嬉野

2007年11月8日(木)
嬉野です。
昨晩は、書かんでいいっちゅーのに掲示板は晩ご飯のお献立で賑わっておりましたが、どーしたことでありましょうか。
まぁ皆さん全国的に美味しそうな夜を迎えられたようで何よりでありますよ。
さて、私は本日お休みをいただきましてね、うちの奥さんと一緒に格安バスツアーにでまして、ただ今家路についておるところでありますよ。実に楽しい一日となりました。
雨降ってきましたねぇ。すっかり暗くなりました。まだ札幌までしばらくかかりますのでね、わたしゃ寝ますので皆さんどーぞ本日もお達者で!
じゃ、また明日。
解散!
揺れますなぁバスは。
(16:35 嬉野)

嬉野

2007年11月7日(水)
嬉野です。
お腹がすきませんか奥さん。
そうでもないですか?
私はすきましたんでございますよ。
食欲の秋でございますね。
日が暮れますと腹がへります。
お仕事帰りのみなさんはいかがですか?
今夜のおたくの食卓には、どんなお料理が上るのでしょうかねぇ。
いえ、アンケート調査じゃないので掲示板の方にぞくぞくと献立を送ってこないでもいいんですよ。
腹がへるばかりですから。
ちょっとした、ごあいさつ程度の質問でございますからね。
もうかりまっか?みたいなもんですから。
詳細に収支計算をされました帳面を見せられましても、
困るようなものですから。
お気になさらずに。
じゃ奥さん、また明日。
あれ?これじゃ、みじかい?(笑)
いいじゃないのよ、たまには。
それでは美味しいものをお腹いっぱい食べて、
嫌な事に負けず、意地でも明日を乗り切ろう!
解散!
(18:33 嬉野)

