嬉野

2012年2月16日(木)
嬉野です。
申し送れましたが関東圏のみなみなさま。
ようやっと「どうでしょう新作」が、
関東圏にお住まいのみなさまのお茶の間に続々登場します。
まず3月11(日)からの東京MX-TVさんでの放送開始に続いて、
千葉テレビさんでも
4月4日(水)24:30から放送開始!
今明らかになる「文久三年!目覚まし時計」の謎!
御期待ください!
それでは本日も各自の持ち場で奮闘くださいませ。
奥さんまた明日。
明日もまた、
たくさんのお越しをお待ち申しております。
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(19:03 嬉野)

嬉野

2012年2月7日(火)
おはようございます。
嬉野です。
大御無沙汰をしてました!
おひさしぶりであります!
出張で九州へ行っておりました!
そうして帰りに実家へ寄ってへいこらしておりまして、
皆様方には、えらい愛想なしでありました!
とりあえず弁解しております!
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(14:49 嬉野)

嬉野

2012年2月7日(火)
おはようございます。
嬉野です。
昨日今日は、幾分暖かですね。
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(10:26 嬉野)

嬉野

2012年2月2日(木)
嬉野です。
昨年末のことでありましたが、
京都に根拠地を置きまして
活動いたしておりますところの劇団
「ヨーロッパ企画」さんのみなさんを、
これまた札幌に根拠地を置きまして
世間のみなさんから
「意外と小さかったんですね…」
的な感想を正直に漏らされるがごとき社屋にて
今日も甘んじて仕事をしておりますHTBが、
彼の劇団員を冬の札幌へ一挙に招きまして、
ぶっ続けで1週間ほどスタジオに籠もりながら
朝から晩まで撮影をいたしました彼らのショートコント、
いや、コントというのはどうだろう、
コントというよりは、やはり演劇、
いや、うーん分からん、
まぁ何にせよ笑っちゃう芝居ですが、
この彼らのおかしげな演劇の
おかしげな味を
映像に写し取るという試みに、
うちの藤村さんが前々から意欲を燃やしておりまして、
それが不意に実現する日の目を見たのが
昨年末のことだったわけで、
そして無事に撮り終えました今、
その最終の編集を
ただ今うちの藤村さんはやっているというのが今週の近況でございます。
で、おとついのことですが、
ワタクシ、藤村さんの編集室へ参りまして、
つながったところを見せてもらいました。
するとこれが、おもしろくつなげられている。
なるほど、
ヨーロッパ企画のおかしげな芝居の
おかしげな味わいを映像に写し取るという試みは
おそらく成功しておると感じ入りました。
うちの藤村さん、あっぱれですね。
今更ながらに、
あの方の笑いセンサーが検知する
針の触れの貪欲さと言いますか
地底深く流れるおかしみ鉱脈の匂いを機敏に感じ取る
ダウジング的編集の感とでも申しましょうか、
おかしみが何故その場でおかしみとして匂い立つのか、
その都度、噴出してまいりますおかしみガスの
その成分がいかなるものかを
おのれの鼻で嗅ぎつけて、
化学式に再構築して一般化するようなことを(言ってることが意味不明ですが)
あの方は果敢にやっておられるようで、
このようなことが出来る生物は、
地球上に、なかなかいないぞと、
ワタクシ素直に感心をいたしました次第でね、奥さん。
と言いますのもね、奥さん。
編集というものは実にやっかいなものなのですよ。
ぼんやりと考えていただきたいのですが、
舞台といいますものは、
客席から眺めるものでございます。
当然のことながら初めからおしまいまで全体が丸見えです。
ですから、客席におります者は
舞台上のあらゆるものに目がいきます。
お客の目は何処を見ようと始終フリーです。
つまり客の視線は野放し状態なのです。
まぁ、そういうものとしてね、
演劇は作られ完成しておるわけでございます。
ところが映像と言いますものは、
カメラで状況を写し取るものでございます関係上、
全部を、
全体を、
広く写し取るという事も勿論できますが、
特定の人物や
その時々の表情、
あるいは、そこいらに転がる物体にも
焦点をあてて大写しにして
他のいっさいのものを見せないということも、
これ、選択的には出来てしまうのでありますよ。
いわゆるアップという効果であります。
アップと言いますものは、お気づきでしょうが、
知らず知らずのいうちに
見る者に緊張を強いてくるものでございますよ。
何故ならば、
「ここだけを見ろ」
と、見る者にそこだけを見させる強制力を持っておるからでございますよ。
