11月25日金曜日。藤村でございます。

藤村

11月25日金曜日。藤村でございます。
今日と明日土曜日の2日間、仙台に本拠を置く「白A」さんの札幌公演がございます。おもしろいと思いますから、近郊の方々はぜひ。
さて先日のこと。愛媛県の広報誌の方がわざわざ札幌にいらっしゃって取材を受けました。
地域を活性化するために、メディアとどう関わればよいか、みたいなお話です。
「地域おこし」をしようとすれば、地元メディアも行政も、地元のよいところを取り上げて「我が町の○○はこんなに素晴らしい」と発信します。それは、仕事として当然のことのようではありますが、でもよく考えてみれば、それを受ける住民のほうが、「そうですね!素晴らしいですね!」と素直に受け取って盛り上がってくれているでしょうか?たぶん多くの人は、「またおんなじこと言ってるよ」「ウチのいいとこはそれしかないのかよ」「ていうか、そんなものどこでもあるんじゃないの?」なんてことを思っているんじゃないでしょうか。
人と話をする場合、自分のいいところ、つまり自慢話ばかりしていては、話を聞いてもらえない。それどころか、信頼さえ失ってしまう。「あの人の話はもう聞かなくていいよ」と。そんな当たり前の道理が、「地域情報の発信」となると、すっかり抜けてしまうんです。メディアの仕事は、人に物事を伝えることであって、その伝え方に工夫をこらすのが腕の見せ所のはずなんだけど、でも、地元の情報発信となると、なぜか「いいですよ!」「おいしいですよ!」しか言えなくなる。どうしてか?それは、自分たちも地元に住んでいるからです。地元に住んでいるから、「いいところ」とはつまり「普通のこと」でしかない。普通のことを無理して飾って伝えようとするから、たいした表現が出てこない。「いいですよ!」ぐらいの、同じ言葉の繰り返しになる。聞いているほうは、またかと思ってしまう。そういうことなんです。
「水曜どうでしょう」は、だから北海道を出ました。ぼくらが、広い牧場を見ようが、雪を見ようが、カニを食おうが、そこに驚きはないんです。驚きがなければ、無理して笑いを作り、無理して感動を作り出すだけのテレビになってしまう。何も人には伝わらない。だから北海道を出て、でも、「帰ってくるところは北海道」という、「早く北海道に帰ろう」という、そこに地元メディアとしてのアイデンティティーを求めた・・・とまぁ、そんな感じの話をしたわけです。
地元メディアが地元のいいところを発信し、それを人に受け入れてもらうのは、実はとても難しいテクニックが必要なんです。そのテクニックが何なのかは、まだはっきりわかりませんが、でも、外の世界で体験した出来事を話すとき、人はとても饒舌になるものです。そして、相手も身を乗り出して聞いてくれる。「おぉーそれで?」「へぇー!そんなことがあるのか!」と。
嬉野先生と最近、関西によく出張にでかけております。
「メイド・イン・ジャパン」を旗印に「新たなグッズを作り出す」という名目で、あちこち見て回ります。かの地のモノ作りには、やはり歴史があって、いつも驚かされます。そんな中で、まずは京都の染物屋さんで「風呂敷」を作ってみました。我々はテレビの人間ですから、「買ってほしい」というより、「知ってほしい」という気持ちの方が俄然強くて、そのために現地に行って、まずは作っている人たちの話を聞いてくるわけです。「原材料はなんですか?」「どういう行程で作るんですか?」と。これは、いわば取材ですから、テレビの仕事の範疇でありますが、我々の場合、さらにその商品を実際にデザインし、発注して、売るところまでやってしまっているわけで、これはもう小売業者の範疇にまで行ってるわけです。こうなると、売った商品の信頼性がすなわち、番組を作る我々への信頼と直結するわけですから、ヘタなものは作れません。
大阪の下町、東大阪には小さな町工場がたくさんあります。直木賞をとった「下町ロケット」の舞台にもなったこの町に、アクリル製品を専門に作っている「クリスロン」という小さな工場があります。
