2010年11月29日(月)

嬉野

2010年11月29日(月)
嬉野です。
週が明けまして、
本日の札幌、雪になりました。
寒いです。
古い友人から会社にりんごが届きました。
紅くて美味そうなりんごです。
なんとも好い色なんですよ、
このりんごがね。
むかし、国語の教科書に島崎藤村の詩で、
りんごが出てくる詩がありましたよねぇ、
まだあげ初めし前髪の とかいうやつ。
「初恋」だったでしょうか?
あの詩にね、
少女がりんごの実をくれるところがありますね、
少女の白い手に、うす紅いりんごの実が、
なんとも可憐に見えて、
いや、見てないのに、見たような記憶が勝手にあってね、
その見てないのに見た気でいる少女の手をね、
この美味そうに紅いりんごの色を見て思い出したのです。
やさしく白き 手をのべて
りんごを 我に あたえしは
うすくれないの秋の実に
人 恋初めし はじめなり
好いですねぇ古い日本の言葉は。
情感があります。
まぁ、そういうことは私に言われる筋合いもないでしょうが。
掲示板に懐かしい常連さんの
近況を報告する書き込みがありました。
掲示板もまた更新しなければいけませんね。
「竜馬伝」も終わってしまいましたね。
竜馬さんがいなければ、
幕末の日本には内乱が起きて、
日本は外国の植民地になっていたかもしれなかったのに、
そうならずに済んだのは、
あるいは、犬猿の仲だった薩摩と長州の同盟を実現させた、
坂本竜馬という、たった一人の日本人の功績だったのかもしれないと、あのドラマを観てつくづくと思いました。
それなのに竜馬さんは憎まれ、暗殺されてしまった。
殺した人は侍だったろうに、名乗り出る事もなかった。
結局、憎しみは自分可愛さという個人の域を出ることが出来ないことにより起こるもののような気がします。
人間の限界がそこにあると思えば、
そのことを知る者にとって、
個人の域をやすやすと出て、全体の利益に目を向けられる
坂本竜馬さんのような人格は眩しかったのかもしれんなぁと、
つくづくと思わせた「竜馬伝」は、
天晴れたいしたものじゃった!と、思うわけでござそうろう。
(17:05 嬉野)