たとえば、いきなり、人間の「目玉」が大写しにされて、
目玉を画面いっぱいにして見せられたら、
客は、目玉の他に見るものがないわけで、
ということは、
アップは、客に視線の逃げ場を用意しない映像ということになり、
いってみれば、視覚的にがんじがらめにされたような状態ですから、
誰だって怖ろしくなるのでございます。(まぁちょと極端な、たとえでしたがね)
このような理由で、
「なぜその部分だけを見るように強制されるのだろう」
という疑問が画面を見るうちに湧いたら、
その答えが画面から返ってくるまで、
アップには緊張感がまとわりつくことになる。
かくのごときアップの映像を
ごく短く、かつ多彩に入れ替わる早いカット変わりでつないで参りますと、
今度は、そこに驚くべきテンポが出てしまいます。
つまり、これだけの材料だけで話をさせていただきましても、
編集というものによって、
舞台上になかったはずの緊張感と流麗なテンポが
画面上には創出されてしまうのだという事実がお分かりになるはずでございます。
(撮影の場合、同時に何台ものカメラを、さまざまな位置に配置して撮影するわけですからねぇ奥さん、視点は目まぐるしく華麗に変化させることができるのです)
つまり、
このような映像の特性といいますか、
編集という技巧が生み出してしまう映像の跳躍力の奔放さとでも申しますか、
奔馬のごときエネルギーを制御しないと、
「ヨーロッパ企画」という劇団の作者でありますところの上田誠くんが書き上げた
どうにも笑っちゃうような状況設定と
呑気さかげんを醸しだしちゃうそのセリフを、
自らの身体から発するセリフの言いっぷりと、
その持てる肉体から立ち上らせる呑気ガスで具現化していくという「ヨーロッパ企画」の役者たちの
余人をもって変えることの出来ない身体能力を持ちまして
舞台上に醸して参りますところのおかしみは、
編集することによって画面上で跳躍を始めてしまう、
映像の暴れ馬が、
家庭菜園を蹴飛ばしてしまうような要領で、
あっさりかき消してしまう恐れがあるのでございます。
それほどに、
巧みな編集が生み出す映像の運動能力は強く、
それくらい、
おかしみというガスは、
儚げなものなのだと思います。
ですから、ここを見誤ってはならない…。
実に、ここが思案のしどころなのでございます。
いまさらですが舞台で演じられますものは、
舞台上で完成、完結してしまっているものなのでございます。
それを映像に写し取るという試みは、
ある意味、蛇足的な営みであろうと思います。
それはうちの藤村さんも充分承知しておるところ、
しかしながら、現代日本社会に置きまして、
演劇を観に劇場へ足を運んでまで見るという行為は、
日本人一般の、習慣にまでは、なってはおりません。
演劇を見るという行為は、
一部の文化的興味の強い都会の人たちによってのみ
細々と行われている観賞行為と思います。
そのことを鑑みました時、
うちの藤村さんも、ご多聞に漏れませず、
演劇を見にわざわざ劇場に足を運ぶ方ではなかったため、
職業柄、ちょくちょく演劇を見に行く機会が増えるにつれ、
そのたびに感動、感心、感銘しする自分に驚き、
芝居という、
かほど、おもしろきものを、
一部の人たちだけで味わって終わらせるという状況は
あまりにも、もったいないことであると、
素朴に感じ入り、
なんとか、これらおもしろさを映像に写し取ることに成功し、
編集で画面上にこのおかしみを再構築できさえすれば、
テレビなど、映像を送出する媒体を使って、
広く多くの人に
演劇の驚異的なおもしろみを伝えることが出来るではないかという志のもと、
まずは、つきあいの長くなった「ヨーロッパ企画」の芝居から醸されるおかしみを映像に写し取ろうという試みがなされたという流れでございます。
ですから、
うちの藤村さんが、成し遂げようとしますものは、
いわゆるテレビで放送されます「劇場中継」とは似て非なるものであります。
なぜなら、
今回のスタジオ撮影に客席はございませんでした。
スタジオで撮影に従事しましたスタッフも
「ヨーロッパ企画」の芝居に、笑うことを禁じられ、
撮影は静寂のうちに進められたわけでございます。
この状況の中で、
「ヨーロッパ企画」を主催いたします上田誠くんは、
以下のごとき名言を吐きました。
「ぼくらの活動を、アーチストの楽曲演奏にたとえれば、
普段、ぼくらが舞台で演じるのは、ライブ活動で。
今回の映像化は、CDで言うところの『スタジオ版』ですよね」
と。
「でも、スタジオ版収録の場合、スタジオには、観客がいない。
そうなると、役者たちには、客の反応を見ながら、
芝居小屋全体に発生する、
舞台と客席の双方から湧き上がる
波動のうねりを増幅しながら演じて行く道は閉ざされている。
スタジオのスタッフも反応しないから客と思って見てはいけない。」
