藤村

5月31日月曜日。藤村でございます。
おとつい、46歳の誕生日を迎えまして、掲示板には数多くのお祝いコメントを頂戴いたしましてね、いやいや、有難いやらお恥ずかしいやらと、頭をかいておりましたところ、
なんですか、その翌日には、「大泉洋氏に長女誕生!」とのビッグニュースが舞い込んでまいりまして、もはや「中年サラリーマンの誕生祝い」などというのは、ものの見事に消し飛んで、「大泉さんおもでとう!」「いよいよパパですか!」的な大祝賀ムード一色となりましてね。
いやいや、そーですかそーですか、ねぇー、私の誕生日の翌日が、大泉さんの娘の誕生日ということですかぁー。
これはもう、どうしたって藤村さんの誕生日も忘れないということですね。
だって娘の誕生日の前の日なんだから。
これからもう5月30日になったらね、大泉さん自らが声を張り上げてね、「♪はっぴ、ばーすでー○○ちゃぁーん」なんて歌うんでしょうけどもね、その前に必ず一家でね、お世話になった藤村さんに対し、同じく「♪はっぴ、ばーすでーふじむらさぁーん」とね、歌うことも忘れてはいけませんよ。
だって、おれの誕生日の翌日なんだから、おめんとこの娘の誕生日は。
これからもう5月30日になったらね、「ほーら!○○ちゃぁーん、お人形さんだよぉー」なんつってね、プレゼントを贈るんでしょうけどもね、その前に必ず私のとこへもね、「ふじむらさん、いつもお世話になっております」と、多少の物品をね、贈与するぐらいの心遣いも忘れてはいけませんよ。
だって、おめんとこの娘の誕生日プレゼントを買いに行くときにはだ、どうしたっておれの誕生日だって頭に浮かぶはずでしょう。おれの誕生日が頭に浮かんでいるのにだ、それを無視して、てめんとこの娘の誕生祝いばかりを派手にやってたらこれ、世間は「大泉冷たいじゃないかー」って、思いますよ。
いやいや、おれの誕生日なんか忘れてるってんなら別にいいんですよ。んな、おっさんの誕生日なんかいちいち覚えてるほうが気持ち悪い。「誕生日を忘れるな」なんて、そんなことをね、ぼくは言ってるんじゃない。今までだって別に、誕生日に何らかのお祝いのしるし的なものを要求したことがあるかい?ないだろう?だって、別に誕生日なんか忘れてると思ったからさ。
しかし、だ。
今年から事情が変わっちゃったな。
だって、おめんとこの娘の誕生日の前の日が、おれの誕生日なんだから。どうしたって忘れることはできないもんね。
5月29日は藤村さんの誕生日。
5月30日はおめんとこの娘の誕生日。
これはもうね、変えられない。どうしたって変えられないよぉ。
おーい、おおいずみー、言っとくぞぉー。
娘の誕生日を気持ちよく祝いたいんなら、おれのことをまず盛大に祝え!
これから毎年だぞ!
とりあえずおめんとこの娘が成人するまでだ。
じゃなかったら、娘の誕生日にロケぶつけてやるぞ。「今年も新作だぁー」かなんか言って、毎年ジャングルの小屋かなんかで、おれの誕生会かなんか開いて、おめぇーの「日本に帰りてぇー」っていう悲痛な叫びをだ、全国に発信してやるぞぉー。
物心ついた娘からはだ、
「パパはどうしてわたしの誕生日にいつもいてくれないの?」
なんて言われてだ
「いや、あれはパパのお仕事なんだ」
「パパのお仕事って!ヒゲのおじさんの誕生会に行くことなの!」
「いや・・・」
「ジャングルの小屋で泣きながらハッピーバースデーを歌うのが
パパの仕事なの!」
「いや・・・」
「どうして断ってくれないの!」
「・・・なんか、すごく人気がある企画になっちゃったんだ」
「パパはわたしよりヒゲのほうが大事なんだね!」
なぁーんてことになっちゃうぞぉー。
これを書いている時点でだ、おれの頭の中では「ジャングルでふじむらの誕生日パーティー」っていう企画があらかた出来上がってきてるぞー。ジャングルの小屋でだ、きみが三角の厚紙の帽子をかぶってだ、泣きながらおれのために「ハッピーバースデー」を歌う姿が浮かんでるよぉーぼくには。
来年の今ごろはジャングルかぁー。
楽しそうだなぁー。
むはははははは。
大泉くん、おめでとう!
いいお父さんになってね!
うはははははは!
おめんとこの娘に靴でも買ってやるよー。マレーシアでな。
むはははははは!
【「HTBきせかえ500」に新作きせかえ登場】
「どうでしょうきせかえ#2」の和風テイストを継承しつつ、さらにこう、いい感じになったのではないかと。
私はすでに試作版をダウンロードして使っておりますが、実に工夫が細かい。最新作にちなんだイラストがさっそく登場しておりますし、待受画面は時間と連動して、夜になると西表島の「寝釣り」の場面がたまーに出てくる。メニュー画面は、コスタリカをイメージしておりまして、写真家が動物を撮っておるんですが、たまーに色鮮やかなケツァールが飛んでくる・・・とか。
デザインも見ていて飽きない。
配信開始は5月31日午前11時から。
(16:01 藤村)

お知らせ(管理人から)

管理人から速報をお知らせします。

いつも私を応援してくださる皆様にご報告させて下さい。
本日私大泉洋は皆様のおかげをもちまして、無事に、一児の父親となりました。
はい。
つまり本日私の赤ちゃんが生まれました!
突然のご報告でございます。 – CUE DIARY / CREATIVE OFFICE CUE

おおおお!
最新作のDVD副音声で、「自分が子供を持ったときどう育てて良いのか迷うね。(自分と同じように)テレビばっかり見てなさい、といっていいものなのかどうか…」というようなことをおっしゃっていたので、そんなこともあるかと思っていましたが、実際にそうだったのですね。
大泉さんによると生まれたお子さんは、

2905グラム。
元気な………
女の子でした!
いやぁ女の子ですよ。
僕に似ない事を祈るばかりです(笑)
突然のご報告でございます。 – CUE DIARY / CREATIVE OFFICE CUE

ということでありまして、ええ、本当に祈るばかりです(笑)
まぁでもきっと、明るいいいお嬢さんに育つんじゃないかなぁ。
本当におめでとうございます!!

