2011年9月27日(火)
嬉野であります。
「こけし時代」という雑誌が出ましたよ!と、
ある時、誰かが掲示板に通報してくれたことがあって、
その時は、「ふーん」と、うっちゃっていたんだけれど、
何かの折にネットで見て、その雑誌が限定1000部と知って、
にわかに欲が湧いて、求めたくなり、
ただ、そのことに気づいたのが、
あいにく、旅の途中だったので、
うちのくまくまさんの迷惑も顧みず電話して、
遠隔操作で購入していただき、
先日手元に参りました。
なんだか自分でも分からないのですが、
どーにも、今、
あのこけしの顔が、この時代の気分のような気がするのです。
今という時代がどんな時代であるのか、
それを言葉にすることは出来ませんが、
でもなにより、今という時代を生きている自分という生命体が、
「あれだ。あれだ」と言うのです。
なにが「あれ」だという、そのことを、
私のこの内なる声が明かすことは、今もってありませんが、
とにかく「あれだ。あれだ」というのです。
こけしに対して、
まったく何の郷愁も持たない九州生まれの自分が、
いや、それどころか、
こけしに対しては、少年時代、青年時代を通して、ずっと
「気味が悪いぞ」
「怖いぞ」
「邪魔だぞ」とばかり思っていたのが、
今年の1月に「こけしブック」なるもので、
初めてこけしのその顔をまじまじ見ることになり、
一発で惹かれてしまった。
なんだ、オレが求めていたものが、
ここにあるじゃないかというに似たひらめき。
可愛い顔があれば、可愛いとは言えないだろうという顔があり、
へんな顔まであるぞと思えば、なんだか微妙な顔までもがある、
消費者のニーズとやらにおもねる匂いは、そこには絶無であり、
客の心に訴えかけようとする積極性も微塵も無いと思えるものまであり、
どっちかといえば、しけた貧乏くさい顔なのに、
それでも、いや、それであればこそなのか、
気づけば惹かれている自分がいて、
そのことが自分でわけが分からない。
それでもそこには、
心惹かれるこどもの顔と言うのは、
こんなにも多様にあったかという驚きで溢れ。
その驚きは、
自分の場合、そのまま喜びであったというわけです。
その喜びは、なんだか、
もう一度、
最初からやり直して行こうかと思える、
熱い想いにも似て。
やり直すと言ってもゼロからというのではなく、
そう。
道に迷ったあの最初の分かれ道のところまで戻って、
もう一度という程度の、
あそこから、もう一度、やり直してみようかと思わせる、
なんだかそんな不思議な力を、今、自分は、こけしのたたずまいに感じてしまう。
もう一度、あそこからやり直してみよう。
ひょっとするとそれが、
今という時代が探している答えのような気がする。
迷ったら
こけしに聞く。
物言わぬ相手だけに、
答えはおのずと自分の中から湧いて出るような、
そんな気も、どこかでするのでありますよ。奥さん。
消えそうで 消えなかった こけし 今も たたずむ
それでは諸氏、
本日も各自の持ち場で奮闘くださいますよう。
お気張りくださいますように。
解散。
【藤村先生の近況と吉祥寺物産展情報メモリアルのコーナー】
9月26日月曜日。藤村でございます。
先週は、韓国ソウルへ行ったり、ある人物から急なVTR制作の依頼を受けまして撮影、編集をしておったりと、バタバタとした1週間を過ごしておりました。
そうこうするうちに、いよいよ!お待ちかねのDVD第16弾「原付東日本/シェフ大泉夏野菜」の発売&受け渡しが、来週水曜日に迫ってまいりました!
で、その前夜、10月4日火曜日の夜は、DVD発売前夜祭ということで、私と嬉野先生による「ユーストリーム」での生放送をまたダラダラとやる予定でございます。
みなさまからのご質問など頂戴しながら、いろいろとお話をして、さぁ午前0時、討ち入りの時を華々しく迎えましょうという趣向でございます。
それに先立つ、今週9月28日水曜日の夜10時。同じく「ユーストリーム」で、「スナック・エリー」という大宮エリーが細々とやっている番組に、わたくしゲスト出演いたします。どういう中身なのかまったく知りませんが、「お酒飲みに来なさいよ」と言われるがままに「んじゃ行くよ」ということになりまして、まぁ、みなさんも一緒に酒をあおりながらご覧いただければと。
★「スナック・エリー」ライブ配信URL:
h4p://www.ustream.tv/channel/snack-ellie
また、来週10月5日水曜日から、札幌では「札幌国際短編映画祭」が開催されます。こちら、世界中から集まった短編映画が一挙に上映されるという実に楽しい(短編映画にはホント面白いのがあります)催しでありますが、その初日5日の夕方18時から、メイン上映会場の「札幌プラザ2・5」にもわたくしゲスト出演いたします。
昨年のこの映画祭で私が選出した3人の若手映像作家が作った短編3本(世界レベルにはもちろん達していませんが!)を上映するイベントで、三人三様それぞれに特徴のある短編がそろいましたので、それを見ながらお話しをするという会でございます。札幌の方は是非いらしていただければと。
そしてそして、今週木曜日からは、「メイド・イン・ジャパン」シリーズの第1弾「ジャングル風呂敷」の発売と、東京吉祥寺・東急百貨店での物産展がスタートいたします。
こちらの情報は続いての嬉野先生の日記におまかせいたしましょう。
藤村からは以上でした。茶王。
2011年9月26日(月)
嬉野でございます。
えぇ、
皆様方のお力添えを持ちまして、
ここに、
水曜どうでしょうDVD第16弾!
「72時間!原付東日本縦断ラリー/
シェフ大泉夏野菜スペシャル」の
ローソンロッピーさんでの予約販売の第2回目も
上限数に達することに相なりました。
まことにもってありがたいことでござります。
ですので、
ただいまローソンでは受付が終了となっております。
そこで、これからご購入を希望されます皆さまは、
連絡先は道内になりますが、
道内の各HTBグッズ取扱店では、まだ予約を受付中で、なおかつ道外からのお電話にも応じているとのことでございますので、
ので、一度確認してみてくださいませ。
ただ、その節は、
送料は別途掛かってしまうそうでございますので、
よろしく御注意くださいませ。
なお、10月5日(水)以降は、
道内HTBグッズ取扱店、
HTBオンラインショップでも販売を開始いたしますので、
そちらから御購入いただけます。
(ただ、この段階からは予約特典は付きません)
また、東京は吉祥寺の東急百貨店さんにて開催中の
「北海道物産展」8階のHTBグッズショップでも
最終日の10月5日(水)に販売を予定しております。
なお、吉祥寺での北海道物産展は、
今週の9月29日(木)から10月5日(水)までの開催で、
場所は、東京は吉祥寺にあります東急百貨店さん8階にあります
物産展会場でございます!
今回はそれに加えまして、
2階にも特設会場を設けまして、
当番組の展示ゾーンを開設!
水曜どうでしょうの番組内で使用されました
衣装やバイクの展示をいたします。
そして屋上では、なんとHTBエンジョイゾーン!が開設され!
空くじ無しのスピードくじや!
おみくじ、カプセル、BGBEEのお店など!
加えて!
「おにぎりあたためますか」に出演のHTBアナウンサー
佐藤麻美譲のミニミニトークショーも実施!
ユメチカレコードのアーティスト!
サトウヨシアキさんのライブ!なんかも開催予定!
※屋上は雨が降っても屋内施設使用のため大丈夫!
北海道のソフトクリームなんか食べつつ、
以上三つのゾーンで
朝から晩までお楽しみください!
と、
うちの店長が言っておりましてのでお伝えいたしましたよ。
物産展の営業時間は、
毎日午前10時から午後8時まで(最終日5日は午後4時閉店)
でございます!
お楽しみに!
それでは本日も各自の持ち場で奮闘くださいませ!
解散!
(16:16 嬉野)
2011年9月27日(火)
2011年9月26日(月)
2011年9月26日(月)
嬉野でございます。
えぇ、
皆様方のお力添えを持ちまして、
ここに、
水曜どうでしょうDVD第16弾!
「72時間!原付東日本縦断ラリー/
シェフ大泉夏野菜スペシャル」の
ローソンロッピーさんでの予約販売の第2回目も
上限数に達することに相なりました。
まことにもってありがたいことでござります。
ですので、
ただいまローソンでは受付が終了となっております。
そこで、これからご購入を希望されます皆さまは、
連絡先は道内になりますが、
道内の各HTBグッズ取扱店では、まだ予約を受付中で、なおかつ道外からのお電話にも応じているとのことでございますので、
ので、一度確認してみてくださいませ。
ただ、その節は、
送料は別途掛かってしまうそうでございますので、
よろしく御注意くださいませ。
なお、10月5日(水)以降は、
道内HTBグッズ取扱店、
HTBオンラインショップでも販売を開始いたしますので、
そちらから御購入いただけます。
(ただ、この段階からは予約特典は付きません)
また、東京は吉祥寺の東急百貨店さんにて開催中の
「北海道物産展」8階のHTBグッズショップでも
最終日の10月5日(水)に販売を予定しております。
なお、吉祥寺での北海道物産展は、
今週の9月29日(木)から10月5日(水)までの開催で、
場所は、東京は吉祥寺にあります東急百貨店さん8階にあります
物産展会場でございます!
今回はそれに加えまして、
2階にも特設会場を設けまして、
当番組の展示ゾーンを開設!
水曜どうでしょうの番組内で使用されました
衣装やバイクの展示をいたします。
そして屋上では、なんとHTBエンジョイゾーン!が開設され!
空くじ無しのスピードくじや!
おみくじ、カプセル、BGBEEのお店など!
加えて!
「おにぎりあたためますか」に出演のHTBアナウンサー
佐藤麻美譲のミニミニトークショーも実施!
ユメチカレコードのアーティスト!
サトウヨシアキさんのライブ!なんかも開催予定!
※屋上は雨が降っても屋内施設使用のため大丈夫!
北海道のソフトクリームなんか食べつつ、
以上三つのゾーンで
朝から晩までお楽しみください!
と、
うちの店長が言っておりましてのでお伝えいたしましたよ。
物産展の営業時間は、
毎日午前10時から午後8時まで(最終日5日は午後4時閉店)
でございます!
お楽しみに!
それでは本日も各自の持ち場で奮闘くださいませ!
解散!
