嬉野

2008年12月2日(火)

嬉野です。
昨日も今日も藤やんはお休みでね、
明日からは二人とも出張になるので、
一週間ほどここを留守にしなければなりません。

今度お会いするのは、来週の木曜日になりますから、
少しばかり長い愛想無しになりますが、
みなさん、くれぐれも御無事でお過ごしになられますよう。
気張ってお暮らしくださいませ!

昨日DVDで「プラネット・テラー」を観ましたがね。
うちの女房が借りてきたんですが。
なんじゃこりゃと終始思いながら、
しかしなぜか食い入るように観てしまい、
飽きることがありませんでしたなぁ。

なんであんなゾンビ映画が面白いのだろうと
夫婦揃って未だに分からんのですが(笑)、
また見たい気がするわけですよ奥さん。

しかも物語の途中がポコッと抜けていたりするのよ。
筋が飛ぶのよ。
「フィルム一巻紛失しました」なんつう侘びテロップが挟まれてね、途中は謎のままあっさり先へ進むのよ。
それでもお構いなしに面白いので、
自分でも分けが分からず笑ってしまった。

子供の頃、そういえばビデオもDVDもなかったから、
封切り館で見逃した映画は二番館三番館で観ていたよ。

封切館で上映された無傷のフィルムがそのまま二番館三番館四番館と回るうちに、フィルムは何回も何回も映写機をくぐるものだから、そのうちに傷だらけになって、場末の映画館のスクリーンに映った画面には確かに縦に何本も無意味な線がアニメみたいに走ってたよ。

「プラネット・テラー」の映像はまさにそれだったの。

やたらフィルム傷のある映像をDVDで観る。
なんだよこれはと私は思った。
懐かしくもあったが(笑)。

場末の映画館では、たまに上映中にフィルムがブチ切れて上映が中断することがあったね。
斜めにフィルムが裂けてブチ切れてるから修復不能なはずだが、そのあたりは映画館側もあっさりしてるから斜め裂けた部分は躊躇無くあっさりカットして、映画館側で勝手につないでしまってね、修復終了となるんだけど奥さん、次の回からはその箇所がポンと飛ぶのよ。
まるでどうでしょうの映像のようにだ。

映画ってたしか1巻30分位のを4巻で構成してるから、
二台の映写機で交互に写しながら順番に上映してる。

だから4巻でワンセットのものなんだけど、
ひどいところになると、
途中の一巻を誰かの不注意で紛失させたとしても、どうしようもないから、問答無用で上映してたんだろうね。

そんなことを断行してしまう映画館側も割り切りが好いが、
気にせず観てる客の方がもっと割り切りが好い。

「なんだよ、しょうがねぁなぁ」で、
済ませられるということだから、昔の人は大人だったんだろうねぇ。

して、この映画はそれすらもパロってるところが凄い。

新作映画で、そんな傷だらけを初めから意識して作った映画が「プラネット・テラー」ということになるわけで。

そんな乱暴な画面で、それで面白くて、また観てぇなぁと思わせるんだから、怖ろしい力量というものだよねぇ。

あのフィルムの傷にも、きっと映像的に美があるんだろうねぇ。
いやぁ好いものを見せてもらいましたよ。

マシンガン乱射するローズ・マッゴーワンさんが、
やっぱり好かったんだろうねぇ。

それもある。

じゃ、奥さん。
しばらくお達者で。

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(17:23 嬉野)

嬉野

2008年12月1日(月)

嬉野です。
師走になりましたねぇ奥さん。
今年も終わるのよねぇ。

さっきまでHTBの玄関で、
地味にOnちゃんの11歳の誕生日をやりましたよ。
ケーキカットをしていたところへ、たまたま通りがかった一般のお客さん約一名が上手いタイミングでHTB玄関を訪問。
お誕生日ケーキをひと切れゲットされ、
お誕生日を一緒にお祝いしていただきましたよ。

さて、そのOnちゃんのアニメDVDが完成。
第二回目の予約開始が、なんと本日からだそうです。
ローソンさんで予約を受け付けておりますのでね、
On好きのみなさはぜひどーぞ。
引渡しはクリスマスの25日でございます。

じゃ、本日はこれにて!
解散!