嬉野

2007年11月2日(金)
東京は知らぬうちに都営大江戸線などが出来、いやはや彼の地の電車事情は飛躍的に便利になっておりますね。
それに、SUICAというカードがあれば、今や切符も買わずに改札をすいすいと通過する事が出来るので、もう切符売り場に並ぶ事も無くなりました。
思えば1980年代。
東京中の駅の改札には、まだハサミを鳴らしながら乗客一人一人の切符を切りまくる駅員の方の姿がどの駅の改札にもありました。
チョキチョキと鳴り渡るハサミの音が構内に響いておりましたのが駅の風情でもありましたが、すでにそれもなく。
思い起こせば、まさに隔世の感ありというところです。
駅のホームへの階段にもエスカレータが敷設され、エレベーターが設置されました。
時代は、善意の下に行き届かなかった不便な時代を乗り越え、気遣いを旨とする時代へ突入したのだと思います。
そのために企業はお金を掛け、世間はたゆまぬ努力をしている。
そのこともまた見落としてはならない前進なのだと受け取らねばと思います。
先月東京に出張しましてね。
初台から神保町まで都営新宿線に乗りました。
市ヶ谷あたりでしたでしょうか。
車椅子の老婦人が乗り込んでこられました。
押してこられた老紳士はお友達でしょうか、弟さんだったのでしょうか、いずれにしても仲の好さそうな笑顔が印象的なお二人でした。
車椅子の老婦人は、かなりお痩せになっておられましたし、少し顔色も浅黒く、体のどこかにご病気があるような感じでした。
でも、着ておられた服は紅いカーデガン、そして薄い色のブラウス、それにグレーのスカート。
一見すると娘さんのような趣でした。
その老婦人の車椅子を元気に押して乗り込んでこられた老紳士は、温厚な大工の棟梁がゴルフへでも行きそうな出で立ち。
背丈はけして大きくは無く、どちらかといえば横に広くガッチリとした頼もしい体形。
お二人とも年齢は近い。そんな気がいたしました。
私が、なぜそんなお二人のことを詳しく覚えているのかと言いますと。それは、そのお二人の電車に乗り込まれるご様子があまりにも楽しそうだったからです。
その老紳士の老婦人に対する気遣いの中に、どこかしら敬意の念の含まれる想いが私にはしたのです。
あぁ、この男の人は、この老婦人のことを尊敬もしくは愛しておられるのだろうなという想いが、その表情、その動作に見て取れたからであります。
その方たちの周りから発される明るさは、
ただ、いちゃいちゃとした騒がしい仲の好さではなく、
ほんのりと清々しい敬意を見る者に感じさせる仲の好さだったのです。
そしてお二人の仲にある、その清々しい関係を可能にしているのは、もって、その老婦人の気質にあると、なぜか私は思いました。
その時私は、地下鉄の車両の優先席寄りのドア口に立っておりました。
やがて電車は市ヶ谷の駅に止まりました。
すると私の向かい側のドアが開き、
くだんのお二人が元気に入ってこられたのです。
そして、私のすぐ脇に老婦人の車椅子が止められたのです。
老紳士は車輪にブレーキを掛けると、直ぐ横の優先席に元気よく座られ、老婦人を見守るようにニコニコとしておられました。
私は、そのお二人の仲があまりにも微笑ましかったものだから、迂闊にも油断をして、その老婦人の顔をしげしげと見下ろし続けていました。
すると、不意にその老婦人が顔を上げられ、私とご婦人の視線が合ってしまったのです。
普通だとあまりにも不躾なことだから、私がとっさに視線を外すか、先方に不快な顔をされるかだと思います。
ところが、その老婦人は、私と視線が合った瞬間、
ニッコリと微笑まれたのです。
私に向かって。
その笑顔にあてられて、瞬間的に私も微笑んでしまったのです。
不躾な視線を落としていたのに、その老婦人の微笑のお陰で、気まずい事にならずにすみました。
いえ、そればかりか、私は、日常の電車の中で、まったく見ず知らずの人の微笑みに微笑みを返す事が出来たのです。
それは私にとっては奇跡的なことで、もって、そのご婦人の人徳によるものだと思ったのです。
目の前の車椅子に座られた老婦人は、見ず知らずの者にさえ自然に微笑みかける事の出来る方だったのです。
だから私も嘘のように自然な微笑が返せた。そう思うのです。
その時、私は、このご婦人の幾十年の人生を想いました。
そして、とても暖かい敬意を、この老婦人に対して、私は持ったのです。
あの老婦人の私に見せてくれた微笑は、思わず微笑み返さずにはいられないものだった。
私は、あの老婦人に教えていただいたのです。
知っていようがいまいが、人と人が微笑み合う時に受け取る、なんとも穏やかな幸福感を。
できれば、年を取った時、私もあの老婦人のようにありたいと、思いました。
今日ある、便利の行方が、すべて善意の下にあることを私は信じたいと思います。
こういうことをここに書いて、なんだか気恥ずかしいのですが。
私は、本当にそう思ったのです。
それでは奥さん、また明日。
解散。
(18:27 嬉野)

