2006年8月18日金曜日
嬉野であります。
昨日ようやく、うちの藤村先生より、
「水曜どうでしょうEXPO 渋谷パルコ小祭」の開催が発表されましてね、さっそく掲示板の方に全国の皆様より暑い声が届きまして、各地の藩士の皆様意気盛ん!といったところをね、見る思いでございましたね。
ありがたいことでございます。
「渋谷パルコ小祭り」。
ねぇ。なんだか語呂が好うございますね。
なんかこう、小粋な「祭り」が催されるよな感じが“ぷんぷん”してまいります。
でもね奥さん。
違うんですよ。
中身はたんなる展示会なんですから。
ですからほら、EXPOと書いてるでしょ。タイトルに。
小祭りはね、あくまで、おまけのイメージ。
勢いにすぎません。
中身は展示会なんですよ?。
ねぇ、口をすっぱくして言っときますよ、今のうちにね。
だって多分ね、実際にですよ奥さん。
奥さん?
ちょっと聞いてます?
なに?あぁ。聞いてる。
はいはい。
えぇ多分ね、当日の会場をイメージしたらこういうことですよ。
奥さんがね、渋谷のパルコ会場に、つっと入場されたとするでしょ、ね。
「さぁさぁどれどれ」といった感じですよ。
そん時にゃもうね、「これからいったい何が始まるんざましょ」みたいな感じですよ。
ワクワクですよ。
でね「ほうほう。なるほど」ということでね、奥さんは展示物を見て行くわけですよ。
で、見てたらね、いきなりね、ぷつっと見終わった、みたいなね、あれ?みたいなね、ことですよ奥さん。
だって、展示会なんだから。
だからね奥さん方、みなさん素人さんじゃないんだから。
こと「どうでしょう」に関しては、みなさん素人さんじゃないんだから、この「ややもするとあっけなく終わりかねない展示会」入場を前にしてね、「これを如何に楽しむか」というのが奥さん方に与えられた命題なわけですよ。
過剰→に期待して→「ちんけな展示品」→を前に→して落胆する。
だいたいこれが、一般的にありがちな反応パターンですね。
これではいけない。
ではどうするのか。
まったく期待しない→で出かけて→「ちんけな展示品」→に過剰に反応→して感激する。
これです。
うちとお付き合いされます奥さん方は、この能動的な反応でないと最終的に身が持ちませんよ。
だって、展示されてるのは一般人の方にとっては、たんなる使い古されたボードであったりね、すすけた地図であったりね、するわけですよ。
なんなら小汚い古着が展示されてるかもしれない。
7年も前のことですがね、札幌のパルコさんで「どうでしょう」の展示会を史上初めて開催いたしました時ね、開催前日にぼくら会場に下見に行きましたらね、うちの展示物のコーナーにね、あんまし見たことない作業着が展示してあったんですね。
「あれ、これなんだったべ?」
「こんな衣装いつ着せたっけ?夏野菜の開墾の時に大泉さんに着せたっけ?」
みたいにね、みんなで「うーむ。うーむ」と考え込んでましたらね。
現場にいらした作業員の方がね、つつっといらしてね、我々が見守る中で、その作業をつかまれてね、着て、去っていかれましたね。ということで、えぇ、まぁ、そのようなね、普通、展示品とは一番異質であるものがね、むしろ埋没してしまうくらいのものがですね、うちの展示品ということですよ。
そん時の作業着は展示品でなくて、脱ぎ忘れ品だったの、奥さん。
そんなものが、だいたい飾られてるはずなの。多分。
ですから渋谷小祭りはね、「そこにあるものがなんであろうと楽しまずにはおれない」というようなね、荒々しい前向きな姿勢とね、「奥さん!なんでそんなものにまで感激するの!バカじゃないの!」くらいのね、過剰な感受性と反射神経がなければ楽しめないということなのですよ。
ということでね、変な展示会よね。でも来てね。楽しいから。
さぁ、ということで週末の札幌界隈は、オフィス・キューさんの「ジャンボリー」やら樋口了一さんのライブやらで賑わいそうでございます。
でも、札幌は雨降ってますのでね、みなさん雨具の用意が必要ですよー。
じゃ、奥さん方、また来週ね。
またいらっしゃい。
ほい解散。
■「水曜どうでしょう」が、小さな「展示会」を開催いたします。
場所:東京・渋谷「パルコPART3」の「パルコ・ミュージアム」。
タイトル:「水曜どうでしょうEXPO 渋谷パルコ小祭(こまつり)」
2005年祭り会場の思い出、原付東日本、西日本で活躍した名車「カブ」や、「バレンチノ」「雪面の飛び魚」など、数々のロケ小物を展示。また、新グッズをご用意してのグッズ販売もいたします。
日時:9月29日(金)?10月9日(月・祝)の11日間。
門外不出のどうでしょうグッズ、珍品名品の数々が、津軽海峡を越えて、東京・渋谷のド真ん中にやってまいります。
【樋口了一さんがキャンペーンで道内上陸!】
イオン旭川西ショッピングセンター「タワーレコード旭川店」
■日時:8/19(土)13:00?
■場所:旭川市緑町23-2161-3
「音楽処」
■日時:8/19(土)18:30?
■場所:札幌市中央区南3条西2丁目 山福ビルB1F
「玉光堂屯田イトーヨーカドー店」
■日時:8/20(日)13:00?
