2009年5月25日(月)
嬉野です。
あれから女房はいまだに旅の空である。
それでも毎日、朝に夕にメールだけはくれる。
心配するなと女房は亭主に言うのである。
「今、喜界島にいるの」。
「さっきね、札幌から来たの!そう言って追い越した車から手を振る人がいたよ」。
「今、鹿児島へ向かう船の中」。
「今、阿蘇にいる。雲海を見てる。
「雲海が割れて、不意に下界の水田が見えたら、
「朝日を反射して水を張った一面の水田が大きな鏡のように光ったの。
「今、高松にいるよ。讃岐うどんがおいしい」。
「明日の人吉の天気は?明日の鳥取の天気は?」
「雨が降ってきた」。
「もうキャンプ場に着いた。一杯やってる」。
テレビより面白いかも知れない。
そう思う。
ツーリングライダーというのは、なにも家の女房だけのことではない。
世上に、たんといるのである。
そのライダーたちが、気温の上昇とともに、居ても立ってもいられなくなり、
二輪車にまたがり発動し、この日本のあちこちを走る。
一人で居る時間が無いとやっていけない連中のようである。
幾日も幾日も走っていては、働く時間もなかろうから、いきおい金も無い連中である。
だからツーリングライダーは、どいつも倹約家であるらしい。
どれだけ、旅を安く上げたか、どれだけお金を使わずに旅をしたか。
苦労自慢で盛り上がれるのがツーリングライダーの人生である。
いや、事実。人として面白いことは苦労話の中にあるのかもしれない。
温泉好きの女房は、そうして旅をするうちに、雨の日は屋根を求めて宿を探す。
雨の中で、濡れながらテントを張るのは悲しい。
雨の中で、濡れながらテントをたたむのも悲しい。
だから、雨が降ったら屋根のあるところを求めるようになったそうである。
そんな時、女房がめぐり合ったのが温泉町の湯治宿。
湯治宿には自炊部がある。
湯治。
転地療養のために温泉場に長居をするのである。
長居しながら温泉の湯に浸かるのだ。
朝な夕なに湯に浸かる。それが仕事。それだけが仕事。
そうして医者から見離された病と向き合う。
いやいや、昔は医者にかかる金も無かった。
そういう時代があったのだ。
だから庶民は温泉の湯に浸かった。
「あたしはねぇ、ここのお湯でこの足の痛みが引いたのさ」
「この湯があるからあたしは生きていけるのよ」
湯治場は病気自慢でもある。
農閑期に、疲れた身体を休めるために湯治宿に繰り出す人も居る。
そうして自分で炊事をしながら日を暮らす。
そのために今でも湯治宿の宿泊費は安い。
一泊、千円。千五百円。二千円。二千五百円。
格安である。
そんな結構な格安の宿だが、近年利用者が少ない。
確かに不倫相手と行くようなロマンスな風情はなかろうからね。
たまには豪華な気分に浸りたい人が勇んで家族で行くところでもなかろうさ。
たまの休みだから、奮発して趣のある豪華な温泉宿で日ごろの疲れを発散したい人が目指して行くところでもないからね。
いつの間にかそんな人が主流の時代になり、
湯治宿は利用者が減って、もうずいぶんと日が経つのだ。
そこで女房はひとり夢想するのだ。
ツーリングライダーが日本中にある湯治宿の常連客となり、
湯治宿に宿泊する事で金を落とし、それが結果として日本の湯治文化を残すことになれば好いなぁと。温泉好きの女房は、ひとり夢想するのだという。
でもって、知り合いのライダーに、知り合いのライダーにと口コミで情報を流しているようだ。そして、事実、ぽつぽつと、湯治宿に若い泊り客が来るようになり、宿の主人や女将が喜ぶという状況もあるという。
電力危機がこの先、いつ訪れぬとも限らない。
パソコンだって電気があるうちのことである。
だから鉛筆には、この先もずっと存在し続けて欲しいのである。
そのためには、鉛筆の生産が商売にならなければならないということである。
それを鉛筆会社の人たちだけの苦労として強いるのも恐縮である。
電気が無くても、鉛筆は活躍する。ノートも紙も活躍する。
インクも、ペンも、筆も、墨も、墨汁も、
ぜんぶ電気がなくても活躍し書き物が出来る、場所を選ばぬ道具なのである。
これぞハイテク。
必ずしも膨大な電力に裏付けられた、今の生活レベルを持ちこたえさせるばかりが、ぼくらの未来ではないだろう。
東北へ行き朝市に身を置くたびに心が安らぐのは、そこに無理を感じないからである。
続けていくためには、無理を感じていてはいけないのである。
日本には、これまでの時代時代に培われてきた好い物がたくさんある。
でも、それは、使わなければ、利用しなければ、遠からず無くなるのである。
この今の日本に、どれだけ、忘れられようとしている好い物があるのか。
知ることがあれば興味もわき、利用してみたいと思う人は、案外たんといるのだと、ぼくは思うのである。
そう思えば、今この時点でも、日本中に、価値は多様にあるのである。
その多様な価値に向けて、富と人を分散すれば、多様な価値は今のままに回していけるのである。そうして、多様な文化は、かろうじて残されていくのである。
そうすれば、私らだって、生活の選択の幅が広がり、身の置き場も多様に用意されるのではなかろうかと、いうのである。
この世には、多様に人が暮らしているのだから。
それぞれに合った場が必要なのだということだと、わたしゃ思うね。
というね、ことですよ奥さん。
じゃ、そういうことでね。
明日から二日ばかし出張ですからお留守ですが、
どうぞみなさん健吾であらせられませ。
解散。
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(16:23 嬉野)