10月9日火曜日、藤村でございます。
札幌は一気に秋の気配が濃厚となってまいりました。
朝の散歩も寒いですよもう。
10月。テレビの世界では改変期。
新番組のスタートにはずみをつけよう、ウチの局は面白いことやりますよー!と、2時間3時間の大型スペシャル番組でアピールすることしきりのテレビ各局であります。
好きでしたね、この華やかなスペシャル番組が。昔は。
今は、あんまり見なくなりました。騒々しくて。テレビ好きなのに。
そんな中で楽しみにしていたのが、とんねるずさんの「細かすぎて伝わらないものまね」。
たとえおもしろくない素材(ネタ)でも、編集(=落とすタイミング)によっておもしろくしてしまう。
あの場合、「床が割れて下に落とす」という実際の行為をスタジオでやるわけですから、「編集」という言葉は当てはまりませんが、実はあれこそが「編集の真髄」なのであります。
編集は単純に言えば、2つの行為によって成り立ちます。
素材を切る、つなげる。
そのうちの「切る」という行為は、単に「簡略化する」のではありません。
例えば2時間のトーク。長い。そのトークを5分に編集する。
どこを切ってどこを使うか。
これは単に短くするという機械的な行為ではなく、「選択する」「抽出する」「クローズアップする」という編集者による感覚的な行為であります。
この感覚によって、実際は誰も聞いていない2時間のトークが、「おもしろかった!」という印象にも、「つまらなかった」という印象にもなる。
「細かすぎて伝わらないものまね」。これは本来、「誰にも理解できないものまね」であります。
理解できないから、ネタの途中でスパッと切る。途中で切ることによって、客は、ネタの中身ではなく、「わかんねぇよ!」という外部の意思表示を笑うことができる。途中で切られてなおさら理解できないことが、逆に奥深さを生んだりもする。また、「もっと見たかった」という欲求をも生む。
意思を持って切る。これによって、つまらない小ネタであっても大きな意味を持つ。
簡略化ではなく、編集者の意思を加えて物事をクローズアップする。
編集の真髄であります。
とはいえ、「細かすぎて?」は、だいたい「長くできないが、短かったらおもしろい」ネタの集合体でありますから、編集者というより、演者の「ここで切ってくれ」という意思が大きく働いているんでありましょうな。
で、今回の優勝は、アップダウンの阿部さん。札幌吉本出身。タカ&トシとともに、札幌から東京へと旅立っていった芸人さんであります。
関西の押しの強い芸人さん。ひな壇でにぎやかな関東の芸人さん。そんな中で、あんまり前へ出られない、北海道の人の良さそうな芸人さんが、もしかしたら求められているのかもしれないと、騒々しいスペシャル番組を見ながら、思ったりもするのであります。
よしよし、じゃあまた明日。
(19:42 藤村)
10月9日火曜日、藤村でございます。
2007年10月4日(木)
2007年10月4日(木)
札幌地方、昨日に続き、本日も午後に物凄い雨が降りまして、
雨上がりに、大きなきれいな虹が空にかかっておりましたよ。
嬉野でございます。
みなさま、御機嫌如何でございましょうか。
そして、新潟三越さんの物産展会場へ起こしの皆様方、いかがでございましょうか。
実は、あさって10月6日から8日までの土・日・月の3日間。
美術ビジービーの浜田社長が新潟三越会場へ顔を出させていただきます。
今回物産展会場に並べております「朗らか書体のCD」を、お買い上げの皆様に「一筆入魂」させていただきたいというのが趣旨でございます。
なにぶんビジービー商品が物産展に並びますのは今回が初めて。
社長の意気込みを受けていただければ幸いと存じます。
ということでね、本日もダラダラ話でございます。
昨日、うちの奥さんが旅から戻りまして、さっそく写真の整理を始めましたね。
2700枚も撮ってきたと申しておりました。
えらいものでございます。
うちの奥さん、フィルムカメラの頃は、なかなかシャッターを押せなかったのに、デジカメではパシパシシャッターを切っている様子。
銀塩と付き合う、デジタルと付き合う。
双方のシステムの間にはものすごい人格の差があるのでしょうか。
ひょっとすると銀塩さんはわりと無口なんでしょうかね。
「これ、撮っておこうかな。この構図で。どうだろ。どうだろ」
銀塩さんは、ひと言も答えてくれません。
「撮るかな?とりあえず。好い写真になるかな?パシャ」
銀塩さんは終始無言ですね。
で、旅から帰って来て、写真屋さんへ持って行ってね、翌日辺りにようやく答えてくれる。
『あんまし良くないっスよ』みたいなね。
今更言われてもなぁ、という後戻りの出来ない段階で、あっさり否定されちゃう。
言われてこっちは、
「なんだよ?こんな風に写っちゃうのかよ?」
