2007年9月11日(火)
嬉野です。
東別府というJRの駅のすぐそばに小さな共同湯がありましてね。
「汽車を待つ間にひとっ風呂」
なんてなことが建て屋の壁に書かれてある。
痺れました。
確かに駅から歩いて30秒。誇大広告ではないでしょう。
汽車を待つにも風呂に入る。
別府の方々は粋なもんです。
建て屋の造りは木造モルタルでね。
お世辞にも綺麗じゃない。もう築何十年だろう。
でも、戸口の脇には藤棚がこしらえてありまして、そこだけは真夏の熱線をさえぎって涼しげな影をベンチに落としておりました。
たまに温い風が吹きます。
それでも、湯上りなら涼しかろう。
ひとつ湯から上がったら、ここで涼みながら冷たいものでも飲んでやろうか。
そう思って戸口へ向かう。
向かうと昔の映画館のチケット売り場のような木作りの桟で囲われた窓口が目に入る。
歴史ある温泉場は、ここら辺の造りがシャレている。
きっと昔、活気に溢れていた時代が間違いなくあったあかし。
でも今は無人。
入湯料は百円。
ブリキの缶にコインを入れてコンクリの階段を下りる段取り。
浴場は地下です。
「お賽銭をドロボーすると罰が当たります」
そんな張り紙を脇に見ながら、とんとんとーん、と狭い階段を下りていくと、すぐ浴場の入り口に突き当たる。
入り口の扉は、夏だからか、開けっぱなしでね。
ガランと、だだっ広いタイル張りの浴場が目の前に広がりましたよ。
見ると、入ってすぐ右の壁に脱衣棚がドーンとあってね、足元には、すのこが一列、向こうまでズラッと敷いてある。
それだけ。
要するに、脱衣場と浴場の間に仕切りが無いんだね。
ワンルームなの。
実に開けっぴろげ。
おまけに、脱衣場に湯が流れてこないようにと、そこから二段ほど降りたところに洗い場の床が広がるというつくり。
大胆に省略するところはしてるけど、あくまでも快適な空間にしようという配慮が見て取れる。
大汗をかいていたので、さっさと素っ裸になってから、もう一度浴場内を見渡す。
天井が高いからか、気分が清々しました。
高窓からはね、真昼の光が隣の家の壁に跳ね返って浴場全体を控えめに明るく照らしてる。
風も、ほんのすこうし入ってくる。
浴場は、床も壁もタイル張り。昔風のこまかいタイルね。
そのガランと広いタイルの床のまん中に、楕円形の小さな湯船がポツンとひとつ埋めてある。大人が4?5人入ると、もう窮屈かな。
壁にはシャワーもなく、カランもない。
こういうの、昔は戸惑ったけど。
この頃は、こういうところへ来ると楽しくなるのよ奥さん。
慣れたら、こういう、なんにもない造りの方が伸び伸びするようになっちゃった。
さて、ちゅうことで、湯船の脇にあぐらをかいて座る。
腰掛も使わない。
楕円形の湯船の淵は、ほとんど洗い場と同じような高さ。
ただ、石鹸が湯の中に流れ落ちないように、楕円の淵だけが、ほんの少し盛り上がって、こしらえられているだけ。
だから、腰掛使わないで、床に直にあぐらかいて座る高さの方が、湯を汲み易い。
洗い桶で湯船の中の湯を汲んで体にかける。
湯の砕ける音が響きます。
もうひとつ、湯の砕ける音が響きます。
カランもシャワーもないと、こういうスタイルになる。
これが、慣れたら気分が好いのよ。
旅人の気楽さで、普通の人が働いてる時間に温泉に入るものだから他には誰もいない。
独り占めは贅沢の極みでね。
しかも日はまだ高い。
なんだか、時間が止まったようで素晴らしい。
歴史のある温泉場に行ってね、何に痺れるかというと、これです。
時間が止まってるのよ。ほんとに。
