嬉野

2009年1月29日(木)

嬉野です。

なんだか今日の札幌は気温が高くて春のようでガス。
道の雪が融けて流れて水びたし。

春近し、と言うには早し、まだ一月、でガス。

「でがすた!」

なんてな駄洒落を、
昔だれかがどうでしょうの中で言った気がする。
誰だ。
思い出せない。
うーむ気持ちが悪い。

だいたい何を何と駄洒落たのかすら思いだせない。

お。
そーだった。

壁に掛けられた絵を見て、コメントをつけることを強要されていた頃の大泉さんが、
ヨーロッパで、壁にあった絵画の額縁に記載してあった、
画家のドガのスペルを「デガス」と読み間違えて、

「デガス…、この絵はねぇ。でがすた!」

なんてなことを苦し紛れに言い放った時に言ったね。

…。

まぁ、だからどーだという話ですよ。

えぇ、えぇそーですよ。

ねぇ。
ということですから、
もうね、解散してください。

終了〜!

また明日ね。

明日も来るのよ、奥さん!
奥さん以外の人もよ!

(15:21 嬉野)

嬉野

1月26日月曜日ですよ。藤村ですよ。

昨年秋から作業を始めたDVD第11弾の作業が、やーっとのことでほぼ終わりを迎えております。

今週中には私の作業はすべて終了。内容をチェックしたあと、パナソニックさんに送られてDVD化されるという段取りであります。

皆様の手元に届くまでは、まだ少々お時間がかかると。

さて、先日お話をいたしました、今回のDVD第11弾のオープニングを飾るアニメーション。

主役はなんと嬉野先生。

日記ではずいぶん悟りを開いたようなことを書いておられますが、こちらのアニメでは大暴れ。

「嬉野だ!」

と叫んで登場するや、弊社のイメージキャラクターonちゃんを乱暴に殴りつけて帰っていくという、そんな内容の短いアニメ。

制作してくれたのは、「秘密結社鷹の爪団」などのフラッシュアニメを作っているFROGMAN(蛙男商会)。

彼の作る、実になんというか、明らかに「やっつけじゃねぇか!」みたいなアニメは、ほんとおもしろいですよ。

ほとんどの作業を彼ひとりでやり、声もひとりで何役もやる。

いい声してんだ、これが。

今回は、onちゃんのニセモノ「offちゃん」の声をFROGMAN。

onちゃんを私。

そして、正義の味方「嬉野さん」を、嬉野さんが演ずるという、そりゃぁもうテレビじゃできませんよ、ここだけですよ、という声優の布陣でお送りいたします。

いやでも、実際に社内で観た人たちにはバカ受け。

嬉野先生、いろんな意味でおそるべし。

ではまた明日。

藤村でした。

(19:51 藤村)

嬉野

2009年1月25日(日)

嬉野です。
長く生きているといろいろのことを思います。

昨年末だったか年始だったか、どこかの放送局の番組で、
どこやらの高僧が生前言われていたというお言葉を聞きましたら、百歳を越えるその高僧である老僧は言われましたね、

「わしは、悟りとは、いつ死んでも好い思えることやと思うておったが、それは間違いやった。死ぬことより、平気で生きることの方がよっぽど難しい。毎日、平気で生きることは、ほんまに難しい」

わたしゃね奥さん。
なるほどねぇと、思いましたよ。

「毎日平気で生きることは難しい」

やっぱりそうだったんですよ。

平気で生きることは難しいんですよ。
しかも毎日なんてあなた。ねぇ。

だって、わたしらは平気で笑ってる日もあるけれどね、
ふんふん♪と歌いたくなるように楽しい日もあるけれどね、
不意に思わぬ事態に踏み込んで、悩んでしまうことだってあるわけさ。
したら奥さん、そん時ゃへこんでへこんでね、
へこみすぎてそこから出て来れなかったら、もうもうそのまま憂鬱な日々を送るはめになるわけよ。

