2006年10月31日火曜日
2006年10月31日火曜日
あぁ秋だねぇ。
なんかね、そうつぶやくだけでもホッとしますですね。
ですので、まず、ちょっとホッとさせていただいて。
はい。嬉野であります。
さて、世間には湯治宿というものがありまして。
とくに東北地方に多くあるそうで、
「好い所がいっぱいあるのよ」と、旅好きの妻が申すわけでありますよ。
「東北の湯治宿は好いわぁ」
妻は、去年の夏に東北を旅しまして、湯治宿を泊まり歩き、いや、正確には歩いているわけではなくてね、バイクで走ってるんですがね。いや、まぁいいか。
とにかく、いろいろと泊まるうちに湯治宿という環境が好きになったらしいですね。
で、湯治宿ですけどね。
自炊なんですよね、基本的に。
朝昼晩の御飯はね、自分でやんなきゃいけない。
なぜかといいますとね、ほら、温泉というのはね、本来、体の故障を治すためのものですから、そのためには連泊して長い時間かけて毎日温泉に浸かることになるわけです。
そうなりますと客にとっては、泊まり賃は安いほうがありがたいですな。
そこで、食事は全部、湯治客が自前でまかなうというシステムにいたしまして、その分、料金を極めてリーズナブルな価格に設定する、そうすることで湯治客のみなさんのご心配の種を無くするという、言うなれば湯治宿側の伝統的なサービスということになるわけですね。
湯治客は助かるわけです。
で、そのために湯治宿には湯治客のための炊事場があってね、鍋とか食器とか貸してくれるのね。便利ね。
そんな湯治宿の炊事場でね、去年の夏、妻は、初老の御夫婦のやりとりを、なんとなーく見ちゃったそうです。
そこがほれ、共同炊事場の共同たるゆえんでありますよ。
他人と交わる機会が多い。
その初老の御夫婦はね、晩御飯をつくろうと、そろって炊事場で調理をしてたんですね。
で、見ていると。
旦那さんの反応に、若干のボケが始まっているように見て取れたんだそうですね。
だから、きっとあの奥さんは、旦那さんのために、一緒に付き添って湯治に来ていたんじゃないかなぁと、妻は言うわけです。
ですからもちろん調理は奥さんがメインでね、旦那さんは、奥さんの指示で動かれるわけですね。
奥さんが、旦那さんに穏やかな声で言うんですって。
「あなた。器を用意してちょうだいね。」
「煮物を入れる器、どれだかわかる?」
「そうそう、それよ」
「ここに置いてくれる」
「ありがとう」
「じゃぁ、次は冷蔵庫からお魚出してくれる?」
根気良く優しく、奥さんは旦那さんに指示を出してね、旦那さんも奥さんの言うことを素直に聞いて、御夫婦の作業はゆっくりゆっくり進んでいったそうです。
でも、あまりにも根気がいるのでね、そばにいた同宿のおばさんが気の毒に思ってか、脇からそうっと声を掛けるのだそうですよ。
「あんたも大変ねぇ」って。
不意に他人様から、そんなねぎらいの言葉を受けてね、その奥さんは嬉しそうに笑って「でも、そんなことないんですよぉ」って楽しそうに応えていたそうですよ。
「でもね」。
妻は言うのです。
「あの奥さん、じっさい楽しいんだと思うのよ」
「だってね、想像してみてよ。あんな風になった旦那さんと二人っきりで自宅で過ごすことを考えたらさぁ、他人の中で、あぁして二人で調理をする方がどれだけ開放的で気が紛れることか。それに実際あの場でよ、よその人にも褒めてもらえたわけじゃない。あんたも大変だけど頑張ってるわねって。御主人幸せよねって。それが嬉しいのよ。そんな言葉をかけてもらえるのが嬉しいのよ」
なるほどなぁと、ぼくは思ったわけです。
家にいたら誰も褒めてくれない。
でも、他人の中で生活していると、そうやって褒めてくれたり気遣ってもらえることがある。
それがどれだけ生きていく上で張り合いになるか分からない。
そういうことは、絶対あるとぼくも思いました。
旅をしているといろんなものを見ることになりますね。
そうして、世間には、いまだにいろんな生活や、いろんなリズムがいっぱい混在してあるんだということをね、強く実感することになるような気がしますですね。
そういうの見たいんです、私。
はい、ということで、本日はこれまで。
それでは奥さんお元気で。
解散!
そうそう。
お変わりないですか?みなさん。
ないですね。
そうですか。はいはい、わかりました。
ではでは、お達者で!
(16:20 嬉野)