嬉野

2007年11月1日(木)
嬉野です。
HPのお寺の境内にも霜がおりましてね。
寒々としてまいりました。
11月でございますね奥さん。
本日のお仕事も、とりあえず一段落いたされましたか?
皆さん好い一日でありましたですかな。
まぁいろいろあっても、しょうがないです。
お気張りください。
さてと、言う事で。
実は、今日も大した話が出来るわけではないのでね。
くだらん話をしますよ奥さん。
いえね。
つい数日前の夜のことなのです。
うーむ。どっからどう話せばいいのか分からないのですが。
実は奥さん。私には、ある癖がありましてね。
なんて言ったら好いのでしょうか。
「金縛り」癖。みたいなものがあるのですよ。
いえいえ奥さん。
軽い話ですよ。怖くないですから。
私は、オカルト好きじゃありませんから。
あれは確か私が二十歳の年でした。
年末にうちのばぁさまが95歳で大往生しましてね。
そのお葬式が終わりました翌晩に、
ちゃっかり私についた癖でしてね。
あの時は、ばぁさまとおぼしき人が私の枕辺に座りました。
リアルな気配に驚きました。それから癖になりましました。
あれは癖だと思いますよ奥さん。金縛りというのは妙な癖です。
ほら、足がつったりする癖が付いたりするでしょう。
あれだと思うのですよ。
だって、初めの頃こそ、
あまりにもリアルな気配を感じますのでね。
「なんと摩訶不思議なことがあるものじゃ!」と、
驚くんですけどね。
そのうち、あんまりちょくちょく金縛られますうちにね。
「またか」って思い始めるのですよ。
金縛られてる最中にです。
それこそ、二十歳の頃の最初はですね。
夜中に目が醒めても体が動かない、声が出ない。
なんてなことになりますからね。驚くのです。激しく。
でも、実はそれも夢なのですよ。
でもね、それに気づきませんから。
私はパニクってしまっておりました。
けれど。しかしながらね。
頻繁に金縛りを経験しますと、今度は、ほどき方も分かってまいります。
結局、夢です。あれは。
入眠時に見る幻覚です。間違いなく。
寝る前に頭使い過ぎてるとだいたい金縛られますよ奥さん。
しかしながら、その癖も。
年毎に減りましてね。近頃は一年に数回、あるかないか。
今回も、けっこう久々のことで、金縛られることなんて、もう半ば忘れていたくらい、私から遠いものになり始めておりました。
ところが数日前の晩。
私は「Onちゃん本」の原稿の最終の直しをしてたいのですよ。
遅くまで。
それで寝たのです。
経験上、入眠幻覚を見ることになりがちな状態で寝たのです。
つまり体は疲れてる、でも頭は妙に覚醒して、しかも興奮状態にあるわけです。
寝たと思っておりましたら。
私の胸の上を犬が乗り越えて行くのです。
「ハァハァ」言いながら。
その気配で私は目が醒める。そして犬の姿を探す。
だけど犬はいない。そらぁいないはずです。
醒めたと思っているだけで、その時私はまさに幻覚の最中なのですから。
で、それが始まると、その後、誰かに上に乗られて息苦しくなるのです。やがて、なんだか得体の知れない力に自分の体がぐいぐい引っ張られていくのです。
だから私は、その不思議な力に引っ張られまいと力まねばならない。そんなこんなが長々続くから鬱陶しい作業になるわけです。
ところがいつもと違い。今回、展開が派手だったのです。
今回初めての現象が起きたのです。
声がしたのです。
頭の上で(笑)。
声が聞こえた事はこれまでなかったのよ奥さん。
だもんで、なんじゃこれは!って一瞬身構えた。
声は言うのです。私に向かって。囁きかけるように。
「細かいことにこだわるなよ」って(笑)。
言ってんのよ奥さん。頭の上で。
え!って思ったさ。
だってそんなね。
声が聞こえるなんて初めてのことだったからさ。
ははぁ、今夜はいつもとだいぶ様子が違うなぁって思った。
で、その声を聞きながら。
あれ?この声は自分の声だなぁって思ったのですよ。
自分の声が、抗うなって言ってるんだなって思ったのです。
この辺の理解の速さが夢の醍醐味ですな(笑)。
説明が要らない。
それで、いっぺんに気が抜けてね。
「そうだな。抵抗するの止めて、一遍どうなるか成り行きを見てみるか」って思った。
どうせ夢だし。どのみちどっかで醒めるだろうって思った。
で、危機管理意識が吹っ飛んでね(笑)。
今回、初めて踏ん張るのを止めたのですよ。
そしたらあなた物凄い勢いでどっか行っちゃうのよ(笑)。
私がさ(笑)。
もうジェットコースターみたいな体感を覚えたよ私は。
すばらしいねぇ幻覚って。(←あくまでも入眠幻覚の話よ)
「2001年宇宙への旅」のラストみたいな感じよ。もの凄い移動感。
もうどっかへ体がすべっていくのですよ。もの凄い勢いで(笑)。
いやぁびっくりしました。
おぉこれはどうした。好いじゃないか。見たいな感じで盛り上がったね。
したら、次の瞬間。
不意にシーンとした静かな部屋に私はいたのです。
この辺りもまさにキューブリック映画(笑)。
そこに、医療器具なのか。大型コンピュータなのか。
精密で高級そうな機械が据えてありました。
床と天井から色温度の高い青白い光があたっている部屋でした。
白を基調にして、ところどころにグリーンをあしらった色使いの精密機械でしたね。
高そうな機械だったのです。
どう見ても新品。最先端っぽいのです。
その高そうで新品でぴかぴかの美しい最先端ぽい機械がですね、
その部屋を占拠してるのです。
その機械の真ん中に組み込まれるように椅子がひとつあった。
あぁ椅子があるなぁって思いながら熱心に見てた覚えがあります。
その部屋で。その機械を。
私は、じっと見ている。他に人は居ない。
で、思ったのです。
「なんでこんなものが見えるんだろう」って。
現実に見ているわけではないのに。
自分の記憶にある物でもないのに。
それなのに、その機械に近寄ったりできるのです。
近寄ればリアルに機械の細部も見えてくるのです。
そういえば、ものを見るのは脳だって聞いたなぁ。
本当にそうなんだなぁって思って見てました。
だって、ありもしないものが、ありありと見えているのですから。
声も聞こえる。耳で聞いてもいないのに。
声を聞いてるのも脳なんだなぁって思った。
気配だって脳が感じてるのかなぁ。
私の胸の上を乗り越えていった犬の重み。
掛け布団越しに感じる犬の足四本の感触。
聞こえてきた犬のハァハァという息づかい。
みんな脳が見せてくれ聞かせてくれたもの。
でも。
見たことのない機械が目の前に見えているのって。
これはなんだろうって思った。
記憶にないものを、そしてその細部を。
どうしてこう克明に見ることが出来るのだろうって。
それだけが分からなかった。
あの夜はその後も、もの凄い勢いであっちこっち飛ばされましたが覚えていません。
やがて知らぬ間に深い眠りにつけたのか、私は翌朝すっきり目が覚めました。
確かに、声の言った通り。
細かなことを気にしなかったから、好いものを見ることが出来たなと思いました(笑)。
人が死ぬ時に、人は走馬灯を見るというよね。
自分の一生が駆け抜ける馬のように目の前を行過ぎる。
それって、あんな感じなのかな、と思いました。
そうであれば、悪いものじゃないなと(笑)私は思いましたよ奥さん。
では、また明日お会いしましょうね。
解散!
(16:36 嬉野)