(18:12 嬉野)
2011年9月21日(水)
2011年9月21日(水)
ババア…、という…、
えぇ言い方といいますものは、
これはよろしくない。
なぜというに、年寄りをないがしろにしている。
その語感には年配者に対する敬意がない。
配慮がない。
とまぁ各方面よりお叱りの言葉が聞こえてきそうな今日この頃。
なるほど、なるほど。ご説ごもっともさまであります。
ですが、このババアという言葉の音から来るところの気持ちの好さを耳にするというものの中には、実に捨てがたい味がありまして。
そのことを本日は、ここで長々語ろうという…。
ことでございますので、根性の無い方はこのあたりでお帰り願ったほうがよろしかろうと、
いうことを、えぇ言っときますよ。私は。
ババア、
と言える対象と申しますものは、
これ、往々にしてファイトある面構えの年寄りであったりすることをイメージいたします。
もしくは、ババア程度の言葉の非礼などは、ものともしない、人生の実力者の風格を感じさせてあまりある年寄りだったりするイメージもございます。
あるいは、なにかといえば憎まれ口が口から洩れる始末に悪い年配者。
そう言ったイメージがある。
私の大層好きな言い方に、
「因業(いんごう)なババア」
という言い方がございますが、
これなどは実に近所にはびこる実力者の風格がございます。
年寄りと舐めてかかれば痛い目に遭う。
口と根性の曲がり具合では右に出る者なき手合いでございます。
こういうのが集団で徒党を組んで善男善女を罵倒したおすという、
そういった手合いでございます。
このように考えてまいりますと、
つまり、強過ぎてとくに気を使う必要を感じないというイメージの中にこそ、
ババアという人種はいます。
ですから、こういう手合いに口でやり込められた者たちが、
「おぼえてろよ!」的な負け惜しみで、
「ババア!」と言いながら泣いて帰るという。
そういう、味わいが「ババア」という呼称の中にはあるのだということを、
私たち日本人は忘れてはならない。
そのように思います。
で、そのババアですが。
北東北の朝市あたりへ参りますと今でもたくさんおりますね。
これがもう実に働き者でね、おまけに世話焼きですね。
おのおの耳が遠くなってきたからなのか、
よく通るでかい声で話してくれるから距離があってもコミュニュケーションが容易です。
そして重い荷物を担いできたからか、商品の前に腰を下ろしてすわりつづけておりますね。
しかも、ひとつの商品の前に二人ずつ並んですわるから監視の目も行き届いている。
ババァ二人が前にした木箱の仲には実の厚いカラスカレイの切り身が皮の焦げめも美味そうに焼かれて並んでおります。
その隣の箱には別の二人組のババアが並んで違う商品を売っている。
とにかく朝市の建物中、ババアには困らないほどババア密度が高いのであります。
ババアは実に好ましい雰囲気を醸してくれます。
たとえば私が「うまそうだなぁ」と思い、その箱の中の切り身をひとつおくれと買いますと、「すぐ向こうに電子レンジがあるからあそこでチンしてやる」といって私を誘導して、2分後に熱々の脂のしたたる焼き魚の切り身を皿に入れて出してくれる。
もう100円出せば白いご飯がよそってもらえて、
もう100円出せば湯気の立つお味噌汁が出てくる。
こうして結局かれいの焼き魚定食が300円ちょっとで食える。
こういうご機嫌なシステムをババアが滞りなく回している。
ババアのみなさんが醸しだしてくれる安心感というものは、無くしてはならない社会の安全装置だと思うのです。
ババアのみなさんが集団でもたらしてくれる、あの安心感は、
彼女たちが年配者だというところから来るものです。
この年になるまで生きてきた。
いろいろあったが生きてきた。
そのことを物言わずババアは風貌で語るのであります。
泣けてきます。
そしてどこか旅人に優しく。
なにくれとなく世話を焼いてくれる。
近所に住んでいたり、同居していたりすれば、
お互い嫌になるほど対立あるいは衝突することもあるだろうけど、
朝市のババアと観光客は行きずりです。
二度と会うことはないかもしれない。
一期一会です。
それにババアにとって観光客は生活の糧でもあるし。
ということで、客商売にババアは最適と、
私は常思うておるのであります。
このババアを、コンビニ、スーパー、書店にて店員として広く採用し、
各店舗の売り場のその床面積に比して「多すぎるだろう!」という規模で大人数配置する。
そうすることで店内にババアの目が行き届く。
これで万引きは根絶できると、私は思うのであります。
だって、ババアが見つめてる目の前で、万引きできる奴はいない。
そこには万引きの醍醐味がない。というか、それはもう万引きではない。
かっぱらいです。
買い物と言うのは妙なものでね、
欲しいものがあれば金を出して買うという道理は誰もが分かっているのです。
それなのに、売り場でふと辺りを見渡したとき、
その辺りに人気がなくて…、
ということがよくある社会になっておりますから、
その時、そこにあった商品をじっと見て、
これ、仮に、今、ひょいとバッグに入れてしまってね、
そのままだまってお店を出てね、
誰にも気づかれなかったら、
それはいったいどういうことかしら…。と、思わせてしまう。
これは、思わなくてもいいことを、思わせてしまう環境を、
効率を求めがちな現代社会が作ってきたところから来る心理だと思うのであります。
つまり。
人間は、私を含め、それほど信用してはいけないということです。
だから、ポスターとかで「万引きは犯罪です」と書くことは、
人間の良心に訴えかけようとしているのだろうけど、
そんなことより、店員の数をむちゃくちゃ増やすことの方が確実です。
そう思います。
だって、私は八戸の朝市で、ババアで溢れるあの光景を目にしてそう感じたのです。
商品の目の前に売り手の目があるところで万引きのことなんか思いも浮かばない。
陽気なババアたちは、そんな剣呑で寂しい心理に客を追い込むことはなかったのです。
そこには売り手のババアが丁寧に調理してきた美味そうな商品が安値で並べてあるばかりです。
ですからね、
私は思うのです。
ババアのみなさんが醸してくれるあの心穏やかな雰囲気を、
ぼくらの町にも欲しいと。
自分の母親以上の年齢の女たちが、商店街のいたるところで物を売ってくれて居る。
スーパーの中も売り子のババアが通路という通路に、売り場という売り場に座っていてくれる。分からないことがあれば教えてくれる。
なんなら人生相談だって乗ってくれる人も中にはいるかもしれない。
何を気にして、何は気にする必要もないということを、
あの人たちは、人生の経験に浅い者にあっけらかんと教えてくれる。
確かに人をいっぱい雇えば、一人一人に行き渡る賃金は激減するでしょうが。
みんなが薄給なら、
誰も彼もが薄給なら、
世間も、薄給でも食べていける値段設定にしないと客が来ないから、
日本中のめし屋は、どこも安い定食を出すでしょう。
そして確かに、その分、儲けは減るでしょう。
それでも客は毎日来るでしょうから、その日その日を生きていける。
昨日も今日も働けば生きていけると思い始めれば、
やがて、儲けは家族が生きていける分出ればいいやと思えてきて、
その分、世間は呑気になるでしょう。
安い労働力が巷に溢れれば、雇用も容易に増えるでしょう。
雇用が巷に溢れれば、仕事をなくしてもすぐ次の仕事にありつける。
だったら、それだけで、とても安心な社会ではないでしょうか。
それが、やりたい仕事ではなくても、
職場の人が優しくて、
いろいろ世話をしてもらえれば、
そのうち、その職場に行くのが楽しみになっていくものです。
そうしてね、仕事は、まぁなんだっていいやと思えてくるはずです。
人間とは、だいたいそういうものです。
自分だけが…、と思えば、嫌になることはいっぱいあるけれど、
世の中みんなそうだぜ、と思えれば、
金持ちの方が肩身が狭いこともあるでしょう。
日本は、これから少子高齢化が進むのでしょうから、
この路線で行けば調度好いのではないでしょうか。
とにかく、
どんなことになろうとも、
やりようというものはあってね、
やりよう次第では、呑気に楽しくやれる。
そういうことではないでしょうか。
それに、そんなに難しいことは、分からなくても好いのではないでしょうか。
高度情報化社会というものがどのようなものか分かりませんが、
そんな話をしてくれている相手が、好い奴かそうでも無い奴かは会えば分かる。
それが分かれば充分だと私は思うのです。
ババア。
朝市に行って、面と向かってそんな失礼な言葉は吐きません。
あたりまえです。
毒蝮三太夫師匠じゃないですからね。
「ババア」という呼称は素人が面と向かって使える言葉ではない。
でも、だからと言って、好きな言葉を無くすのは表現の幅が狭まって困るので。
ババアという日本語はずっとずっと残していてもらいたい。
そんなことを思うのであります。
日本映画の巨匠に小津安二郎さんという方がおられました。
この方のことを書かれた名著があります。
「絢爛たる影絵」という本であります。
文庫にもなってますから、お求めになるのもよろしかろうと思います。
その中に「高野行」と題された小津さんの詩が出てまいります。
小津さんは生涯独身で、おかあさんと二人で借家住まいだったそうです。
このおかあさんが大層な傑物だったそうで、
小津さんは、生涯、このおかあさんを愛しておられたのでしょうね。
そのおかあさんが八十六歳で亡くなられると、小津さんも翌年の六十歳で亡くなります。
亡くなる前の年、小津さんは、おかあさんの遺骨を高野山に分骨に行かれます。
そのときの小津さんの思いを綴った詩が「高野行」です。
以下にその詩の一部を引用し、本日のテーマ、「ババア」という日本語の持つ味わい深さをしゃぶっていただきたいと、私はね、おもいますよ。
「高野行」
ばばあの骨を捨てばやと
高野の山へ来てみれば 折からちらちら風花が
杉の並木のてっぺんの 青い空から降ってくる
あはれはかない世のつねの
うたかたに似た人の身を うはのうつつに感じつつ
今夜の宿の京四条
顔見世月の鯛かぶら 早く食いたや呑みたやと
長居は無用そそくさと 高野の山を下りけり
ちらほら灯る僧院の
夕闇せまる須弥壇に 置いてけぼりの小さい壺
ばばあの骨も寒かろう
以上!
それでは本日も各自の持ち場で奮闘願います。
解散。
【風呂敷宣伝のメモリアル】
嬉野です。
えぇ、本日、どうでしょう風呂敷の詳細が
ユメミル工房の方で発表になりましたので、
これからわたくし、
風呂敷のことについて書こうかと思います。
あれはつい一年ほどまえでしょうか。
あるかばん屋が作った財布を
銀座辺りのガード下にある直営店で求めまして。
革の財布でしてね。
青い色のきれいな財布です。
お値段もね、私にしては高かった。
でも、それなのに買おうと思った切っ掛けはね、
そこのショップの売り子のあんちゃんが持ってたこと、
それでした。
その売り子のあんちゃんが、
「ぼくも使ってるんです」って出したその財布を見ちゃったのが決め手でした。
小さい財布でね。
真四角なスクエアーサイズ。
つまり、手のひらに入っちゃう正方形サイズなんです。
だから、お札は半分に折りたたんで入れるのです。
そうしないと入らない。
そんなサイズの財布です。
でも、そういう、
それほどお金の無い人でも
比較的ぱんぱんになりやすいというあたりも
少し私の気に入って背中を押したと思います。
そのあんちゃんのはね…、
え?なんですか?
