藤村

12月16日金曜日。
DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」を年内に完成すべく、再び編集室にこもっておる藤村でございます。
全八夜の本編の編集を終え、現在は「特典映像」の編集をしております。
どうでしょう班にとっては初めてとも言えるADとなった佐野くん(20代にしてすでに3人の子持ち)にDVD編集のコツを教え、今や彼は、中高年に突入してしまった我々にとって、かなりな戦力になっておりまして、今回の「特典映像」には彼の発案による「メイキング・オブ・フィヨルドの恋人」なるものが入っております。
北欧を旅する中で、唐突に始まった連続テレビ小説「フィヨルドの恋人」。その撮影の裏側で交わされていた、放送されていない会話をオリジナルテープで見てしまった彼は、「これは面白いです!ぜひDVDに入れて下さい」と進言し、それを受けて私は、「じゃぁ自分なりに編集してみたら」と、彼に編集を任せてみたのでありました。
そりゃぁまだまだね、つかみきれてない部分もあって、手直しはいろいろしましたけど、「目の付けどころはいいぞ」と思ったのであります。
「特典映像」にしてはかなり長尺の「20分」に迫る「メイキング・オブ・フィヨルドの恋人」。これは必見であります!
DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」は、ただ今!絶賛予約受付中!
今回の予約特典はなんと!
「メルヘン街道の朝に少しだけ窓が開いていた車のドアのフィギュア」
という、どうでしょうバカには「おっ!それは欲しいっす!」という垂涎のシロモノ!しかし、一般的には「なんすかそれ」という嘲笑のシロモノ。
さぁさぁ!予約受付数にも限りというものがございます。
DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」、ただ今!絶賛予約受付中でございむぁーす!
また来週!
【嬉野日記メモリアル】
2011年12月14日(水)
嬉野でございますよ奥さん。
さて、掲示板に以下のような書き込みがありましたので、
ご紹介しておきましょう。
(まぁ、ここに転載するんでなくて掲示板を更新すればいいだけなんですがね、件数が多いものですからついつい。)
●こんばんはm(__)m
えいみー@愛知
いつも楽しく拝見してます!!
掲示板を見てたら、なんか書きたくなってしまってこんな夜中に書いています(*^^*)
私は来年から保育士として就職することになりました(^^)
今の時代で就職をできたことに有り難みを感じ、
感謝しつつも、周りの子は公務員試験に受かる子も半数ほどおり、公務員試験に落ちた私はなんか少しだけもやもやした気持ちになってしまいます…。
努力と笑顔と運が足りなかったと思って前に進もうと思うけど、なかなか割り切れず子どもだなあ…と思いつつも、
試験に受かってたらお母さんをもっと喜ばせてあげられたのに…などと考えてしまいます…。
でも、こんなこと話せる人もいないし、
夜中に目が覚めるとふといろいろ考えてしまったり…
私はしあわせだなー…と、よく感じる方だし、
ポジティブ(適当なだけかも…(-_-))
3%くらい自分で生まれてきてよかったと思うのですが、
珍しくこんな気持ちをどうしたらいいかずっと消化できずにいます…どうすればいいのでしょうか?
文章のまとまりがなく、読みづらくてすみませんm(__)m
★ということでね。
ここからは再び嬉野さんでございます。
運というべきものはね、
あると思うんです。
だから、運が悪いなぁと言うしかない時もあるでしょうし、
その運の悪さが重なれば、
「私ばかり、どーしていつもこう運が悪いの」
そう言って嘆くしかない時も確かにあるような気がするのです。
でも、その「運」の良し悪しを振り分けているのは、
ひとえにタイミングだけだとおもうのです。
つまり、自分が人生を今、毎日こう歩いているでしょ。
で、歩いているその途中でね、
突然「偶然」が自分に交差してくる、
そのタイミングだけだと思うのです。
「運」が良い方向に向くか、悪い方向に向くかはね。
ほら、自動販売機にお金を入れたら缶コーヒーが出るというのは、あれは偶然ではないですね、
でも、今にも雨が降りそうな空模様を見上げて、
降りだす前に帰り着こうと、
慌てて走って帰る途中の草っ原でね、
うっかり何かにつまずいて前につんのめって、
思いっきり地面に倒れて、したたかに肘を打ってすりむいてね、
「痛っ…」
って思ったその時に、
転んだ自分のその顔のすぐ先で、
野の花がぽつんと咲いていたら。
そして鼻先で咲いている、その小さな花を見て、
「あれ、こいつは、なんてきれいなんだろう…」
って思ってその花に共感してしまう瞬間があったら。
それは、偶然がもたらした出会いと言えますよね。
このような出会いを「運命」というのだなと、
ぼくは思っていてね。
つまり、「偶然」が自分と交差することが無ければ、
とうてい出会うはずのなかった者たちと出会うことです。
そうした「偶然」による出会いを、昔から「運命」と言っていたのではないかなぁと、ぼくは思うのです。
全部タイミングだけで良し悪しが決まってしまう「偶然」という名の「運命」ですから、
傍目には運の良いと人悪い人が当然出てしまっても、そのことはもうしょうがない。
そういう具合に、仕事や人間関係だって、いつもきまって好い方には転がらないから、その時は、
「この上手くいかなさが、オレの星だなぁ」と、
思うことにしています。
「あぁ、やっぱり上手くいかないわ。やっぱオレって、そういう星なんだなぁ」って、自分で自分の不手際に感心することにしているわけですね。
「やっぱ、こういう星なんだな、オレはな」って、
そう思うと、なんだか自分の人生に愛着が持ててくるのです。
どしてなんだろう。
ぼくの場合、不思議とそうなんです。
自分のことを必要以上に可哀想がらないと、
なんだか、だんだん自分に興味が持ててくるんです…。
「この人、こういうことで、この先どうなるんだろう?」って。
そう思ってると客観的に自分に愛着が持てていく。
多分ね、必要以上に「自分が可哀想」って思うことって、
イコール他人にばかり、周りにばかり、気がいっちゃってる状態でもあるから、周囲の人に気持ちがべとべとひっついちゃってるので、いつまでもその鳥もちにからまって、自分の身体が前に進めないんでしょうね。
だから、自分は人と比べてぱっとしないなぁと思いがちな時ほど、
「オレって、やっぱそういうぱっとしない星なんだな…」
って自分で思ってやる。
「大変なんだなオレって…」そう思う。
夜空には、もの凄い数の星があるけど、
その中にひとつだけ自分の星があってね、
その星が天体の運行に支配されながら動いているものだから、
自分の人生は、どーしてもその星の影響を受けてしまう。
つまり、「星の定め」というのがあってね、
ぼくらの人生は、その星の定めによって決められていく。
でも、決めてるその根本にあるのは「偶然」だから。
つまり、大した物ではない。
だから、気にする価値も無い。
でも、星が、ぼくらの人生を定義しているのだから、
その星に定義された人生を歩くことの中におそらく自分の役割があるのです。
多分、そういうことなんだろなと、
いつの頃からか、ぼくは思うようになりましたね。
おそらく運命は、ぼくらそれぞれに、
それぞれの役割を果たさせることで、ぼくらを何処かに導こうとしているのではないでしょうか。
そういうふうに思います。
だから、ぼくらは、
それぞれ果たすべき役割が違っているのです。
別名「偶然」という名の「運命」が、
ぼくらといつどこで交差するのか、
そのタイミングのズレだけで、
ぼくらは、思いもしなかった場所に連れていかれる。
だけど、
何処に連れて行かれたとしても、
連れて行かれた先々で、ぼくらは、
自分に出来ることをするだけです。
だって、できることしかできないからね。
当たり前だけど。
だから、できることだけをする。
だから、自分に出来ることは何かなって考えて、
自分には出来ないことが多いと分かっても、
そういうことでは嘆かないで、
出来ることだけをやろうとする。
(まぁ、長続きすることや、興味を持てることや、なんだかやってしまえることが出来ることなんだろうなとは思うけど)
それだけでいいと思うんです、人生って。
そして、望まない方向へ流されても、都度都度、
「はぁ、どうもこういうのがオレの星なんだな」って、
思ってみるだけでいいのです。
どんどん思いがけない方向に押しやられて悲しくなっても、
「これがオレなんだなぁ…」って思ってみて、
その時その時、自分に出来ることだけをやり続ける。
人生は、それで充分というか、
それで精一杯だと思います。
そうして、いつか、
星の導くところが見えてくる…。
ま、それは私が信じるだけのことですがね。
とにかく人生は、自分に出来ることだけをする、です。
それが、それぞれの人間が、違う役割を果たす、
ということに、自動的になるのだと思います。
そういうことだから、
人生はそれほど難しいことではないし。
それほど大変なことではないです。
ということでね、
多少わけのわからんところは、
好いように受け取っていただければと思います。
では。
本日も各自の持ち場で奮闘くださいますよう!
解散
★ただ今、電撃オンラインで!
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くじらさんもイラスト書いてくれてますの!
http://news.dengeki.com/premium/suidou/
(13:03 藤村)