嬉野

2007年10月26日(金)
お勤めのみなさん。
本日もお仕事、終わりましたでござんしょうか?
今日も御無事でなにより。
御無事でなくとも、そこはなんとか乗り切って。
奥様方も、無病息災でありましたでしょうか。
そして、お子たち。
お子たちも、健やかでありましょうか。
傷ついちゃったことでもありましたでしょうか。
なんとしてでも乗り切っていただきたいものでありますよ。
嬉野でございます。
さて、今朝のことだすが。
うちの奥さんが、ファックスの巻紙を切り取っていましたのさ。
なんだか、使わなくなって中途半端に残ったファックス用紙だったのでしょうねぇ。
たいした紙の量ではありませんでしたからね。
つまり、余ったファックス用紙を再利用しようとね。
なんでもね、
メモ用紙にするのだということでね、
サイズを決めてね、
定規を使って、
カッターで切りそろえてね、
熱心にパンチ穴を開けていましたよ。
で、ひとしきり紙を切りそろえることに熱中した後にね、
巻き芯だけが、ころりと残りましてね。
ほら、あのダンボール紙で巻き締めたように固い紙の芯ですよ。
あれが、ころりとテーブルの上に残りましてね。
うちの奥さん、それをじっと見てね、
「これ。何かに利用できないのかしら」。と、
恨めしそうに言うのでしたよ。
私もそれを聞きましてね、
口には出しませんでしたがね、
「わかる」。
と、心の中で同意しましたね。
私もかねてより、あの巻き芯の出来には舌を巻いておりました。
触ると実に頑丈でございましょう。
実際、なかなか容易に折れそうにない堅固な穴あきの棒に仕上がっているのですよ。
捨てたくない。
手元に置いておきたい。
ファックス用紙の巻き芯ごときにフェバリットを感じさせることができる日本の技術力。
すばらしい!
あんな、さりげないところにも、高い技術力を見せ付ける、
日本の工業力の凄さを感じますよね。
あのフニャフニャしない、ビシッとした固さの出来具合に、
製品の強い自己主張を感じてね、声なき声がするのです。
「オレを捨てていいのか」。と、
なんだか、巻き芯が言っているような気がするのですね。
「こんなに出来の好いオレを、捨てていいのか」。
「それでいいのか。日本!」。と、
だもんだから、つい、奥さんの口から言葉が漏れ出てしまうのでしょうね。
「これ、なにかに利用できないかしら!」と。
こうして、巻き芯と、うちの奥さんは、しばし見詰め合うのです。
巻き芯は、期待のこもったまなざしでうちの奥さんの瞳を見上げますね。
しかしね。
使い道がない。思いつかない。
と、なりますとね、
女の方の、割り切りは、お早いようでね。
あっさり巻き芯をゴミ箱に捨てましたね。
かくして巻き芯はね、
「これでいいのか。日本!」と、
我が家のゴミ箱の中で叫びながらね。
来週の燃えるゴミの収集日までね。
ブー垂れることになったわけでありますよ。
と、いうことでね奥さん。
つまんない話で悪かったわね。
でも、また来週も、
これに懲りずに、
きっと来るのよー!
では解散!
追伸
たくさんの方が「茄子スーツケースの渡り鳥」を御覧になったんですねぇ。掲示板の書き込みに、その記事が多ございましたよ。
他にも、掲示板の記事、ちゃんと読ませていただいておりますですよ。ご心配なくね。
(18:23 嬉野)

