藤村

12月29日土曜日。
仕事を収めきれずに出勤しております、藤村でございます。
DVD第19弾の編集が多少遅れておりまして、このように年末ギリギリまで編集室ごもりが続いております。
さて、2012年も終了となりますな。
小学生のころ、愛知県の新城市という田舎に住んでおりまして、そこの盆踊りで毎年こんな曲が流れておりました。
♪にぃーじゅういっせいきのぉー夜明けはちかぁーいー らんららん
21世紀というのは明るい未来の入口であると、いうようなのんきな歌だったように記憶しております。
21世紀を迎える時、「自分は36歳か」と小学生だった私は計算し、「それはまたずいぶん遠い話だなぁ」と、これまたのんきに思っておりました。
それがもういつのまにやら来年は48歳。21世紀になってから干支が一回りして再びへび年を迎えるという。
私ももう、ずいぶんと遠くへ来てしまいました。
しかしながら先月、名古屋で20年ぶりに会った中学や高校の同級生たちから、「全然変わってないよ!おまえ」と言われて、「そんなことねぇだろう!」と、「ずいぶんオレも変わっただろう!」と、信じられない思いでしたが、「変わってねぇよー藤村は」と、みんなが口をそろえて言うので、たぶんほとんど変わってないんでしょう。
いや、それぞれに年を取って、すっかり禿げ上がっちゃったヤツもいて「うわっ!どーしたッ!どぉーしたんだよッ!おまえ昔カッコよかったじゃん!」と、あまりの見た目の変わりように驚いたりもしましたが、でもしゃべってみると全然変わらなくて、「いやぁーやっぱり変わってないわ」と、私もうれしくなったりもして。
「変わってない」というのは、なぜか、うれしいことなんですね。
多くの人が「自分は変わらなきゃ」と思って、無理してるくせに。
選挙では「日本を変えよう!」とか声高に言っているくせに。
でも、「変わらない」ほうが、実はうれしかったりする。
だったら自分は「これからも変わらないでいよう」と、そんなことを思いました。
さて、来年2013年は、8年ぶりとなる「どうでしょう祭」を、札幌で開催いたします。
「で、来年のいつやるんですか?」と、すぐに聞いてくるでしょうが、発表はまだです。1万人以上のバカが本州から大挙してやってくる大イベントですから、交通機関、宿泊施設などの手回しをしておかなければなりません。発表はもう少しお待ちください。
そして、時期は未定ですが、新作の旅にも出たいと思っております。来年、どっかのタイミングで「しばらく旅に出ます」の置き手紙が、この日記に貼り出されることと思います。
あいも変わらないおっさん4人の旅を、みなさんに見ていただける日を楽しみにしております。
では、2012年も、本当にありがとうございました。
来年も、水曜どうでしょうを、よろしくお願いいたします!
では、皆の衆!
2012年は!今日でひとまず解散!
よいお年を!
あ、DVD第19弾はHTBオンラインとローソンで絶賛予約受付中ーッ!
【昨日のう日記】
2012年12月28日(金)
嬉野です。
本日は、日本各地の多くの職場で仕事納めの運びでしょうね。
札幌の道は大雪のせいも相まって早くも混雑し始めておるようでございますよ。今年も年の瀬です奥さん。
でもまぁ、師走の雰囲気も、やがて迎える新年の気分も、もうとくに湧き上がってこないので、それはまぁ湧き上がる理由もとくに見当たらないからだわいなぁとようやく思い至り、諦めもつき。
帰らざる川ということでね、時代は行くべきところへ流れて行くんだわ、となんか思ってます。
行くべきところというのが、まだ誰にも分からないだけに。
良くない方へ行きそうな予感だけがあり。
でも、それがどう良くないのか、それもまた分からずで。
そもそも良くない方向へ向かいそうな予感の根拠も定かではなく。
それがたんなる思い違いかもしれないということも含め、
「来年のことを言うと鬼が笑う」という諺を思い出すのです。
「未来のこと?誰に分かるよ」
そういって鬼が笑うのだそうです。
明日という未来を語るということは、
ひょっとすると「一足飛び」のことなのかもしれないですね。
「じゃぁ今はどうよ」
鬼はそう続けて言うのだと思います。
「今はさぁ。どんな時代よ」
言われて思うのです。
「そうだ。分からない。今がどんな時代かも分からない」
言ってみれば、今さえも分からないのでは、とぼくは思います。
未来とか、時代とか、世の中とか。
そんな大きなことは、どれも分からない。
でも、今、自分がどんな環境にいるのか。
それくらいはね、分かる。
昨日ちゃんと朝、昼、晩とご飯を食べられた、とか。
毎晩帰る家はある。毎朝出かける職場も仕事もある。
寒い思いもしないで寝られてるな、とか。
食べたいものが食べられてる、とか。
その時、どこからか鬼が出てきて、私の横に腰を下ろすと、
デカい図体のわりに穏やかな口調で私に話しかけたのです。
「大事な人たちは、いるの?」
「いるよ。」
「大事にしてるの?」
「してる、かな?」
「大事な人たちが誰だかわかってる?」
「分かってる、つもり。」
「誰かの世話になっている?」
「え?誰の?」
「生きていく上で。あんたが支え、支えられもしている人」
「あぁ、そうだね、いろんな人の世話になってるかな」
「みんな、大事にしなきゃね」
「そうだね」
鬼は根気よく私の横にすわり遠くを見ています。
「2、3日前さぁ、仲間と飲みに行ったよね」
「うん」
「親しい人間とさ、美味いもの食べたね」
「そうだね」
「あのマグロの刺身、美味かったんじゃない?」
「あぁ、あれ美味かったなぁ」
「ずいぶん安い値段で出す店だったね」
「そう。毎朝市場に出かけて、安くてうまいもの仕入れてくるらしいよ。毎日メニュー書き換えてるらしいんだ」
「美味いもの食べられた時って幸せじゃない?」
「幸せだね」
「好い時代じゃない」
「うん。好い時代だよね」
「こんなに恵まれた時代、オレたち鬼も記憶にないんだよ」
「あぁ」
「不満のないところって、いつか知らないうちに当たり前に思えて来ない?」
「思えてくる」
「国民が日に三食、ちゃんと食べられる国にしなければっていうのが政治のテーマだった時代もあったよ」
「そうなの?」
「うん。そんなに昔のことじゃない」
「知らなかった」
「ほんの60年くらい前のことだよ」
「あぁ」
「その頃の日本からすれば、今、すでに、この国は大成功したということじゃないの?」
「そうだね」
「それ以上なにしようとするの?」
「あ、…」
「誰かに感謝とかする?」
「え?なにを?」
「飢えてた時代から抜け出して、美味しいものが食べられる時代にしてくれた人がこの60年の時代のどこかにいたってことでしょ」
「そうだね」
「その人たちにさ」
「誰だか知らないから」
「誰だか特定できないと感謝しないの?」
「だって、誰に、どういう形で感謝し続けなきゃいけないかイメージが湧かないと」
鬼はしばらく黙っていました。
そしてこう言いました。
「あんたたち人間も、俺たち鬼と同じように、何千年も何万年も生きれたら、きっとどんな時代の果てに今の時代があるかも分かるだろうな。でも、あんたらにとってみれば、ほんの100年生きるのも稀なことだからな。60年も生きたら徐々に衰弱していくし、その間にまた新しい人間が生まれて来るから、前の人間たちが頑張って獲得した幸福は、次に生まれてきた人間たちにとっては当たり前のことになっているだろうから。あんたらの社会は無限に満足できない社会だよ」
そんなことをまぁ、鬼が言ったというよりか、
私が書いてるだけなんですけどね。
自作自演という。いい気なものという、ねぇ。
でもこれ、私が書くより、鬼が言ったってうそついた方がね、
おそらく受け入れやすいものですからと、思いましてね、
鬼にも今回特別に出ていただきまして、
まぁ年の瀬ですから。鬼も暇だろうと思いましたのでね、
やりましたよ。
日本はまだ、国家が国民を戦場へ連れて行くような国ではありませんね。そんな国にしたいと言っている人がいるようですが。
日本人同士が殺し合う内戦もありません。
それだけでも、すでに夢が広がるような国ではないでしょうか。
とりあえず、その認識だけは忘れずにと、
この年の瀬に私は思いますのよ奥さん。
私が思ってるだけですけどね。
それでは諸氏。
本日も各自の持ち場で奮闘願います。
来年、穏やかな日本でありますように。
解散。
12月21日金曜日。藤村でございます。
九州の出張から戻り、編集室にこもってDVD第19弾を猛編集中であります。
現在のところ「試験に出る石川県・富山県」(全4夜)を終え、「四国八十八カ所?」の第一夜を編集中。四国は放送していない未公開部分がかなり多いため、DVD版は長くなりそうです。
で、今回のDVDには、特別に!
昨年行われたイベント「大泉ワンマンショー」の幕間で流しましたVTRを特典映像として収録することになりました。
このVTRは、ワンマンショーを1週間後にひかえた大泉さんが、私と嬉野先生に急きょ発注したもので、実にどうでしょうらしい仕上がりの爆笑VTRになっております。
劇場であのイベントを見た人しか見えられないというのは、あまりにももったいないということで、今回特別にアミューズさんのご協力により、どうでしょうのDVDに収録されることになったわけでございます。
これはねぇ、楽しみにしていてください。
ということで、
水曜どうでしょうDVD全集第19弾は、現在、HTBオンラインと全国のローソン・ロッピー端末で予約受付中でございます。
そういえば、オリコンの2012年DVDチャートのお笑いバラエティー部門で、どうでしょうDVDが1位2位を独占したとのことでございます。それも、3年連続の快挙!と。
次回のDVDも、渾身の編集力で仕上げたいと思っております。
あと、NEWSポストセブンというサイトに、わたくしコラムのようなものを書いております。おヒマな方はぜひ。
さ、明日から3連休ですな。
一足先に、
メリークリスマス!皆の衆!
【藤やんうれしーの悩むだけ損!】
ネットサイト「電撃オンライン」にて月2回のペースで「お悩み相談」を執筆しております。
(14:59 藤村)