まったくもってままならんのが己の心ですよ。ねぇ奥さん。

いったい人の気持ちってなぁ、誰が操縦しているのでしょうね。
だって、自分のことだから自分の気持ちなんて自分でどうにでも出来そうなのに、自分ではどうにも出来ないのよ。

だから、毎日、平気で生きることは難しいのよ。

わたしらは、その難しいことを毎日やろうとしている。
だったら毎日は平気でいられないというのは当たり前のことなのよ。

だって百年以上も生きてきた人がそう言い切るんだもの。

百年生きる。

奥さん考えてごらよ。
そらもうそれだけで大変なことよね。

そういう人の話が聞ける。
それは、テレビを見てて好かったなと思う時よね。

じゃ、また明日。

(19:08
嬉野

嬉野

2009年1月19日(月)

嬉野です。

冬です。
まぁいちいち確認することも無い話ですが。

ですが、今は冬です。

「青春・朱夏・白秋・玄冬」

古代中国のおっさんが、このように四季を色でもって表現したという話でね。私が青年の頃になんかの本で読みましたよ。

ですから「青春」というのは若い頃の一時期を指して言うのではなくして、本来「春という季節は青でもってイメージしますよねぇ」と、古代中国のおっさんが何かに書いてね、世間の人に「そうですよねぇ、そうでしょ」と確認したということに過ぎない。

で、それを受け取って古代中国の世間の人も「まったくそうだよなぁ」と確認した。ま、したかどうかは知らんが。

白鳥は 悲しからずや 空の青 海の青にも 染まず 漂う

そんな風にね、かつて日本でも高名な詩人のおっさんがね、
歌を詠んだくらいだから、春は目に沁みるような真っ青な空と海に暖かに包まれる時節だね。
(これはまぁ、夏の描写だったかもしれんが)

夏は勿論、朱い太陽がじりじり照りつけてね、
世間が朝から朱色に見えそうな気がしますから異論なし。

ただ秋は、なんで白い秋なんですかねぇ。

木々の葉は紅く色づき、西日も赤いし。
北原白秋さんに聞けば分かるのでしょうかねぇ。

ひょっとして風の色なのかもしれない。
空も青く天高く、山は色づく実りの秋。
それでもそこに吹く風が変わる。
「その風がねぇ、白いですよねぇ」と古代中国のおっさんが…

なんです?

「あんたの推論は意味が無いから興味ない」?

まったくです。
その言葉を待っていたのであります奥さん。

とにかく行き先も無く碇を上げ、
帆を張ってしまいました本日の日記。

そもそも沖へ漕ぎ出すとて、向かうあてもありませんでしたので、奥様方の怒号を受けたを潮に、このあたりで浜へと引き返すといたしましょう!返しましょう。返しましょう。

さて、昨年末に冬至も過ぎまして、
夕方の4時には真っ暗な夜になっておりました札幌地方も、
この頃は幾分日が長くなってまいりました。

これからは日々、ただ日を送るごとに春に向かっていくばかり。
そんなふうに自らを励ましております今日この頃。

寒くて暗い北国に生活し、長くて重苦しい黒い黒い冬が通り過ぎるのをじっと待ちながら日を送る者にとっては、ただただ長閑な春の日の訪れることが無性に嬉しいということがあります。

重石が無くなる瞬間のその喜びだけは、
断じて失いたくないと、ぼくは北国に住むようになってから、思うようになって行ったのですよ奥さん。

なに?
よくわからない?
というか、どーでもいい?

はいはい。
おじゃましましてね。

さて、先週末市内某所で執り行いましたDVD副音声収録も滞りなく完了しまして。
今回は安田顕さんを特別ゲストにお招きして、興味尽きないお話の数々を収録。請う御期待!

解散!

無意味な日記ではあったが、こらえてくれ!
そしてまた明日もおいで。

そうそう、センター試験ご苦労様でしたね。
「試験に出る」の問題が今年も出たそうでね。
お喜びの方がおられましたよ。

「あなたの人生のお役に立つ 実用本位 水曜どうでしょう」

今年もよろしく!

