2008年11月20日(木)
2008年11月20日(木)
嬉野です。
先週末、熊本へ行ったあとにね、実家の佐賀へ寄りました。
うちのお母さん、右足が痛いといって急に歩行困難になりましてね、整形外科に入院しちゃったものですからね、寄りました。
したら、うちの母さん、足が痛くて大変そうでしたが、食欲もあり元気にしておりました。ま、病気じゃないんだからね、当たり前だね。
ただ、体力が落ちるのが心配な年頃でありますのでね、年が明けたら八十歳なんですよ。もうもう高齢。
ですから、ちょっと先行きが気になる嬉野さんではありますよ。
で、佐賀で三日ほどお見舞いをしましてね、昨日札幌に戻りましたらあなた、札幌は昨夜から雪が降り始めましてね、今朝、真っ白に積もりましたんでございますよ。
ねぇ奥さん、いよいよ冬でございます。
でまぁね、皆さん冬が来ましたね、ということをね、
ここで呑気に確認しつつ、後は思いつくままに書いていくばかりですが。
うーむ、どうなんでございますかねぇ、
このぉ、言葉というものね、
私たち日々むつかしげもなく当たり前に使って会話してますがね、いつでしたか、テレビに言語学者さんが出ておられましてねぇ。
その方がポロッと話されたわけですよ、
「人間は言葉に支配されて生きているんだ」と。
なんかそんなことを申されておりました。
どういうことなんでしょうかねぇ奥さん。
言葉は私らが使うものでしょう。
その使っているはずの言葉にね、実は使ってる私らのほうが支配されてるということなんですかねぇ。
その「支配されている」と、その学者の方が言われていた意味と言うのがね、その本当のところは分からないのですが、
でもね奥さん。
私は聞いた瞬間、私なりに分かるような気がしましたよ。
確かにぼくらは言葉に支配されているかもしれんなぁと。
例えばね、
ほれ、「可能性」という言葉がありますでしょう。
「可能性」というのは「伸ばす」ものと相場は決まっている。
なんでか分からんがそう決まってるわけですよ。
「可能性の芽を摘む」とかね、言いますから、
可能性の広がりを妨害することは悪いことというイメージが、なんだか考えるより前にすでにあるような気がする。
「可能性」には伸ばすものだと言う未来しかない。
そこにはきっと、
「可能性」というのは現実問題としてあまり訪れるものではないから、だからそんなめったに無い「可能性」があなたの前に現れたんなら、だったらそれは好い
ことに違いないだろうから、伸ばす方向でどんどん伸びるだけ伸ばしなさいというイメージをどうやら人間全員が持ってしまってる、そんな気がするわけでござ
いますよ奥さん。
さぁ。
ねぇ。
例によって何を言いたいのか言ってるのか分からない状況に踏み入ってまいりましたが、皆さん大丈夫でありましょうか(笑)。
いいんですよ奥さん。
この辺りでねぇ、よそのサイトへ行かれても、
ねぇ。すんません。
なにしろあなた、こっちは思いつくままに書いてるだけの行き当たりばったりですからね、どうせ結論なんか出ませんよ。
ねぇ、持ち時間の無い方は私なんかに付き合ってると危険です。
お暇な方と笑って済ますことがおできになる寛大な方のみ、こっから先はお付き合いくださいまし。
さて「可能性」の話。
例えば、老夫婦という男女がある。
お年寄り二人、数十年に渡る人生の風雪に絶えてね、
仲良く二人で老い先の短い人生をつましく生きている。
「仲良きことは美しきこと」みたいなものでございますから、はたで見ていても微笑ましい二人ですよ。
若い人だって思うでしょう。
「いいなぁ、私もあんなふうに仲良し夫婦で年を取っていきたいなぁ」なんてね、思うわけでございます。
私だってそう思う。
ところがここに「可能性」というものが現れる。
めったに無いことだけれど、
どちらかに。
例えば奥さんに、ある若い男性が心を寄せてしまう。
つまり老妻である奥さんは、ある日ひょんなことで若い素敵な男性と出会う。出会ってしまう。
普通だったら詐欺とかね、冗談だとかって思いがちだけども、
どうも本気でその素敵な若者は、老妻のことを好きになってしまった。ここで、この奥さんがその若者にまったく興味がなければなんの問題も起きないけれど、
その老妻である奥さんもその若者のことが好きになったら、つまり、そのような高齢で恋に落ちると言う新たな「可能性」が出てくる。
そうすると、その「可能性」の前には、その老夫婦は、もう仲良く残りわずかな余生を共に生きる二人ではいられなくなる。
ひょっとしたらね。
その老夫婦が仲むつまじい夫婦で居られたのは、双方に新たな恋の「可能性」がお互い意外に絶無だったからかもしれない。
まぁ奥さん、
これは極端なたとえであってね、
別にここで恋愛の本質を語っているわけではありませんのでね、その辺り引き算していただきながら読んでいただきたい。
頼みますよ。ねぇ。
えぇっとなんでしたっけ、
はいはい、「可能性」の話ですね。
そうでした。
つまり、「可能性」というのは、上にあげたようなことどもを考えるとね、必ずしも幸福ばかりを呼ぶものではないのかもしれないよ、と。そんなことだって考
えてみたってよいようなもんですが、「可能性」という言葉の前では、そういう発想それ自体を問答無用で禁止しているようなところがあるような気がします。
だから私らは、「可能性」という言葉を聞くと、
考えなしに、それはめったにないことだから伸ばしていくほうが好いですよ、ですよねぇ、まったくです、という発想に自動的になる。
言葉が私らにもたらすイメージには、
確かにそんな拘束力がある。
そんなこともね、私らが「言葉に支配されている」ことの一端のような気がして、その言語学者の人の発言が心に残ったと。
まぁそんなことでしたよ。
老妻にのみ訪れた「可能性」はね、
それを心ゆくまで伸ばすことによって、
老夫婦という共同体のバランスを大きく壊してしまうことになる。
まぁ、夫婦の問題は個人レベルの問題だから、それも人生ということで済ませそうだけどもね、社会というレベルで考えると、それでは済まないような気がする。
個別バラバラに訪れる「可能性」が、その人だけを豊かにするだけで終わるのではなくて、最終的には社会の構成員全員を幸福に出来る方向へ向かって伸びてい
く。そういう結論をみんなが目指そうとするならば、だったら、「可能性」は問答無用で伸ばすべきだと、そうなって初めて言えるんでねぇかなぁと、いうよう
な気が、そん時しましたのよ奥さん。
なんです?
だからどうしましたって?
ま、確かにね、
だからどうってことはねぇ、ないね。
それは、ないのよ。
ただね、なんだかそんなことを思いましたってだけのことなのよ。
はいはい。
すんませんでしたね。
どうでもいいことに長々つき合わせちゃってさ。
ね。
ということで、本日は終わろう。
じゃ、また明日。
解散!
明日はもう来てくんねぇかな?
好いじゃないのよ、来なさいよ。
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嬉野
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