嬉野

2012年12月28日(金)
嬉野です。
本日は、日本各地の多くの職場で仕事納めの運びでしょうね。
札幌の道は大雪のせいも相まって早くも混雑し始めておるようでございますよ。今年も年の瀬です奥さん。
でもまぁ、師走の雰囲気も、やがて迎える新年の気分も、もうとくに湧き上がってこないので、それはまぁ湧き上がる理由もとくに見当たらないからだわいなぁとようやく思い至り、諦めもつき。
帰らざる川ということでね、時代は行くべきところへ流れて行くんだわ、となんか思ってます。
行くべきところというのが、まだ誰にも分からないだけに。
良くない方へ行きそうな予感だけがあり。
でも、それがどう良くないのか、それもまた分からずで。
そもそも良くない方向へ向かいそうな予感の根拠も定かではなく。
それがたんなる思い違いかもしれないということも含め、
「来年のことを言うと鬼が笑う」という諺を思い出すのです。
「未来のこと?誰に分かるよ」
そういって鬼が笑うのだそうです。
明日という未来を語るということは、
ひょっとすると「一足飛び」のことなのかもしれないですね。
「じゃぁ今はどうよ」
鬼はそう続けて言うのだと思います。
「今はさぁ。どんな時代よ」
言われて思うのです。
「そうだ。分からない。今がどんな時代かも分からない」
言ってみれば、今さえも分からないのでは、とぼくは思います。
未来とか、時代とか、世の中とか。
そんな大きなことは、どれも分からない。
でも、今、自分がどんな環境にいるのか。
それくらいはね、分かる。
昨日ちゃんと朝、昼、晩とご飯を食べられた、とか。
毎晩帰る家はある。毎朝出かける職場も仕事もある。
寒い思いもしないで寝られてるな、とか。
食べたいものが食べられてる、とか。
その時、どこからか鬼が出てきて、私の横に腰を下ろすと、
デカい図体のわりに穏やかな口調で私に話しかけたのです。
「大事な人たちは、いるの?」
「いるよ。」
「大事にしてるの?」
「してる、かな?」
「大事な人たちが誰だかわかってる?」
「分かってる、つもり。」
「誰かの世話になっている?」
「え?誰の?」
「生きていく上で。あんたが支え、支えられもしている人」
「あぁ、そうだね、いろんな人の世話になってるかな」
「みんな、大事にしなきゃね」
「そうだね」
鬼は根気よく私の横にすわり遠くを見ています。
「2、3日前さぁ、仲間と飲みに行ったよね」
「うん」
「親しい人間とさ、美味いもの食べたね」
「そうだね」
「あのマグロの刺身、美味かったんじゃない?」
「あぁ、あれ美味かったなぁ」
「ずいぶん安い値段で出す店だったね」
「そう。毎朝市場に出かけて、安くてうまいもの仕入れてくるらしいよ。毎日メニュー書き換えてるらしいんだ」
「美味いもの食べられた時って幸せじゃない?」
「幸せだね」
「好い時代じゃない」
「うん。好い時代だよね」
「こんなに恵まれた時代、オレたち鬼も記憶にないんだよ」
「あぁ」
「不満のないところって、いつか知らないうちに当たり前に思えて来ない?」
「思えてくる」
「国民が日に三食、ちゃんと食べられる国にしなければっていうのが政治のテーマだった時代もあったよ」
「そうなの?」
「うん。そんなに昔のことじゃない」
「知らなかった」
「ほんの60年くらい前のことだよ」
「あぁ」
「その頃の日本からすれば、今、すでに、この国は大成功したということじゃないの?」
「そうだね」
「それ以上なにしようとするの?」
「あ、…」
「誰かに感謝とかする?」
「え?なにを?」
「飢えてた時代から抜け出して、美味しいものが食べられる時代にしてくれた人がこの60年の時代のどこかにいたってことでしょ」
「そうだね」
「その人たちにさ」
「誰だか知らないから」
「誰だか特定できないと感謝しないの?」
「だって、誰に、どういう形で感謝し続けなきゃいけないかイメージが湧かないと」
鬼はしばらく黙っていました。
そしてこう言いました。
「あんたたち人間も、俺たち鬼と同じように、何千年も何万年も生きれたら、きっとどんな時代の果てに今の時代があるかも分かるだろうな。でも、あんたらにとってみれば、ほんの100年生きるのも稀なことだからな。60年も生きたら徐々に衰弱していくし、その間にまた新しい人間が生まれて来るから、前の人間たちが頑張って獲得した幸福は、次に生まれてきた人間たちにとっては当たり前のことになっているだろうから。あんたらの社会は無限に満足できない社会だよ」
そんなことをまぁ、鬼が言ったというよりか、
私が書いてるだけなんですけどね。
自作自演という。いい気なものという、ねぇ。
でもこれ、私が書くより、鬼が言ったってうそついた方がね、
おそらく受け入れやすいものですからと、思いましてね、
鬼にも今回特別に出ていただきまして、
まぁ年の瀬ですから。鬼も暇だろうと思いましたのでね、
やりましたよ。
日本はまだ、国家が国民を戦場へ連れて行くような国ではありませんね。そんな国にしたいと言っている人がいるようですが。
日本人同士が殺し合う内戦もありません。
それだけでも、すでに夢が広がるような国ではないでしょうか。
とりあえず、その認識だけは忘れずにと、
この年の瀬に私は思いますのよ奥さん。
私が思ってるだけですけどね。
それでは諸氏。
本日も各自の持ち場で奮闘願います。
来年、穏やかな日本でありますように。
解散。
12月21日金曜日。藤村でございます。
九州の出張から戻り、編集室にこもってDVD第19弾を猛編集中であります。
現在のところ「試験に出る石川県・富山県」(全4夜)を終え、「四国八十八カ所?」の第一夜を編集中。四国は放送していない未公開部分がかなり多いため、DVD版は長くなりそうです。
で、今回のDVDには、特別に!
昨年行われたイベント「大泉ワンマンショー」の幕間で流しましたVTRを特典映像として収録することになりました。
このVTRは、ワンマンショーを1週間後にひかえた大泉さんが、私と嬉野先生に急きょ発注したもので、実にどうでしょうらしい仕上がりの爆笑VTRになっております。
劇場であのイベントを見た人しか見えられないというのは、あまりにももったいないということで、今回特別にアミューズさんのご協力により、どうでしょうのDVDに収録されることになったわけでございます。
これはねぇ、楽しみにしていてください。
ということで、
水曜どうでしょうDVD全集第19弾は、現在、HTBオンラインと全国のローソン・ロッピー端末で予約受付中でございます。
そういえば、オリコンの2012年DVDチャートのお笑いバラエティー部門で、どうでしょうDVDが1位2位を独占したとのことでございます。それも、3年連続の快挙!と。
次回のDVDも、渾身の編集力で仕上げたいと思っております。
あと、NEWSポストセブンというサイトに、わたくしコラムのようなものを書いております。おヒマな方はぜひ。
さ、明日から3連休ですな。
一足先に、
メリークリスマス!皆の衆!
【藤やんうれしーの悩むだけ損!】
ネットサイト「電撃オンライン」にて月2回のペースで「お悩み相談」を執筆しております。
(13:27 嬉野)

藤村

12月21日金曜日。藤村でございます。
九州の出張から戻り、編集室にこもってDVD第19弾を猛編集中であります。
現在のところ「試験に出る石川県・富山県」(全4夜)を終え、「四国八十八カ所?」の第一夜を編集中。四国は放送していない未公開部分がかなり多いため、DVD版は長くなりそうです。
で、今回のDVDには、特別に!
昨年行われたイベント「大泉ワンマンショー」の幕間で流しましたVTRを特典映像として収録することになりました。
このVTRは、ワンマンショーを1週間後にひかえた大泉さんが、私と嬉野先生に急きょ発注したもので、実にどうでしょうらしい仕上がりの爆笑VTRになっております。
劇場であのイベントを見た人しか見えられないというのは、あまりにももったいないということで、今回特別にアミューズさんのご協力により、どうでしょうのDVDに収録されることになったわけでございます。
これはねぇ、楽しみにしていてください。
ということで、
水曜どうでしょうDVD全集第19弾は、現在、HTBオンラインと全国のローソン・ロッピー端末で予約受付中でございます。
そういえば、オリコンの2012年DVDチャートのお笑いバラエティー部門で、どうでしょうDVDが1位2位を独占したとのことでございます。それも、3年連続の快挙!と。
次回のDVDも、渾身の編集力で仕上げたいと思っております。
あと、NEWSポストセブンというサイトに、わたくしコラムのようなものを書いております。おヒマな方はぜひ。
さ、明日から3連休ですな。
一足先に、
メリークリスマス!皆の衆!
では続いて嬉野先生の長い日記をどうぞ。
2012年12月21日(金)
九州への出張のついでに故郷へ立ち寄り、小春日和の日差しに誘われ私は故郷の町を歩いたのです。
小さな城下町の小さな繁華街を目指したのですが、私の記憶に留まる町の姿はありませんでした。
あったのは信じられないほどシャッターの降ろされた通りで。その降ろされたシャッターの連なりの距離が想像を絶し、歩けども歩けども軒並みシャッターは降ろされており。
かつてアーケード街にあった大型店舗は撤退しその場所は既に砂利の敷かれた広々とした空き地になっていました。
何も生み出さない空き地を冬の日が照らし、薄暗いはずのアーケードに不意に呑気な日差しが場違いに溢れ、辺りを照らす陽気な日差しがどうにも長閑で悲しい悲しい。
映画館の集まっていたビルは姿を残してはいましたが空き家になっていました。
繁華街のひとつの中心のようにあった神社は昔のままに残っていたのですが、その周囲の賑わいはやはりありませんでした。
学生が集まり高校生や中学生の自転車が溢れるように停められていた書店は遠の昔にほかの物件に姿を変えた風で、その変わった物件も既にシャッターを降ろして久しい様子でした。
昔賑わっていた食堂も、人気だったうどん屋も、通りの道筋だけを残して商店街は頑なにシャッターを降ろして上げる予感もないのです。
そうなるとおかしなもので、反対に私の頭の中には自分が高校生だった頃のぎょうさんの人通りと賑わいばかりが鮮明に蘇ってくるのです。
そして目の前の光景がその頭の中の光景と符合しないことに違和感を感じる。
「いったいあれから何があったのだろうか」
昭和50年代の前半にこの町を去り、そこから今日までの30年間にこの町に何があったのだろう。
私はこの町の惨状を前にして、
「これは復讐なのかもしれない」
と何故か思ったのです。
この、人の流れの激変に不自然なものを感じたのだと思うのです。
何故なら、この小さな城下町にも未だに多くの人は住んでいるのだから。
この小さな城下町の、この小さな繁華街を人で溢れさせるくらいの人口は依然としてこの城下町にはあるのだから。
そして人が住んでいるのなら人の生活、人の営みは何処までも続くわけで。
それならば商店街が必要とされなくなる理由は見あたらないはず。
それなのに、ある日、流れは変わり、かつて永らく不動の地位にあった商店街には人が来なくなり、人の流れはついにこの商店街には戻らなかったわけだから。
それを思うと、「復讐」という言葉が直感的に浮かび上がるのでした。
復讐というと穏やかではありませんが、反動というベクトルが発動する瞬間を、人間は密かに待ちながら、不穏な復讐心を懐に隠して、人は日常を素知らぬ顔で歩き、他人と付き合っているのです。
そうであるような気がするのです。そしてそれは間違いのないことだと思うし、別に驚くほどのことでもないようにも思うのです。
新聞を購読していないことが社会人として恥ずかしいという雰囲気がすこし前までの日本にはありました。だから読みもしないのに新聞を購読し続けるということがあったと思います。でも今はもうないでしょう。
読むわけではないけれど、ある程度の年齢になったら自分の家に自分の書斎を持ち書棚に世界文学全集を並べるということがすこし前のそのまたすこし前の日本にはありました。
客を招じ入れるあるじの背には世界文学全集の並んだ本棚があるのです。読みはしないのです。招じ入れた主も、訪ねてきた客も、読みはしないのです。ですが、訪ねてきた客が、主の背に並べられた世界文学全集を見て焦り、さっそく後日無理をして書棚と共に全巻揃えるということはあったと思います。
本を読まないとは言いにくい雰囲気が少しすこし前の日本にはあったのです。本は教養だったのです。そして自分に教養がないと思わせることは社会的に自分に不利益をもたらすと思い込んでいたのです。
だから、読みもしないものを、「それでも買わなければ」と思い込んでしまう。
それは、隷属だったのでしょうね。
その隷属が、目に見えない鎖に繋がれた日々を心の内に生み、人の心にその人も気づかぬうちに復讐の火を灯す。
どうしてかそんな気がしたのですね。
物が売れることの本当の理由。
その本当の理由が、恒常的に膨れ上がる売り上げの数字に隠れて見えないことがある。
ということなのだろうと思うのです。
どこまでいっても物の価値は絶対化できないから。
売り上げという絶対化できる数字だけが人類の上にいつまでも君臨するのです。
そして未来永劫、売り上げる数字のその真の根拠が浮き上がってくることはないのでしょう。
真の根拠が浮き上がってくることがない以上、その売り上げの数字に隠れて、復讐の心もまた、灯され続けていくのだと思います。
流れの激変には、それ以前に必ず隷属の時期が長くあり、人々は反動のタイミングを待って、未来のある瞬間、いっせいに復讐を発動する。
でも、復讐は破壊だから。そのあとに秩序を失い、世界は混迷を生み続けることになる。
でも、それが歴史であり、それが人生なのだと受け入れるしかない。「時代とはそんなものなのだ」と。
故郷の惨状から、思わぬ方向へ来てしまったけれど。
手っ取り早い話、石油が高価になってしまえば、誰もが車を手放すしか無く、そうなれば歩いて行ける範囲に商店がなければ生活はできないわけで。やがてエネルギーが不足する時代は来るのだから。
その日が来れば、この小さな城下町の小さな繁華街の辺りが一番立地としての条件は良いわけだから、この今は閑散としているかつての繁華街のシャッターが上がり始める時代も、やがては帰って来るのだと思うのです。
人は生きていく中で、何かに翻弄されてしまうのでしょうね。そしておそらく翻弄される理由も考えていけば無いことはないのだと思うのですが、それ以上に、人生とは「そんなものだ」と思うしかないという生き方を受け入れることが得策なのでしょうね。
受け入れるということは、流されていくということです。
流されて、やがてどこかの浜に打ち上げられる。打ち上げられないうちは流されていくしかないのです。
不安だけれど仕方が無いのです。人生とはそんなものなのだろうから。というぐあいに。
なんだか思わず長くなったなぁ。
ひまだからだな。
それでは諸氏。
本日も変わらず各自の持ち場で奮闘願います。ねぇ奥さん。復讐心なんか抱いちゃダメですよ〜。
では、また来週です。解散。
嬉野でありました。
【藤やんうれしーの悩むだけ損!】
ネットサイト「電撃オンライン」にて月2回のペースで「お悩み相談」を執筆しております。
(20:09 嬉野)

