2012年12月10日(月)

嬉野

2012年12月10日(月)
おはようございます奥さん。
大雪の札幌から本日も嬉野がご機嫌を伺わせていただきますよ。
さて、奥さん。
この前の大阪マラソンで、うちの藤村さんが42.195kmを完走なさいましてね。
しかも4時間半での完走という快挙でございますよ奥さん。
これには私も驚く、世間も驚くということでしたが。
で、あの人。
過日、ここの日記にね。
走った日のことをつぶさに書いてましたが。
あの方は見てきたことを、こと細かに面白可笑しく書くのが昔から上手な人だから、私も読んでて笑ったもんですが、あれ、人によってはね、なんですか読みながら感動して泣けちゃいましたという人がありましてね、その感想を意外に思ったもんでしたが、
「あんたほら、大阪マラソンの日記書いたじゃない」
「あぁ書いたねぇ」
「あれ面白かったんだけどさぁ、あれ読んで泣いたって人が何人かいてさぁ」
「えぇ?なんでさ」
「いや、だからさ。オレも最初は不審に思ったんだけどね。でも、あれって確かに笑っちゃうはなしなんだけど、でも同時にさ、あれ読んでるとね、あの日のランナーだったあんたが、あの日、苦しい思いの中、走りながら見た光景や、あんたの耳に入って来た沿道の人の声やら何やらがさ、あんたの人格を通すことによって、きみょうに澄んだ明るい幸福感に変換増幅されて読んでる側の目に見え耳に聞こえてくるようなとこあるんだよ」
「はぁ…」
「あの幸福感を読み取った時にはね、そらぁ人によっては笑い、人によっては、思いがけない幸福感に包まれて不意に涙が溢れて、自分も走りたいなぁっておもわせるってこともあるなってね、思ってね」
「ふーん」
「いや、オレもそんなに意識してはなかったけど。でも、確かにあんたは、そうね、花咲爺みたいなとこ、あんのかもしれないね」
「あ〜?花咲爺?」
「いや、こうさぁ、やたらこう、じじいは灰を世間に撒いてんだよ『枯木に花を咲かせましょう』って、わけの分かんないこと言ってさぁ。だから人によっちゃあ撒かれた灰がそのまま目に入って、痛えよ!ってこともあるんだけどさぁ、でも人によっちゃあこう、胸のここんとこの、枯れ木に花が咲くというね」
「あぁ」
「そういう、あんたはそう『幸せをもたらす男』なのかも知れないんだねぇ」
そんな話をしましたが。
言われた藤村さんも、花咲爺というイメージは、わりとお気に召したようでしたが(^-^)
まぁそういう話をしながらもね、いやオレってほんと気の利いたこと思いつくよなぁと、これまた思ったわけでしたがね(^-^)
いやいや、こういうことを書くと世間様に嫌がられられますが、ほんとそう思うのでね、書いてますよ奥さんねぇ。
それでは奥さん明日もまたおいでくださいまし。『う』と『ふ』でお待ちもうしておりますよ。
それでは本日も各自の持ち場で奮闘くださいませ!
では、また明日。
枯れ木に花を咲かせましょう!
↓以下、花咲爺日記でございます。
11月28日水曜日。藤村でございます。
25日の日曜日に「大阪マラソン」を走りました。
その前々日、23日は京都大学で嬉野先生と「水曜どうでしょう×京大 特別集中講義」と題した講演を3時間やりまして、その後は、我々を呼んでくれた京大生の玉木くんをはじめ、学生諸君としこたま飲んで、とてもいい夜を過ごしました。
翌24日は、朝8時に起きて、鴨川沿いをランニングしました。なんせ、12月15日に放送されるドラマ「幸せハッピー」の仕上げや、12月1日から北海道で放送がスタートする「クロスバトル」の日本語版の編集、そして3月に発売される次のどうでしょうDVDの編集もあって、1週間以上走ってなかったんです。せめてマラソン本番の前日ぐらいは走っておかないとダメだろうと。それで5キロぐらい走りました。
で、大阪に移動して、昼は道頓堀でお好み焼きとインディアンカレーを食い、思いっきり腹を下して、腹の中のものを全部出しまして、夜は鶴橋で焼肉を食い、ハイボールをしこたま飲んで、夜10時には熟睡!という万全の体勢でマラソン当日の朝を迎えました。
一方、同じくマラソンに出場する店長は、鶴橋で一緒に焼肉を食ったあと、ホテルに帰る前に、「うどんを食いたい」と言い出したらしく、嬉野先生はじめHTBから同行したスタッフと夜の町をさらに徘徊し、でもうどん屋が見つからず、結局喫茶店に入って無為な時間を過ごしたと聞いております。さらに店長は、マラソン当日の朝も暗いうちからのそのそと起きだして、5キロを走ったと聞いております。