(15:39 嬉野)

嬉野

嬉野です。

えぇ先ほどまで、私のやっつけのような日記がですねぇ、
なんと一週間近くもね、
世間様にさらしっぱなしになっておりまして。

たった今、慌てて取り込んだんでございますがね。
いやはやお恥ずかしいことで申し訳なし。

あれね、出しっぱなしになってたあの日記がね、
もう少し中身のある日記であればまだしもね、

「のうんりゃぁぬぅえやぁーッ!」

なんてなね、
意味の無い掛け声で終わってるようなろくでもないしろものがさぁ、寄りによって出しっぱなしになっちゃっててね、
あれでは、まるで取り込み忘れの洗濯物がさぁ、
雨ざらしのままびしょびしょになったところへ日が差してね、
埃もいっぱい飛んできて、排ガスで汚れて変に黒ずんで乾いちゃったタオルのような感じでお恥ずかしい限り。

なになに?
そういう回りくどい言い訳が、だいたいにしてメンドイ?

あぁなるほど、ねぇ。

そうですか。そうですか。
はいはい。
すんませんでしたね。

なに?
「はい」は一回?

あぁ、ねぇ。

ということでね、明日は某所でDVDの副音声が収録されます。
はたして今回の豪華ゲストは誰なのか!
気になるところ!

あぁ、あんまし気にならんか。
あぁ。

ということでね、本日は解散!

(15:53 嬉野)

嬉野

2008年1月8日(木)

嬉野です。

今日も皆さんお元気でしたか!
明日も陽気に平気に生き抜きましょう!

解散!

また明日!

のうんりゃぁぬぅえやぁーッ!

以上。

(18:51 嬉野)

嬉野

2009年1月5日(月)

嬉野です。
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いをいたします。

さて、皆様、新春2009年のお正月をいかにお過ごしでありましたでしょうか。
わたくしは、お正月の二日に温泉に行ってまいりましたよ。

したが奥さん、温泉といいましても市内にある銭湯でございますよ。
でもちゃんと温泉なのです。
歩いていくには遠いですが、我が家のそばまで無料送迎バスが来るのです。
うちの女房がその事実を発見いたしました。
だもんですから奥さん、
わたくしは、さっそくそのバスに乗ってね、
いざ初湯へと洒落込んだのでございますよ。

乗り込みますと車内はおじいさま、おばあさまで込み合っておりました。
やがて私もお仲間だなぁでございますよ。
誰だってやがて年を取る。
そのことが間違いのないことだと実感するまで、少なからず時間を要しましたが。
この頃はもう疑う余地は無い。
そんなこんなを思いながら椅子に座りますと、
バスは雪景色の道を動き始めたのでございます。

私が生まれ育った九州の実家には内湯がありましたのでね、
長いこと私は銭湯というものを知らぬままに育ってまいりました。


の頃は今のように日帰り温泉たらいう施設も世間には無く、実家の家業が寺でございましたから訪れる信者さんの手前、家を空けるわけにもいかぬということで
家族旅行もならず。ために温泉町に繰り出す機会にも恵まれぬまま、いつしか私は面識の無い他人の前で裸になり湯船を同じゅうして湯に浸かるという経験を持
たぬままハイティーンになってしまったのでございます。

あれは私が18の年でございました。
私は東京の親戚の住むアパートに厄介になっておったことがございました。
あの頃の東京にはお風呂の無い賃貸物件はざらでございました。
ですから、その親戚が住まいしますアパートにも当然のごとく風呂が無かった。
ほとんどの人がお金が無いから風呂付のアパートなんか借りなかったのでございます。
だからアパートは風呂無しトイレ共同の安い物件が主流でございましたよ。

なぁに、住まいに風呂が無くたって少しも困らないのでございます。
だって近所の夜道を少し歩けば銭湯がある。
それは江戸の昔から続く独身者の多かった東京の文化でもあったわけでございますからね。