嬉野

2012年12月21日(金)
九州への出張のついでに故郷へ立ち寄り、小春日和の日差しに誘われ私は故郷の町を歩いた。
小さな城下町の小さな繁華街を目指したが、私の記憶に留まる町の姿はなかった。
あったのは信じられないほどシャッターの降ろされた通りで。その降ろされたシャッターの連なりの距離が想像を絶し、歩けども歩けども軒並みシャッターは降ろされており。
かつてアーケード街にあった大型店舗は撤退しその場所は既に砂利の敷かれた広々とした空き地になっていた。
何も生み出さない空き地を冬の日が照らし、薄暗いはずのアーケードに不意に呑気な日差しが場違いに溢れ、辺りを照らす陽気な日差しがどうにも長閑で悲しい悲しい。
映画館の集まっていたビルは姿を残してはいたが空き家になっていた。
繁華街のひとつの中心のようにあった神社は昔のままに残っていたが、その周囲の賑わいはやはりなかった。
学生が集まり高校生や中学生の自転車が溢れるように停められていた書店は遠の昔にほかの物件に姿を変えた風で、その変わった物件も既にシャッターを降ろして久しい様子だった。
昔賑わっていた食堂も、人気だったうどん屋も、通りの道筋だけを残して商店街は頑なにシャッターを降ろして上げる予感もない。
そうなるとおかしなもので、反対に私の頭の中には自分が高校生だった頃のぎょうさんの人通りと賑わいばかりが鮮明に蘇ってくる。
そして目の前の光景がその頭の中の光景と符合しないことに違和感を感じる。
「いったいあれから何があったのだろうか」
昭和50年代の前半にこの町を去り、そこから今日までの30年間にこの町に何があったのだろう。
私はこの町の惨状を前にして、
「これは復讐なのかもしれない」
と何故か思った。
この、人の流れの激変に不自然なものを感じたのだと思う。
何故なら、この小さな城下町にも未だに多くの人は住んでいるのだから。
この小さな城下町の、この小さな繁華街を人で溢れさせるくらいの人口は依然としてこの城下町にはあるのだから。
そして人が住んでいるのなら人の生活、人の営みは何処までも続くわけで。
それならば商店街が必要とされなくなる理由は見あたらないはず。
それなのに、ある日、流れは変わり、かつて永らく不動の地位にあった商店街には人が来なくなり、人の流れはついにこの商店街には戻らなかった。
それを思うと、「復讐」という言葉が直感的に浮かび上がるのだ。
復讐というと穏やかではないが、反動というベクトルが発動する瞬間を、人間は密かに待ちながら、不穏な復讐心を懐に隠して、人は日常を素知らぬ顔で歩き、素知らぬ顔で他人と付き合っている。
そうであるような気がするのだ。そしてそれは間違いのないことだと思うし、別に驚くほどのことでもないようにも思う。
新聞を購読していないことが社会人として恥ずかしいという雰囲気がすこし前まで日本にはあった。だから読みもしないのに新聞を購読し続けるということがあった。でも今はもうない。
読むわけではないけれど、ある程度の年齢になったら自分の家に自分の書斎を持ち書棚に世界文学全集を並べるということがすこし前のそのまたすこし前の日本にはあった。
客を招じ入れるあるじの背には世界文学全集の並んだ本棚があるのだ。読みはしないのだ。招じ入れた主も、訪ねてきた客も、読みはしないのだ。だが、訪ねてきた客が、主の背に並べられた世界文学全集を見て焦り、さっそく後日無理をして書棚と共に全巻揃えるということはあったと思う。
本を読まないとは言いにくい雰囲気が少しすこし前の日本にはあったのだ。本は教養だったのだ。そして教養がないと思わせることは社会的に不利益だと思い込んでいたのだ。
だから、読みもしないものを、「それでも買わなければ」と思い込んでしまう。
それは隷属だったのだ。
そうだろうと思う。
その隷属が、目に見えない鎖に繋がれた日々となり、人の心にその人も気づかぬうちに復讐の火を灯す。
どうしてかそんな気がしたのだ。
物が売れることの本当の理由。
その本当の理由が、恒常的に膨れ上がる売り上げの数字に隠れて見えないことがある。
ということなのだろうと思う。
どこまでいっても物の価値は絶対化できないから。
売り上げという絶対化できる数字だけが人類の上にいつまでも君臨するのだ。
そして未来永劫、売り上げる数字のその真の根拠が浮き上がってくることはないのだ。
真の根拠が浮き上がってくることがない以上、その売り上げの数字に隠れて、復讐の心もまた、灯され続けていくのだと思う。
流れの激変には、それ以前に必ず隷属の時期が長くあり、人々は反動のタイミングを待って、未来のある瞬間、いっせいに復讐を発動する。
でも、復讐は破壊だから。そのあとに秩序を失い、世界は混迷を生み続けることになる。
でも、それが歴史であり、それが人生なのだと受け入れるしかないのだと思う。時代とはそんなものなのだと。
故郷の惨状から、思わぬ方向へ来てしまったけれど。
手っ取り早い話、石油が高価になってしまえば、誰もが車を手放すしか無く、そうなれば歩いて行ける範囲に商店がなければ生活はできないわけで。やがてエネルギーが不足する時代は来るのだから。
その日が来れば、この小さな城下町の小さな繁華街の辺りが一番立地としての条件は良いわけだから、この今は閑散としているかつての繁華街の、このシャッターが上がり始める時代も、やがては来るのだと思う。
人は生きていく中で、何かに翻弄されてしまうのだと思う。そしておそらく翻弄される理由も考えていけば無いことはないのだと思うが、それ以上に、人生とは「そんなものだ」と思うしかないという生き方を受け入れることが得策だと思う。
受け入れるということは、流されていくということだ。
流されて、やがてどこかの浜に打ち上げられる。打ち上げられないうちは流されていくしかないのだ。
不安だけれど仕方が無いのだろう。人生とはそんなものなのだろうから。というぐあいに。
なんだか思わず長くなったなぁ。
ひまだからだな。
それでは諸氏。
本日も変わらず各自の持ち場で奮闘願います。ねぇ奥さん。復讐心なんか抱いちゃダメですよ〜。
では、また来週です。解散。
嬉野でありました。
【藤やんうれしーの悩むだけ損!】
ネットサイト「電撃オンライン」にて月2回のペースで「お悩み相談」を執筆しております。
(10:37 嬉野)

嬉野

2012年12月20日(木)
嬉野でございます。
奥さん、あたしは、まだまだ九州におりますでございますよ。
九州の冬は雪もなく、そのぶん呑気でいいですなぁ。
凍った道で転ぶこともないです。
それに引き換えると札幌はえらいことになっているそうで。
毎日ドカドカと雪が降り積もって、かなわんのだそうです。
同じ冬とはいえ、ここまで違う。
ね〜。この風土の違いが、文化の違い、気性の違いを生んだって、奥さんなんの不思議もないことです。
環境が変われば正解だって変える。
毎年冬の苦労があれば、それは苦労だけれど仕方がないことと受け入れることに抵抗がなくなる。
一方、毎年冬の苦労がないところでは、苦労のないことがありがたいとは思いも寄らない。
どっちも当たり前のことです。
でも人類という者は、そうやって、環境に応じて自分を変えて行くことをする。
実に前向きに出来ている。
前向きは人類の特性ですな。
特性というものは大事にしないといけない。
今年の秋だったですかな。
さる人の導きで東大阪にある金型工場へ行きましたが、そこはもともと金型だけを作るのがご商売やったけど、この頃は自前の金型を使って自前で製品も作っておられる。
金型をセットした機械に、金属の板を置いて、その金属の板を金型で押し曲げ押し切るとあっという間に製品が出来ている。
言ってみれば金型は、その形の製品だけを大量に生産するためにだけ作られた魔法の構造物。
だって金型を使って製品を作るアクションはいたって簡単。
材料の金属板をセッティングしてレバーを押し下げるだけ。
そのツーアクションで、ガチャピンガチャピン言わせながら製品が生まれていく。実に単純です。
私は単純作業がとても好きで。
だからあの機械の前に立って、金属板をセッティングしてレバーを押し下げ、ガチャピン、ガチャピン言う音を聞きながら日を暮らすことにどことなく惹かれる。
あの仕事を全自動化することなど、おそらくたやすいのかもしれません。ですが、なんで全自動化しなければならないんだと、私なぞは思います。
いったい作業の全自動化って人類的になんの得があるんだろうねぇ奥さん。
人件費の削減って、究極のところ巡り巡って人類的に得があるんだろうか。
あぁやってレバーを押し下げて、ガチャピン、ガチャピン言わせながら製品が出来上がって行く時に、それでも人類は気分の良さを何かしら感じられるのですから。
気分の良さを感じるぎりぎりの所で自動化は止めとかなきゃならん。
そこに力点を置いてこれからの世界を眺めれば好い。あたしはそう思います。
金勘定の話だけで人類の幸福を突き詰めてはいけないでしょう。
自動化するなら人類が気分良く毎日を過ごせるぎりぎりを見極めて自動化する。
それ以上バカみたいにやみくもに自動化して人類が居なくても好い的な自動化に行き着くことになんの意味があるのかい、と言うだけの話です。
働きながら「気分が良いなぁ」と思える特性というものを人類は持ち合わせているのです。だったらそこはなくしちゃダメでしょう。
気分の良さは何かしら残しとくのが人類のためでしょうよ。
その人類としての気分の良さに重点を置いて今一度世界を眺め直すと、東大阪には、人類が憧れるところの工場が今でもゴロゴロあることに、実は気づいたりするのす。
コンピュータさんともうまいこと付き合って。それでいて、人類には気分の好い労働を残しておく。
これ以上、発展し続けなくていいから。横ばいで行けるように。
でも、それが無理なら徐々に衰退してでも好いから、人類としての気分の良さを感じながら、なんとなーく衰亡して行くってことでもいいのんじゃないかしら。
って、あたし以外の人は思わないだろうけど、あたしは思うのよ。
ということでね、本日も各自の持ち場で奮闘されますことを願いつつ、解散を宣言するものでありますよ。解散。
【藤やんうれしーの悩むだけ損!】
ネットサイト「電撃オンライン」にて月2回のペースで「お悩み相談」を執筆しております。
(12:03 嬉野)