嬉野

2007年10月24日(水)
嬉野です。
今日は札幌地方快晴でしたよ。
おまけに、今ちょうど街は紅葉してるのよ奥さん。
紅い葉、黄色い葉に日が当たってね、燃える秋なわけさ。
ロマンチックなのよ。
来月は、紅葉も終わってね、寒くなってね、雪もまだだしね。
観るもんないからね。札幌ツアーは安いよ。
さぁ、そんな今日。
大泉先生、声で主演!
我々ディレクター陣二人も声で出演!
させていただきましたところの!
高坂希太郎監督のアニメ作品!
「茄子・スーツケースの渡り鳥」が!
DVDとなりまして本日より発売でございます!
自転車レースのアニメですのよ奥さん。
自転車レースのごちゃごちゃしたところを、どーやって一枚一枚絵にして行ったんだろうと思うとね、気が遠くなるね。
レースのシーンの迫力は凄いよ。
さて、主役のぺぺに大泉さん。
チームの監督に藤やん。
監督である藤やんが運転する車の後部シートで常に控えてるメカニックに私。
藤やんは、もろわかりの声で映画の冒頭から絶叫出演。
セリフ多数。
嬉野さんは、力む、転ぶ、叫ぶ、といった、セリフ以前の声を熱演。
「藤村さん、声優なみのセリフでしたねぇ!」
「嬉野さん、どこでしゃべってました?」
みたいなことですよ。
興味のある方は、ぜひ御覧下さいませ(笑)。
じゃ、奥さん。また明日!
(16:46 嬉野)

嬉野

2007年10月18日(木)
藤村先生のミニドラマも、本日で撮り終えるとのことです。
したが札幌地方、本日早朝より濃霧。
視界わずかに200メートル。
朝から晴れてはいたんですが、天気晴朗なれど霧深し。
あれでは、霧が晴れるまで撮影できなかったのではと、チト心配。
秋深き北国の日は、つるべ落としなのよ奥さん。
朝は8時より撮影開始でね。
午後は3時頃までが日の具合としては限界だそうでございますよ。
ですので、昨日は夕方4時過ぎには撮影隊の皆はHTBに戻ってまいりましたが、本日はいかがにあいなりましょうかねぇ。
撮りこぼせば、また明日も、お出かけになりましょう。
撮影は快調とのことです。
ただ、昨日は「モーレツに寒かったぞ」と、関係者全員、体の芯まで冷えましたのか、顔面蒼白の体で帰ってまいりました。
チラッと撮影済みの映像を局で覗き見しましたが。
音尾さんが、恐るべきメイクをされたお顔で、バスの窓いっぱいに、へばりついておられました。
わが社には、カリスマは、スタイリストだけにあらず、メイクにもカリスマがおるのであります、オソロシヤ。
じゃ、今日もこの辺で終わりますよ奥さん。
また明日も、きっと来るのよー!
すんませんね、愛想なしで(笑)。
(16:29 嬉野)

嬉野

2007年10月17日(水)
本日、藤村先生、ミニドラマのロケ。
やっぱり晴れました。いまやバカ晴れ。
天気予報ハズレ。
秋、真っ盛り。
じゃ、また明日(笑)。
(15:02 嬉野)