だからということで、
私はその晩、一人で近くの銭湯へ出かけました。
あの頃は都心の夜道も物騒ではなく、繁華街へ出ない限りは東京の町に喧騒は無く、道ばたにヒキガエルもおりましたくらい。

さて、教えられた通りに歩くこと10分。
私は迷うことなく銭湯の前に出たのでございます。
だって奥さん銭湯の煙突は意外にデカくてね、遠くからも好い目印になるのよ。

それに、暗い町並みの中、銭湯の前だけには明かりがこぼれていましたしね。

上がり口で履物を脱いで木作りのロッカーに履物を入れました。
ガラガラと引き戸を開けると「いらっしゃい」と言うおばさんがおりました。
銭湯の番台に座るおばさんでございます。
その番台に小銭を置くとおばさんが何がしかの釣銭をくれました。
と、そこまでは私も、テレビの人気シリーズ「おかみさん。時間ですよ」で銭湯のシステムを学習しておりましたから堂々たるものでございます。

しだが奥さん、次の一歩を踏み出した時。
私は俄かに「はっ」としたのです。
だってそっから先どうすればいいかが分からないことに気づいたのです。

いや、番台で銭湯代は払った。それはもう払いました。
だからあとは裸になって湯に浸かるだけなの。
もちろんそう。そりゃ分かる。
でも奥さん。
私はいったいどこで着ているものを脱げばいいのでしょう。
そして脱いだものをどこに仕舞えば好いのでしょうか。
その場所が分からないぞ、と、思ってしまった瞬間に。
私は一人心中で、うろたえ始めたのでございます。

だって奥さん、周りの人間がびっくりするような所で脱ぎ出すわけにはいかんでしょ。

「ちょっ、お兄さん、あんたそんなとこで服を脱ぎ出したらまずいですよ」と言われるようなところで脱衣行為に移るわけにはいかない。
そんなことを思ってしまったわけでございます。
さぁ、こうなりますとバカのように私の頭の中はパニクってしまうわけで。

つーか、少し落ち着きゃ好いのです。
ためしにしばらくそこにぼうっと突っ立って、辺りの人間のやってることを観察すれば好いのです。

で、えぇ、しました。

したら皆さんロッカーの前で裸になってる。
あぁなるほど。ここで脱いで、して、このロッカーに脱いだもの入れれば好いんだ。
なぁんだ。と。
ようやく落ち着きを取り戻しまして手近のロッカーの取っ手に手をかけて開けようとしました。したが開かない。

開けようとして開かないというので、再び私は一人心中で激しくパニックに陥る。

「なんで開かないんだよ!」
動揺を隠しながらも力任せにガンガン取っ手を手前に引くのだけれど開く気配無し。

その時、木作りのロッカーの真ん中にステンレス板が貼ってあって、そこに「10」という数字があるのが目に入る。
しかも、その「10」と書かれた数字の上に細く横長に切れ込みがあるのが見えた。
「なんだ、ここに10円入れるのか」。

私はやっと合点がいったのでございます。

「それにしても」と、
私はおのれの落ち着きの無さを恥じ入りながらも、
「まったく東京というところは世知辛い。こんなところでも金を取るのかよ」
そう思い、一人前に舌打ちをしながら、財布を取り出しまして、このステンレスの切れ込みのところに10円玉を入れたのです。
で、泰然自若とした鷹揚さでもって取っ手を静かに手前に引こうとした。
したども、またもやガンとして戸は開かないのです。

「なんだこの野郎!金だけとって終わりってか!」
と、怒り心頭に発しまして、
つかんだ取っ手を力任せにがちゃがちゃやる。やるんだけどけど開かない。
その時、何気に横のロッカーが目に入る。
なんと開いてる。
しかも中は空。

「あれ…なにこの状態」
私は隣の開いてるロッカーの戸をパタンと閉める。
と、この隣のロッカーの戸の真ん中にも同じようにステンレスが張ってあって、
そこには「11」と書いてある。

「あら」
なんのことはない数字は料金表示ではなく、たんなるロッカーの通し番号。
見れば、ステンレスの切れ込みにはロッカーの鍵がささっている。
またしても私の早とちり。