「風呂敷の話はどうしました?」って聞いてます?
えぇですからね、してるんですね、今ね。
これ一見、財布の話をしているようでしょう?
いや、してるんですけどね、
でもこれ実は、風呂敷のお話をしているに等しいという、
きわめて高度な語り口で今これ進めてますのでね。
御心配の向きもあろうかと思われますが、
杞憂でございます。
ねぇ。
安心第一。実用本位。
ご家族みんなで水曜どうでしょうでございますよ。
さぁ、ということでね、
そのあんちゃんの財布ですが。
そのあんちゃん、
小銭入れのとこにもいっぱい硬貨をぶち込んでててね、
だもんだからもう、
財布の革を通してその下にある硬貨の丸い形が分かるくらい
ぼこぼこと革が硬貨の形になって盛り上がっててね、
折りたたんで入れてる札は財布から若干はみ出てるわ、
そのお札の間からはレシートやらなにやら紙の束がね、
これももうはみ出しちゃって、膨らんじゃって、
かなり、やんちゃな財布になってましたんですが、
でも、そういう乱暴な扱いにも充分に耐える材質であり、
しっかりとした縫製であることが分かるわけです。
そしてなおかつ、その痛んだ財布から奇妙な風合いが
どうにも好ましいものとして感じ取れるのです。
その感じが奇妙でした。
あんちゃんが、ジーパンの尻ポケットにねじ込み、
出したり入れたりするうちに
革の表面がこすれる。
傷がつく。
色が落ち、変色をし、していくわけです。
痛んでいくのに、その使い込んだ感じが、
なんかすごく好く見えてしまう。
そうするうちに、
「あぁ、なんかこれ好いなぁ」と思ってしまったのです。
それで買っちゃった。
あれ、棚に、きれいな新品の状態で置かれている新品の財布だけを眺めていたら、きっと買わなかったろうなぁと今でも思う。
そして、あれから1年。
私は、あの時買い求めた青い革の財布を、
愛着を持って使っているのです。
万札があれば万札を、
五千円札があれば五千円札を
あるいは千円札を、
机の上できちんと半分に折りたたんで、
その上で財布に入れる。
カード入れの切り込みは三つしかないから、
二枚ずつ入れても6枚しか入らない。
もっとカードがあれば、お札と一緒に立てて入れる。
そうするうちに財布はぱんぱんに膨らんで、
シーパンのお尻のポケットに入れられる。
そうして支払いのたびにその財布を私は出して札を抜く。
その繰り返しは毎日何度も訪れる。
そのたびに財布に愛着が湧く。
そしてふと、こういう物を作る人を尊敬したりする。
そして、そんな物にめぐり合えたことに幸せを感じる。
日々の繰り返しの中で、
ぼくらは己の人生に一喜一憂しながら日を過ごしているのですが。
物は、そういう人生の悲哀と憂鬱とは、
違う次元に身を置きながら、
ぼくらに寄り添ってくれるものだと、
なにやら思うことがあるのです。
「物にこだわる」という言い方は、どこか偉そうで好きになれないのですが、
それは、人それぞれの言いように過ぎないわけで、
普段使いに身につける物たちを、
それぞれの出番の際に、
見つめる、
触れる、この私の目や手の皮膚を通して、
押し寄せてくる喜びは事実としてあるのです。
そのことを体験することができる能力を、
人間誰もが持っていて、その小さくてささやかな喜びが、
時に人生を生き易くしてくれることがある。
きっとある。
なんか、そんなふうに思うのです。
ハードに使い込まれるほど、
物自体から何かが醸されてくる。
そういう幸福物質を醸すもの、
醸せないものが、道具にはあるのだろうと思います。
感じたということは、つまり体験であり。
それは自分でも説明のつかない体験だと思うのですが。
それだからこそ、ここにこうして書いてしまう。
うちの風呂敷もね、
そういうものであって欲しいという思いで、
作られたものです。
風呂敷なんて、
そんなに使う場面も思いつけないのが
現代の日常かもしれませんが、
それでも、使えば使うほど好ましい風合いになる綿生地を使って作っております。
「ユメミル工房」のページでは、
記事も写真も小さすぎてよく分からないかもしれませんから、
そのうち、特集ページを組んで、藤やんと一緒にみなさんにお知らせしたいと思います。
それでは、本日も、ご同輩たちよ。
各自の持ち場でなにとぞ御奮闘くださいますよう。
以上であります。
解散。
【藤村先生メモリアルのコーナー】
9月9日金曜日。藤村でございます。
このところ嬉野先生や店長と、関西方面に出かけることが多くなりました。
実は今、あるモノを京都で作っているのでございます。
それは、「風呂敷」。
図柄はなんと、「ジャングル」をモチーフにしたオリジナルで、真ん中にブンブン・ブラウが建ち、その周囲をうっそうとした熱帯雨林が取り囲み、その間からシカやヒョウ、ゾウなどの動物たちが顔をのぞかせるという賑やかなもので、さらに「出せ!大泉くん出せって!」などのセリフまで入っておりまして、「オイオイ、こんなものが風呂敷になんの?」「やり過ぎじゃなぁい?」という突拍子もないデザイン。
ところがコレ、かなり洒落たデザインに仕上がりまして、我々大いに驚嘆したのであります。
描いたのは、京都の老舗「岡重」さんの絵師(どうでしょう好き)。実に細かい線で図案が構成されており、ド派手な印象ですが、店長の提案で染め色を2色に押さえることで、実にジョーヒンな仕上がりとなったのであります。
紺色(ミッドナイトブルー)の地に、黄緑の線。(夜バージョン)
黄色っぽい地に、深い緑の線。(昼バージョン)
の、2種がありまして、両方ともに動物の目が「銀ラメ入りで光っている」という懲りようであります。
布地は、やわらかくてシワ加工のある「シャンタン」という素材か、木綿本来のカタさがある素朴な「細布」か、どちらにしようかさんざん迷いましたが、「細布」にいたしました。
「シャンタン」の方が見た目に高級感があるし、やわらかくてすぐに使いやすいんですが、「細布」には、使い込むほどに生地のやわらかさが出てくる味があります。普段使いにぜひ、酷使してやっていただきたいと思っております。
未曾有の災害に円高と、世界中から「日本はどうにも弱っている」と思われておるようですが、なにをおっしゃいますか、日本のモノ作りは今日も変わらず丹念に続けられておりますよ。
先日、嬉野先生と英国へ行ってまいりましたが、わたくし、いつのころからかお土産をほとんど買わなくなりました。なぜって、何を見ても日本のモノの方がいいと思えるから、あえて海外でモノを買う必要を感じないんです。
それよりも、日本国内でいろんなモノと出合う方が心動かされることが多い。今回の風呂敷もそうです。実際に我がどうでしょう風呂敷を作っている京都の染め物工場に何度か行って、その作業行程をつぶさに見てまいりましたが、その手間たるや相当なもの。
日本の職人さんが作るモノを、日本人が使う。その良さを自分たちがちゃんと認識する。それは決して、広い世界に背を向けた内向きなことではなく、自国のモノに自信と誇りを持つことこそが、胸を張って世界を歩く第一歩だと思うんです。
メイド・イン・ジャパン。
それは、とてもカッコいいと、あらためて思う今日このごろです。
ジャングル風呂敷は、今月29日発売。吉祥寺東急百貨店で同日から開催される物産展会場でも、もちろん販売されます。買う買わないは別にしても、まずは手に取って見て下さいな!
詳細は来週15日に発表となっております。
では、このところ腹いっぱいだの眠いだのと、そのようなつぶやきでお茶をにごす嬉野先生の本日の日記をどうぞ。
2011年9月9日(金)
嬉野です。
昨日は、なんか、眠れなくて、
ぜんぜん寝ていないので眠いです。
最後の時差ぼけかな?
さぁ、そんな私のことは放って置いて、
本日も、みなさん、各自の持ち場で、なにぶん奮闘願います!
解散。
【エジンバラ出張日記】は、
ウラ話!押せ!のページに、移動→保管しています。
(15:17 嬉野)
2011年9月15日(木)
2011年9月15日(木)
嬉野です。
えぇ、本日、どうでしょう風呂敷の詳細が
ユメミル工房の方で発表になりましたので、
これからわたくし、
風呂敷のことについて書こうかと思います。
あれはつい一年ほどまえでしょうか。
あるかばん屋が作った財布を
銀座辺りのガード下にある直営店で求めまして。
革の財布でしてね。
青い色のきれいな財布です。
お値段もね、私にしては高かった。
でも、それなのに買おうと思った切っ掛けはね、
そこのショップの売り子のあんちゃんが持ってたこと、
それでした。
その売り子のあんちゃんが、
「ぼくも使ってるんです」って出したその財布を見ちゃったのが決め手でした。
小さい財布でね。
真四角なスクエアーサイズ。
つまり、手のひらに入っちゃう正方形サイズなんです。
だから、お札は半分に折りたたんで入れるのです。
そうしないと入らない。
そんなサイズの財布です。
でも、そういう、
それほどお金の無い人でも
比較的ぱんぱんになりやすいというあたりも
少し私の気に入って背中を押したと思います。
そのあんちゃんのはね…、
え?なんですか?
「風呂敷の話はどうしました?」って聞いてます?
えぇですからね、してるんですね、今ね。
これ一見、財布の話をしているようでしょう?
