2011年12月12日(月)

嬉野

2011年12月12日(月)
嬉野です。
水曜どうでしょうを始めたのは、1996年でしたから、
もう15年の時間がここに横たわっているわけでね。
でも、そうかといって、
振り返るとそんなに時間が経過している気がしない。
15年という時間は、生まれたばかりの赤ん坊が、
中学三年生になってしまうという時間ですから、
膨大なもののはずですが、
大人にとって15年前というのは、
さほど昔のことではない。
ということは、大人の私にとっては、
この先、15年後というのも、
きっとあっという間なのだと思うのです。
先ごろ、脚本家の市川森一さんが亡くなられましたが、
70歳だときいています。
70歳といえば、かつては「古希」と言っていたそうで、
「70歳まで生きることは、古来、希(まれ)なこと」だった
そうで、ですから「古希の祝い」などをするのだそうです。
その70歳まで生きるのは「古来、希なり」という感覚が、
今また戻ってきたのかもしれませんね。
男子の寿命も、この頃は、70歳の峠を越せないことの方が多くなってきたように思えるのです。
70歳の坂を越えれば、
その先は1年1年無事であることを喜ぶ時間に入ることになるのかもしれない。
そうして、みんな、いつか死を体験することになる。
私にとっても、
自分終了のチャイムが鳴るのは、
もう、SF的時間領域の果てにあるものではないのだなぁ、
というのが、漠然とながらも実感としてうすぼんやりとある、
今日この頃です。
こういうことを書くと、昔から、
「なにか悩み事があるのではないですか?」
「どうやら最近元気がないのですね?」と、
必ず心配されるかたがおられますが、
こういうことを書くのは、自分に必ず死が訪れるということが、リアルに思えてきたとき、そのリアルが、とても不思議に思えるからなのです。
そのことが不思議だし、でも、身に迫るという実感もある。
そのことの不思議をなんだろうと思い、
共有したいという欲求の表れだとおもうのですね、
こういうことを書くのは。
死は遠いものではないはずなのですが、
語ることは好まれないもののようです。
だから死と危険は遠ざけられて、
話題にもされないこととなっている。
そしていつの間にか、自分と自分の生きている領域と、
危険やら死やらは、関係の無いもののように刷り込まれる。
そうだからこそ、ぼくは、
自分に死が訪れるのだということが、
リアルに感じられるに従い、
そのリアルが不思議に現実離れしたことのように思えてしまう。
しかし、死が遠いものでないと知るからこそ、
この先の生が、少しでも穏やかであることを祈る、
そんな気持ちにもなるのだと思うのです。
この掲示板に毎日のように書き込んでくれていて、
ある日を境に書き込めなくなったそのことを、
書き込めなくなってしまった人も、
おられるのだろうと思うのです。
この先に、どんな時代が待ち受けているかは分かりませんが、
きっと、それほどぱっとしたものではないだろうと、
多くの方が漠然と思われていることでしょうが、
どんな時代の風にあおられようと、
最後まで、爆笑はしていきたいものだと思います。
それでは諸氏。
いかなる状況にあろうとも、
本日も諸氏の持ち場で爆笑しながら奮闘いたされますよう、
願いあげ奉ります。
解散。
また明日、来るのよ。
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【12月7日水曜日ノ日記】
1週間ほど留守をしておりました。藤村でございます。
昨日の嬉野日記にありました通り、我々は、京都の劇団「ヨーロッパ企画」の演出家・上田くんと地味な男役者連中8人とで、札幌のスタジオにこもり、短編作品を撮影しておりました。
「短編作品」・・・という言い方が正しいのか、それとも「バカバカしい小芝居」というのか、「コントじみた芝居」というのか、とにかく「笑えるモノ」を作っておりました。
我々とヨーロッパ企画との付き合いは、もう5年ほどになりますでしょうか。彼らの芝居を初めて観に行ったときに、彼らが醸し出している「笑いの方向性」というのが、「自分にとても近しいものだ」と感じたんです。
「えっ?そんな小さいとこにスポットを当てんの!」みたいな。
「いやいや!そこ行く?」みたいな。
テーマに一直線に進むのではなく、そこに行くまでの道程に散りばめられた「些細な右往左往にこそ面白さがある」、という。
そんなヨーロッパ企画の連中となんか作りたい、という思いがここ数年ずっとありまして。でもそれは「どうでしょうみたいなバラエティー番組を一緒にやるとか、そういうことではないなぁ」と思いつつ、「じゃあ何をやれば彼らの面白さが人に伝わるだろう?」とずっと考えてて・・・。
ヨーロッパ企画は、いわゆる「本公演」と言われる長尺のお芝居のほかに、イベントなんかで披露する5分とか20分とか、少し力を抜いた感じの小さな芝居も作っておりまして。で、実は、「そんな短い芝居にこそ彼らの笑いの方向性というのが凝縮されている」ということがわかったんです。
例えばね、こんな短編の芝居がありました。
放課後、学校の職員室で先生たちが寄り集まってなにごとか相談している。来週に迫った体育祭、男子生徒61人が全員出場する組体操の最大の見せ場は「人間ピラミッド」。4段のピラミッドを作るなら、10人の生徒でひとつのピラミッドを作って、それが6つできる。でも、それじゃあ生徒がひとり余ってしまう。5段のピラミッドなら、15人で4つ。いやいやこれもやっぱり、ひとり余ってしまう。どうしましょう・・・保護者の手前、ひとりだけ余ってしまうのはまずいでしょう・・・みたいな話を先生たちが延々と話し合うという「苦悩のピラミッダー」という20分ほどのお芝居。
バカバカしいです。あまりにもテーマが小さい。しかし、たまらなく面白い。
もうひとつ、こんなのもあります。
テレビの情報番組で紹介された美味しいカレーパンのお店。そこに行列を作って並ぶ人たち。でも、ひょんなことから、その行列がふたつに枝分かれしてしまう。どっちの行列が正しいのか・・・こっちですよ!いやこっちの列です!・・・みたいな、どーでもいいけど、でも当人たちはせっぱ詰まっているという「カレーパン」というお芝居。
いずれにしても「えっ?そんなトコにスポット当てんの!」みたいな。でも、そんな小さい状況の中で、真剣に右往左往する人たちの面白さっていう。それこがヨーロッパ企画のお芝居のエッセンスの大事なひとつではないかと、思ったわけです。
それで今回、彼らが過去に演じてきた短編の中から、名作と言われているものを集めて、それをみなさんにお見せしようと。
芝居・・・でもあり、コント・・・でもあり、その中間、という不思議な短編。それを今回は、思い切って8つ、スタジオにこもって撮り続けました。上に挙げた「ピラミッダー」も「カレーパン」も、もちろん撮りました。
出来映えは、かなりいい、と思います。彼らの芝居を初めて見るスタッフ連中も、ずーっと笑ってましたから。そして最後には、あの地味なヨーロッパ企画の面々のファンになってましたから。
放送日もなにも、まだ決まっておりませんが、とりあえず、いいモノが撮れました!
早く笑ってほしいなと思っております。
(18:49 嬉野)