そこで上田くんが辿り着いた道は、
「ならば、演じる役者たちの間だけで盛り上がらなければならない」
と、いうものでした。
それを聞いてワタクシは、思わず膝を叩く思いでした。
だって、「どうでしょう」の撮影現場ってそうです。
観客もいない。
撮影スタッフも物語に深く加担しているので、スタッフもいないとなる。
そんな「どうでしょう」の撮影現場で、
我々がなにをしているかと言えば、
「自分たちだけで盛り上がる」という道でした。
この極めて「どうでしょう」的な状況は、
図らずも「どうでしょう」に限らず、
あらゆる映像の現場に言えることだったということになる。
上田くんは、短時日の間にそのことを喝破したな、と、ぼくは感じ入りました。
映像で物語を作る場合には、
辺りには誰もいないものとし、
演じ手たちだけで盛り上がれ。
そうしないと、後日、映像を通してそれを見る観客に共感を抱かせることが出来ない。
そうなのかもしれない、と、ワタクシは思ったのであります。
札幌という雪に閉ざされた地方都市で、
京都という深いローカル性の残る、
千年の歴史を誇る王城で暮らす「ヨーロッパ企画」という弱小劇団と、
ローカルテレビ局に、あだ花のように生をなした
「どうでしょう」という弱小番組を作ってきた者とが、
棲家の違いをさらけだしつつも
近づき乗り越えようとしたその数日間の思い出が、
やがて、なんらかの形を得て、
みなさんのお目に触れる、
そんな時が来るのだと思います。
そして、目論見は、
どうやら「果たせた」という予感がいたします。
かくて、うちの藤村さんは、
撮影で近いうちに韓国へ行くとのことでございます。
先日の日記の末尾には「ちょと、がんばってきます」と、書かれてありました。
思えば、あの方の、このような言葉の選択も、
いつにない、
どこか、
並々ならんものがあるようにも汲み取れます。
しかしながら、
あの方がお持ちの
映像職人としての山師的な感、
それとダウジング的な嗅覚で、
その時々に人間どもの間で儚く醸し出されます「おかしげガス」を、
韓国でもその都度、正確に嗅ぎ分け、
随所に立ち現れますところの「おかしげガス」の分子構造を解明しつつ、
おそらくは映像に貼り付けて帰ってくるものと思います。
なんだか、またしても長々しく書き連ねまして得るところもないという、
相変わらずの展開で、お恥ずかしき限りでございますが、
本日は、この辺りで、筆を置かしていただきます。
まぁね奥さん、
筆なんか握ってないのは知ってるのは、お互いだけどね、
好いじゃないのよ。
雰囲気よ、雰囲気。
それでは、諸氏。
例によって、
本日も、各自の持ち場で、なにぶんの奮闘を願います。
そうして誰に省みられることなどなくとも、
奮闘することで、いつまでも正気のままでいようとする諸氏に幸いあれ。
この先も、出来る限り多くの日本人が、正気でいようとすること、
それだけが、これからの日本のためになるのだと、
ワタクシは、信じるものであります。
では、解散。
明日も達者でな。
【藤村さんのメモリアルのコーナー】
1月31日火曜日。藤村でございます。
3月発売のDVD「ヨーロッパ・リベンジ」の編集が終わり、現在は「ヨーロッパ企画」の撮りおろし短編の番組化のための編集しております。
忙しい毎日を過ごしております。
さて、一昨年あたりから、わたくし韓国へよく出かけております。
先週も釜山からソウルまで、酷寒の韓国を、韓国人のスタッフとともに車で12時間かけて走りました。
実はわたくし、韓国で番組を作ることになりました。
日本で放送するものではなく(放送するかもしれませんが)、韓国の人たちに向けて、韓国で放送する番組を作るという。
「ん?なにやってんですか?」
と言われそうですが、なんというか、日本と韓国の間にはもう、国境はないんじゃないかと思いまして。確かに歴史的なことはあるんでしょうけど、実際に韓国の人たちと会って飲めば、互いに肩を叩き合って分かり合えるし、別に国境はないでしょうって普通に思ったんですね。だから、東京に行くのと同じような感覚で、ソウルに出かけているうちに、番組を作ることになりました。
5月に韓国でデビューする6人組の男性アイドルグループの番組です。
内容はまぁ、みなさんには「あーなるほどね」と思われるであろう内容の、バラエティー番組であります。
2月半ばにロケをして、今のところ4月から韓国で放送の予定。
どうなるかまったくわかりませんが、まぁ、やってみようかと。
「日本人ってバカだなぁ」と思われつつ、「韓国人だって似たようなもんじゃん」と笑い合えるようなものになればいいな、と思っております。
ちょっとまぁ、がんばってきます。
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(15:31 嬉野)

