2008年9月24日(水)

002-嬉野

2008年9月24日(水)

嬉野です。

手相というものがありますな。
あたるも八卦、あたらぬも八卦だそうで、
いや、私も手相はそういうものだと思います。
それでいいのだと思うのです。

「運命なんて自分で築くものだから、
手相なんか迷信ですよ」。

それで好いのです。
人はいろいろに思想信条を持っておりますしね、
許せたり許せなかったりする想いがあるわけです。

それでも不思議なものというのは時に大事なものです。
私はそう思います。
そして、そういう時、入り口はとても大事なのです。
たとえば夜更けの街角に立つ手相見は、
そういう入り口となるのです。

科学的な根拠が無いから、非科学的なものは撲滅する。
そういう情熱はあまり意味が無いように思います。

なぜならね、
人の心の動きというのはさ、
その時々のコンディションで、
どうしようもなく変動するものですよ。
ふらふらと。

人生が上手くいかないとか、
頑張ってるのに芽が出ないとか、
小さい頃からずっと自分の思うようにならないとかね、
ちっとも就職が決まらないとか、
他人や世間と上手くいかないことが続いてね、
どこか心が弱っている時に、(まぁ飲み会のあとの冷やかしということもあるでしょうけどね)
夜更けの繁華街に、
手相見が出ていたら、
ふらっと寄って見て貰うという事もあるかもしれない。

そういう時のために、
あぁいうものは残しておいたが好いのです。

立場が変われば威勢のよかった気持ちも萎えるものです。
萎えた気持ちも不意に元気になったりするものです。
好い時ばかりではないし、
悪い時ばかりでもないということです。

私は手相見に見てもらったことは無いけれど、
縁ある人に手相を見てやろうといわれたことがあります。

「好い手相ですね」と、

その人は言ってくれました。

私の手相を見てくれたその人も、

「実は私も手相を見る人に、好い手相だって言われましたけど」

「ほう。」私はその人に問いかけました。
「それで、暮らし向きは良くなりましたか?」

その問い掛けを受けて、
その人は、顔の前で手を振って、笑いながら話してくれました、

「いや。現実はなんもかわりませんね(笑)。いっこうに暮らしは豊かになりませんし、相変わらず必死に生活しなきゃいけない状況はかわりません(笑)」

「じゃぁ、ぼくの手相が好いっていったって御利益は無いわけじゃないですか(笑)」

そのぼくの言葉に、その人は照れくさそうな顔で恐縮していました。

でも、私は、その人を見ながら、
その人の分かりやすい人の良さが可笑しくてなりまませんでした。

そして、その人を見ながら、

「やっぱり、手相というものはあたるのかも知れない」

と、思ったのです。

その人の暮らし向きがどうであれ、
この人は、きっと好い人生を送っているのだろうと思えたからです。

好い手相。
それは、その人がこの世で成功するとかしないとか言うことではなく、なるほど、その人が、「まっとうな人である」ということなんだなとその時生まれて初めて合点がいきました。

「好い手相ですね」

その人が言ってくれた言葉を、
私は信じようと思いました(笑)。

ではまた明日。

解散でござる

(19:52
嬉野)