■場所:札幌市北区屯田8条3丁目5-1 イトーヨーカドー屯田店1F イベントスペース
「玉光堂新川イトーヨーカドー店」
■日時:8/20(日)16:00?
■場所:札幌市北区新川2条7丁目3-20
イトーヨーカドー新川店1F イベントスペース
玉光堂全店で「風の呼び声・windy train」をご購入いただいた方には、サイン会参加券を差し上げます。
(14:14 嬉野)
2006年8月18日金曜日
8月17日木曜日となりました。藤村でございます。
8月17日木曜日となりました。藤村でございます。
さて、お約束通り本日は、今秋に行われる「小さなイベント」についての発表でございます。
では、まいります。
昨年10月、札幌冬季オリンピック以来となりました「真駒内アイスアリーナ」「オープンスタジアム」両会場を一挙に借り切って、「水曜どうでしょう祭り」が開かれました。
あの3日間。あの会場を包んだ雰囲気。
誰もが、意味もなく、やけにうれしそうだったあの雰囲気。
それを、もう一度再現することは、多分無理でしょう。
しかしながら、遠く北海道に足を運べなかった人々に、
「少しでもそれを味わっていただければ」
という思いで、老婆心ながら我々、小さな「展示会」を開催することにいたしました。
場所は東京・渋谷。
「パルコPART3」にございます「パルコ・ミュージアム」。
そこに、本当にささやかではありますが「祭り会場」を再現し、原付東日本、西日本で活躍した名車「カブ」や、「バレンチノ」「雪面の飛び魚」など、数々のロケ小物を展示。皆様に実物をご覧いただきます。
また、残念ながら縁日は開催できませんが、新グッズをご用意してのグッズ販売もいたします。
ときは、9月29日(金)?10月9日(月・祝)の11日間。
門外不出のどうでしょうグッズ、珍品名品の数々が、津軽海峡を越えて、東京・渋谷のド真ん中にやってまいります。
題しまして、
「水曜どうでしょうEXPO 渋谷パルコ小祭(こまつり)」
んな言葉あるかどうか知りませんが、昨年のような大きな祭りではございません。文字通り「小祭り」。小さなイベントです。
しかしながら来月末、渋谷にて、皆様のご来場を心よりお待ちしております。
【樋口了一さんがキャンペーンで道内上陸!】
イオン旭川西ショッピングセンター「タワーレコード旭川店」
■日時:8/19(土)13:00?
■場所:旭川市緑町23-2161-3
「音楽処」
■日時:8/19(土)18:30?
■場所:札幌市中央区南3条西2丁目 山福ビルB1F
「玉光堂屯田イトーヨーカドー店」
■日時:8/20(日)13:00?
■場所:札幌市北区屯田8条3丁目5-1 イトーヨーカドー屯田店1F イベントスペース
「玉光堂新川イトーヨーカドー店」
■日時:8/20(日)16:00?
■場所:札幌市北区新川2条7丁目3-20
イトーヨーカドー新川店1F イベントスペース
玉光堂全店で「風の呼び声・windy train」をご購入いただいた方には、サイン会参加券を差し上げます。
(13:32藤村)
2006年8月16日水曜日
2006年8月16日水曜日
嬉野であります。
週末の12日だか13日だかの未明にね、ペルセウス座流星群という流れ星の集団が北東の空から放射状に降り注ぎ、夜空を流れると聞きまして、えぇ私、これは是非見ようと、ずいぶん前から張り切っておりましたら、あっさり見忘れましてね、結局そのまま見忘れたことさえ忘れておりましたよ。
したら週明けの月曜日にね、私の隣の方が出社されるなり「土曜の晩にすげぇ流れ星を見たよ」と申されるわけですよ。
その瞬間にね、「げっ!」っと、私、自分が見忘れていたことを思い出しましたね。
ですからまぁね、お隣の方が見てなきゃね、未だにわたしゃ忘れてますね。
私はね、自分の生まれた日が七夕ですからね、子供の頃の昔から天の川が見たくてしょうがなかった。
どうして見たくてしょうがなかったかというとね、見れなかったからですよね。
今晩は織姫と彦星が年に一度会える日なのよぉ。
そんなことを幼稚園児の昔に聞かされますとね、子供心には織姫だって彦星だってこの目で見えるような気がしますから、見たいものだと思っておりました。
しかしどうしてか七夕の晩というのは、なんかこう曇ってましたね、雨降ったりね。
で、見れない。
年に一度しかないイベントなのにね。
でも、運良く晴れてたところでね、九州の街中の空を見上げたところでね、星はちょこっと見えるけど、天の川というものは見えませんでしたね。
世間が明るすぎたか、それほど空が澄んでいなかったのか、どっちかだったんでしょうね。
でもそんな理屈は、子供の頃には分かりませんからね、見えるべき物が見えないというのが、なんかガッカリのもとになりましたね。
その天の川を本当にこの目で初めて見たのは、だから札幌に越してきてからですね。
10年くらい前でしたね。
月形という山の中でね、私、夜更けに場所探しをしてました。
ロケハンしてたわけですから「どうでしょう」さんの仕事ではないですね。
夜にね、山道で車を降りたら外灯もなくて真っ暗なわけです。
それで反射的に空を見上げたんですね、そしたら驚きましたね。
明るい。星の数が違うんですよ。
息を呑むというやつですね。
なんか恐くなりました。空に星がありすぎて。
その時私、生まれて初めて天の川を見ました。
37年も掛かりました。
でも見れて好かった。
そういうことでね、北海道の夜は、星がたくさん見えるんです。
だからねぇ、物凄い数の流れ星が降って来るならばね、そらすごい見え方だろうなぁと思いますよ。
「転変地異が始まったと思ったもん」
そんな素朴なことを藤村先生はおっしゃってましたね。
好いですね、素朴に驚くという反応。
さぁそれとね、東北で暴れた樋口了一さんが,いよいよこの週末に札幌に見えますのでね、みなさん、土曜日・日曜日のどちらかジャンボリーに行かない日はね、樋口さんの応援に走ってくださいね。
ミニライブです。あれです、ジャンボリー行かねぇで樋口さんに行くというのもありです(笑)。
樋口さんは月曜まで札幌で歌っておりますですよ!