と、出来上がった写真を見ながらガッカリするばかり。
で、現像料金どっさり、みたいなね。
そこへいくとデジタル君はおしゃべりなんでしょうな。
「これどうかな。これ撮っておくかな?」
『はいはい。これをお撮りになりますとこういうふうに写りますぜ、旦那』
「あぁ、こういう風に写る。ほぉほぉわりと好いネェ、じゃ撮るか。パシャ」
みたいなね。ことなんでしょうか。分かりませんが。
とにかく撮影量が段違いで増えましたから、やっぱりなんか気安い気安くないがあるんでしょうね。
道具とそれを使う人。相性というのは双方に性質にあるのだと思いますね。道具というのは、そういうものでしょうからね。
道具と言えば奥さん、「歯ブラシ」というやつ。
あれはかなり重宝いたしますね、お掃除に。
なんでしょう、窓サッシのね。
あそこのレールの部分なんか放っておくと、どろどろに汚れませんか奥さん。
とにかく窓を開けておくと風と一緒に入ってくるのか砂ボコリで、あれでもって部屋のいたるところがザラザラになりますでしょう。札幌なんかはそうなんですよ。
そんな感じですからね、そこへ雨が振り込んだりしますと泥みたいになりましてね、知らずに放っておくとオゾマシイ事態になっておりまして、もう手を加えるのも憚られるみたいなありまさまで、そこへカビなんかはえますともう最低。
それでもって寒冷地は二重窓でございますから最低の面積が倍増するわけですよ。
わかります?
そういう最低という状態に我が家の窓サッシは全てなっておったのでございますよ奥さん、お立会い!
ところがね、そういう状態になっていても、見慣れるというのは怖いものでね。見て見ぬ振りというのが人間は出来るのですね。
気にはなるが、気にしないみたいなことをするわけです。
そうしたところへこの夏。うちの家内が旅へ出まして。
8月20日から出かけましたからあなた、
昨日でかれこれ一月半の留守。
でもって9月の3連休ですよ奥さん。
これが二週続けてあったでしょう。
もうね、掃除に明け暮れましたね、わたしゃ。
ここでね、歯ブラシの登場→大活躍→私は大満足。
という展開でしてね奥さん。
とにかく、あやつは細かい所にもどしどし入っていきますから、汚れが取れる取れる。
泥汚れ、カビ、もうね、ごしごしすると隙間から真っ黒な汚れが出てきて一網打尽!
タイミングよく、捨てようと思っていた下着もたくさんありましたからボロ布にも事欠かず、汚れをどんどこ拭き取れたわけであります。
これが奥さん、拭き取りますと驚きの白さでね。いやぁ気持ちが好い。どんどん綺麗になるのです。
ところがですね。
いえね。最初はほんの出来心だったんですよ。
そんな連休いっぱいかけて掃除するつもりなんかありませんでしたよ正直言って。
ところがですね。
この歯ブラシとボロ布という道具の充実と、その道具の量の充実でもって、思いつきだった掃除が思いの外の快進撃を続けまして、で、仕上がりの美しさも予想外で、やればやるほど問題ヵ所が増えてくる。
いやようするにね、気にしてなかったはずなのに、一ヵ所掃除して綺麗になってしまうと、掃除してないところの汚さを無視できなくなってしまったのでありますよ。
なるほどなぁと私感心いたしましてね。
と言いますのもね、問題というものは、気にしないでおけばいつまでも問題とも思えず気にならないけれど、一旦、自らの手で介入し、で、介入することで問題が解決し始めると、介入して解決した部分と手付かずのままの部分との差違が際立ってね、いままであれほど気にしなかったのに、すべてが問題視されてきて、そこも掃除せねば!あそこも掃除せねば!と問題がどんどん立ち現れてくる、当方もこれにどんどん立ち向かっていくわけです。
これで掃除が止められなくなってしまったのであります。
なもんでね、これを連休中毎日やっておりましてね、サッシは全てピカピカ。
台所周りも、風呂場も、風呂場の天井のカビも、もう開けても暮れても歯ブラシ片手に磨き上げましてね、私、妙な充実感を覚えてしまいまして、すっかり嬉しくなってしまいましたですね。
掃除に追われて、自分のやりたい事が出来ないという状態は嫌なものですが、自らその気になって掃除してる分には、家事というのは好いものでありますよ。
案外、仕事ばかりでなく、やらなきゃいけない家事に追われてね、やりたい事をやりたいなぁと、思うくらいの方が、人間の精神衛生には好いのかも知れませんな。
テスト勉強しなきゃならない時に限って、あれもやりたい、これもやりたいと思ってしまったような懐かしい気が甦りますたね。
ま、それだけのことでして、大した話じゃありませんでしたよ。
あ!それと奥さん。
明日は我々またすても出張で留守をいたしますが、どうぞ気を確かに持たれまして週明けまでお過ごしくださいませよ。
じゃ!解散!