そらぁ止まる理由は、経済的な事情とか、いろいろあると思うけど。でも、とにかく設備は昔のままで設備投資は無し。
掃除だけ、してますっていうのが、ホッと出来て、私は大好きなのですよ。
この頃はね、各地に名宿が出来て、物凄い山の中に昔風な凝った造りの高級感溢れるステキな宿が軒並み作られてね、一大温泉地として世間の耳目を集めて一世を風靡してたりするけれど、長旅をする者に、あれは、あんまし楽しくない。
だってあぁいうとこは、田舎にあるだけで、田舎じゃないものね。
来るお客さんは、みんな都会の人ばかりだから。
宿も温泉場の造りも、都会の人が喜ぶ、都会の人が慣れてるつくりになってしまうのよね。
そういうことは、一泊するくらいでは気づかなかったけど。
長旅をしだすとね、旅先で、田舎に遭遇するのが何よりの楽しみになるから、だから、その土地の独特の流儀やデザインに触れられなくなると残念至極。
だから、日本中の温泉宿が、みんなオシャレになってしまうとね、田舎に都会ばかりができてしまうようで、なんだかちょっと残念な気がしてしまうんですよ。
日本中の田舎の温泉地が、みんな田舎の振りだけをして、その実は、オシャレな都会になる。
それが一番寂しいことだと、この頃は思うのです。
湯上りに、うちの奥さんと一緒に、東別府の辺りを歩きましたがね。古い家が空き家になって、どんどん壊されていてね、
この頃は、新築マンションがずいぶん建つんだそうです。
まぁ、しょうがないよね。
さて、札幌は、秋ですよ。
秋は北国ですよ。
そのうち紅葉ですよ。
ではまた明日。
あさってから、また出張なのよ。
■グッズ宣伝
1、「クリアファイル」。
2、ガラス面の裏側から貼れる「番組ロゴステッカー」。
3、ロケで使用した「ヨーロッパTシャツ」(再販売)。
この3点が今週金曜14日から道内HTBグッズ販売店、並びにHTBオンラインショップにて発売開始。
4、「2008年卓上カレンダー」
5、「2008年どうてちょう」。新たな内容(資料?)を追加しての新登場。「カバーはおととし買ったやつをそのまま使う」というケチ・・・シッカリ者の方には中身の手帳単品での販売もいたします。こちらは全国のローソンロッピー端末にて今週土曜15日から予約開始であります。
(16:02 嬉野)
2007年9月11日(火)
はてなスターを設置してみました。
はてなユーザ限定で恐縮ですが…
はてなスターの性質上、『良かったら押す』とかでもないので、
何か感じたら押してみてください。
週が明けまして9月10日月曜日。藤村でございます。
週が明けまして9月10日月曜日。藤村でございます。
まずは忘れないうちに宣伝活動。
↑のグッズコーナーに新グッズの情報がアップされております。
かなりインパクトの強い「クリアファイル」、ガラス面の裏側から貼れる「番組ロゴステッカー」、ロケで使用した「ヨーロッパTシャツ」(再販売)、この3点が今週金曜14日から道内HTBグッズ販売店、並びにHTBオンラインショップにて発売開始。
そして、もうこんな季節でありますなぁ、「2008年卓上カレンダー」、そして今年は作りました「2008年どうてちょう」。新たな内容(資料?)を追加しての新登場。「カバーはおととし買ったやつをそのまま使う」というケチ・・・シッカリ者の方には中身の手帳単品での販売もいたします。こちらは全国のローソンロッピー端末にて今週土曜15日から予約開始であります。
さて、本日は「歯」のはなし。
わたしゃ自慢じゃないが小さいころから歯が悪い。
生来の甘い物好きというのもある。でも、我々の年代はみんなそうじゃないですか?
