2020年4月3日(金)
2020年4月3日(金)
えぇみなさま、こんにちは。
嬉野でございます。
まったくなんでしょう、コロナ騒動で世界は大変なことになりまして。昨日まで、あんなにふんだんにあったはずの呑気な日常が今や嘘みたいに消えてしまったようでございます。
こんなとき、人の心にわだかまり、はびこってくるのが閉塞感というやつで、いったいいつまでこんなことが続くんだろうと、先の見えない不安に押しつぶされそうになる。
どこか楽しくない。
何かにつけて楽しくない。
寝ても覚めても楽しくない。
毎回のコロナニュースに日々気が滅入る。漠然と怖くなる。
そうなると、のこのこいろんなところへ、何も考えなしに出歩いたりできない。
仕事帰りに、みんなで何も考えなしに連れ立って呑み歩いたり出来ない。
季節が良いからって、何も考えなしに思い立って旅行に出掛けたり出来ない。
なんでしょう…こう書いてますとですね、
どんだけ我々人間が「何も考えなしに」行動していたかってことが分かりますね(^^)
今、書きながらそう思いました。
でも、だからこそ、この何も考えなしに行動するというところにストップが掛かると、そしてそのストップに、いついつまでという期限がつかないと、我々人間は徐々に重苦しい閉塞感を覚え始めるんでございましょうね。
不肖わたくし嬉野もまた、この閉塞感の日々に心がヒリヒリしていたのでございます。
加えて敵はウイルスでございますから、目に見えない。
これが厄介。
というかまぁ下手に目に見えたらねぇ、あっちこっちに見えすぎちゃっても、それもそれで何となく今よりおっかない気もしますけどね。
そこへもってきて、こんな日常が続けば世界は経済的に破綻する。
どうすればいいんでしょうか、いやもう既にアルバイトで生計を立ててる学生さんなんてのは仕事がなくなって死活問題のはずですよ。
それに年長者は新型コロナウイルスに感染しますと重篤になる可能性が大である、と言われておりますから、わたくしも去年還暦を迎えまして、すでに年頃です。だからゾワゾワっとしますよね。心がざらつきます。
なので、ここのところしばらくは、アレやこれやと考えては、気が滅入り、たちまち心はヒリヒリ、気持ちはゾワゾワとしておりました。
ところが奥さん昨日の朝のことでございますよ。
私ら夫婦は、朝から女房が録画してくれていた「水曜どうでしょうClassic」を家で見てたんでございます。
北海道地域ではね、今年、水曜どうでしょうの最新作の放送が(ご覧になりました?あの名作の家を建てて藤村さんがテントの中で寝言を言って意識の飛んでるときに山場を迎えたやつですよ)終わってからも同じ枠で水曜どうでしょうClassicを放送してますんで「毎週予約する」を選択しておりますと新作の後もどんどんClassicが録画されるわけですね。
そしたら「サイコロ6」が録画されていたわけでございます。
みなさんねぇ、ここだけの話ですけどね、「サイコロ6」といいますと、私の中では全作品中での評価は低いですよ。
あれはもう、よさこい号のなかで大泉さんが、
「あれ?おかしいなぁ…ボクのスリッパどこ?」
なんてなことを言い始めるあたりが個人的には大好きで(^^)
でも、昨日の朝に見ましたのはそこではない、そこを通り越した後の「サイコロ6」最終話でございましたよ。
もうね、「サイコロ6」の最終話なんてのはね、1番盛り上がらない回だった気がしてたんですよ個人的に、自分の中の評価ではね。
ところが奥さん。私は驚いた。
面白かった。素直に笑った。
そして見終わる頃には、私の中の閉塞感も心のヒリヒリも気持ちのゾワゾワも無くなっていたんです。自分でも不思議なくらい心が解放されて軽くホッコリ温かくなっていたんです。これにはビックリしました。
凄い番組ですねぇ「水曜どうでしょう」は。
こんな危機的な時代にもまだ効力を失わない。
水曜どうでしょうは世界を救いますね。だって事実、私は昨日の朝、救われましたもん(^^)
いったいあの番組の何に、いつのまに救われたのかわからない。
それでも見ていたらどんどん心が軽くなって、なんなら身体も軽くなったんですよ。
いやぁ、みなさん水曜どうでしょうファンで良かったですね!
コロナコロナで、こんなんなった時代でも、ヒリヒリ、ゾワゾワする時には、我々は水曜どうでしょうを見ればいいんです。見るだけで救われる(^^)
そういえば東日本大震災のときにね、被災地のどうでしょうファンが水曜どうでしょうを見て、失った日常の心を取り戻しましたって語ってました。
そうです、私はそれをやっと自分の心と身体で体験したんだと思います。彼らがあのとき語ってたことが今わかりました!
水曜どうでしょうは、永遠のマイノリティ番組ではありますが、今こそ自覚しましょう!
どんなときも、ぼくらには水曜どうでしょうがある!
毎日見ましょう(^^)
心の日常が帰ってきます(^^)。
もちろん、水曜どうでしょうを見たって感染したときのリスクはなくなりはしない。
その意味では、現状は何も変わりはしない。
それでもね、ぼくらが抱えてしまってる漠然とした不安は不思議と消してくれる。
でも、それは「水曜どうでしょう過去作」に、コロナが流行していなかった昨日までの世界を見るからではないですよ。
水曜どうでしょうという番組を作る現場で、出演してる彼らが「番組を作ってるんだ」という屁の突っ張りのような縛りの中で、それでも本番中に漏れちゃってる、滲み出しちゃってる、人間味や、あの人たちの関係性の好ましさが見えちゃうときがあるんです、それがね、その瞬間がとても好ましくて大切なものに思えてしまうんですね、それで、それを自分の中に取り入れようと、いつの間にか見ている自分の心の扉が開いちゃう。
人は心の扉が開くと、それでもう朗らかになれてしまう。おそらくそういうふうに出来てるんですね人間は。
人の心に「ふふふ(^^)好ましいなぁ」と思わせる「楽しそうな、好ましい感じ」が、水曜どうでしょうのいたるところからボロボロ漏れてるんです。
だから見てる方は、そのたびにどんどん心が開いちゃう(^^)
そしてその挙げ句、私は心も体も軽くなった。
そういうことなんだろうなぁと推測するのでございます。
素晴らしいですね。この危機の時代に水曜どうでしょうを知っているこの強み。
全世界、30万人だか、35万人だか、もっといるんだか分かりませんが、これからどんな世界になるのか分からないんだけど、
それでも、ぼくらには水曜どうでしょうがある。
今こそ、このことを強く自覚してください!そして、さぁ!今日も明日も水曜どうでしょうを見ましょうねみなさん(^^)
きっと不思議なほど朗らかになれますよ。
それでは諸氏!(久々だなぁ)
本日も、各自の持ち場で奮闘願います!
そしてこの難局を、なんとしても乗り越えましょうね。考えてもわからない先のことより、今日の水曜どうでしょう鑑賞!です。
これを強く自覚して、本日のところは朗らかに解散。
(11:38 嬉野)