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(18:23 嬉野)

嬉野

2008年11月24日(月)

嬉野です。

寒いです。
でもまぁ冬ですから。

「そういえばと」と、
昨日思ったのです。

そういえば、昔は犬といえば番犬だったな、と。
不意に思い出したのです。
嬉野さんは年配者だから、思い出せるわけです。
かつての時代のことを。

「奥さんゴムひも買ってくんねぇか、おらぁ昨日ムショからでてきたんだけどさぁ」みたいな押し売りが来ると気味が悪いから、
「ねぇ、うちも犬を飼いましょうよ、この頃変な人来るのよ」
と、そういう動機で犬を飼ったわけです。

つまり番犬として犬を飼うというわけです。

だから番犬は見慣れない来訪者を不審者とみなし、吠える。
噛み付きそうな顔をして、うなる、牙を剥く。
そうすると押し売りは撃退されて奥さんは心強い。
だから犬は玄関先で飼われていた。

そういえば猫はネズミを捕ることを期待して飼われていたなと。

両者はそういう役目を期待されて飼われていた。
まぁその犬猫全部がね、実際のところ家人の期待に添えたかどうか、そこにはまぁね、個体差があったでしょうがね、
それでもね、
いっこうに番犬の役に立たない情けない犬であったとしても、
犬を飼うという動機には「番犬として」という、ハッキリとした名目があった。

猫だって、ネズミなんか捕りゃしなかったとしてもさ、
ネズミをとることが猫を飼う動機だった時代があった。
今から見ると不衛生な家に住んでいたんだろうね。

でも、犬猫それぞれには、家庭内で飼育される役目があった。
だから犬猫と家人は同居していた。

そういうお互いの立場で付き合ううちに、犬猫も人も、温かい血の通う生き物どうしだから、自然とコミュニュケーションをはじめたんだろね。

ネズミがいなかったりさぁ、押し売りが来ない日はね、
犬も猫もとりあえず仕事がないからね。
そういう時、家人も犬猫とスキンシップをしたかもしれない。

飯を食わせ。
しっぽをパタパタ振って喜ぶ犬を見下ろしながら、どこか飼い主は満足し、
「よし!」という掛け声とともに飯し皿に顔を埋めてガッついて美味そうに食う犬を見て飼い主は心が慰められることがあった。

子供はお父さんにひどく叱られて、犬小屋で犬に寄り添って慰めてもらう事だってあったかもしれない。

昨日ね、近くのホームセンターで働く犬たちのデモンストレーションがあってね、それを夫婦で見に行って、警察犬やら救助犬、介助犬の働く姿を見ながら思いだした。

そういえば、昔は、犬猫にだって役割があった、と。

でも、そんな役割を犬猫にぼくらは期待しなくなって久しい。
それでもペットショップに行くと、たくさんの犬猫がいる。
それを見ながら、犬猫全員が新しい飼い主に引き取られていくのだろうかと不安になることがある。

店舗には商品があふれ。
食品であろうと、電化製品であろうと、
自分が欲しいものが何なのか分からなくなるほど、店には商品があふれてね。

楽しいような不安なような…。

テレビをつけると、朝から夜までいろんな物が売られていて、
見ているうちに自分が買わなければいけないものはどれだろうと思い始め、何ひとつ欲しくならず、でも次々と商品が紹介され、だんだん意味も無く不安になることがある。

自分には、必要なものがどれくらいあるのだろう。
自分は、ほとんど欲しくないのに、なのにこんなにいっぱい引き取り手を求められているものがある。

そう考えて、そのうち、ぼんやりと思い始めることがある。

ぼくらは、必要とされているのだろうかって。

それは瞬間的なぼくだけの妄想だけど、引き取り先のない犬猫や欲しくならない新製品が世の中にあふれてしまってるような気に勝手になってしまうと、不意に、人も、なんの役割ももらえず、この世にあふれているような気がしてくる。

そうして、妙にいやーな気になってくる。

昔、飼い犬や飼い猫には役割があったように、
自分に役割があると思えるといういことは、
素朴に他人や社会に求められている存在ということになる。

それを実感して初めてぼくは安心できる。

それも、自分にだって出来る簡単な役割で求められるのが好い。
そんな単純な能力で日々を渡っていける世の中が、
どうも私には向いている。

それが、私の望む、明るい未来。
まぁ、私個人の取るに足らない与太話だけどね。
じゃなきゃ、年寄りのたわごと。
まぁそんなとこです。
どーぞ、お聞き流しを。

じゃ、奥さんまた明日。
今晩も美味しいご飯をつくってね!

解散!

