2012年12月20日(木)

嬉野

2012年12月20日(木)
嬉野でございます。
奥さん、あたしは、まだまだ九州におりますでございますよ。
九州の冬は雪もなく、そのぶん呑気でいいですなぁ。
凍った道で転ぶこともないです。
それに引き換えると札幌はえらいことになっているそうで。
毎日ドカドカと雪が降り積もって、かなわんのだそうです。
同じ冬とはいえ、ここまで違う。
ね〜。この風土の違いが、文化の違い、気性の違いを生んだって、奥さんなんの不思議もないことです。
環境が変われば正解だって変える。
毎年冬の苦労があれば、それは苦労だけれど仕方がないことと受け入れることに抵抗がなくなる。
一方、毎年冬の苦労がないところでは、苦労のないことがありがたいとは思いも寄らない。
どっちも当たり前のことです。
でも人類という者は、そうやって、環境に応じて自分を変えて行くことをする。
実に前向きに出来ている。
前向きは人類の特性ですな。
特性というものは大事にしないといけない。
今年の秋だったですかな。
さる人の導きで東大阪にある金型工場へ行きましたが、そこはもともと金型だけを作るのがご商売やったけど、この頃は自前の金型を使って自前で製品も作っておられる。
金型をセットした機械に、金属の板を置いて、その金属の板を金型で押し曲げ押し切るとあっという間に製品が出来ている。
言ってみれば金型は、その形の製品だけを大量に生産するためにだけ作られた魔法の構造物。
だって金型を使って製品を作るアクションはいたって簡単。
材料の金属板をセッティングしてレバーを押し下げるだけ。
そのツーアクションで、ガチャピンガチャピン言わせながら製品が生まれていく。実に単純です。
私は単純作業がとても好きで。
だからあの機械の前に立って、金属板をセッティングしてレバーを押し下げ、ガチャピン、ガチャピン言う音を聞きながら日を暮らすことにどことなく惹かれる。
あの仕事を全自動化することなど、おそらくたやすいのかもしれません。ですが、なんで全自動化しなければならないんだと、私なぞは思います。
いったい作業の全自動化って人類的になんの得があるんだろうねぇ奥さん。
人件費の削減って、究極のところ巡り巡って人類的に得があるんだろうか。
あぁやってレバーを押し下げて、ガチャピン、ガチャピン言わせながら製品が出来上がって行く時に、それでも人類は気分の良さを何かしら感じられるのですから。
気分の良さを感じるぎりぎりの所で自動化は止めとかなきゃならん。
そこに力点を置いてこれからの世界を眺めれば好い。あたしはそう思います。
金勘定の話だけで人類の幸福を突き詰めてはいけないでしょう。
自動化するなら人類が気分良く毎日を過ごせるぎりぎりを見極めて自動化する。
それ以上バカみたいにやみくもに自動化して人類が居なくても好い的な自動化に行き着くことになんの意味があるのかい、と言うだけの話です。
働きながら「気分が良いなぁ」と思える特性というものを人類は持ち合わせているのです。だったらそこはなくしちゃダメでしょう。
気分の良さは何かしら残しとくのが人類のためでしょうよ。
その人類としての気分の良さに重点を置いて今一度世界を眺め直すと、東大阪には、人類が憧れるところの工場が今でもゴロゴロあることに、実は気づいたりするのす。
コンピュータさんともうまいこと付き合って。それでいて、人類には気分の好い労働を残しておく。
これ以上、発展し続けなくていいから。横ばいで行けるように。
でも、それが無理なら徐々に衰退してでも好いから、人類としての気分の良さを感じながら、なんとなーく衰亡して行くってことでもいいのんじゃないかしら。
って、あたし以外の人は思わないだろうけど、あたしは思うのよ。
ということでね、本日も各自の持ち場で奮闘されますことを願いつつ、解散を宣言するものでありますよ。解散。
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(12:03 嬉野)