(17:50 嬉野)
10月3日水曜日。藤村でございます。
10月3日水曜日。藤村でございます。
昨日より新潟三越さんにおきましてにぎにぎしく開催されておりますところの物産展「北海道大収穫祭」に、北海道名物HTBショップが出店いたしております。
昨日は名古屋から出撃したバカものが前夜12時から並んだのを先頭に、開店までにおよそ200人の行列。
本日も50人ほどがお並びになったとのこと。誠にもってありがたき幸せ。
しかしながら昼を過ぎますれば人もまばら。意気込んで出陣した店長も、もみ手で客にすり寄ってセールスに勤しんでおるとのこと。
新潟のみなさまにおかれましては、並ぶことなく会場に入れますので、どうぞ遠慮なくお越し下さい、いや来て下さいと、店長が申しております。
北海道のテレビ局員が新潟に出張して物産展で物を売っている。なかなか見られる光景じゃありません。
新グッズ、普段使いにもちゃんと着れる「どうジャー」。私もすでに愛用しております。いいものであります。ただ、少しお高い。購入は財布の中身とよく相談してと。欲張ってはいけませんと。新潟のみなさんは、いろいろたいへんだったんだから。ね、店長。
「北海道大収穫祭」、会期は来週月曜日8日まででございます。
さて、私は次回DVD第10弾の作業を進めております。
記念すべき10本目ということで、いくつかスペシャルなことを考えております。その作業にもずいぶん前から着手し、ようやく今カタチになろうとしております。そのうち、小出しにお話しいたします。
DVD第9弾の方はみなさま、ひととおり見終わって、あとは「シークレット映像」といったところでありましょうか。
ヒント出しておきましょう。
DISC1です。メニュー画面です。ボタン押します。
ある画面が出てきます。あとは運次第。
ではみなさん、また明日!
(19:13 藤村)
2007年10月2日(火)
2007年10月2日(火)
はい、こんちわ。
嬉野でありますよ。
TOPのどうでしょう寺も秋の紅葉に燃えておりますよ。
美しいですね。
さて、本日から新潟三越さんで北海道物産展が始まっております。
楽しんでいただけておりましたら嬉しいですネェ。
ということで、本日のダラダラ話。
江戸っ子の代表的な信条のひとつに、
「江戸っ子は宵越しの銭は持たねぇ」というセリフがありますな。
江戸っ子は気風が好いですから、今日稼いで得た金は今日のうちにきれいに使いきってしまうわけです。間違っても稼いだ金が夜を越して翌日になっても手元に残るようなことはない。そんなことしてたらおめぇ金が貯まっちまうだろうというわけです。
そんな奴は江戸っ子じゃねぇぜ、というわけです。
お金を貯めちゃいけないんですね江戸っ子の人は。
つまり貯金をしないんです。
あたりめぇだろう。貯金?なんだよそれは。気持ち悪いなぁ、です。
だっておめぇ酒も飲まずに遊ばずに、ちまちま金を蓄えているだけの奴がいたら不気味だろうと言わんばかりのセリフなのだと思います。
そういえば、守銭奴という言葉はこの頃死語ですな。金の亡者というのも死語です。
どうしてかしら。使いどころがありすぎるからでしょうか、わかりませんが。
でまぁ、だったら江戸っ子の人は貯金もせずに毎日買い物に日銭を使っていたのだろうかというと、そらまぁ買い物ではなかったような気がしますね。ブランド品や家電品をやたら買って宵越しの銭を残さねぇと啖呵切ってる江戸っ子というのはあまり想像できないし、尊敬も出来ないですものね。
おそらく美味い物を食う。美味い酒を呑む。仲間と連れ立って花見に興じる。好い女と酒を酌み交わす。博打をする。そういうふうに、なんだか、主にパァッと遊んで楽しむだけのことに金を使ってしまっていたのじゃないでしょうか。
それが江戸っ子の綺麗なお金の使い方。
おそらく江戸っ子の人のお宅には、布団くらいしか無かったんじゃないでしょうか。
わかりませんが。
とにかく、「どうして金を蓄える必要があるんだよ」というのが、江戸っ子の人の考え方なんでしょうな。明日の生活費は、また明日稼げば好いだろうがよ、という安易な生活態度が江戸っ子です。
しかしそこには、腕に職を持つ職人さんは、今日の稼ぎをすっかり使い切っても、明日また現場へ出かけて一日仕事をすれば必ず日銭をもらえるという、まずその安心感が社会にあったから言えたセリフなのだと思うのです。