嬉野

2011年12月14日(水)
嬉野でございますよ奥さん。
さて、掲示板に以下のような書き込みがありましたので、
ご紹介しておきましょう。
(まぁ、ここに転載するんでなくて掲示板を更新すればいいだけなんですがね、件数が多いものですからはい。)
●こんばんはm(__)m
えいみー@愛知
いつも楽しく拝見してます!!
掲示板を見てたら、なんか書きたくなってしまってこんな夜中に書いています(*^^*)
私は来年から保育士として就職することになりました(^^)
今の時代で就職をできたことに有り難みを感じ、
感謝しつつも、周りの子は公務員試験に受かる子も半数ほどおり、公務員試験に落ちた私はなんか少しだけもやもやした気持ちになってしまいます…。
努力と笑顔と運が足りなかったと思って前に進もうと思うけど、なかなか割り切れず子どもだなあ…と思いつつも、
試験に受かってたらお母さんをもっと喜ばせてあげられたのに…などと考えてしまいます…。
でも、こんなこと話せる人もいないし、
夜中に目が覚めるとふといろいろ考えてしまったり…
私はしあわせだなー…と、よく感じる方だし、
ポジティブ(適当なだけかも…(-_-))
3%くらい自分で生まれてきてよかったと思うのですが、
珍しくこんな気持ちをどうしたらいいかずっと消化できずにいます…どうすればいいのでしょうか?
文章のまとまりがなく、読みづらくてすみませんm(__)m
★ということでね。
ここからは再び嬉野さんでございます。
そうね。
運というべきものはありますよね。
だから運が悪いというべき時もありますし。
そればかりか「私は、いつも運が悪い」と言うしかない時も、
これも確かにあるような気がいたします。
運と言うのは、
自分の人生を自分が歩いているその途中に、
自分と「偶然」が交差するタイミングのことだと思います。
伝わってます?
ほら、自動販売機にお金を入れたら缶コーヒーが出てくるというのは偶然ではございませんが、
今にも雨が降りそうで、降りだす前に帰り着こうと、
慌てて走って帰る途中の草原で、うっかり転んで、
前につんのめってしたたかに肘をすりむいて、
「痛てぇなぁ…」って思った時に、
転んだ自分のその顔の先に、
ぽつんと咲いている可憐な野の花があってね、
それを見つけるなり、
「あ、きれいだなぁ…」って思って仕舞う瞬間。
これは偶然のもたらした出会いでね。
これを「運命」というのです。
と、ぼくは思っています。
運命も運もね、偶然の導きですよ。
自分では、どうすることも出来ないものです。
タイミングの仕業だから、
傍目には運の良い人悪い人、
きっといるのだと思う。
ぼくは、そういう時、
それを「自分の星」だと思うことにしています。
どういう人生か知らないけど。
上手く行かない時は、
「あぁ、やっぱりオレは、そういう星だなぁ」って、
思うように、ぼくはしてるんですすね。
やっぱりオレはそういう星だなぁ。
そう思って、
運命が、自分を何処に導こうとしているのかを、
ぼんやり眺めることにしています。
ぼくらは、星の導きによって生きているから、
だから、それぞれ果たさねばならないものが違う。
それだけ。
いつか分かる。
そういう時がくるのだろうと思うのです。
だから、大事なのは、
運命のタイミングのズレで、
ぼくらはいろんな所に連れて行かれてしまうけど、
連れて行かれた先先で、
出来ることをするだけなのだと思うのです。
だから、出来ることはなにかなって、
考えて、出来ないことが多くても泣かない。
それが「オレだな」と思うだけだと思うのです。
ということでね、
これから出かけますので、
書きっぱなしで、読み返しもできないままに
出ますので、
多少わけのわからんところは、
好いように受け取っていただければと思います。
では。
本日も各自の持ち場で奮闘くださいますよう!
解散
★ただ今、電撃オンラインで!
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【12月7日水曜日ノ日記】
1週間ほど留守をしておりました。藤村でございます。
昨日の嬉野日記にありました通り、我々は、京都の劇団「ヨーロッパ企画」の演出家・上田くんと地味な男役者連中8人とで、札幌のスタジオにこもり、短編作品を撮影しておりました。
「短編作品」・・・という言い方が正しいのか、それとも「バカバカしい小芝居」というのか、「コントじみた芝居」というのか、とにかく「笑えるモノ」を作っておりました。
我々とヨーロッパ企画との付き合いは、もう5年ほどになりますでしょうか。彼らの芝居を初めて観に行ったときに、彼らが醸し出している「笑いの方向性」というのが、「自分にとても近しいものだ」と感じたんです。
「えっ?そんな小さいとこにスポットを当てんの!」みたいな。
「いやいや!そこ行く?」みたいな。
テーマに一直線に進むのではなく、そこに行くまでの道程に散りばめられた「些細な右往左往にこそ面白さがある」、という。
そんなヨーロッパ企画の連中となんか作りたい、という思いがここ数年ずっとありまして。でもそれは「どうでしょうみたいなバラエティー番組を一緒にやるとか、そういうことではないなぁ」と思いつつ、「じゃあ何をやれば彼らの面白さが人に伝わるだろう?」とずっと考えてて・・・。
ヨーロッパ企画は、いわゆる「本公演」と言われる長尺のお芝居のほかに、イベントなんかで披露する5分とか20分とか、少し力を抜いた感じの小さな芝居も作っておりまして。で、実は、「そんな短い芝居にこそ彼らの笑いの方向性というのが凝縮されている」ということがわかったんです。
例えばね、こんな短編の芝居がありました。
放課後、学校の職員室で先生たちが寄り集まってなにごとか相談している。来週に迫った体育祭、男子生徒61人が全員出場する組体操の最大の見せ場は「人間ピラミッド」。4段のピラミッドを作るなら、10人の生徒でひとつのピラミッドを作って、それが6つできる。でも、それじゃあ生徒がひとり余ってしまう。5段のピラミッドなら、15人で4つ。いやいやこれもやっぱり、ひとり余ってしまう。どうしましょう・・・保護者の手前、ひとりだけ余ってしまうのはまずいでしょう・・・みたいな話を先生たちが延々と話し合うという「苦悩のピラミッダー」という20分ほどのお芝居。
バカバカしいです。あまりにもテーマが小さい。しかし、たまらなく面白い。
もうひとつ、こんなのもあります。
テレビの情報番組で紹介された美味しいカレーパンのお店。そこに行列を作って並ぶ人たち。でも、ひょんなことから、その行列がふたつに枝分かれしてしまう。どっちの行列が正しいのか・・・こっちですよ!いやこっちの列です!・・・みたいな、どーでもいいけど、でも当人たちはせっぱ詰まっているという「カレーパン」というお芝居。
いずれにしても「えっ?そんなトコにスポット当てんの!」みたいな。でも、そんな小さい状況の中で、真剣に右往左往する人たちの面白さっていう。それこがヨーロッパ企画のお芝居のエッセンスの大事なひとつではないかと、思ったわけです。
それで今回、彼らが過去に演じてきた短編の中から、名作と言われているものを集めて、それをみなさんにお見せしようと。
芝居・・・でもあり、コント・・・でもあり、その中間、という不思議な短編。それを今回は、思い切って8つ、スタジオにこもって撮り続けました。上に挙げた「ピラミッダー」も「カレーパン」も、もちろん撮りました。
出来映えは、かなりいい、と思います。彼らの芝居を初めて見るスタッフ連中も、ずーっと笑ってましたから。そして最後には、あの地味なヨーロッパ企画の面々のファンになってましたから。
放送日もなにも、まだ決まっておりませんが、とりあえず、いいモノが撮れました!
早く笑ってほしいなと思っております。
(12:17 嬉野)