藤村

5月26日木曜日。藤村でございます。
先週はわたくし、広島に行っておりました。中国・四国地方の映像プロダクションの総会に呼ばれまして、いろいろと話をしてまいりました。
広島に「アグレッシブですけど何か?」という深夜のバラエティー番組があります。
それを作っている金井くんというディレクターとは、何度も酒を酌み交わし(金井くんはまったく飲めない男ではありますが)、番組作りの話をいろいろとしております。
いつのまにやら私も四十中盤で、この年齢の現場ディレクターというのは、めっきり少なくなりまして、だから話といっても、後輩である彼の悩みを聞くことが多いわけでありますが。
そんな彼が、
「自分の番組のDVDを出したい」
と言いまして、それに対して私が答えたのは、
「それは自分が作りたいからか?」と。
「会社ではなく、ビジネスではなく、あくまでも現場ディレクターの『作りたい』という熱情がまずなければ、作る意味はないと思うよ」と。
すでにテレビ放送で見ているものを、わざわざDVDという形にしてもう一度お客さんに見てもらう。そんな衝動をお客さんに起こしてもらうためには、まず作る側に相当な熱情がなければ、お客さんはきっと振り向いてはくれない。見てもらいたいという熱情があれば、きっと手を変え品を変え、見てもらうための工夫を、誰に言われなくても、時間がかかっても、ディレクターが自分でどんどんするはずで。それではじめて、お客さんに「買ってみるか」と、少しぐらいは思ってもらえるかもしれない。まずそこがなければ、作っても見てもらえない。
そしたら、「はい、ぼくが作りたいんです」と。
「だったらいいと思うよ」と。「まぁ最初は売れないけど、熱情があれば、いつかお客さんに届くから」と。
熱情は人一倍強いが、悩みも多い金井くんが、必死こいて作った「アグレッシブですけど何か?」(広島ホームテレビ)のDVDが本日5月26日から発売となります。
同じ現場ディレクターとして、心から応援しております。
特に!広島のみなさんは、是非見ていただければと。よろしくお願いします!
で、あの「どうでしょう」さんからもお知らせ。
携帯の「HTBきせかえ500」に、新作きせかえが登場いたします。
「どうでしょうきせかえ#2」の和風テイストを継承しつつ、さらにこう、いい感じになったのではないかと。
私はすでに試作版をダウンロードして使っておりますが、実に工夫が細かい。最新作にちなんだイラストがさっそく登場しておりますし、待受画面は時間と連動して、夜になると西表島の「寝釣り」の場面がたまーに出てくる。メニュー画面は、コスタリカをイメージしておりまして、写真家が動物を撮っておるんですが、たまーに色鮮やかなケツァールが飛んでくる・・・とか。
デザインも見ていて飽きない。
配信開始は来週、5月31日午前11時からとなっております。
わたくしは現在、DVD第16弾「原付東日本/シェフ大泉夏野菜」の編集中。
本日は、あの「だるま屋ウィリー事件」を編集しております。
あの衝撃は、10年以上たった今でも、まったく色あせません!
よし、今日もどうでしょうはおもしろかった!
明日からまた出張です。では皆の衆、また来週!
↓嬉野先生の昨日のすごい長い日記。
2011年5月25日(水)
はい嬉野です。
つい、このまえのことですがね奥さん。
わたしゃ東京に用事が出来ましてね。
千歳空港から飛行機に乗って行ったんですよ。
ほら、出張というやつですよ、いわゆるね。
御主人も行かれるでしょう?出張。ねぇ。
私もね、そんなことで飛行機に乗ってね、
行ったわけですよ。あの日ね。
いやここ数年ね、
急に出張が多くなりましてね、
飛行機にも乗る機会が頻繁でね。
しかしアレですねぇ奥さん。
この頃の世間のサービスと言うのはですよ、
あれはなんでしょうね、
言葉遣いと態度がね、えらく丁寧でね、
もうもう、飛行機に乗り込む前から降りるまで、
本当にみなさん頭を下げられるんですよ、
こっちとしては申し訳ないくらいでね、
やめて欲しいくらいですよ。
ほんとにね。
あの日もそうでした。
あの日も御丁寧な言葉漬けの状態でね、
わたしゃ、飛行機に乗ったんですが。
さぁ、それが着陸ということになってね、
機長より不意のアナウンスがありまして。
飛行場から、
緊急なお知らせがあったといういことですよ。
聞けばですよ、
なんでも、
滑走路にね、
物が置かれているので、
着陸を見合わせるように指示があったという事でね、
これより上空を旋回して空中で待機いたしますということでしたよ、
「お急ぎのところ、お客様方には、まことに御迷惑をおかけして申し訳ございませんが…なんだかんで…どうのこうので…」とね、
御丁寧な調子で、くどくどありましてね、
しかしながらね、
まぁこちらとしてはですよ、
仕事には余裕を持ったスケジューリングをする方ですから、
多少遅れたところで行路に支障はないわけでね、
それよりかは、もう、
事故の無いのが一番ありがたいに決まっているわけですよ。
ちゃんと無事に降ろしていただければなんの文句もないわけで、
それでもね、
30分くらい上空を旋回していましたかしら、
さすがに、
「あら、わりに長いね」と思う程度にはね、
旋回していましたね。
でまぁ、その後、
滑走路の片付けも無事に終わったのでしょうね、
その旨、また機長から例の調子でご丁寧なアナウンスがありましてね、
でまぁ、こちらとしては、無事に降ろしていただけさえすれば、
なんの文句も無いどころか、感謝なのに、
いちいち詫びていただかなくても…、
なんてなことを思ってるうちに、
飛行機は見事な腕前で滑走路に着陸いたしまして、
そうしましたら奥さん、
今度は、いわゆる例のね、
自走式のタラップというんですか?
あの飛行機の出口を空港ビルに直結させる廊下あるじゃないですか、
あれが、なんだかの事情で、こちらへ向かうのが遅れていますというアナウンスがね、
また機長の方から、丁寧な口調でね、くどくどとありまして、
「お急ぎのところ、お客様には、えぇ〜」「大変御迷惑をおかけして、どうのこうのぉ〜」と、「え〜」とか、「う〜」とか、無秩序に交えながら長々とありまして、
で、もって、いっこうにドアは開かない。
その辺りからでしょうか?
妙な感情が私の胸の中に湧き立って来る予感がありましたね、
なんなんでしょう?
苛立ちですか?
いや、
でもね奥さん、
苛立つ理由なんかないんですよ、どこにも。
だって私は、時間に余裕があるんだし、
機長は見事な腕前で着陸してくれたし、
なんの文句もない、
