嬉野

2006年10月31日火曜日
あぁ秋だねぇ。
なんかね、そうつぶやくだけでもホッとしますですね。
ですので、まず、ちょっとホッとさせていただいて。
はい。嬉野であります。
さて、世間には湯治宿というものがありまして。
とくに東北地方に多くあるそうで、
「好い所がいっぱいあるのよ」と、旅好きの妻が申すわけでありますよ。
「東北の湯治宿は好いわぁ」
妻は、去年の夏に東北を旅しまして、湯治宿を泊まり歩き、いや、正確には歩いているわけではなくてね、バイクで走ってるんですがね。いや、まぁいいか。
とにかく、いろいろと泊まるうちに湯治宿という環境が好きになったらしいですね。
で、湯治宿ですけどね。
自炊なんですよね、基本的に。
朝昼晩の御飯はね、自分でやんなきゃいけない。
なぜかといいますとね、ほら、温泉というのはね、本来、体の故障を治すためのものですから、そのためには連泊して長い時間かけて毎日温泉に浸かることになるわけです。
そうなりますと客にとっては、泊まり賃は安いほうがありがたいですな。
そこで、食事は全部、湯治客が自前でまかなうというシステムにいたしまして、その分、料金を極めてリーズナブルな価格に設定する、そうすることで湯治客のみなさんのご心配の種を無くするという、言うなれば湯治宿側の伝統的なサービスということになるわけですね。
湯治客は助かるわけです。
で、そのために湯治宿には湯治客のための炊事場があってね、鍋とか食器とか貸してくれるのね。便利ね。
そんな湯治宿の炊事場でね、去年の夏、妻は、初老の御夫婦のやりとりを、なんとなーく見ちゃったそうです。
そこがほれ、共同炊事場の共同たるゆえんでありますよ。
他人と交わる機会が多い。
その初老の御夫婦はね、晩御飯をつくろうと、そろって炊事場で調理をしてたんですね。
で、見ていると。
旦那さんの反応に、若干のボケが始まっているように見て取れたんだそうですね。
だから、きっとあの奥さんは、旦那さんのために、一緒に付き添って湯治に来ていたんじゃないかなぁと、妻は言うわけです。
ですからもちろん調理は奥さんがメインでね、旦那さんは、奥さんの指示で動かれるわけですね。
奥さんが、旦那さんに穏やかな声で言うんですって。
「あなた。器を用意してちょうだいね。」
「煮物を入れる器、どれだかわかる?」
「そうそう、それよ」
「ここに置いてくれる」
「ありがとう」
「じゃぁ、次は冷蔵庫からお魚出してくれる?」
根気良く優しく、奥さんは旦那さんに指示を出してね、旦那さんも奥さんの言うことを素直に聞いて、御夫婦の作業はゆっくりゆっくり進んでいったそうです。
でも、あまりにも根気がいるのでね、そばにいた同宿のおばさんが気の毒に思ってか、脇からそうっと声を掛けるのだそうですよ。
「あんたも大変ねぇ」って。
不意に他人様から、そんなねぎらいの言葉を受けてね、その奥さんは嬉しそうに笑って「でも、そんなことないんですよぉ」って楽しそうに応えていたそうですよ。
「でもね」。
妻は言うのです。
「あの奥さん、じっさい楽しいんだと思うのよ」
「だってね、想像してみてよ。あんな風になった旦那さんと二人っきりで自宅で過ごすことを考えたらさぁ、他人の中で、あぁして二人で調理をする方がどれだけ開放的で気が紛れることか。それに実際あの場でよ、よその人にも褒めてもらえたわけじゃない。あんたも大変だけど頑張ってるわねって。御主人幸せよねって。それが嬉しいのよ。そんな言葉をかけてもらえるのが嬉しいのよ」
なるほどなぁと、ぼくは思ったわけです。
家にいたら誰も褒めてくれない。
でも、他人の中で生活していると、そうやって褒めてくれたり気遣ってもらえることがある。
それがどれだけ生きていく上で張り合いになるか分からない。
そういうことは、絶対あるとぼくも思いました。
旅をしているといろんなものを見ることになりますね。
そうして、世間には、いまだにいろんな生活や、いろんなリズムがいっぱい混在してあるんだということをね、強く実感することになるような気がしますですね。
そういうの見たいんです、私。
はい、ということで、本日はこれまで。
それでは奥さんお元気で。
解散!
そうそう。
お変わりないですか?みなさん。
ないですね。
そうですか。はいはい、わかりました。
ではでは、お達者で!
(16:20 嬉野)