嬉野

2011年12月12日(月)
嬉野です。
水曜どうでしょうを始めたのは、1996年でしたから、
もう15年の時間がここに横たわっているわけでね。
でも、そうかといって、
振り返るとそんなに時間が経過している気がしない。
15年という時間は、生まれたばかりの赤ん坊が、
中学三年生になってしまうという時間ですから、
膨大なもののはずですが、
大人にとって15年前というのは、
さほど昔のことではない。
ということは、大人の私にとっては、
この先、15年後というのも、
きっとあっという間なのだと思うのです。
先ごろ、脚本家の市川森一さんが亡くなられましたが、
70歳だときいています。
70歳といえば、かつては「古希」と言っていたそうで、
「70歳まで生きることは、古来、希(まれ)なこと」だった
そうで、ですから「古希の祝い」などをするのだそうです。
その70歳まで生きるのは「古来、希なり」という感覚が、
今また戻ってきたのかもしれませんね。
男子の寿命も、この頃は、70歳の峠を越せないことの方が多くなってきたように思えるのです。
70歳の坂を越えれば、
その先は1年1年無事であることを喜ぶ時間に入ることになるのかもしれない。
そうして、みんな、いつか死を体験することになる。
私にとっても、
自分終了のチャイムが鳴るのは、
もう、SF的時間領域の果てにあるものではないのだなぁ、
というのが、漠然とながらも実感としてうすぼんやりとある、
今日この頃です。
こういうことを書くと、昔から、
「なにか悩み事があるのではないですか?」
「どうやら最近元気がないのですね?」と、
必ず心配されるかたがおられますが、
こういうことを書くのは、自分に必ず死が訪れるということが、リアルに思えてきたとき、そのリアルが、とても不思議に思えるからなのです。
そのことが不思議だし、でも、身に迫るという実感もある。
そのことの不思議をなんだろうと思い、
共有したいという欲求の表れだとおもうのですね、
こういうことを書くのは。
死は遠いものではないはずなのですが、
語ることは好まれないもののようです。
だから死と危険は遠ざけられて、
話題にもされないこととなっている。
そしていつの間にか、自分と自分の生きている領域と、
危険やら死やらは、関係の無いもののように刷り込まれる。
そうだからこそ、ぼくは、
自分に死が訪れるのだということが、
リアルに感じられるに従い、
そのリアルが不思議に現実離れしたことのように思えてしまう。
しかし、死が遠いものでないと知るからこそ、
この先の生が、少しでも穏やかであることを祈る、
そんな気持ちにもなるのだと思うのです。
この掲示板に毎日のように書き込んでくれていて、
ある日を境に書き込めなくなったそのことを、
書き込めなくなってしまった人も、
おられるのだろうと思うのです。
この先に、どんな時代が待ち受けているかは分かりませんが、
きっと、それほどぱっとしたものではないだろうと、
多くの方が漠然と思われていることでしょうが、
どんな時代の風にあおられようと、
最後まで、爆笑はしていきたいものだと思います。
それでは諸氏。
いかなる状況にあろうとも、
本日も諸氏の持ち場で爆笑しながら奮闘いたされますよう、
願いあげ奉ります。
解散。
また明日、来るのよ。
★ただ今、電撃オンラインで!
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くじらさんもイラスト書いてくれてますの!
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【12月7日水曜日ノ日記】
1週間ほど留守をしておりました。藤村でございます。
昨日の嬉野日記にありました通り、我々は、京都の劇団「ヨーロッパ企画」の演出家・上田くんと地味な男役者連中8人とで、札幌のスタジオにこもり、短編作品を撮影しておりました。
「短編作品」・・・という言い方が正しいのか、それとも「バカバカしい小芝居」というのか、「コントじみた芝居」というのか、とにかく「笑えるモノ」を作っておりました。
我々とヨーロッパ企画との付き合いは、もう5年ほどになりますでしょうか。彼らの芝居を初めて観に行ったときに、彼らが醸し出している「笑いの方向性」というのが、「自分にとても近しいものだ」と感じたんです。
「えっ?そんな小さいとこにスポットを当てんの!」みたいな。
「いやいや!そこ行く?」みたいな。
テーマに一直線に進むのではなく、そこに行くまでの道程に散りばめられた「些細な右往左往にこそ面白さがある」、という。
そんなヨーロッパ企画の連中となんか作りたい、という思いがここ数年ずっとありまして。でもそれは「どうでしょうみたいなバラエティー番組を一緒にやるとか、そういうことではないなぁ」と思いつつ、「じゃあ何をやれば彼らの面白さが人に伝わるだろう?」とずっと考えてて・・・。
ヨーロッパ企画は、いわゆる「本公演」と言われる長尺のお芝居のほかに、イベントなんかで披露する5分とか20分とか、少し力を抜いた感じの小さな芝居も作っておりまして。で、実は、「そんな短い芝居にこそ彼らの笑いの方向性というのが凝縮されている」ということがわかったんです。
例えばね、こんな短編の芝居がありました。
放課後、学校の職員室で先生たちが寄り集まってなにごとか相談している。来週に迫った体育祭、男子生徒61人が全員出場する組体操の最大の見せ場は「人間ピラミッド」。4段のピラミッドを作るなら、10人の生徒でひとつのピラミッドを作って、それが6つできる。でも、それじゃあ生徒がひとり余ってしまう。5段のピラミッドなら、15人で4つ。いやいやこれもやっぱり、ひとり余ってしまう。どうしましょう・・・保護者の手前、ひとりだけ余ってしまうのはまずいでしょう・・・みたいな話を先生たちが延々と話し合うという「苦悩のピラミッダー」という20分ほどのお芝居。
バカバカしいです。あまりにもテーマが小さい。しかし、たまらなく面白い。
もうひとつ、こんなのもあります。
テレビの情報番組で紹介された美味しいカレーパンのお店。そこに行列を作って並ぶ人たち。でも、ひょんなことから、その行列がふたつに枝分かれしてしまう。どっちの行列が正しいのか・・・こっちですよ!いやこっちの列です!・・・みたいな、どーでもいいけど、でも当人たちはせっぱ詰まっているという「カレーパン」というお芝居。
いずれにしても「えっ?そんなトコにスポット当てんの!」みたいな。でも、そんな小さい状況の中で、真剣に右往左往する人たちの面白さっていう。それこがヨーロッパ企画のお芝居のエッセンスの大事なひとつではないかと、思ったわけです。
それで今回、彼らが過去に演じてきた短編の中から、名作と言われているものを集めて、それをみなさんにお見せしようと。
芝居・・・でもあり、コント・・・でもあり、その中間、という不思議な短編。それを今回は、思い切って8つ、スタジオにこもって撮り続けました。上に挙げた「ピラミッダー」も「カレーパン」も、もちろん撮りました。
出来映えは、かなりいい、と思います。彼らの芝居を初めて見るスタッフ連中も、ずーっと笑ってましたから。そして最後には、あの地味なヨーロッパ企画の面々のファンになってましたから。
放送日もなにも、まだ決まっておりませんが、とりあえず、いいモノが撮れました!
早く笑ってほしいなと思っております。
(18:49 嬉野)