ただね、タラップがこないの、
それもね、結局、30分くらいこないの、
でね、
来ないから機長も気を使ったのかね、
盛んにアナウンスを入れてくれるんだけど、
そのアナウンスが例の御丁寧なアナウンスでしょ、
「お急ぎのところ、お客様には大変ご迷惑を…あぁ〜、こう〜なんだかんだ…、」と。
それを聞くうちにね、
どうしたのかしら、
イラつく自分がいるのよね、
いや不思議なの、
自分でも分からないのよ、
私がイラつく動機が。
だって、あんなに丁寧に謝ってくれてんのによ
それに対して怒りが出てくるってどういうことよ、
もうもう自分でも自分の感情の意味が分からないのよ。
そうこうしてたらね、
また、機長からのアナウンスが入ってね、
タラップはもう来ません、代わりにバスが来ますっていうのよ、
そして、
「お急ぎのところ、お客様には大変御迷惑をおかけして、まことに申し訳ございませんが…、」ってまた始まんの。
でね、
気がついたらね、
猛烈に腹を立ててる自分がいたの。
もうね、自分でも分からないのよ奥さん、
私の怒りの理由がさぁ、
だって、機長は見事な腕前で着陸してくれたのよ、
それに遅れたのはまったくもって機長のせいじゃないのよ、
わたしゃ、感謝したいくらいなの、
なのに、なんだか、下りる頃にはものすごく怒っちゃってる私がいるの…。
火のないところに煙は立たないなんていうけど、
この場合まったくなんにもなかったのよ、
怒る理由は。
なのに、
なにがどうなったのか、
腹たって腹たってしかたがないという精神状態でね、
「バスなんか呼びやがって…」と、
にがりきっちゃった感じで、わたしゃ飛行機の階段を下りてたのよ、
してそのままバスに乗ったの。
バスはもう満員よ、
「なんだよ、この満員のバスわぁ!」
という感じでね、
こっちは、わけの分からん怒りの炎を燃やしながらバスに乗るでしょ、
したらバスの運転手さんがね、
プシューッとドア閉めてね、
ぶっきらぼうなさぁ、
気を使う気も無いようなぼそぼそ声でさぁ、
言うのよ、
ただひと言、
「はい、バス発車ぁ」
って、
言ったの、ぶっきらぼうに、
して、いきなり動かすの、
バスをよ、
して言うのよ、
「発車のさいゆれま〜す」って、
言った瞬間、すんごいぐあいに揺れるの、バスが。
その時、その運転手さんのね、
その、ぶっきらぼうな言葉遣いと、
ぞんざいな対応にね、
私は、心底ホッとしてたの。
おかしなことを言うようだけど。
私の気持ちはもう素直に、
「よろしくおねがいしまーす」
みたいな感じでね、
身分の低い私として、
いつもどおりに対応してたのね。
そうしたらさぁ奥さん、
私の意味不明だった怒りが見事に鎮火してたのよ。
あんなに腹立ててたはずだったのに。
なんかそうだったの。
スッとしてホッとしたのよ。
鎖が解けたように。
私は思ったの、
きっとね、
「私が、あんなに丁重に扱われることに意味が無い」と、
私は、ずっと思っていたんじゃないだろうかとね。
だって、殿様じゃないだよ、わたしゃ。
だから、不意にね、
バスに乗ったときにね、
運転手さんから、ぞんざいにね、
いつもの世間のラフな言葉の雰囲気で扱われてさぁ、
やっと低い身分の自分を、
そういう普段どおりの者として、
正しく対応してくれる人に出会えてね、
私は、やっと我に戻ることができてね、
きっとホッとしたんだなぁって思ったの。
だって、あっさり気分が落ち着いたからね。
あれはつまりね奥さん、
魔法が解けた瞬間だったんだろうと思うよ。
周りから、
すんごく丁重に扱われているうちに、
私は、悪い魔法に掛かっていったのかなぁと思うのよ奥さん。
魔法にかかってね、
そうして、だんだん、言葉遣いや、態度だけじゃ満足できなくなってね、
我がまま言いたくなっていったんじゃないかしらね。
「おまえらは、言葉遣いと態度だけは、ものすごく気を使ってるが、結局、段取りが、ひとつもすんなり行かないじゃないか!」
「なにをもたもたしてるんだ!責任をとれ!」みたいなね。
そんなことを身分不相応に私は思ってしまっていたような気がするの、
あれってさぁ、
だから悪い魔法に掛けられてしまってたってことじゃないのかなぁと、
あの日、バスの中で揺らされながら思ったの。
世間が、殿様でもない私らを殿様みたいに扱ってくるから、
殿様みたく扱われ馴れするうちに、
私らは殿様でも無いのに気持ちが殿様になっちゃう。
でも、別に殿様じゃないから、
なんの力も無いままなわけです。
当たり前ですけどね。
でも魔法のせいで「気分は殿様」になっているから、
結局、力は与えられないじゃないか!って思ってしまう、
わがままな怒りが養われてしまうと、
知らぬ間に「気分はすっかり暴君」になっちゃう。
あれは悪い魔法に掛かっているということだよね。
今の世の中は、そういう魔法が不用意にそこここにある。
もちろん、だれも、
魔法を掛けようとは思っていない。
ただ、不用意に呪文を唱えているのだと思う。
過度に「丁重に扱う」というという「呪文」ね。
それが横行してるもんだから、
知らぬうちに、日本のあちこちで、
魔法に掛かった暴君が生まれ育っているのではないのかなぁ。
とまぁ、そんなことを思ったのです。
怖い怖い。
ですからね、
飛行機に乗せていただいて、
何よりありがたいのは、
無事に運んでいただくということに尽きるということをね、
世間は今一度、認識を新たに表明したほうが好いのではないかなぁと思いました。
飛行機を運航される側のみなさんに、
安全運行以外のことにまで気を遣っていただくのは申し訳ない。
我々お客への対応はアッサリで結構だと思います。
そんなことには、どうぞあまり気を遣わないでいただいて、
機長さんを始としたスタッフのみなさんには、
リラックスしていただいて、
連絡事項は、あくまでも事務的にアナウンスしてもらえればと思います。
とくに御自分のせいではないことに、
責任を感じてお詫びになるようなことは、
ないと思いますです、はい。
もしね、
丁重な対応をしないと怒るという人がおられるならば、
その方は、おそらく、
そうとう魔法に掛かっておられる「暴君になってしまって戻れなくなっておられる方」じゃなかろうかと、
私は怪しむのですよ奥さん。
奥さんは、どう思われます?
おや?
誰も返事をしないねぇ?
あれ、
もう誰もついてきていないじゃないのよ?
長すぎた?
聞くだけ野暮?
まぁいいや。
それでは諸君。本日も各自の持ち場で奮闘されたし!
だれも聞いちゃいないねぇな。
では、また明日。
解散!
(18:54 藤村)