いや、してるんですけどね、
でもこれ実は、風呂敷のお話をしているに等しいという、
きわめて高度な語り口で今これ進めてますのでね。
御心配の向きもあろうかと思われますが、
杞憂でございます。
ねぇ。
安心第一。実用本位。
ご家族みんなで水曜どうでしょうでございますよ。
さぁ、ということでね、
そのあんちゃんの財布ですが。
そのあんちゃん、
小銭入れのとこにもいっぱい硬貨をぶち込んでててね、
だもんだからもう、
財布の革を通してその下にある硬貨の丸い形が分かるくらい
ぼこぼこと革が硬貨の形になって盛り上がっててね、
折りたたんで入れてる札は財布から若干はみ出てるわ、
そのお札の間からはレシートやらなにやら紙の束がね、
これももうはみ出しちゃって、膨らんじゃって、
かなり、やんちゃな財布になってましたんですが、
でも、そういう乱暴な扱いにも充分に耐える材質であり、
しっかりとした縫製であることが分かるわけです。
そしてなおかつ、その痛んだ財布から奇妙な風合いが
どうにも好ましいものとして感じ取れるのです。
その感じが奇妙でした。
あんちゃんが、ジーパンの尻ポケットにねじ込み、
出したり入れたりするうちに
革の表面がこすれる。
傷がつく。
色が落ち、変色をし、していくわけです。
痛んでいくのに、その使い込んだ感じが、
なんかすごく好く見えてしまう。
そうするうちに、
「あぁ、なんかこれ好いなぁ」と思ってしまったのです。
それで買っちゃった。
あれ、棚に、きれいな新品の状態で置かれている新品の財布だけを眺めていたら、きっと買わなかったろうなぁと今でも思う。
そして、あれから1年。
私は、あの時買い求めた青い革の財布を、
愛着を持って使っているのです。
万札があれば万札を、
五千円札があれば五千円札を
あるいは千円札を、
机の上できちんと半分に折りたたんで、
その上で財布に入れる。
カード入れの切り込みは三つしかないから、
二枚ずつ入れても6枚しか入らない。
もっとカードがあれば、お札と一緒に立てて入れる。
そうするうちに財布はぱんぱんに膨らんで、
シーパンのお尻のポケットに入れられる。
そうして支払いのたびにその財布を私は出して札を抜く。
その繰り返しは毎日何度も訪れる。
そのたびに財布に愛着が湧く。
そしてふと、こういう物を作る人を尊敬したりする。
そして、そんな物にめぐり合えたことに幸せを感じる。
日々の繰り返しの中で、
ぼくらは己の人生に一喜一憂しながら日を過ごしているのですが。
物は、そういう人生の悲哀と憂鬱とは、
違う次元に身を置きながら、
ぼくらに寄り添ってくれるものだと、
なにやら思うことがあるのです。
「物にこだわる」という言い方は、どこか偉そうで好きになれないのですが、
それは、人それぞれの言いように過ぎないわけで、
普段使いに身につける物たちを、
それぞれの出番の際に、
見つめる、
触れる、この私の目や手の皮膚を通して、
押し寄せてくる喜びは事実としてあるのです。
そのことを体験することができる能力を、
人間誰もが持っていて、その小さくてささやかな喜びが、
時に人生を生き易くしてくれることがある。
きっとある。
なんか、そんなふうに思うのです。
ハードに使い込まれるほど、
物自体から何かが醸されてくる。
そういう幸福物質を醸すもの、
醸せないものが、道具にはあるのだろうと思います。
感じたということは、つまり体験であり。
それは自分でも説明のつかない体験だと思うのですが。
それだからこそ、ここにこうして書いてしまう。
うちの風呂敷もね、
そういうものであって欲しいという思いで、
作られたものです。
風呂敷なんて、
そんなに使う場面も思いつけないのが
現代の日常かもしれませんが、
それでも、使えば使うほど好ましい風合いになる綿生地を使って作っております。
「ユメミル工房」のページでは、
記事も写真も小さすぎてよく分からないかもしれませんから、
そのうち、特集ページを組んで、藤やんと一緒にみなさんにお知らせしたいと思います。
それでは、本日も、ご同輩たちよ。
各自の持ち場でなにとぞ御奮闘くださいますよう。
以上であります。
解散。
【藤村先生メモリアルのコーナー】
9月9日金曜日。藤村でございます。
このところ嬉野先生や店長と、関西方面に出かけることが多くなりました。
実は今、あるモノを京都で作っているのでございます。
それは、「風呂敷」。
図柄はなんと、「ジャングル」をモチーフにしたオリジナルで、真ん中にブンブン・ブラウが建ち、その周囲をうっそうとした熱帯雨林が取り囲み、その間からシカやヒョウ、ゾウなどの動物たちが顔をのぞかせるという賑やかなもので、さらに「出せ!大泉くん出せって!」などのセリフまで入っておりまして、「オイオイ、こんなものが風呂敷になんの?」「やり過ぎじゃなぁい?」という突拍子もないデザイン。
ところがコレ、かなり洒落たデザインに仕上がりまして、我々大いに驚嘆したのであります。
描いたのは、京都の老舗「岡重」さんの絵師(どうでしょう好き)。実に細かい線で図案が構成されており、ド派手な印象ですが、店長の提案で染め色を2色に押さえることで、実にジョーヒンな仕上がりとなったのであります。
紺色(ミッドナイトブルー)の地に、黄緑の線。(夜バージョン)
黄色っぽい地に、深い緑の線。(昼バージョン)
の、2種がありまして、両方ともに動物の目が「銀ラメ入りで光っている」という懲りようであります。
布地は、やわらかくてシワ加工のある「シャンタン」という素材か、木綿本来のカタさがある素朴な「細布」か、どちらにしようかさんざん迷いましたが、「細布」にいたしました。
「シャンタン」の方が見た目に高級感があるし、やわらかくてすぐに使いやすいんですが、「細布」には、使い込むほどに生地のやわらかさが出てくる味があります。普段使いにぜひ、酷使してやっていただきたいと思っております。
未曾有の災害に円高と、世界中から「日本はどうにも弱っている」と思われておるようですが、なにをおっしゃいますか、日本のモノ作りは今日も変わらず丹念に続けられておりますよ。
先日、嬉野先生と英国へ行ってまいりましたが、わたくし、いつのころからかお土産をほとんど買わなくなりました。なぜって、何を見ても日本のモノの方がいいと思えるから、あえて海外でモノを買う必要を感じないんです。
それよりも、日本国内でいろんなモノと出合う方が心動かされることが多い。今回の風呂敷もそうです。実際に我がどうでしょう風呂敷を作っている京都の染め物工場に何度か行って、その作業行程をつぶさに見てまいりましたが、その手間たるや相当なもの。
日本の職人さんが作るモノを、日本人が使う。その良さを自分たちがちゃんと認識する。それは決して、広い世界に背を向けた内向きなことではなく、自国のモノに自信と誇りを持つことこそが、胸を張って世界を歩く第一歩だと思うんです。
メイド・イン・ジャパン。
それは、とてもカッコいいと、あらためて思う今日このごろです。
ジャングル風呂敷は、今月29日発売。吉祥寺東急百貨店で同日から開催される物産展会場でも、もちろん販売されます。買う買わないは別にしても、まずは手に取って見て下さいな!
詳細は来週15日に発表となっております。
では、このところ腹いっぱいだの眠いだのと、そのようなつぶやきでお茶をにごす嬉野先生の本日の日記をどうぞ。
2011年9月9日(金)
嬉野です。
昨日は、なんか、眠れなくて、
ぜんぜん寝ていないので眠いです。
最後の時差ぼけかな?
さぁ、そんな私のことは放って置いて、
本日も、みなさん、各自の持ち場で、なにぶん奮闘願います!
解散。
【エジンバラ出張日記】は、
ウラ話!押せ!のページに、移動→保管しています。
(16:10 嬉野)
9月9日金曜日。藤村でございます。
9月9日金曜日。藤村でございます。
このところ嬉野先生や店長と、関西方面に出かけることが多くなりました。
実は今、あるモノを京都で作っているのでございます。
それは、「風呂敷」。
図柄はなんと、「ジャングル」をモチーフにしたオリジナルで、真ん中にブンブン・ブラウが建ち、その周囲をうっそうとした熱帯雨林が取り囲み、その間からシカやヒョウ、ゾウなどの動物たちが顔をのぞかせるという賑やかなもので、さらに「出せ!大泉くん出せって!」などのセリフまで入っておりまして、「オイオイ、こんなものが風呂敷になんの?」「やり過ぎじゃなぁい?」という突拍子もないデザイン。
ところがコレ、かなり洒落たデザインに仕上がりまして、我々大いに驚嘆したのであります。
描いたのは、京都の老舗「岡重」さんの絵師(どうでしょう好き)。実に細かい線で図案が構成されており、ド派手な印象ですが、店長の提案で染め色を2色に押さえることで、実にジョーヒンな仕上がりとなったのであります。
紺色(ミッドナイトブルー)の地に、黄緑の線。(夜バージョン)
黄色っぽい地に、深い緑の線。(昼バージョン)
の、2種がありまして、両方ともに動物の目が「銀ラメ入りで光っている」という懲りようであります。
布地は、やわらかくてシワ加工のある「シャンタン」という素材か、木綿本来のカタさがある素朴な「細布」か、どちらにしようかさんざん迷いましたが、「細布」にいたしました。
「シャンタン」の方が見た目に高級感があるし、やわらかくてすぐに使いやすいんですが、「細布」には、使い込むほどに生地のやわらかさが出てくる味があります。普段使いにぜひ、酷使してやっていただきたいと思っております。
未曾有の災害に円高と、世界中から「日本はどうにも弱っている」と思われておるようですが、なにをおっしゃいますか、日本のモノ作りは今日も変わらず丹念に続けられておりますよ。
先日、嬉野先生と英国へ行ってまいりましたが、わたくし、いつのころからかお土産をほとんど買わなくなりました。なぜって、何を見ても日本のモノの方がいいと思えるから、あえて海外でモノを買う必要を感じないんです。
それよりも、日本国内でいろんなモノと出合う方が心動かされることが多い。今回の風呂敷もそうです。実際に我がどうでしょう風呂敷を作っている京都の染め物工場に何度か行って、その作業行程をつぶさに見てまいりましたが、その手間たるや相当なもの。
日本の職人さんが作るモノを、日本人が使う。その良さを自分たちがちゃんと認識する。それは決して、広い世界に背を向けた内向きなことではなく、自国のモノに自信と誇りを持つことこそが、胸を張って世界を歩く第一歩だと思うんです。
メイド・イン・ジャパン。
それは、とてもカッコいいと、あらためて思う今日このごろです。
ジャングル風呂敷は、今月29日発売。吉祥寺東急百貨店で同日から開催される物産展会場でも、もちろん販売されます。買う買わないは別にしても、まずは手に取って見て下さいな!
詳細は来週15日に発表となっております。
では、このところ腹いっぱいだの眠いだのと、そのようなつぶやきでお茶をにごす嬉野先生の本日の日記をどうぞ。
2011年9月9日(金)
嬉野です。
昨日は、なんか、眠れなくて、
ぜんぜん寝ていないので眠いです。
最後の時差ぼけかな?
さぁ、そんな私のことは放って置いて、
本日も、みなさん、各自の持ち場で、なにぶん奮闘願います!