子供のころ食ってた菓子なんてのは、今のような健康志向、自然志向、甘さ控えめなんて考えは皆無。甘けりゃいいだろう、色が派手なら売れるだろうというおおらかな菓子ばかり。虫歯だらけは当たり前。
そんなわたしも小さいころから歯医者に通い、ようやく治ったかと思えばまた虫歯。えーいめんどくさい!と正露丸を詰めての急場しのぎ。もう痛くない!と自分をだまし、まんじゅうがなければ砂糖をなめてでも糖分摂取に余念の無かった文字通りの甘い青春時代。社会に出れば歯医者に通う時間も無くなり、ついぞおれの人生「歯はカンペキ!」という時代はなかった。
それが数年前、親切・迅速な歯医者さんに出会いまして、すべてカンペキに治してもらい、人生初の「虫歯ゼロ時代」を迎えたのであります。
以来、虫歯もないのに夏と冬の年2回、歯医者さんに出向いて定期健診とクリーニングを欠かさず、今や歯の健康優良中年になったのであります。
検診には家族全員が出席。おかげで中学生の娘たちは生まれつき虫歯知らず。甘い菓子を隠れて食うのを至上の喜びとしているクソ坊主だけは、毎度虫歯を発見されますが、検診の日にチョチョイと治療されたら元通り。翌日からまた思う存分隠れて甘味を食らうという甘美な少年時代を過ごしているのであります。
今年の夏も検診に行き、そのとき私は歯医者さんにほめられました。
タバコを吸ってるのに歯が汚れてない。
クリーニングしても歯ぐきから血が出ない。歯ぐきがしまってる。
理由は電動歯ブラシ。1年ほど前から使い始めておりますが、これがすこぶる歯に良いらしい。
年に2回の検診と電動歯ブラシ(必ず1万円以上するいいやつ)。
これで虫歯の心配なし。
これはねぇ、みなさん、やった方がいいです。
というわけで今日は歯の健康について講釈いたしましたよ。
バカ笑いは健康な歯から!
水曜どうでしょうでした。
以上、解散。また明日!
(19:35 藤村)
日記本購入
なんだかんだで予約し忘れてたんですが、
昨日、紀伊国屋(MOVIX京都店)で平積みになってるのを見掛けて、
購入しました。
うーん、普通に流通するようになったんですねぇ。
(本だから、かもしれませんが)
感慨深い。
2007年9月7日(金)
2007年9月7日(金)
嬉野であります。
今週、夏休みの旅から札幌へ戻って来た日の夜にテレビをつけましたらね、「ストーブのCM」やってましたのよ奥さん。
「ストーブ」よ、「ストーブ」。
9月に入ったばっかりでよ。
信じがたいでしょ。でもそうなの。北海道はそうなの。
北海道の9月というのはねぇ、そういう冬もののCMが始まる季節でもあるのよ。
私のような北海道に暮らす内地育ちの軟弱者には、ある意味、見えない恐怖が忍び寄り始めたみたいな怖ろしい時期なのですよ奥さん。
「冬が着ますよ?」とストーブが囁き始める季節なの。
9月というのはね。
ただね、そんなに「冬が怖い、怖い」と言う私でもね、
去年のように、温暖化で雪のない冬を反対に経験するとさ、
それはそれで寂しかったのよ。
冬の間も地べたが見えたから、それほどには精神が抑圧されなかったのですよ。
で、抑圧されないまま呑気に冬を過ごしたわけです。
で、春が来た。
ところが、春が来てもね、例年のように「春になったんだー!」「雪が融けたぞー!」っていう感動が湧き上がって来なかった。
だって、そらそーさ、冬の間も雪、融けてたもの。
だから早春の解放感に気が狂うほど心踊る感動もなし。
これは、ショックだった。
根雪に閉ざされた冬を4ヶ月も鬱々と過ごした後に訪れる、春の雪解け。
あれほどあった根雪が世間から無くなった時の解放感は、本当に自噴する泉のように自分の中から外へ外へと喜びが解き放たれていくのよ。
体中の全細胞が、ざわざわと大興奮するのよ。
その興奮がね、今年の春には無かった。
だから今はね、
4ヶ月もの長い間、世間を真っ白く、根雪に閉ざしてしまう冬が来ることも怖いけど、
でもそれより、雪のない中途半端な冬が来る方がもっと怖いって思うのですよ。