嬉野

2011年5月25日(水)
はい嬉野です。
つい、このまえのことですがね奥さん。
わたしゃ東京に用事が出来ましてね。
千歳空港から飛行機に乗って行ったんですよ。
ほら、出張というやつですよ、いわゆるね。
御主人も行かれるでしょう?出張。ねぇ。
私もね、そんなことで飛行機に乗ってね、
行ったわけですよ。あの日ね。
いやここ数年ね、
急に出張が多くなりましてね、
飛行機にも乗る機会が頻繁でね。
しかしアレですねぇ奥さん。
この頃の世間のサービスと言うのはですよ、
あれはなんでしょうね、
言葉遣いと態度がね、えらく丁寧でね、
もうもう、飛行機に乗り込む前から降りるまで、
本当にみなさん頭を下げられるんですよ、
こっちとしては申し訳ないくらいでね、
やめて欲しいくらいですよ。
ほんとにね。
あの日もそうでした。
あの日も御丁寧な言葉漬けの状態でね、
わたしゃ、飛行機に乗ったんですが。
さぁ、それが着陸ということになってね、
機長より不意のアナウンスがありまして。
飛行場から、
緊急なお知らせがあったといういことですよ。
聞けばですよ、
なんでも、
滑走路にね、
物が置かれているので、
着陸を見合わせるように指示があったという事でね、
これより上空を旋回して空中で待機いたしますということでしたよ、
「お急ぎのところ、お客様方には、まことに御迷惑をおかけして申し訳ございませんが…なんだかんで…どうのこうので…」とね、
御丁寧な調子で、くどくどありましてね、
しかしながらね、
まぁこちらとしてはですよ、
仕事には余裕を持ったスケジューリングをする方ですから、
多少遅れたところで行路に支障はないわけでね、
それよりかは、もう、
事故の無いのが一番ありがたいに決まっているわけですよ。
ちゃんと無事に降ろしていただければなんの文句もないわけで、
それでもね、
30分くらい上空を旋回していましたかしら、
さすがに、
「あら、わりに長いね」と思う程度にはね、
旋回していましたね。
でまぁ、その後、
滑走路の片付けも無事に終わったのでしょうね、
その旨、また機長から例の調子でご丁寧なアナウンスがありましてね、
でまぁ、こちらとしては、無事に降ろしていただけさえすれば、
なんの文句も無いどころか、感謝なのに、
いちいち詫びていただかなくても…、
なんてなことを思ってるうちに、
飛行機は見事な腕前で滑走路に着陸いたしまして、
そうしましたら奥さん、
今度は、いわゆる例のね、
自走式のタラップというんですか?
あの飛行機の出口を空港ビルに直結させる廊下あるじゃないですか、
あれが、なんだかの事情で、こちらへ向かうのが遅れていますというアナウンスがね、
また機長の方から、丁寧な口調でね、くどくどとありまして、
「お急ぎのところ、お客様には、えぇ〜」「大変御迷惑をおかけして、どうのこうのぉ〜」と、「え〜」とか、「う〜」とか、無秩序に交えながら長々とありまして、
で、もって、いっこうにドアは開かない。
その辺りからでしょうか?
妙な感情が私の胸の中に湧き立って来る予感がありましたね、
なんなんでしょう?
苛立ちですか?
いや、
でもね奥さん、
苛立つ理由なんかないんですよ、どこにも。
だって私は、時間に余裕があるんだし、
機長は見事な腕前で着陸してくれたし、
なんの文句もない、
ただね、タラップがこないの、
それもね、結局、30分くらいこないの、
でね、
来ないから機長も気を使ったのかね、
盛んにアナウンスを入れてくれるんだけど、
そのアナウンスが例の御丁寧なアナウンスでしょ、
「お急ぎのところ、お客様には大変ご迷惑を…あぁ〜、こう〜なんだかんだ…、」と。
それを聞くうちにね、
どうしたのかしら、
イラつく自分がいるのよね、
いや不思議なの、
自分でも分からないのよ、
私がイラつく動機が。
だって、あんなに丁寧に謝ってくれてんのによ
それに対して怒りが出てくるってどういうことよ、
もうもう自分でも自分の感情の意味が分からないのよ。
そうこうしてたらね、
また、機長からのアナウンスが入ってね、
タラップはもう来ません、代わりにバスが来ますっていうのよ、
そして、
「お急ぎのところ、お客様には大変御迷惑をおかけして、まことに申し訳ございませんが…、」ってまた始まんの。
でね、
気がついたらね、
猛烈に腹を立ててる自分がいたの。
もうね、自分でも分からないのよ奥さん、
私の怒りの理由がさぁ、
だって、機長は見事な腕前で着陸してくれたのよ、
それに遅れたのはまったくもって機長のせいじゃないのよ、
わたしゃ、感謝したいくらいなの、
なのに、なんだか、下りる頃にはものすごく怒っちゃってる私がいるの…。
火のないところに煙は立たないなんていうけど、
この場合まったくなんにもなかったのよ、
怒る理由は。
なのに、
なにがどうなったのか、
腹たって腹たってしかたがないという精神状態でね、
「バスなんか呼びやがって…」と、