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(15:58 嬉野)

嬉野

2008年11月21日(金)

おや、奥さん。
本日も嬉野でございますがね。

札幌地方、昨日雪が積もったでしょう。
だもんで寒くてさ、
今年の春先に仕舞ったダウンジャケットをね、
引っ張り出して着てみたらあんた、
ポケットから二千円出てきて、おらぁ昨日は喜んだね。

いやまぁ、なんも儲けちゃいないんだろうけどね、
だろうけどさ、
でも、そこは素朴に、えらく儲かった気がしたのさ。
バカだねぇ人間てなぁね。

でも、気分よかったの(笑)。

ということでね、
本日はですよ、
藤やんひとり出張に出ましたものですからね、
本日も私めが書くことになるんでありますよ。
大丈夫ですか奥さん(笑)。

まぁある程度はこの段階で観念してくださいな。

さて、
うちの制作部長に福屋渉(わたる)さんという方がおられましてね。まぁここでもちょくちょく話題にさせてもらっておりますからね、御存知の方も多かろうと思いますし、「激闘!西表島」の寝釣りの晩に、ひとり浮き釣りをしていた声だけの人としても既に有名な方でございます。

この方の御実家が酪農家でね。
福屋制作部長は、小さい頃からたくさんの牛の世話をしていたそうでございますよ。

まぁこのね、ふつう我々、生き物の世話といえば犬猫止まりですが、この方は御実家の家業が酪農ですから、世話といえば牛ということになりましてね、数も100頭くらいいたわけで。
犬猫だって100頭いたら騒ぎになりますから大変なものでございますが、わたるさんのおうちは牛が100頭。

ですが、そこは酪農の家ですから騒ぎにゃなりませんでね、家業になっているわけでございます。

わたるさんによりますとね、牛にもそれぞれ性格というものがあるらしく、100頭いても区別がつくんですよと申されておりましたね。

驚きですけど奥さんね、
酪農家は牛一頭一頭の世話をしますのでね、
エサだって一頭一頭の牛のコンディションに合わせて、その時々に分量も変えて餌場に出すんだそうです。

で、用意された各自の餌場に牛がきちんと行くかといえばそうじゃないそうで。

いえね、そこは人間と一緒で、決められた場所にきちんと行く牛もいるそうですが、中には、分かっているくせに、わざと間違えちゃった振りをして、ちゃっかりと一番エサの多いところへ行ってしまう牛もいるそうですよ。人も牛も一緒なのね。

そうかと思えばさぁ、ぼんやりしてて、テンポが他の牛より遅いもんだからね、いつも量の少ない餌場に追い込まれてしまう牛とかもね、いるそうで。なんだか牛の話で無いようで笑ってしまいそうになるんだけどね。

で、やっぱり、エサの量とか少しも気にせず、というか頭が回らず、なんでも好いから近いところにある餌場で呑気にムシャムシャ食ってるだけのやつとかね、いるそうです。

好いですね。牛それぞの風景というものもね。
そのどれもが可愛いものです。

まぁそういうことで、牛にだって要領の好いのがいたり、要領の悪いのがいたり、無頓着なやつがいたりと、それはまるで人間と変わるところが無いのだそうです。

そうやって日々牛たちを観察しているから、そのうちに、酪農家の子供たちも牛一頭一頭の固体としての性格を把握していくのだそうでございます。

だから牛の顔の違いも分かるようになるし、とうぜん各牛の名前だって自然と覚えるのだそうでございますよ。

まったく聞いてみないと分からんことが多いのが世間というものでございますよ奥さん。ねぇ。

さぁ、
そういう観察も日々行っておりますから、牛への同情や共感、そして反発、それはもういろいろ感じながら、日々の仕事を繰り返す。牛の性格だって日々変わる
ものではないから、あの野郎また間違えたふりして来やがったな、と思いつつも、要領のいい牛の食いっぷりを苦々しく見つめている。