解散。
【エジンバラ出張日記】は、
ウラ話!押せ!のページに、移動→保管しています。
(16:01 藤村)
2011年9月9日(金)
2011年9月9日(金)
嬉野です。
昨日は、なんか、眠れなくて、
ぜんぜん寝ていないので眠いです。
最後の時差ぼけかな?
さぁ、そんな私のことは放って置いて、
本日も、みなさん、各自の持ち場で、なにぶん奮闘願います!
解散。
【エジンバラ出張日記】は、
ウラ話!押せ!のページに、移動→保管しています。
(12:42 嬉野)
2011年9月7日(水)
2011年9月7日(水)
嬉野です。
どうにも食いすぎて…、
腹がふくれていけません。
これが今のところ搾り出せた精一杯の言葉であります。
すみません。この非常時にこんなことで。
消化が進めばまた後で…。
本日も陽気にまいりましょう。
いやぁまいった。
(12:29 嬉野)
2011年9月5日(月)
2011年9月5日(月)
嬉野です。
還暦を過ぎてから、
またしても人生にさまよって、
やっとの思いで八丈島に流れ着き、
また一人と犬一匹とで歩き始めた
クジラさんからの哀愁のお便りが、
本日も「ラブレターFromクジラ」のページに届いております。
(パソコンからの閲覧のみです)
掲示板にはね、
「クジラさんのイラスト見ました」的な書き込みがないので、
あら、誰も見ていないのかしらと、思っておりましたら、
見てましたね。見てたのね。
「ラブレターfromクジラ」のページにある、
クジラ応援メール宛てに、
実にたくさんのみなさんからのメールが、
今もコンスタントに届いておりまして、驚きました。
しかも、みんな感じの好い文章なんです。
そして長い文章のが多いのね。
せっかくだからそのクジラさんへのメールをね、
公開する場をつくろうか、
いや、それとも、あえて作るまいか、と、
今、思案しておるのであります。
個人から、クジラさんというおじさんへ、
ひっそりと送るから好いのかも知れないしね。
公開ものにすると、
公開されることを意識した文章を
みんな送るようになるのかも知れないしね、
そこのところを、もう少し考えようと思っています。
ということで、
【エジンバラ出張日記】は、「ウラ話」押せ!のページに移転保管公開中であります。興味のある方々はそちらえお回りください。
それではみなさま。
本日も各自の持ち場で奮闘願います。
明日の日本のためにね。
では、解散。
(12:57 嬉野)
2011年8月31日(水)
2011年8月31日(水)
嬉野です。
我ら両名。
昨日、無事に札幌に戻ってまいりましたよ!
でね、
これ、時差ぼけというものなんでしょうかねぇ…
よく分かりませんが…
日本に帰ってきましたらね、
夜ね、
眠れなくなりましたんですがね。
もうね。
朝までギンギンに目が冴えてさぁ、
だもんだがら一冊まるまる読破してしまってさぁ。
それはそれで面白かったから好かったんですがね、
もうね、今、猛烈に眠いのよ奥さん…。
…………。
ということで出張日記一挙掲載!
★藤嬉のエジンバラ出張日記★
【3011年8月16日火曜日】
藤村でございます。
私と嬉野先生は、今週末からある芝居、
というか「パフォーマンス」を観るために遠く、イギリスはスコットランドに出張してまいります。
嬉野先生がたぶん「出張つれづれ日記」を現地から送る、とは思いますが、
私もなにかしらこちらに書いていこうと思っております。
今月いっぱい、スコットランドで過ごしてきます。
また、良いものに出会える気がします。
【2011年8月18日(木)】
嬉野ですよ奥さん。
えぇ、うちの藤村さんが、先日日記に書き残されましたとおり、
ぼくらは今週末にイギリスに出張しましてね、
10日ばかり札幌を留守にするわけでありますが。
スコットランドのね、エジンバラというところへね、行くんでありますが。
もうね、なんせ今週末のフライトだから、出発まで、日が無いの。
で、藤村さんは、本日からもう、ひと足先にね、ひとり東京へ出張に出ちゃうんだということでね、
「じゃぁ、成田で」つって言いながら、昨日帰りに別れましたよ。
ちゅうことでね、嬉野さんは、今朝も札幌で、ひとり立て混みながら、
ばたばたとしておりましたら奥さんね、午前中でしたかしら、私の携帯にメールが入りまして…。
なにかいな?と、見ましたらね、藤村さんからですよ。
「おはようございますわたくし、パスポートを忘れまして、午前中にカミさんが会社の受付に持っていきます。受付の子には、嬉野さんのデスクに届けるように、言っておきましたので、それをね、成田に持ってきてくださいね。 藤村」
いきなりパスポートを忘れたそうですよ。
笑っちゃってね。
書きながらさすがに彼もバツが悪いと思ったのでしょうか、
メールの末尾2行に「ね」が二つもありますもんね。
あの方の文章の末尾に可愛く「ね」があるなんてさぁ、見たことないですね。
だもんで面白かったんだけど。
確かに、会社に出てきたらデスクの上にありましたよ。
それらしき封筒が(^^)
「嬉野さま お手数をおかけいたします 藤村パスポート在中」
藤やんの奥様の筆跡ですね。
ご苦労さまでご座居ます奥さま。
そうしましたらですよ、さっきですよ、
私の携帯にまたメールが入りましてね、
見ましたら今度は、カリスマスタイリストの小松さんからです。
「うれしーさぁ 藤やんとエジンバラ行くんだってね こっちは土曜日、藤村家で飲み会なのよ 藤やんの奥様と(^^)」
なるほど…。
ヒゲの居ぬまの…ねぇ。そりゃありますさ。
とうことでね、藤村先生。
あなたのパスポートは、確かに私が受け取っております!案ずるな!
さぁ本日は、くじらさんの納涼イラストの更新日です!
パソコンでご覧のみなさんは眺めましょう!
それとそれと、掲示板には、「文久三年」目覚ましへの賛辞が、ズラズラと届いております。
もう大人気。
ただ、その書き込みはまだ上げてはおりませんね。
なにしろ、ばたばたしちゃってますからね。
それでは諸氏。本日も各自の持ち場で変わらぬ奮闘をなされますように。
解散!
【現地時間8月21日午後7時30分。】
藤村でございます
成田空港から12時間かけてロンドンに到着いたしました
日本時間では日付変わって22日の午前3時30分であります
本日はヒースロー空港近くのホテルに宿を取りまして、
明日朝の便でスコットランドのエジンバラに入ります
12時間のフライトでは、嬉野先生と席が離れておりましたが、
私は隣の席のご婦人(76歳)とワインを飲みながらすっかり人生について話し込みまして、
その後は酔っぱらって5時間ほど寝て、映画を2本観て、わりとあっさりロンドン到着
今回の旅の目的は、
エジンバラフェスティバルという世界的に有名な演劇祭で1ヶ月のロングラン公演をしている
「白A」というパフォーマンスグループを観ることであります
海外でがんばる日本の若者の姿をしかと観てまいります
ロンドンの午後7時。窓の外はまだまだ明るい…でも眠くてしょうがない
寝ますよもう
今日はここまで 現地から藤村でした
おやすみなさい
【2011年8月22日(月)】
嬉野です。
私と藤やんの二人は、 12時間の飛行の末、無事イギリスに到着いたしました。
イギリスは現在サマータイムでありますから
日本との時差は8時間です。
つまり、こちらは、みなさんの生活の8時間前をやっと進行しているということですから、
みなさんが朝ごはんを食べようかという頃には、
ぼくらはやっと前の晩のそろそろ寝ようかなという頃合いなわけです。
なんだかタイムスリップしたみたい。
さぁそれではしばらく、このように遠隔操作で日記を書いていきますのでお楽しみに。
そしてさっそく時差ぼけで眠いです。
では、ここイングランドの地より、
本日も諸氏が、各自の持ち場で奮闘されんことを願い上げます。
解散。
【現地時間8月22日午後5時】
日本時間日付変わって23日午前1時
藤村でござります
午前中にロンドンからスコットランドのエジンバラに入りました
崖の上にそびえるエジンバラ城を中心に広がる街は、
世界遺産に指定されているほどの美しい町並みで、
そのメイン通りでは、
世界中から集まった演劇人が
パフォーマンスを繰り広げております
通りを歩いただけでもうなんだか頭がくらくらしてきましてね、
さすが世界的な演劇祭の迫力!と思いましたら、
違いますね、
完全な時差ボケですね
眠いんですよもう…
というわけで現在、宿でひとねむりしておりました
これからスコットランド料理を食い、
明日いよいよ「白A」のパフォーマンスを見に行きます
今日はこのへんで勘弁してやるぜ、エジンバラ
【現地時間8月23日朝6時】
完全なる時差ボケの藤村でごさいます
昨日、午前中にエジンバラに到着し、
街を一回りし、午後いったん宿に戻って1時間ばかりひとねむりし、
夕方、「白A」のみなさんとお会いして、
一緒にスコットランド料理を食べました ビールがうまくてね、
たくさん飲みました
料理もね、まぁうまいんですけど量が多くてですね、
腹一杯になりました
ワインも飲みましてね
デザートも食べましてね
デザートが半端なく甘いんですよ
だってね、試しにね、テーブルにあった砂糖をそのまんま食べてみたらですよ、
甘く感じなかったですもん
砂糖より甘いんですよ、デザートが
私も嬉野さんも倒れそうでしたよ
だって日本時間の早朝にですよ、
フルコースを食べて、朝4時に砂糖より甘いデザートを目一杯食べたわけですからね
もうね、苦しくてね、
私は宿に戻って吐きましたね
スコットランドを盛大にね
で、そのまんま倒れ込むようにして寝て、
おーずいぶん寝たなと、思って時計を見たら、スコットランドはまだ午前2時!
ダメだ!寝ないと
そう思ってもう一度ベッドに入って、再び目が覚めたら、スコットランドはまだ朝5時!
ダメですもう眠れまへん あきらめて日記を書いております
今日の午後4時から、「白A」の公演が行われます
世界中のパフォーマーが集まるエジンバラで、
堂々と公演する東北仙台のパフォーマンスグループ「白A」
おれは観るぞ!彼らの勇姿を
寝ないぞ!おれは!