↓下にどかどかと詳細を並べましたです↓
音楽処” 電話011-221-0106 www.ondoko.jp
■日時:8/19(土)18:30?
■場所:札幌市中央区南3条西2丁目 山福ビルB1F
玉光堂屯田イトーヨーカドー店 電話011-772-5530
■日時:8/20(日)13:00?
■場所:札幌市北区屯田8条3丁目5-1 イトーヨーカドー屯田店1F イベントスペース
玉光堂新川イトーヨーカドー店 電話011-762-7601
■日時:8/20(日)16:00?
■場所:札幌市北区新川2条7丁目3-20
イトーヨーカドー新川店1F イベントスペース
玉光堂全店で「風の呼び声・windy train」をご購入いただいた方には、サイン会参加券を差し上げますとのことでござんす。
さて、本日の北海道地方のクラシックは「原付き東日本縦断」の最終夜でござんす。
なまはげとだるまの会話とかあって楽しいですよ。
お時間のあるかたは、ぜひ御覧ください。
それじゃ、また明日。
お達者で。
解散!
(16:59 嬉野)
お盆でございますな。8月15日火曜日。藤村でございます。
お盆でございますな。8月15日火曜日。藤村でございます。
今年の夏は北海道もずいぶんと暑く、私は夜な夜なウッドデッキに座布団を持ち出してドッカと座り、夕涼みをしております。
そうしますと一番下の坊主が懐中電灯と星座早見表を持ってまいりまして、
「あれはなんていう星?ねぇ!ねぇ!」
と、私の顔にびかびかと懐中電灯を当ててうるさくまとわりついてまいります。
星座というもの、恥ずかしながら私はオリオン座しか判別できません。知識ゼロ。それで去年までは、「んー?知らんなぁ」で通しておりましたが、しかしそれではせっかくの子供の旺盛な知識欲に水を差すことになる。そこでわたくし今年は一計を案じました。
6年生の次女を呼び出しまして、
「今年の自由研究はなにやるんだ?」
「ぬいぐるみ作るの!」
「ダメだ。星を調べなさい」
そう命じまして、うるさい坊主の相手と次女の宿題を一挙に片付ける作戦に出たわけでございます。
夏の夜空を見上げてみますと、いくつかの目立つ星があります。南向きのほぼ真上で輝く青白い星。「あれはなんだ?」と、星座表と照らしあわせて見ますれば、それは「ベガ」と言うらしい。そうか、薄型テレビは星の名前だったのか。
ベガの下にも目立つ星がある。「アルタイル」。聞いたことない。
「ほれ、星座の本で調べてみろ」
調べるのは次女の役目。
「おとう!ベガとアルタイルは日本では織姫と彦星って言うんだって!」
「なにぃ!」
星座表を見ると、この2つの星の間には天の川が流れている。
「ぬわるほどぉ!あれが織姫と彦星か!」
織姫と彦星の左側にもうひとつ目立つ星がある。「デネブ」。聞いたことない。
「調べろ」
「おとう!ベガとアルタイルとデネブで『夏の大三角』って言うんだって!」
「ぬわるほどぉ!確かにデカイ三角形だ!」
こうして今年は少しづつ、私も星の知識を増やしていったわけでございます。
そして先週の土曜日。いつものようにウッドデッキに寝っ転がって星を見ておりますと、横で麦茶を飲んでいたカミさんが、
「あれ?今の流れ星?」
なんてことを言いやがる。いくらウチが札幌の外れにあるからといって、いくらなんでも流れ星が見えるはずはない。私がこれまで流れ星を見たのは冬山登山で行った八ヶ岳の頂上と、そして去年の西表だけだ。
「こんなとこじゃ見えないの」
「そーかなぁ。スーって流れたけど」
「そんなにね、スーっとは行かないの。ピカッって光って、一瞬でシャッって流れるの」
「うわぁ!」
「なんだよ!」
「今スーって流れた!」
今度は中学生の長女がすっとんきょうな声を上げやがる。
「流れ星だ!」
「違うって。そこの公園で花火やってんだろ。打ち上げ花火」
「でも音聞こえなかったもん!あれ流れ星だ!やったぁ!流れ星見たぁ!」
「違うって・・・う、うわぁ!なんだ今の!」
白い光が、ウチの屋根スレスレみたいな感じで、スーッと横切って行った。
「今のホタルか?」
「いないよ!こんなとこに!」
「流れ星か?あんなにハッキリ見えんのか?」
それは今までに見たことのない、やけにハッキリとした光の線だった。それから一家揃ってじーっと空を眺めていると、やがてスーッと長い尾を引いた流れ星がハッキリと見えた。
「あれ流れ星だ。すげぇ・・・」
「ね!そうでしょ。わたし初めて見たぁ!」
カミさんはこの日、生まれて初めて流れ星を見た。
「今度流れたら願いごとしよ!わたし億万長者になりたい!」
長女の夢は億万長者だということを、初めて知った。
「でも3回言わなきゃダメなんだぞ」
「億万長者になりたい!億万長者になりたい!億万・・・ダメだ!長すぎる」
「じゃ、カネカネカネって言え」
「そうする!カネカネカネ!」
しかし、それから流れ星はパッタリと見えなくなった。
「土曜日の夜にさ、ウチから流れ星見えたんだけど・・・」
きのう出社して嬉野先生に話したら、先生は「うわッ」と声を荒げて、それまでの温和な顔が、苦虫をかみつぶしたような表情に一変した。
「うわぁー!忘れてたッ!くッ・・・楽しみにしてたのに」
どうやら「ペルセウス流星群」というやつが、先週の土曜日に最大に見えたらしい。それを先生は何かで読んで、楽しみに待っていたと言うのだ。しかし、すっかり忘れて早々に寝てしまったと。
「くぅわぁーっ・・・忘れてましたぁ!」