だって、春を迎える気持ちが堕落するから。
やっぱり人間というのはね奥さん。
自分の力ではどうにも跳ね除けることが出来ない「重石(おもし)」がないと、堕落するのじゃないかしら。
だから、その、せっかくの「重石」を自力で退けられるようにしてしまっては、人間はもう、まっとうには生きていけない。
ぼくらは、そのように作られているのかもしれませんよね。
「重石」だけが、人間に聖なるものがあることを教えてくれる。
いや、聖なるものがあるような気持ちにさせてくれるということかな。
ほら、肉体労働して汗かいたら、わけも無く気持ちが充実するみたいなね、感じですよ。
そんなことをね、なんか思いましたよ。
さて、台風が大勢力を維持したまま今朝ほど関東に上陸して、東北、北海道と、ゆっくり北上しながら各地で大きな被害を出しております。
本当に夏の台風もここ数年、巨大になって怖ろしい限りです。
これ以上、大きな被害が出ない事を祈りまして、本日の日記は終了であります。
では、また来週。
この場所でお会いいたしましょう。
お元気でね。
では、解散。
(15:58 嬉野)
2007年9月の6日木曜日。藤村でございますよ。
2007年9月の6日木曜日。藤村でございますよ。
「本日の日記」発売から2日目。掲示板には数多くの感想が寄せられておりまして、うふ共々時間をかけて読んでおります。
読後の感想は自分の胸にしまっておく、というのもいいですが、度量の大きな著者本人が、「直接感想を聞こうじゃないか」って言ってんだから、書いてみてもいいんじゃないかと思いますよ。
かといって「つまらんかった。金返せ」と言われましても、「うるせぇ」と言うだけですけども。
モノを作り、モノを買う、当たり前の行為ですが、よく考えれば人間にしかできない尊い行為でありますな。
自分で作った物、捕った物、育てた物。そこには必ず生産者の感性が生きている。それを他人に譲り渡す。
他人はその対価として、苦労して稼いだお金であったり、自分の持っている物を渡す。
そこにはお互い感謝の気持ちがある。
「譲ってくれてありがとう」
「いやいや、私が作った物を選んでくれてありがとう」
生産者の感性と、それを欲する人との感性。それが合致したときに、幸福な「物のやりとり」が成立する。
消費社会の中で「対価=金銭」「お金を払えばなんでも買える」と単純に考えてしまうと、そこに幸福なやりとりは存在しにくくなる。
ここは消費者の方がふんばらないといけない。よく考えないといけない。なぜなら消費者は無意識のうちに、生産者は金を払う自分のためなら何でもすると思ってしまうから。
だから平気で「つまらんかった。金返せ」と言ってしまう。
違います。
つまらんかった。ならば「つまらん」物を選んでしまった自分の感性、能力の無さを反省しなければいけない。
消費者が何も考えなかったら、この世から良い物は消えて、「安い」というバカでもわかる尺度でしか物は作られなくなる。
だから
「つまらんかった。金返せ」
ではなく、正しく言うならば
「私はあなたが作った物をつまらないと感じました。でもあなたは悪くありません。これを買ってしまった自分が愚かだったのです」
という・・・いや、違うな。これは単に腰の低い嫌味だな。一番タチが悪い。「つまらん!金返せ!」と言われたほうがよっぽどいいじゃねぇか。
ま、とにかくだ。物の売り買いというのは、「金銭のやりとり」ではなく、「感性のやりとり」と考えれば、より人間らしい行為、より幸せな行為となる。
ま、おれは遠まわしに「つまらんと言うな」と、言ってんだ。
さて、札幌の近くに江別という町があります。
子猫ちゃんなどと自らを呼ばわっているおばかさんたちには、「にょういずみが幼少のころを過ごした町」と言えばわかるかな。アカデミックな人には「北海道開拓時代からレンガ作りが盛んな町」と言っておこうか。
その江別の町では年に1回、7月の初旬に大規模な「やきもの市」が開かれます。