にがりきっちゃった感じで、わたしゃ飛行機の階段を下りてたのよ、
してそのままバスに乗ったの。
バスはもう満員よ、
「なんだよ、この満員のバスわぁ!」
という感じでね、
こっちは、わけの分からん怒りの炎を燃やしながらバスに乗るでしょ、
したらバスの運転手さんがね、
プシューッとドア閉めてね、
ぶっきらぼうなさぁ、
気を使う気も無いようなぼそぼそ声でさぁ、
言うのよ、
ただひと言、
「はい、バス発車ぁ」
って、
言ったの、ぶっきらぼうに、
して、いきなり動かすの、
バスをよ、
して言うのよ、
「発車のさいゆれま〜す」って、
言った瞬間、すんごいぐあいに揺れるの、バスが。
その時、その運転手さんのね、
その、ぶっきらぼうな言葉遣いと、
ぞんざいな対応にね、
私は、心底ホッとしてたの。
おかしなことを言うようだけど。
私の気持ちはもう素直に、
「よろしくおねがいしまーす」
みたいな感じでね、
身分の低い私として、
いつもどおりに対応してたのね。
そうしたらさぁ奥さん、
私の意味不明だった怒りが見事に鎮火してたのよ。
あんなに腹立ててたはずだったのに。
なんかそうだったの。
スッとしてホッとしたのよ。
鎖が解けたように。
私は思ったの、
きっとね、
「私が、あんなに丁重に扱われることに意味が無い」と、
私は、ずっと思っていたんじゃないだろうかとね。
だって、殿様じゃないだよ、わたしゃ。
だから、不意にね、
バスに乗ったときにね、
運転手さんから、ぞんざいにね、
いつもの世間のラフな言葉の雰囲気で扱われてさぁ、
やっと低い身分の自分を、
そういう普段どおりの者として、
正しく対応してくれる人に出会えてね、
私は、やっと我に戻ることができてね、
きっとホッとしたんだなぁって思ったの。
だって、あっさり気分が落ち着いたからね。
あれはつまりね奥さん、
魔法が解けた瞬間だったんだろうと思うよ。
周りから、
すんごく丁重に扱われているうちに、
私は、悪い魔法に掛かっていったのかなぁと思うのよ奥さん。
魔法にかかってね、
そうして、だんだん、言葉遣いや、態度だけじゃ満足できなくなってね、
我がまま言いたくなっていったんじゃないかしらね。
「おまえらは、言葉遣いと態度だけは、ものすごく気を使ってるが、結局、段取りが、ひとつもすんなり行かないじゃないか!」
「なにをもたもたしてるんだ!責任をとれ!」みたいなね。
そんなことを身分不相応に私は思ってしまっていたような気がするの、
あれってさぁ、
だから悪い魔法に掛けられてしまってたってことじゃないのかなぁと、
あの日、バスの中で揺らされながら思ったの。
世間が、殿様でもない私らを殿様みたいに扱ってくるから、
殿様みたく扱われ馴れするうちに、
私らは殿様でも無いのに気持ちが殿様になっちゃう。
でも、別に殿様じゃないから、
なんの力も無いままなわけです。
当たり前ですけどね。
でも魔法のせいで「気分は殿様」になっているから、
結局、力は与えられないじゃないか!って思ってしまう、
わがままな怒りが養われてしまうと、
知らぬ間に「気分はすっかり暴君」になっちゃう。
あれは悪い魔法に掛かっているということだよね。
今の世の中は、そういう魔法が不用意にそこここにある。
もちろん、だれも、
魔法を掛けようとは思っていない。
ただ、不用意に呪文を唱えているのだと思う。
過度に「丁重に扱う」というという「呪文」ね。
それが横行してるもんだから、
知らぬうちに、日本のあちこちで、
魔法に掛かった暴君が生まれ育っているのではないのかなぁ。
とまぁ、そんなことを思ったのです。
怖い怖い。
ですからね、
飛行機に乗せていただいて、
何よりありがたいのは、
無事に運んでいただくということに尽きるということをね、
世間は今一度、認識を新たに表明したほうが好いのではないかなぁと思いました。
飛行機を運航される側のみなさんに、
安全運行以外のことにまで気を遣っていただくのは申し訳ない。
我々お客への対応はアッサリで結構だと思います。
そんなことには、どうぞあまり気を遣わないでいただいて、
機長さんを始としたスタッフのみなさんには、
リラックスしていただいて、
連絡事項は、あくまでも事務的にアナウンスしてもらえればと思います。
とくに御自分のせいではないことに、
責任を感じてお詫びになるようなことは、
ないと思いますです、はい。
もしね、
丁重な対応をしないと怒るという人がおられるならば、
その方は、おそらく、
そうとう魔法に掛かっておられる「暴君になってしまって戻れなくなっておられる方」じゃなかろうかと、
私は怪しむのですよ奥さん。
奥さんは、どう思われます?
おや?
誰も返事をしないねぇ?
あれ、
もう誰もついてきていないじゃないのよ?
長すぎた?
聞くだけ野暮?
まぁいいや。
それでは諸君。本日も各自の持ち場で奮闘されたし!
だれも聞いちゃいないねぇな。
では、また明日。
解散!
(15:39 嬉野)

