2009年1月5日(月)

嬉野

2009年1月5日(月)

嬉野です。
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いをいたします。

さて、皆様、新春2009年のお正月をいかにお過ごしでありましたでしょうか。
わたくしは、お正月の二日に温泉に行ってまいりましたよ。

したが奥さん、温泉といいましても市内にある銭湯でございますよ。
でもちゃんと温泉なのです。
歩いていくには遠いですが、我が家のそばまで無料送迎バスが来るのです。
うちの女房がその事実を発見いたしました。
だもんですから奥さん、
わたくしは、さっそくそのバスに乗ってね、
いざ初湯へと洒落込んだのでございますよ。

乗り込みますと車内はおじいさま、おばあさまで込み合っておりました。
やがて私もお仲間だなぁでございますよ。
誰だってやがて年を取る。
そのことが間違いのないことだと実感するまで、少なからず時間を要しましたが。
この頃はもう疑う余地は無い。
そんなこんなを思いながら椅子に座りますと、
バスは雪景色の道を動き始めたのでございます。

私が生まれ育った九州の実家には内湯がありましたのでね、
長いこと私は銭湯というものを知らぬままに育ってまいりました。


の頃は今のように日帰り温泉たらいう施設も世間には無く、実家の家業が寺でございましたから訪れる信者さんの手前、家を空けるわけにもいかぬということで
家族旅行もならず。ために温泉町に繰り出す機会にも恵まれぬまま、いつしか私は面識の無い他人の前で裸になり湯船を同じゅうして湯に浸かるという経験を持
たぬままハイティーンになってしまったのでございます。

あれは私が18の年でございました。
私は東京の親戚の住むアパートに厄介になっておったことがございました。
あの頃の東京にはお風呂の無い賃貸物件はざらでございました。
ですから、その親戚が住まいしますアパートにも当然のごとく風呂が無かった。
ほとんどの人がお金が無いから風呂付のアパートなんか借りなかったのでございます。
だからアパートは風呂無しトイレ共同の安い物件が主流でございましたよ。

なぁに、住まいに風呂が無くたって少しも困らないのでございます。
だって近所の夜道を少し歩けば銭湯がある。
それは江戸の昔から続く独身者の多かった東京の文化でもあったわけでございますからね。

だからということで、
私はその晩、一人で近くの銭湯へ出かけました。
あの頃は都心の夜道も物騒ではなく、繁華街へ出ない限りは東京の町に喧騒は無く、道ばたにヒキガエルもおりましたくらい。

さて、教えられた通りに歩くこと10分。
私は迷うことなく銭湯の前に出たのでございます。
だって奥さん銭湯の煙突は意外にデカくてね、遠くからも好い目印になるのよ。

それに、暗い町並みの中、銭湯の前だけには明かりがこぼれていましたしね。

上がり口で履物を脱いで木作りのロッカーに履物を入れました。
ガラガラと引き戸を開けると「いらっしゃい」と言うおばさんがおりました。
銭湯の番台に座るおばさんでございます。
その番台に小銭を置くとおばさんが何がしかの釣銭をくれました。
と、そこまでは私も、テレビの人気シリーズ「おかみさん。時間ですよ」で銭湯のシステムを学習しておりましたから堂々たるものでございます。

しだが奥さん、次の一歩を踏み出した時。
私は俄かに「はっ」としたのです。
だってそっから先どうすればいいかが分からないことに気づいたのです。

いや、番台で銭湯代は払った。それはもう払いました。
だからあとは裸になって湯に浸かるだけなの。
もちろんそう。そりゃ分かる。
でも奥さん。
私はいったいどこで着ているものを脱げばいいのでしょう。
そして脱いだものをどこに仕舞えば好いのでしょうか。
その場所が分からないぞ、と、思ってしまった瞬間に。
私は一人心中で、うろたえ始めたのでございます。

だって奥さん、周りの人間がびっくりするような所で脱ぎ出すわけにはいかんでしょ。

「ちょっ、お兄さん、あんたそんなとこで服を脱ぎ出したらまずいですよ」と言われるようなところで脱衣行為に移るわけにはいかない。
そんなことを思ってしまったわけでございます。
さぁ、こうなりますとバカのように私の頭の中はパニクってしまうわけで。

つーか、少し落ち着きゃ好いのです。
ためしにしばらくそこにぼうっと突っ立って、辺りの人間のやってることを観察すれば好いのです。

で、えぇ、しました。

したら皆さんロッカーの前で裸になってる。
あぁなるほど。ここで脱いで、して、このロッカーに脱いだもの入れれば好いんだ。
なぁんだ。と。
ようやく落ち着きを取り戻しまして手近のロッカーの取っ手に手をかけて開けようとしました。したが開かない。

開けようとして開かないというので、再び私は一人心中で激しくパニックに陥る。

「なんで開かないんだよ!」
動揺を隠しながらも力任せにガンガン取っ手を手前に引くのだけれど開く気配無し。

その時、木作りのロッカーの真ん中にステンレス板が貼ってあって、そこに「10」という数字があるのが目に入る。
しかも、その「10」と書かれた数字の上に細く横長に切れ込みがあるのが見えた。
「なんだ、ここに10円入れるのか」。