【現地時間8月23日午後11時30分】
日本時間では朝7時30分。
オハばんわ。藤村でございます。
本日午後3時。
ここスコットランドのエジンバラで、
仙台を本拠地とするパフォーマンスグループ「白A」の公演を観ました。
会場はエジンバラ芸術大学の中にある劇場。
キャパシティは約200人。彼らのロングラン公演がここで始まったのは8月3日。
初日のお客さんの数は、なんと15人だったそうです。
ガランガランの客席を見て彼らは失望した…かと思いきや、
お客さんの反応がはっきり見えて、逆に自信を持ったそうであります。
「これはイケる」と。
その日から3週間が経過した現在…客席は見事に満席でした。
地元の英国はもちろん、シンガポールや台湾などアジア圏の人々、
年齢も幅広くバラバラな人々が、彼らの公演の噂を聞きつけて集まっておりました。
彼らは初日からほんの1週間で客席を満席にしたそうであります。
幼なじみや同級生たちで結成し、震災で稽古場を流されて、
ようやく東北仙台からやってきた彼らが、このスコットランドで、
演劇の本場イギリスで、客を10倍以上に増やしていたのであります。
「白A」の公演は、カッコよく、面白く、気持ちのいい、素晴らしいものでありました。
世界を相手に堂々の戦いぶりでしたよ、仙台は。
いやぁー、来て良かったぞぉ!エジンバラ。
8月いっぱい開かれているこのエジンバラ・フェスティバルでは、街中の様々な場所が劇場となって、
どの公演も1千円程度の入場料で観ることができます。
評判の良い公演はお客さんがどんどん増え、
内容が良くないものはどんどんお客さんが減っていく。
中身よりキャスティングと宣伝でお客さんを集めて、
短期間で公演を終える日本とは違い、
とても当たり前のことが、ここでは行われております。
明日からは、世界中からやってきた様々な公演を観たいと思っております。
【現地時間8月24日午後10時】
日本時間では朝6時となりました。
こんばよーございます。
エジンバラから藤村でございます。
仙台からやってきた「白A」のメンバーは、先月下旬にエジンバラ入りしたので、こちらの生活もすでに1ヶ月。
彼らは、劇場に近いアパートの一室を借りて共同生活をしています。
そのアパートは基本、4人住まいの部屋でありますが、
そこに7人の男どもがぎゅうぎゅうになって暮らしているわけで、
ある者は床に寝て、
ある者は押し入れに寝ているという惨状を呈しているわけでございます。
しかしながら、ドイツの道端に寝るわけではないので、
居住環境にはそれなりに適応している彼らではありますが、
それでもやはり適応しきれないのが食生活。
わかりますわかります。わかりますとも。
もうね、ヨーロッパのパンとチーズと薄っぺらいハムにはもう、うんざりなんだよ!と。
で、我々は今夜、彼らのアパートで、北海道から持参したラーメンをおみまいしてやりました。
旭川の「橙や」と札幌の「白樺山荘」のラーメン。
そして、酒のつまみには、北菓楼の「北海道おかき」。
やっぱりね、ラーメンは最強ですよ。
「ヤバいヤバい」「うめぇうめぇ」と、大興奮しながら食っておりました。
「白A」の1ヶ月に及ぶロングラン公演も、
残すところあと5日。
彼らは元気いっぱい乗り切ることでしょう。
我々は今日、韓国人のコメディを観てきました。
手品やジャグリングを器用にこなしながら笑いを取る、実に楽しい公演でありました。
英国人にもバカウケしておりました。
アジア勢、大健闘しています。
なんだかとても嬉しいですよ。
さぁ明日は、何を見てくれようか!
芝居やコメディだけでなく、
フラメンコもタンゴもバレエも、
なんでもやってますから。
エジンバラ・フェスティバル、すごく贅沢です。
ではまた明日。
【2011年8月26日(金)】
どうしても夜中の1時に目が覚める嬉野です。
毎夜目覚めるとエジンバラは深夜1時。
でも8時間先を行く日本は既に朝の9時。
エジンバラの宿のカーテンをからからと開けますと窓外は真っ暗。
そらそーです。だって夜中の1時なんですもん。
ですが日本では、日も高くみなさんご出勤の刻限なんだと思えば、なにやら妙な感じでね。
素直に寝直せない。
私の中の無意識は、まるでご出勤される日本の皆様方に気兼ねでもするかのように夜中というのに寝てられない。
いやいやこのさいゆっくり朝9時くらいまで朝寝してやっかと思うのですが、エジンバラで朝9時と言えば日本はすでに午後の5時。
夕方です。
だいたい仕事も終わろうかというところ。
そんな時間まで寝てるというのは、さすがの私も気がひける。
とでも私の無意識が思うのでしょうか?
寝ても30分後には目が覚める。
こうして1日じゅう私の頭の中の時計は日本に行ったりエジンバラに帰ったりと洋の東西をまたいで行ったり来たりするもんですから私の頭はごっちゃんごっちゃんで、
とにかく毎晩あんまり寝た気がしない。
だからエジンバラの午後も3時を過ぎる頃には乱暴な睡魔に襲われ始め、
夕方5時にでもなろうもんなら一旦宿に帰って寝ないと倒れそうになる。
確かにエジンバラでは夕方5時とはいえ日本じゃ夜中の1時なんですから、いいかげん寝ないといけない時刻なんだと日本時間が言うのです。
という時差ぼけの毎日でね、
疲れますのよ奥さん。
それでも、そのよう朦朧たる脳状態でエジンバラの街を歩き回り劇場巡りの日々であります。
でまぁしかたない多少寝ますさ。劇場で。
劇場出てから藤やんとテラスで茶を飲んで話すときに、
「でも、あの綱渡りはどうだろうねぇ」とか振られてね、
(え?綱渡り?綱渡りなんかあった?記憶にないなぁ?寝てたなオレ)と、
こっちゃぁ内心、地味に驚き、
なんとなぁく気取られないように話を合わせるという始末でありますよ。
それではみなさん、そっちはすでにお昼ごはんの時間でしょうが、こっちゃあまだ、夜も明けぬ夜中の4時というわけで。
手前どもは本日も日が昇りましたら、藤村先生のスケジューリングで精力的に劇場巡りをいたします。
諸氏もまた各自の持ち場で奮闘なされてくださりませ。
解散。
【現地時間8月26日の朝9時】
藤村でございます。
そちらはもう夕方5時ですから、
今日も一日お疲れさんといったところですな。
こっちゃあこれからです。
毎年8月に行われているエジンバラ・フェスティバルは、
期間中の観客数100万人、
パフォーマンスをする出演者が4万人、
出し物の数は4千という途方もないイベントであります。
出し物をすべて網羅した冊子があるんですが、そいつがもう300ページ以上あって、
持ち歩くのも重いぐらい。
演劇だけでなく、歌(ロックからクラシックまで)、ダンス、コメディ、ミュージカル、
そして子供向けの人形劇まで、
思い付くエンターテイメントのすべてが街中の特設劇場で行われております。
そのどれもが入場料千円ほど。
そして、すべて1時間前後の出し物なので、エンターテイメントのハシゴができるわけです。
我々はきのう、4つもハシゴしました。
まずは、南米コロンビアからやってきた「サーコロンビ」という出し物。
サーカスとコロンビアの造語ですね。
中身はですね、町のワルがですね、ケンカしながら、
尋常じゃないアクロバットをしたり、綱渡りしたり、縄跳びしたりするというものでね、
すごかったですよ。
嬉野先生は寝てましたけどね。
次に観たのは「コリアン・ドラム」。
文字通り韓国の太鼓です。
男性5人、女性10人以上の編成で、こいつはもうバチさばきが尋常じゃない。
嬉野先生が寝なかったことからも、その素晴らしさがわかっていただけるでしょう。
次に観たのは、イギリスのミュージカル。
とは言ってもシェイクスピアとかそういうんじゃないですよ。
言うなれば「スチュワーデス物語」。
ロンドンからニューヨークを往復する機内でのドタバタみたいなね、
客室乗務員と機長が恋に落ちるみたいなね、そういう楽しいやつです。
言葉はわかんないし、劇場もどっかの会議室みたいなとこに暗幕を張ってやってるし、
舞台セットは飛行機の窓を手書きしたボードがあるだけだし、
「うわっ!ちゃっちいな!」と思いましたが、
ちゃんとバイオリンを弾く人やバンドもいて、
生で演奏しながらミュージカルをやってましたよ。
役者さんもうまかったし。
まぁ、嬉野先生は寝てましたけどね。
狭い劇場で、それも正面でしたからね、
役者の目には入ってたと思いますよ。
一度ガタッ!と音を立てて倒れましたしね。
そして夜は、エジンバラ城の前に設けられた特設スタジアムで行われている「ミリタリー・タトゥー」というイベント。
これはスコットランドをはじめ、
イングランド、ドイツ、フランス、シンガポールなんかの軍楽隊によるショーですね。
スタジアムを軍隊の楽団が音楽を聞かせながら行進するという。
スコットランドの軍楽隊が、
タータンチェックのスカートに、
バグパイプを吹き鳴らして行進する様はシビれましたね。
花火も盛大に上がってね。
エジンバラ・フェスティバル最大の出し物です。
でも、嬉野先生は寝てましたけどね。
結局、先生が寝なかったのは韓国の太鼓だけですね。
「あれはすごかったねー!」 と、
そればかり力説しておりました。
アジア勢強し!
さぁ、今日はまず手始めに、
冊子の中から私の直感で選んだ
「アラビアンナイト」というミュージカルを
見に行ってまいります。
嬉野先生は果たして寝るのか!お楽しみに。
【現地時間8月26日午後2時】
日本はもう夜10時ですね。
こんにばんわ。
藤村でございます。
先ほど午前11時から、私が直感で選んだミュージカル「アラビアンナイト」を観てまいりました。
きのうは南米コロンビアのアクロバットと韓国の太鼓を観てえらく感激したので、今日は中東のね、それも若干妖艶なね、お腹は見せて顔は見せずみたいなね、ベリーダンス的なものも良いんじゃないかと思いましてね、嬉野先生と行きましたよ「アラビアンナイト」。
えー、目論見は見事にハズレましてですね、
アレは高校生ですね、
イギリスの。 高校生の演劇でしたね、
アリババとか魔法のランプとか出てくる、ミュージカル風の演劇でした。
会場は教会でしたもん。
教会の中に暗幕張って客席作ってましたもん。
んなとこで妖艶なダンスしないですよ。
それも午前中に。
お客さんは40人ぐらいでしたか。
40人を前に15人ぐらいの高校生たちが歌を歌いながら芝居をする。
でもね、良かったです。高校生の演劇。
うまかった。話も良く出来てました。
8ポンド、日本円で千円ぐらいでしたが、いろんなことに満足しました。
たった40人でも、お金を払ったお客さんの前で、高校生たちが1ヶ月近く芝居をやる。
すごい経験ですよ。
こんな経験できたら、みんなうまくなりますよ。
もちろん嬉野先生はね、寝てましたよ。
観客40人ですからね、目立ちますよ。
アリババがチラッと嬉野先生見てましたもん。
ちょっと悲しそうな目をしましたもん、アリババ。
午後3時からはもう一度「白A」の公演を観に行きます。 寝るなよ!嬉野先生!