「焼き物市」というと、有田焼だの備前だのをトラックに積んで日本各地の駐車場を行脚する「今年も来ました!全国陶器市」みたいなものもありますが、ここのはそうじゃない。
道内在住の陶芸作家、ガラス作家がプロアマ問わずごっそりと出店する、正しい姿の焼き物市なのであります。
数百とあるテント。作った本人が自分の作品を並べて売っている。
別に陶芸に詳しいわけじゃない。でも、「好きな感じ」というのはある。その感性だけを頼りに好きな器を探し歩く。
若手の作家が多いので値段は高くない。
気に入った器に出会うと、「いい物を見つけた」と素直にうれしい。
お金を払うとき、「あんたの作るものは好きだな。これからもがんばって」と思う。
茶碗だのグラスだの、そんなものは100均に行けばなんぼでも手に入る。でもそんなものは買わない。
目の前にいる彼が作り、自分が自分の感性で選んだ茶碗を買う。
1500円。全然高くない。
我が家の食器棚に名の通った高価な皿はないけれど、でも100均で「とりあえず」買ったものもない。
ただ、坊主が使う茶碗にしても、一杯のビールを飲むグラスにしても、「作った人の名前と顔がわかる物」が置いてある。
作り手の感性と自分の感性が合った物を使っていると、それだけで気持ちいい。メシもビールもうまい。
でも・・・まぁ、そうは言ってもクソ坊主が乱暴にメシをかき込んでいると
「おまえわかってんの?これは九州で買った茶碗でな、若いけど賞を取った人が作ったやつでな」
などと小うるさいウンチクを語り、
「おいおまえ!そのグラスで牛乳飲むな!おめぇーはアンパンマンで飲んでろ!」
などと言ってしまうのは、まだまだわたくしも、器が小さいと、そういうところでございますな。
じゃね、おあとがよろしいようでと、あれ・・・外はもう暗い。
日が落ちるのが早くなりましたな。
札幌の夜はずいぶんと寒くなってきましたよ。
じゃぁ今日はこのへんで。
(18:42 藤村)
2007年9月5日(水)
2007年9月5日(水)
はい、おこんばんわ。
嬉野ざんす。
九月になって、TOPのお寺も秋めいておりますね。
ねぇ、ということで昨日夏休みを終えまして、妻と旅先で別れまして、一人札幌の我が家へと戻ってまいりましたよ。
いやぁ、九州は暑かった!
ということでね、嬉野は、九州旅行をして参りましたよ。
またもやいろんなものを見ましてね、物思う刺激に溢れた旅でございました。
えぇ、この旅の話をね、ここでくどくどと書いてやろうと思いましたところ、
なんと本日は、奥さん、我々の日記本こと「本日の日記」の発売日じゃございませんか。
ということでね、くどくどとした九州旅日記は、後日ゆっくりさせていただくことにいたしまして、本日は「日記本」の告知をいたしますよ。
ということで告知、告知。
さて、お馴染み「ローソン屋敷」さんでは、本日の日付変更と共に、いの一番で「本日の日記」の受け渡しが始まりました。
しかし、今回は、全国の紀伊国屋書店さん店頭と、札幌では旭屋書店さん店頭にも置かせていただいておりますのでね、店頭でお買い求めいただくことも出来るという段取りでございますよ。
道外のことは分かりませんが、札幌では、かなりの量を紀伊国屋書店さん店頭や旭屋書店さん店頭に積んでいただいておるそうでございましてね、
したが奥さん、なにぶん装丁が日本手ぬぐい仕様のデザインで、色も紺という渋めのものでございましょう、
いかんせん売り場がですねぇ、地味になるばかりということでございましてね、どんどん積んでいただくんだそうですが、地味なものをなんぼ積みましてもですね、地味さが強調されるだけということでね、
先程、土井Pが参りまして、
「賑やかしにポップを手書きで書きなさい」
というアドバイスをいただきましてね、藤村先生と二人で書きましたので、札幌の紀伊国屋書店さんと旭屋書店さん店頭には、そのポップが出るのだと思いますよ、