「バカじゃないか?」と思いましたけれど、そんなことは知る由もありません。私は、店長が喫茶店でホットミルクを飲んでいるときも、早朝5キロ走っているときも、ぐっすり寝ていたわけですから。
我々は、大阪のとなり堺市にあるホテルに泊まっておりました。大阪市内のホテルが満室で取れなかったんですね。
25日朝7時。ホテルのロビーに降りますと、すでに店長は私を待ち構えておりました。そりゃそうです。店長は5時前には起きていたんですから。
そして我々は、嬉野先生をはじめとするスタッフに見送られ、電車に乗ってスタート地点である大阪城へと向かいました。
電車に乗っている間、店長が私にやたらと話しかけてきます。
「藤村さん、サングラス買いました?」
「買わねぇよそんなもん。だって帽子あるだろう」
「あー帽子だけじゃダメですよー目が焼けちゃいますよー」
「はぁ?」
「ほら!朝日がまぶしいでしょう!」
「そりゃ今はまぶしいよ、朝だもん」
「焼けちゃいますよー?」
そう言って、店長は自慢げにサングラスをかけて、朝日を眺めておりました。
私は内心、
(夏のオリンピックなら、そりゃ路面の照り返しとかもあるだろうよ。キューちゃんだってサングラスはしてたよ。でも12月間近のこの時期に、照り返しもねぇだろう。ていうか、こっちは市民マラソンの、それも初マラソンだぞ。キューちゃんを参考にしてどうする)
そう思っておりました。
さらに店長は話を続けます。
「藤村さん、腕の振りは大事ですよ」
「あぁ」
「いや、マラソンってね、腕の振り方でリズムをとったり、いろいろあるんですって」
「まぁあるだろうな」
「たとえば、こうやってね」
言いながら店長は、なんだか女の子のルンルン走りみたいに、胸の前でくるくると手を回します。
「いや、ほんと!こうやるといいんですって」
「まぁ、そうかもな」
私は内心、こう思ってました。
(確かにな、腕の振り方ひとつにしても、マラソンのノウハウみたいなものはたくさんあるだろうよ。でもな、そんなノウハウで頭を埋め尽くしてしまったら、頭ばっかり重くなって、それこそ身軽になれないだろう。おまえの頭の上にはすでに帽子とサングラスがのっかってんだからな)
と、そんなことを話しているうちに、我々は、電車を乗り間違えていることに気付きました。
「おい、これ違うぞ」
「え、そうなんですか?」
「ヤバイ、これ乗ってたら奈良に行っちまう」
我々、あやうく奈良に行くところでした。
スタート地点の大阪城公園に着いたのは、7時45分。
駅から続く長蛇の列に従って、待機場所に向かいます。
その間、何人かの人に声を掛けられました。
「どうでしょういつも見てます!がんばりましょう!」
「自分も北海道です!がんばりましょう!」
8時30分。我々のカテゴリーである「K」の待機場所に到着。
なんせ3万人が出場するマラソン大会ですから、全員がスタートラインに一緒に並ぶわけにはいきません。スタートラインの先頭に並べるのは、カテゴリー「A」の、2時間そこそこで走るプロフェッショナル。その後ろに3時間で走れる人、3時間半で走れる人と、走力によって待機場所がスタート地点から後ろに下がります。我々がいる「K」は、4時間半から5時間でゴールを目指す人たち。
9時ちょうど。大阪マラソンがスタート。プロフェッショナルが勢いよく走り出します。しかし、我々は後方の待機場所でまだ立ち止まったまま。徐々に長い列が動きだして、我々がスタートラインを切ったのは、9時17分ごろでした。
スタートラインを越えるのと同時に、腕時計のストップウオッチを押します。
店長と並んで走り出します。
「写真撮ってくれる人がいるから、オレらはなるべく沿道に近い端っこを走ろう」
スタート地点を少し過ぎたところで、早くも「藤やーん!」という声が聞こえます。
「なんと心強い。ちゃんと来てくれてるじゃないか」
「朝早くからすまんなぁ」
店長とふたりで手をあげてこたえます。
一方で、腕時計を見ながら、1キロごとのラップタイムを確認します。
1キロあたり6分40秒台。
目標タイムは4時間30分で、なんなら4時間を切りたい。となれば、1キロを5分台で走りたいところ。
「ダメだ。これ遅いぞ」
「そうですね」
力強く店長も答えます。しかしながら、ランナーの行列はダンゴ状態。行くに行けない状況が続きます。
5キロ地点を越えたあたりから、少しずつ行列に隙間が見えてきたので、一気にペースを上げて、前のランナーをどんどん追い抜いていきます。なるべく沿道に近いところを走り、「藤やん!」の声を聞けば、そちらを向く。