嬉野

2011年12月9日(金)
嬉野です。
思うにね。
世間には気持ちの好い場所というものがあり。
いや、奥さんね、
気持ち好い場所と言ってもね、
マッサージしてもらえて気持ちが好いとこ、
とかっていう意味ではなくてよ、そうではなくして、
「あぁなんだろう、ここってなんだか、こうやって座っているだけで和むなぁ、なんだかホッとする、ホッとするってこんなに気持ちが好いのね、いやぁこのままいつまでもこうやって居たいなぁ、って、思っちゃうってなんだろう、うーむ、この感じ…」とかって思ってリラックスしてしまう場所という意味ですよ。
どっかのお寺の静かな座敷に座って、
縁越しに妙に趣のある枯山水の庭を眺めた時のような状況よ。
もちろん自分の部屋が一番気持ちが好いということもあるので、
まぁそれはそれで好いんだけど、
でも人間には、感受性というか、感応力というか、
周りからいろんなものを受け取って初めてリセットしてもらえる部分があるのでね、リセットしてもらいに出掛けてみるもんですよ。
つまり奥さんねぇ。
人間にはねぇ、この世界にある、いろんなものが放出しているだろうところの、きわめて微量な、目に見えない物質をね、受けとめ味わうことの出来る能力があると私は思っているのですよ。
あれよ奥さん、人を好きになるというところにもね、このような科学的根拠が実はあってね、彼の人が放出しているだろう極めて微細で微小で微量な、なにものかをね、思わず知らず受け止めてしまう鍵穴を持ってる人はね、彼の人から放出されている物質に、まんまと扉を開けられちゃってね、「いやぁ好いわぁ」となってしまうわけですよ。反対にね、違うカギ穴を持つ人は、開かないものだから「え?あの人?いや、私は別に…」みたいな反応にしかならないとかね、あると思うの。
いや、まぁ勿論、口から出まかせですよ。
あたり前じゃないですか。ねぇ。
私が、信憑性のあることなんか言うはずがない。
でもね、
人間ってこの世界にあるいろんなものを、
実際に受け止める機関が能力の中にあるから、
ひょっとしたら受け止め受け止めしながら生きてきたんじゃないですかと、ある日、怪しんだわけです。
そう考えれば、
もう片一方では、あらゆるものは、
知らずの内におのれから微量な物質を放出しているのだという事実があることにできる。
いや、そうに違いない。
というか、そういうことにしてしまいたい。
いや、してしまえ。
じゃぁもう裏づけ無しで!
とかっていうね、
まぁそういう流れですよ。
でまぁね、
そういう感受性を持っているのに、
ずいぶん前から使ってない部分が、
こりゃもう相当な領域でね、
存在するのじゃないのかなぁって思うのです。
背中だって腰だって、
手のひらだって、足の指だってね奥さん、
普段、刺激を受けてない部分ってあってね、
そういうところを、
さすったり、押してもらったりすると、
驚くほど気持ち好いことってありますからね、
それが、場所にもある、という、ことですよ。
それを感じに行くことは、
ある意味、精神のマッサージ効果を生み出すことでもある。
つまり気持ち好くなるということですよ。
だからまぁそれはね、
大自然の中に身を置くのでも好いのだろうけれど、
案外と、人が作った庭園などね、
作った人が、作りながら気持ち好さを確認しいしい作り上げたろう場所にね、行った時の方がね、
より多くの何ものかを、
受け取った気持ちになれそうな気がしますね。
ということでね、
まぁ現代人がやんなくなったことがあるんだからね、
思い立って、居心地の好い場所を求めて、
ふっと、出かけて行って、味わおうやっ、ていうことですね。
さぁ、ということでね、
分かったような分からない気持ちのままにね、
本日もどーか皆様が皆様の持ち場で、それぞれに奮闘くださいますことを祈念いたしまして今週は終了。
解散。
また来週おこしくださいませ。
【12月7日水曜日ノ日記】
1週間ほど留守をしておりました。藤村でございます。
昨日の嬉野日記にありました通り、我々は、京都の劇団「ヨーロッパ企画」の演出家・上田くんと地味な男役者連中8人とで、札幌のスタジオにこもり、短編作品を撮影しておりました。
「短編作品」・・・という言い方が正しいのか、それとも「バカバカしい小芝居」というのか、「コントじみた芝居」というのか、とにかく「笑えるモノ」を作っておりました。
我々とヨーロッパ企画との付き合いは、もう5年ほどになりますでしょうか。彼らの芝居を初めて観に行ったときに、彼らが醸し出している「笑いの方向性」というのが、「自分にとても近しいものだ」と感じたんです。
「えっ?そんな小さいとこにスポットを当てんの!」みたいな。
「いやいや!そこ行く?」みたいな。
テーマに一直線に進むのではなく、そこに行くまでの道程に散りばめられた「些細な右往左往にこそ面白さがある」、という。
そんなヨーロッパ企画の連中となんか作りたい、という思いがここ数年ずっとありまして。でもそれは「どうでしょうみたいなバラエティー番組を一緒にやるとか、そういうことではないなぁ」と思いつつ、「じゃあ何をやれば彼らの面白さが人に伝わるだろう?」とずっと考えてて・・・。
ヨーロッパ企画は、いわゆる「本公演」と言われる長尺のお芝居のほかに、イベントなんかで披露する5分とか20分とか、少し力を抜いた感じの小さな芝居も作っておりまして。で、実は、「そんな短い芝居にこそ彼らの笑いの方向性というのが凝縮されている」ということがわかったんです。
例えばね、こんな短編の芝居がありました。
放課後、学校の職員室で先生たちが寄り集まってなにごとか相談している。来週に迫った体育祭、男子生徒61人が全員出場する組体操の最大の見せ場は「人間ピラミッド」。4段のピラミッドを作るなら、10人の生徒でひとつのピラミッドを作って、それが6つできる。でも、それじゃあ生徒がひとり余ってしまう。5段のピラミッドなら、15人で4つ。いやいやこれもやっぱり、ひとり余ってしまう。どうしましょう・・・保護者の手前、ひとりだけ余ってしまうのはまずいでしょう・・・みたいな話を先生たちが延々と話し合うという「苦悩のピラミッダー」という20分ほどのお芝居。
バカバカしいです。あまりにもテーマが小さい。しかし、たまらなく面白い。
もうひとつ、こんなのもあります。
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それで今回、彼らが過去に演じてきた短編の中から、名作と言われているものを集めて、それをみなさんにお見せしようと。
芝居・・・でもあり、コント・・・でもあり、その中間、という不思議な短編。それを今回は、思い切って8つ、スタジオにこもって撮り続けました。上に挙げた「ピラミッダー」も「カレーパン」も、もちろん撮りました。
出来映えは、かなりいい、と思います。彼らの芝居を初めて見るスタッフ連中も、ずーっと笑ってましたから。そして最後には、あの地味なヨーロッパ企画の面々のファンになってましたから。
放送日もなにも、まだ決まっておりませんが、とりあえず、いいモノが撮れました!
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(16:25 嬉野)

嬉野

2011年12月8日(木)
嬉野です奥さん。
今日は朝晴れていてね、
気分が好いなぁと思ったら、
出掛けにいきなり吹雪いてきて、
あっという間に大荒れだなぁとびびっておりましたところ、
ウソのように今またスコブル好いお天気になってて、
斜めの陽が札幌の町並みに美しく差しておりますよ。
北国の西日は儚い光でキレイデス。
冬の日向には平和なニオイガシテマスネ。
みなさんのお住まいの辺りは、
本日はどのような感じでありましたろうか?
本日も各自の持ち場で奮闘願います。
解散
【12月7日水曜日ノ日記】
1週間ほど留守をしておりました。藤村でございます。
昨日の嬉野日記にありました通り、我々は、京都の劇団「ヨーロッパ企画」の演出家・上田くんと地味な男役者連中8人とで、札幌のスタジオにこもり、短編作品を撮影しておりました。
「短編作品」・・・という言い方が正しいのか、それとも「バカバカしい小芝居」というのか、「コントじみた芝居」というのか、とにかく「笑えるモノ」を作っておりました。
我々とヨーロッパ企画との付き合いは、もう5年ほどになりますでしょうか。彼らの芝居を初めて観に行ったときに、彼らが醸し出している「笑いの方向性」というのが、「自分にとても近しいものだ」と感じたんです。
「えっ?そんな小さいとこにスポットを当てんの!」みたいな。
「いやいや!そこ行く?」みたいな。
テーマに一直線に進むのではなく、そこに行くまでの道程に散りばめられた「些細な右往左往にこそ面白さがある」、という。
そんなヨーロッパ企画の連中となんか作りたい、という思いがここ数年ずっとありまして。でもそれは「どうでしょうみたいなバラエティー番組を一緒にやるとか、そういうことではないなぁ」と思いつつ、「じゃあ何をやれば彼らの面白さが人に伝わるだろう?」とずっと考えてて・・・。
ヨーロッパ企画は、いわゆる「本公演」と言われる長尺のお芝居のほかに、イベントなんかで披露する5分とか20分とか、少し力を抜いた感じの小さな芝居も作っておりまして。で、実は、「そんな短い芝居にこそ彼らの笑いの方向性というのが凝縮されている」ということがわかったんです。
例えばね、こんな短編の芝居がありました。
放課後、学校の職員室で先生たちが寄り集まってなにごとか相談している。来週に迫った体育祭、男子生徒61人が全員出場する組体操の最大の見せ場は「人間ピラミッド」。4段のピラミッドを作るなら、10人の生徒でひとつのピラミッドを作って、それが6つできる。でも、それじゃあ生徒がひとり余ってしまう。5段のピラミッドなら、15人で4つ。いやいやこれもやっぱり、ひとり余ってしまう。どうしましょう・・・保護者の手前、ひとりだけ余ってしまうのはまずいでしょう・・・みたいな話を先生たちが延々と話し合うという「苦悩のピラミッダー」という20分ほどのお芝居。
バカバカしいです。あまりにもテーマが小さい。しかし、たまらなく面白い。
もうひとつ、こんなのもあります。
テレビの情報番組で紹介された美味しいカレーパンのお店。そこに行列を作って並ぶ人たち。でも、ひょんなことから、その行列がふたつに枝分かれしてしまう。どっちの行列が正しいのか・・・こっちですよ!いやこっちの列です!・・・みたいな、どーでもいいけど、でも当人たちはせっぱ詰まっているという「カレーパン」というお芝居。
いずれにしても「えっ?そんなトコにスポット当てんの!」みたいな。でも、そんな小さい状況の中で、真剣に右往左往する人たちの面白さっていう。それこがヨーロッパ企画のお芝居のエッセンスの大事なひとつではないかと、思ったわけです。
それで今回、彼らが過去に演じてきた短編の中から、名作と言われているものを集めて、それをみなさんにお見せしようと。
芝居・・・でもあり、コント・・・でもあり、その中間、という不思議な短編。それを今回は、思い切って8つ、スタジオにこもって撮り続けました。上に挙げた「ピラミッダー」も「カレーパン」も、もちろん撮りました。
出来映えは、かなりいい、と思います。彼らの芝居を初めて見るスタッフ連中も、ずーっと笑ってましたから。そして最後には、あの地味なヨーロッパ企画の面々のファンになってましたから。
放送日もなにも、まだ決まっておりませんが、とりあえず、いいモノが撮れました!
早く笑ってほしいなと思っております。
【昨日のう日記】
2011年12月6日(火)
どーも奥さん、嬉野です。
なんですか、
たいへんな御無沙汰をしておりましたが、
みなさま、お変わりありませんでしたでしょうか?
ねぇ、
あいすんません。
日記を書かないにもほどがあるだろうが!と、
今回ばかりは、奥ゆかしい奥様方も
歯噛みされておったかも知れませんが、
掲示板に怒号の書き込みが来るでなく、
相変わらずの奥ゆかしい書き込みばかりの賑わい。
ありがたいかぎりでございます。
ねぇ奥さん。
実はね、
今回、この札幌にね、
「ヨーロッパ企画」(京都の劇団ですよ)さんを丸ごとパックで向かい入れてね、市内某スタジオに1週間こもり、
毎日楽しげな撮影をしておったのでありますよ。
その撮影が本日、爆笑の内に終わりまして、
やっとのことで、
こうして会社にも立ち寄ることができまして、
このように久方ぶりの日記を書いておるのでございます。
まぁまぁ詳しいことは「おいおい」お話しするとして、
またしても素晴らしいものを皆様にお見せできることになったですよと、とりあえずの御報告をさせていただきましょう。
ということでね、
本日は、嬉野さん、これにて退散つかまつります。
明日からまた、各自の持ち場で奮闘してもらいますよ。
それでは、解散。
★ただ今、電撃オンラインで!
「藤やんうれしーの悩むだけ損!」が好評連載中です!
くじらさんもイラスト書いてくれてますの!
http://news.dengeki.com/premium/suidou/
(14:49 嬉野)