「あぁ、ねぇ…」
私はここでようやくシステムの全てに合点が行き、ようやく脱衣すると、ここに衣服を仕舞い、パタンと戸を閉め、金属札の鍵を抜いて「10円損したけどまぁいいかぁ」てなことを思いながらエヘラエヘラと湯船へと向かったのでございます。

まっ
たくもって「何事にも先達はあらまほしきもの」とは、よくぞ言ったものよと思いながらもね、私は、初めての大きな湯船で面識の無い他人様と湯船を同じゅう
しながら、熱い湯に茹だっていく脳みそで、なんとなく都会人になったような気がして満足げな気分だったのでございます。ねぇ、懐かしい。

あ。
話はこの後にもう少しありましてね。
すっかり暖まって好い心持ちで湯から上がってまいりますとね、
なんと脱衣所がちょとした騒動になっているんですよ。

ロッカーの前で素っ裸の男の人が顔の血管浮かせながら顔を真っ赤にして怒鳴りまくってるんですよ。

「誰だ!こんないたずらするやつは!」なーんつって。

「あれ?どうしたんだろう。いったい何があったんだろう」。
「でも、それよりあの人はどうして服も着ないで裸のままで怒っているんだろう」。
「変な人だなぁ」てなことを思いながら、呑気に見てましたらね。
その人、どうも私のロッカーの隣の人らしくてね。
なんだかロッカーの鍵が壊れて開かないらしい。

「あれま、気の毒に」と思いながら
自分のロッカーの「11」の上の切れ込みのところにカギ札を差してね、
カチャっと言うまで押し込んだらロッカーの鍵が開いてね、ふたが開くもんだからさぁ、
「あれ。そういえばオレの10円」。
と、閃いた瞬間にね、瞬時にしてオレは状況を理解したね。

だって、お風呂屋のお兄さんがドライバーみたいなものをステンレスの切れ込みに入れてね、中に入ってる異物を取ろうとしてあせりまくってる風情なんだもの。

「あぁ、なるほど、あそこに10円入ってっから、そらカギささらないわ」
「あぁ、で、不本意ながらも裸で怒ってんだあの人。あぁ、ねぇ」と思いながらもね。
だからと言って、この納めようの無い愁嘆場で、
「お畏れながら、その儀は私めが」と名乗り出たところでね。
今更目出度くカギが開くわけもなく。おじさんの怒りが引くわけでもなく。
ただいたずらに叱られるばかりよなぁと思えた瞬間にね、
オラァ黙っておこうと決め込んだね。

あとは必死で動揺を隠しながら平然とした風でもって着替えをし終えてね、
走り出したいのを必死で堪えてね、出口の引き戸を閉めて靴を履くや否や、
おらぁ一目散に駆け出したよ奥さん。

だって、悪気は無かったんだもん。
いたずらじゃなかったんだもん。
ごめんよおじさん。
今頃もうあの人も70過ぎたろうなぁ。
お元気だろうか。
まさか、30数年経った今も、いまだにカギが開かず、あの風呂屋の脱衣所で裸のままということもないですよね。

あれから30数年。
時代は移り、世相は変わり。
東京の銭湯の数も減りつつあると聞きますが、
いかに、おじさん、息災であれ。
そして、どうぞいつまでも、お達者で。

あの時の若者も50の坂を上ろうとする年を迎え、
なにとぞ世のため人のためになりますようにと考えおる次第。
あなたのあの日のお怒りは静まらずとも、あの日の怒り無駄にはせじと精進潔斎の日々でございますことは天日の下に偽り無しでありまする。

ということでね、奥さん。

「何事にも先達はあらまほしきもの」。
で、ございますよと、強く、言っときますよ。

以上!
本日の日記終わり。
また明日!

解散!

(19:13 嬉野)

嬉野

2008年12月22日(月)

嬉野です。
本日は宣伝です!