嬉野

2011年5月23日(月)
どうも奥さん嬉野です。
日本にはね奥さん。
江戸時代というね、
極めて保守的な社会がさぁ、
300年近くの時間、
この日本国に横たわっていたわけでしょ?
じゃぁ江戸時代という社会はね、
いったいどんなものだったかというとさぁ、
あれですよ、
関が原の戦(1600年)というね、
日本という国を二分する戦いでね、
先祖がどれだけの武勲を立ててくれたかという、
そこで身分が決まってね、
あとは、そのまま、その家の子孫は、
先祖が貰った身分をありがたく受け継ぐだけという社会だったわけでしょ。
だからその時、
高い身分を貰った家の子孫は、
300年も身分が高いままでね、
逆に、悲しいくらい低い身分を貰った家の子孫はさぁ、
300年も身分がないまま、
虐げられたまま、という社会だったわけでしょ。
つまり、頑張っても時代の途中で身分的な巻き返しは出来ない。
虐げられた者は虐げられたまま。
むしろ、身分の低い虐げられた者は、
どっちかというと、現状維持のために頑張らないといけないという切実な現実があったという、
それが江戸時代よねぇ奥さん。
これだとね、
低い身分の家の人たちの精神は代々抑圧されいくよね。
だからね、
おそらくこの精神の抑圧がね、
文化芸術的な方面にうまいこと効くとね、
才能が研ぎ澄まされるから、
身分とは違う文化芸術の分野では、
世界的な文化人も江戸時代には輩出したかもしれないね。
だけどよ奥さん、
政治や、商売や、戦争には、合理性は欠くべからざるものだから、
とにかく幕末の世界情勢の中に追い込まれてやっていくには、
不毛なばかりの社会になっていたのだと、私は思うのよ。
幕末の日本はね。
江戸時代の300年とう時間の中でね。
頭脳明晰な頭でさぁ、
合理的な構想を思いついたところでね、
上からは、それを改革ではく、
「革命」と見なされる社会であればね、
「こいつ危険思想の持ち主だ、放って置くと謀反でも起こすのではないか」と、
因縁つけられるわけでしょ。
「おかしい、あまりにも不合理で無駄が多いぞこの組織は」と思っても、
上層部は過去の慣例だけをいつまでも引き合いに出し、
どれだけ合理的な変更であっても、
「そのようなことは過去に例がない」ということになれば、
「不届きだ」ということで却下されて、
間が悪ければ「こいつ危険な奴」と難癖つけられて罰せられたかもしれない。
だから江戸時代というのはさぁ、
乱暴に言えばよ、
明けても暮れても昨日のままが続いていくばかりの時代だったということになるのだろうね奥さん。
でもね、なんでそこまで昨日を続けていくのか?
それはもう間違いなく上位の身分になってた人たちが、
高い身分にしがみつく事に腐心していた社会だったから、
ということだよね。
いうなればそれは、既得権というやつですか?
上位の人は、
部下が何か気の利いたことをしない方が安泰だという自分本意な考えで。
そうなると、上に立つ人は、国のことを思うより、
まず自分の立場を守ろうとするだろうかね。
こうして上司より有能だと部下は疎まれることになる。
とにかくそうしてね、
みんなの身分的立場が変化しない鬱陶しいくらい保守的な環境が300年続いてね、
その間に、誰か合理的なことを発言する者がいると、
上位の身分の者が、
「既得権を奪われる」と警戒してか、
その人に面倒な災いが降らせるから、
そのうち、ほとんどの人が懲りちゃって、
「なんにもしないほうがいいわ」
「自分で考えたりはしないほうが好いわ」という「お湯」にね、
300年間、浸かりっぱなしになっていった社会だったのだろうと私は思うのよね。
ただ湯に浸かっているという行為は飽き飽きだ!
と苛立ってもね、
「オレは出る!」と言って湯から出たとたん危険視されるなら、
苛立ちながらも浸かっているしかないわけじゃやない?
だったら仕舞いには、
何も考えず浸かってるってことにも馴れるのだと思うよのよ。
「あぁもうもうあれだよね、何も考えなきゃいいんだわ」というぐあいにね、
投げやりの果てに腹をくくってね、
なにも考えなくなって湯に浸かるのを決め込むね。
そうでもしないとさぁ、
うっかり自分の頭でものを考えでもしようもんならね、
ついつい気の利いたことが浮かんできちゃたら大変だもんね。
うっかり、気の利いたこと発言すると上に危険視されるから、
そうするうちに、自分の頭で考えることは禁止してしまうようになる。
なんだか江戸時代とは、
そういう流れの中で、
300年かけて、
「自分の頭では考えない」というお湯に、
全員で浸かりきっていた時代だったのではないだろうかなぁと思うのですよ奥さん。
人は、繰り返すうちに沁みついちゃうんだろうね。
この300年間の習慣が、
平成の今を生きる、ぼくらの中にも染みついたままなのではないかしらと、私は思うの。
もちろん、「おまえの先祖は関が原で何をした」という価値観は、
さすがに今はもうないのよ、
ないけどね。
過去の慣例が重視され、
合理的な改革を思いついても、
そうすることが、今、上位を占めている人たちの存在を危うくすることに繋がれば、
間違いなく却下されるだろうし、
有能なのに、
いや、有能だからこそ左遷されたりするということが繰り返されればさぁ、
江戸時代と同じように、
国を憂えたり、大局に立って組織の改革を望むよりは、
上役への根回しの方が大事に思えてくるよねぇ。
日本人のほとんどを、そういう頭にしちゃうには、
江戸の300年という時間は、充分すぎるくらいだったのではないだろうかねぇと思う。
日本人の本質は、
今もきっと、江戸という時代に縛られてるよ。
好くも悪くも。
今はもう関が原の軍功による身分社会ではないけれど、
学力試験的な優秀さで出世することのある身分社会ではあるよね。
そして、学力試験的な優秀さでは、
職能的な優秀さも同時に持ち合わせているかまでは、
判断することができないんだよね奥さん。
サラリーマンやお役人は、
職能的に優秀であることが理由で出世しているのだろうか?
私は根拠もなく怪しむところがあるよ。
繰り返すけどね奥さん。
江戸時代をね、
関が原の戦いの時の功績で決められた身分上下のままで、
300年やってきた社会という風に考えればね、
この平成の今も、関が原の時の手柄ではないにしろ、
どっかのタイミングで決まった手柄で固められた身分社会はあるのだと思うよ。
そしてこうも予感するの。
世界中のどんな国にも、
等しく、同じ割合で、
職能的に猛烈に優秀な人がいるのだと思うの。
もし、日本が奇妙な身分社会ではなく、
適材適所の原則が正直に実行される社会なら、
この日本の社会に「人災」と呼ばれる災害は、
極端にその数を減らすはずだと思うの。
この国に昔から横たわっている一番の問題はね、
職能のある人の価値を正直に認め、
その人を、適した職場に配置することが、
どういう理由でかどうしても出来ないところにあると、
私は思うの。
そして、どうしても、その問題を許してしまうのは、
江戸時代の300年間「自分の頭で考えない」ということを、
日本人が、し続けてきたその結果からではないかと、
この頃思うのでありますよ。
だから日本にはね、
これからも「人災」が付きまとうはずだから、
生物として失敗が許されないような事業に手を出してはいけない
という結論が出ると思うのよ。
さぁ、ということでね奥さん、
今日も長かったかな。
じゃ、今週も各自の持ち場で奮闘願いますね。
解散。
また明日。
(17:25 嬉野)

嬉野

2011年5月20日(金)
遅咲きの、どうでしょう桜が満開です。
今頃ですけどね。
でもそんなものです北国の春は。
(12:12 嬉野)