嬉野

2012年1月30日(月)
嬉野です。
去年の正月明けでしたか、
このワタクシが、
ふと書店で目に留めました
『こけしBOOK』なるタイトルの本に魅了されましてから、
どうしたものですか
魅入られたように私はこけし贔屓になりまして、
それからというもの、この日記へも
「こけし、って、すごく好いじゃないですか」
と書く始末で、
そうしましたら、
「うれしのさん『こけし時代』という雑誌が出ましたよ」
と、どなたかお優しい若干名の方が
掲示板でそっとお教えくださいまして、
ワタクシさっそくネットで調べてみましたところ
創刊号は限定千部とのことでございましたので、
慌ててうちの店長の手下でありますところの
「くまくま」と呼ばれます、まだかろうじて若い女に
「お願いね」
と囁きまして、
毎号、雑誌が出るたびに
そのくまくまに取り寄せてもらってますが、
まぁ、いい大人なんだから
「嬉野くん自分でおやりよ」
というのが世間様の感慨でございましょうが、
なにぶん、やってくれますので、お願いをしております。
そうしますと、忘れた頃にくまくまが
「嬉野さん、『こけし時代』が届きました」
と会社まで持ってきてくれます。
そういうわけでね奥さん、
その『こけし時代』も、
ただいま第3号の運びとなりまして。
今回はこけし手拭いが付録でついておりました。
振り返りますれば、
ここまでのワタクシの人生で
「こけし」の世話になった覚えはございません。
それといいますのもワタクシ、
こけしにまるで魅力を感じなかったのであります。
それより、どことなく「おぞましい」とさえ感じ、
子供時分にどなたかのお宅で、
部屋のガラス棚に
ぞろぞろと飾られておりますこけしを見まして、
そのゾロゾロ感がなにやら怖ろしくもあり、
部屋の隅から恨めしそうにこちらを見つめているようでもあり、
ワタクシを、あの世へ誘いかねないオアソロシキモノにも見えるのでありました。
かくのごとく「こけし」を忌み嫌っておりましたワタクシが、
「こけし」に心惹かれたのは、
ひとえに「こけしBOOK」のページに並びました、
各生産地に生まれました、こけし達の良き顔でありました。
確かに、いっちゃってる、ような顔もあるのです。
やばい、顔もあるのでございます。
それでも、その「こけしBOOK」という本で、
生まれて初めて「こけし」の顔をまじまじと見ましたら、
そのどれもに愛着を感じたのでございますよ奥さん。
いっちゃってる、と見えた顔も、
なお良く見れば可愛いのであります。
やばいでしょう、と見えた顔も、
しげしげと見守るうちに、愛おしいのであります。
何かが生まれる時、そこには受け入れる素地が用意されてあるもののようでございます。
そういう時代が、こけしの前途に豊かに広がるかに見えた時代が、きっとワタクシの生まれる前の時代にあったのでございましょう。
その「こけし」たちに開かれた時代にあって、
東北の温泉場にありますところの土産物屋で、
その土地土地の顔をした「こけし」たちがろくろで回され、挽かれ、色を添えられ、顔を入れられ、並べられていたのでございましょう。
この国の人々の暮らしも、今よりまだ遥かに貧しく、
それでも、少しずつ豊かになり始める高揚感が訪れ始めた時、
ゆとりのある者は旅へ出て、
その旅へ出た自慢のよすがにと、
温泉場の土産物屋で名物の「こけし」が求められた。
求めた旅人は、国へ帰り、
我が家の茶の間やら玄関やらと、
御近所の目に触れる場所へ「こけし」を置く。
「おや、また旅行に行ってきたのかね」
ため息の混じった、
なんとも羨ましいという表情を御近所の顔の上に誘発する、
その物言わぬ控えめなアピールをしてくれる格好の旅の記念として、みやげ物に置物が重宝された、
そういう時代のムードが、かつて、あったのだろうと思うのであります。
北海道のシャケをくわえた木彫りの熊も、
それと同じ理由で旅行者に求められ、
ある時代の日本中の家庭の茶の間に飾られていたのだと思います。
御近所をうらやましがらせての果てに涌いて出る優越感。
その優越感のために旅に出たわけではないけれど、
せっかく北海道まで来たんだから、本当に行ったのだという証に置物を買う。
こうして木彫りの熊やこけしが盛んに求められた。
ワタクシが、少年の頃に垣間見てきましたのは、
それらの「こけし」が、その後、幾年を経て、
この国の人々から忘れられ
茶の間の片隅の飾り棚でホコリをかぶり、
訪れる人も目に留めなくなって久しい頃だったのだと思います。
誰も彼もが旅へ出ることが可能なくらい裕福になれば、
旅行は、自慢にもならなくなり、
土産を買うより、土地土地の名物の美味い物をたらふく食べて、
食った自慢をする方がよほど利があるという判断の果てに、
やがて置物は、行き場を失うことになる。
そういう運命に「こけし」もあったのだろうと思います。
そう思った上で、
でも、
こけしの上に引かれた子どもの顔は、
今も愛らしく、
この顔は、この今の時代、
他の誰に引けるものでなく、
長く伝統を継いできた、
こけし職人の指先の中にだけ、
密かに残るものであるような予感がするのであります。
この頃、見なくなったあの顔を、
ワタクシは、誰に見せるでもない、
この自分の目で眺めていたいと切望する。
おそらく何かが、完全に無くなったのだと思います。
そして、そのよすがが、こけしの顔に残っていた。
そういったことを、こけしを見て思ったのだと。
こけしたちの里である温泉町も湯治場も、
なくなって欲しくない場所と思うのです。
なぜならば、
温泉町も湯治場も、
間違いなく、
この先の時代にこそ、
必要と求められる場所だと思うからであります。
銭はなくとも、
湯治場の暖かい温泉の湯さえあれば、
心まで寒くはならないものだということを
ワタクシは知っているからであります。
どうせこれからは、
世界中が貧乏になるのでしょうから、
それなら、銭がなくても、
心の底からホッとして
屈託なく笑える場所が
きっと必要になるのです。
今も日本中には、ひなびたをとうに通り越して、
しなしなになった由緒ある温泉町がたくさんございます。
いまならまだ間に合う。
日本各地のしなしな温泉に足しげく通って、
この先の困難な時代まで、
あの心落ち着く町々を残しておきたい。
これは、ワタクシの切なる祈りであります。
ということで、
おおかたの皆様には、
何のことやら分かりません、
嬉野さんの、今日の呟きでございました。
本日もみなさま、
お寒い中、お疲れ様でした。
今日も正気で生き抜いたあなた、
ご苦労さまでした。
誰の役にたたずとも、
今日明日を正気で生きようとする、
その心根に幸アレかし。
根性もなくて結構。
才能もなくて結構。
金も才覚もなくて結構。
とくにとりえもなく、
ただ素直なだけで、かつ、やさぐれない、
どんな時代も正気でいようとするあなたにこそ幸いあれ。
どうも長くなりました。
本日も諸氏、各自の持ち場でなにぶんの奮闘を願います。
と、いつもの一説を書きまして、
本日の日記は終了。
どうもみなさん、また明日。
解散。
★ただ今、電撃オンラインで!
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(18:06 嬉野)