嬉野

2012年12月14日(金)
嬉野です。
北海道の皆さん。あした12/15午後3:30からぼくらが二年ぶりに作ったドラマ「幸せハッピー」が放送されますのでどうぞご覧ください。(^-^)
とても満足のいく出来上がりになったんですが、いかんせん分かりやすいお話ではないし、感動的に泣いちゃうようなお話でもないし(^-^)
でも、今はこんな気分の時代だなってどっかで思ってもらえる、そんなドラマじゃないかなって思ってます。
けっこうクスクス笑えたりもします(^-^)
それに北海道以外の地域でも放送が決まり、おかげさまでこれから順次見ていただけるようなことになっていますのでぜひ皆さんの感想をボソッと聞かせて欲しいです。
さて我々は只今、なぜか雪のない九州に来ております。朝まであった雪がここにはない。不思議な国JAPANであります!
それでは本日も各自の持ち場で奮闘されますよう。願い上げ奉ります!
解散。
↓以下、先日の藤村日記です。
12月12日水曜日。藤村でございます。
すわすわすわぁー!いよいよ12月15日土曜日から!
DVD第19弾「試験に出るどうでしょう石川県・富山県/四国八十八カ所?」の予約がスタートいたします。
今回の予約特典は、「試験に出る」より、生徒・安田さんが大泉校長にプレゼントした「輪島塗りの般若のループタイ」を見事に再現したフィギュアでございます。
どうですかぁー、正直そんなに欲しくないでしょう!
ねぇ、そのへんの微妙なラインをウチは狙ってくるんですよ。
予約した方全員に!もれなく「般若のループタイ」のフィギュアをプレゼントでございまぁーす。
いらねぇ!ったって、うるせぇ!もってけぇーと、いうことですよー。
さて!同じく今週土曜日12月15日!
午後3時30分より!
HTBスペシャルドラマ「幸せハッピー」が放送となります。
ますは北海道のみの放送となりますが、続々と全国各局でも放送が決定しております。詳しくは「幸せハッピー」のサイトをご覧ください。
国内外のドラマ賞を総なめにした「ミエルヒ」から3年。今回の「幸せハッピー」は、見る人にとって、いろんなとらえ方ができるドラマだと思います。
道内のみなさん、今週土曜日、まずはみなさんがご覧になって、感想をここの掲示板にお知らせください。読みたいです。
そして最後に!12月1日土曜日から北海道で放送がスタートしております「クロスバトル」。
私藤村とチームナックスリーダー森崎、そして韓国のイケメングループ「クロスジーン」という異色の取り合わせでお送りするバラエティー番組。
ウチのHTBオンデマンドでも、配信がスタートしたようでございます。最初こそみんな固いものの、4回目あたりからぐんぐんおもしろくなってまいります。全8回。どうぞ軽い気持ちで見てみてください。
では、藤村、嬉野。明日から九州に出張してまいります。
皆の衆、良い週末を!
【藤やんうれしーの悩むだけ損!】
ネットサイト「電撃オンライン」にて月2回のペースで「お悩み相談」を執筆しております。
(10:11 嬉野)

藤村

12月12日水曜日。藤村でございます。
すわすわすわぁー!いよいよ12月15日土曜日から!
DVD第19弾「試験に出るどうでしょう石川県・富山県/四国八十八カ所Ⅱ」の予約がスタートいたします。
今回の予約特典は、「試験に出る」より、生徒・安田さんが大泉校長にプレゼントした「輪島塗りの般若のループタイ」を見事に再現したフィギュアでございます。
どうですかぁー、正直そんなに欲しくないでしょう!
ねぇ、そのへんの微妙なラインをウチは狙ってくるんですよ。
予約した方全員に!もれなく「般若のループタイ」のフィギュアをプレゼントでございまぁーす。
いらねぇ!ったって、うるせぇ!もってけぇーと、いうことですよー。
さて!同じく今週土曜日12月15日!
午後3時30分より!
HTBスペシャルドラマ「幸せハッピー」が放送となります。
ますは北海道のみの放送となりますが、続々と全国各局でも放送が決定しております。詳しくは「幸せハッピー」のサイトをご覧ください。
国内外のドラマ賞を総なめにした「ミエルヒ」から3年。今回の「幸せハッピー」は、見る人にとって、いろんなとらえ方ができるドラマだと思います。
道内のみなさん、今週土曜日、まずはみなさんがご覧になって、感想をここの掲示板にお知らせください。読みたいです。
そして最後に!12月1日土曜日から北海道で放送がスタートしております「クロスバトル」。
私藤村とチームナックスリーダー森崎、そして韓国のイケメングループ「クロスジーン」という異色の取り合わせでお送りするバラエティー番組。
ウチのHTBオンデマンドでも、配信がスタートしたようでございます。最初こそみんな固いものの、4回目あたりからぐんぐんおもしろくなってまいります。全8回。どうぞ軽い気持ちで見てみてください。
では、藤村、嬉野。明日から九州に出張してまいります。
皆の衆、良い週末を!
【藤やんうれしーの悩むだけ損!】
ネットサイト「電撃オンライン」にて月2回のペースで「お悩み相談」を執筆しております。
(14:09 嬉野)