嬉野

2011年5月18日(水)
さて嬉野です。
昔ね。
あれは結婚する少し前だったから、
20年くらい前だったね。
ぼくもまだ、東京でひとり暮らししてた頃だったね。
その頃、仕事でホスピスに取材に行ったことがあったね。
行っていろいろ話しを聞いてるうちにね。
「ホスピスって好いなぁ」と思って帰ってきたことを今でも覚えてる。
もちろんこれは嬉野さん個人の意見よ。
だから、あんまりとやかく言わないで欲しい。
なんで好いと思ったのかも、
上手く説明は出来ないけど、
それにもう20年も前の事だから、
古い話に過ぎないのかもしれないしね。
でも、ホスピスのスタッフの方が、
患者さんと「お別れ会をするんです」という話をされてね、
それ聞いてるうちにそう思ったんだと記憶してます。
いや、もちろん、そんな会をしたからと言って、
スッキリとお別れなんか出来るわけない。
でも、なんか好いなぁって思ったの。
できれば、
お別れをして終わりたい。
そう思うところがあったのかな。
そして、お別れをするためには、
「死」を、やがて自分にも訪れるものとして認識している人たちとじゃなきゃ、お別れは出来ないとも思ったからね。
ホスピスは、治療ではなく、
痛みの緩和をしてくれるんだよね。
うちの親父はね、
肝臓を悪くして、亡くなってもう9年経つけど。
その親父が、晩年、ぼくに電話をしてきてね。
突然、電話してきて。
その時、ぼくはもう札幌にいたけど、
札幌に越してから「どうでしょう」が忙しくて、
何年も帰っていなかったの。
それで、ほんとに久しぶりで、
「おとうさんの肝臓もだんだん悪くなるのよ」と、
そんな話はそれとなく家族から聞いてはいたけど、
その当の親父から電話があって、
「おまえに相談があるんだが…」というのね、
「このところ、盛んに医者から手術を勧められるのだけれど、自分はもう何もしないで、この寺の住職として、この寺で(うちは実家が寺ですからね)最後を迎えたいと思うのだけど、どう思うかな…」と電話口で言うのね、
ぼくは、ホスピスや、いわゆるターミナルケアというものについて取材をした記憶があったから、
「おとうさん。オレはおとうさんの意思に従うよ。それで好いと思うよ、多分、その方が好いと思うよ」と賛成したのね。
親父は、ほっとしたようで、
「今晩、家族に話してみるよ」と言って電話を切ったのね。
翌日、また親父から電話があった。
「おまえに昨日、あんなことを言って申し訳ないんだけど、みんなに反対されてね。やぱり手術をすることにしたから。右に左にころころ動くようでおまえには申し訳ないが、そうすることにしたから」
そう言って電話を切った。
ぼくは正直、意外だったの。
家族の激しい反対が。
「手術をすれば好くなるとお医者は言うのに、おとうさん、どうしてそんな消極的なことを考えるんですか!ひどいよ」と、
かなり激しく反対されたようで、
その辺りの事は、後日、家族のだれかれに電話した時に聞いた。
その時、みんなは、親父の気持ちが理解できないと憤慨しているに近かったよう。
「もう、おとうさんはおかしいのよ」みたいにね。
親父は、自分の身体のことだから、
医学的な根拠ではないところで、自分の先をイメージしていたと思う。もう、終わりは、そう遠くないところに来ているってね。
だから、自分の人生の終わりを準備したかったのだと思う。
宗教家としてもね。
そうして、準備しながら、家族とも、信者さんとも、
最後のお付き合いをしていきたい、
自分が「これから死んでいく者」として、
近しい人たちと付き合って行きたいと思っていたのだと思う。
でも、家族には、それが理解できなかったようでね、
「どうして積極的な姿勢を捨てるのだ!」という憤りに近いものとして反対したようで、もっともその憤りの裏には、もっと父と暮らしたいという愛情があり、別れたくないという想いがあったからだというのもよく分かった。
こうして親父は、家族の勧めに従って手術をした。
そして劇的に回復して元気になった。
お医者の言う事は正しかったし、
家族も父も喜んだ。
そうして、親父はそれから4ヵ月後に亡くなった。
最後は、あっけなかった。
バタバタとして、あわただしさのなかで死んでいった。
満足に、家族とお別れをすることも出来ずに。
親父が亡くなってから、
家族のだれかれが話すようになった。
「おとうさんが、最初に言ってたように、手術しないでお寺で最後を迎えてたら、どうだったろうね」と。
その言葉を聞いて、誰もが、うつむいて静かにため息をついた。
そんな言葉が、家族の口をついて出るくらい、
それくらい、父との別れはあわただしかった。
誰もが父と、満足にお別れをすることも出来ずに、
父との別れを経験するはめになってしまったのだと思う。
父は、手術をして、劇的に回復して、
死を受け入れようとしていた自分を、
積極的に粉砕したのだと思う。
そこから父はもう、自分にとっての死は、
まだまだ遠い先のことだと認識を新たにしてしまったのだと思う。
そうして容態が悪くなるの一方の時も、
医者から事実を聞かされる家族の心配とは裏腹に、
父は、自分が死を迎えつつあるという実感を最後まで持てずに苦しみ苛立っていた。
実際問題として、
満足なお別れが、出来るのか、出来ないのか、
それは分からぬこととしても、
いずれにしても、
長の別れを双方が静かに受け入れるためには、
送るほうも送られる方も、
そういう者として見、また見られるという日々を、
幾日も幾日も過ごす少なからぬ時間が必要なのだと、
あれからぼくは思うのだよね。
いつかぼくらは死んでしまう者なのに、
積極的に死を受け入れる準備をしようとする者たちを、
どうしても消極的、無策と思いがちのような気がする。
そう思うのはおそらく、
「自分は死なぬ者」と思っているからのような気がする。
多くの人が生きているのだから、
立場はそれぞれに違うだろう。
けれど、どんな立場の人も、
それぞれの立場のままで、
同じ視線に立てる場所があるはずだと、
ぼくは思っているのです。
その場所を探し出したとき、
初めて他人事が、自分の事とシンクロする。
だから、探すべきは、その場所。
そのビジョンなのだろうなと思うの。
何事もね。
それぞれの立場の人が、それぞれの立場のままで、
同じ視線に立てるビジョンを探そうとしない限り、
ぼくらは淋しさからは抜け出せない。
そんなことを思うのよ奥さん。
さぁさぁいろいろあるでしょうが、
どうか本日も、
各自の持ち場で奮闘ください。
また明日。
解散。
(15:43 嬉野)