嬉野

2006年10月30日月曜日
嬉野であります。
グッズ店長の手下に、くまくまという名で呼ばれる、まだかろうじて若い女がおります。
青タイツ茶タイツ黄タイツのストラップをデザインしたり、渋谷小祭のポスターのデザインをしたりと実直に好い仕事をしております。
この女が、近々九州へ旅に出るんだと、嬉しそうに何かの席で申すわけでございます。
九州と言えば、私の生まれ故郷、佐賀があるところであります。
どこへ行くのかと聞けば、福岡だというのであります。
それからどこへ行くのかと聞けば、長崎だというのであります。
その後どこへいくのかと聞きますと、それで終わりで札幌へ帰るというのであります。
福岡の博多から長崎へ行くには、JRの長崎本線の特急「しろいかもめ」で行くのが便利でございますね。JR九州の特急は外装も内装もシックで美しく、旅情をかき立ててくれます。
私の生まれ故郷の佐賀というのは、その「しろいかもめ」の走る長崎本線の博多と長崎の丁度中間にあるのです。
通り道であります。
もちろん特急も停車します。
博多から特急で所用35分という近場にございます。
城下町でございます。
佐賀には寄るのかと、くまくまに聞きますと、寄りませんというのであります。
そんな街のことは気にしたこともないという顔で答えるのであります。
私は少年の頃を思いだしました。
その頃世間には、怪獣ブームというものが押し寄せておりまして、東宝ではゴジラシリーズが、大映ではガメラシリーズが、遅れを取った感のあった松竹だってギララとかガッパとかいう怪獣をでっちあげまして、春休み夏休み冬休みのたんびに劇場で公開しておったのであります。
もちろん少年達は、休みに入る前に怪獣映画のことで盛り上がるのを常といたします。
ですがその年の盛り上がりは、いつも以上だったのでございます。
何故か!
それは怪獣が、あろうことか九州上陸を果たすたらしいという地場的話題が盛り込まれておったからであります。
どうやら、あのゴジラが博多の街であばれるらしい。
「博多にゴジラが来るのか!」
少年達は、素朴にいろめきたつのでありました。
だったら、特急で35分の佐賀にだって寄るだろう。
少年達の心には、素朴に憧れの火が灯るのでありました。
その頃の怪獣映画は特撮であります。
ミニチュアの街が丁寧に作られまして、人が入りました気ぐるみの怪獣がそこであばれるわけであります。
「怪獣ついに佐賀に来る!」
佐賀の少年達は全員そのシーンを夢想するのでありました。
こうしてその年の終業式の朝の教室は、ふだんとは比べるべくもなく怪獣映画の話題で盛り上がり、少年達は、来る休み明けの再会の日には佐賀の街で暴れた怪獣映画の話でまた盛り上あがろうぞと、固い約束をいたしまして、興奮も冷め遣らず、渡された通知表を手に手に、それぞれの家路についたのでございます。
さっそく私も、父兄同伴で観に行きました。
劇場はもちろん満員であります。
ロビーはガキどもの嬌声と親たちの怒号で大騒ぎ。
売店は金を握った親たちとジュースのコップを鷲づかみにしたガキどもでごったがえし。
親どもは、二度と来るかという顔で減り行く財布の中身を気にするばかりでしたが、ひとり映画館の館主さんのみは、大勢さんの御子ども様の御来場に揉み手でホクホク顔でございました。
さぁその怪獣映画。
確か東宝のゴジラシリーズだったように記憶しておりますが、怪獣が博多の街にまんまと現れまして大暴れ。
おそらく博多の少年達は劇場で大興奮だったでありましょう。
さぁ、次はうちだと佐賀の少年達はスクリーンの前で待ち受けた。
ところがですね。
この怪獣、空を飛びましてね、羽をバタバタっとやりますとですね、あっさり長崎に行ったわけですよ。
私、子供ながらにポカンとしまして、それ以降いっこうに物語に集中できない。
「どうして…」
「いや、違う。長崎で暴れれたあとで、佐賀に寄るんだ」
一度少年の心に灯された火はなかなか消すことが出来ない。
さぁ、怪獣は長崎の街で大暴れをして自衛隊をキリキリ舞いさせますと、また羽をばたつかせて飛翔し、あっさりと佐賀を飛び越し、またまた博多に舞い降りて大暴れ。
「今度は博多に現れました!」
「あ!またまた長崎に現れました!」
物語の中では自衛隊がと歯軋りをする。
首都では内閣首脳が歯軋りをする。
劇場ではガキどもが歯軋りをする。
「いいかげんにしろ」と…。
休みが明けまして、新学期。
少年達は再会しましたが全員黙して語らず。
前にもまして勉学に打ち込む者。
前にもまして勉学に身が入らなくなる者。
人生色いろ。
あの時の怪獣もね、よもや、観光地にしか興味がなかったわけではないでしょうが、ガキどもは世間というものを垣間見まして、もはや素朴でばかりはいられないと、少しばかり大人になったのでありますよ。
そういう少年の日の、苦い想い出をよみがえらせる、くまくまの九州旅行計画でありましたね。
いっそのこと、くまくまが九州旅行する日程をあらかじめ聞き出して、私、佐賀駅のホームで待ち構え、電車が佐賀駅に停車している間にやつめを見つけ出しましてね、引きずり降ろして二日二晩佐賀観光をさせてやろうとかとも思いましたが、いけません。
それでは佐賀の品位を落とすばかり。
長崎ちゃんぽんでもお土産に買ってきてくれればと思っております。
さて、藤村先生、週末に岩手へ行かれまして、ついでに今週いっぱいお休みでございます。
ですのでね、わたくし嬉野が、出来る限りで、皆様方のお相手をさせていただこうと思っておりますので、どうぞよろしく。
じゃ、奥さんまた明日。
本日は解散!
(16:31 嬉野)