したが奥さん、
そいつがある日、
いつも要領良く真っ先にくるそいつがね、
ある日、どうしたことか、四番手くらいで遅れて出てきたりする。

常ならぬというのはこういうことだね奥さん。

そこで酪農家の頭は事の異変に自然、反応することとなる。

なんかおかしいぞということで、そのいつもは要領の好いその牛を調べてみると、これが奥さん妊娠していることが分かったりするらしいのよ。ねぇ。
面白いねぇ。

でまぁ、そういう観察と発見の繰り返しが酪農家の日常仕事の中にはあるのだと、わたるさんは申されておりましたね。

実に興味深いです。

そのわたるさんに聞きましたの私。

で、結局酪農家の仕事っていうのは、牛の乳を搾って牛乳にして、それを売ってお金に換えて生活する、そういうことになりますか?とね。

したら、わたるさん言いました。
確かにそうですねと。
でも、大雑把に言えばそうであるけども、実際は事業だから、
儲けというものを常に考えなければならない。

つまり単純な話、儲けを多くするためには、まず牛乳の単価を上げるということを考えることが重要になる。

ではどうすれば単価を上げられるかというと、
牛乳の品質を上げる努力をするということになる。


は、どうすれば牛乳の品質を上げることが出来るかというと、血統の好い牛同士を掛け合わせれば好いということになるらしく、そうであれば、まず、血統の好
い牛とはどんな牛なのかを調べ研究し、次にその牛がどこにいるのかを調査し、どうすれば手に入るかを調べ、その上で少しでも安い値段で手に入れようとする
ことになるので、自然と交渉術にも長けてくる。

酪農家の仕事って、だから日々の牛の世話が勿論メインだけれど、どうすれば限られた労働力のままで儲けを増やしていくか、これを同時に考えられる人でなければ酪農家で生きていくのは大変になるんですよと、わたるさんは申されておりましたね。

で、そのわたるさんは、結局、家業の酪農は継がず、街へ出てテレビマンになるわけです。

わたるさんは言うのです、
ぼくは、尊敬できる人としか仕事をしたくないんですと、
とにかく、仕事をするなら長くお付き合いの出来る人としたい。
だって、その人と仕事するということは、その人を食わせて行くことだし、その人の後ろにはその人の家族もいるし、その家族だって食わせていくことにつながるのだからと。

私は、わたるさんから、そんな話を聞いて、仕事でつながりを作るということが、その人を食わせていくのだというイメージに無理なく繋がる福屋渉という人の思考回路に軽い眩暈のような驚きを覚えました。

そのわたるさんが、家業の酪農を継がず家を出たのは、悩んだ末のことだったようです。自分がこの家業を継ぐということは、とりもなおさず牛100頭の面倒をみること。
自分に牛100頭の世話を終生続けることが出来るだろうか。
毎日食べさせて、体を拭いてやって、しっかり面倒をみないと牛を死なせることになる。

おそらく、少年時代のわたるさんのイメージの中で、追いすがるような目をわたるさんに寄せたまま、ばたばたと死んでいく牛の姿というものがあったのではないでしょうか。

その脅迫的ともいえる観念に追い詰められながらわたるさんは育って来た。

そして、自分は、牛の世話に自分の人生をささげることが出来るのだろうかと、日常的にぼんやりと、しかしキリキリと悩んでいたのではないでしょうか。

そんなわたるさんの苦悩を知ってか、ある日、弟さんが、家業を継ぐよと言って、わたるさんは、酪農の家をぽっかりと去る事になる。

子育てというものがありますが、
どんな子に育つか、
それは親の預かり知らぬことだと思えてなりません。

たった一人や二人の大人の考えだけで、人は育てられるものではないような気がするのです。もし、そんなことをしてしまえば、その子は、薄っぺらな人間にしかなれないような気がするのです。

人は自分の置かれた環境に追い詰められながら、追い詰められてはその状況を自分なりに乗り越え乗り越えしながら育っていくのではないでしょうか。
そして、追い詰められながら爆発的に考える。
そうしてその時、結果的に脳を鍛えている。
それは必死だからです。

多分そうだなぁと思います。
そうして個性というものは作られていく。

おそらく子供は、親の目の届かないところで育っているのです。

だから、わたるさんの性質というものは、牛と共に作り上げられたものだという気がします。

わたるさんの仕事振りを見ているとそう思えてなりません。

わたるさんは言いました。
自分は、結局、タレントやアーチストのみんなが牛に見えてしまうんだと。死なすわけには行かないと。食わせていかなければと思ってしまうんだと。

だからあの人は、あんなにもタレントやアーチストのみんなに慕われているのだなと、その時、私は俄かに合点が行きました。

付き合う人を生かそうとする。死なすわけにはいかないという脅迫観念が今もわたるさんを育てている。

そして、そのことは、ぼくに同じことをやれと言われても出来ないけれど、わたるさんは無理なく出来る。

それが、育ちというものだと思えるのです。

だからいろんな人がいる。

いろんな環境があるからね。

そしてその人の育ちが、いつどこで、どのように他人の役に立つのか、
それもまた分からない。

ただ、いろんな人がいる方が好い。
そして、なにより、そのことをし続けることに無理が無いというのがなにより好い。
自分の性質に合わないことは長続きはしない。
長続きする方向を自分で見つけて進むのが好い。