藤村

12月10日月曜日。藤村でございます。
ささささぁーさぁ!
いよいよ今週土曜日、12月15日より!
「DVD第19弾」の予約受付が開始となります。
タイトルは「試験に出るどうでしょう石川県・富山県/四国八十八カ所II」の二本立て!
「試験に出る」では、どうゼミ大泉校長による「相撲の立ち合い」、そしてミスターさんの「ドロップキック」という、宿での格闘名シーンがございますな。
さらに「がっさーん!立てジョー!遊びでねぇんだ」「富士山見るならバルコニーで」などの名語呂もございます。
そして「四国八十八カ所?」では、のちに「四国R−14」というドラマの題材にもなった怪奇現象が起こります。
水曜どうでしょうDVD全集第19弾、予約開始は土曜日からです!
さて先週の金曜日、東京下北沢本多劇場で行われているヨーロッパ企画の公演「月とスイートスポット」のアフタートークのゲストに私と嬉野先生で出てきました。
この芝居、おもしろいですよ、すごく。
たぶん私の中では、笑った回数が一番多かった芝居です。
これは見ておいて損はないです。単純におもしろい。
東京では本多劇場で16日(日)までやってます。
そのあと21日〜23日まで大阪公演。
チケットまだあるそうですよ。
詳しくはヨーロッパ企画のサイトで。
では、お知らせだけして、以下↓本日の嬉野日記です。
2012年12月10日(月)
おはようございます奥さん。
大雪の札幌から本日も嬉野がご機嫌を伺わせていただきますよ。
さて、奥さん。
この前の大阪マラソンで、うちの藤村さんが42.195kmを完走なさいましてね。
しかも4時間半での完走という快挙でございますよ奥さん。
これには私も驚く、世間も驚くということでしたが。
で、あの人。
過日、ここの日記にね。
走った日のことをつぶさに書いてましたが。
あの方は見てきたことを、こと細かに面白可笑しく書くのが昔から上手な人だから、私も読んでて笑ったもんですが、あれ、人によってはね、なんですか読みながら感動して泣けちゃいましたという人がありましてね、その感想を意外に思ったもんでしたが、
「あんたほら、大阪マラソンの日記書いたじゃない」
「あぁ書いたねぇ」
「あれ面白かったんだけどさぁ、あれ読んで泣いたって人が何人かいてさぁ」
「えぇ?なんでさ」
「いや、だからさ。オレも最初は不審に思ったんだけどね。でも、あれって確かに笑っちゃうはなしなんだけど、でも同時にさ、あれ読んでるとね、あの日のランナーだったあんたが、あの日、苦しい思いの中、走りながら見た光景や、あんたの耳に入って来た沿道の人の声やら何やらがさ、あんたの人格を通すことによって、きみょうに澄んだ明るい幸福感に変換増幅されて読んでる側の目に見え耳に聞こえてくるようなとこあるんだよ」
「はぁ…」
「あの幸福感を読み取った時にはね、そらぁ人によっては笑い、人によっては、思いがけない幸福感に包まれて不意に涙が溢れて、自分も走りたいなぁっておもわせるってこともあるなってね、思ってね」
「ふーん」
「いや、オレもそんなに意識してはなかったけど。でも、確かにあんたは、そうね、花咲爺みたいなとこ、あんのかもしれないね」
「あ〜?花咲爺?」
「いや、こうさぁ、やたらこう、じじいは灰を世間に撒いてんだよ『枯木に花を咲かせましょう』って、わけの分かんないこと言ってさぁ。だから人によっちゃあ撒かれた灰がそのまま目に入って、痛えよ!ってこともあるんだけどさぁ、でも人によっちゃあこう、胸のここんとこの、枯れ木に花が咲くというね」
「あぁ」
「そういう、あんたはそう『幸せをもたらす男』なのかも知れないんだねぇ」
そんな話をしましたが。
言われた藤村さんも、花咲爺というイメージは、わりとお気に召したようでしたが(^-^)
まぁそういう話をしながらもね、いやオレってほんと気の利いたこと思いつくよなぁと、これまた思ったわけでしたがね(^-^)
いやいや、こういうことを書くと世間様に嫌がられられますが、ほんとそう思うのでね、書いてますよ奥さんねぇ。
それでは奥さん明日もまたおいでくださいまし。『う』と『ふ』でお待ちもうしておりますよ。
それでは本日も各自の持ち場で奮闘くださいませ!
では、また明日。
枯れ木に花を咲かせましょう!
↓以下、花咲爺日記でございます。
11月28日水曜日。藤村でございます。
25日の日曜日に「大阪マラソン」を走りました。
その前々日、23日は京都大学で嬉野先生と「水曜どうでしょう×京大 特別集中講義」と題した講演を3時間やりまして、その後は、我々を呼んでくれた京大生の玉木くんをはじめ、学生諸君としこたま飲んで、とてもいい夜を過ごしました。
翌24日は、朝8時に起きて、鴨川沿いをランニングしました。なんせ、12月15日に放送されるドラマ「幸せハッピー」の仕上げや、12月1日から北海道で放送がスタートする「クロスバトル」の日本語版の編集、そして3月に発売される次のどうでしょうDVDの編集もあって、1週間以上走ってなかったんです。せめてマラソン本番の前日ぐらいは走っておかないとダメだろうと。それで5キロぐらい走りました。
で、大阪に移動して、昼は道頓堀でお好み焼きとインディアンカレーを食い、思いっきり腹を下して、腹の中のものを全部出しまして、夜は鶴橋で焼肉を食い、ハイボールをしこたま飲んで、夜10時には熟睡!という万全の体勢でマラソン当日の朝を迎えました。
一方、同じくマラソンに出場する店長は、鶴橋で一緒に焼肉を食ったあと、ホテルに帰る前に、「うどんを食いたい」と言い出したらしく、嬉野先生はじめHTBから同行したスタッフと夜の町をさらに徘徊し、でもうどん屋が見つからず、結局喫茶店に入って無為な時間を過ごしたと聞いております。さらに店長は、マラソン当日の朝も暗いうちからのそのそと起きだして、5キロを走ったと聞いております。
「バカじゃないか?」と思いましたけれど、そんなことは知る由もありません。私は、店長が喫茶店でホットミルクを飲んでいるときも、早朝5キロ走っているときも、ぐっすり寝ていたわけですから。
我々は、大阪のとなり堺市にあるホテルに泊まっておりました。大阪市内のホテルが満室で取れなかったんですね。
25日朝7時。ホテルのロビーに降りますと、すでに店長は私を待ち構えておりました。そりゃそうです。店長は5時前には起きていたんですから。
そして我々は、嬉野先生をはじめとするスタッフに見送られ、電車に乗ってスタート地点である大阪城へと向かいました。
電車に乗っている間、店長が私にやたらと話しかけてきます。
「藤村さん、サングラス買いました?」
「買わねぇよそんなもん。だって帽子あるだろう」
「あー帽子だけじゃダメですよー目が焼けちゃいますよー」
「はぁ?」
「ほら!朝日がまぶしいでしょう!」
「そりゃ今はまぶしいよ、朝だもん」
「焼けちゃいますよー?」
そう言って、店長は自慢げにサングラスをかけて、朝日を眺めておりました。
私は内心、
(夏のオリンピックなら、そりゃ路面の照り返しとかもあるだろうよ。キューちゃんだってサングラスはしてたよ。でも12月間近のこの時期に、照り返しもねぇだろう。ていうか、こっちは市民マラソンの、それも初マラソンだぞ。キューちゃんを参考にしてどうする)
そう思っておりました。
さらに店長は話を続けます。
「藤村さん、腕の振りは大事ですよ」
「あぁ」
「いや、マラソンってね、腕の振り方でリズムをとったり、いろいろあるんですって」
「まぁあるだろうな」
「たとえば、こうやってね」
言いながら店長は、なんだか女の子のルンルン走りみたいに、胸の前でくるくると手を回します。
「いや、ほんと!こうやるといいんですって」
「まぁ、そうかもな」
私は内心、こう思ってました。
(確かにな、腕の振り方ひとつにしても、マラソンのノウハウみたいなものはたくさんあるだろうよ。でもな、そんなノウハウで頭を埋め尽くしてしまったら、頭ばっかり重くなって、それこそ身軽になれないだろう。おまえの頭の上にはすでに帽子とサングラスがのっかってんだからな)
と、そんなことを話しているうちに、我々は、電車を乗り間違えていることに気付きました。
「おい、これ違うぞ」
「え、そうなんですか?」
「ヤバイ、これ乗ってたら奈良に行っちまう」
我々、あやうく奈良に行くところでした。
スタート地点の大阪城公園に着いたのは、7時45分。
駅から続く長蛇の列に従って、待機場所に向かいます。
その間、何人かの人に声を掛けられました。
「どうでしょういつも見てます!がんばりましょう!」
「自分も北海道です!がんばりましょう!」
8時30分。我々のカテゴリーである「K」の待機場所に到着。
なんせ3万人が出場するマラソン大会ですから、全員がスタートラインに一緒に並ぶわけにはいきません。スタートラインの先頭に並べるのは、カテゴリー「A」の、2時間そこそこで走るプロフェッショナル。その後ろに3時間で走れる人、3時間半で走れる人と、走力によって待機場所がスタート地点から後ろに下がります。我々がいる「K」は、4時間半から5時間でゴールを目指す人たち。
9時ちょうど。大阪マラソンがスタート。プロフェッショナルが勢いよく走り出します。しかし、我々は後方の待機場所でまだ立ち止まったまま。徐々に長い列が動きだして、我々がスタートラインを切ったのは、9時17分ごろでした。
スタートラインを越えるのと同時に、腕時計のストップウオッチを押します。
店長と並んで走り出します。
「写真撮ってくれる人がいるから、オレらはなるべく沿道に近い端っこを走ろう」
スタート地点を少し過ぎたところで、早くも「藤やーん!」という声が聞こえます。
「なんと心強い。ちゃんと来てくれてるじゃないか」
「朝早くからすまんなぁ」
店長とふたりで手をあげてこたえます。
一方で、腕時計を見ながら、1キロごとのラップタイムを確認します。
