(笑)。

それなのに弟は、偉そうに主張ばかりしている。

そのことが幼心に腹が立つのだろうねぇ、
小さいお姉ちゃんは、「うるさい!」とばかりベビーカーの上の弟の胸を叩いてたね(笑)。
小さい可愛らしい手で。
その可愛らしい攻撃に対して、弟も声のデカさで応戦してた。

そしてお姉ちゃんがまたお母さんのジーンズの裾を引っ張って、こんどは半べそで哀願しながら「座りたい!」と騒ぎだす。
それに対抗するように弟は手をいっぱいに突き上げながら「ママー!」「ママー!」を繰り返す。
それがお姉ちゃんにはまたまた悔らしいらしい。

小さい二人は、それぞれにお母さんにこっちを向いて欲しくて、
おのれを主張しあっている。

それがなんだかね、脇で見てて微笑ましく、
うらやましく。

結局、弟はジュースの入った哺乳ビンを要求していたようで、
お母さんの手から、くだんの哺乳ビンが渡されると、よし!とばかりに食いついて、チューチュー吸い始めたものだから静かになる。

でもお姉ちゃんは立ったまま。
お姉ちゃんは、とうとう鼻水たらして泣き出して、
それでもお母さんのジーンズの裾に一所懸命つかまっておりました(笑)。

小さい二人に視線がいって、お母さんの顔は見ず。
まるでトムとジェリーを見るようなひと時でござんした。

あぁいう光景を見せてもらえるのは幸せです。
あの子達のお母さんとお父さんに感謝であります。
だって二人は、子供らしく育っていたもの。

いやぁ、好いものを見せていただきました。
きっとあのお姉ちゃんも、今頃はお母さんのそばで笑っているんだろうね。わたしゃ、そう思います。

そしてまぁ、弟に生まれた身の私としては、
あのお姉ちゃんに、ほんの少し、ごめんねと遅ればせながら言いたい気も、するのでございます(笑)。

ほんと下の子はずるいねぇ。

というね、ことで終わりですよ。

本日も解散!です!

【どうでしょうグッズ九州初上陸!】
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(19:14 嬉野)

藤村

11月11日火曜日。藤村でございます。

先週は四宮、嬉野、藤村のどうでしょう制作班3人で、お芝居を4つも立て続けに観てまいりました。

まずは札幌にて、キャラメルボックスさんの「君の心臓の鼓動が聞こえる場所」。

良かったですねぇ。

芝居というのは、どうしても女性客が多い。ですが、これは是非とも40代?50代のおっさんに観ていただきたい。

最初はキャラメルボックスさんのテンションの高いお芝居に若干腰が引けますが、しかし、最後はぐっとくる。ストーリーがいい。おっさんにオススメです。

そして東京では、「歓喜の歌」に出演してもらった吉本菜穂子さんが出ている「幸せ最高ありがとうマジで」(劇団・本谷有希子)。

これは、おもしろかったですねぇ。

女優さんの芝居に笑わされる、というのは非常に珍しい。

セリフ回しに笑わされました。

いやぁ、おもしろかったなぁ。

そして、同じく「歓喜の歌」の脚本家・チョンさんが書いた「孤独から一番遠い場所」(演劇集団・円)。

浅草近くの赤札堂というスーパーの5階にある小さな劇場。シブイ場所であります。

舞台上が砂浜になっておりまして水が張ってある。小さな劇場とは思えない広がりを感じる美しい舞台。

そこで、水しぶきをバッシャバッシャと上げながら役者さんたちがのたうちまわる。

重ーいテーマの芝居でありましたが、いや、これも良かった。

そして、またまた「歓喜の歌」に出演してもらった、我らがヨーロッパ企画さん総出演の「昭和島ウォーカー」。

V6の井ノ原さん主演。お客さんは、そりゃもう井ノ原さんファンが大多数でありましょう。

ふだんのヨーロッパ企画のお芝居は男性客もかなり多いが、今回は、ほぼすべてが女性。最近のナックスさん並みの客層に、明らかに戸惑うヨーロッパ企画。そんな空気が当初は劇場を覆っておりましたが、しかし、最終的には、いつものヨーロッパ色が出て楽しめました。

お芝居というのは映画を観るよりもずっと高い。

チケットを取るのも難しい。

そのくせおもしろいか、おもしろくないか、当たりハズレが多い。

どっか、先物買いのような要素がある。

だからこそ、いいお芝居に当たったときの喜びは大きい。

芝居はナマ。今、観ないともう観ることはできない。

だから芝居はやめられない。おもしろい。

と、多くの芝居ファンは思うのでありましょうが、私は、おもしろいお芝居を、なんとかもっと多くの人に観てもらうことはできないものか、と強く思うのであります。

芝居中継もあるし、DVDだってある。

でも、正直、どれもおもしろくない。観てられない。

「そりゃ芝居はナマだから」と言ってしまえば、それまで。

なんとか、もっとおもしろく見せられる撮り方はないものか。

いいお芝居を観るたび、「あーもったいない!」「誰にも見せてあげられない!」と思うのであります。

いつか、なんとかしたいなぁ。

よし、また明日。

明日もずっと部屋にこもってDVDの編集であります。

【どうでしょうグッズ九州初上陸!】
11月12日から熊本は鶴屋百貨店さんで開催の「大道産子市」にHTBグッズショップが出店。HTB社員が売り場に参上いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

(20:35
藤村