もちろんそこには自分の腕一本で食べていく職人の自負心もあるのでしょうな。
要するに腕に覚えのある職人としてのプライドですよ。
だって自分の腕が見込まれていて、世間が自分を必要としている。そして仕事は毎日ある。だから稼ぎをみんな使い切ってもまた明日、自分が仕事をしさえすれば金は入る。困る事はないんだ。だからそんな自分が宵越しの金を残す必要がどこにあるだろうか、いや、ない、という自信ですね。
そして事実、この言葉がカッコ好いセリフとして世間に広く受け入れられたということは、このような安易な生活態度は誰でもが出来る芸当ではなく腕に覚えのある職人だけに許された特権だった、ということになるのでしょうかな。
そして、他人に養われているのでなく、自分の腕で稼いでいるんだという自立した江戸っ子のイメージに世間のみなさんも憧れた。
あぁ、オレもあぁいう男になりたい。
昔、時代考証家の方が、テレビで言っておられたのを聞いたことがあります。
江戸時代というのは、みんなそんなにあくせく働くようなことはどうもしなかったようだと。そうすると周りがそんな人ばかりですから、ちょっとでも計画的な頭で人生設計をすれば、つまり目標を具体的に持って、そして「働いてはせっせと蓄えて」を3年ばかり続けていれば、誰でも割りと簡単に小さな個人商店くらいは構えられる資金は貯められたそうなのですな。でもそういう人はあまりいなかった。
ようするに真面目に仕事しない人が多いから競争相手が少なかったということでしょうか。
落語の裏長屋に住んでる大工の熊さんやら言う人は、そもそもそんなに働いているような気配が感じられません。きっと彼だって毎日毎日きちんきちんと働いてたら、かなり立派な暮らしが出来たんじゃないでしょうか。それをしないからいつまでも裏長屋に住まなければならなかった。
そこには、ひょっとすると、それで好いじゃねぇか、働くのなんか面倒くさいよという意識が働いている。でもニートではなかった。熊さんはニーとではなかったわけでね。そのへんが今と違います。
とにかく好い年をした大人が割りとプラプラしてる。ある日これでは家族が食べていけないということになって初めて、おかみさんが大家さんとか頭領とかいう人のところへ相談に行って意見してもらう。
説教ですね。それで熊さんも、改心して働き出す。
で、やる気になれば、かなりまともな生活ができた時代だったのだと思いますから、いつからだってやり直しが出来た社会だったのだと思います。好いですねそういう社会。
やる気にさえなれば社会が受け入れてくれる。困っても、誰かに相談すれば、割りと簡単に解決策が見つかる。要するに楽天的になれる社会だったんでしょう。
社会がそんなに楽天的な社会ですから「江戸っ子」と言われるような人種を育て上げる事が出来たのではないでしょうか。
それにね、お芝居とか、落語の人情話とかには、忠義一本やりの生真面目な手代さんとかが出てきますね。この人は、勤勉で正直で小心で心根が優しい。こういう性格の人にも江戸の人は割りとスポットライトを当てる。こういう生真面目な仕事振りをする人にも、江戸の人は共感を寄せている。こういう人は大体、悲劇を背負って物語に登場しても、最後に幸せになりますからね。大事にされているわけです。ということはね、こういうタイプの人もあまり世間にいなかったのかもしれないですな。そのこともやっぱりプラプラしてる人が多かったという裏づけになるような気がね、するわけですよ。
みんなが、ある程度慢性的に貧乏だから、貧乏がそれほど苦にならない。
みんなが、それなりに悲惨な生活をしているから、悲惨がそれほど悲惨に見えてこない。
で、ますますあせることが無いからますますプラプラしてる奴が多い。
なかなか結婚しない人ばかりの環境にいると、結婚に焦るということがないのと同じですな。
でもね奥さん。だったら平成の日本人は、お金持ちになる事だけを第一に考えますけど、江戸時代の人は、何を第一に考えたんでしょうねぇ。
「あぁ、好い心持だ」というセリフを落語とかで聞くことが多いですね。
彼は酔っているわけです、しかしヘベレケに酔ってはいない。ちょっとだけ酒が入ってる。で、気持ちが嬉しくなっている。それでうちへ帰るのか、またぞろどこかへ遊びに行くのか、とにかく夜道を歩いている。そこへ柔らかい春の夜風が吹いてくる。気分が好い上に気分が好い。その幸福感の中で「あぁ、好い心持だ」という言葉が自然と出てくる。