1キロあたり6分40秒台。
目標タイムは4時間30分で、なんなら4時間を切りたい。となれば、1キロを5分台で走りたいところ。
「ダメだ。これ遅いぞ」
「そうですね」
力強く店長も答えます。しかしながら、ランナーの行列はダンゴ状態。行くに行けない状況が続きます。
5キロ地点を越えたあたりから、少しずつ行列に隙間が見えてきたので、一気にペースを上げて、前のランナーをどんどん追い抜いていきます。なるべく沿道に近いところを走り、「藤やん!」の声を聞けば、そちらを向く。
大阪の繁華街、御堂筋に入る。沿道の人たちの数が一気に増える。その中で、系列局の岩手朝日の顔見知りの男が、iPadを抱えて動画を撮りながら「藤村さーん!」と声を張り上げて沿道を並走してくる。同じように携帯を向けながら並走する藩士諸君もあちこちに。
「おう!」と答えながらも、ランナーの間をぬって、前へ前へ。
御堂筋を右に折れて、土佐堀通へ。10キロ地点。ラップタイムは1時間ジャスト。
「よし、4時間半のペースに追いついたな。いけるぞこれは」
スピードに乗った足並みは快調そのもの。後ろを見ると、店長の姿はいつのまにか見えなくなっていました。
「調子いいぞ。これは4時間切れるかも」
片町の折り返し地点を過ぎ、再び御堂筋へ。その間、とにかく前のランナーをどんどん追い抜く。
京セラドームの20キロ地点の手前で、嬉野先生をはじめとするHTB軍団の姿を発見。
「藤やーん!」
「はーい!がんばっておりまーす!」
余裕で手を振って、さらに前へ前へ。
京セラドームを過ぎて、再び折り返し。そして20キロ地点。
ラップタイムは、1時間53分。このラップタイムは、あとでわかったことだけど、4時間を切ったコブクロの小渕さんより、4時間8分で走ったNMB48の女の子よりも早い。つまり10キロ以降は、1キロ5分の超ハイペースで飛ばしていたわけです。
20キロを1時間53分。これはしかし、練習のときには出していたタイムですから、別に驚くようなことじゃない。でも、致命的なのは、私は、今まで20キロ以上を走ったことがないということです。ここから先は、未知の世界なわけです。
そして、未知の世界、20キロを過ぎた直後、驚きました。
体が急におかしくなったんです。ふくらはぎがガチガチになって、めまいがしたんです。
「やばい。倒れる」
ほんとにそう思いました。まわりの風景が白くなる。ペースがぐんと落ちて、ついさっきまでは遅いと思っていたランナーたちに、どんどん追い抜かれていく。
「ダメだ。これ絶対にダメだ。完走は無理だ。倒れる。どこで地下鉄に乗ろうか」
もう完走はあきらめようと半分思ってました。沿道の「藤やーん!」の声援も、ほとんど耳に入りません。でもまだ歩いてはいませんでした。でも、歩いているのとさして変わらないペース。1キロのラップは7分を大きく越えていました。
「ダメだ。ダメだ。もうほんとにダメだ」
そう思っていたところに、給水所が見えました。
私はここまで給水をまったくしていませんでした。
フラフラと給水所にたどりつき、スポーツドリンクを口に含む。そしたら、なんでしょうか、めまいが一瞬のうちに消えて、一気に生き返ったような心地になったんです。
そういえば、マラソンのノウハウを頭に詰め込んだ店長が言ってました。
「藤村さん、給水所ではちゃんと休憩したほうがいいんですって」と。
それで、ようやく走るのをやめて、歩きながら、スポーツドリンクをガブガブと飲みました。2杯飲みました。生き返るんですね、そしたら。
で、またゆっくりと走り出してみる。足はまだまだ言うことをきかないけれど、もう少しは行けそうな気がしてくる。
「よし、次の給水所までがんばろう。そこでまた休憩しよう」
そう思って走りました。
次の給水所には、バナナやらお菓子やらがありました。
そういえば、店長が言ってました。
「給水だけはなくて、ちゃんと食べてエネルギーを補給しないとダメなんですって。あと、途中途中で屈伸とかもやったほうがいいですよ」
それで、バナナもお菓子も全部食べました。そして、端っこで立ち止まって、屈伸運動をしました。
するともうなんでしょうか、体がシャキッと元に戻っていくんです。
「店長、バカにしてすまんかった。おまえの言う通りだった」
私は猛烈に反省し、それ以降のすべての給水場に立ち寄り、そこにある食べ物はすべて食べることにしました。
バナナもチョコレートもキュウリもトマトもおいなりさんも桜餅もわらび餅も。まるでホテルのバイキングのように片っ端から。そして食い終わると屈伸運動。
それを繰り返して30キロ地点。ラップタイムは、3時間4分。20キロからの10キロは、1時間10分かかったことになります。もう4時間は切れません。しかし、まだ目標の4時間半は射程距離内。
「よし、あと10キロちょっと。これは毎朝走ってる距離じゃないか。もう楽勝じゃないか。そのうえ、途中でメシも食えるんだ。スポーツドリンクも飲み放題。そして、あちこちから声も聞こえる。心強いじゃないか」
「アメちゃん」と書かれたところでは、アメをもらい、それをなめながら走る。
「アメとか、口に入れて走るのがいいんですって」
言ってた言ってた。店長が言ってた。確かにアメはすごくいい。
30キロ以降、ペースはもう前半のようには戻らなかったけれど、しかし、給水、給食、屈伸を繰り返して、調子は上がりました。
もう「地下鉄に乗る」という選択肢は消えました。
あと5キロの地点で、南港大橋という橋を渡ります。登りです。最後の難関です。その入り口に、どうでしょうフィギュアを作っている「ユニオンクリエイティブ」の連中が陣取っておりました。
「藤村さーん!がんばれーッ!」
彼らもかなり熱くなっているんでしょう。こっちが引くぐらいの大声を張り上げております。「ありがたい」と思いつつも、こっちは「次の給水所にはどんな食い物があるんだろう?」と、そっちの方が気になってしょうがない。
時計を見れば、4時間30分を切れそうなタイムです。
しかし、その時の私にとっては、ビシッと給水所に立ち寄り、そこにあるものを全種類飲み食いする、そうしなければ完走できないという思いがありました。それがあたかもルールのような、「早食い完食マラソン」のような様相を呈しておりましたので、タイムはもう二の次でありました。
最後の給水所でもキッチリとお菓子を頂戴し、完食してゴールを目指します。
あらかた腹は一杯です。
ラスト1キロぐらいになると、「藤やんがんばれ!」の声があちこちから飛んできます。途中で何度か見た顔が並んでいます。彼らも同じく、42.195キロを移動して、ゴール地点に集結していたのです。
「藤やーん!」
たぶん、ゴール地点で、一番声を掛けられていたのは私ではないでしょうか。そのぐらい、ひっきりなしに声が掛かるんです。
手を振って、気合いを入れて、ラストスパートをかけます。
「藤やーん!」
「ありがとう!」
ゴール。タイムは、4時間31分26秒。
目標の4時間半には少しだけ遅れましたが、悔いはありません。悔いがあるとすれば、「わらび餅をもう2、3個食いたかった」ということだけでした。
ゴールすると、嬉野先生たちと大阪マラソンの実行委員の人たちが待ち構えておりました。彼らも熱いどうでしょうファンだそうです。関西にもいつのまにか、どうでしょう好きがこんなに増えていたんですね。
初マラソンの感想は、
「案外、マラソンって、腹一杯になるんだな」
ということでした。
でもその後、着替えをして、「うまいもん市」とかいうイベント会場で、富山のラーメン店の行列に並んでラーメンを食い、ビールも2杯飲みました。
「もうね、十分満足しました。あとはもう、早くホテルに戻ってゆっくり休みたい」
そう思っておりましたが、店長がまだゴールしていません。
「もういいんじゃねぇの?あいつは」
そう申しましたら、全員から猛反発をくらい、待つことにしました。
店長がゴールしたのは、私の2時間後、6時間を越えたときでした。
フラッフラの店長の姿を沿道で見届けて、一足先にホテルへと戻りました。
途中、嬉野先生からメールがありました。
「現在、スタッフ全員で店長を護送中。まだ時間がかかりそうです」と。
店長はもう、足腰が立たず、両脇を抱えられて帰りの電車に運び込まれたそうです。
その夜、メシを食いながら店長の話を聞きました。彼はしきりに「腕が痛い」と申しておりました。彼は、例の「ルンルン走り」を実践し、その結果、腕を振り過ぎて、痛めたそうであります。
「でも店長、おまえが言ってた通り、いろんなもの食べたら元気が出たわ。トマトなんて最高にうまかったもんな」
「あ、そうですか。ぼくが行ったときにはもうトマトなんてなかったです」
「え?そうなの?」
「ないです。もう売り切れでした。それ見て、心が完全に折れました」
「わらび餅は?」
「ないです」
「あ、タイムが遅いと食い物もどんどん売り切れちゃうんだ」
「ぼくが行ったときに残っていたのは、バナナと紙コップだけです」
店長は、さびしげに笑い、そして30分もしないうちにテーブルに突っ伏して寝てしまいました。そしてまたスタッフに護送されてホテルに帰っていきました。
大阪ヒゲマラソンは、こうして終わりました。
沿道に駆けつけてくれたみなさま、ありがとうございました。
みなさまから投稿していただいた写真は、嬉野先生がまとめて、掲載する予定であります。
「ヒゲのおっさん二人がフルマラソンに挑んだらどうなるか?」という人体実験の様子を、沿道に陣取ったみなさまから送られてくる写真からひもといていくという今回の企画。
一体どんな表情が写し出されているのか。興味深いところであります。
藤やんうれしーの悩むだけ損!】
ネットサイト「電撃オンライン」にて月2回のペースで「お悩み相談」を執筆しております。
(13:25 嬉野)