藤村

12月7日水曜日。1週間ほど留守をしておりました。藤村でございます。
昨日の嬉野日記にありました通り、我々は、京都の劇団「ヨーロッパ企画」の演出家・上田くんと地味な男役者連中8人とで、札幌のスタジオにこもり、短編作品を撮影しておりました。
「短編作品」・・・という言い方が正しいのか、それとも「バカバカしい小芝居」というのか、「コントじみた芝居」というのか、とにかく「笑えるモノ」を作っておりました。
我々とヨーロッパ企画との付き合いは、もう5年ほどになりますでしょうか。彼らの芝居を初めて観に行ったときに、彼らが醸し出している「笑いの方向性」というのが、「自分にとても近しいものだ」と感じたんです。
「えっ?そんな小さいとこにスポットを当てんの!」みたいな。
「いやいや!そこ行く?」みたいな。
テーマに一直線に進むのではなく、そこに行くまでの道程に散りばめられた「些細な右往左往にこそ面白さがある」、という。
そんなヨーロッパ企画の連中となんか作りたい、という思いがここ数年ずっとありまして。でもそれは「どうでしょうみたいなバラエティー番組を一緒にやるとか、そういうことではないなぁ」と思いつつ、「じゃあ何をやれば彼らの面白さが人に伝わるだろう?」とずっと考えてて・・・。
ヨーロッパ企画は、いわゆる「本公演」と言われる長尺のお芝居のほかに、イベントなんかで披露する5分とか20分とか、少し力を抜いた感じの小さな芝居も作っておりまして。で、実は、「そんな短い芝居にこそ彼らの笑いの方向性というのが凝縮されている」ということがわかったんです。
例えばね、こんな短編の芝居がありました。
放課後、学校の職員室で先生たちが寄り集まってなにごとか相談している。来週に迫った体育祭、男子生徒61人が全員出場する組体操の最大の見せ場は「人間ピラミッド」。4段のピラミッドを作るなら、10人の生徒でひとつのピラミッドを作って、それが6つできる。でも、それじゃあ生徒がひとり余ってしまう。5段のピラミッドなら、15人で4つ。いやいやこれもやっぱり、ひとり余ってしまう。どうしましょう・・・保護者の手前、ひとりだけ余ってしまうのはまずいでしょう・・・みたいな話を先生たちが延々と話し合うという「苦悩のピラミッダー」という20分ほどのお芝居。
バカバカしいです。あまりにもテーマが小さい。しかし、たまらなく面白い。
もうひとつ、こんなのもあります。
テレビの情報番組で紹介された美味しいカレーパンのお店。そこに行列を作って並ぶ人たち。でも、ひょんなことから、その行列がふたつに枝分かれしてしまう。どっちの行列が正しいのか・・・こっちですよ!いやこっちの列です!・・・みたいな、どーでもいいけど、でも当人たちはせっぱ詰まっているという「カレーパン」というお芝居。
いずれにしても「えっ?そんなトコにスポット当てんの!」みたいな。でも、そんな小さい状況の中で、真剣に右往左往する人たちの面白さっていう。それこがヨーロッパ企画のお芝居のエッセンスの大事なひとつではないかと、思ったわけです。
それで今回、彼らが過去に演じてきた短編の中から、名作と言われているものを集めて、それをみなさんにお見せしようと。
芝居・・・でもあり、コント・・・でもあり、その中間、という不思議な短編。それを今回は、思い切って8つ、スタジオにこもって撮り続けました。上に挙げた「ピラミッダー」も「カレーパン」も、もちろん撮りました。
出来映えは、かなりいい、と思います。彼らの芝居を初めて見るスタッフ連中も、ずーっと笑ってましたから。そして最後には、あの地味なヨーロッパ企画の面々のファンになってましたから。
放送日もなにも、まだ決まっておりませんが、とりあえず、いいモノが撮れました!
早く笑ってほしいなと思っております。
【昨日のう日記】
2011年12月6日(火)
どーも奥さん、嬉野です。
なんですか、
たいへんな御無沙汰をしておりましたが、
みなさま、お変わりありませんでしたでしょうか?
ねぇ、
あいすんません。
日記を書かないにもほどがあるだろうが!と、
今回ばかりは、奥ゆかしい奥様方も
歯噛みされておったかも知れませんが、
掲示板に怒号の書き込みが来るでなく、
相変わらずの奥ゆかしい書き込みばかりの賑わい。
ありがたいかぎりでございます。
ねぇ奥さん。
実はね、
今回、この札幌にね、
「ヨーロッパ企画」(京都の劇団ですよ)さんを丸ごとパックで向かい入れてね、市内某スタジオに1週間こもり、
毎日楽しげな撮影をしておったのでありますよ。
その撮影が本日、爆笑の内に終わりまして、
やっとのことで、
こうして会社にも立ち寄ることができまして、
このように久方ぶりの日記を書いておるのでございます。
まぁまぁ詳しいことは「おいおい」お話しするとして、
またしても素晴らしいものを皆様にお見せできることになったですよと、とりあえずの御報告をさせていただきましょう。
ということでね、
本日は、嬉野さん、これにて退散つかまつります。
明日からまた、各自の持ち場で奮闘してもらいますよ。
それでは、解散。
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(15:08 藤村)

嬉野

2011年12月6日(火)
どーも奥さん、嬉野です。
なんですか、
たいへんな御無沙汰をしておりましたが、
みなさま、お変わりありませんでしたでしょうか?
ねぇ、
あいすんません。
日記を書かないにもほどがあるだろうが!と、
今回ばかりは、奥ゆかしい奥様方も
歯噛みされておったかも知れませんが、
掲示板に怒号の書き込みが来るでなく、
相変わらずの奥ゆかしい書き込みばかりの賑わい。
ありがたいかぎりでございます。
ねぇ奥さん。
実はね、
今回、この札幌にね、
「ヨーロッパ企画」(京都の劇団ですよ)さんを丸ごとパックで向かい入れてね、市内某スタジオに1週間こもり、
毎日楽しげな撮影をしておったのでありますよ。
その撮影が本日、爆笑の内に終わりまして、
やっとのことで、
こうして会社にも立ち寄ることができまして、
このように久方ぶりの日記を書いておるのでございます。
まぁまぁ詳しいことは「おいおい」お話しするとして、
またしても素晴らしいものを皆様にお見せできることになったですよと、とりあえずの御報告をさせていただきましょう。
ということでね、
本日は、嬉野さん、これにて退散つかまつります。
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(18:21 嬉野)