我々はここ数ヶ月、この工場に通って、今、「メイド・イン・ジャパン」の新たなグッズを作っております。
アクリル製品といえば、大きいものでは、水族館の巨大な水槽があります。アクリルは、強度と透明度に優れた物質で、その加工技術は日本が世界一なんです。
そんな中で、この「クリスロン」という小さな町工場で作っているのは、たとえば「紅白歌合戦」に出場した歌手に贈られる記念品。それは、透明なアクリル板の中に記念のプレートが埋め込まれたものですが、アクリルの透明度がハンパないために、あたかもプレートが宙に浮いているように見えるんです。
他にも、真四角のアクリルの直方体の中に、桜の花びらを何枚も埋め込んだものもありました。ある飲食店のディスプレー用に製作されたもので、それは、四角いアクリルのカタマリの中で、本当に桜吹雪が舞っているように見えるんです。
つまり、この工場の特質は、非常に優れた透明度を誇るアクリルの製作と、そこに物を埋め込む技術が優れているんです。技術といっても、そのすべては手作業。実に手間のかかることをコツコツとやっているんです。
そして、驚くべきことに、この工場で使っているアクリルの原材料は、すべて日本産。工業製品の原料自体もすべて国産でまかなっているとは、なかなか信じられない話ですが、ここでは新潟沖で採掘されている天然ガスから抽出された高純度の国産原料のみを使っているそうです。外国産の原材料では、この透明度は出せないと。
まさしく「メイド・イン・ジャパン」の逸品!
この純日本製のアクリルを使って、我々はグッズを作りたいと思いました。
思いついたのが、キーホルダー。それも、田舎のビジネスホテルなんかで渡される、部屋番号の書かれた、あの長い棒状の、でっかいキーホルダー。「必ずフロントにあずけてください」と言われる、あの持ち歩くには不便な、あの重いキーホルダー。あれを作ります。
だって、クリスロンさんが作るアクリルの素晴らしさを知ってもらうためには、ある程度の大きさと、手にした時のずっしりとくる重量感を味わってもらわなければ意味がないんです。そして、その素晴らしさを、常に手元に置いて味わってもらうためには、キーホルダー。これは最善の選択です。その上、このキーホルダーさえ持てば、もうカバンの中で「カギはどこだ?」と探す必要はありません。だって、すごい存在感ですから。それはもう、うっとおしいぐらいに。
そして我々は、さらにクリスロンさんの、アクリルの中に物を埋め込む技術も存分に活かしたいと考えました。このキーホルダーの中に、何かを埋め込む・・・。
たとえば、「小さなサイコロ」なんてどうだろう?
どうでしょうらしいじゃないか。
でも私は、どうせなら、実際のロケで、実際に我々と旅をした物を埋め込みたいと思いました。サイコロであれば、そんな小さな作り物ではなく、我々が実際に使った実物のサイコロを埋め込むぐらいの・・・。
しかし、それは現実的ではありません。数は少ないし、なにより、サイコロキャラメルの空き箱なんか、デカ過ぎてキーホルダーには埋め込めない。
何か、もっと小さいもので、適当な物はないか。そうだ、いっそのこと、タレント陣が着た衣装かなにかを小さく切り刻んで、その布切れを埋め込んでもらおうか。
いや、それでは乱暴過ぎるし、それにあとできっと後悔する。あの衣装を残しておけばよかったと。
何か、何か小さいもので、数が多くて、我々と一緒に旅をした物はないか。
おっ・・・あった。あったぞ!
DVDが発売されたばかりの「原付東日本」。
あの旅の中で、ミスターが札幌まで運んできた物。
そうだ!
米だ!
米なら、何万粒でもあるじゃないか!
いや、しかし、新潟で買った魚沼産の高級コシヒカリは、みんなでお土産として持って帰って食っちゃったし、残った一袋も「シェフ大泉夏野菜」で、パイ生地に包んで焼かれてしまった。
でも、でも!秋田で買った「あきたこまち」は、まだ倉庫に保管しているはずだ!
あった。あったぞ!
ミスターが実際に運んできた「あきたこまち」を、ひと粒ずつ!アクリルの中に埋め込もうじゃないか!
