2006年11月2日木曜日

嬉野

2006年11月2日木曜日
本日も札幌は秋深く。
本日も日記は嬉野であります。
さて、札幌地方。
紅葉もなんとなく知らぬ間に終わっちゃったみたいな雰囲気で、ちょっと寂しいのですが、なんとなーく、このところ天気だけは好いのですね。
で、思うんですけどね。
どうなんでしょうね、皆さん。
いっそのこと朝の7時とか8時頃から仕事始めてね、午後の2時には全員仕事終わってるみたいな風にはね、してもらえないもんですかねぇ。
そしたら、仕事終わってからでもまだまだ明るいですからね、なんとなく気分も好いですしね、お子供と一緒に散歩とかね、奥さんとちょっとしたドライブに出るとかいう時間も出来ますよね。
とにかく明るいうちに世間をぶらぶら出来るのは、生き物として気分が好いですよ。
特に秋から冬にかけては日も短くなるわけですからね、天気の好い日に明るいうちに帰宅できれば、「知らぬ間に紅葉も終わっていたか」ということもね、なくなるわけでございますよ。
呑気そうで楽しそうだがなぁと夢想しておりますが、夢想するのみでございますね。
ほら、
「宵越しの銭は持たねぇ」
なんーんつって、江戸っ子の方はよく時代小説とかドラマとかの中でね、いまだにおっしゃいますけどね、粋なものでございます。
あれはつまり今日稼いだ銭は、今日のうちに使ってしまうということでございましょう。
金をこつこつ貯めるなんてなまねは、あんまし美徳ではなかったということなんでございましょうね。
少なくとも建て前としてはね。
だから、そんなまねはやめろと、江戸っ子は言うわけです。
でも、反対に考えればね、貯金していざという時に備えなくとも、毎日健康でさえいれれば、わりと無理なく稼げてその日暮らしが出来る社会だったということなんでしょうね、あの頃は。
そうでなければ、あのようなセリフは吐けませんからね。
だって「宵越しの銭は持たねぇ」というセリフには悲壮感はないですね。
やせ我慢というよりは、ガツガツするなよ、そんなに向上心を持つなよという、なにかを必死で監視しているような臭いがしてまいりますね。
「なぁ、これからもオレたちゃ呑気にしていたいんだから、みんなも呑気にしててくれよ」、みたいなね。
「わかってるよな、お前ら」っぽい臭いがしますですね。
30年ほど前にね、95歳で往生いたしましたうちのバァサンもね、昔は盆暮れ正月に働いてる人がいると、近所の人から、「あのうちは正月までも働いてぇ」みたいな嫌味を言われたものだと申しておったのを思い出しますね。
昔の日本人のみなさんは、どうやらそんなに勤勉には働いておられなかった。
といいますかね、ややもすれば勤勉になりがちなところを、折に触れて、勤勉にならないように、勤勉にならないようにと、方々で人が念押しをしながら長いこと頑張って監視して、呑気な世間を守って来たというような感じが、どーもするのでございますよ。
その念押しをね、するのをすっかり忘れちゃった時代が、きっとどっかで来てたんでしょうね。
そん時ゃ全員、必死こいて働かないとやってけないほどのね、時代を迎えちゃっててね、日本人全員、頑張らざるを得なかった。
そっから呑気のタガがどんどん外れてね、ずんずん勤勉になっちゃった。そうして気が付いたら走り続けることになっちゃってた。
それでまぁ現在に至る、ということなんでしょうね。
でも、一度走ってみたらね、走れば走るほど、暮らしが贅沢になるもんだからね、どっかでやっぱり「走るのは好いことジャン」みたいな刷り込みがね、出来あがって、「こら呑気はだめだそ、貧乏になるぞ」ということでね、「貧乏になるくらいなら呑気はいらない」ということになってね、気が付いたら呑気にしてると生きていけない社会になっちゃってたというね、ことでしょうね。
もったいないことをしました。日本人。
まぁ、そろそろ、ぼちぼち、みんなでね、呑気な社会に戻してみたほうが好いと思いますがねぇ。
なかなか難しい。
ある朝、起きてみたら呑気な社会に戻ってた、みたいなことは、ないもんでしょうかねぇ。棚からぼた餅みたいなね。
呑気すぎますね。
はいはい、すんません。
ということで、また明日。
解散!
またお集まりくださいませね。
(17:27 嬉野)