大阪の繁華街、御堂筋に入る。沿道の人たちの数が一気に増える。その中で、系列局の岩手朝日の顔見知りの男が、iPadを抱えて動画を撮りながら「藤村さーん!」と声を張り上げて沿道を並走してくる。同じように携帯を向けながら並走する藩士諸君もあちこちに。
「おう!」と答えながらも、ランナーの間をぬって、前へ前へ。
御堂筋を右に折れて、土佐堀通へ。10キロ地点。ラップタイムは1時間ジャスト。
「よし、4時間半のペースに追いついたな。いけるぞこれは」
スピードに乗った足並みは快調そのもの。後ろを見ると、店長の姿はいつのまにか見えなくなっていました。
「調子いいぞ。これは4時間切れるかも」
片町の折り返し地点を過ぎ、再び御堂筋へ。その間、とにかく前のランナーをどんどん追い抜く。
京セラドームの20キロ地点の手前で、嬉野先生をはじめとするHTB軍団の姿を発見。
「藤やーん!」
「はーい!がんばっておりまーす!」
余裕で手を振って、さらに前へ前へ。
京セラドームを過ぎて、再び折り返し。そして20キロ地点。
ラップタイムは、1時間53分。このラップタイムは、あとでわかったことだけど、4時間を切ったコブクロの小渕さんより、4時間8分で走ったNMB48の女の子よりも早い。つまり10キロ以降は、1キロ5分の超ハイペースで飛ばしていたわけです。
20キロを1時間53分。これはしかし、練習のときには出していたタイムですから、別に驚くようなことじゃない。でも、致命的なのは、私は、今まで20キロ以上を走ったことがないということです。ここから先は、未知の世界なわけです。
そして、未知の世界、20キロを過ぎた直後、驚きました。
体が急におかしくなったんです。ふくらはぎがガチガチになって、めまいがしたんです。
「やばい。倒れる」
ほんとにそう思いました。まわりの風景が白くなる。ペースがぐんと落ちて、ついさっきまでは遅いと思っていたランナーたちに、どんどん追い抜かれていく。
「ダメだ。これ絶対にダメだ。完走は無理だ。倒れる。どこで地下鉄に乗ろうか」
もう完走はあきらめようと半分思ってました。沿道の「藤やーん!」の声援も、ほとんど耳に入りません。でもまだ歩いてはいませんでした。でも、歩いているのとさして変わらないペース。1キロのラップは7分を大きく越えていました。
「ダメだ。ダメだ。もうほんとにダメだ」
そう思っていたところに、給水所が見えました。
私はここまで給水をまったくしていませんでした。
フラフラと給水所にたどりつき、スポーツドリンクを口に含む。そしたら、なんでしょうか、めまいが一瞬のうちに消えて、一気に生き返ったような心地になったんです。
そういえば、マラソンのノウハウを頭に詰め込んだ店長が言ってました。
「藤村さん、給水所ではちゃんと休憩したほうがいいんですって」と。
それで、ようやく走るのをやめて、歩きながら、スポーツドリンクをガブガブと飲みました。2杯飲みました。生き返るんですね、そしたら。
で、またゆっくりと走り出してみる。足はまだまだ言うことをきかないけれど、もう少しは行けそうな気がしてくる。
「よし、次の給水所までがんばろう。そこでまた休憩しよう」
そう思って走りました。
次の給水所には、バナナやらお菓子やらがありました。
そういえば、店長が言ってました。
「給水だけはなくて、ちゃんと食べてエネルギーを補給しないとダメなんですって。あと、途中途中で屈伸とかもやったほうがいいですよ」
それで、バナナもお菓子も全部食べました。そして、端っこで立ち止まって、屈伸運動をしました。
するともうなんでしょうか、体がシャキッと元に戻っていくんです。
「店長、バカにしてすまんかった。おまえの言う通りだった」
私は猛烈に反省し、それ以降のすべての給水場に立ち寄り、そこにある食べ物はすべて食べることにしました。
バナナもチョコレートもキュウリもトマトもおいなりさんも桜餅もわらび餅も。まるでホテルのバイキングのように片っ端から。そして食い終わると屈伸運動。
それを繰り返して30キロ地点。ラップタイムは、3時間4分。20キロからの10キロは、1時間10分かかったことになります。もう4時間は切れません。しかし、まだ目標の4時間半は射程距離内。
「よし、あと10キロちょっと。これは毎朝走ってる距離じゃないか。もう楽勝じゃないか。そのうえ、途中でメシも食えるんだ。スポーツドリンクも飲み放題。そして、あちこちから声も聞こえる。心強いじゃないか」
「アメちゃん」と書かれたところでは、アメをもらい、それをなめながら走る。
「アメとか、口に入れて走るのがいいんですって」
言ってた言ってた。店長が言ってた。確かにアメはすごくいい。