私はやっと合点がいったのでございます。

「それにしても」と、
私はおのれの落ち着きの無さを恥じ入りながらも、
「まったく東京というところは世知辛い。こんなところでも金を取るのかよ」
そう思い、一人前に舌打ちをしながら、財布を取り出しまして、このステンレスの切れ込みのところに10円玉を入れたのです。
で、泰然自若とした鷹揚さでもって取っ手を静かに手前に引こうとした。
したども、またもやガンとして戸は開かないのです。

「なんだこの野郎!金だけとって終わりってか!」
と、怒り心頭に発しまして、
つかんだ取っ手を力任せにがちゃがちゃやる。やるんだけどけど開かない。
その時、何気に横のロッカーが目に入る。
なんと開いてる。
しかも中は空。

「あれ…なにこの状態」
私は隣の開いてるロッカーの戸をパタンと閉める。
と、この隣のロッカーの戸の真ん中にも同じようにステンレスが張ってあって、
そこには「11」と書いてある。

「あら」
なんのことはない数字は料金表示ではなく、たんなるロッカーの通し番号。
見れば、ステンレスの切れ込みにはロッカーの鍵がささっている。
またしても私の早とちり。

「あぁ、ねぇ…」
私はここでようやくシステムの全てに合点が行き、ようやく脱衣すると、ここに衣服を仕舞い、パタンと戸を閉め、金属札の鍵を抜いて「10円損したけどまぁいいかぁ」てなことを思いながらエヘラエヘラと湯船へと向かったのでございます。

まっ
たくもって「何事にも先達はあらまほしきもの」とは、よくぞ言ったものよと思いながらもね、私は、初めての大きな湯船で面識の無い他人様と湯船を同じゅう
しながら、熱い湯に茹だっていく脳みそで、なんとなく都会人になったような気がして満足げな気分だったのでございます。ねぇ、懐かしい。

あ。
話はこの後にもう少しありましてね。
すっかり暖まって好い心持ちで湯から上がってまいりますとね、
なんと脱衣所がちょとした騒動になっているんですよ。

ロッカーの前で素っ裸の男の人が顔の血管浮かせながら顔を真っ赤にして怒鳴りまくってるんですよ。

「誰だ!こんないたずらするやつは!」なーんつって。

「あれ?どうしたんだろう。いったい何があったんだろう」。
「でも、それよりあの人はどうして服も着ないで裸のままで怒っているんだろう」。
「変な人だなぁ」てなことを思いながら、呑気に見てましたらね。
その人、どうも私のロッカーの隣の人らしくてね。
なんだかロッカーの鍵が壊れて開かないらしい。

「あれま、気の毒に」と思いながら
自分のロッカーの「11」の上の切れ込みのところにカギ札を差してね、
カチャっと言うまで押し込んだらロッカーの鍵が開いてね、ふたが開くもんだからさぁ、
「あれ。そういえばオレの10円」。
と、閃いた瞬間にね、瞬時にしてオレは状況を理解したね。

だって、お風呂屋のお兄さんがドライバーみたいなものをステンレスの切れ込みに入れてね、中に入ってる異物を取ろうとしてあせりまくってる風情なんだもの。

「あぁ、なるほど、あそこに10円入ってっから、そらカギささらないわ」
「あぁ、で、不本意ながらも裸で怒ってんだあの人。あぁ、ねぇ」と思いながらもね。
だからと言って、この納めようの無い愁嘆場で、
「お畏れながら、その儀は私めが」と名乗り出たところでね。
今更目出度くカギが開くわけもなく。おじさんの怒りが引くわけでもなく。
ただいたずらに叱られるばかりよなぁと思えた瞬間にね、
オラァ黙っておこうと決め込んだね。

あとは必死で動揺を隠しながら平然とした風でもって着替えをし終えてね、
走り出したいのを必死で堪えてね、出口の引き戸を閉めて靴を履くや否や、
おらぁ一目散に駆け出したよ奥さん。

だって、悪気は無かったんだもん。
いたずらじゃなかったんだもん。
ごめんよおじさん。
今頃もうあの人も70過ぎたろうなぁ。
お元気だろうか。
まさか、30数年経った今も、いまだにカギが開かず、あの風呂屋の脱衣所で裸のままということもないですよね。

あれから30数年。
時代は移り、世相は変わり。
東京の銭湯の数も減りつつあると聞きますが、
いかに、おじさん、息災であれ。
そして、どうぞいつまでも、お達者で。

あの時の若者も50の坂を上ろうとする年を迎え、
なにとぞ世のため人のためになりますようにと考えおる次第。
あなたのあの日のお怒りは静まらずとも、あの日の怒り無駄にはせじと精進潔斎の日々でございますことは天日の下に偽り無しでありまする。

ということでね、奥さん。

「何事にも先達はあらまほしきもの」。
で、ございますよと、強く、言っときますよ。

以上!
本日の日記終わり。
また明日!

解散!

(19:13 嬉野)