出来ることをやる。
出来なかったことは、出来る人が、あとでやってくれれば好い。

子供は親の目の届かない所で爆発的に育っている。
そのことを忘れてはいけないような気が、なんかするのでありますよ。

じゃ、今週はこれにて終わり。
また来週。

解散じゃ!

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(16:31 嬉野)

嬉野

2008年11月20日(木)

嬉野です。

先週末、熊本へ行ったあとにね、実家の佐賀へ寄りました。
うちのお母さん、右足が痛いといって急に歩行困難になりましてね、整形外科に入院しちゃったものですからね、寄りました。

したら、うちの母さん、足が痛くて大変そうでしたが、食欲もあり元気にしておりました。ま、病気じゃないんだからね、当たり前だね。

ただ、体力が落ちるのが心配な年頃でありますのでね、年が明けたら八十歳なんですよ。もうもう高齢。
ですから、ちょっと先行きが気になる嬉野さんではありますよ。

で、佐賀で三日ほどお見舞いをしましてね、昨日札幌に戻りましたらあなた、札幌は昨夜から雪が降り始めましてね、今朝、真っ白に積もりましたんでございますよ。
ねぇ奥さん、いよいよ冬でございます。

でまぁね、皆さん冬が来ましたね、ということをね、
ここで呑気に確認しつつ、後は思いつくままに書いていくばかりですが。

うーむ、どうなんでございますかねぇ、
このぉ、言葉というものね、
私たち日々むつかしげもなく当たり前に使って会話してますがね、いつでしたか、テレビに言語学者さんが出ておられましてねぇ。
その方がポロッと話されたわけですよ、

「人間は言葉に支配されて生きているんだ」と。

なんかそんなことを申されておりました。
どういうことなんでしょうかねぇ奥さん。

言葉は私らが使うものでしょう。
その使っているはずの言葉にね、実は使ってる私らのほうが支配されてるということなんですかねぇ。

その「支配されている」と、その学者の方が言われていた意味と言うのがね、その本当のところは分からないのですが、

でもね奥さん。

私は聞いた瞬間、私なりに分かるような気がしましたよ。
確かにぼくらは言葉に支配されているかもしれんなぁと。

例えばね、
ほれ、「可能性」という言葉がありますでしょう。
「可能性」というのは「伸ばす」ものと相場は決まっている。
なんでか分からんがそう決まってるわけですよ。
「可能性の芽を摘む」とかね、言いますから、
可能性の広がりを妨害することは悪いことというイメージが、なんだか考えるより前にすでにあるような気がする。
「可能性」には伸ばすものだと言う未来しかない。

そこにはきっと、
「可能性」というのは現実問題としてあまり訪れるものではないから、だからそんなめったに無い「可能性」があなたの前に現れたんなら、だったらそれは好い
ことに違いないだろうから、伸ばす方向でどんどん伸びるだけ伸ばしなさいというイメージをどうやら人間全員が持ってしまってる、そんな気がするわけでござ
いますよ奥さん。

さぁ。
ねぇ。
例によって何を言いたいのか言ってるのか分からない状況に踏み入ってまいりましたが、皆さん大丈夫でありましょうか(笑)。
いいんですよ奥さん。
この辺りでねぇ、よそのサイトへ行かれても、
ねぇ。すんません。
なにしろあなた、こっちは思いつくままに書いてるだけの行き当たりばったりですからね、どうせ結論なんか出ませんよ。

ねぇ、持ち時間の無い方は私なんかに付き合ってると危険です。
お暇な方と笑って済ますことがおできになる寛大な方のみ、こっから先はお付き合いくださいまし。

さて「可能性」の話。

例えば、老夫婦という男女がある。
お年寄り二人、数十年に渡る人生の風雪に絶えてね、
仲良く二人で老い先の短い人生をつましく生きている。
「仲良きことは美しきこと」みたいなものでございますから、はたで見ていても微笑ましい二人ですよ。

