2010年3月19日(金)

嬉野

2010年3月19日(金)
奥さん、嬉野です。
さて、
大西洋・地中海産クロマグロの国際取引禁止案が、
否決されたそうで。
てっきり可決されるのかと思っていたら、
ずいぶんな大差で否決されてましたねぇ。
EUはこれに失望したそうで、
さらなる巻き返しを狙うのだとか。
そう言えば、
この頃は日本の調査捕鯨船に
過激な抗議行動をする外国人の団体があるそうで、
盛んにニュース報道されていましたが。
知能の高い哺乳動物である鯨を食べるなんてことは、
かの国の人たちにとっては野蛮なことなのでしょう。
でもねぇ、「白鯨」なんて小説があちらの国にはありますし。
巨大な白鯨モーヴィーディックを追っていたエイハブ船長の乗っていた船、
あれは確か捕鯨船じゃなかったか。
昔は、鯨から油をとって灯火の燃料にしていたそうです。
油だけとると、後のお肉は食べないので、
そのまま捨てていたそうでね。
そういえば、今NHKで「竜馬伝」やってますが、
ペリーが浦賀にやって来て日本に開国を求めた理由のひとつは、
日本の港をアメリカの捕鯨船の補給基地として使いたかったから、だったような気が、するのです。
だからまぁ、
こういう話はだいたい、
「そんなにおめぇ、鯨が気の毒だっていうならなら、
じゃぁ牛はどうよ。豚だって可哀想じゃないのよ。」
という理屈になる。
でもそういう理屈を言っても、
「牛も豚も美味いから」、
という答えになる。
「それじゃ答えになってねぇだろ!」
と言っても。
そっから先に理屈は通用しないから不毛な言い合いに堕するだけで。
ただただ関係が険悪になるばっかり。
でも確かにそうなのよ。
人間、誰しも自分のとこで普通に食べるものに関しては、
食べる事になんの疑問も湧かないけれど、
さっぱり食いなどしない哺乳類に対しては、
いつの間にやら人間視してしまうわけで、
でもこれは人情として無理からぬことだと思うのです。
オレだって、
うちのラッキーちゃんを食うなど言うやつが現れたら、
当然逆上しますから。
だから、そういう友人感覚になってしまった国では、
確かに血みどろで捕獲され刺身にされるのは気の毒に思え、
倒れそうになると思う。
だから、かの国のみなさんの良識もよく分かります。
だから、良識というのは、その程度のことで。
もちろん筋はそんなに通ってはいない。
食材によだれが出るのは、
いつだって自分とこの世間で普通に食ってるものに限ることであって、
反復してれば、その行為はいつの間にか脳みそに刷りこまれ、
正当化されて、
なんの抵抗もなく美味そうなものに見えるだけであって。
犬猫を食いますかと言われれば、
やめてくれ!と言うわけで。
食べさせる店があると聞けば、
仰天して抗議行動もするでしょう。
しますよ。
「うちの国では4千年前から犬猫は食材です、これはわが国固有の文化です」、
たとえそう言われたとしても、
「頼むからやめてくれ!」
と泣きそうになる。
どこかの国では犬を食べるそうで、
昔テレビで見ましたよ。
ワン公が、食材として、針金で後ろ手に縛られて、
市場でカゴに入れられていたのを見たらさぁ、
確かに胸が痛んでしまったもの。
今でも思い出したら気が萎える。
だから、人も哺乳動物だし、当然、親戚みたいなものだから、
どうしたって習慣の違いでもって、
感情の食い違いは起きてしまうのよ。
いつも、食べたいものは食べたいの。
だから、どの国のどなたも、
牛や豚が気の毒だからとは思っても、
いつも食べてる限り、
じゃぁ思い切って、食うのはやめましょうとは言わないわけで。
だからもとより、こういう話は理屈じゃない。
そういうことでしょう。
理屈じゃないんだから、
お前の理屈は自分勝手だ!と言い返したら、
ケンカになるだけで。
だから思うんだけど。
「人は、なんだか自分の主張を通したい時がある」、
ということなんじゃないの?