5年前にHTBの社屋前に巨大なテント劇場を作って、
「水曜天幕團」第一回旗揚げ公演と銘打ちまして、
ナックスさんと芝居をやりました。

これは既に「蟹頭十郎太」のタイトルでDVDにもなりまして、
只今も相変わらず絶賛発売中なのです。(多分ね)。

これが今回、動画コンテンツにもなりまして、
本日22日よりHTBのホームページで配信開始なのであります。

もちろん有料でございます!
だもんで宣伝しておる次第!

で、どこで見ることができるのかと言いますと、
HTBのホームページに南平岸ユメミル広場というのがありましてね、そこで配信してます。はい。

なので、奥さん、そこに行ってみてね。

あれは、2003年の秋のことでしたね。
全国的な急ブレイクをはじめたばかりの、
どうでしょうだけで超有名だった大泉さんが、
初めて視聴者の目の前に生身の体をさらすという瞬間でもあり、
ほとんどの観客には初めての経験で劇場内は異様な興奮に包まれておりましたのを今も昨日のことのように覚えております。

奥さんも覚えてますでしょう。

でね、その舞台の模様を中継車でも収録しましたので、
その場限りの舞台が映像に残り、
その映像を基に、芝居の演出をした藤やんが、
もう一度編集しなおして渾身の芝居映像にしたものが、
今回配信します「水曜伝幕團・蟹頭十郎太」でございますよ。

普通はね、芝居の間を編集で勝手に変えてしまったら、芝居の演出家に怒られるでしょうけど、
うちの場合は、芝居の演出も映像の演出も同じ人間だったので、気の済むまで編集できたようでございます。

お忙しい年の瀬の合間に、また眠れぬ夜に、
あっと驚く2時間半の芝居に浸るのもまた楽しからずや。

以上!

ということでね、
本日は業務連絡のみなのよ奥さん!

では解散!

【DVD第11弾予約受付中!】
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12月15日予約開始!4月15日発売&受け渡し!

(14:58 嬉野)

嬉野

2008年12月19日(金)

嬉野です。
年の瀬ですね。
クリスマスまでは、ちょと、毎日ナイトバージョンで当日記のお寺周辺のね、雰囲気を出しまして、皆様方の目を喜ばそうかいなぁという趣向でございますのでね、どんどんおいでくださいませ。

てなことでね奥さんね。
今しがたふと思いつきましたがね。
野生動物なんてぇのは孤独に生きてますでしょ。

熊だってあなた深い山の中でただ一匹で行動してますでしょう。
蜂の巣を襲い蜂蜜を舐め、遡上してくる鮭を捕りですよ。
オスはとくに。子育て終わればメスだって一匹ですよ。

あれ寂しくはないんですかねぇ。

いや奥さん。とまぁ、そう思った瞬間にね。
寂しいって思うんだったら、獣は、はなから一匹になんかなりゃしないわなぁって、直ちに思い直しましたね私は。
そこを敢えて一匹で生きているわけですからそりゃ寂しくはないのだろう、微塵もね。
寂しいと感じる感覚がすでに無いのだと思うのです。

生まれたすぐは母親と暮らしているので、愛を知る可能性は勿論あったはずなのに、どこかで子別れの日が不意に来て、そこから先は一人きり。いや一匹だけ。

ごく内輪の話ですがね、うちの女房とバイクで旅をしておりますとね、日本中の道を走りますから、いろんな風景を見ることになってなんとも楽しい。

そんな風景の中でも、ひときわ気持ちが和むのが水田や畑の広がる初夏の風景。

中でも、タネがまかれる頃の畑の土。
これが黒々として、しかもふかふかで、いかにも気持ち好さそうに見えるのです。
もうもう、ただちにあそこへ行って寝転んでみたい。
ふかっとするだろうなぁ、そしてあの柔らかな黒々とした土は日の光をしこたま吸収して触れたらほんのり暖かいのだろうなぁと思うわけです。