「ジャングル風呂敷」に続く「メイド・イン・ジャパン」シリーズの第2弾は、「あきたこまちをひと粒ずつ埋め込んだアクリル製の長ーいキーホルダー」となりました。
そして先日、私と嬉野先生と石坂店長は、12年前に実際にロケで使った「あきたこまち」を持って、東大阪に向かいました。
そして、その場で試作品を実際に作ってもらいました。
そして見事に!小さな米粒が、アクリルの中にちょこんと埋め込まれたのであります。
そのレポートは、写真入りで後日公開予定!
今ごろ東大阪のクリスロンさんでは、12年前に秋田で買った古米中の古米「あきたこまち」を、ひと粒ずつ、アクリルに埋め込む作業を、地味にスタートしているはずです。
クリスロンさんも、「よりによって米とは・・・」と、内心思っているかもしれません。「めんどくさいじゃないか」と。しかしみなさん、ご安心ください。
クリスロンの責任者、高山さんは、大のどうでしょうファン。めんどくさいどころか、「光栄です」と言って、大乗り気で作ってくれております。
どうでしょうつながりは、血縁よりも濃い。そして、どうでしょうファンは、どこにでもいる。心強いばかりです。
どうでしょう好きの高山さんが、「あきたこまち」を、ひと粒ひと粒、ピンセットで埋め込む珠玉のアクリル製キーホルダー。
これは、間違いなく「メイド・イン・ジャパン」の誇りが詰まった逸品になりますぞ。
完成が待ち遠しいばかりでございます。
ではまた来週!
【昨日の嬉野日記】
2011年11月24日(木)
嬉野です。
ここで書いてるぼくらの日記を読んで、
白Aさんの公演を見に行く人がけっこうおられるようで、
あまりの面白さに皆さん一様に驚かれてるようでね、
その驚きの感じが手に取るようで面白いですね。
白Aは、一度見てみるもんですよ。
人間って、こういう刺激を受け取りたがっているんだなってことが、自分で分かりますもんね。
あさは、芝居とは違う、マッサージに近い気持ちの良さですよ。
脳内マッサージね。
さて、
掲示板にこんなのがありました。
【大混乱世界】
シュン@富山県
僕は今思えば、すぐに何でも妥協してました。
高校の部活では、最後まで団体戦メンバーに入れませんでした。
でも心の中では、きつい練習しなくていいから。って理由をつけて、そこから逃げてました。
大学受験は、前期に失敗して、後期で合格した大学へ。
親に「大学楽しいか?」って言われても、「少しも楽しくない。」と親のせいであるかのように言ってしまいます。
憧れてた大学の軽音部もライブに一回出てやめてしまいました。
周りには、「先輩と揉めた。」と言い訳してるけど、
一番の理由はきっとレベルの高さについていけないから。
大学に入ってから始めた初バイト。
これだけは続いていてやっと1年経った。
でも未だにミスばかりで、成長しない自分が歯がゆくて……
やっぱりやめたい。
でも、もう逃げたくない。
もう20歳になるっていうのに。
いろんなものが混ざり合って、
人と距離を感じてしまうようになりました。
目を合わして話すのは苦手だ。
1人でいるのが楽だ。
でも寂しさを感じてしまうのが悔しいです。
長文失礼しました。
でも書いて吐き出したら少し楽になりました。
新しいDVD楽しみにしてますね。
★これ私ね、読んで思ったですけど、
こういう文章って、
読んだ人みんな共感するんじゃないですか?
ほとんどの人がこうだと思うから。
だれも口にしないだけですよね。
でも、こうやって誰かが口にしてくれるとホッとする。
人ってそういうところで生きている。
オレなんかそう思うよね。
これだけ自分のこと分かってりゃ立派なものだと思う。
成長しない自分って書いてるけど、
立派に成長してるとしか思えないけどね。
あとは、これを口にしていくだけじゃない?