藤村

11月29日火曜日。藤村でございます。
昨日の嬉野日記にもありました通り、先週末は広島の安田女子大で開かれた「日本質的心理学会」に行ってまいりました。
「学会」なんていうものに参加する機会はなかなかあるもんじゃございませんが、我が「どうでしょう」さんの「特異な番組構造」なるものが心理学の学会で発表され、その基調講演が現代日本の論壇で活躍する内田樹さんとなれば、これはもう聴きにいくしかないわけであります。とはいえ、実はわたくし、内田さんの本はこれまで読んだことがなく、今回はじめて手に取ったわけでありますが(新刊「呪いの時代」)、嬉野先生と同じく、読みながら「オレはキツツキか」っちゅうぐらいに、「そうそう!」とうなずく内容でありました。
そんな内田先生が、「水曜どうでしょう」についても語ってくれました。曰く、「水曜どうでしょうの構造は、クリントイーストウッド監督の映画の構造に似ている」と。来ましたよ。「クリントイーストウッド」と来ました。
その論は、私の理解によれば、「観る者にすべての情報を与えるのではなく、足りないものを補完させ、考えさせる『隙』がある構造だ」と。納得です。私が思うモノ作りの基本は、「作り手は誠心誠意、完全なるモノを目指す中で、それが故意であるかどうかは別にして、不完全なモノをそこにどう織り込んでいくかが肝である」と思うのです。「観る者は、完全だと思い込んでいる中に織り込まれた不完全なモノにこそ、のめり込むような魅力を感じてしまうものだ」と。まぁどうでしょうの場合、「ほとんどが不完全じゃねぇか」と思われるでありましょうが、作っているこっちは、至極マジメに、計算高く作っているつもりなのであります。
九州大学の佐々木先生が、私と嬉野先生に一年近くインタビューを続ける中で解き明かしていった「水曜どうでしょうの構造」は、実に興味深いものであり、ぜひともみなさんにお披露目できる機会があればと強く思っております。
さて我々は今日から、京都の劇団「ヨーロッパ企画」を札幌に迎えて、来春開校する放送専門学校のスタジオを1週間ほど借り切って、彼らのおもしろさが光る「短編集」を数本撮影いたします。放送はまだ未定でありますが、今日から「ヨーロッパ企画」の面々と、じっくりと、モノ作りに励もうと思っております。
そんな中で、12月2日土曜日の夜7時半からは、札幌・琴似の劇場コンカリーニョでおこなわれる「東京タンバリン」さんの芝居公演のアフタートークに参加いたします。「白A」もそうですが、なかなか札幌で観られるものじゃございません。ぜひこの機会に。
では、明日からこちらに顔を見せられるかどうかはわかりませんが、とりあえず、笑いながら1週間を過ごしたいと思っております。
皆の衆も、この1しゅうかん、楽しく過ごそう。
【昨日の嬉野日記】
2011年11月28日(月)
嬉野です。
あのね奥さん。
きたる12月2日と3日にね、
東京タンバリンさんのお芝居
「ゼロから始める」の札幌公演がありますの。
もうすぐなのね。
作・演出の高井浩子さんの作り出す世界はさぁ、
あれなんですよねぇ、
眺めていて、なんとも居心地が好いのですよ。
ぼくらは劇場に入り、イスに座るわけです。
やがて場内が暗くなりますでしょう、
そうして舞台に出てくる人たちを、あとはじっと眺めてる。
奇妙な居心地の好さはそうするうちにやって来るの。
そして思うの、
「あぁ、このまま終わらなくても好いなぁ」って。
タンバリンさんが札幌に来てくれることもそうそうないだろうから、お時間のある方はこの機会に一度体験してみるといいのですよ。
チケットはまだ買えるのだそうですからね。
奥さんさっそく以下のHPへ行ってみてくださいませ。
http://tanbarin.sunnyday.jp/
それと2日は藤村さんと嬉野さんとで、
お芝居の後のアフタートークにお邪魔することになっておりますの。こちらもお楽しみに。なんか気の利いたこと言いますから。
さて、ということでね、
本日、藤やんさんと広島から帰って参りました。
昨日、広島の女子大で行われました
「日本質的心理学会」というものに参加してまいりました。
実は、九州大学で臨床心理学を研究されております
佐々木玲二先生という方が、
1年掛りくらいで、ぼくと藤やんさんにインタビューされてね、
水曜どうでしょうの面白さの構造みたいなものを分析されて、
その一旦をその学会で発表されるということなので、
二人して出かけて行ったわけですが、これが面白いわけです。
ぼくらが聞いて面白いと思うわけですから、
みなさんが聞いて面白くないわけがない。
だからこれねぇ、みなさんに聞いてもらいたいなぁ。
「ははぁ、そう来る」というのがね、
ありまして、ためになりますのさ。
「水曜どうでしょう」を分析することは、
心理学的に意義のあることですと、
佐々木先生は、おしゃってましたですよ奥さん。えぇ。
そしてそこに、あの内田樹先生もお出でになりましてね、
内田先生からもまた実に面白いお話を聞きまして、
非常に幸せな気持ちになって帰ってまいったわけでありますよ。
なんかねぇ、世界経済が破綻して、
世界中がひどいことになっても、
日本人には、宮崎駿の世界という老若男女が共通して認識できてる幸福なモデル世界があるんだから、
日本がどうにかなっちゃったら、
あの宮崎駿の世界に戻れば好いんですよ的なね、
あのトトロの引越しの世界に戻って、
あそこからもう一度、
ぼくらみんなの力で、人間的に幸福な社会を
作っていけばいいって、内田先生が話されたものですから、
私はもうもう、「あぁそれだ!」といたく感激いたしまして、
すっかり幸せな気持ちになったわけであります。
まだまだ我々日本人、
やることありますね奥さん。
その内田樹先生も「水曜どうでしょう」ヘビービュアーですと自認されておりましてね、実にありがたいことでございました。
わたくし「下流志向」以来、
内田先生の新刊が出るたびに買い求めまして、
読み進みながら「いやもうほんと、そうそう!」と、
頷きっぱなしでね、
こっちゃぁもうもう、読むたびに首が痛いくらいでありますよ。
その内田先生と帰り際に握手していただきましてね。
いやぁどうでしょうやってて良かったなぁ、
という幸福の瞬間でありました。はい。
というね、
えぇ、たいそうアカデミックに有意義な、
広島の日々でございましたの奥さん。
ささ、ということでね、
藤村さんは、さっそくDVDの編集を始めております。
みなさんも、各自の持ち場で奮闘くださいませ!
本日も、どうーもありがとう!
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http://news.dengeki.com/premium/suidou/
(14:31 藤村)

嬉野

2011年11月28日(月)
嬉野です。
あのね奥さん。
きたる12月2日と3日にね、
東京タンバリンさんのお芝居
「ゼロから始める」の札幌公演がありますの。
もうすぐなのね。
作・演出の高井浩子さんの作り出す世界はさぁ、
あれなんですよねぇ、
眺めていて、なんとも居心地が好いのですよ。
ぼくらは劇場に入り、イスに座るわけです。
やがて場内が暗くなりますでしょう、
そうして舞台に出てくる人たちを、あとはじっと眺めてる。
奇妙な居心地の好さはそうするうちにやって来るの。
そして思うの、
「あぁ、このまま終わらなくても好いなぁ」って。
タンバリンさんが札幌に来てくれることもそうそうないだろうから、お時間のある方はこの機会に一度体験してみるといいのですよ。
チケットはまだ買えるのだそうですからね。
奥さんさっそく以下のHPへ行ってみてくださいませ。
http://tanbarin.sunnyday.jp/
それと2日は藤村さんと嬉野さんとで、
お芝居の後のアフタートークにお邪魔することになっておりますの。こちらもお楽しみに。なんか気の利いたこと言いますから。
さて、ということでね、
本日、藤やんさんと広島から帰って参りました。
昨日、広島の女子大で行われました
「日本質的心理学会」というものに参加してまいりました。
実は、九州大学で臨床心理学を研究されております
佐々木玲二先生という方が、
1年掛りくらいで、ぼくと藤やんさんにインタビューされてね、
水曜どうでしょうの面白さの構造みたいなものを分析されて、
その一旦をその学会で発表されるということなので、
二人して出かけて行ったわけですが、これが面白いわけです。
ぼくらが聞いて面白いと思うわけですから、
みなさんが聞いて面白くないわけがない。
だからこれねぇ、みなさんに聞いてもらいたいなぁ。
「ははぁ、そう来る」というのがね、
ありまして、ためになりますのさ。
「水曜どうでしょう」を分析することは、
心理学的に意義のあることですと、
佐々木先生は、おしゃってましたですよ奥さん。えぇ。
そしてそこに、あの内田樹先生もお出でになりましてね、
内田先生からもまた実に面白いお話を聞きまして、
非常に幸せな気持ちになって帰ってまいったわけでありますよ。
なんかねぇ、世界経済が破綻して、
世界中がひどいことになっても、
日本人には、宮崎駿の世界という老若男女が共通して認識できてる幸福なモデル世界があるんだから、
日本がどうにかなっちゃったら、
あの宮崎駿の世界に戻れば好いんですよ的なね、
あのトトロの引越しの世界に戻って、
あそこからもう一度、
ぼくらみんなの力で、人間的に幸福な社会を
作っていけばいいって、内田先生が話されたものですから、
私はもうもう、「あぁそれだ!」といたく感激いたしまして、
すっかり幸せな気持ちになったわけであります。
まだまだ我々日本人、
やることありますね奥さん。
その内田樹先生も「水曜どうでしょう」ヘビービュアーですと自認されておりましてね、実にありがたいことでございました。
わたくし「下流志向」以来、
内田先生の新刊が出るたびに買い求めまして、
読み進みながら「いやもうほんと、そうそう!」と、
頷きっぱなしでね、
こっちゃぁもうもう、読むたびに首が痛いくらいでありますよ。
その内田先生と帰り際に握手していただきましてね。
いやぁどうでしょうやってて良かったなぁ、
という幸福の瞬間でありました。はい。
というね、
えぇ、たいそうアカデミックに有意義な、
広島の日々でございましたの奥さん。
ささ、ということでね、
藤村さんは、さっそくDVDの編集を始めております。
みなさんも、各自の持ち場で奮闘くださいませ!
本日も、どうーもありがとう!
★ただ今、電撃オンラインで!
「藤やんうれしーの悩むだけ損!」が好評連載中です!
くじらさんもイラスト書いてくれてますの!
http://news.dengeki.com/premium/suidou/
(17:58 嬉野)

