2010年12月13日(月)

嬉野

2010年12月13日(月)
シンガポール帰りの嬉野です。
なんでしょうねぇ奥さん。
北海道の寒くなり始めの時期に暑い国へ出向くのも好いものですね。なにやら、もうけた気がしました。
なんだ、ここに夏があったじゃぁねぇか。と、
そういう錯覚めいた思いがありました。
夏はいったい何処へ行ったろう?と思っていたら、
なんのことはない、ここに来ていただけだったんだという。
まぁ、シンガポールはいつ行っても夏ですから、
あそこの夏が行ったり来たりしてるわけでもないわけですよ。
ないわけですが、
勝手にそう思って私ひとりが、なごんだというねぇ奥さん、
だけの話ですから、
ここ、とくにつっこみは要りませんよ。よろしいね。
さて、
少しばかり年の違う仕事仲間を北海道で得ましてね、
それらの者どもと国際線の飛行機に乗り、
常夏の国へ出向いたわけですが。
片やキャップ福屋渉は敏腕と呼ばれるプロデューサであり、
こなた藤村は天才と自称する名物ディレクターであり、
いわばリーダー福屋と、
エース藤村というわけでありますよ。
リーダー福屋は、
なるほどリーダーだけあってなにかと先頭を歩きたがります。
エレベータに入るのもまず福屋!
出るのもまず福屋!
玄関の出入りもまず福屋!
自然と福屋渉、他に先んじて足が出ます。
したがいましてシンガポール観光も先頭は福屋!
ただリーダー福屋は行き先も知らない。
知らないんだけど歩き出すと何故か先頭!
さすがにリーダー!と、
私をもって思わせる癖でありますな。
そして観光といえば、うちのエース藤村であります。
とにかく調べます彼は。
今回も機内でシンガポールの旅本を熟読すること7時間。
分厚いガイド本を2冊、かわるがわる読んでおりました。
この間、リーダー福屋はひたすら恩田陸さんを熟読。
手前こと嬉野は橋本治さんを熟読。
ですので、
彼の地に着いてから藤村が小言を言うわけであります。
「あんたたちは、なんにも調べないで来たの?」
「調べましたよねキャップ」
「調べました。シンガポールドルのレートとか」
「そうそう、ぼくも電圧とコンセントの差し込みの違いとか」
「他はどうよ」
「他は、あんたがいるし」
「よくそんなんで平気でいられるね」
「だってあんたいるし。ねぇキャップ」
「まったくですよ、うれしー」
藤やんはあきれて半笑いで言うのでありました。
「まぁ、オレは構わないけどね」
「そうでしょう。それぞれに持ち場ってあるのよ」
藤やんが「チャイナタウンへ行きますか」と言えば、
あとの二人は「行こう行こう」と、ついてくわけで、
藤やんが「中華食いますか」と言えば、
あとの二人は「食いますか」と異論も無く、
「飲茶も食いますか」と言えば、
「食いますか」とこれに追従する、
行きたいところのある男と、
つきあう気持ちのある男がいて、
無理なく友情は生まれるわけでありますよ奥さん。
チャイナタウンへ行くには地下鉄に乗ります。
地下鉄の乗り方のレクチャーもうちの藤村が指導。
乗車料金を券売機に入れるとプラスチックのカードが出てくる。
これを日本のそれのように改札にかざすと「ピッ」といって改札のゲートが開く。
このカードを降りた駅の券売機に入れると、
「1ドル」返金される。
つまり紙の無駄をなくし、
プラスチックカードの再利用を円滑にするために1ドル余計にふっかけている。そういうシステムなんだ。と、これも藤村のレクチャーであとの二人は学習する。
役割分担の妙でありますな。
こうして我ら三人、
いざチャイナタウンへ向かわんとホテルの玄関を出ました。
出てすぐの往来で先頭を行くリーダー福屋が何かにつまずいてこけそうになりました。
「あ。今、いきなりリーダーがこけたな」
私はそう心の中で思いました。
オレらは、これまでこの男についてきたわけで。
これからもついていくわけで、
その男が、いきなりこける。
私は、なんだか可笑しくなってきまして。
さて、地下鉄駅の改札で、買ったカードをかざすと、
「ピッ」と鳴ってゲートが開きました。
レクチャー通りでありましてまごつくことなし。
藤村のおかげであります。
しかしながら、振り向きますと、
改札のゲートで藤村がまごついております。
「どーしたの?」
「あれ?あかねぇぞ。おい。なんでだ。この改札あかねぇぞ」
「なんで開かないの?藤やん」
「なんべんやっても開かねぇんだよ」
「オレら二人とも開いたよ」
「おっかしぃなぁ」
「だいじょうぶ?」
「あ!」
「どーした」
「これ開かないわ」
「なにが」
「これホテルのカードキーだった」
「開くかい!そんなもんで!」
この男がうちのエースかと思うだに、
どこが天才だ!と、
なにやら可笑しくなってきまして。
で、チャイナタウンへ着きましたら、
目当ての店へ行く出口がわからないので探しました、
「Aだね。Aの出口から出ればいいよ」
「ここはなんだっけ?どっかに書いてない?」
私と藤村が探しておりますと、
悠然とリーダー福屋が答えました。
「ここは(i)ですよ」
「(i)?どこに書いてます?」
「そこですよ」
「いや、キャップ。ありゃインフォメーションの(i)ですよ」
「なに言ってんのキャップ!」
私は、もうもう、完璧に楽しくなっておりました。
この抜けさく三人でここまで来たのであります。
よくぞ来た。よくぞここまで。
そう思いました。
それぞれにどっか抜けているのです。
脱力するほどに。
でもそれで好いのです。
それが、独特の場を作っているのです。
私はそう思いました。
人間は誰しもが「場」の雰囲気に左右されていくのです。
優れているだけが好いわけではなく。
厳しいだけが大事なのではなく。
その逆でもなく。
それぞれの者にとって居心地の好い「場」は違うのです。
そして、いろんな「場」で醸される「場の力」によって出来上がっていく作品の風合いも違ってくるのです。
良くも悪くも、人は「場」の雰囲気に育てられる。
その「場」を失えば、作りたいものも作れない事がある。
あたりまえだと、そう納得する自分がいました。
それを思えば、私は、今、
非情に居心地の好い、
自分にとってまたとない「場」を得ていると、
思うのであります。
50の坂を越えようとする今。
それでも私は抜け作でいられるのです。
それは抜け作を問題な!とする人間の集う、
「場」を得ているから。
「水曜どうでしょう」にしてもそうです。
あの番組のロケにも失敗も成功もない。
どちらへ転んでもなんとでもなるのです。
それは、あの番組の構成員の醸す「場」の中に、
そもそも失敗したとという状況も成功したという状況も無いからです。どちらへ転ぼうと、そこにはあのメンツがいる。
あのメンツが「場」を醸し、作品を作っているのです。
なんにしても、思いつきの書きながらですから、
あまり御参考にはなりませんが、
でも、なにやら、そのような合点した感が、
今回のシンガポール漫遊にはあったような、
気がするのであります。
それでは諸君また明日!
この場で会おう!
本日も各自の持ち場で奮闘されたし!
解散!
(16:39 嬉野)