したが奥さん、いかんせん、この手書きポップも地味ですから、まぁ地味の上塗りといったところだろうと思いますが、それはそれ、これはこれでございますのでね、ひとつ広い心で、売り場にお立ち寄りいただければと思いますですよ。
勿論、道内のOnちゃんショップ販売店にも置かしていただいておりますし、HTBのオンラインショップでも扱っておりますので合わせてご利用いただきたいと思います。
日記本の最後にはね、私の恨みがましい愚痴、いや、あとがきもありますのでね、お楽しみいいただければと思いますよ(笑)。
まぁお読みになればわかります(笑)。
それでは皆さん、台風も近づいてきておりますのでね、気をつけるにもほどがあるっちゅうくらい気をつけてくださいませね。
北海道にも来そうです。怖いです台風。
では奥さん、また明日、
それぞれのご都合の好いお時間にお集まりくださいませ。
それまで、しばし解散でございます。
諸氏の検討を祈っております。
まけるなみんな!
ということでね、
頑張って生きてまいりましょう!
ま、それなりにで好いわけですからね。
(19:03 嬉野)
8月31日金曜日。8月も終わりですな。藤村でございます。
8月31日金曜日。8月も終わりですな。藤村でございます。
今、日記を書こうと思ってデスクに戻りましたら、おもしろいものが置いてありましたよ。
新グッズの見本品です。店長が置いていったんでしょうね。
まだ未発表の品ですからあまり言えませんけど、まぁたいしたもんじゃないですから言いますか。「クリアファイル」です。
書類なんかをね、はさんでおく薄っぺらい透明のクリアファイル。
商品名には
「水曜どうでしょう3ポケットクリアファイル(バンジョー兄弟)」
と書いてあります。
「3ポケット」ってのは、「仕切りが3つある」ということですね。ぺらぺらのクリアファイルが3つ重なってると考えていい。
仕切りとなっている3枚のクリアファイルそれぞれには、別々の絵が描いてあります。
1枚目には、緑のまぶしい高台公園の全景。
2枚目にはバンジョー弟の大泉さん。
そして3枚目にはバンジョー兄のミスターさん。
「クリアファイル」ってぐらいですから透けてます。
ということは、この3枚の絵が透けて、重なって見える。
と・・・どうですか、
「高台公園でバンジョーをかき鳴らすバンジョー兄弟」
という1枚の絵が完成するわけです。
重ね合わせた3枚のクリアファイルそれぞれに絵を描くことで、
手前にミスターさん
ちょっと奥に大泉さん
背景には緑いっぱいの高台公園
という、気持ち立体的な奥行きのある絵になるわけですね。
考えたもんです。
他にも、商品名「試験に出る石川・富山」ってのがありまして、
「雪の公園にいるクソ坊主(ミスターさん)」
「大泉校長」
「丸メガネの安田さん」
という3枚が重なって、見事に「雪が積もった高台公園での前枠」の様子が、奥行きをもって再現されております。
今回はなんといっても絵がいい。迫力があります。
これは、おすすめです。
ほかにも秋に向けて、いろいろと新グッズを考えております。昨年作らなかった「どうてちょう」も、今年は店長、作っております。
そして明日、秋の「北海道物産展」への出店情報が解禁となります。↑のグッズコーナーをクリックすれば、店長主宰の「ユメミル工房」のページに行けますので、明日はそちらをご覧下さい。
今まで出店したことのなかった地区・・・とだけ言っておきましょう。
では、「ユメミル工房」での明日の詳細発表をお楽しみに。
追伸。
ビリー現在は1日おきのペースで続けております。7月入隊ですからもう2ヶ月。しかし別にダイエット目的ではないのでメシはがんがん食っております。結果、体重に変化なし。ただ着実に体はビリー化しています。あるていどでやめないと気持ち悪い51歳になってしまいます。
もうひとつ追伸。
さっぽろ夏まつりのHTB会場にひっそりと置かれてあった「どうでしょうおみくじ」。その収益の一部を地震のあった新潟に送りました。まったくもって小さな額ですので礼には及ばず。ただ「寄付しました!」と言っておくぞ。
ではまた来週!