嬉野

2012年1月26日(木)
嬉野です。
むかーし昔。
そうねぇ10年くらい昔。
日本のあちこちからHTBに社会科見学に来られたみなさんがね、いつも「どうでしょう」で企画発表をする局の裏口に案内されて来られた時にね、
「ここよ!ここ!ここ!」
的な感じで、大喜びしておられましたが、
帰り際になると、皆さん口をそろえて不思議そうに、
「え、と…意外にあれですね、小さい会社なんですね…」
と、遠慮がちに言われて、
ポカンとしておられたのが印象的でした。
つまり、テレビ局というものは巨大だという思い込みがあったようでね、それで勇んで本州から北海道へ乗り込んでHTBまでやって来て、テレビ画面で見慣れた裏口の景色を目の当たりにして、それがあんまりテレビで見たのとおんなじだったんで(あたりまえですがね…)思わず大はしゃぎしたものの、
その後、冷静になった目でもう一度見返してみると、
まぁ、裏口だとか駐車場だとかなわけですから、
殺風景なだけでね、頭の中で思い描いていたHTBはテレビ局というイメージと、現実の姿がしばらく一致させられなくてね、
「HTBって…、ちっちぇーな…」
と、実感されたということでね。
私は、このリアクションを聞くたびに、
あぁ、こういう感じは好ましいなぁと思いましたね。
つまり、社屋のたたずまいというのはね、
それほどまでに社会に対する影響が大だということです。
社屋が、見上げるように巨大で重厚であれば、
独特の威圧感を与えてしまうでしょうし。
デザイン性に優れてハイセンスであれば、
そこに心安らぐ庶民性は感じられなくなり、
なにやら、畏れ入らねばならないような気がして、
自分がみすぼらしく思えてくるのかもしれない。
そのようなことを考えると、
いったい社屋と言うのは、
どのような見てくれが好ましいのか、と、思いはじめ。
いや現実問題としてね、社屋が老朽化すれば、
新社屋構想というものが浮上してくるでしょうから、
その時には、テレビで見たのとおんなじ裏口の風景はなくなるのでしょうが、それでも、お金も無いのに新しく社屋を作り直さなければならない理由もいろいろあって、
つまりそれは、耐震構造の見直しであったり、
手狭になって仕事がしづらくなったからとかいう切実な理由ですね。
その時、では、いったいどんな新社屋にするのが好いのか。
人間は誰しも考えると思うのです、
せっかく巨費を投じて作り直すのだから、
見てくれも、つまりデザイン性も、
この際とばかり変えたくなるのが人情だろうと。
人間と言うのは、結局、誰しも見栄坊ですよ奥さん。
そこを思えば、新しい社屋の見栄えを考えようとしたら、
他人に対して良く見られ、かつ褒められるようなデザインを標榜するのではなかろうかと思うわけです。
つまり、賢そうな、偉そうな、金持ってそうな、
とにかく世間に自慢できるような見栄えにしようとするのではなかろうかと思うのです。
でも、その結果、
「はぁ、こんな立派な建物の中で仕事してる人なんだから、みんな凄い人たちばかりなんじゃないだろうかぁ」
とか、
「いやぁ、こんな立派な建物を作ってしまえる社長さんや重役さんなんだから、とっても偉い人ばかりなんだろうなぁ」
とか、世間から思われるようでは、HTBのこれまでの好さが失われるような気がするのです。
つまり、HTBへ来て「どうでしょう」さんの舞台裏を見たお客さんが、
「テレビとおんなじだ!」
「テレビとおんなじにみすぼらしいんだ!」
って、うれしそうにはしゃぐのを目の当たりにする時、
はしゃいでいるその当人から出されている開放感の原因に、
HTBの社屋のありようが色濃く反映されていたように思うのです。
つまり、
「意外に…、小さかったんですね…」
という、あれです。
つまり、客にあなどられるという立ち居地です。
客にあなどられる見てくれを世間に晒してさえいれば、
日常的にあなどられわけですから、
そのあなどられる見栄えの建物の中で仕事をしている人たちは、
品物で勝負をしなければ、ますますあなどられるばかり、
という事態になるわけです。
そこに質実剛健な、実用本意な社風が根付くような気がしますね。(私だけでしょうか)
その感慨を大事にしながら、新社屋のデザインは慎重に考えなければならないと思うのです。
ですから私は思うのです。
このさい、HTBの新社屋構想が浮上したら、
新社屋は「シンデレラ城」風、にすればどうだろう、と。
耐震強度は最高の状態です!
手狭になったスペースも広がりました!
そして見栄えは「シンデレラ城」風!
という…。
新社屋がシンデレラ城風であれば、表を通る人が見上げても、
まず間違いなく威圧感は無いと思うのです。
中世の欧風なお城なんですからデザイン性もあるんですけど、
たぶん、あなどられるのです。
だって、遊園地のイメージが強いですから。
「なぁに?あそこの会社?昼まっから遊んでるの?」
って。
その中で、日夜真剣に仕事していても、
なんだか不真面目にしか思われないんです。
遊園地に住んでると思われるからですね。
このあなどられ感が、実は大事なのだと思うのです。
この、あなどられ感を前面に押し出すことが、
絶体絶命の仕事意識を生み出すと私は直感するのです。
そんなおかしな(としかなぜか見えない)社屋に出入りしている人たちが、優秀に見えてしまうということはきっとないだろうと思うのです。(だってディズニーランドにあるべきものが、よそにあった瞬間にそれって怪しいものになりますもんねぇ)
古い話ですが、刑事コロンボ的な見栄えですよね、
犯人にあなどられる見てくれなんだけど、
実は鋭い観察眼を持つ刑事で、すこぶる頭脳明晰なんです。
その実力がわかるほどに、
その見てくれが、あなどられる見てくれであるだけに、
かえって尊敬され畏れられるっていう構図ですね。
頭脳明晰な知能犯の犯人も、
「この人にならつかまろう」
と思う。
私は、新社屋の外観を含め、
なにごとにも、
この「刑事コロンボ式」が一番良いのだと思うのです。
きっと、「まったくそうだね」とは、
誰も言ってくれないとは思うのですが、
昔、藤やんにこの話をしたことがあって、
あの人の同意だけは取り付けてありますので、
まぁ、暇つぶしに書いて見ましたよ奥さん。
ディズニーのみなさん怒らないで!
それでは諸氏!
本日もみなさんの持ち場で奮闘願います!
解散。
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(15:58 嬉野)