嬉野

2007年10月11日(木)
嬉野であります。
今日の昼下がりにね。
カリスマ・スタイリストの小松さんがHTBに来られましてね。
いやぁ、相変わらず活発な様子でね。
幾つになられましてもオーラがありますね。カリスマは。
ちょっと前から見かけねぇなぁと思っておりましたが。
カリスマは、実家の方にしばらくお帰りだったらしくてね。
なるほど、それで久しく会えなかったんですな。
実はカリスマの実家には、犬がおりましてね。
今年6歳なんだそうですな。
なんでもカリスマの母ちゃんが飼ってる犬だそうでね。
可愛いのだそうですよ。駄犬だそうですがね。
この頃はあれなんですね奥さん。
携帯でも動画というのを撮れるんですね。
「うれしーさぁ、アタシが撮ったの見る?」
そう言ってね。
カリスマが実家でお撮りになって来たね。
実家の駄犬の動画を見せようとなさるわけですよ。
嬉しそうに。
私にね。
私も書き物をしてはおりましたが、
そこはまぁ、言ってもカリスマですから、
むげにはできませんでね。
「あら。小松さん家の犬かい?」
「そうなの。可愛いの」
「そら可愛いだろうけどね」
「見るでしょ?」
「いや。見るけどさ」
「可愛いの。見せてあげるから」
「そうかい?」
ということで見ましたね。その動画。
ところが奥さん。
あの女は、あなどれませんよ。
カリスマに見せられた動画。あれは傑作です。
私、驚嘆しました。
動画に映っていたのはね。
どこにでもいそうな、
でもこの頃はパッタリ見なくなった、
情けない顔した駄犬でしたよ。
全身茶色でね、
鼻周りが黒くてね、
シェパードが堕落したような顔の駄犬でしたね。
実に情けない顔でしたよ。
で、その見せられた動画の中身というのがね。
最初から最後まで、そのカリスマの実家の駄犬が映ってるだけでね。
その駄犬の情けない顔に、被せるようにカリスマの声がする。
それだけの構成なの。
ようするに実家で酒呑んでね。
酔っ払って好い気分になった女がね。
夜中にヒマだったもんだからね。
てめぇんちの飼い犬に携帯向けてね、
からんでるだけの動画なのよ。
しかしながらこれが秀作。
笑ってしまった。
ぐだぐだ、ぐだぐだとね、酔っ払った女が、犬に嫌がらせし続けるだけの内容なんですよ。
ですが私は、食い入るように見ましたよ。
そんで、涙流して笑いましたよ。
バカバカしくて。
だって、この女がねぇ、くどいの(笑)。
犬が気の毒なくらい。
いやぁ、実にね。
酔っ払って寝る前に、くだ巻いているだけの価値の無い女とね。
その女が飼っている価値の無い犬の間にね。
ぐだぐだと繰り広げられるだけのどうしようもない時間の中にね。
怖ろしいほどの価値が生まれているのよ、奥さん。
その事実に、カリスマはまだ気づいていないね。
カリスマはそのことに気づかず、
へらへら笑いながら、
油断しきった後姿で帰って行きましたけどね。
あれは私ね奥さん。金払ってでも見たいものだったよ。
あの女は、おそらく天才だと思うよ。
あの女の人格がもう娯楽番組なのだと思うから。
カリスマ・スタイリスト小松さん。
多才です。
なんでしょう、あの方。金には縁が遠そうですが。
目が離せません。
じゃ、また明日。
すんませんね。意味不明で。
(18:40 嬉野)