(18:45 藤村)
8月30日木曜日。藤村でございます。
8月30日木曜日。藤村でございます。
昨夜、大顔森崎リーダーと久しぶりに会いましたよ。
夜の7時にワインのうまい店で待ち合わせをしましてね、イタリアンを食いつつ、いろんな話をしました。
うまい食い物について、良い宿について、お芝居について、ドラマについて、また「リーダーは頭はデカイが脳みそが小さい」ことについて、熱く語りました。
気がつけばワインのボトルが4本空いておりました。
夜の10時。早くも私はふらふらでございました。
リーダーは、うまいピザの話を始めました。
先ほどチーズフォンデュを食ったばかり。
「激ウマのピザを出す店があります」
「そうか」
満腹です。
「あれは驚きます」
「そうか」
「行きますか」
「今からか」
「行きますか」
「行くか」
うまい店に行くというのを断ることはできません。
タクシーで15分ほど走ってイタリア料理屋に着きました。
「まずは飲みますか」
「そうだな」
「今度は白でいきますか」
「ワインか」
「いきますか」
「いくか」
ふらふらであります。
「ピザ来ました」
「お」
「早く!アツアツのうちに食べてください!」
「あ」
食べます。
「う、うまいなぁリーダー!」
「でしょう!」
酔いが飛びました。ものの数分で2枚食べました。
うまかった。我々は再び芝居のこと、ドラマのこと、「リーダーは頭がデカイのに脳みそが小さい」ことについて、熱く語りました。
夜11時半。残念ながらお店は閉店。
「じゃぁ、帰るか」
白ワインでふらふらであります。
「この近くに美味いイタリアンの店があります」
「そうか」
「行きますか」
「行くか」
断りません。流されるままにイタリア料理3軒目。
「まずは」
「ワインか」
「ワインですね」
ふらふらです。
「ここの冷たいスープはうまいですよ」
「リーダー、悪いけどおれは冷たいスープだけは許せないんだ」
「じゃぁ飲んでみてください」
「よし」
「どうですか」
「う、うまいなぁリーダー!」
再び酔いが飛び、芝居のこと、ドラマのこと、「おめぇの頭はデカイが脳みそは小さい」ことについて、熱く語りました。
深夜1時。さすがに帰ります。もう吐く寸前です。
「じゃぁリーダー、おれ歩いて帰る」
「マジですか!」
今タクシーに乗れば間違いなくご迷惑をかける自信がある。
「何キロあるんですか」
「10キロ・・・いや8キロぐらいかな」
「遠いって!」
「じゃぁ、また」
歩き出します。
ちょうどいい気候です。酔いも覚めてきます。
やがて空がうすぼんやりと明るくなり始めました。
午前3時半。
家に着きました。2時間半かかりました。
あんだけ食べたのに、体重は若干減っておりました。
久々にリーダーとたっぷり話をし、楽しい夜でありました。
以上。
じゃぁまた明日。
(18:54 藤村)
2007年8月28日(火)
2007年8月28日(火)
嬉野でございます。
だいぶ御無沙汰をしております。
みなさまがた、この炎熱の最中、息災であられましょうか。
ご自愛くださいませ。
いやはや、暑い。
ここは札幌なのにと思うことしきりであります。
少し前からね、わたくしそのぉ、北海道米が美味いと思い始めましてね。いや、もともと米好きでしたから、わりと他県の銘柄米に気持ちが動くところが、これまで、ありましたが、そこはまぁ私も大人になりましたのでね、これだけ美味ければ道産米で充分じゃないか!と、腹を決めていたところでありましたよ。