藤村

10月27日金曜日。藤村でございます。
申し訳ございません、一昨日より日記の更新が滞っておりました。
現在わたくしは「日記本」の作業、嬉野先生は次回発売のDVD第8弾「西表島」に収録する特典映像「水曜どうでしょう祭」の編集作業に邁進しております。
一昨日、「今日は先生が書くと思ってた」「いや先生がお書きになるって言ったじゃない」と、多少の行き違いがございまして日記更新ならず、さらに昨日も「あれ!先生書いたんじゃないの?」「え?先生が書くんじゃないの?」と、またしても行き違いが発生いたしまして2日連続更新ならず。誠にもって申し訳ござりません。
しかし、ま、それだけ各作業が順調に進んでおる証と、そのようにご理解いただければよろしいかと。
さて、日本一。
北海道日本ハムファイターズが移転3年目にして日本シリーズを制覇。
空振り三振で満場の拍手を受けた唯一のプロ野球選手SINJOのこらえきれない涙。
弊社アナウンサー谷口(「ハナタレ」ナレーション担当)の声も裏返りまくりの感激のヒーローインタビュー。
いったい監督はいつ宙に舞うんだとやきもきした感涙の胴上げ。
それらをあますところなく生中継をいたしました弊社HTBの視聴率はなんと50%を突破。弊社歴代1位の視聴率を達成したそうであります。
それを受けまして弊社社長から大入り袋が配られ、弊社喫茶コーナーでは「ファイターズ日本一記念セール」を実施。「飲食物全品半額でご奉仕!」と、朝から館内放送でガナっております。それも先ほどアリのようにたかる弊社社員にあらかた食い尽くされまして「完売御礼!」「ファイターズ万歳!」と、大いに盛り上がります弊社北海道テレビ放送(株)であります。
そのような中で、本日も変わらず平常業務につく「どうでしょう班」ディレクター2名。ひとりは中日ファン、ひとりは野球に興味なしと、北海道のローカル番組を標榜してやまない当番組にしては、一向に盛り上がらない本日の日記であります。
とはいえ、新庄という選手は、実に素晴らしい、愛すべき選手でございました。彼がチームに与えた功績ははかり知れない。選手全員がそう思っていたからこそ、選手の輪が徐々に外野方向に近づき、新庄を迎えに行った。
彼の加入によって、「戦力的に」チーム力が日本一に向上したかどうかは、わかりません。しかし、彼の加入によって、明らかにチームは「日本一のチーム」になった。
裏も表も充分理解した上での、これまでの新庄選手のパフォーマンスに拍手であります。
やろうと思えば、ひとりの人間で世間はいい方向に変わるのですなぁ。捨てたもんじゃありません。
に、してもだ。そーかそーか、またしてもあっさり敗退かドラゴンズ。
「北海道もがんばっとるし、新庄もがんばっとるで、まぁ負けたってもええんだわ」
たぶん半分近くの名古屋人はそう思ってたでしょうね。
「巨人と阪神には勝ったでもうええんだわ」
星野さんが阪神の監督になったときも名古屋人は怒りませんでしたからね。
「まぁ、阪神は弱いで星野さんが行ってつよしたりゃぁいいがね」
でもその裏では、
「これで大阪は名古屋に借りができたわ」
そう思ってたんですね。
これだからいつまでたっても日本一にはなれんのだわ!
・・・まぁ、それが名古屋だでええんだけど。自分でもそれはわかっとるで。
よし、こうなったら日本シリーズ連敗記録を作れ!ドラゴンズ!
また来年も日本シリーズでめっためたにしてやってくれ!北海道日本ハムファイターズ!
日本一おめでとう!
(15:41 藤村)

藤村

10月24日火曜日。藤村。本日は早めの更新でございます。
出社いたしましたら駐車場に技術スタッフが集結しておりまして「なにごとか」と思いきや、本日、札幌ドームで日本シリーズの中継があるんですね。
番組制作自体はテレビ朝日さんが行いますので、HTBは基本的に応援スタッフの派遣ということですが、それにしても「日本シリーズの中継をやる」なんてことは、ほんの数年前までは考えられなかったことであります。
3年前、日ハムが北海道に来るまでは、ウチに「スポーツ部」ってのは存在しませんでね、制作部の中に「スポーツ班」ってのがありました。「どうでしょう班」と同じ扱いの「スポーツ班」ですよ。たまにプロ野球中継があると、だから「スポーツ班」は慌てましてね、バラエティー一辺倒の「どうでしょう班」からも「ドラバラ班」からもディレクターを借り出して中継をやっておりました。わたくしもスローVTR担当で、プロ野球中継、やったことがあります。
投球フォームをスローで出す。プレステの「電車でGO」のコントローラーみたいなね、レバーがありまして、それをぐっと握りしめて手作業でスピードを調節しながら出すんです。
最初は球の握り方がわかるぐらいにゆっくりと。投げたら少しスピードを速めて、最後はピッチャーのいい表情でビタっと止めるみたいなね。一発本番ですからね、失敗したらそのままテレビに出ちゃう。緊張感のある作業でしたね。
それが今や制作部よりも多いんじゃねぇか?っちゅうぐらいの立派な「スポーツ部」が出来ましたよ。もう四十過ぎのおっさんが、緊張しながら電車でGOすることもないですね。
さて、1勝1敗で名古屋から札幌へと舞台を移した日本シリーズ第3戦。
北海道日本ハムと中日。
「名古屋出身の藤村さんはどっちを応援するんですか?」
シリーズ前は、「どっちだろう?まぁどっちが勝ってもうれしいから」、そう思っておりました。
ところが、実際にシリーズが開幕し、初めて中継を見た瞬間に、「自分が応援するのはどっちか?」、ハッキリと出ましたね。
テレビをつけた時に、中日が勝ってましてね。
「おっ、勝ってる」
思わずそう言いました。
日ハムを応援するつもりなら
「あ、負けてる」
そう言うはずです。
私、断然「中日」でした。
故郷は捨てられないんですね。
生まれて初めて「サイン」というものをもらったのは、中日の高木守道選手でした。やさしいおじさんでした。
生まれて初めて「これ買って」と言った服は、ドラゴンズのTシャツでした。友達がみんな着てました。
そういう子供時代の思い出は、絶対的に残り続ける。
カミさんと子供たちは、札幌ドームでのリーグ最終戦、森崎博之が世紀の大暴投始球式を行った試合を観に行きましてね、「1位通過決定!」の大コーフンを現場で味わって以来、キッチリ「日ハムファン」になりました。新庄だけじゃなく、小笠原もセギノールもマイケルも、みんな名前を覚えた。
北海道の子供たちもほぼ全員、この日本シリーズ進出で日ハムファンになったでしょう。これはもうたぶん生涯変わらない。
北海道にも楽しみが増えましたな。
でもね、一気に楽しみが増えちゃっちゃぁ、それはそれで飽きてしまう。ダメ阪神をご覧なさい。負け続けた末にたまに勝つから愛された。ダメダメ巨人をご覧なさい。昔強かったのに、めっきり弱くなって飽きられた。だからね、日ハムは今年はもうこれで充分。日本一にならなくてもいいですよ。ってか、なるな。いいか、こっちゃぁ50年以上も日本一になってねぇんだ!「巨人と阪神に勝ちゃそれでええんだわ」っていう名古屋根性をいいかげん捨てんとかんのだ!歴史を変えてかんとかんのだ!移転3年目ごときで日本一になられてたまるか!
・・・というわけで、北海道の皆様、応援、おてやわらかに。
ではまた明日!
(15:12 藤村)