若い人だって思うでしょう。
「いいなぁ、私もあんなふうに仲良し夫婦で年を取っていきたいなぁ」なんてね、思うわけでございます。
私だってそう思う。

ところがここに「可能性」というものが現れる。

めったに無いことだけれど、
どちらかに。
例えば奥さんに、ある若い男性が心を寄せてしまう。
つまり老妻である奥さんは、ある日ひょんなことで若い素敵な男性と出会う。出会ってしまう。
普通だったら詐欺とかね、冗談だとかって思いがちだけども、
どうも本気でその素敵な若者は、老妻のことを好きになってしまった。ここで、この奥さんがその若者にまったく興味がなければなんの問題も起きないけれど、
その老妻である奥さんもその若者のことが好きになったら、つまり、そのような高齢で恋に落ちると言う新たな「可能性」が出てくる。

そうすると、その「可能性」の前には、その老夫婦は、もう仲良く残りわずかな余生を共に生きる二人ではいられなくなる。

ひょっとしたらね。
その老夫婦が仲むつまじい夫婦で居られたのは、双方に新たな恋の「可能性」がお互い意外に絶無だったからかもしれない。

まぁ奥さん、
これは極端なたとえであってね、
別にここで恋愛の本質を語っているわけではありませんのでね、その辺り引き算していただきながら読んでいただきたい。
頼みますよ。ねぇ。

えぇっとなんでしたっけ、
はいはい、「可能性」の話ですね。
そうでした。

つまり、「可能性」というのは、上にあげたようなことどもを考えるとね、必ずしも幸福ばかりを呼ぶものではないのかもしれないよ、と。そんなことだって考
えてみたってよいようなもんですが、「可能性」という言葉の前では、そういう発想それ自体を問答無用で禁止しているようなところがあるような気がします。

だから私らは、「可能性」という言葉を聞くと、
考えなしに、それはめったにないことだから伸ばしていくほうが好いですよ、ですよねぇ、まったくです、という発想に自動的になる。

言葉が私らにもたらすイメージには、
確かにそんな拘束力がある。

そんなこともね、私らが「言葉に支配されている」ことの一端のような気がして、その言語学者の人の発言が心に残ったと。
まぁそんなことでしたよ。

老妻にのみ訪れた「可能性」はね、
それを心ゆくまで伸ばすことによって、
老夫婦という共同体のバランスを大きく壊してしまうことになる。
まぁ、夫婦の問題は個人レベルの問題だから、それも人生ということで済ませそうだけどもね、社会というレベルで考えると、それでは済まないような気がする。

個別バラバラに訪れる「可能性」が、その人だけを豊かにするだけで終わるのではなくて、最終的には社会の構成員全員を幸福に出来る方向へ向かって伸びてい
く。そういう結論をみんなが目指そうとするならば、だったら、「可能性」は問答無用で伸ばすべきだと、そうなって初めて言えるんでねぇかなぁと、いうよう
な気が、そん時しましたのよ奥さん。

なんです?
だからどうしましたって?

ま、確かにね、
だからどうってことはねぇ、ないね。
それは、ないのよ。
ただね、なんだかそんなことを思いましたってだけのことなのよ。

はいはい。
すんませんでしたね。
どうでもいいことに長々つき合わせちゃってさ。

ね。
ということで、本日は終わろう。

じゃ、また明日。
解散!

明日はもう来てくんねぇかな?
好いじゃないのよ、来なさいよ。

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(18:58
嬉野

嬉野

2008年11月12日(水)

嬉野です。

先週出張で東京へ行ってましてね、
四日ほど滞在してましたよ奥さん。

東京には私も14年ほど前までいましたが、
いやぁあの頃とは比べ物にならんくらいにあなた、
交通網が張り巡らされちゃってて、いやはやもうもう、
どうにもこうにも便利になりましたねぇ東京は。

車なんか要りまっせんよねあの街は。

ですからあの日もわたしゃ地下鉄に乗っとりましてね、
ドアの脇に立っておりましたら、今にもドアが閉まりそうなタイミングで若いお母さんがベビーカーを押してね、乗ってきたわけですよ。

車内はわりと混んどりましてね、座ろうにも空席はない。
ベビーカーには一歳未満の男の子。
そのベビーカーを押すお母さんの後ろについてきたのは三歳くらいのお姉ちゃん。

お姉ちゃんは、きっと歩きつかれたんだねぇ、
お母さんを見上げながらべそをかきそうな顔でね、
お母さんのジーンズの裾を小さい手でひっぱりひっぱり何か言っている。
きっと「座りたいよ」と駄々をこねていたんだろう。