それに奥さん、野菜も魚も新鮮なものほど美味いわけですからね、米だって近場の米が鮮度が高くて美味いということで好いじゃないのよと、わたくし思い初めておりましたら、本当に美味しくなっていたんですってね、北海道米。
なんだか、この温暖化で、お米に適した気候ってのがね、北海道辺りまで上がって来たんですって話をね、わたし何かの折に耳にしましたよ。
驚きますネェ。本当なんだろうか。
だとしたら暑いはずだよ。北海道。
というね、どうもこの、夏でございます。
えぇ。
原始人というね。
えぇ、いったいいつ頃の方々かも特定しえない、いたってアバウトな呼称をされてる人たちがいますけど。
髪はぼうぼう、ヒゲぼうぼうで、体には毛皮の衣装をまといまして、石で作った矢じりを棍棒の先に結わえ付け、これでもってマンモスあたりを寄ってたかって襲っているイメージが私なんぞにはありますが。
これはずいぶんバカにした話でね。
原始人なんて言うから、自分とはまったく縁のない生き物のようなイメージにとらわれがちですが、なんのことはない、自分の先祖ということなわけでね。
そう考えれば、そんなに今の人間と違いは無いとこの頃、思うのでありますよ。
今と同じ様に恋もしたでしょうしね。
とくに娯楽が無い時代だったでしょうから、恋というものは立派な娯楽だったと思いますし、子供だって可愛がったと思います。
原始人をとりまく社会が、今の我々の社会とは違うのだから、勿論考え方も価値観も違ったでしょうが、能力的なものの差は、そんなになかったろうと思います。
むしろ今のぼくよりは優れていたろうと思います。
かりに、ここにタイムマシンがあったとしてですよ。
過去から原始人を現代日本に連れてくるとするでしょう。
そしたらね、多分、一週間もしたらコンビニで買い物くらいしてますよ、奥さん。
お金出してね、欲しいものだしてね、交換してもらえばいいだけでしょう。退屈したらテレビだって見てると思いますよ。
原始人が現代社会に適応する時間ったら、あなた、あっちゅう間だと思いますよ。
その反対にね、私が、原始時代へ行くとするでしょう。
あっちゅう間にへばって、生きていけなくなると思いますよ。
だって、御飯を食べていく技術が無いですから。
一週間いたってマンモスなんてな襲えませんよ。
少っしも。
ネズミ一匹捕れなかったもの、マレーシアのブンブンで。
そんなことを思います。
原始時代に比べたら、今の日本は、バカみたいに生き易い社会なのだと思いますよ。
お金さえあれば簡単に食べ物が手に入るから。
とにかく食べ物が手に入れば生きていくことができる。
生きていく知識も技術もなくたって、お金があれば生きていける。
生きるということが、たやすく出来てしまう。
だから「生きる」と「食べる」は、もうだいぶ前から日本では同義では、なくなっているのよね。
でも、この世界は、物凄く長い間、「生きる」といえば「食べる」ということだったはずなのよね。
どうすれば食いものが手にはいるか。
そのことが唯一最大の命題だった頃、ぼくら人間の体は出来たんだと、思いませんか、奥さん。
しかし、なんでコンビニにもスーパーにも、いつ行ってもあんなにたくさんの食べ物があるんだろうね。
誰が、どこでどう頑張ってくれているのかしらね。
そういうことも気になります。
でも、原始時代に行ってね、何にもできない人間を前にして、原始人がもし優しくしてくれたら、そんときゃやっぱり嬉しいだろうね。いろんな意味でね。
明日から一週間ほどお休みをいただきます。
またしばらく留守をいたしますが、
みなさんお元気で。
(14:46 嬉野)