2008年9月21日(日)
2008年9月21日(日)
嬉野です。
お腹がいっぱいです。
今日はめがね屋へ行って、
その帰りに、とんかつを食べました。
美味しいね。
で、お腹いっぱいです。
ちょいと前にね、
さる人の情報で、
長年探していた味のとんかつ屋に行き着いて、
以来、嬉野さんのとんかつ人生は至極満足でありますよ。
衣の薄い、
ラードでじっくり揚げたとんかつなの。
パン粉がサクサク言うほどまぶされて、
じゅうじゅう揚げられたとんかつはね、
油を吸いすぎていて、私の胃がもたれますね。
わたしも、そう若くは無いの。
だから、そんなものを食っていては胃ももたれるのです。
でも、そこのとんかつは衣が薄くてね、
カリリとした歯ざわりでね、
口の中で肉の繊維がぷつぷつと切れていくような感触がたまらないの。
幸せね。
お腹減ってる時に好きに美味しいもの食べられるって。
で、お腹いっぱいなものだから、
この胃の中にとんかつ全部入ったなという気持ちです。
でも、この胃がね。
元気に消化してくれるから。
美味しいと思っていられる。
そういうことよね。
胃のことなんか普段は考えることも無かったけど、
さっき、お腹減らして美味しいとんかつ食べて胃が膨れたもんだから、そう言えばそうだなぁと、あらためて考えたよ。
この胃が勝手に働いてくれているから、
あれが美味いこれが美味いと、お気楽でいられるんだよなぁと、みょうに胃に感謝してしまった私です。
だって、
どうしてこの胃が勝手に働いてくれているのかなんて、
そんなこと私には分からない。
だったら、いつまでこいつが元気なままに働いてくれるのか、
そのことだって、ひとつも分からないままだものね。
だからこいつが働いてくれるあいだ、
私はご飯が美味しく食べられる。
けど、寿命というものが人にはあるから、
こいつも働けなくなる時も来るよね。
そん時は、こいつに今までありがとうと感謝して、
人生を終わるということだろうか。
でも、そん時、
こいつにありがとうと、素直に言えるかどうか、
その自信は無いね。
でも、こいつのことを、
友達のように毎日気遣って暮らしていたら、
そしたら、ひょっとして、
こいつにも親近感が湧いてきて、
身内のようにこいつの身の上も心配になってくるかもしれない。
したら毎日毎日文句も言わず働いてくれるこいつに感謝して、
こいつがダメになった時、
ご苦労さんだったなと、思えるのかもしれない。
思えるかな。
いや、思えたら好いな。
だって、
文句も言わず働いてくれているなんて思ったら、
泣かせるよねぇ。
あなたにも私にもちゃんと付いてる物なのよね。
内臓も友達だと思えば案外楽しいかもしれないよ。
当たり前すぎると、そいつの存在を忘れる。
そういうのを油断というのだよね。
だから、たまに思い出しても罰は当たらないよね。
美味しいものを好きに食べられる時代が、
あとどれだけ続くかだって、この頃は分からない。
だから食べるという行為を、
大切にしとくほうが、
きっと後悔はしない。
だって終わってしまったり、変わってしまったり、
するんだもの。全てはさ。
ねぇ。
そん時は、その中で、また頑張るしかないよねぇ。
なんだか、本日はこんな日記です。
またね。
解散。
(21:21
嬉野)