嬉野

2007年10月10日(水)
嬉野であります。
なんでしょう、うちの奥さんと結婚する直前の頃にね。
だからあれだ、もう19年くらい前の頃にね。
だからぼくもあれですよ、29歳とかでしたね、奥さん。
嬉野さんも20代。今はもう48歳。
ねぇ。どうなるんだろう今後のわたし。
そんな昔の、とある秋の暖かい昼下がりにね。
だからまぁ、ちょうど19年前の今頃ですよ。
ぼくが、仕事だったか休みだったかは忘れたけど、新宿駅の総武線のホームへ向かって階段を上がろうとした時にね。
ひとりのお母さんに呼び止められましてね。
あのお母さん、あの時、38歳くらいだったろうか?
いや、もっと若かったかな?
まぁいいね。
とにかく呼び止められたから振り返るとね、そのお母さんは、女の子連れでね。
女の子は車椅子に座っていてね。
その子、12歳くらいかなって思ったね。
ぼくを呼び止めたお母さんは、
「娘の車椅子をホームまで上げていただけませんか」
とぼくに言うわけです。
「あぁ、じゃぁお母さん、もう少し助っ人を探さないと二人で上まではきっと無理ですよ」とお母さんの体力を心配して言いましたらね、
「いえ、車椅子だけでいいんです、この子は自分でホームまで上がれますから」。
ということだったのです。
「あら、それならお安い御用ですよ」
と言いますとね、それを聞いたお母さんのホッとした笑顔の奥の車椅子の上にもね、ホッとして笑顔になっている女の子が見えましたよ。
女の子は、お母さんに助けられながら車椅子をおりてね、総武線のホーム目指して階段をゆっくりゆっくり自分だけの力で上がって行きました。
もちろん階段の手すりにすがってね。
ぼくは、女の子が降りて軽くなった車椅子を抱えてね、そのまま階段を上がりましたよ。
ぼくの仕事量は、それだけ。
女の子は手すりにすがりながら、ホームまで、ゆっくりゆっくり上がって来て、ホームでまたお母さんに助けられながら車椅子に座りました。
しばらくすると轟音と共に黄色い電車がホームに入って来てね、母娘は、それに乗ってするすると千葉方面へと去って行きましたですね。
その時のことを未だにね、ぼくは覚えていて、忘れられない。
で、ここに書いたわけですが、
まぁ、良い事をしたんだぜという自慢話じゃないですよ。
ただ忘れられない思い出になっているのよ奥さん。
あの日。
ぼくが、総武線のホームに上がろうとした時。
お母さんから呼び止められて。
娘の車椅子をホームまで上げていただけませか?
と言われてね。
好いですよって引き受けた時に。
見せてくれたその女の子の笑顔がね。
ずっと忘れられないのよ奥さん。
いきなりホッとしたような。
胸のつかえがスッと晴れたような。
なんかそんな好い笑顔だったから。
最初ね。
呼び止められて。
お母さんがお願いしますってぼくに言ってる時。
女の子の表情は、ほんの少し曇っていたから。
曇った顔で斜にぼくを見ていたからね。
それはそうだよね。
女の子には全部見えるんだよね。
頼んでいるお母さんの後姿の向こうに。
お母さんから頼まれている通りすがりの男の表情が。
ずっと見えているんだもの。
その女の子にはね。
お母さんの声は聞こえないけど。
お母さんの顔を見ていた男の目が。
次に自分に注がれる。
値踏みするようにチラッと自分を見おろす。
その時の男の表情がまる見えに見えるんだもの。
少しでも嫌な顔されたら心が痛むだろうと思います。
で、ホームの上で別れるまで。
その子の笑顔がずっと続いていたから。
あぁ、あの子。
ひょっとして嬉しかったのかなと、ぼくには思えてね。
もしかしたら、あのまま家に帰りつくまで、あの女の子は喜んでくれるのかなぁと思ったらね。
なんだか忘れられなくなりました。
ぼくは、その日一日、温かい気持ちが続いてね。
そして20年近く経っても思い出すのです。
好い思い出です、ぼくにとって。
車椅子をホームまで上げるという簡単なことで。
他人がこんなに喜んでくれるというのが。
ぼくには、眩しくてね。
そうやって喜んでくれた女の子の心根が眩しくてね。
いつまでも、あの日の事が心に残ったままなのですよ。
それでこの年になっても、あの日のことを覚えてる。
つまり忘れたくないから、あれから折に触れ、記憶を反芻してきたということなのでしょうね。
だから、あの日の事は、多分死ぬ時まで忘れない。
不思議なことです。
あの女の子は、もうとうに忘れたろうにね。
もうしばらく続くだろうぼくの人生の中で。
戻れることなら戻ってみたいひと時のひとつが。
あの日の総武線の階段でのひと時なのです。
すんませんね。
それだけのことなんです。
怒らんでください。
じゃ、奥さん。
お気を悪くされませんで、また明日お会いしましょう。
解散!
(17:56 嬉野)