30キロ以降、ペースはもう前半のようには戻らなかったけれど、しかし、給水、給食、屈伸を繰り返して、調子は上がりました。
もう「地下鉄に乗る」という選択肢は消えました。
あと5キロの地点で、南港大橋という橋を渡ります。登りです。最後の難関です。その入り口に、どうでしょうフィギュアを作っている「ユニオンクリエイティブ」の連中が陣取っておりました。
「藤村さーん!がんばれーッ!」
彼らもかなり熱くなっているんでしょう。こっちが引くぐらいの大声を張り上げております。「ありがたい」と思いつつも、こっちは「次の給水所にはどんな食い物があるんだろう?」と、そっちの方が気になってしょうがない。
時計を見れば、4時間30分を切れそうなタイムです。
しかし、その時の私にとっては、ビシッと給水所に立ち寄り、そこにあるものを全種類飲み食いする、そうしなければ完走できないという思いがありました。それがあたかもルールのような、「早食い完食マラソン」のような様相を呈しておりましたので、タイムはもう二の次でありました。
最後の給水所でもキッチリとお菓子を頂戴し、完食してゴールを目指します。
あらかた腹は一杯です。
ラスト1キロぐらいになると、「藤やんがんばれ!」の声があちこちから飛んできます。途中で何度か見た顔が並んでいます。彼らも同じく、42.195キロを移動して、ゴール地点に集結していたのです。
「藤やーん!」
たぶん、ゴール地点で、一番声を掛けられていたのは私ではないでしょうか。そのぐらい、ひっきりなしに声が掛かるんです。
手を振って、気合いを入れて、ラストスパートをかけます。
「藤やーん!」
「ありがとう!」
ゴール。タイムは、4時間31分26秒。
目標の4時間半には少しだけ遅れましたが、悔いはありません。悔いがあるとすれば、「わらび餅をもう2、3個食いたかった」ということだけでした。
ゴールすると、嬉野先生たちと大阪マラソンの実行委員の人たちが待ち構えておりました。彼らも熱いどうでしょうファンだそうです。関西にもいつのまにか、どうでしょう好きがこんなに増えていたんですね。
初マラソンの感想は、
「案外、マラソンって、腹一杯になるんだな」
ということでした。
でもその後、着替えをして、「うまいもん市」とかいうイベント会場で、富山のラーメン店の行列に並んでラーメンを食い、ビールも2杯飲みました。
「もうね、十分満足しました。あとはもう、早くホテルに戻ってゆっくり休みたい」
そう思っておりましたが、店長がまだゴールしていません。
「もういいんじゃねぇの?あいつは」
そう申しましたら、全員から猛反発をくらい、待つことにしました。
店長がゴールしたのは、私の2時間後、6時間を越えたときでした。
フラッフラの店長の姿を沿道で見届けて、一足先にホテルへと戻りました。
途中、嬉野先生からメールがありました。
「現在、スタッフ全員で店長を護送中。まだ時間がかかりそうです」と。
店長はもう、足腰が立たず、両脇を抱えられて帰りの電車に運び込まれたそうです。
その夜、メシを食いながら店長の話を聞きました。彼はしきりに「腕が痛い」と申しておりました。彼は、例の「ルンルン走り」を実践し、その結果、腕を振り過ぎて、痛めたそうであります。
「でも店長、おまえが言ってた通り、いろんなもの食べたら元気が出たわ。トマトなんて最高にうまかったもんな」
「あ、そうですか。ぼくが行ったときにはもうトマトなんてなかったです」
「え?そうなの?」
「ないです。もう売り切れでした。それ見て、心が完全に折れました」
「わらび餅は?」
「ないです」
「あ、タイムが遅いと食い物もどんどん売り切れちゃうんだ」
「ぼくが行ったときに残っていたのは、バナナと紙コップだけです」
店長は、さびしげに笑い、そして30分もしないうちにテーブルに突っ伏して寝てしまいました。そしてまたスタッフに護送されてホテルに帰っていきました。
大阪ヒゲマラソンは、こうして終わりました。
沿道に駆けつけてくれたみなさま、ありがとうございました。
みなさまから投稿していただいた写真は、嬉野先生がまとめて、掲載する予定であります。
「ヒゲのおっさん二人がフルマラソンに挑んだらどうなるか?」という人体実験の様子を、沿道に陣取ったみなさまから送られてくる写真からひもといていくという今回の企画。
一体どんな表情が写し出されているのか。興味深いところであります。
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(10:01 嬉野)