それからもえらい剣幕で悔しがっていた。
思うに先生は、ペルセウス流星群を密かに見て、それを私に自慢しようと思っていたのではないだろうか。
「ふふふーん・・・藤村くんねぇ、ペルセウス流星群って知ってるかい?ボクはねぇ、それを見たですよ」
かなんか言いたかったのではなかろうか。昨日の先生の尋常ならぬ悔しがりから、どうも私にはそう思えてならないのだ。
というわけで、さて、あさっての木曜日。皆様には、先日チラリとお話いたしました「小さなイベント」の詳細をお知らせいたします。しばしお待ちを。
明日は、う先生の「癒しの日記」でお楽しみ下さい。
ではまた木曜日に。はい解散!
(20:39 藤村)
2006年8月14日月曜日
2006年8月14日月曜日
嬉野であります。
昨日からお盆でございますね。
これは御先祖の皆様が年に一度あの世からこの世へお戻りになられるという期間でございます。
確か昨日の十三日にお戻りになって、あさって十六日にあの世へお帰りになるんですよね。
ですから十六日の夜にはね、ご先祖の皆様をあの世へ送り出す者が名残を惜しみながら送り火というものを焚いてお別れをするのだそうでございますね。
ですから京都五山の送り火なんてものもあるのでね、あれなどは有名でございますね。
こういうことを考えますと、好いですよね日本の夏。
夏はご先祖も戻るし幽霊も出まして情緒満載ですよね。
とにかく日本の夏は蒸し暑いのでね、涼を納めるためにどうしても夜のイベントが多くなる。
ですから勢い、夜の明かりを使ったイベントが増えるんでしょうね。
花火とかね、京都の送り火もそうですしね。
盆提灯というのもこの時期の風物ですよね。
私ね、提灯の明かりというのが好きでね。
あの薄ぼんやりした感じの明かりに照らし出される人の顔が実に怪しくて好きですね。
いつでしたかね、いづれにしてもこの夏のことですよ。
花火の日の夜だったでしょうか、住宅地の暗い道でね、お母さんとおばあちゃんの前を行く浴衣を着た小さな女の子と擦れ違いましてね、その娘が珍しいことに小さな手に提灯を提げて歩いていたのですよ。
ローソクの火は色温度が低いのでね、照らし出された女の子の顔が赤くぼんやり揺れながら夜の闇に浮かんでましたよ。
いやぁ、21世紀になっても暗い夜道で提灯の光が照らす世界は、やっぱり江戸の昔と変わりなく怪しいのだなぁということを確認できましてね、私ちょっと嬉しくなりましたね。
で、その仄かな提灯の明かりを目指して、ご先祖の皆様はこのお盆に帰ってこられるのだそうでございますね。
で、盆提灯というものがあるのだそうです。
日本のお盆は、提灯の明かりに始まり、送り火の明かりで終わる。
日本の夏は夜の情緒を最大限に演出しておるように思えますね。
さて、先週の水曜日でしたか、掲示板に寄せられた生後二十日の男の子の手術を案じていたお母さんの書き込みがありましたことを、この日記でご紹介しまして、その後、みなさんもそのことを気に掛けられたようで、色々の方から掲示板の方に書き込みを頂きましてね、あれから、あのお母さんと赤ちゃんはどうしたろうと皆さんご心配のようでしたが、この土曜日にね、赤ちゃんのお母さんから掲示板に書き込みがありまして、手術は無事成功したとのことでしたよ。
皆さんから寄せられた掲示板の書き込みの文面に励まされましたと、お母さんは、皆さん方に大層感謝しておられましたのでね、ここでお伝えしておきますよ。暖かい言葉が持つ言霊がお母さんの許へ届いたもののようでございます。
いづれにしても良いことになってよろしゅうございました。
さぁそれでは奥さんの皆さんまた明日。
奥さん方は、皆さん夏バテでしょうか。
お盆でございますのでね、今日あたり、ご自分のご先祖様に感心をお持ちになるのも宜しいのではないでしょうか。
なにしろ御自分を生んだ人を生んだ人を生んだ人を生んだ人の集団でございますからね。
どうにも、いったん遡りはじめますと、どれだけの時間を遡ることになるのやら見当も付きませんが、何百年も何千年も前にね、今の自分と物凄く似てる人がいたのかも知れませんしね、今の自分とまったく関係ねぇようで、そんなことはないわけでね。
とにかくイメージしてもしても、なんだかよく分からなくなっていくばっかりでありますが、脈々と続いているというのは事実でありますから、思えば事実というものは不思議なものでございますよということでございますね。
というところで本日は解散。
また明日いらっしゃい。
帰宅途中の皆さんは気をつけて帰るのよー。
(17:52 嬉野)
8月11日金曜日!短い夏休みを終えました藤村でございます。
8月11日金曜日!短い夏休みを終えました藤村でございます。
どうやら先生は「キャンプに行った」と書かれておったようでありますが、わたくし、考えてみればもう何年もキャンプはしておりません。最後のキャンプ(=テント)は、それこそ「ユーコン」だったのではないでしょうか。
18歳、大学浪人時代から始めたテント泊。バイクツーリングでは一人用のテントを載っけて日本中を回っておりました。社会人となり東京で暮らしていたころには、4人用のテントを買って、カミさんや友人と真冬にもキャンプに行っておりました。その4人用テントは「ヨーロッパ・リベンジ」の名場面、「ここをキャンプ地とする!」にも登場。あれ私物です。やがて子供ができ、家族が増えてからは、めっきりキャンプはしなくなりました。
それはなぜか?