嬉野

2006年10月23日月曜日
西の方では、赤い西日がまだまだ似合いそうな夕方5時という早い時刻に、すでに真っ暗に暮れております北の蛮地、札幌地方より、嬉野が、お送りしております本日の日記であります。
皆さん、ご機嫌いかがですか。
近頃の札幌地方の日没は午後4時45分頃なんだそうであります。
早すぎねぇか。夜が。
ねぇ。
これじゃ冬季うつ病にもなりますよ。
だって、これからもっと日没が早くなるんですよ。
オマケに最高気温も10度どまり。
冷えております。ダウン着たっておかしくない。
ということで、本日、久々に、九州におります老母に電話してみましたらね、あっちはまだ昼間は半袖だと申しておりましたよ。
「北海道は、寒かてやろ。こっちはまぁだ、明るかうちは半袖よ」
そう申しておりました。
「九州は、まぁだ、ぬっかよ」
九州は、まだまだ暑いそうでございます。
ほんと、日本は広いんでございますね。
さて、この前どっかのテレビ番組を見ておりましたらね、コンビニさんが、若者向けの商売から高齢者向けの商売にシフトし始めたとのことでね、いろいろと高齢者向けのサービスを実験しておられる、みたいなことを特集してましたね。
いやぁ私だけではなく、世の中もちゃくちゃくと高齢化をしておるということは、かねてより気づいておりましたが、商売する方も高齢者向けにサービスを変えてきたかと思いましたらね、よしよしと、安堵したわけでございます。
やっぱりその辺りのハンドルさばきは、さすがにコンビニさん、軽快だわいと、一人感心をしてテレビを見ておったのであります。
かく言います我が老母が、我が兄と住んでおります九州の実家辺りもね、私がいた頃は、まだ活気がありましてね、スーパーだって何件もあったんですが、いつのまにやら郊外に巨大店舗がどっかんどっかん出来ちゃいましてね、そっちの方が品揃えも充実してるし、値段も安いし、あと、なんかデカイ店舗というのが遊園地みたいで楽しいんでしょうね、結局、そこそこ距離があっても、お客はクルマに乗ってますから、全員そっちへ出向いて買い物するわけですね。
そういうことで、私の実家のそばにあったスーパーは、よっぽど客が来なくなったんですかね、全部店じまいしちゃいましてね、とうとう近所に、年寄りが歩いて買い物に行ける場所が無くなっちゃったんですね。
店じまいしたそのスーパーの回りにはね、今でも年寄りがけっこう住んでいるんですが、それでも一人一人が購入する単価が低いということなんでしょうかね、店じまいしたスーパーの後には、いつまでたってもスーパーは出来ませんね。
そういうことで、近所の年寄りは、みんな困っておるとのだと、帰る度に我が老母はこぼすわけであります。
で、世間全体が、そういう状況にある中で、コンビニさんが、高齢者向けに商売を始めようとしているということを見ましてね、なんとなく嬉しくなったのあります。
なんかね、御用聞きみたいなことやってたんですよね、
その番組の中で、コンビニの人がね。
年寄りから電話注文があったら一個からでも持っていく、で、客であるお婆ちゃんの家へ配達に行って、そこでいろいろと話すうちに客と店員が知り合いになってコミュニュケーションを密にとりだすわけですよ。
「○○さん、部屋の雨戸開けときましょうか?」
「お米も、米びつにいれときましょうか?」
「あぁら、お願いするわ」
みたいなね。
そういう光景を見てますとね、昔の酒屋さん、乾物屋さん、八百屋さんみたいなね、あの頃の御町内の雰囲気が、コンビにという姿を借りて復活していくようで、なんだか町中がもう一度顔見知りに戻っていくのかもしれないなぁと思えてね、
なんだか高齢化って好いじゃねぇかと思いましたね。
今後、年寄りが、世間に好い影響を及ぼすならば、これから深刻に始まると、これまでずっと言われ続けてきた高齢化社会というものがね、実はちっとも深刻なものではなかったということになるわけで。
もしそういうことになるならば、それってとってもステキだわいと、何の根拠もない、思いつきですが、ぼんやりと思ったわけでございます。
ぼんやりとした頭ですがね、でもなんか、次の時代の鍵を握るのは、ひょっとして年寄りなんじゃないかなぁと、どうしても思ってしまうのでありますよ。
年寄りが真っ当に頑張るんじゃないだろうかと。
年寄りが、軽々には、あなどれない存在だったのだと、思い知ることになるんじゃないだろうかとね、予感するんですね。
未来というものは、迎えてみないと分からないものであります。
鉄腕アトムのようなね、輝く科学の21世紀は訪れなくともね、年寄りが世の中を優しくするような、呑気な21世紀を迎えるのであれば、それもまた好しと、私は、思いますね。
そりゃ痛快と。
ということでね、本日はこれまで。
みなさん、また明日。
解散。
(20:04 嬉野)