でも空席なんかどこにもない。
小さいお姉ちゃんはお母さんにたしなめられて、ますます顔をしかめてしまいました。

そうしたら今度はベビーカーの上で太平楽をこいていた小さい弟がキンキン声を上げるのです。

「ママー!ママー!」

手を伸ばしながら叫ぶのです。

「ママー!ママー!」


ぶけどね、いや、彼は間違いなく何かを強く要求しているのだと分かるのだけれどね、残念ながら彼の語威力は今のところ「ママー!」しかないらしく、でも
「ママー!」の意味はそのつど違うだろうということは誰の目にもあきらかなことでね、その彼の要求するものの意味は、そのつどお母さんが推量しなければな
らない。

その推量が当たるまで、
つまり自分の欲求が満たされるまで、
彼はベビーカーの中でぬくぬくとキンキン声を上げていられる身分なわけだね。

でもたった二つくらいしか違わないのに、
お姉ちゃんは、もう自分の足で歩かされて立たされてね、
で、疲れて座りたいよぉと駄々をこねると、お母さんに叱られて。だから仕方が無いから我慢しながら、歯を食いしばって立っている(笑)。

それなのに弟は、偉そうに主張ばかりしている。

そのことが幼心に腹が立つのだろうねぇ、
小さいお姉ちゃんは、「うるさい!」とばかりベビーカーの上の弟の胸を叩いてたね(笑)。
小さい可愛らしい手で。
その可愛らしい攻撃に対して、弟も声のデカさで応戦してた。

そしてお姉ちゃんがまたお母さんのジーンズの裾を引っ張って、こんどは半べそで哀願しながら「座りたい!」と騒ぎだす。
それに対抗するように弟は手をいっぱいに突き上げながら「ママー!」「ママー!」を繰り返す。
それがお姉ちゃんにはまたまた悔らしいらしい。

小さい二人は、それぞれにお母さんにこっちを向いて欲しくて、
おのれを主張しあっている。

それがなんだかね、脇で見てて微笑ましく、
うらやましく。

結局、弟はジュースの入った哺乳ビンを要求していたようで、
お母さんの手から、くだんの哺乳ビンが渡されると、よし!とばかりに食いついて、チューチュー吸い始めたものだから静かになる。

でもお姉ちゃんは立ったまま。
お姉ちゃんは、とうとう鼻水たらして泣き出して、
それでもお母さんのジーンズの裾に一所懸命つかまっておりました(笑)。

小さい二人に視線がいって、お母さんの顔は見ず。
まるでトムとジェリーを見るようなひと時でござんした。

あぁいう光景を見せてもらえるのは幸せです。
あの子達のお母さんとお父さんに感謝であります。
だって二人は、子供らしく育っていたもの。

いやぁ、好いものを見せていただきました。
きっとあのお姉ちゃんも、今頃はお母さんのそばで笑っているんだろうね。わたしゃ、そう思います。

そしてまぁ、弟に生まれた身の私としては、
あのお姉ちゃんに、ほんの少し、ごめんねと遅ればせながら言いたい気も、するのでございます(笑)。

ほんと下の子はずるいねぇ。

というね、ことで終わりですよ。

本日も解散!です!

【どうでしょうグッズ九州初上陸!】
11月12日から熊本は鶴屋百貨店さんで開催の「大道産子市」にHTBグッズショップが出店。HTB社員が売り場に参上いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

(19:14 嬉野)

嬉野

2008年11月10日(月)

嬉野です。

先週は、どうでしょう班、
「う」も「ふ」も揃って出張でありましてね、
皆さんにお愛想できません日が続きましたが、
お変わりなくお暮らしでありましたでしょうか。

札幌はねぇ。
もう日も短くなってね、
あっと言う間に夜になるからさぁ、
冬季うつ病ぎみになってくるのよね。
暗くなると意味も無く心が不安になるのよねぇ。
なりません?
わたしゃなるのよねぇ。

夏場にユーコン川に行った者としてはね、
一日中、日が暮れないことが意味も無く心に余裕を作るってのを知ってるっていうか経験したものだからね、日が短くなる冬の北海道が淋しいのはしょうがないってよく分かる。

日の暮れ方も九州とは30分くらい違うんじゃないだろうか。

北海道はさぁ、これから黒くて白い冬になるのよ。
今年の春も夏も秋も暑かったから、なんとなく冬を忘れていた気がします。

老眼が進行したうえ、遠視にもなったので、
わたしゃメガネが3本も必要になってしまいましたのよ奥さん。

ということで、
また明日からぼちぼちやってまいります。

じゃ、解散!