思うに「キャンプ」というのは、せいぜい3人まで。それを越えると装備も大掛かりになり、コスト的にもいきなり高くなる。
キャンプ道具を買い揃えたお父さんはうれしそうに言いますね、
「家族旅行はキャンプが安上がりだ!」
ありゃウソです。その上、装備が大掛かりになればキャンプ自体がめんどくさくなる。お父さんの腰も重くなる。やがて立派な道具だけが押入れを占拠することになる。
そこで我が家ではここ数年、貸切の「コテージ」を利用して旅をしております。キャンプ場に併設されたコテージ、バンガロー。昔は寝るだけのプレハブ小屋みたいなもんでしたが、このところは高級志向で、シャレた別荘風のログハウスなんてのもたくさんある。公共の施設であれば、それを数千円から1万円台で1棟まるごと借りられる。
年に1?2回のキャンプなら道具を揃えるよりずっと経済的。その上、贅沢な別荘気分が味わえる。
というわけで我が家は今回も、大荷物の「キャンプ」ではなく、身軽な「コテージ」利用の2泊3日の道内旅行に出かけたわけでございます。
コテージの予約を入れたのは1週間前。本州ならキャンプ場の予約すら取れない夏休み期間でも、広い北海道なら大丈夫。
まずは一泊目のコテージ。これはちょっと変わっていた。コテージというより昔の民家。それを1軒借り切ることができる。昔の民家というだけあって、風呂もかまども薪で焚く。到着したのは午後3時。普通なら外で遊ぶところだけれど、そんなことをやってるヒマはない。風呂焚きに始まって、かまどに火も入れなきゃいけない。家族総出で火をおこしてるうちに日が暮れる。薪で沸かした五右衛門風呂に入り、かまどで炊いたご飯にレトルトカレーをかけて食べる。ご飯が美味けりゃレトルトで充分。カエルの声を聞きながら夜9時には寝る。朝は5時から起き出して湯をわかし、まだ誰もいない静かなパークゴルフ場で早朝パークゴルフ大会。
2日目はオシャレなコテージ。1棟1万2千円。港町のスーパーで海産物を買い出し。備え付けの炊飯ジャーでメシを炊く。炊き上がったところに新鮮なタコを薄切りにして投入。そのまま10分蒸らすといい具合に柔らかく茹であがる。ジャーの中でタコを混ぜ合わせたら、味なしのタコ飯が出来上がる。それを皿に取り分けて、その上にぶつ切りにしたサーモン、ホタテ、数の子などの海産物をチラシ風にのっける。そこに納豆を投入。最後にカイワレ、シソなどの色味を加えて、醤油をかければ極上の海鮮丼の出来上がり。腹いっぱいになったら、思う存分、枕投げをして夜9時就寝。朝は山の中の手作りパン屋で買ったパンを電子レンジでチンすれば、出来立てのホカホカが味わえる。
そういう旅が、コテージならできる。
せっかく北海道に来たのに、親父の豪快なバーベキューを「ほら食えッ!」と毎晩おみまいされるのは、奥さん、やっぱりちょっとねぇ。
だから家族で、経済的に、北海道を旅行するならコテージ泊がオススメ。
本当は秘密にしておきたかったんだけど、ワンパターンの北海道観光に、少しでもリピーターが増えてくれればそれでよいかと。
「で、それはどこのコテージ?」
って、すぐ人に聞くのはやめなさい。自分で探すのも旅のうち。もっといいコテージは、広い北海道、まだまだたくさんあります。
と、いうことでまた明日。じゃなかった、また来週!