【現地時間8月26日午後10時半】
日本時間では27日土曜日の朝6時を過ぎました。
オハヨばんでございます。藤村でござります。
エジンバラに来て5日。
我々はこの間に、我らがJAPAN仙台の「白A」、韓国の押しの強いコメディ、
南米コロンビアのアクロバット、イギリスのミュージカル「スチュワーデス物語」、
韓国の太鼓、フェスティバル最大のイベント「ミリタリータトゥー」、
イギリスの高校生たちのミュージカル「アラビアンナイト」、
そして再び「白A」のパフォーマンスを観ました。
合計8つ。
このうち、嬉野先生が寝なかったのは、
韓国のコメディと太鼓、そして「白A」の3つでありました。
嬉野アイは、世界のパフォーマンスに対して、実に厳しい態度を取っております。
「アラビアンナイト」に至っては、アリババを演じていた男子高校生が、
嬉野アイが閉じているのを見て、悲しい顔をしておりました。
さらにアリババは、我々と同じ宿に泊まっていたのを私は見てしまいました。
なんというバツの悪さ!
もうこれ以上、嬉野アイを眠らせるわけにはいきません。
300ページに及ぶパフォーマンスの中から、次に何を観るのか、
セレクションを担当しているわたくしが次に選んだのは、
このフェスティバルでも大人気を博しているという「フリーラン」というパフォーマンスであります。
これは、YouTubeの視聴回数でギネスにも載ったという、
ものスゴいアクロバットの舞台版。
若い男4人が、街中を走り回り、スパイダーマンのように壁を飛び越え、
バク転しながら階段を飛び降りるという、まさに体を張ったパフォーマンス。
エジンバラ大学のキャンパスに設置された特設会場には、客席の周りに彼らが走り回る通路があり、
壁に見立てた跳び箱のような台や、鉄棒のようなものが設置されておりました。
ノリのいいハウスミュージックがガンガンに鳴り響き、客席は大盛り上がり。
YouTubeの映像で見た通りのアクロバットが、生で繰り広げられました。
でも、でも! 嬉野アイは、やはり閉じていました!
なぜ!なぜ!あんなに盛り上がっている中で眠くなるんだ!嬉野アイ!
「だって藤村くん、あれは跳び箱じゃないですか」
「わたし、跳び箱を1時間も見られませんよ」
YouTubeのギネス記録も、嬉野アイには「跳び箱」呼ばわり。
厳し過ぎるぜ!嬉野アイ!
エジンバラで大人気の「フリーラン」も無惨に散りました。
いやでも、確かにね、YouTubeの映像のように、
本当の街中を走り回りながら壁を飛び越えたりしてるのは面白いけど、
それを舞台でやるのはね…。
なんか、野生動物がカゴに入れられたような感じがしましたもの。
さすがだぜ!嬉野アイ!
さぁもうこうなると、わたくしのセレクトはとまりません。
夕飯は屋台のハンバーガーでさっさと済ませて夜8時から、次なる出し物へと向かいます。
タイトルは、 「フラメンコ!フラメンコ!」
もうそのまんま、フラメンコです。
伝統に裏打ちされた、尋常ではないギターテクニックと、
尋常ではない足さばきのフラメンコダンサー!
嬉野アイは見事に釘付けとなりました。
やりました!
日本、韓国に続き、スペインも嬉野アイ合格です。
こうなると、藤村セレクションもさらにヒートアップしてまいります。
夜10時! エジンバラに来ていたワハハ本舗の知り合いの方に聞いた、
ドイツのコメディを観に行くことにしました。
タイトルは、 「ドクターブラウン」。
怪しげです。
しかし、会場に行ってみると、なんとドクターブラウンのチケットはソールドアウト。
無念! 明日の前売りチケットを手に入れて、本日は終了となりました。 我々はあさっての昼に帰国なので、明日が観劇の最終日。
明日も目一杯、見てやるぜ!
待ってろ!ドクターブラウン。
嬉野アイを覚ましてみろ!じゃまた明日。
【現地時間8月27日午後10時40分】
仙台から世界に向けてパフォーマンスを繰り広げてきた「白A」は今日の公演で、ついに座席数が足りず、急きょイスを増やしたほどの超満員の観客を集めたそうです。
それはもう、スゴいことです。
「どうでしょう」は、札幌から日本全国に広まったけれど、仙台の「白A」は一気に世界へと出て行き、そして、ちゃんと結果を出したのです。
スゴいぞ仙台!
でもねぇ、世界はまだまだ広いよ。
我々は、エジンバラ最後の夜に、スゲーものを観ました。
「ドクターブラウン」
わたしはね、生の舞台で、こんなに声を出して笑ったことはありません。
1時間の舞台の最中、ほぼずっと涙が出るほど笑ってました。
こんな経験したことありません!
そして、会場には、私の笑い声を含め、ずっと観客の笑い声だけが響くという、不思議な現象が起きます。 なぜなら、ドクターブラウンは、ほとんどしゃべらないからです。
ほとんどしゃべらないのに、観客が勝手に笑ってしまう。
いやもう、言葉では説明しにくいけど、とにかくドクターブラウンは、舞台上でほとんどしゃべらない上に、ほとんど何もしないんです。
いわゆる「間」だけで笑わせるという、スゴい舞台です。
私はね、絶対に彼を日本に呼びたい。
日本人の笑いのセンスは世界一だと思ってましたが、ドクターブラウンが今、私の中では世界一です。
いやー、エジンバラに来て良かった!
ドクターブラウン。
嬉野アイも見事に笑ってました。
さぁ、我々は明日、日本に帰ります。
そして来年、また必ずエジンバラに来たいと思います。
みなさん、ぜひエジンバラで会いましょう。
【2011年8月29日(月)】
嬉野ですよ奥さん。
エジンバラはねぇ、カモメが多いよ。
海がねぇ近いんだ。
だからだね。一日中、カモメが街の上を飛んでるよ。
エジンバラは、そのカモメたちがやって来る海から、なだらかにせり上がっていく果てにある丘の尾根伝いに作られた街だから、街中に高低差があってね、とにかく坂道と石段ばかりの街だよ。
川もないのに街中に橋がたくさんあるのはね、
丘と丘を崖から崖へとつなぐために橋が架けられているからなんだね。
崖の下にある街をまたいで、
崖の上の街ともう一方の崖の上の街が橋でつながれている。
そんな重層的な作りの街だから、
橋のたもとに立って見下ろせば、
石畳の道を行き交う人たちが幾筋かの
小さな川の流れのようになって見えるよ。
いったいいつ頃作られたままなんだろう、この街並みは。
まるでクリスマスキャロルの物語に出てくるような古い石造りの家並みと石畳の道がどこまでも続く街だよ。
街角にはタータンチェックのスカートを履いて
豊かに口髭をたくわえたおじさんが
バグパイプを吹いていたりする。
今の時期、エジンバラの街は、訪れた観光客で普段の三倍の人口になっているそうでね。
レストランも宿屋もみやげ物屋も溢れるような観光客を相手に掻き入れ時だ。
そんな、人で溢れたエジンバラの繁華街から少しそれて歩いたところに高台があってね、
長い長い石段を上がるとそこは緑の芝生豊かな静かな公園なのです。
そこからだったら、丘の尾根に出来た旧市街の全容と、そこからだらだらと港まで下りながら広がっていく新市街の全てが一望できる。
絶景だよ。
カモメはあの海から丘の街へ飛んできてあの海へ帰るんだなぁ。
街の外を眺めると緑の丘陵地帯が遠くどこまでも広がっていてね。
そういえば欧州の古い街は城塞都市だったということだから、どの街も荒野のただ中にぽつねんと横たわる感じなのだろうね。
エジンバラは晴れていても不意に雨がパラパラと降りだすし、まったく降っていなかったのに劇場から出ると路面が濡れていたりしてね、明らかにさっきたっぷり降ったろうという感じだったりもする。
1日のうちに天候が目まぐるしく変わるんだね。
雲間から差してくる陽の光にあたれば直射熱はさすがに夏らしく暑くて、でも日陰に入ろうもんなら吹く風はもう冷たくてそこには秋の気配がするんだよ。
乾燥した土地柄なんだね。ふと、すごく喉が渇いている自分に気づくことがある。
なんか、そんな感じの街です。エジンバラね。
その街で精力的に動き回る藤やんのお陰で、
時差ぼけが続く私も劇場から劇場へと
おもしろく動き回りました。
そして最後まで時差ぼけで
劇場であっさり寝てしまったりもしてました。
それでも、まる五日、
エジンバラという、自分の生活圏から遠く離れた異国の街で、
毎日繰り広げられるおびただしい数のパフォーマンスやコメディーやお芝居をわけもわからず見まくれたのは貴重な体験だったのです。
なんの予備知識もなく見たパフォーマンスがおもしろければもちろん、いや、かりにおもしろさが伝わらなくてもね、 つまりそのことよりも、世界中から集まった、見も知らなかった者たちが、どのようなことを考え、どのようなことを面白いと思っているのか、 そして、その面白さを観客に共感させるためにどのように表現してくるのか、 そのことをそもそも体感したいという欲求が、実は、ぼくらという人間の中には本質としてあるんだとうことに気づけた気が、すごくしたのです。
ただね。自分の中に仕舞われているその本質に気づくためにはね、どうしても五日とか十日とかいうまとまった時間を、観劇のためだけに費やし続けなければならないのだなということもまた、実感したのでしたよ。 これがね、現実問題なかなか出来ないのが実際でね。
でもね。長い人生のたった十日なのよね。
それだけの時間さえ国や会社が体験してこいよと送り出してくれるのであれば、ぼくらは、だれもが、その本質のあることに気づくことができる。
そのことに気づく方が好いなと思ったの。
それはほら、東京という大都会にね、実は川が多いということに気づくみたいなね、ことでね。 どの川もどの水路も高速道路にフタされたような格好になってるから、ぼくらの印象から薄いんだけど、ほんとは東京という都市の中を幾筋もの水路が今も横たわっているのよね。
ぼくらは古代から川のほとりで生きてきた。
川とぼくらの関係は本来深いはずなのに、水道が整備されたりするうちに、いつのまにかぼくらの生活から切り離されてしまった。
なんかそれに近いことのように思ったのですね。
なんか、そんな、心の水路を取り戻す作業をそろそろひとりひとりが、し始めなければならないようなね。そんな気がしたのです。
エジンバラで過ごした時間の中で、ぼくは文化という心の水路が持つ強さというものを見た気がしたんです。
文化という水路をね、見失ってしまった国と民は、いつか、それを理由に外敵に滅ぼされるのかも知れないって思ったの。 それは強い実感として、今ぼくの中にあります。
それほど、その国の歴史の中で生み出され民族の中で育まれてきた文化というものは、音楽であろうと、笑いであろうと、それがすばらしいものであれば、それを見せつけられた者に侵しがたい畏敬の念を与え植えつけてしまうもののような気がするのです。
文化はそれほどの強さを持っている。
国防や経済発展と同じか、もしくはね、それ以上の重要度で、ぼくらは日本という国を守るためにも、 自分達の文化という奴のすごさを見直してね、そいつのことを守ってやり、育てていこうとしなければならないのと違うだろうか。
そんなことをね、このエジンバラでの5日間で、思ってしまいました。
仙台からきたSIRO-Aというパフォーマンスチームがね、舞台の上で繰り出すのは、LEDの電飾を使ったダンスや、プロジェクターから舞台に向けて投影された映像を巧みに使って、虚像であるアニメーションと舞台に立つパフォーマーがあたかもリアルタイムで格闘してでもいるかのように見せる、たとえば飛んできたアニメーションのボールをパフォーマーが舞台の上で弾き返したりする、タイミングや角度や位置を正確に合わせているから、観客には虚像と格闘しているようにだんだん見えてくる。観客の脳が気持ち良く騙されていくわけね。 そんな彼らの表現の中には、なんら日本的伝統の痕跡も見えないけれどね、 でも、そんな電子的なパフォーマンスをしているチームがSIRO-Aしかいなくて、そしてそういうことをしている彼らが実に日本人であるという事実に、 なんか、うまく言えないんだけど、なんか、あ!って思ったというのかね。
そういう、世界のしがらみから一番遠いことができてしまうのが、案外、日本人の立ち位置なんじゃないか、そんな気がしてね。
その立ち位置のせいで、日本人は、どうしても世界から分かりやすく共感してもらえないのかもしれないけれど、 でも、世界のしがらみから遠いという立ち位置を持つ民族がいるということは、そのままですでに、世界の役にたっているんじゃないんだろうか?