【どうでしょうグッズ九州初上陸!】
11月12日から熊本は鶴屋百貨店さんで開催の「大道産子市」にHTBグッズショップが出店。HTB社員が売り場に参上いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

(17:57 嬉野)

嬉野

2008年10月31日(金)

嬉野です。

おとといの夜は制作部の歓迎会で、
我が家にたどり着いたのが午前3時で、
さすがに昨日は眠くてね。
それでも「写真集2」の改定作業の大詰めで。
昨日の夜も帰るのが遅くなって、
今日もずいぶん眠いね。

でももう嬉野さんの作業は終わった。

1999年の秋。
まだ世間が20世紀だった頃。
水曜どうでしょうは、北欧へ行ってね、
「ヨーロッパリベンジ」というサブタイトルの企画を放送していた。前枠後枠は昔話シリーズで、「うさぎとカメ」もやった。
扮装は大泉さんがうさぎ。
ミスタさんがカメ。

9年前の枠撮りの日、高台公園の木々は鮮やかに紅葉していた。
撮影の合間に、カメの扮装をしたミスタさんが色づいたモミジの下に立ったのを見て望遠レンズで写真を撮った。

色づくモミジとカメの写真は「写真集2」に収めた。

昨日、なにげなく公園を横切ったら、
あの時のモミジがあの日のように赤く色づいていた。

モミジは言った。

「オレを覚えているかい?」と。

わたしは答えた、

「覚えているよ」と。

モミジは続けて言った、

「オレはあれからもずっとここに居たんだよ」と。

まぁ奥さんね。

んなことをモミジが言ったなんてなぁあんた、もちろん単なる思い付きだけどね。でもね奥さん、枝いっぱいに鮮やかに色づいた葉を広げたモミジに見とれた
時、あぁそう言えばこの木の下に昔、緑色のカメの扮装をしたあの人が立つという日があったのだなぁと、思い出してしまったことは本当なのよ。

想い出というものは、人をしみじみさせるねぇ。

ということで奥さんね、
つまんねぇと言われつつも、
本日は解散しますよ。

じゃあ、また来週!

【追伸】
北海道の諸君!
来週のクラシックは放送時間に変動があります!

●HTB11月5日放送の「水曜どうでしょうClassic」
(ジャングルリベンジ第2話)は、日本シリーズ第4戦中継延長の場合に備え、深夜0時10分〜の放送とさせていただきます。
ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。
(試合状況によってはさらに放送時間が繰り下がる可能性もございます。)

【どうでしょうグッズ九州初上陸!】
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(17:06 嬉野)

嬉野

2008年10月24日(金)

嬉野です。

今週は藤村先生と京都におりまして、
留守をしておりました。
あいすんません。

帰りました本日から、
また写真集2の改訂作業をいたしておりますので、
お愛想なしでございますが、本日はこれにて日記終了!

とりあえず我々は元気であります。
皆々さまも御健勝でこの週末を乗り越えられますよう!
気張られませぇい!

どんどん。

でもまぁ、気張れない方はそれなりで結構かと存知ます。
はい。

では解散!

(15:27
嬉野)

嬉野

2008年10月16日(木)

嬉野でございます。

えぇ、昨日ね、
日記で愚痴を言いましたよ。
ねぇ(笑)。

いや、でも奥さんねぇ。
いいねぇ、ここの日記って。

だって、みんなオレの愚痴聞いてくれんだよ。
さっき掲示板読んでオレ驚いちゃったもん。

だってすっかり励まされちゃってるもの、掲示板で、
わたしゃ(笑)。

「まぁまぁ嬉野さん」

なんつってなだめられてんだもん、掲示板で。
オレ、来年50なのに(笑)。
自分で笑っちゃったなぁ(笑)。

いやぁ、あんたら全員、おとなだわ。
いやぁ、あやまる。オレが小さい人間だった(笑)。

いやぁ、日本は好くなる。
間違いなく好くなる(笑)。

いやぁ参った。
すまんすまん、オレが小さかった(笑)。

と言うことでね、
おっさんはテレながら本日の日記を終わりますよ。

じゃ、また明日!

解散。

(18:33
嬉野)