(19:30 藤村)
2006年8月10日木曜
2006年8月10日木曜
嬉野であります。
昨日は、でかい月が出てましたが、あれは満月だったのでしょうか?なんにしても満月は呑気で好いものでございます。
さて、「日記本」。
なんとか年内に出ることになるだろうと思いますのでみなさんお楽しみに。
しかしながらね、なにしろ2001年からのものですからね、5年に及ぶ量なのね。ですからね、たかが日記といえどもね物凄い文字量なのよ。それをわたしゃこの新春から読み続けましてね、とりあえず読んで読んで読み返してで軽く1ヶ月は消えましたね。
その段階で、こりゃ「日記本」は分冊だと腹を決めましたね。
とてもじゃないけど5年分を1冊に収められるものではない。
それじゃぁ、分冊にするとしてね、いったいどのあたりまでを第一巻としてまとめたら宜しいものか。
まず、2001年の日記。
これはね、今、当時の日記の文章だけ独立して読んでも、当時のことが背景としてわからなければ面白みに欠けるのです。
で、なんらかの文章を新たに書下ろして加えることによって、当時の日記の記事を裏から補足した上で日記を読んでもらって「なるほどそういうじょうきょうだったのか」と思ってもらえるように構成したいものだと思いましてね。
そっから構成上の縦糸を探すために、またおおいに読み返しまして、また1ヶ月が消えました。
ねぇみなさん、1ヶ月日記読んでただけかよと思うでしょ。
大変なのよ、読みながら本にするための構成考えなきゃいけないからね。でもってね、そういうことでね、日記本の第一巻は、日記の文章を当時のドキュメントとした「水曜どうでしょう物語」みたいなことになってしまいましたね。
私、ずいぶん新たに書いちゃいました。
当時から当ホームページに足繁くお通いになってた奥さん方には、だから懐かしい読み物になっていると思いますしね、そんな昔のことは知らないわという、奥さん方には、興味深い、どうでしょうのこうなるまでの歴史が垣間見れて面白いと思います。
どうぞお楽しみにね。
いつ出るかわかんないけど(笑)。
でも、そろそろ準備作業に入ってるし原稿は上がってるから年内には出るでしょう。
ところで、昨日、生後二十日で手術を受けた赤ん坊はどうしたでしょうね。
その後のことは分かりませんが、きっと好いことになったと思いたいですね。
で、明日は金曜だけどね、もうね、藤村先生も帰って来ますのでね、たっぷり土産話をお聞きなさいね。
それではみんさん、本日も一日お疲れさんでした!
また明日おいでなはれ!
ほな解散。
【新作放送決定!】
ついに関西で05年新作「激闘!西表島」が放送開始!
お久しぶりでございます!ABC朝日放送さんで!
7月8日から9月2日まで毎週土曜日25:00?
(17:34 嬉野)
2006年8月9日水曜日
2006年8月9日水曜日
藤やん夏休み3日目突入!
嬉野さん留守番3日目突入!
だから本日も嬉野であります。頑張っておりますのよ。
そういえば、昨日の関東地方は凄い色の夕焼けだったそうですねぇ。夏の夕焼けは「川を越せ」と言いますから、早くも台風の影響でも出ておるのでしょうか。
にしても、息を呑むような夕焼けって好いよね。
見とれちゃう。
見とれちゃと言いますとね、「ガリガリ君」アイス。
なんでも埼玉県深谷市が故郷だそうで。
たしかに「ガリガリ君」を手に取ると深谷市の文字がある。
深谷市にはね、「ガリガリ君の故郷」と大書した大看板が電車の窓から見えるとこあるんだってよ。
見とれちゃうよね。
地味に凄いヒット商品。
ところでね、奥さん。
立ち入ったことをお聞きしますがね…。
奥さん、流しで頭洗ったことあります?
自分の髪をですよ。
台所のね、流しの前に立って、
そのままお辞儀するような形でね、
前かがみになって、シンクでシャンプーしたことあります?
やったことない?
だったら今晩、是非おやりなさいよ奥さん。
恐いから。
家族が寝静まった後のね、夜中の方がいいよ。
お勧めだ。
一人暮らしの奥さん、最高のシチュエーションだ。
(一人暮らしの奥さんてな、あんましないか?)
是非今晩おやりなさい。
恐いから。
ぼくね、若い頃、東京で六畳一間の安いアパートに住んでてね。
その部屋は風呂が無かったの。
でも、すぐ近所に銭湯があってね、そこが夜中の1時まで営業してたから何の不自由もなかったんだけど、ある晩のこと、バイトで遅くなってね、夜中の2時近くになってやっと部屋に帰りついたの。
季節は冬だったけど、汗かいてたから、とりあえず頭だけでも洗いたいなぁと思ってね、ヤカンでお湯を沸かしたのさ。
ぼくの部屋は、六畳一間だったけど、小さな流しがあって、入り口のドアを開けるといきなり半畳の台所があって、六畳間があった。そんな間取り。
で、沸かしたお湯をシンクに置いた洗面器に入れてね、ぼくは立ったまま、お辞儀をするような格好で髪を濡らしてシャンプーをしていたのよ。
その時、後ろで、いやぁな気配がしたのよ。
絶対、誰か立ってるのよ。後ろに。
ぼくは根が小心だから直ぐに後ろを向いたよね。
したら、誰もいない。
でも、シンクでお辞儀しながら頭を洗い始めると、また誰か後ろに立ってる。なんか感じるのよ、いやぁにリアルな他人の気配を。
で、また後ろを振り返るんだけど誰もいない。
振り返るたんびに台所はビショビショになるけど仕方ない。
だっておっかないもの。
で、結局ねぇ、だれも後ろになんかいないんだけどね。
でも人間って、あまりにも無防備な背中を見せ続けるのは危険だというような、そんなアラームが体の中に組み込まれているのかもしれないと思ったね。その時。
でもまぁ、だとしたらね、それはかなり情緒的なアラームということになるんだけどね。だって「おっかねぇー」って「思う」っていうアラームだからね。
で、まぁね。そういうことだから、恐らく、たいていの人が、後ろに誰か立ってるような気配をリアルに感じるはずだから、まだの方は是非どーぞ、とね、
今日は、ヒマつぶしをひとつお教えしてるわけよ。
なに、つまんなさそうだからやらねぇ?
