2007年10月2日(火)

嬉野

2007年10月2日(火)
はい、こんちわ。
嬉野でありますよ。
TOPのどうでしょう寺も秋の紅葉に燃えておりますよ。
美しいですね。
さて、本日から新潟三越さんで北海道物産展が始まっております。
楽しんでいただけておりましたら嬉しいですネェ。
ということで、本日のダラダラ話。
江戸っ子の代表的な信条のひとつに、
「江戸っ子は宵越しの銭は持たねぇ」というセリフがありますな。
江戸っ子は気風が好いですから、今日稼いで得た金は今日のうちにきれいに使いきってしまうわけです。間違っても稼いだ金が夜を越して翌日になっても手元に残るようなことはない。そんなことしてたらおめぇ金が貯まっちまうだろうというわけです。
そんな奴は江戸っ子じゃねぇぜ、というわけです。
お金を貯めちゃいけないんですね江戸っ子の人は。
つまり貯金をしないんです。
あたりめぇだろう。貯金?なんだよそれは。気持ち悪いなぁ、です。
だっておめぇ酒も飲まずに遊ばずに、ちまちま金を蓄えているだけの奴がいたら不気味だろうと言わんばかりのセリフなのだと思います。
そういえば、守銭奴という言葉はこの頃死語ですな。金の亡者というのも死語です。
どうしてかしら。使いどころがありすぎるからでしょうか、わかりませんが。
でまぁ、だったら江戸っ子の人は貯金もせずに毎日買い物に日銭を使っていたのだろうかというと、そらまぁ買い物ではなかったような気がしますね。ブランド品や家電品をやたら買って宵越しの銭を残さねぇと啖呵切ってる江戸っ子というのはあまり想像できないし、尊敬も出来ないですものね。
おそらく美味い物を食う。美味い酒を呑む。仲間と連れ立って花見に興じる。好い女と酒を酌み交わす。博打をする。そういうふうに、なんだか、主にパァッと遊んで楽しむだけのことに金を使ってしまっていたのじゃないでしょうか。
それが江戸っ子の綺麗なお金の使い方。
おそらく江戸っ子の人のお宅には、布団くらいしか無かったんじゃないでしょうか。
わかりませんが。
とにかく、「どうして金を蓄える必要があるんだよ」というのが、江戸っ子の人の考え方なんでしょうな。明日の生活費は、また明日稼げば好いだろうがよ、という安易な生活態度が江戸っ子です。
しかしそこには、腕に職を持つ職人さんは、今日の稼ぎをすっかり使い切っても、明日また現場へ出かけて一日仕事をすれば必ず日銭をもらえるという、まずその安心感が社会にあったから言えたセリフなのだと思うのです。
もちろんそこには自分の腕一本で食べていく職人の自負心もあるのでしょうな。
要するに腕に覚えのある職人としてのプライドですよ。
だって自分の腕が見込まれていて、世間が自分を必要としている。そして仕事は毎日ある。だから稼ぎをみんな使い切ってもまた明日、自分が仕事をしさえすれば金は入る。困る事はないんだ。だからそんな自分が宵越しの金を残す必要がどこにあるだろうか、いや、ない、という自信ですね。
そして事実、この言葉がカッコ好いセリフとして世間に広く受け入れられたということは、このような安易な生活態度は誰でもが出来る芸当ではなく腕に覚えのある職人だけに許された特権だった、ということになるのでしょうかな。
そして、他人に養われているのでなく、自分の腕で稼いでいるんだという自立した江戸っ子のイメージに世間のみなさんも憧れた。
あぁ、オレもあぁいう男になりたい。
昔、時代考証家の方が、テレビで言っておられたのを聞いたことがあります。
江戸時代というのは、みんなそんなにあくせく働くようなことはどうもしなかったようだと。そうすると周りがそんな人ばかりですから、ちょっとでも計画的な頭で人生設計をすれば、つまり目標を具体的に持って、そして「働いてはせっせと蓄えて」を3年ばかり続けていれば、誰でも割りと簡単に小さな個人商店くらいは構えられる資金は貯められたそうなのですな。でもそういう人はあまりいなかった。
ようするに真面目に仕事しない人が多いから競争相手が少なかったということでしょうか。
落語の裏長屋に住んでる大工の熊さんやら言う人は、そもそもそんなに働いているような気配が感じられません。きっと彼だって毎日毎日きちんきちんと働いてたら、かなり立派な暮らしが出来たんじゃないでしょうか。それをしないからいつまでも裏長屋に住まなければならなかった。
そこには、ひょっとすると、それで好いじゃねぇか、働くのなんか面倒くさいよという意識が働いている。でもニートではなかった。熊さんはニーとではなかったわけでね。そのへんが今と違います。