藤村

11月25日金曜日。藤村でございます。
今日と明日土曜日の2日間、仙台に本拠を置く「白A」さんの札幌公演がございます。おもしろいと思いますから、近郊の方々はぜひ。
さて先日のこと。愛媛県の広報誌の方がわざわざ札幌にいらっしゃって取材を受けました。
地域を活性化するために、メディアとどう関わればよいか、みたいなお話です。
「地域おこし」をしようとすれば、地元メディアも行政も、地元のよいところを取り上げて「我が町の○○はこんなに素晴らしい」と発信します。それは、仕事として当然のことのようではありますが、でもよく考えてみれば、それを受ける住民のほうが、「そうですね!素晴らしいですね!」と素直に受け取って盛り上がってくれているでしょうか?たぶん多くの人は、「またおんなじこと言ってるよ」「ウチのいいとこはそれしかないのかよ」「ていうか、そんなものどこでもあるんじゃないの?」なんてことを思っているんじゃないでしょうか。
人と話をする場合、自分のいいところ、つまり自慢話ばかりしていては、話を聞いてもらえない。それどころか、信頼さえ失ってしまう。「あの人の話はもう聞かなくていいよ」と。そんな当たり前の道理が、「地域情報の発信」となると、すっかり抜けてしまうんです。メディアの仕事は、人に物事を伝えることであって、その伝え方に工夫をこらすのが腕の見せ所のはずなんだけど、でも、地元の情報発信となると、なぜか「いいですよ!」「おいしいですよ!」しか言えなくなる。どうしてか?それは、自分たちも地元に住んでいるからです。地元に住んでいるから、「いいところ」とはつまり「普通のこと」でしかない。普通のことを無理して飾って伝えようとするから、たいした表現が出てこない。「いいですよ!」ぐらいの、同じ言葉の繰り返しになる。聞いているほうは、またかと思ってしまう。そういうことなんです。
「水曜どうでしょう」は、だから北海道を出ました。ぼくらが、広い牧場を見ようが、雪を見ようが、カニを食おうが、そこに驚きはないんです。驚きがなければ、無理して笑いを作り、無理して感動を作り出すだけのテレビになってしまう。何も人には伝わらない。だから北海道を出て、でも、「帰ってくるところは北海道」という、「早く北海道に帰ろう」という、そこに地元メディアとしてのアイデンティティーを求めた・・・とまぁ、そんな感じの話をしたわけです。
地元メディアが地元のいいところを発信し、それを人に受け入れてもらうのは、実はとても難しいテクニックが必要なんです。そのテクニックが何なのかは、まだはっきりわかりませんが、でも、外の世界で体験した出来事を話すとき、人はとても饒舌になるものです。そして、相手も身を乗り出して聞いてくれる。「おぉーそれで?」「へぇー!そんなことがあるのか!」と。
嬉野先生と最近、関西によく出張にでかけております。
「メイド・イン・ジャパン」を旗印に「新たなグッズを作り出す」という名目で、あちこち見て回ります。かの地のモノ作りには、やはり歴史があって、いつも驚かされます。そんな中で、まずは京都の染物屋さんで「風呂敷」を作ってみました。我々はテレビの人間ですから、「買ってほしい」というより、「知ってほしい」という気持ちの方が俄然強くて、そのために現地に行って、まずは作っている人たちの話を聞いてくるわけです。「原材料はなんですか?」「どういう行程で作るんですか?」と。これは、いわば取材ですから、テレビの仕事の範疇でありますが、我々の場合、さらにその商品を実際にデザインし、発注して、売るところまでやってしまっているわけで、これはもう小売業者の範疇にまで行ってるわけです。こうなると、売った商品の信頼性がすなわち、番組を作る我々への信頼と直結するわけですから、ヘタなものは作れません。
大阪の下町、東大阪には小さな町工場がたくさんあります。直木賞をとった「下町ロケット」の舞台にもなったこの町に、アクリル製品を専門に作っている「クリスロン」という小さな工場があります。
我々はここ数ヶ月、この工場に通って、今、「メイド・イン・ジャパン」の新たなグッズを作っております。
アクリル製品といえば、大きいものでは、水族館の巨大な水槽があります。アクリルは、強度と透明度に優れた物質で、その加工技術は日本が世界一なんです。
そんな中で、この「クリスロン」という小さな町工場で作っているのは、たとえば「紅白歌合戦」に出場した歌手に贈られる記念品。それは、透明なアクリル板の中に記念のプレートが埋め込まれたものですが、アクリルの透明度がハンパないために、あたかもプレートが宙に浮いているように見えるんです。
他にも、真四角のアクリルの直方体の中に、桜の花びらを何枚も埋め込んだものもありました。ある飲食店のディスプレー用に製作されたもので、それは、四角いアクリルのカタマリの中で、本当に桜吹雪が舞っているように見えるんです。
つまり、この工場の特質は、非常に優れた透明度を誇るアクリルの製作と、そこに物を埋め込む技術が優れているんです。技術といっても、そのすべては手作業。実に手間のかかることをコツコツとやっているんです。
そして、驚くべきことに、この工場で使っているアクリルの原材料は、すべて日本産。工業製品の原料自体もすべて国産でまかなっているとは、なかなか信じられない話ですが、ここでは新潟沖で採掘されている天然ガスから抽出された高純度の国産原料のみを使っているそうです。外国産の原材料では、この透明度は出せないと。
まさしく「メイド・イン・ジャパン」の逸品!
この純日本製のアクリルを使って、我々はグッズを作りたいと思いました。
思いついたのが、キーホルダー。それも、田舎のビジネスホテルなんかで渡される、部屋番号の書かれた、あの長い棒状の、でっかいキーホルダー。「必ずフロントにあずけてください」と言われる、あの持ち歩くには不便な、あの重いキーホルダー。あれを作ります。
だって、クリスロンさんが作るアクリルの素晴らしさを知ってもらうためには、ある程度の大きさと、手にした時のずっしりとくる重量感を味わってもらわなければ意味がないんです。そして、その素晴らしさを、常に手元に置いて味わってもらうためには、キーホルダー。これは最善の選択です。その上、このキーホルダーさえ持てば、もうカバンの中で「カギはどこだ?」と探す必要はありません。だって、すごい存在感ですから。それはもう、うっとおしいぐらいに。
そして我々は、さらにクリスロンさんの、アクリルの中に物を埋め込む技術も存分に活かしたいと考えました。このキーホルダーの中に、何かを埋め込む・・・。
たとえば、「小さなサイコロ」なんてどうだろう?
どうでしょうらしいじゃないか。
でも私は、どうせなら、実際のロケで、実際に我々と旅をした物を埋め込みたいと思いました。サイコロであれば、そんな小さな作り物ではなく、我々が実際に使った実物のサイコロを埋め込むぐらいの・・・。
しかし、それは現実的ではありません。数は少ないし、なにより、サイコロキャラメルの空き箱なんか、デカ過ぎてキーホルダーには埋め込めない。
何か、もっと小さいもので、適当な物はないか。そうだ、いっそのこと、タレント陣が着た衣装かなにかを小さく切り刻んで、その布切れを埋め込んでもらおうか。
いや、それでは乱暴過ぎるし、それにあとできっと後悔する。あの衣装を残しておけばよかったと。
何か、何か小さいもので、数が多くて、我々と一緒に旅をした物はないか。
おっ・・・あった。あったぞ!
DVDが発売されたばかりの「原付東日本」。
あの旅の中で、ミスターが札幌まで運んできた物。
そうだ!
米だ!
米なら、何万粒でもあるじゃないか!
いや、しかし、新潟で買った魚沼産の高級コシヒカリは、みんなでお土産として持って帰って食っちゃったし、残った一袋も「シェフ大泉夏野菜」で、パイ生地に包んで焼かれてしまった。
でも、でも!秋田で買った「あきたこまち」は、まだ倉庫に保管しているはずだ!
あった。あったぞ!
ミスターが実際に運んできた「あきたこまち」を、ひと粒ずつ!アクリルの中に埋め込もうじゃないか!