やんなって!面白いから!
私も経験ありますって奥さん、いないだろうか。
さぁ、ということでね。
今日はこの辺りで御勘弁を願いまして、
じゃぁまた、明日ね。
そうそう、今朝の10時頃の掲示板にね、生まれて20日目の息子の手術が成功しますようにって、書き込まれてたお母さんがおられましたけど、手術は無事成功したかしらね。
ちょっと気になります。
良いことになりますように。
みなさんもその子のこと、ちょっと気に掛けてあげてくださいね。
それだけでお母さん、きっと心強いはずだから。
それでは我々も、我々の人生を頑張りましょう!
ほい、解散。
またおいで。
【新作放送決定!】
ついに関西で05年新作「激闘!西表島」が放送開始!
お久しぶりでございます!ABC朝日放送さんで!
7月8日から9月2日まで毎週土曜日25:00?
(14:33 嬉野)
2006年8月8日火曜日
2006年8月8日火曜日
はい、嬉野でござりやす。
さて、少し前のことになりますがね、ある方から一冊の小冊子をいただきました。
それは、市の広報誌のような薄手の冊子でした。
その中の記事に「入らずの森」というタイトルの一文があります。
見開きのその記事には一枚の写真が掲載されています。
そこに映っているのは、中学校の校舎の二階の窓から見た校庭の風景です。
それは、ぼくなどには馴染みのある田舎町の中学校とでも言えそうな落ち着いた感じのある懐かしい風景なのです。
取り立てて個性的なデザインの校舎ではないことが、かえってぼくの気持ちをほっとさせてくれる、そんな程度にひっそりと平和な雰囲気のある中学校の風景なのです。
ところが、明らかに普通ではないものが、そこに写っているのです。
校庭の真ん中に、こんもりとした森があるのです。
それはそれは、不自然なありようなのです。
まるで校舎から校庭に向かって小さな岬が突き出しているかのように欝蒼と木々の茂った暗い森があるのです。
それはちょっと見慣れない光景です。
でもなぜ、そのような邪魔な位置にあえて森を残しているのでしょうか。
どうも、この中学校を設計した人は、初めからそんな森は無視していたようなのです。
結局、ほかの施設の立地を優先的に考えると、どうしても森は現状のその校庭のその位置に来る。
しかし、そんな森は当然撤去して「さら地」にするから構わない。
そんな森は無くすばかりなのだから。
そういう思想がまずあって、この中学校は建設されたようなのです。
ところが、その森は無くなるどころか未だに校庭の真ん中にある。
記事には、その森を撤去しようとするたびに工事に支障が起き、怪我人が出、撤去作業をする人が恐れて誰も寄り付かなくなり、結局残ってしまったことが書かれていました。
その森は、江戸の昔からそこにあり、みだりに入り込むと祟(たた)りがあるので「入らずの森」と恐れられていたのだそうです。
この中学校が出来て、もう百年近い時が流れたでしょうか。
何代にも渡り、多くの在校生たちがその森を間近にしながらそこで中学の数年間を過ごしてきたということになります。
この記事を書いた方も、その中学の卒業生だということでした。
その間、祟りが有ったのか無かったのか。
それは分かりませんが、でも日常的に「その森が発する何か」を子供たちも大人たちも静かに受け止めていたことは間違いのない事実のように思われます。
その不確かな何かが、人の心にある、とても大切な何かに反応し続けていたようなのです。
記事の最後には、近年、また「入らずの森」の撤去作業の話が再浮上してきたことが書かれていました。
でも結局、今度もまた森は残るのです。
今度は、撤去作業で祟りが起こる前に、在校生や卒業生が、撤去に異を唱え始めたのだそうです。
撤去作業の噂が個々の身の内に起こした胸騒ぎは、思いがけずひとつにまとまり、いつしか大きな反対運動に広がっていったのだそうです。
「入らずの森」が無くなるらしい。
その情報はその森を知る者たちの心を一様にざわつかせ、地元に残る者だけでなく東京や地方へ転出して故郷にめったに帰らない者達の許へも知らされ、遠く忘れかけようとしていたはずの何かに強く訴え掛けてしまった。
人々は思いがけず奮い立ち、また森を残してしまうのです。
誰もが「入らずの森」を異質なものとして拒まず、それどころか自分の人生にあって、失いたくない大切なものとして無意識のうちに受け入れてしまっていたのです。
いったいそれはどういうことなのでしょう。
上手くは言えませんが、でも、きっとぼくらは、自分たちにとって本当に大切な物が何であるのかを、実は、よく知っているということなのかもしれませんね。
それだけは、ハッキリ言っても好いような気がします。
なんかこの記事を読んでね、そんなことを思いましたよ。
ほら、やっぱ長期間野菜を食べなかったら無性に野菜が食べたくなるようにね。
祟り神を恐れて、そこを神聖な場所として守ってきた昔の日本人たちから、ぼくらは遠く離れてしまったはずだったけど、それでもぼくらは、ぼくらが分け入ることの出来ない、もやもやとした、説明の付かない、ここではない、もうひとつの世界のあることを、ひょっとしたら、まだまだ必要としているのかもしれないですよね。
そんなことをね、思いましたのよ奥さん。
えぇ、この記事を書かれました方の文章がとても好くてですね、ぼくは今でも貰ったその冊子を大切にしまっております。
まだまだ日本中に面白いとこ、きっと沢山あるんでしょうねぇ。
旅に出たいものですね。
さぁ、それではみなさん、また明日。
こつこつマメに生き抜きましょう。
そーして、またここに来ましょうねぇ!