「オレの話を聞け!」
「オレはこう思うんだ!」
「だからこうしたい!」
「だからお前は言う事に従え!」
「事態は実にハッキリしてる!」
とにかく自分を通したいんだから、
別に、通すのは「自分の主張」じゃなくても好いわけで。
そんな時、盛んにあるテーマを主張している人や学者がいれば、
その主張を借りて、主張する。
とにかく、通したいのがテーマだから、
通せそうな理由であれば、とくになんでも好い。
そうやって偉いのは誰だと思ってるんだ!
というけん制をね、
やっとかないと、
リーダーとしては、
しめしがつかない、ということでないのかしら。
だから、日本は世界のリーダーじゃないから、
歴史上、一遍だってリーダーじゃないから、
いつもなんかの折には言われるのよ。
言わせないためには、リーダーになるしかないけれど、
なれないでしょう。
オレはなれない。
そんな責任引き受けられない。
だから、一方的と思える抗議を受けてばっかりじゃいかんぞ、
男らしく毅然とした態度でやり返せ!
というわけでも無いだろうと、思うのです。
でも、もしも、
毅然とした態度でやり返すのなら、
その時は、そこには理想がなければならないのでわ?
この日本という国が、
どのような国でありたいか、
世界のために、どのような国でありたいか、
そういう、理想が持つ必要がありはしないか。
それを聞いて、
世界の人も、
それは確かに言われる通りだね、
と思ってしまうような。
そんな理想が。
70年近く前、
「だったら!世界を相手に戦争してやる!」
と、
日本が開戦に踏み切ったのも、
いろんな国から、一方的な要求を受けていたからだったような気がする。
ということは、
目立ってたら言われる国なんじゃない?日本は?
だってリーダーじゃないから。日本は。
だから聞かされるのは全部リーダの都合。
それはもう宿命みたいなものじゃないのかしら。
70年前のあの時は、
すっぱりと、けつをまくって世界を相手に啖呵を切ったわけで。
それは毅然とした態度を見せたて立派だったかもしれないけれど。
結果として、大変な目に遭ったわけで。
その時の不幸はもう取り返しがつかない。
意地悪されて、
ケンカをふっかけられた気がしてしまって、
立ち向かうだけで好いのは、
子供のときだけじゃないだろうか。
勝手にケンカを売られたと感じて、
「お前の要求だけ通そうとするなよ!」
と、反撃に出ても、
そこに理想が用意されていなかったら、
ダメなような気がする。
理想がないと、結局、世間は味方になってはくれないから。
70年前、あんまり一方的に言われて、
日本人もいい加減頭に来て、
じゃぁ分かった!ってんで、開戦に踏み切って、
そらぁ毅然とした態度で臨んだんだけど、
理想というものを持っていなかったから、
理想のために啖呵をきったわけではなかったから、
悔しかっただけで啖呵を切ってしまったから、
結局、味方になりますよという国が現れず、
世界から孤立して、
戦争にも負けてしまった。
それを、ぼくらの上の世代は、
身をもって体験してしまったわけだからと、
ぼくは思うよ。
理想を持つこと。
もちろんそれは、途方も無いことのように思えるから。
ぼくらには、無理なのかもしれないけど。
でも、日本という国に生きる以上、
毅然とした態度に出るためにも、
世界の人に「そうだねぇ」と思わせるような理想を持つことは、
間違いなく必要なことなのだと思います。
何ものにも先んじてね。
大事なのは、きっと、
他人を巻き込むことなんじゃなかろうか。
日本人のぼくらが、
いつも頭の隅に置いておかねばならないのは、
多分それのような気がするのです。
そのために、理想は必要なはずなのです。
こういうことを、大言壮語と言いますが、
所詮、言ってるのは、嬉野さんですから、
戯言とお受けになり、適当にお聞き流しのほどを。
ではまた来週。
この週末は連休だから、週明けは火曜日からだね。
それでは奥さん、
この連休もなんとか乗り切って、
またお集まりください。
解散。
【お知らせ!】
DVD第13弾のローソン・ロッピー端末での2回目の予約も上限数に達してしまったため受付終了となりました。
残るは3月24日からの道内HTBグッズ販売店での店頭販売、及びHTBオンラインショップでの通販となります。
(15:41 嬉野)