あなたの周りの人にこの部分を話していくこと。
それは、自分の出来ない部分を周囲に積極的に見せていくということに繋がっていくのだと思いますから。
世間を生きる極意はね、
出来ない部分をさらして、
「悪いが、ここは出来るようにはならないのでヨロシク!」
と言いながら、なおかつその場所に居座るということだから。
出来ない部分を内緒にして生きていくと疲れるよんだよね。
だから一人でいたくなるの。
本当は、自分のことを分かってくれる人と一緒にいたいんだもん。だったら一人でいちゃだめだよね。
だんだん、だめになってっちゃうよね。
だから口に出して言ってくの、
「あぁ、それはできないんだよねぇ。その能力はないなぁ」
って発言していく。それだよね。
言い馴れてくると、
「できない」を口にする事は抵抗が無くなってくるから。
あれだよ。
掲示板にこれだけ書けるんだからね。
たいしたもんだよ。
オレなんか、読みながら、「あぁ、ねぇ」って思ったよ。
好感持てたってことだよ。
だから、口にしても大丈夫よ。
きっと好感持たれるよ。
親も、息子にこんだけ言ってもらえるとホッとすると思うなぁ。
嬉しいと思う。
だってオレがおめぇの親だったら喜ぶもん。
そんなうち明け話をされてね、
「あぁ、あいつも生きていくんだなぁ」
って思って、聞いた後に親はきっとしみじみする。
「オレの息子だから大した者には、ならんだろうが、
あいつはまともに生きていきそうだなぁ。やっぱりオレの子だ」
ってね、きっと思う。
子ども作って好かったなって思う。
親は何かの折に、親しい友人かなんかに話すだろうね。
「いやぁ、あいつも頑張ってるようでね…」ってね。
「そうねぇ、オレたちにもあったな、若いころな…」って、
その友人もしみじみする。
人間が生きていく世界ってそういうとこだと思うよ。
すっごくちっちゃいの。
世間にある成功物語って、
励みになるけど、
時にみんなを縛るよね。
成功物語を見て、あんな人になりたいと思うのは、
その人が成功しているからなんだよね。
だから、なんでもかんでもその人のようでなければ
ハッピーエンドが手に入らないような気がして、
その人のような人格でなければいけないと思って、
その人と自分を比べて「ずいぶん遠いな」って思う。
当たり前なんだよね遠いのは。
だって、自分はその人じゃないんだから。
少し考えれば分かることなんだけど、
違うってことで勝手に落ち込んだりする。
オレねぇ、思うんだけど、
いっぺん失敗してみればいいんだよね。
逃げないってそういうことだと思う。
「出来ない自分」を自分にも周囲にも見せちゃう。
いい大人が泣きながらそこに居続けるということだね。
カッコ悪いの。
で、みっともないのはね、
周囲に体裁をつけようとする時かな?
あれ、体裁つけてる時って、
もうバレてるんだよね。
隠せないんだ。
あれって本人だけなんだよ、
隠せてる気になっているのは。
本当はみんなにバレテル。
だからなんだよ、当人が出来ないことを口にすると、
魔法のように共感されることがあるのは。
その瞬間から、当人も周囲も気が楽になるんだね。
例えば、ずらだってことがバレテル状況に似てるね。
「ずらなんだよね」って本人に言ってもらった方が周囲も楽なんだよね、だって周囲は知ってるから。
でも、当人がバレてないって思ってて言わないから、
あぁこれって言っちゃいけないんだろうなぁって思って、
周りはその人とといるのがどんどん苦しくなる。
そういう感じだよね。
でも、好いね。
こういうこと言ってくれる若い人って、
オレこういう人、好感もてるよ。
青春って、
まだあったねって思えて、ちょっとうれしいね。
あんまりよく見えないけど、
世間の真実の姿はね、
意外にほとんどの人が、
実はちっちぇ人間なんだということだよね。
だから順にありのままを白状していけば楽になれる、
ほんとはね。
そして、ちっちぇー人たちが、
この世界を支えているんだと思う。
偉大なものだと思う。
ということでね、
しみじみとしつつ、しめだね。
さぁ、ということでね、みなさん。
本日も、ごくろうさまではありますが!
各自の持ち場でどーぞ奮闘くださいませ。
なにとぞよろしく。
解散!
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(15:00 藤村)