明日もどーせヒマなんでしょうー!
ヒマでなくてもヒマ作るのよー!
待ってますよー!
札幌、暑いのよー!
みんなも気張るのよー!
以上、解散!
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ついに関西で05年新作「激闘!西表島」が放送開始!
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7月8日から9月2日まで毎週土曜日25:00?
(18:13 嬉野)
2006年8月8日火曜日
2006年8月8日火曜日
はい、嬉野でござりやす。
さて、少し前のことになりますがね、ある方から一冊の小冊子をいただきました。
それは、市の広報誌のような薄手の冊子でした。
その中の記事に「入らずの森」というタイトルの一文があります。
見開きのその記事には一枚の写真が掲載されていました。
写真は、中学校の校舎の窓から写した校庭の風景です。
それは、ぼくなどには馴染みのある田舎の中学校とでも言えそうな落ち着いた感じのある懐かしい風景でした。
取り立てて個性的なデザインの校舎ではないことが、かえってぼくの気持ちをほっとさせてくれる、そんな程度にひっそりと平和な雰囲気のある中学校の風景でした。
ところが、明らかに普通ではないものが、そこに写っているのです。
校庭の真ん中に、こんもりとした森があるのです。
それはそれは、不自然なありようでした。
まるで校舎から校庭に向かって小さな岬が突き出しているかのように欝蒼と木々の茂った暗い森があるのです。
それはちょっと見慣れない光景でした。
でもなぜ、そのような邪魔な位置にあえて森を残しているのでしょうか。
どうも、この中学校を設計した人は、初めからそんな森は無視していたようなのです。
結局、ほかの施設の立地を優先的に考えると、どうしても森は現状のその校庭のその位置に来る。
しかし、そんな森は当然撤去して「さら地」にするから構わない。
そんな森は無くすばかりなのだから。
そういう思想がまずあって、この中学校は建設されたようなのです。
ところが、その森は無くなるどころか未だに校庭の真ん中にある。
記事には、その森を撤去しようとするたびに工事に支障が起き、怪我人が出、撤去作業をする人が恐れて誰も寄り付かなくなり、結局残ってしまったことが書かれていました。
その森は、江戸の昔からそこにあり、みだりに入り込むと祟(たた)りがあるので「入らずの森」と恐れられていたのだそうです。
この中学校が出来て、もう百年近い時が流れたでしょうか。
何代にも渡り、多くの在校生たちがその森を間近にしながらそこで中学の数年間を過ごしてきたということになります。
この記事を書いた方も、その中学の卒業生だということでした。
その間、祟りが有ったのか無かったのか。
それは分かりませんが、でも日常的に「その森が発する何か」を子供たちも大人たちも静かに受け止めていたことは間違いのない事実のように思われます。
その不確かな何かが、人の心にある、とても大切な何かに反応していたようなのです。
近年、また「入らずの森」の撤去作業の話が再浮上してきたのだそうです。
でも結局、今度もまた森は残りました。
今度は、撤去作業で祟りが起こる前に、在校生や卒業生が、撤去に異を唱え始めたのだそうです。
撤去作業の噂が個々の身の内に起こした胸騒ぎは、思いがけずひとつにまとまり、いつしか大きな反対運動に広がっていったのだそうです。
「入らずの森」が無くなるらしい。
その情報はその森を知る者たちの心を一様にざわつかせ、地元に残る者だけでなく東京や地方へ転出して故郷にめったに帰らない者達の許へも知らされ、遠く忘れかけようとしていたはずの何かに強く訴え掛けてしまったようなのです。
人々は思いがけず奮い立ち、また森を残してしまった。
誰もが「入らずの森」を異質なものとして拒まず、それどころか自分の人生にあって、失いたくない大切なものとして無意識のうちに受け入れてしまっていた。
いったいそれはどういうことなのでしょう。
祟り神を恐れることによって、そこを神聖な場所として守ってきたかつての日本人から、ぼくらは遠く離れてしまったはずだったのに。
ぼくらは、ぼくらが分け入ることの出来ない、もやもやとした、ここではない、もうひとつの世界のあることを、ひょっとしたらまだまだ必要としているのかもしれませんね。
きっとぼくらは、自分たちにとって本当に大切な物が何であるのかを、実は、よく知っているのかもしれないなぁと、この記事を読んでね、思いましたよ。
やっぱ長期間野菜を食べなかったら無性に野菜が食べたくなるものね。
そんなことをね、思いましたのよ奥さん。
えぇ、この記事を書かれました方の文章がとても好くてですね、ぼくは今でも貰ったその冊子を大切にしまっております。
まだまだ日本中に面白いとこ、きっと沢山あるんでしょうねぇ。
あぁ旅がしたい。
さぁ、それではみなさん、また明日。
こつこつマメに生き抜きましょう。
そーして、またここに来ましょうねぇ!
明日もどーせヒマなんでしょうー!
ヒマでなくてもヒマ作るのよー!
待ってますよー!
札幌、暑いのよー!
みんなも気張るのよー!
以上、解散!
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(17:38嬉野)