2007年4月17日(火)

嬉野

2007年4月17日(火)
嬉野です。
1997年の10月1日からHTBで放送が開始された、
「ヨーロッパ21ヵ国完全制覇」は、
結局9週にも及ぶ大作となってしまい、
それまでは、海外企画といっても4週がせいぜいだったものが一挙に9週と聞いて、大泉洋氏も鈴井貴之氏も、
「9週ってなんだよ…続きすぎじゃないのかよ」
みたいな驚きっぷりで次なる企画のロケに臨んだものだったなぁと、今さっき不意に古い記憶が甦りました。
で、その次なる企画というのが、
今年の9月に発売になるDVDのタイトル、
「カントリーサインの旅2」なのです。
前回の「カントリーサインの旅」の最後に大泉氏が引いてそのままにしてしまっていた道北の「猿払村」が、ぼくらが最初に向かわなければならない目的地でした。
それが旅の始まり。
札幌から猿払村まで、400キロくらいあるのでしょうか?
ということは7時間ほどかけてぼくらは走ったのでしょうか?
そんなデータ的なことは何も覚えていませんが、猿払村という見たこともない道北の村へこれから4人で向かうのだということに、北海道へ来て日の浅かったぼくなどはワクワクしたものでした。
ぼくらの道内の旅は、車で移動する旅です。
4人だけで狭い車内で数日を共にするのです。
あの日は確か、日が暮れて、夜になってからの出発でした。
沿道に輝く電光掲示板が0℃を表示していました。
「あ!0℃だよ!」
ミスタさんが車内で叫んだのを覚えています。
八月の末に10日間のヨーロッパロケに出たどうでしょう班が再会した時、札幌の街は雪が降ってもおかしくない季節に差し掛かっていたのです。
札幌の街を抜けると、あっという間に暗闇の中を走ることになります。
道路脇には心細げな外灯の明かりが続くばかり。
他は遠くに点々と見える町の明かりや民家の灯火、
それ以外は闇。
それくらい北海道の夜は暗いのです。
だから晴れた夜空に怖いくらい沢山の星が見える。
そんな道をひたすら走る。
猿払村を目指して。
「カントリーサインの旅」は、企画のためのなんの準備も小道具もなく、自前で作った212市町村のカントリーサインの束を忘れずに携帯し、さんざん走って、はるばる現地へ着いたと言っては盛り上がり、212市町村のエリアの描かれた地図ボードに赤くマーキングをして赤い部分が増えたと言っては盛り上がり、次の目的地を決めるためにまた引いて、引いたカードのある市町村が遠いと言ってはヤケクソ的に盛り上がり、そこへ車を運転して自力で走行するだけという、何の仕掛けもない単純なもの。
仕掛けがない分、確かに気は楽でした。
でも、なぜか長距離移動ばかりが続くものすごく退屈な旅でもあったのです。
だからぼくは、車内で聞くようにと、あるテープを持ち込んでいました。
それは、稲川淳二さんの怖い話です。
闇が続く北海道の夜を、
稲川淳二さんの怪談を聞きながら猿払村へ向けて走る。
稲川さんは、とても話が上手いし、お話自体も完成度が高いから怖いのです。
怪談話が怖いというのは、話自体が面白いと言うことなのです。
あの夜のあれは、独特の怪談観賞だったろうと思います。
暗い夜の中を走る車の狭い空間の中で、怖い語りを聞く。
しかも4人で。
辺りは原野のような暗闇が続く北海道の夜。
でもぼくらを乗せた空間は移動していて、その場に止まることはない。
そして、その空間には4人の人間が居て、稲川さんの話を一緒に聞いている。
怖いシチュエイションのようで、その怖いシチュエイションを共有している人間が4人いる。
それは、怖さよりワクワク感が勝っていられる、ぎりぎりの人数だったように思います。
5人以上いたら、なにか集中力を欠いてしまい、怖いものとして聞くことができなかったかもしれない。
でも3人以下だったら、今度は怖すぎて聞いていられなかったかもしれない。
そういう意味でも4人というのは、きっとギリギリのバランスをとる人数なのです。パーソナルを失わない。集団心理に流されない。
そんな、とても理想的な状況で、ぼくらは、稲川さんの怖い話を聞けたのではないかと、ぼくは未だに懐かしく思うのです。
ま、時間を見つけて、追々話してまいりましょう。
じゃ、そういうことで本日は終わり。
【「水曜どうでしょう最新作!放送決定!】
KAB熊本朝日さん!5月4日から!
KSB瀬戸内海放送さん5月5日から!
ABA青森朝日さん5月8日から!
メ?テレさん5月11日から!
いずれも「どうでしょうレギュラー枠」での放送となります。
これ以外の地区については、決定次第順次お知らせいたします。
■HOME広島ホームテレビさんで4月4日から「水曜どうでしょうクラシック」がスタート!なんと24:46?25:46までという2話分連続放映!驚異の60分枠!末永いお付き合いを。
(18:47 嬉野)