「ジャングル風呂敷」に続く「メイド・イン・ジャパン」シリーズの第2弾は、「あきたこまちをひと粒ずつ埋め込んだアクリル製の長ーいキーホルダー」となりました。
そして先日、私と嬉野先生と石坂店長は、12年前に実際にロケで使った「あきたこまち」を持って、東大阪に向かいました。
そして、その場で試作品を実際に作ってもらいました。
そして見事に!小さな米粒が、アクリルの中にちょこんと埋め込まれたのであります。
そのレポートは、写真入りで後日公開予定!
今ごろ東大阪のクリスロンさんでは、12年前に秋田で買った古米中の古米「あきたこまち」を、ひと粒ずつ、アクリルに埋め込む作業を、地味にスタートしているはずです。
クリスロンさんも、「よりによって米とは・・・」と、内心思っているかもしれません。「めんどくさいじゃないか」と。しかしみなさん、ご安心ください。
クリスロンの責任者、高山さんは、大のどうでしょうファン。めんどくさいどころか、「光栄です」と言って、大乗り気で作ってくれております。
どうでしょうつながりは、血縁よりも濃い。そして、どうでしょうファンは、どこにでもいる。心強いばかりです。
どうでしょう好きの高山さんが、「あきたこまち」を、ひと粒ひと粒、ピンセットで埋め込む珠玉のアクリル製キーホルダー。
これは、間違いなく「メイド・イン・ジャパン」の誇りが詰まった逸品になりますぞ。
完成が待ち遠しいばかりでございます。
ではまた来週!
【昨日の嬉野日記】
2011年11月24日(木)
嬉野です。
ここで書いてるぼくらの日記を読んで、
白Aさんの公演を見に行く人がけっこうおられるようで、
あまりの面白さに皆さん一様に驚かれてるようでね、
その驚きの感じが手に取るようで面白いですね。
白Aは、一度見てみるもんですよ。
人間って、こういう刺激を受け取りたがっているんだなってことが、自分で分かりますもんね。
あさは、芝居とは違う、マッサージに近い気持ちの良さですよ。
脳内マッサージね。
さて、
掲示板にこんなのがありました。
【大混乱世界】
シュン@富山県
僕は今思えば、すぐに何でも妥協してました。
高校の部活では、最後まで団体戦メンバーに入れませんでした。
でも心の中では、きつい練習しなくていいから。って理由をつけて、そこから逃げてました。
大学受験は、前期に失敗して、後期で合格した大学へ。
親に「大学楽しいか?」って言われても、「少しも楽しくない。」と親のせいであるかのように言ってしまいます。
憧れてた大学の軽音部もライブに一回出てやめてしまいました。
周りには、「先輩と揉めた。」と言い訳してるけど、
一番の理由はきっとレベルの高さについていけないから。
大学に入ってから始めた初バイト。
これだけは続いていてやっと1年経った。
でも未だにミスばかりで、成長しない自分が歯がゆくて……
やっぱりやめたい。
でも、もう逃げたくない。
もう20歳になるっていうのに。
いろんなものが混ざり合って、
人と距離を感じてしまうようになりました。
目を合わして話すのは苦手だ。
1人でいるのが楽だ。
でも寂しさを感じてしまうのが悔しいです。
長文失礼しました。
でも書いて吐き出したら少し楽になりました。
新しいDVD楽しみにしてますね。
★これ私ね、読んで思ったですけど、
こういう文章って、
読んだ人みんな共感するんじゃないですか?
ほとんどの人がこうだと思うから。
だれも口にしないだけですよね。
でも、こうやって誰かが口にしてくれるとホッとする。
人ってそういうところで生きている。
オレなんかそう思うよね。
これだけ自分のこと分かってりゃ立派なものだと思う。
成長しない自分って書いてるけど、
立派に成長してるとしか思えないけどね。
あとは、これを口にしていくだけじゃない?
あなたの周りの人にこの部分を話していくこと。
それは、自分の出来ない部分を周囲に積極的に見せていくということに繋がっていくのだと思いますから。
世間を生きる極意はね、
出来ない部分をさらして、
「悪いが、ここは出来るようにはならないのでヨロシク!」
と言いながら、なおかつその場所に居座るということだから。
出来ない部分を内緒にして生きていくと疲れるよんだよね。
だから一人でいたくなるの。
本当は、自分のことを分かってくれる人と一緒にいたいんだもん。だったら一人でいちゃだめだよね。
だんだん、だめになってっちゃうよね。
だから口に出して言ってくの、
「あぁ、それはできないんだよねぇ。その能力はないなぁ」
って発言していく。それだよね。
言い馴れてくると、
「できない」を口にする事は抵抗が無くなってくるから。
あれだよ。
掲示板にこれだけ書けるんだからね。
たいしたもんだよ。
オレなんか、読みながら、「あぁ、ねぇ」って思ったよ。
好感持てたってことだよ。
だから、口にしても大丈夫よ。
きっと好感持たれるよ。
親も、息子にこんだけ言ってもらえるとホッとすると思うなぁ。
嬉しいと思う。
だってオレがおめぇの親だったら喜ぶもん。
そんなうち明け話をされてね、
「あぁ、あいつも生きていくんだなぁ」
って思って、聞いた後に親はきっとしみじみする。
「オレの息子だから大した者には、ならんだろうが、
あいつはまともに生きていきそうだなぁ。やっぱりオレの子だ」
ってね、きっと思う。
子ども作って好かったなって思う。
親は何かの折に、親しい友人かなんかに話すだろうね。
「いやぁ、あいつも頑張ってるようでね…」ってね。
「そうねぇ、オレたちにもあったな、若いころな…」って、
その友人もしみじみする。
人間が生きていく世界ってそういうとこだと思うよ。
すっごくちっちゃいの。
世間にある成功物語って、
励みになるけど、
時にみんなを縛るよね。
成功物語を見て、あんな人になりたいと思うのは、
その人が成功しているからなんだよね。
だから、なんでもかんでもその人のようでなければ
ハッピーエンドが手に入らないような気がして、
その人のような人格でなければいけないと思って、
その人と自分を比べて「ずいぶん遠いな」って思う。
当たり前なんだよね遠いのは。
だって、自分はその人じゃないんだから。
少し考えれば分かることなんだけど、
違うってことで勝手に落ち込んだりする。
オレねぇ、思うんだけど、
いっぺん失敗してみればいいんだよね。
逃げないってそういうことだと思う。
「出来ない自分」を自分にも周囲にも見せちゃう。
いい大人が泣きながらそこに居続けるということだね。
カッコ悪いの。
で、みっともないのはね、
周囲に体裁をつけようとする時かな?
あれ、体裁つけてる時って、
もうバレてるんだよね。
隠せないんだ。
あれって本人だけなんだよ、
隠せてる気になっているのは。
本当はみんなにバレテル。
だからなんだよ、当人が出来ないことを口にすると、
魔法のように共感されることがあるのは。
その瞬間から、当人も周囲も気が楽になるんだね。
例えば、ずらだってことがバレテル状況に似てるね。
「ずらなんだよね」って本人に言ってもらった方が周囲も楽なんだよね、だって周囲は知ってるから。
でも、当人がバレてないって思ってて言わないから、
あぁこれって言っちゃいけないんだろうなぁって思って、
周りはその人とといるのがどんどん苦しくなる。
そういう感じだよね。
でも、好いね。
こういうこと言ってくれる若い人って、
オレこういう人、好感もてるよ。
青春って、
まだあったねって思えて、ちょっとうれしいね。
あんまりよく見えないけど、
世間の真実の姿はね、
意外にほとんどの人が、
実はちっちぇ人間なんだということだよね。
だから順にありのままを白状していけば楽になれる、
ほんとはね。
そして、ちっちぇー人たちが、
この世界を支えているんだと思う。
偉大なものだと思う。
ということでね、
しみじみとしつつ、しめだね。
さぁ、ということでね、みなさん。
本日も、ごくろうさまではありますが!
各自の持ち場でどーぞ奮闘くださいませ。
なにとぞよろしく。
解散!
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(15:00 藤村)