嬉野

2012年1月24日(火)
嬉野です。
今日から「どうでしょうおみくじ」、
携帯からも引けます。(1日1回)
さて、嬉野さん、風邪、治りました。
とても、元気になってます。
札幌も、晴れてます。
掲示板には「タインさんを見ましたぁ!」という、
タレコミ情報が、とにかく来てます。
うっかりテレビで見ちゃった人の衝撃が、
祭のようなテンションを生んだようですが、
あれは、どーいう衝撃なんでしょうね。
「あ!親戚のタインさんがテレビでてる!」
みたいな幹事なんでしょうか。
ベトナムの方が知ったら驚かれるでしょうね。
遠い日本でベトナム人も意味が分からんほど
局地的だが、いやに顔の知れたベトナム人公務員。
あのロケからもうすぐ10年になろうというのに、
うちのお客の物覚えは息が長い。おそるべし。
しかもニャンではなくタインだというあたり。
あなどれん!
それでは諸氏!
本日も各自の持ち場で奮闘願いたしましょうぞ!
明日の日本と子どもたちのために!
解散。
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くじらさんもイラスト書いてくれてますの!
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(15:34 嬉野)

嬉野

2012年1月23日(月)
嬉野です。
ずいぶんお留守をしておりましたが、
本日より日記再開しますよ。
風邪がはやっているようでね、
私も風邪を引いたようで、
週末は気分悪くて寝ておりましたよ。
ということでね。
ぼちぼちと書いていきますよ。
とりあえず、本日はこの程度で、ね。
なにぶん病み上がりですから奥さん。
おおめに見て。
私に構わず、
みなさんは、各自の持ち場で奮闘くださいね。
解散。
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(11:17 嬉野)

嬉野

2012年1月14日(土)
嬉野であります。
昨日、大阪は梅田の某所で「こけし展」がありましたぞ、
と、大阪の諜報部員の方々から掲示板に、
一斉タレこみがありました。
こけし、好いのよ。
それにしても、
「どうでしょう諜報部員」の活動は各地で活発です。
それでは、判で押したようであれですが、
本日も各自の持ち場でなにとぞ奮闘ねがいます。
解散。
【藤村先生メモリアルのコーナー】
2012年となりました。
1月7日土曜日。藤村でございます。
みなさま、明けましておめでとうございます。
年明けは4日から仕事を始めておりまして、DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」の最終仕上げをしております。
美術のビジービーさんがメニュー画面のCG動画を完成させ、プロダクションIGさんからはオープニングのアニメーションが届き、この週末で音効の工藤ちゃんと音入れ作業をして、すべての素材が完成する予定であります。
ビジービーさんのCG動画も、IGさんのアニメーションも、ますますクオリティーが上がってきております。でも、別にコレ、本編とは関係のないもので、なきゃなくてもいいんです。ぺろっと1枚メニュー画面を作ればそれでいいし、オープニングは毎回使い回せばそれでいい。手間もお金もかかるし、本編さえ見られれば基本的には商品として成立するものではあります。しかし、せっかくみんなが足を運んで見に来てくれるんだから、玄関先にキレイな花ぐらいは生けておきたいという、まぁそういう心づもりでやっておる次第でございます。
今回も、みなさんを気持ちよくお迎えする準備ができましたぞ。
ね、ということでDVD「ヨーロッパ・リベンジ」は、予約を受付中でございます。初回生産枚数には限りがございますからねー。ボヤボヤしてると受付終了しますよーぅ。
ささ、商売のお話はここまでといたしまして、よもやま話をいたしましょう。
年末に東京で、日テレの「電波少年」の土屋さんと、「ダウンタウンDX」や関西ローカルの「いつもガリゲル」という番組を作っている読売テレビの西田さんとお話をする機会がありました。
どうでしょうが始まった96年当時は、「電波少年」で猿岩石さんがユーラシア大陸を横断しておりました。どうでしょうの説明をすると必ず「電波少年みたいな番組ね」と言われておりまして、私自身「電波少年みたいな感じです」と言っておりました。あの番組は、まぎれもなく土屋プロデューサーの存在が大きく、私はいつかお話を聞いてみたいと、ずーっと思っておりまして、それが10数年の時を経て、ようやく実現したわけでございます。
土屋さんの話に出てくるキーワードのひとつに「めんどくさい」という言葉がありました。自分は「めんどくさいことはしたくない」という。でもあの番組は、常に「めんどくさいこと」をやり続けていた番組です。ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断するだの、アポなしで突撃取材するだの、それは「めんどくさいことの極致」です。何がどうなるのかわからない。めんどくさいことがたくさん起こるに違いない番組です。でも土屋さんは、「めんどくさいことはしたくない」と言う。つまり土屋さんが言う「めんどくさいこと」というのは、計画を立て、合意を形成し、段取りを踏んで、リスクを負わないように行動するという、世間一般の行動様式が「めんどくさい」と言っているわけです。
人を楽しませるとか、感情を揺さぶるとか、そういう感性を相手にモノを作る場合には、どこかでハッとするような、予想を裏切るような、そんなものが必要となります。計画を立て、合意を形成していては、そんなハッとするような瞬間は、なかなか生まれない。だから、あえて合意は形成しないし、段取りは崩す。そこから生じるトラブルは、「めんどくさいこと」ではなく、最初から織り込み済みのことで、「はははは!おもしろくなってきたよー」という喜ばしいことだと。私も、まったくそう思います。
しかし一方で、ちゃんと段取りを踏み、リスクを回避することが重要な仕事もあります。「おもしろくなってきたよー」じゃ済まされない仕事もあります。それを絶対に間違えてはいけない。政治や公共の仕事には、人々をハッとさせるような劇的なことは、そんなに必要じゃありません。人々の生活の安泰と安全が一番大事なことです。それがあってはじめて「うはははは!バカなことやってんなぁー」なんて、のんきにテレビ見て笑える社会が出来るわけですから。
読売テレビの西田さんは、実に人間味にあふれた人でした。彼が作っている「いつもガリゲル」という番組には、彼の人の良さがにじみ出ていました。彼はこの番組で、出演する芸人さんに「おもしろい言動」を求めているわけではないと。普通に、「人としての人間味」が出ればいいと言っておりました。それぞれの番組に、それを作っている人の思いや人格が醸し出されれば、それはとても興味深いものとなります。2011年の最後に、良い人たちと出会えたなぁと思いました。
さぁ皆の衆、今年も自分の持ち場で、自分に出来ることを、そんなに肩肘張らずにやっていきましょう。
そして今年、皆の衆と久しぶりに顔を合わせ、酒でも酌み交わせたらよいなと思っております。
2012年。今年も水曜どうでしょうをよろしくお願いいたします。
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(11:41 嬉野)