ぼくら日本人は、間違いなく世界のしがらみから一番遠い立ち位置に立てるというその理由で、すでに世界のためになっているはずだという、 これはもう、ひらめいてしまった、私のあてずっぽうな予感にすぎないのですが、なんか、今、そう思えてならないのです。
そのことは帰国しましてからまたあらためて考察いたしましょう。 なにぶん携帯で書いてますからね、限界がありますのよ奥さん。
ね。
さて、この日記をみなさんがお読みになる頃には、ぼくらは日本へ向かう飛行機の中です。
週明け頃には帰国するでありましょうから。それまでみなさんお元気で。
では、しばしの間さらば。
ロンドン・ヒースロー空港にて。
(15:50 嬉野)
2011年8月29日(月)
2011年8月29日(月)
嬉野ですよ奥さん。
エジンバラはねぇ、
カモメが多いよ。
海がねぇ近いんだ。
だからだね。
一日中、カモメが街の上を飛んでるよ。
エジンバラは、そのカモメたちがやって来る海から、なだらかにせり上がっていく果てにある丘の尾根伝いに作られた街だから、街中に高低差があってね、とにかく坂道と石段ばかりの街だよ。
川もないのに街中に橋がたくさんあるのはね、丘と丘を崖から崖へとつなぐために橋が架けられているからなんだね。
崖の下にある街をまたいで、崖の上の街ともう一方の崖の上の街が橋でつながれている。
そんな重層的な作りの街だから、橋のたもとに立って見下ろせば、石畳の道を行き交う人たちが幾筋かの小さな川の流れのようになって見えるよ。
いったいいつ頃作られたままなんだろう、この街並みは。
まるでクリスマスキャロルの物語に出てくるような古い石造りの家並みと石畳の道がどこまでも続く街だよ。
街角にはタータンチェックのスカートを履いて豊かに口髭をたくわえたおじさんがバグパイプを吹いていたりする。
今の時期、エジンバラの街は、訪れた観光客で普段の三倍の人口になっているそうでね。
レストランも宿屋もみやげ物屋も溢れるような観光客を相手に掻き入れ時だ。
そんな、人で溢れたエジンバラの繁華街から少しそれて歩いたところに高台があってね、長い長い石段を上がるとそこは緑の芝生豊かな静かな公園なのです。
そこからだったら、丘の尾根に出来た旧市街の全容と、そこからだらだらと港まで下りながら広がっていく新市街の全てが一望できる。
絶景だよ。
カモメはあの海から丘の街へ飛んできてあの海へ帰るんだなぁ。
街の外を眺めると緑の丘陵地帯が遠くどこまでも広がっていてね。
そういえば欧州の古い街は城塞都市だったということだから、どの街も荒野のただ中にぽつねんと横たわる感じなのだろうね。
エジンバラは晴れていても不意に雨がパラパラと降りだすし、まったく降っていなかったのに劇場から出ると路面が濡れていたりしてね、明らかにさっきたっぷり降ったろうという感じだったりもする。
1日のうちに天候が目まぐるしく変わるんだね。
雲間から差してくる陽の光にあたれば直射熱はさすがに夏らしく暑くて、でも日陰に入ろうもんなら吹く風はもう冷たくてそこには秋の気配がするんだよ。
乾燥した土地柄なんだね。ふと、すごく喉が渇いている自分に気づくことがある。
なんか、そんな感じの街です。エジンバラね。
その街で精力的に動き回る藤やんのお陰で、時差ぼけが続く私も劇場から劇場へとおもしろく動き回りました。
そして最後まで時差ぼけで劇場であっさり寝てしまったりもしてました。
それでも、まる五日、エジンバラという、自分の生活圏から遠く離れた異国の街で、毎日繰り広げられるおびただしい数のパフォーマンスやコメディーやお芝居をわけもわからず見まくれたのは貴重な体験だったのです。
なんの予備知識もなく見たパフォーマンスがおもしろければもちろん、いや、かりにおもしろさが伝わらなくてもね、
つまりそのことよりも、世界中から集まった、見も知らなかった者たちが、どのようなことを考え、どのようなことを面白いと思っているのか、
そして、その面白さを観客に共感させるためにどのように表現してくるのか、
そのことをそもそも体感したいという欲求が、実は、ぼくらという人間の中には本質としてあるんだとうことに気づけた気が、すごくしたのです。
ただね。
自分の中に仕舞われているその本質に気づくためにはね、どうしても五日とか十日とかいうまとまった時間を、観劇のためだけに費やし続けなければならないのだなということもまた、実感したのでしたよ。
これがね、現実問題なかなか出来ないのが実際でね。
でもね。長い人生のたった十日なのよね。
それだけの時間さえ国や会社が体験してこいよと送り出してくれるのであれば、
ぼくらは、だれもが、その本質のあることに気づくことができる。
そのことに気づく方が好いなと思ったの。
それはほら、東京という大都会にね、実は川が多いということに気づくみたいなね、ことでね。
どの川もどの水路も高速道路にフタされたような格好になってるから、ぼくらの印象から薄いんだけど、ほんとは東京という都市の中を幾筋もの水路が今も横たわっているのよね。
ぼくらは古代から川のほとりで生きてきた。
川とぼくらの関係は本来深いはずなのに、水道が整備されたりするうちに、いつのまにかぼくらの生活から切り離されてしまった。
なんかそれに近いことのように思ったのですね。
なんか、そんな、心の水路を取り戻す作業をそろそろひとりひとりが、し始めなければならないようなね。そんな気がしたのです。
エジンバラで過ごした時間の中で、ぼくは文化という心の水路が持つ強さというものを見た気がしたんです。
文化という水路をね、見失ってしまった国と民は、いつか、それを理由に外敵に滅ぼされるのかも知れないって思ったの。
それは強い実感として、今ぼくの中にあります。
それほど、その国の歴史の中で生み出され民族の中で育まれてきた文化というものは、音楽であろうと、笑いであろうと、それがすばらしいものであれば、それを見せつけられた者に侵しがたい畏敬の念を与え植えつけてしまうもののような気がするのです。
文化はそれほどの強さを持っている。
国防や経済発展と同じか、もしくはね、それ以上の重要度で、ぼくらは日本という国を守るためにも、
自分達の文化という奴のすごさを見直してね、そいつのことを守ってやり、育てていこうとしなければならないのと違うだろうか。
そんなことをね、このエジンバラでの5日間で、思ってしまいました。
仙台からきたSIRO-Aというパフォーマンスチームがね、舞台の上で繰り出すのは、LEDの電飾を使ったダンスや、プロジェクターから舞台に向けて投影された映像を巧みに使って、虚像であるアニメーションと舞台に立つパフォーマーがあたかもリアルタイムで格闘してでもいるかのように見せる、たとえば飛んできたアニメーションのボールをパフォーマーが舞台の上で弾き返したりする、タイミングや角度や位置を正確に合わせているから、観客には虚像と格闘しているようにだんだん見えてくる。観客の脳が気持ち良く騙されていくわけね。
そんな彼らの表現の中には、なんら日本的伝統の痕跡も見えないけれどね、
でも、そんな電子的なパフォーマンスをしているチームがSIRO-Aしかいなくて、
そしてそういうことをしている彼らが実に日本人であるという事実に、
なんか、うまく言えないんだけど、なんか、あ!って思ったというのかね。
そういう、世界のしがらみから一番遠いことができてしまうのが、案外、日本人の立ち位置なんじゃないか、そんな気がしてね。
その立ち位置のせいで、日本人は、どうしても世界から分かりやすく共感してもらえないのかもしれないけれど、
でも、世界のしがらみから遠いという立ち位置を持つ民族がいるということは、そのままですでに、世界の役にたっているんじゃないんだろうか?
ぼくら日本人は、間違いなく世界のしがらみから一番遠い立ち位置に立てるというその理由で、すでに世界のためになっているはずだという、
これはもう、ひらめいてしまった、私のあてずっぽうな予感にすぎないのですが、なんか、今、そう思えてならないのです。
そのことは帰国しましてからまたあらためて考察いたしましょう。
なにぶん携帯で書いてますからね、限界がありますのよ奥さん。
ね。
さて、この日記をみなさんがお読みになる頃には、ぼくらは日本へ向かう飛行機の中です。
週明け頃には帰国するでありましょうから。それまでみなさんお元気で。
では、しばしの間さらば。
ロンドン・ヒースロー空港にて。
(10:28 嬉野)