藤村

10月20日金曜日。藤村でございます。
「渋谷小祭」の際に、私と嬉野先生は仕事をサボっ・・・息抜きのために会場を抜け出して、「フラガール」を見に行き、ふたりで大いに号泣した、というお話をいたしました。
あのお話には、続きがございます。
「フラガール」にいたく感動したわたくしどもは、目の周りを多少赤く腫らしながら、映画館の下にあった喫茶店に入りました。
「うーん・・・実によかったですなぁ」
「まったくです」
「話自体は、ありきたりな感じがしますのになぁ」
「泣きましたねぇ」
「どこが他の映画と違ったんでしょうか・・・」
ひとしきり映画の感想、分析を熱心に語り合っておりました。
「ところで、『ゆれる』もここでやってますもんね」
う先生がおっしゃいました。
この「ゆれる」という映画も評判がよく、「フラガール」同様、先に観た四宮Pも絶賛しておりました。フラガールの隣のスクリーンで公開中であります。
「今日まで、って書いてありましたな」
しかし残念ながら、今日が最終日。
「今日で終わりですか」
う先生はかなり落胆されました。
「先生、失敗しましたね。今日『ゆれる』を観て、明日またサボって『フラガール』を観に来ればよかったですね」
「今日・・・観ますか」
「あ?」
「このまま続けて『ゆれる』も観るというのはどうでしょう」
「先生、それはいくらなんでもマズイんじゃないですか?」
大胆にも、う先生は会場に戻らず「このままもう1本映画を観てしまおう」とおっしゃる。
「四宮さんには、2時過ぎには戻るって言いましたからね。これで『ゆれる』も観ちゃったら、もう夕方になりますよ」
「でも、今日までしかやってないんですよ」
「まぁ・・・そうですなぁ」
「もう観れないんですよ」
「んー・・・観ますかぁ?」
「観ましょう!」
「じゃ先生、四宮さんにメールしなさいよ」
「え?」
「黙って夕方まで帰らなかったらマズイでしょ。メールしなさいよ」
「え?おれが?」
「こう、さぁ、フラガールで号泣いたしまして、このような泣き顔でお客さんの前に出るのは気が引けます、みたいなこと書いてさ、先生得意でしょそういうの」
「・・・おれが書くの?」
「書きなさいよ」
先生はしぶしぶメールを打ち始めた。
四宮さん絶賛の「フラガール」を先ほど拝見し、現在、藤村嬉野両名、溢れる涙を止めることかなわず、かくなる上は四宮さん絶賛の「ゆれる」も立て続けに拝見し、乱れる心をいったん鎮めまして・・・
みたいな、不可解なメールを打った。
「かくなる上は・・・って先生、まったく意味がわかりませんが、しかしどこか悲壮な決意のようなものを感じますな。さすが」
そのまま四宮Pに送りつけ、結局ふたりして「ゆれる」も観てしまったのでありました。
「フラガール」の後味の良い涙とは、まったく対極にある映画でありまして、最初はかなり戸惑いましたが、しかし、いつしか「映画の中に入っていく」ような感覚で、最後まで緊張して観てしまいました。
こちらも、良い映画でございました。
映画館を出ますと、渋谷の街はすっかり夕闇に包まれておりまして、藤村嬉野両名、明日はしっかり働こう!と、思いを新たにしたのでございます。
しかしながら翌日も、朝から大行列を作る関東勢の熱き血潮に気おされまして、藤村嬉野両名、またしても会場から逃げ帰り、えー・・・映画を、観に行ったのでございます。
しかし、この日観た映画はイマイチ。
「なぜこういう映画になってしまうんでしょう」
「原作はよかったんですよ」
「いったいどういう話だったんですか」
それから、けんけんごうごう、喫茶店で映画談義に花を咲かせ、気がつけば2時間あまり。
「これならもう1本映画を観れましたよねぇ」
「まったくです」
と、意味不明な反省の弁を残しまして、この日も夕闇迫る渋谷の街を会場へと急いだのであります。
おかげさまで東京では、ずいぶんと嬉野先生とお話をいたしました。
それもこれも、元をただせば、関東勢諸君の暑苦しいばかりの、逃げ出したくなるばかりの絶大なる熱気のおかげ。
この場をお借りしまして、あらためてお礼を申し上げる次第。
「諸君のおかげで映画を3本も観れました。ありがとう!」
というわけで、本日の日記これまで。
諸君、良い週末を。
北海道は、紅葉が真っ盛り、キレイですよ。
(18:47 藤村)