昼日中の明るいうちから茶屋の二階に上がって酒を呑んでいる。どれほどの部屋の広さかは知れないけれど、おそらくほんの小さな部屋だったろう。でもちょっとした高台にある店だったら二階の窓からでも高層ビルのなかった江戸の町は一望に見渡せたかもしれないし、江戸湾までも見えたかもしれない。清々する見晴らしだ。表通りから少しでも入っていれば町の喧騒も遠くに聞こえる。そばでは馴染みの女が三味線を引いてくれている。男はまたまた気分が好くなって来る。そして端唄や小唄を歌いだす。
「あぁ好い心持だ」
こう考えていくと、もちろん単なる嬉野というバカの思いつきですが、江戸の人が金で買っていたのは時間だったような気がしてくるのです。
ゆったりと流れる幸福感に包まれた時間。そんな時間を過ごすために江戸っ子は、金を使っていたのではないでしょうか。
それも激しく気分が好いではなくて、ほんのちょいと気分が好い程度。そしてそのほんのりとした幸福感の中で時を過ごすことを無上の喜びとしていたのではないでしょうか。
そこが時間を売って金を稼いでいる感の強い、我々現代人と大きく違うところのような気が不意にしたわけです。思い付きです。お笑いください。
いったい江戸時代というのは、どんな社会だったのだろうというのがこの頃気になります。
どう考えても、今の社会にタイムマシンで江戸っ子を呼んできても、「宵越しの銭は持たねぇ」なんてなセリフは言えないような気がするわけです。
そんな呑気を保証してくれる社会ではないですからね。
やっぱり人柄は、社会が作るんでしょうな。
じゃぁその社会というものは、一体、誰が作ってるんでしょうか。
そのあたりが、ぼくにはよく分からないのです。
まぁ江戸時代も、そんなにのんきなばかりの社会ではなかったとは思いますが、それでも、悲惨をそれほど悲惨と受け取らずに済んだ社会ではあったような気がするのであります。
いろんな意味で。
いやぁ、また長々とたいして為にもならない事を書き連ねてしましましたよ奥さん。
お気を悪くされませんように、また明日もお越しくださいませ。
じゃまた明日。
解散!
(15:36 嬉野)
2007年10月1日(月)
2007年10月1日(月)
10月になりましたね。
みなさんお元気でありましょうか。
BBS祭りで徹夜をして以来、自堕落な生活をしております嬉野でございます。
どうにも夜更かしというのはいけませんね。
した後の生活態度が堕落します。
気をつけないといけません。
さて、先程、グッズ店長石坂が新潟へ向け出発いたしました。
明日から10月8日まで、三越新潟店7階催物会場で行なわれます「第30回北海道大収穫祭」へ、我がHTBグッズショップを出店いたしますためでございます。
幸いにも明日から新潟市内は、お天気もよろしいようでございます。ぜひ、お時間のある方は会場まで足をお運びいただき、汗っかきの店長を激励して下さいますようお願いいたします。
そして明日は、我がHTBの女子アナ、佐藤麻美も会場に登場するとのことでございますので、あわせて激励してやってくださいませ。食べる事が大好きな立派な女でございます。
なお、詳細はHTBのホームページで店長が運営しております「夢見る工房」を熟読くださいませ。曜日によりまして、終了時刻が若干、異なるようでございますよ。
さて奥さん、札幌は秋深く。
少しずつ、白い冬が偲び寄って来そうなムードでございますよ。
秋の北海道も好ござんすよ。
ぜひ、お出かけくださいまし。
もうすぐ紅葉も始まるのではないでしょうか。
紅葉はやはり北国のものでございますよ奥さん。
まっ青に澄んだ空を背景に、小高い山々が赤や黄色に燃えるのであります。うっとりでございます。
何処からとも無く木枯らしが吹き、川面に向けて黄色い葉がひらひらと散りますと、舞い散る葉が西日に映えて、まるで金貨のようにキラキラ光ながら落ちていく光景は、実に美しいですね。
そういう光景が、今年も、もうすぐ見れるのでありましょうか。
それではみなさん、本日も元気に乗り切ってくださいませ。
そしてまた明日、お会いいたしましょう。
それまで、そこそこお元気に。
追伸。
今回、御開帳はございません。
手配を忘れました。
まことに申し訳ございません。
訳ござ申しいません!
許して!
(18:03 嬉野)