藤村

5月13日金曜日。本日も藤村でございます。
次回DVD第16弾の編集をしておりまして、本日は「原付東日本縦断」の第二夜を終えました。
群馬県と新潟県の県境にある三国峠で、ミスターのカブにアクシデントが起こるという、どうでしょうらしからぬ緊迫感のある回であります。
「新作」の編集を終えて、そのまま「原付東日本」の編集に入るというのは、これは実に感慨深い。
あのころみんな若かった
しかし
やってることは本当に変わらない
というのを再確認しております。
未公開シーンをたっぷり盛り込んで編集中。
どうぞお楽しみに。
えーひとつ、新たなグッズのご紹介であります。
「ベアブリック」というのをご存じでありましょうか。
クマの形をした小さなフィギュアでありますが、コレがわたくし好きで。
もう2年近く前から、ベアブリックの「水曜どうでしょう版」の製作を進めておりまして、それがようやく出来上がりました。
オープニングの「福助さん」をそのまんまクマの形にした、たいへんキュートなベアブリック。
週明けにグッズページに実物写真ほか詳細発表であります。
えー、そして、「新作」をすでにご覧のみなさまへ。
えー、「文久目覚まし時計」、鋭意製作中!であります。
さて、来週は出張で不在となります。
皆の衆におかれましては、元気に、各自の持ち場で変わらぬ奮闘を!
では本日、解散!
(21:08 藤村)

藤村

5月12日木曜日。藤村でございます。
昨夜、北海道内とビデオオンデマンドの配信では、2011年最新作の「第11夜」が放送となりました。
大泉洋さんのマニアックなものまねオンパレード、いかがでしたでしょうか。
そして次週が、いよいよ「最終夜」でございます。
ということで今回の新作は、どうでしょう史上最長の全12回。
一回のロケでビシッとワンクール、3か月間の放送となりました。
長いようで、「もう終わっちゃうのか」という一抹の寂しさもございますが、どうぞ最後のゴールまでしかと見届けていただきたいと存じます。
さて、携帯版のサイトにある「メッセージ壁紙ダウンロード」のコーナーに豪華な1枚が加わりました。
DVD第13弾からオープニングアニメーションを作ってくれている「プロダクションIG」さんと、わたくしと嬉野先生がお悩み相談を連載している雑誌「電脳ゲームス」さんとのコラボ企画の1枚。原画を書いてくれているのは、DVDのオープニングアニメも描いてくれている生粋のどうバカ浅野恭司くんであります。
楽しげな絵に仕上がっております。どうぞご覧ください。
えーわたくし案外と洋服が好きで。
安物は買わないといいますか、量産されているような服はあんまり買わなくて。で、なるべく日本製を買うようにしておりまして。
でもそうなると必然的に値段は高いので、家を改築するのにまたローンを組んでしまったサラリーマンにはなかなか買えないので、ほとんどが古着屋、リサイクルショップで買うか、50%オフぐらいになった季節外れの物を買うんですよ。
新着の新品を正価で買ったことがほとんどない。
でも、パンツと靴下だけは、やはり新品を買うわけで、そうなるとどうしても量販店の「3枚990円!」のお世話になるわけです。
たぶん、もの心ついたころから、わたくしは「3枚いくら!」のパンツと靴下しかはいたことがない。
それが先日、前から気になっていた麻製品を扱う奈良のお店が札幌に出店しまして、そこで、靴下を買ったんです。
麻の靴下。もちろん日本製。
1足、1800円!
高いですよ!
今までの靴下なら6足買えますもの。
しかし、だ。
1800円だ。よく考えたら、別に買えない値段じゃない。
1回飲みに行ったら1800円じゃ済まないもの。
で、買ったわけですよ。
いいだろう!このぐらいは!と。
で、その麻の靴下をはいたらですよ、わたしは今まで知らなかった世界を体験しましたよ。
足元にですねぇ、爽やかな風が吹くんですよ。
靴をぬぐと、すわ~っとした風があたるんですよ。いやほんとに。
あのねぇ、蒸れ蒸れギトギト世代のおっさんサラリーマンは、絶対に、安物の靴下じゃなくて、ちょっと高いやつ買ったほうがいいですよ。
いや、むしろ靴下こそ一番、品質にこだわるべきだと、わたくし強く思いました。
足元がほんとに気持ちよくなりますから。
安物の靴下をいっぱい買うより、ちゃんとした麻の靴下を5足そろえること、わたくしの今の目標はそれです。
よし、靴下を買うためにまた明日もがんばろう!
じゃ、本日も終了!
(21:37 藤村)

藤村

5月10日火曜日。藤村でございます。
先月、東京に出張しておりまして。
そんで夜の街を歩きますと、以前と比べてずいぶんと薄暗い。
派手なネオンサインや街角のスピーカーからガンガン流れていた音楽は、計画停電の影響と、そして自粛ムードの中で、なりを潜めておりました。
でも東京の人たちは口々に、
「薄暗くてもまったく問題はない。むしろ、このぐらいがいい」
と、言っておりました。
しかし、数日を過ごすうちに、渋谷交差点あたりでは徐々に音楽が鳴り、またうるさくなり始めておりました。
自粛がそろそろとけた、ということなんでしょうか。
「自粛」・・・
今回の場合、派手なネオンサインやガンガン鳴り響く街角のスピーカーは、そもそも「自粛」ではなく、「節電」という大きな理由があったはずです。
自粛をとくのはそれぞれの判断でしょうが、「節電」がとけるのは、「電力がすべて復旧したとき」、になります。
「電力がすべて復旧したとき」、とはつまり、「原子力発電所を含めた電力供給源が今までと同じく稼働するとき」ということになります。
そこを間違ってはいけないと思います。
社会の人々は今、「原子力発電所が今までと同じく稼働すること」を求めているのでしょうか。
もし、そうではなく、「もう原発には頼らない社会」を求めているのだとしたら、これからも「節電」は続けなくてはいけません。
「節電」を「自粛」という言葉にすりかえて、「さぁ!そろそろ自粛ムードを振り払って、街に明かりを取り戻しましょう!」という動きに、なんとなくなっているとしたら、それはすなわち、「今までと同じく原発を利用しましょう」と言っているに等しいということです。
私は最近、すっかり早寝早起きになりました。
テレビも夜中まで見なくなりました。
街角のネオンが消えていても、別に寂しいとは思いません。むしろ、いい感じだと私も思います。
もう地震はいらない。
もう津波はいらない。
もう原発はいらない。
この中でひとつだけ、自分たちの力でなくせるものがあるんです。
「自粛」という言葉は、私は今、大きらいです。
(18:44 藤村)