嬉野

2006年10月19日木曜日
嬉野であります。
昨日のね。
藤村先生の日記ですけどね。
なんでしょうね、あれ。
おかしなことを書いてましたねぇ。
「うっそーん」
なんですか、それ。
そんなことを私が言ったんですか?
日記をあやまって消しちゃった時、
私がそんなこと叫んだんですか?
知りませんよ私は。
ま、否定もしませんがね。
だって覚えておりませんからね。何を喚いたかなんてのはね。
詳しく思い出しますとですね。
一昨日の夕方のことですよ。
「さてさてこの辺りでよかろうよ」と思って私が日記を書いておりましたところにね、音効の工藤さんが近寄ってこられましてね。
「クラシックの音付けするか」
と申されるわけですよ。準備万端ということですね。
それを受けて私も「よしよしそーか」と。
であるならば席を立つから、念のために、時間を掛けて書き上げたこの日記を全文コピーしておくかということでね、ビシッとキーを押したわけです。
したら、あっさり全文消えまして。
あんなにビッシリあった文字が全部消えて真っ白。
画面には「C」の文字が一文字、ポツンと、うそ寒く残るばかり。
どうやらCtrl+Cと押したつもりで、Shift+Cと押しちゃったんですね。
私はね、唖然としましたね。
横に立って一部始終を見てしまった工藤さんも、同じように唖然としましてね、
「オ、オレのせいじゃないよね、そーだよね」
とだけ発言されましてね、
そそくさとその場を去って行かれました、
去って行かれましたがね…。
その場に藤村先生の影は無しというね、そのことだけはハッキリしておるわけでございますよ皆さん。
オレと工藤ちゃんしかいなかったわけ。
それをさぁ、あのおっさんは、いかにもその瞬間に立ち会ったように書いちゃってさぁ。
昔からそーです、あのおっさんは。
2002年にね、「ベトナム」の最終回の時ね、樋口了一さんから新バージョンの「6分の1夢旅人2002」の曲が藤村先生のパソコンにメールで送られてきましてね、
「おや、メールで来たよ。どーすんのよ」
ということでね、どうやったらこの曲をパソコンから引っ張り出せるのか、そして編集素材としてテープにダビングできるだろうかということで、とりあえずその時その場には、私と藤村先生というアナログ二人組しかいなかったので、大いに難儀したのですがね。
私しゃね。
「とりあえず音質うんぬんは後回しにして、仮で画に当ててみたいわけだ、だったらさぁ」
ということでね、編集室からビデオカメラを持って来ましてね、ヘッドフォンで聞く用にとパソコンについてるオーディオアウトの穴からラインで引っ張って、カメラのオーディオインの穴につないでテープに録音したのでありますよ。
とりあえず、行為としては正しいわけですよ。
さぁそうしましたら、あの先生。
後日、そのくだりを何かにお書きになりましたが、
あの先生の文章に出てきた嬉野さんという人はね、何をするかというと、樋口さんの曲をパソコンのスピーカーからまんま大音量で流して、大胆にもそのスピーカーにカメラマイクを押し当てて、直で音を拾ってるわけですよ。したら当然、回りの話し声やら笑い声まで一緒に拾っちゃってるわけ。
あのですね、事実無根もはなはだしいのよ。
オレは、ちゃんとラインで拾ったの。
マイクで拾うなんて、そんな面白いことしてないの。
今後もね、あの藤村先生のお書きになる文章の中にね、嬉野さんというねぇ、へんてこなことをする面白い人が登場するかもしれませんがね、その面白い嬉野さんと、この嬉野さんは関係ありませんよ、ということをですね、ここでね、はっきり言わせていただきますよ。
実物の嬉野さんは、そんな面白い人じゃありませんよ。
いたって普通の人です。
それをあんなに面白く書かれちゃ、おおいに迷惑。
知らんちゅーのよ。
まぁ、消えた瞬間、以降の話はね、文章の復活を試みるくだりからは、工藤さんとの作業を終えて帰ってきてからの話でしたから藤村先生もおられましたので、だいたい実話ですがね。
だからまぁ、「うっそーん」くらいは言ったかもしれませんがね。
よく分かりません。
さて、ところでね、
消しちゃった文章は、Ctrl+Z、で復活するんだそうですね。
さっきどなたか掲示板に書かれてました。
やってみたら、あっさり復活しましたね。
はははは…。
その方、
「いまさら遅いと思いますが」
とも書き添えておられましたね。
はははは…。
じゃ、奥さん、また明日。
やれやれ。
(16:26 嬉野)