見ているだけでそういうふうに思えてしまう土になっている。

それをしたのは人間なのです。
鍬を入れて、そういう土に変えたのは人なのです。

石ころだらけの自然の土を、そういう穏やかな土にしてしまう。
それこそが人間の仕業なのだと不意に思うときがあるのです。

そんな、人の手の入った畑の土の中で育てられ実る野菜と、石ころだらけの荒地に根付き自生する草では、その性格までがまるで違う気がする。
だから、そうやってよくよく思いつめていくと、ぼくら人間が心惹かれる自然の風景というものは、ひょっとすると人の手が入った自然なのではないのかな、という気がどこかでするのです。

初めから終わりまで天然自然のまま、人の手がまったく入らない原始の自然ではなく、
程よく手を入れた子飼いの自然。
手近にある自然は、そんな穏やかな子飼いの自然であって欲しいと、どこかで思う。

もちろん人が自然の厳しさから学ぶことは多い。
でも、その厳しさにあふれた自然の中だけで暮らすのは困難です。
だからその厳しい自然は遠くに眺めながら、子飼いの自然にして、そこで共に暮らす。
そういうことを昔から人はしてきたのではないでしょうか。

きっと人には、そうせずにはおれない欲求があるような気がするのです。

でなければ、ぼくらは依然として野生動物と同じように、今も単体で原野原始林の中で熊や狐のような生活を続けていたはずです。

土もしかり、植物もしかり。そして孤独を孤独とも思わず生きている野生動物も、手負いなどして人の世話になり、長く人に守られ交わり暮らしていくうちに、情が湧き、絆が深まり、離れがたくなる、そんなことがあるようです。

孤独を孤独とも感じず、原始の森で暮らしていた獣たちが、再び一匹に戻ることをためらい世話をしてくれた人間を懐かしいと思い、分かれることを悲しいと思うようになることがある。

本来、非情で荒々しい自然を、交わるうちに、穏やかで情の深いものにしてしまう。
それこそが人間だけが持つ特性、そしてそれこそが人間の本質なのではないかと、私はこっそり思ったりするわけですよ奥さん。

厳しいものを時間をかけて手をかけて、優しく従順なものに変えていく力を持つ者。
それが人間、とくにぼくら日本人なのではないかなと、不意に思ったな、という。

まぁ、それだけの話です。

厳しさだけが、好いわけではない。
手をかけ、熱心に熱心に耕し、タネを撒き、水をやり、世話をする。人に構われ、守られ、育てられ。すると空気をたくさん入れられ土の中の微生物も喜ぶのでしょう無機質であるはずの土すらも気性を変え穏やかになる。

そうして、そこに根付く植物たちも穏やかな土に守られ、人に守られ、手塩にかけて育てられ、
何くれと無く構われ、声を掛けられする長い時間の中で、人を好きになり、穏やかに柔らかく素直に実って行くのではなかろうかと、呑気に思ったという、まぁ、相変わらずのそういうたわごとでございますよ。どうぞお忘れください。

じゃ、奥さん、また来週。
今晩も栄養満点で腹をふくらせて寝るように。

それでは解散!

【DVD第11弾予約受付中!】
「桜前線捕獲大作戦」「十勝二十番勝負」「サイコロ5」の3本立て!豪華2枚組!
12月15日予約開始!4月15日発売&受け渡し!

(15:24 嬉野)

嬉野

2008年12月11日(木)

嬉野です。

出張終わりましてね、戻りましたですよ。

一週間ほどかけて日本を縦断した感がありましたが、
気温差がありすぎてましてね、汗ばむやら、冷え切るやら。
おかしな12月でありますよ。

ということでね奥さん。
本日より通常に復しましての日記更新でございますのでね、
常に増しての御ひいきのほど、お願いいたしますですよ。

じゃ、今日はこんなところで、また明日。

達者でな!

解散。

【DVD第11弾発売決定!】
「桜前線捕獲大作戦」「十勝二十番勝負」「サイコロ5」の3本立て!豪華2枚組!
12月15日予約開始!4月15日発売&受け渡し!

(14:05 嬉野)