嬉野

2012年12月10日(月)
おはようございます奥さん。
大雪の札幌から本日も嬉野がご機嫌を伺わせていただきますよ。
さて、奥さん。
この前の大阪マラソンで、うちの藤村さんが42.195kmを完走なさいましてね。
しかも4時間半での完走という快挙でございますよ奥さん。
これには私も驚く、世間も驚くということでしたが。
で、あの人。
過日、ここの日記にね。
走った日のことをつぶさに書いてましたが。
あの方は見てきたことを、こと細かに面白可笑しく書くのが昔から上手な人だから、私も読んでて笑ったもんですが、あれ、人によってはね、なんですか読みながら感動して泣けちゃいましたという人がありましてね、その感想を意外に思ったもんでしたが、
「あんたほら、大阪マラソンの日記書いたじゃない」
「あぁ書いたねぇ」
「あれ面白かったんだけどさぁ、あれ読んで泣いたって人が何人かいてさぁ」
「えぇ?なんでさ」
「いや、だからさ。オレも最初は不審に思ったんだけどね。でも、あれって確かに笑っちゃうはなしなんだけど、でも同時にさ、あれ読んでるとね、あの日のランナーだったあんたが、あの日、苦しい思いの中、走りながら見た光景や、あんたの耳に入って来た沿道の人の声やら何やらがさ、あんたの人格を通すことによって、きみょうに澄んだ明るい幸福感に変換増幅されて読んでる側の目に見え耳に聞こえてくるようなとこあるんだよ」
「はぁ…」
「あの幸福感を読み取った時にはね、そらぁ人によっては笑い、人によっては、思いがけない幸福感に包まれて不意に涙が溢れて、自分も走りたいなぁっておもわせるってこともあるなってね、思ってね」
「ふーん」
「いや、オレもそんなに意識してはなかったけど。でも、確かにあんたは、そうね、花咲爺みたいなとこ、あんのかもしれないね」
「あ〜?花咲爺?」
「いや、こうさぁ、やたらこう、じじいは灰を世間に撒いてんだよ『枯木に花を咲かせましょう』って、わけの分かんないこと言ってさぁ。だから人によっちゃあ撒かれた灰がそのまま目に入って、痛えよ!ってこともあるんだけどさぁ、でも人によっちゃあこう、胸のここんとこの、枯れ木に花が咲くというね」
「あぁ」
「そういう、あんたはそう『幸せをもたらす男』なのかも知れないんだねぇ」
そんな話をしましたが。
言われた藤村さんも、花咲爺というイメージは、わりとお気に召したようでしたが(^-^)
まぁそういう話をしながらもね、いやオレってほんと気の利いたこと思いつくよなぁと、これまた思ったわけでしたがね(^-^)
いやいや、こういうことを書くと世間様に嫌がられられますが、ほんとそう思うのでね、書いてますよ奥さんねぇ。
それでは奥さん明日もまたおいでくださいまし。『う』と『ふ』でお待ちもうしておりますよ。
それでは本日も各自の持ち場で奮闘くださいませ!
では、また明日。
枯れ木に花を咲かせましょう!
↓以下、花咲爺日記でございます。
11月28日水曜日。藤村でございます。
25日の日曜日に「大阪マラソン」を走りました。
その前々日、23日は京都大学で嬉野先生と「水曜どうでしょう×京大 特別集中講義」と題した講演を3時間やりまして、その後は、我々を呼んでくれた京大生の玉木くんをはじめ、学生諸君としこたま飲んで、とてもいい夜を過ごしました。
翌24日は、朝8時に起きて、鴨川沿いをランニングしました。なんせ、12月15日に放送されるドラマ「幸せハッピー」の仕上げや、12月1日から北海道で放送がスタートする「クロスバトル」の日本語版の編集、そして3月に発売される次のどうでしょうDVDの編集もあって、1週間以上走ってなかったんです。せめてマラソン本番の前日ぐらいは走っておかないとダメだろうと。それで5キロぐらい走りました。
で、大阪に移動して、昼は道頓堀でお好み焼きとインディアンカレーを食い、思いっきり腹を下して、腹の中のものを全部出しまして、夜は鶴橋で焼肉を食い、ハイボールをしこたま飲んで、夜10時には熟睡!という万全の体勢でマラソン当日の朝を迎えました。
一方、同じくマラソンに出場する店長は、鶴橋で一緒に焼肉を食ったあと、ホテルに帰る前に、「うどんを食いたい」と言い出したらしく、嬉野先生はじめHTBから同行したスタッフと夜の町をさらに徘徊し、でもうどん屋が見つからず、結局喫茶店に入って無為な時間を過ごしたと聞いております。さらに店長は、マラソン当日の朝も暗いうちからのそのそと起きだして、5キロを走ったと聞いております。
「バカじゃないか?」と思いましたけれど、そんなことは知る由もありません。私は、店長が喫茶店でホットミルクを飲んでいるときも、早朝5キロ走っているときも、ぐっすり寝ていたわけですから。
我々は、大阪のとなり堺市にあるホテルに泊まっておりました。大阪市内のホテルが満室で取れなかったんですね。
25日朝7時。ホテルのロビーに降りますと、すでに店長は私を待ち構えておりました。そりゃそうです。店長は5時前には起きていたんですから。
そして我々は、嬉野先生をはじめとするスタッフに見送られ、電車に乗ってスタート地点である大阪城へと向かいました。
電車に乗っている間、店長が私にやたらと話しかけてきます。
「藤村さん、サングラス買いました?」
「買わねぇよそんなもん。だって帽子あるだろう」
「あー帽子だけじゃダメですよー目が焼けちゃいますよー」
「はぁ?」
「ほら!朝日がまぶしいでしょう!」
「そりゃ今はまぶしいよ、朝だもん」
「焼けちゃいますよー?」
そう言って、店長は自慢げにサングラスをかけて、朝日を眺めておりました。
私は内心、
(夏のオリンピックなら、そりゃ路面の照り返しとかもあるだろうよ。キューちゃんだってサングラスはしてたよ。でも12月間近のこの時期に、照り返しもねぇだろう。ていうか、こっちは市民マラソンの、それも初マラソンだぞ。キューちゃんを参考にしてどうする)
そう思っておりました。
さらに店長は話を続けます。
「藤村さん、腕の振りは大事ですよ」
「あぁ」
「いや、マラソンってね、腕の振り方でリズムをとったり、いろいろあるんですって」
「まぁあるだろうな」
「たとえば、こうやってね」
言いながら店長は、なんだか女の子のルンルン走りみたいに、胸の前でくるくると手を回します。
「いや、ほんと!こうやるといいんですって」
「まぁ、そうかもな」
私は内心、こう思ってました。
(確かにな、腕の振り方ひとつにしても、マラソンのノウハウみたいなものはたくさんあるだろうよ。でもな、そんなノウハウで頭を埋め尽くしてしまったら、頭ばっかり重くなって、それこそ身軽になれないだろう。おまえの頭の上にはすでに帽子とサングラスがのっかってんだからな)
と、そんなことを話しているうちに、我々は、電車を乗り間違えていることに気付きました。
「おい、これ違うぞ」
「え、そうなんですか?」
「ヤバイ、これ乗ってたら奈良に行っちまう」
我々、あやうく奈良に行くところでした。
スタート地点の大阪城公園に着いたのは、7時45分。
駅から続く長蛇の列に従って、待機場所に向かいます。
その間、何人かの人に声を掛けられました。
「どうでしょういつも見てます!がんばりましょう!」
「自分も北海道です!がんばりましょう!」
8時30分。我々のカテゴリーである「K」の待機場所に到着。
なんせ3万人が出場するマラソン大会ですから、全員がスタートラインに一緒に並ぶわけにはいきません。スタートラインの先頭に並べるのは、カテゴリー「A」の、2時間そこそこで走るプロフェッショナル。その後ろに3時間で走れる人、3時間半で走れる人と、走力によって待機場所がスタート地点から後ろに下がります。我々がいる「K」は、4時間半から5時間でゴールを目指す人たち。
9時ちょうど。大阪マラソンがスタート。プロフェッショナルが勢いよく走り出します。しかし、我々は後方の待機場所でまだ立ち止まったまま。徐々に長い列が動きだして、我々がスタートラインを切ったのは、9時17分ごろでした。
スタートラインを越えるのと同時に、腕時計のストップウオッチを押します。
店長と並んで走り出します。
「写真撮ってくれる人がいるから、オレらはなるべく沿道に近い端っこを走ろう」
スタート地点を少し過ぎたところで、早くも「藤やーん!」という声が聞こえます。
「なんと心強い。ちゃんと来てくれてるじゃないか」
「朝早くからすまんなぁ」
店長とふたりで手をあげてこたえます。
一方で、腕時計を見ながら、1キロごとのラップタイムを確認します。
1キロあたり6分40秒台。
目標タイムは4時間30分で、なんなら4時間を切りたい。となれば、1キロを5分台で走りたいところ。
「ダメだ。これ遅いぞ」
「そうですね」
力強く店長も答えます。しかしながら、ランナーの行列はダンゴ状態。行くに行けない状況が続きます。
5キロ地点を越えたあたりから、少しずつ行列に隙間が見えてきたので、一気にペースを上げて、前のランナーをどんどん追い抜いていきます。なるべく沿道に近いところを走り、「藤やん!」の声を聞けば、そちらを向く。
大阪の繁華街、御堂筋に入る。沿道の人たちの数が一気に増える。その中で、系列局の岩手朝日の顔見知りの男が、iPadを抱えて動画を撮りながら「藤村さーん!」と声を張り上げて沿道を並走してくる。同じように携帯を向けながら並走する藩士諸君もあちこちに。
「おう!」と答えながらも、ランナーの間をぬって、前へ前へ。
御堂筋を右に折れて、土佐堀通へ。10キロ地点。ラップタイムは1時間ジャスト。
「よし、4時間半のペースに追いついたな。いけるぞこれは」
スピードに乗った足並みは快調そのもの。後ろを見ると、店長の姿はいつのまにか見えなくなっていました。
「調子いいぞ。これは4時間切れるかも」
片町の折り返し地点を過ぎ、再び御堂筋へ。その間、とにかく前のランナーをどんどん追い抜く。
京セラドームの20キロ地点の手前で、嬉野先生をはじめとするHTB軍団の姿を発見。
「藤やーん!」
「はーい!がんばっておりまーす!」
余裕で手を振って、さらに前へ前へ。
京セラドームを過ぎて、再び折り返し。そして20キロ地点。
ラップタイムは、1時間53分。このラップタイムは、あとでわかったことだけど、4時間を切ったコブクロの小渕さんより、4時間8分で走ったNMB48の女の子よりも早い。つまり10キロ以降は、1キロ5分の超ハイペースで飛ばしていたわけです。
20キロを1時間53分。これはしかし、練習のときには出していたタイムですから、別に驚くようなことじゃない。でも、致命的なのは、私は、今まで20キロ以上を走ったことがないということです。ここから先は、未知の世界なわけです。
そして、未知の世界、20キロを過ぎた直後、驚きました。
体が急におかしくなったんです。ふくらはぎがガチガチになって、めまいがしたんです。
「やばい。倒れる」
ほんとにそう思いました。まわりの風景が白くなる。ペースがぐんと落ちて、ついさっきまでは遅いと思っていたランナーたちに、どんどん追い抜かれていく。
「ダメだ。これ絶対にダメだ。完走は無理だ。倒れる。どこで地下鉄に乗ろうか」
もう完走はあきらめようと半分思ってました。沿道の「藤やーん!」の声援も、ほとんど耳に入りません。でもまだ歩いてはいませんでした。でも、歩いているのとさして変わらないペース。1キロのラップは7分を大きく越えていました。
「ダメだ。ダメだ。もうほんとにダメだ」
そう思っていたところに、給水所が見えました。
私はここまで給水をまったくしていませんでした。
フラフラと給水所にたどりつき、スポーツドリンクを口に含む。そしたら、なんでしょうか、めまいが一瞬のうちに消えて、一気に生き返ったような心地になったんです。
そういえば、マラソンのノウハウを頭に詰め込んだ店長が言ってました。
「藤村さん、給水所ではちゃんと休憩したほうがいいんですって」と。
それで、ようやく走るのをやめて、歩きながら、スポーツドリンクをガブガブと飲みました。2杯飲みました。生き返るんですね、そしたら。
で、またゆっくりと走り出してみる。足はまだまだ言うことをきかないけれど、もう少しは行けそうな気がしてくる。
「よし、次の給水所までがんばろう。そこでまた休憩しよう」
そう思って走りました。
次の給水所には、バナナやらお菓子やらがありました。
そういえば、店長が言ってました。
「給水だけはなくて、ちゃんと食べてエネルギーを補給しないとダメなんですって。あと、途中途中で屈伸とかもやったほうがいいですよ」
それで、バナナもお菓子も全部食べました。そして、端っこで立ち止まって、屈伸運動をしました。
するともうなんでしょうか、体がシャキッと元に戻っていくんです。
「店長、バカにしてすまんかった。おまえの言う通りだった」
私は猛烈に反省し、それ以降のすべての給水場に立ち寄り、そこにある食べ物はすべて食べることにしました。
バナナもチョコレートもキュウリもトマトもおいなりさんも桜餅もわらび餅も。まるでホテルのバイキングのように片っ端から。そして食い終わると屈伸運動。
それを繰り返して30キロ地点。ラップタイムは、3時間4分。20キロからの10キロは、1時間10分かかったことになります。もう4時間は切れません。しかし、まだ目標の4時間半は射程距離内。
「よし、あと10キロちょっと。これは毎朝走ってる距離じゃないか。もう楽勝じゃないか。そのうえ、途中でメシも食えるんだ。スポーツドリンクも飲み放題。そして、あちこちから声も聞こえる。心強いじゃないか」
「アメちゃん」と書かれたところでは、アメをもらい、それをなめながら走る。
「アメとか、口に入れて走るのがいいんですって」
言ってた言ってた。店長が言ってた。確かにアメはすごくいい。
30キロ以降、ペースはもう前半のようには戻らなかったけれど、しかし、給水、給食、屈伸を繰り返して、調子は上がりました。
もう「地下鉄に乗る」という選択肢は消えました。
あと5キロの地点で、南港大橋という橋を渡ります。登りです。最後の難関です。その入り口に、どうでしょうフィギュアを作っている「ユニオンクリエイティブ」の連中が陣取っておりました。
「藤村さーん!がんばれーッ!」
彼らもかなり熱くなっているんでしょう。こっちが引くぐらいの大声を張り上げております。「ありがたい」と思いつつも、こっちは「次の給水所にはどんな食い物があるんだろう?」と、そっちの方が気になってしょうがない。
時計を見れば、4時間30分を切れそうなタイムです。
しかし、その時の私にとっては、ビシッと給水所に立ち寄り、そこにあるものを全種類飲み食いする、そうしなければ完走できないという思いがありました。それがあたかもルールのような、「早食い完食マラソン」のような様相を呈しておりましたので、タイムはもう二の次でありました。
最後の給水所でもキッチリとお菓子を頂戴し、完食してゴールを目指します。
あらかた腹は一杯です。
ラスト1キロぐらいになると、「藤やんがんばれ!」の声があちこちから飛んできます。途中で何度か見た顔が並んでいます。彼らも同じく、42.195キロを移動して、ゴール地点に集結していたのです。
「藤やーん!」
たぶん、ゴール地点で、一番声を掛けられていたのは私ではないでしょうか。そのぐらい、ひっきりなしに声が掛かるんです。
手を振って、気合いを入れて、ラストスパートをかけます。
「藤やーん!」
「ありがとう!」
ゴール。タイムは、4時間31分26秒。
目標の4時間半には少しだけ遅れましたが、悔いはありません。悔いがあるとすれば、「わらび餅をもう2、3個食いたかった」ということだけでした。
ゴールすると、嬉野先生たちと大阪マラソンの実行委員の人たちが待ち構えておりました。彼らも熱いどうでしょうファンだそうです。関西にもいつのまにか、どうでしょう好きがこんなに増えていたんですね。
初マラソンの感想は、
「案外、マラソンって、腹一杯になるんだな」
ということでした。
でもその後、着替えをして、「うまいもん市」とかいうイベント会場で、富山のラーメン店の行列に並んでラーメンを食い、ビールも2杯飲みました。
「もうね、十分満足しました。あとはもう、早くホテルに戻ってゆっくり休みたい」
そう思っておりましたが、店長がまだゴールしていません。
「もういいんじゃねぇの?あいつは」
そう申しましたら、全員から猛反発をくらい、待つことにしました。
店長がゴールしたのは、私の2時間後、6時間を越えたときでした。
フラッフラの店長の姿を沿道で見届けて、一足先にホテルへと戻りました。
途中、嬉野先生からメールがありました。
「現在、スタッフ全員で店長を護送中。まだ時間がかかりそうです」と。
店長はもう、足腰が立たず、両脇を抱えられて帰りの電車に運び込まれたそうです。
その夜、メシを食いながら店長の話を聞きました。彼はしきりに「腕が痛い」と申しておりました。彼は、例の「ルンルン走り」を実践し、その結果、腕を振り過ぎて、痛めたそうであります。
「でも店長、おまえが言ってた通り、いろんなもの食べたら元気が出たわ。トマトなんて最高にうまかったもんな」
「あ、そうですか。ぼくが行ったときにはもうトマトなんてなかったです」
「え?そうなの?」
「ないです。もう売り切れでした。それ見て、心が完全に折れました」
「わらび餅は?」
「ないです」
「あ、タイムが遅いと食い物もどんどん売り切れちゃうんだ」
「ぼくが行ったときに残っていたのは、バナナと紙コップだけです」
店長は、さびしげに笑い、そして30分もしないうちにテーブルに突っ伏して寝てしまいました。そしてまたスタッフに護送されてホテルに帰っていきました。
大阪ヒゲマラソンは、こうして終わりました。
沿道に駆けつけてくれたみなさま、ありがとうございました。
みなさまから投稿していただいた写真は、嬉野先生がまとめて、掲載する予定であります。
「ヒゲのおっさん二人がフルマラソンに挑んだらどうなるか?」という人体実験の様子を、沿道に陣取ったみなさまから送られてくる写真からひもといていくという今回の企画。
一体どんな表情が写し出されているのか。興味深いところであります。
藤やんうれしーの悩むだけ損!】
ネットサイト「電撃オンライン」にて月2回のペースで「お悩み相談」を執筆しております。
(10:01 嬉野)