藤村

10月18日水曜日。本日は藤村でございますよ。
昨日はう先生にアクシデントがございましてね。
書いていた日記の全文が一瞬にして消え失せるというね。
私、事故の瞬間、横におりましてね、うろたえる先生のお姿を一部始終拝見いたしましたよ。
「あっ!消えた!書いたやつ消えた!うっそ!あっ!どーしよ!」
意外とあの方、大きな声を出すんですよ。そして、全面的に慌てるんですよ。
「いまコピーしようと思ったのに!あっ!あっ!消えましたよ!あっあっ」
もうぼくは年ですから、なんてことを最近言ってますけどね、あのあわてぶりは「トラじゃんよ!」のころから何も変わってませんね。
「どーしよ。これさぁ、戻る(←)ってのを押せばさぁ、元に戻るのかなぁ」
「どうだろうね。まぁ、やってみる価値はあるね」
「でもさぁ、もし戻らなかったら、もうダメだよね」
「そうだね、リセットされちゃうからね」
「どーしようかなー」
先生、しばらく考えてましたね。
そして、ややあってから、カチっと「戻る」ボタンを押しましたね。
画面を凝視しながらね。
「あっ・・・あっ!出た出た!戻った!やった!」
真っ黒だった画面に日記の全文が戻ってきましたね。
「やった!えっ…あ、あぁっ!」
でも、それがぬか喜びだったことにすぐ気づきましたね。
「なんだよー!これ藤村くんの日記じゃんよー!」
私が前日に書いた日記に「戻っちゃった」わけですね。こうなるともう、完全にアウトですね。この世から先生の日記は消えました。
「えー!マジぃー!うっそぉー!こんなん…えーマジぃ!うっそーん!」
数年前の女子高生のようにね、「ウソ」「マジ」をね、乱発なさっておりましたよ。聞かなくなりましたよね、最近。「うっそーん」なんてね。もうね、老眼鏡もややナナメってるぐらいのね、気合いの入った「うっそーん!」でしたよ。
その後はね、多少落着きを取り戻して、再度「う日記」の執筆に取り掛かりましたよ。そりゃまだ記憶の鮮明なうちにね、脳内での復元を試みないと、もう心も体も萎えちゃいますからね。ここはふんばりどころです。
しばらくね、作業を見守っておりましたら、最初の方は、そりゃもう勢いよくキーを叩いておりましたよ。
「2006年10月17日!火曜日!嬉野であります!」
とね。やっておりました。
ところが、ものの15分ほどでその手がピタっ…と、止まりましたね。
「脳内復元ここまで!」と。
「もうなにを書いたか忘れました!」と。
老眼鏡の奥のうつろな眼差しが、そう言っておりましたよ。
結局、当初書いていたエンディングとは全然違う方向に行ってしまったようですね。でもね、書き直したとは思えないほどの長文でしたね。長かった。ケータイの人なんか、「おいいつ終わるんだ!」と、スクロールする手が根負けするほどの文章量でございました。嬉野雅道あっぱれ!と。
いやー、あれですねー、人の不幸はおもしろいですねぇー!
さ、ということで本日の日記これまで。
そうそう、パソコンの方、↓の「渋谷小祭」のページに、祭りのお写真がたくさんアップされておりますので是非ともご覧ください。
ではまた明日。
のははははははははは!
(19:13 藤村)