嬉野

2012年1月13日(金)
嬉野であります。
えぇ13日の金曜日だということ以外、
特段、なんということもない日でございます。
今、欲しいものは、あまり思いつかないのですが、
旅には出たいなぁとは願うのです。
まぁ年齢も既に若くは無いので、
貧乏旅行はする気もないのですが、
贅沢をする気も特段ない。
それでも出費は気にしないで好いような、
金に飽かせての地味な旅をしてみたい。
まぁ、何をもって地味と称しているのかは、
自分でも分かりませんが、
すでにリゾート地には興味がないですし、
高級旅館に泊まりたいという欲望も今はそんなにない。
昔ながらの温泉宿の並ぶ、ひなびた観光地が好いのです。
グルメの方の行きたがる美味なる晩餐が用意されるような高級旅館には、今はそれほど熱意ある興味は無いです。
それでも、ポイポイ、金は使いたいと思いますので、
金に気兼ねしないで的なことで「金に飽かせて」と思うのです。
計画するのが億劫だから、なんか流れに任せてしまいたい。
とりあえず、どっかから汽車に乗って、
昔ほど人の訪れなくなった温泉町の近くの駅で降りて、
ガランとした駅前に停まっているタクシーに宿も適当なのを紹介してもらって投宿する。
案内された部屋も、二階というだけで、
特段目を見張る調度も無く、
畳も日に焼けていて、でも掃除が行き届いていて、
部屋の真ん中に炬燵があって、
仲居さんが、茶を淹れてくれて。
仲居さんが出て行った後、一人になって浴衣に着替えて、
窓を開けると人気のない狭い通りが見下ろせる。
夏のことだから日暮れにはまだ間があって、
だから、下駄を借りて共同湯へ向かってみる。
夏の日盛りも過ぎた時間で、
この辺りは山深いのか、下界の暑苦しさは無く、
狭い通りの両側に並ぶ宿屋や酒屋や、みやげ物屋の佇まいやら看板やらに往事の喧騒が偲ばれたりすると和みます。
そういう無計画さと手に手をとって、
旅から旅へと流れて行って、
そうだからこそ、早々に帰りたくなるかもしれないし、
妙にハマッテ漂白の旅になるのかもしれない。
その辺りに気を取られないために、
金に飽かせて旅に出たいと思うわけでね。
もちろん、そんな資金援助の宛てもなく、
想像するだけならタダだろうと、
こうしてぶつぶつと書いているのでありますが。
むかし読んだことがあります。
「紀行文では、必ず旅先での出逢いがあるものだけれど、現実には、さしたる出会いもないものですよ」
と、作家のどなたかが書いておられましたが。
「そーいうものかもな」
と、妙に納得して読んだものでしたよ。
そーいうものですよ。
そんな雰囲気の好い出会いなんかないですよね。
だからこそ、物語の中で気になる人に出逢ったりするのでしょう。
でも、長逗留していれば、その宿の人たちとは顔なじみになるでしょうから、そうする家に、温泉町の住人の誰かとも顔なじみになるのかもしれない。
そういうのはね、昔、テレビドラマとかで見て、
自分で勝手にイメージしている待望の世界なのかもしれない。
お手本があって、そのお手本に共感して、
そのお手本通りの体験を、いつか自分の人生に求め始める。
そうした未知の世界が待ったいるかもしれないと、
テレビドラマや映画で昔、学習したから、
その刷り込まれた甘美な記憶が、
自分の人生とどこかで地続きになる時が来るような気がする。
そんな、昔は、ここも立派な旅館が何軒もあって、
芸者さんの置屋もいくつもあって、
夜な夜な宴会の賑やかな三味線や太鼓の音が聞こえて、
景気の好かった時代もあったけど、
あれから幾十年も経って、
今は、誰も訪れないような静かな町で、
それでも、往事の隆盛が偲ばれる朽ちかけた建物や、
古臭い看板が散見する町。
そういう町に、宛てもなく長逗留して、
私は誰に出逢いたいのだろうと思うのですが、
死んだ親父の面影に出逢いたいと、思うことはありますね。
色っぽい人に出逢いたいよりは、
死んだ親父の面影を持つようなおっさん、
いや、自分がもうおっさんですから、
親父の面影を持つなら爺さんかな。
いや、だからこそ、
今の私とそう歳の変わらぬ頃の親父の面影と、
なのかもしれない。
そんなことを、私は勝手に思っているのでしょう。
なぜかしら、そういうひなびてしまって時代から忘れられてしまったような町は、
異界への入り口であるようなね、
そんなイメージが、きっと私の頭に勝手にあるのでしょう。
まぁ、それもどこかで私が刷り込んでしまった、
お手本のある物語なのかもしれませんがね。
もうひとつの世界と繋がっている町。
漂白の旅を続けていると、
そういう町に流れ着くこともあるような気がするから、
私は、わりあい昔から「怪談」やら「ホラー映画」が好きですが、その理由には、それらの物語にある、ある種の情緒にまず惹かれているからなのでしょうね。
いやぁ、なんてとりとめのない日記でしょう。
それでは、本日も各自の持ち場で奮闘願わねばなりませんので、
私の取り留めの無い書き物も、いい加減にしないといけません。
それでは、また来週!
解散。
【藤村先生メモリアルのコーナー】