とにかく好い年をした大人が割りとプラプラしてる。ある日これでは家族が食べていけないということになって初めて、おかみさんが大家さんとか頭領とかいう人のところへ相談に行って意見してもらう。
説教ですね。それで熊さんも、改心して働き出す。
で、やる気になれば、かなりまともな生活ができた時代だったのだと思いますから、いつからだってやり直しが出来た社会だったのだと思います。好いですねそういう社会。
やる気にさえなれば社会が受け入れてくれる。困っても、誰かに相談すれば、割りと簡単に解決策が見つかる。要するに楽天的になれる社会だったんでしょう。
社会がそんなに楽天的な社会ですから「江戸っ子」と言われるような人種を育て上げる事が出来たのではないでしょうか。
それにね、お芝居とか、落語の人情話とかには、忠義一本やりの生真面目な手代さんとかが出てきますね。この人は、勤勉で正直で小心で心根が優しい。こういう性格の人にも江戸の人は割りとスポットライトを当てる。こういう生真面目な仕事振りをする人にも、江戸の人は共感を寄せている。こういう人は大体、悲劇を背負って物語に登場しても、最後に幸せになりますからね。大事にされているわけです。ということはね、こういうタイプの人もあまり世間にいなかったのかもしれないですな。そのこともやっぱりプラプラしてる人が多かったという裏づけになるような気がね、するわけですよ。
みんなが、ある程度慢性的に貧乏だから、貧乏がそれほど苦にならない。
みんなが、それなりに悲惨な生活をしているから、悲惨がそれほど悲惨に見えてこない。
で、ますますあせることが無いからますますプラプラしてる奴が多い。
なかなか結婚しない人ばかりの環境にいると、結婚に焦るということがないのと同じですな。
でもね奥さん。だったら平成の日本人は、お金持ちになる事だけを第一に考えますけど、江戸時代の人は、何を第一に考えたんでしょうねぇ。
「あぁ、好い心持だ」というセリフを落語とかで聞くことが多いですね。
彼は酔っているわけです、しかしヘベレケに酔ってはいない。ちょっとだけ酒が入ってる。で、気持ちが嬉しくなっている。それでうちへ帰るのか、またぞろどこかへ遊びに行くのか、とにかく夜道を歩いている。そこへ柔らかい春の夜風が吹いてくる。気分が好い上に気分が好い。その幸福感の中で「あぁ、好い心持だ」という言葉が自然と出てくる。
昼日中の明るいうちから茶屋の二階に上がって酒を呑んでいる。どれほどの部屋の広さかは知れないけれど、おそらくほんの小さな部屋だったろう。でもちょっとした高台にある店だったら二階の窓からでも高層ビルのなかった江戸の町は一望に見渡せたかもしれないし、江戸湾までも見えたかもしれない。清々する見晴らしだ。表通りから少しでも入っていれば町の喧騒も遠くに聞こえる。そばでは馴染みの女が三味線を引いてくれている。男はまたまた気分が好くなって来る。そして端唄や小唄を歌いだす。
「あぁ好い心持だ」
こう考えていくと、もちろん単なる嬉野というバカの思いつきですが、江戸の人が金で買っていたのは時間だったような気がしてくるのです。
ゆったりと流れる幸福感に包まれた時間。そんな時間を過ごすために江戸っ子は、金を使っていたのではないでしょうか。
それも激しく気分が好いではなくて、ほんのちょいと気分が好い程度。そしてそのほんのりとした幸福感の中で時を過ごすことを無上の喜びとしていたのではないでしょうか。
そこが時間を売って金を稼いでいる感の強い、我々現代人と大きく違うところのような気が不意にしたわけです。思い付きです。お笑いください。
いったい江戸時代というのは、どんな社会だったのだろうというのがこの頃気になります。
どう考えても、今の社会にタイムマシンで江戸っ子を呼んできても、「宵越しの銭は持たねぇ」なんてなセリフは言えないような気がするわけです。
そんな呑気を保証してくれる社会ではないですからね。
やっぱり人柄は、社会が作るんでしょうな。
じゃぁその社会というものは、一体、誰が作ってるんでしょうか。
そのあたりが、ぼくにはよく分からないのです。
まぁ江戸時代も、そんなにのんきなばかりの社会ではなかったとは思いますが、それでも、悲惨をそれほど悲惨と受け取らずに済んだ社会ではあったような気がするのであります。
いろんな意味で。
いやぁ、また長々とたいして為にもならない事を書き連ねてしましましたよ奥さん。
お気を悪くされませんように、また明日もお越しくださいませ。
じゃまた明日。
解散!
(15:36 嬉野)