嬉野

2012年12月4日(火)
嬉野です。
奥さん。樋口了一さんが風のように現れて不意に小樽で
コンサートをやりますよ。
現れる場所は市民劇場ヲタル座です。
現れる日時は今週の土曜日12月8日の午後3時30分です。
すなはち開場15:30 開演16:00です!
ご予約は、music shop 音楽処ホームページ http://www.ondoko.jp
メールしましょう(^-^)/
お電話ならば011-221-0106まで!
11/17〜music shop音楽処 店頭にても発売中でありますよ。
夕方の4時から始まるコンサートなら札幌の人も帰りが
遅くならずに済みますもん(^-^)/
雪の降り積もった冬の小樽にあなた一人で出かけるもよし。
思いがけない人を誘って二人で行くもよしです。
そうして樋口了一さんに会いに行ってみてください。
題しまして「了〜はじまりの風〜in小樽ヲタル座」です。
小樽市民劇場ヲタル座は、ウイングベイ小樽3階5番街
( JR小樽築港駅直結です!)
さ、とういうことでね、大阪マラソンの報告写真紙芝居も
樋口さんのコンサートと同じ8日を予定しておりましたが
どうなりますことやら。
おそらく間に合いません。
あくまでも(予定)でございます。あいすんません。
大阪の報告はしばらく待て!
それでは諸氏!
本日も各自の持ち場で奮闘願います!
そして8日土曜日には樋口了一さんに会いに小樽へ行こう!
では解散です!
↓(以下藤村日記に続く)
11月28日水曜日。藤村でございます。
25日の日曜日に「大阪マラソン」を走りました。
その前々日、23日は京都大学で嬉野先生と「水曜どうでしょう×京大 特別集中講義」と題した講演を3時間やりまして、その後は、我々を呼んでくれた京大生の玉木くんをはじめ、学生諸君としこたま飲んで、とてもいい夜を過ごしました。
翌24日は、朝8時に起きて、鴨川沿いをランニングしました。なんせ、12月15日に放送されるドラマ「幸せハッピー」の仕上げや、12月1日から北海道で放送がスタートする「クロスバトル」の日本語版の編集、そして3月に発売される次のどうでしょうDVDの編集もあって、1週間以上走ってなかったんです。せめてマラソン本番の前日ぐらいは走っておかないとダメだろうと。それで5キロぐらい走りました。
で、大阪に移動して、昼は道頓堀でお好み焼きとインディアンカレーを食い、思いっきり腹を下して、腹の中のものを全部出しまして、夜は鶴橋で焼肉を食い、ハイボールをしこたま飲んで、夜10時には熟睡!という万全の体勢でマラソン当日の朝を迎えました。
一方、同じくマラソンに出場する店長は、鶴橋で一緒に焼肉を食ったあと、ホテルに帰る前に、「うどんを食いたい」と言い出したらしく、嬉野先生はじめHTBから同行したスタッフと夜の町をさらに徘徊し、でもうどん屋が見つからず、結局喫茶店に入って無為な時間を過ごしたと聞いております。さらに店長は、マラソン当日の朝も暗いうちからのそのそと起きだして、5キロを走ったと聞いております。
「バカじゃないか?」と思いましたけれど、そんなことは知る由もありません。私は、店長が喫茶店でホットミルクを飲んでいるときも、早朝5キロ走っているときも、ぐっすり寝ていたわけですから。
我々は、大阪のとなり堺市にあるホテルに泊まっておりました。大阪市内のホテルが満室で取れなかったんですね。
25日朝7時。ホテルのロビーに降りますと、すでに店長は私を待ち構えておりました。そりゃそうです。店長は5時前には起きていたんですから。
そして我々は、嬉野先生をはじめとするスタッフに見送られ、電車に乗ってスタート地点である大阪城へと向かいました。
電車に乗っている間、店長が私にやたらと話しかけてきます。
「藤村さん、サングラス買いました?」
「買わねぇよそんなもん。だって帽子あるだろう」
「あー帽子だけじゃダメですよー目が焼けちゃいますよー」
「はぁ?」
「ほら!朝日がまぶしいでしょう!」
「そりゃ今はまぶしいよ、朝だもん」
「焼けちゃいますよー?」
そう言って、店長は自慢げにサングラスをかけて、朝日を眺めておりました。
私は内心、
(夏のオリンピックなら、そりゃ路面の照り返しとかもあるだろうよ。キューちゃんだってサングラスはしてたよ。でも12月間近のこの時期に、照り返しもねぇだろう。ていうか、こっちは市民マラソンの、それも初マラソンだぞ。キューちゃんを参考にしてどうする)
そう思っておりました。
さらに店長は話を続けます。
「藤村さん、腕の振りは大事ですよ」
「あぁ」
「いや、マラソンってね、腕の振り方でリズムをとったり、いろいろあるんですって」
「まぁあるだろうな」
「たとえば、こうやってね」
言いながら店長は、なんだか女の子のルンルン走りみたいに、胸の前でくるくると手を回します。
「いや、ほんと!こうやるといいんですって」
「まぁ、そうかもな」
私は内心、こう思ってました。
(確かにな、腕の振り方ひとつにしても、マラソンのノウハウみたいなものはたくさんあるだろうよ。でもな、そんなノウハウで頭を埋め尽くしてしまったら、頭ばっかり重くなって、それこそ身軽になれないだろう。おまえの頭の上にはすでに帽子とサングラスがのっかってんだからな)
と、そんなことを話しているうちに、我々は、電車を乗り間違えていることに気付きました。
「おい、これ違うぞ」
「え、そうなんですか?」
「ヤバイ、これ乗ってたら奈良に行っちまう」
我々、あやうく奈良に行くところでした。
スタート地点の大阪城公園に着いたのは、7時45分。
駅から続く長蛇の列に従って、待機場所に向かいます。
その間、何人かの人に声を掛けられました。
「どうでしょういつも見てます!がんばりましょう!」
「自分も北海道です!がんばりましょう!」
8時30分。我々のカテゴリーである「K」の待機場所に到着。
なんせ3万人が出場するマラソン大会ですから、全員がスタートラインに一緒に並ぶわけにはいきません。スタートラインの先頭に並べるのは、カテゴリー「A」の、2時間そこそこで走るプロフェッショナル。その後ろに3時間で走れる人、3時間半で走れる人と、走力によって待機場所がスタート地点から後ろに下がります。我々がいる「K」は、4時間半から5時間でゴールを目指す人たち。
9時ちょうど。大阪マラソンがスタート。プロフェッショナルが勢いよく走り出します。しかし、我々は後方の待機場所でまだ立ち止まったまま。徐々に長い列が動きだして、我々がスタートラインを切ったのは、9時17分ごろでした。
スタートラインを越えるのと同時に、腕時計のストップウオッチを押します。
店長と並んで走り出します。
「写真撮ってくれる人がいるから、オレらはなるべく沿道に近い端っこを走ろう」
スタート地点を少し過ぎたところで、早くも「藤やーん!」という声が聞こえます。
「なんと心強い。ちゃんと来てくれてるじゃないか」
「朝早くからすまんなぁ」
店長とふたりで手をあげてこたえます。
一方で、腕時計を見ながら、1キロごとのラップタイムを確認します。
1キロあたり6分40秒台。
目標タイムは4時間30分で、なんなら4時間を切りたい。となれば、1キロを5分台で走りたいところ。
「ダメだ。これ遅いぞ」
「そうですね」
力強く店長も答えます。しかしながら、ランナーの行列はダンゴ状態。行くに行けない状況が続きます。
5キロ地点を越えたあたりから、少しずつ行列に隙間が見えてきたので、一気にペースを上げて、前のランナーをどんどん追い抜いていきます。なるべく沿道に近いところを走り、「藤やん!」の声を聞けば、そちらを向く。
大阪の繁華街、御堂筋に入る。沿道の人たちの数が一気に増える。その中で、系列局の岩手朝日の顔見知りの男が、iPadを抱えて動画を撮りながら「藤村さーん!」と声を張り上げて沿道を並走してくる。同じように携帯を向けながら並走する藩士諸君もあちこちに。
「おう!」と答えながらも、ランナーの間をぬって、前へ前へ。
御堂筋を右に折れて、土佐堀通へ。10キロ地点。ラップタイムは1時間ジャスト。
「よし、4時間半のペースに追いついたな。いけるぞこれは」
スピードに乗った足並みは快調そのもの。後ろを見ると、店長の姿はいつのまにか見えなくなっていました。
「調子いいぞ。これは4時間切れるかも」
片町の折り返し地点を過ぎ、再び御堂筋へ。その間、とにかく前のランナーをどんどん追い抜く。
京セラドームの20キロ地点の手前で、嬉野先生をはじめとするHTB軍団の姿を発見。
「藤やーん!」
「はーい!がんばっておりまーす!」
余裕で手を振って、さらに前へ前へ。
京セラドームを過ぎて、再び折り返し。そして20キロ地点。
ラップタイムは、1時間53分。このラップタイムは、あとでわかったことだけど、4時間を切ったコブクロの小渕さんより、4時間8分で走ったNMB48の女の子よりも早い。つまり10キロ以降は、1キロ5分の超ハイペースで飛ばしていたわけです。
20キロを1時間53分。これはしかし、練習のときには出していたタイムですから、別に驚くようなことじゃない。でも、致命的なのは、私は、今まで20キロ以上を走ったことがないということです。ここから先は、未知の世界なわけです。
そして、未知の世界、20キロを過ぎた直後、驚きました。
体が急におかしくなったんです。ふくらはぎがガチガチになって、めまいがしたんです。
「やばい。倒れる」
ほんとにそう思いました。まわりの風景が白くなる。ペースがぐんと落ちて、ついさっきまでは遅いと思っていたランナーたちに、どんどん追い抜かれていく。
「ダメだ。これ絶対にダメだ。完走は無理だ。倒れる。どこで地下鉄に乗ろうか」
もう完走はあきらめようと半分思ってました。沿道の「藤やーん!」の声援も、ほとんど耳に入りません。でもまだ歩いてはいませんでした。でも、歩いているのとさして変わらないペース。1キロのラップは7分を大きく越えていました。
「ダメだ。ダメだ。もうほんとにダメだ」
そう思っていたところに、給水所が見えました。
私はここまで給水をまったくしていませんでした。
フラフラと給水所にたどりつき、スポーツドリンクを口に含む。そしたら、なんでしょうか、めまいが一瞬のうちに消えて、一気に生き返ったような心地になったんです。
そういえば、マラソンのノウハウを頭に詰め込んだ店長が言ってました。
「藤村さん、給水所ではちゃんと休憩したほうがいいんですって」と。
それで、ようやく走るのをやめて、歩きながら、スポーツドリンクをガブガブと飲みました。2杯飲みました。生き返るんですね、そしたら。
で、またゆっくりと走り出してみる。足はまだまだ言うことをきかないけれど、もう少しは行けそうな気がしてくる。
「よし、次の給水所までがんばろう。そこでまた休憩しよう」
そう思って走りました。
次の給水所には、バナナやらお菓子やらがありました。
そういえば、店長が言ってました。
「給水だけはなくて、ちゃんと食べてエネルギーを補給しないとダメなんですって。あと、途中途中で屈伸とかもやったほうがいいですよ」
それで、バナナもお菓子も全部食べました。そして、端っこで立ち止まって、屈伸運動をしました。
するともうなんでしょうか、体がシャキッと元に戻っていくんです。
「店長、バカにしてすまんかった。おまえの言う通りだった」
私は猛烈に反省し、それ以降のすべての給水場に立ち寄り、そこにある食べ物はすべて食べることにしました。
バナナもチョコレートもキュウリもトマトもおいなりさんも桜餅もわらび餅も。まるでホテルのバイキングのように片っ端から。そして食い終わると屈伸運動。
それを繰り返して30キロ地点。ラップタイムは、3時間4分。20キロからの10キロは、1時間10分かかったことになります。もう4時間は切れません。しかし、まだ目標の4時間半は射程距離内。
「よし、あと10キロちょっと。これは毎朝走ってる距離じゃないか。もう楽勝じゃないか。そのうえ、途中でメシも食えるんだ。スポーツドリンクも飲み放題。そして、あちこちから声も聞こえる。心強いじゃないか」
「アメちゃん」と書かれたところでは、アメをもらい、それをなめながら走る。
「アメとか、口に入れて走るのがいいんですって」
言ってた言ってた。店長が言ってた。確かにアメはすごくいい。
30キロ以降、ペースはもう前半のようには戻らなかったけれど、しかし、給水、給食、屈伸を繰り返して、調子は上がりました。
もう「地下鉄に乗る」という選択肢は消えました。
あと5キロの地点で、南港大橋という橋を渡ります。登りです。最後の難関です。その入り口に、どうでしょうフィギュアを作っている「ユニオンクリエイティブ」の連中が陣取っておりました。
「藤村さーん!がんばれーッ!」
彼らもかなり熱くなっているんでしょう。こっちが引くぐらいの大声を張り上げております。「ありがたい」と思いつつも、こっちは「次の給水所にはどんな食い物があるんだろう?」と、そっちの方が気になってしょうがない。
時計を見れば、4時間30分を切れそうなタイムです。
しかし、その時の私にとっては、ビシッと給水所に立ち寄り、そこにあるものを全種類飲み食いする、そうしなければ完走できないという思いがありました。それがあたかもルールのような、「早食い完食マラソン」のような様相を呈しておりましたので、タイムはもう二の次でありました。
最後の給水所でもキッチリとお菓子を頂戴し、完食してゴールを目指します。
あらかた腹は一杯です。
ラスト1キロぐらいになると、「藤やんがんばれ!」の声があちこちから飛んできます。途中で何度か見た顔が並んでいます。彼らも同じく、42.195キロを移動して、ゴール地点に集結していたのです。
「藤やーん!」
たぶん、ゴール地点で、一番声を掛けられていたのは私ではないでしょうか。そのぐらい、ひっきりなしに声が掛かるんです。
手を振って、気合いを入れて、ラストスパートをかけます。
「藤やーん!」
「ありがとう!」
ゴール。タイムは、4時間31分26秒。
目標の4時間半には少しだけ遅れましたが、悔いはありません。悔いがあるとすれば、「わらび餅をもう2、3個食いたかった」ということだけでした。
ゴールすると、嬉野先生たちと大阪マラソンの実行委員の人たちが待ち構えておりました。彼らも熱いどうでしょうファンだそうです。関西にもいつのまにか、どうでしょう好きがこんなに増えていたんですね。
初マラソンの感想は、
「案外、マラソンって、腹一杯になるんだな」
ということでした。
でもその後、着替えをして、「うまいもん市」とかいうイベント会場で、富山のラーメン店の行列に並んでラーメンを食い、ビールも2杯飲みました。
「もうね、十分満足しました。あとはもう、早くホテルに戻ってゆっくり休みたい」
そう思っておりましたが、店長がまだゴールしていません。
「もういいんじゃねぇの?あいつは」
そう申しましたら、全員から猛反発をくらい、待つことにしました。
店長がゴールしたのは、私の2時間後、6時間を越えたときでした。
フラッフラの店長の姿を沿道で見届けて、一足先にホテルへと戻りました。
途中、嬉野先生からメールがありました。
「現在、スタッフ全員で店長を護送中。まだ時間がかかりそうです」と。
店長はもう、足腰が立たず、両脇を抱えられて帰りの電車に運び込まれたそうです。
その夜、メシを食いながら店長の話を聞きました。彼はしきりに「腕が痛い」と申しておりました。彼は、例の「ルンルン走り」を実践し、その結果、腕を振り過ぎて、痛めたそうであります。
「でも店長、おまえが言ってた通り、いろんなもの食べたら元気が出たわ。トマトなんて最高にうまかったもんな」
「あ、そうですか。ぼくが行ったときにはもうトマトなんてなかったです」
「え?そうなの?」
「ないです。もう売り切れでした。それ見て、心が完全に折れました」
「わらび餅は?」
「ないです」
「あ、タイムが遅いと食い物もどんどん売り切れちゃうんだ」
「ぼくが行ったときに残っていたのは、バナナと紙コップだけです」
店長は、さびしげに笑い、そして30分もしないうちにテーブルに突っ伏して寝てしまいました。そしてまたスタッフに護送されてホテルに帰っていきました。
大阪ヒゲマラソンは、こうして終わりました。
沿道に駆けつけてくれたみなさま、ありがとうございました。
みなさまから投稿していただいた写真は、嬉野先生がまとめて、掲載する予定であります。
「ヒゲのおっさん二人がフルマラソンに挑んだらどうなるか?」という人体実験の様子を、沿道に陣取ったみなさまから送られてくる写真からひもといていくという今回の企画。
一体どんな表情が写し出されているのか。興味深いところであります。
藤やんうれしーの悩むだけ損!】
ネットサイト「電撃オンライン」にて月2回のペースで「お悩み相談」を執筆しております。
(18:01 嬉野)