嬉野

2006年10月17日火曜日
嬉野であります。
遅い時間にこんにちは。
えぇ、夕方、日記を書き上げる寸前で、別件の用が入りまして、で、中座する時に、念のために日記をコピーしとこうと思いましてね、キーを押したんですけどね、押し間違えたんですね。
全部消えました。
ねぇ、こういうのはね、そうとうに凹みますよ。
凹みますけど、気を取り直してね、もう一度始めてますよ。
で、こんなに遅いわけですよ。
すいませんね。
えぇ先週末にね、私事ですが東京の友人から電話がありまして、小祭りから戻ったばかりでしたが、この土曜日曜と、また東京に出掛けておりました。
恩ある方にね、お別れをしてきたのでありますよ。
したら東京は汗ばむような陽気でしたね。
まだまだ半袖で丁度好いのですよ。
驚きました。
札幌はこんなに冷え込んできているのに。
なのに東京は汗ばむわけです。
こちらは、そろそろ紅葉も始まろうかという頃なんですよ皆さん。
燃える秋の到来なんですよ。
それなのに東京は半袖。
目に鮮やかな秋というのは、やはり北国特有のものなのでしょうね。東京のあの暖かさから戻って札幌のピリピリと冷え込む大気の中で、今、そんなことを強く思いますね。
おまけにね、せっかくだからということで、東京で、秋ものの服買ったんですけどね、着られやしませんよ、こんなに寒くちゃね。
さぁ、それにしても渋谷の小祭り。
11日間もやっておったんですね。
その時間的な量もあってか、終わった後はなんとなく脱力いたしました。最後のお客さんを送り出す頃には、「終わるんだ」ということに侘しいものをぼんやりと感じたりしましたね。
不思議なものですね。
小祭りに係わった東京のスタッフも全員脱力して、ぼくらが札幌に引き上げてしまった後は、昨日まで続いていた喧騒と慌しさから急に放り出されて、淋しく心細い思いで、小祭りの開催された11日間をぼんやり反芻しているそうでありますよ。
その小祭りの会期中の話。
ぼくと藤村先生は一旦中抜けして札幌に戻ることになったんですが、ぼくだけは札幌に戻らないで青森空港に直行したんです。
どうしてかと言いますとね、青森空港でうちの奥さんと合流して、二泊三日でしたが青森バイク旅に出かけたわけでありますよ。
ちょっと遅い夏休みをね、いただいたのでありますよ。
で、小祭りが始まる前、カミさんは札幌でね、ぼくに聞きました。
「どこに行きたい?」
「久しぶりだからあんたの行きたいところに連れてってあげる」
って。
でもね、ぼくには、とくに行きたいところは無いのですよ。
そう言いましたらね、
「行きたくないなら別に無理して行かなくていいよ」
そう言って、不機嫌になりましたが、そうではないのです。
行きたくないのではけしてない。とても行きたいのです。
ただ、行きたいと強く思う場所がとくに無いだけなのです。
おかしなことを言うようですが、ぼくが見たいのは、どこかへ向けて走る途中、不意に目の前に広がる風景の中にあるのです。
カミさんの運転するバイクの後で、これまでもそんな風景をたくさん見てきました。それはどれも、けして有名な観光地などではないのです。
ただただ普通にさりげなく古びてしまった町なのです。
「あぁ、こんな町が今でもあるんだ」
そう思える町に、移動中、不意に出くわすことがあるのです。
そんな町は有名な観光地ではないから「行ってみたい」目的地には、なかなか挙がらないのです。
でも、観光地ではなく、普通の生活を営みながら普通に古びてしまった町だからこそ落ち着いた生活感が漂っていて、ぼくは、ほっとするのです。
そういうほっとする町に不意に出くわす度に、ぼくはワクワクするのです。ぼくが感じる旅の醍醐味は、どうやらそんな瞬間にあるらしいのですよ。
今回、黒石という町を通りましてね。
黒石は弘前の近くにある町で、「こみせ」という江戸時代から続く木造のアーケードで有名ですから立派な観光地なのですが、それでも観光客でごった返すこともない、静かでひっそりとしたたたずまいを見せる町でした。
ぼくら夫婦は「こみせ」を歩いた後、長崎屋さんという町中にある食堂でラーメンを食べました。
長崎屋さんの隣は地元のデパートのようでしたが、中を覗くとガラン堂で、既に営業はしていないようでした。
他にもところどころ歯抜けのように駐車場がありました。
ここにも少し前にはお店があったのかも知れない、そんなことを思わせるたたずまいの町でした。
長崎屋さんは古い建物でね、ガラガラっと引き戸を開けて入ると床が三和土(たたき)なんですね。
(たたき)なんて、もうめったに見ないし知ってる人も少ないのではないでしょうか。要するに堅く固めた土の床なんですね。
で、堅くしっかりと固まるように粒の揃わない三種類の土を混ぜてるんです。砂と土と砂利石だったかな。
だから三和土と書くそうですよ。
それを固めるためにたたくからでしょうね、だから「三和土」と書いて「たたき」と読ませる。
そんな古いつくりの店がまだ営業してる。
ぼくはなんだか嬉しくなりました。
ぼくらが食べたラーメンは「支那そば」という名前でね、いりこ出汁の利いたスープがとても美味しかったですね。
建物は古いものでしたが、掃除も行き届いていて明るく感じの好いお店でした。
支那そばを作ってくれたおばさんは、「私が元気なうちはこの店を守っていたい」と言ってました。
今年の春に新潟を走った時も、村松とかいう驚くほど普通に古びている町を通過しました。
ぼくの気持ちを揺さぶるそれらの町は、きっと昔、一度大きな繁栄を見せた町だろうと思うのです。
でもその繁栄は、時代の波が大きく変わる時、その波に乗り切れず、そこをピークにそのまま普通に古びていってしまった。
だから、ただ古びただけではなく往事に見せた繁栄の名残がそのまま魅力的に残っている。
そんな風に思うのですね。
そんな町に出くわすと、何日かで好いから住んでみたいとも思いますね。
そんなことを思う時はたいてい午後遅くて、斜めに傾きだした西日が赤い光線を国道沿いに建つ建物のガラス窓に反射させたりしているのです。
暮れ始めた町の中、家路を急ぐ中学生たちが笑いながら歩いていたりするのです。こころなしか皆素朴そうな横顔をしているように見えるのです。
ぼくが、高校生だった30年前と何も変わっていないような気がしてくるのです。
そんな素朴に古びている町が、日本にはまだとてもたくさんあるはずなのです。
小祭りの開催された渋谷の雑踏だけが2006年の風景ではないのですよね。ぼくが旅の途中に出くわすそんな素朴に古びた、時間が止まったような町も、間違いなく2006年の日本の風景なのですからね。
やっぱり、書き直すと着地点が随分変わってまとまりませんが、そんな町を幾つも通り過ぎる旅を、いつかもっと長期間、集中的にやってみたいというのが今のぼくの一番の願いですね。
それでは皆さんまた明日。
本日はこれまで。
解散。
やれやれ。
【福原美穂の5曲入りミニアルバム「StepOutEP」(1500円)発売】
HTB制作陣を中心に撮影した「恋はリズム」のビデオクリップがCDエクストラ対応で付いております。
札幌から1時間弱、空知平野の滝川・丸加高原で先月撮影したPV。パソコンに入れれば、小さい画面ではありますが全編ご覧になることができます。
あの日、我々が見た北海道の抜けるような青空を、福原美穂の見事な歌いっぷりと共に是非ご覧ください。
この曲、札幌で開催されるノルディックスキー世界大会の公式応援歌になりました。道産子ならば、道産米を食べ、道産のアーティストの曲を聴く。さすればいずれ沖縄音楽にも負けない環境ができましょう。
MADE IN HOKKAIDO。
どうでしょう共々、夢チカレコードもどうぞご贔屓に。
HTBオンラインショップで通販しております。
(20:31嬉野)

お知らせ(管理人から)

こっそり黙っておこうかと思いましたが(苦笑)
↓で書いちゃったので、追記しておきますと、
商品情報のページにこんな記述が表示されました。
※次回は10月18日10時より販売いたします。
キタ!
…しかし、前日に深酒の予定があるため、今回も間に合わない可能性大…
まぁ、その場合は僕の代わりに誰かが買えたってことで、諦めておきましょう(泣)
ちなみに、カチッ!だけは、再入荷のお知らせがありませんね。
それ以外は上記日時より販売再開らしいです。
以上、再入荷情報でした。
水曜どうでしょうジッポー(ダメージ) | HTBオンラインショップ