2012年となりました。
1月7日土曜日。藤村でございます。
みなさま、明けましておめでとうございます。
年明けは4日から仕事を始めておりまして、DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」の最終仕上げをしております。
美術のビジービーさんがメニュー画面のCG動画を完成させ、プロダクションIGさんからはオープニングのアニメーションが届き、この週末で音効の工藤ちゃんと音入れ作業をして、すべての素材が完成する予定であります。
ビジービーさんのCG動画も、IGさんのアニメーションも、ますますクオリティーが上がってきております。でも、別にコレ、本編とは関係のないもので、なきゃなくてもいいんです。ぺろっと1枚メニュー画面を作ればそれでいいし、オープニングは毎回使い回せばそれでいい。手間もお金もかかるし、本編さえ見られれば基本的には商品として成立するものではあります。しかし、せっかくみんなが足を運んで見に来てくれるんだから、玄関先にキレイな花ぐらいは生けておきたいという、まぁそういう心づもりでやっておる次第でございます。
今回も、みなさんを気持ちよくお迎えする準備ができましたぞ。
ね、ということでDVD「ヨーロッパ・リベンジ」は、予約を受付中でございます。初回生産枚数には限りがございますからねー。ボヤボヤしてると受付終了しますよーぅ。
ささ、商売のお話はここまでといたしまして、よもやま話をいたしましょう。
年末に東京で、日テレの「電波少年」の土屋さんと、「ダウンタウンDX」や関西ローカルの「いつもガリゲル」という番組を作っている読売テレビの西田さんとお話をする機会がありました。
どうでしょうが始まった96年当時は、「電波少年」で猿岩石さんがユーラシア大陸を横断しておりました。どうでしょうの説明をすると必ず「電波少年みたいな番組ね」と言われておりまして、私自身「電波少年みたいな感じです」と言っておりました。あの番組は、まぎれもなく土屋プロデューサーの存在が大きく、私はいつかお話を聞いてみたいと、ずーっと思っておりまして、それが10数年の時を経て、ようやく実現したわけでございます。
土屋さんの話に出てくるキーワードのひとつに「めんどくさい」という言葉がありました。自分は「めんどくさいことはしたくない」という。でもあの番組は、常に「めんどくさいこと」をやり続けていた番組です。ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断するだの、アポなしで突撃取材するだの、それは「めんどくさいことの極致」です。何がどうなるのかわからない。めんどくさいことがたくさん起こるに違いない番組です。でも土屋さんは、「めんどくさいことはしたくない」と言う。つまり土屋さんが言う「めんどくさいこと」というのは、計画を立て、合意を形成し、段取りを踏んで、リスクを負わないように行動するという、世間一般の行動様式が「めんどくさい」と言っているわけです。
人を楽しませるとか、感情を揺さぶるとか、そういう感性を相手にモノを作る場合には、どこかでハッとするような、予想を裏切るような、そんなものが必要となります。計画を立て、合意を形成していては、そんなハッとするような瞬間は、なかなか生まれない。だから、あえて合意は形成しないし、段取りは崩す。そこから生じるトラブルは、「めんどくさいこと」ではなく、最初から織り込み済みのことで、「はははは!おもしろくなってきたよー」という喜ばしいことだと。私も、まったくそう思います。
しかし一方で、ちゃんと段取りを踏み、リスクを回避することが重要な仕事もあります。「おもしろくなってきたよー」じゃ済まされない仕事もあります。それを絶対に間違えてはいけない。政治や公共の仕事には、人々をハッとさせるような劇的なことは、そんなに必要じゃありません。人々の生活の安泰と安全が一番大事なことです。それがあってはじめて「うはははは!バカなことやってんなぁー」なんて、のんきにテレビ見て笑える社会が出来るわけですから。
読売テレビの西田さんは、実に人間味にあふれた人でした。彼が作っている「いつもガリゲル」という番組には、彼の人の良さがにじみ出ていました。彼はこの番組で、出演する芸人さんに「おもしろい言動」を求めているわけではないと。普通に、「人としての人間味」が出ればいいと言っておりました。それぞれの番組に、それを作っている人の思いや人格が醸し出されれば、それはとても興味深いものとなります。2011年の最後に、良い人たちと出会えたなぁと思いました。
さぁ皆の衆、今年も自分の持ち場で、自分に出来ることを、そんなに肩肘張らずにやっていきましょう。
そして今年、皆の衆と久しぶりに顔を合わせ、酒でも酌み交わせたらよいなと思っております。
2012年。今年も水曜どうでしょうをよろしくお願いいたします。
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