5月10日火曜日。藤村でございます。

藤村

5月10日火曜日。藤村でございます。
先月、東京に出張しておりまして。
そんで夜の街を歩きますと、以前と比べてずいぶんと薄暗い。
派手なネオンサインや街角のスピーカーからガンガン流れていた音楽は、計画停電の影響と、そして自粛ムードの中で、なりを潜めておりました。
でも東京の人たちは口々に、
「薄暗くてもまったく問題はない。むしろ、このぐらいがいい」
と、言っておりました。
しかし、数日を過ごすうちに、渋谷交差点あたりでは徐々に音楽が鳴り、またうるさくなり始めておりました。
自粛がそろそろとけた、ということなんでしょうか。
「自粛」・・・
今回の場合、派手なネオンサインやガンガン鳴り響く街角のスピーカーは、そもそも「自粛」ではなく、「節電」という大きな理由があったはずです。
自粛をとくのはそれぞれの判断でしょうが、「節電」がとけるのは、「電力がすべて復旧したとき」、になります。
「電力がすべて復旧したとき」、とはつまり、「原子力発電所を含めた電力供給源が今までと同じく稼働するとき」ということになります。
そこを間違ってはいけないと思います。
社会の人々は今、「原子力発電所が今までと同じく稼働すること」を求めているのでしょうか。
もし、そうではなく、「もう原発には頼らない社会」を求めているのだとしたら、これからも「節電」は続けなくてはいけません。
「節電」を「自粛」という言葉にすりかえて、「さぁ!そろそろ自粛ムードを振り払って、街に明かりを取り戻しましょう!」という動きに、なんとなくなっているとしたら、それはすなわち、「今までと同じく原発を利用しましょう」と言っているに等しいということです。
私は最近、すっかり早寝早起きになりました。
テレビも夜中まで見なくなりました。
街角のネオンが消えていても、別に寂しいとは思いません。むしろ、いい感じだと私も思います。
もう地震はいらない。
もう津波はいらない。
もう原発はいらない。
この中でひとつだけ、自分たちの力でなくせるものがあるんです。
「自粛」という言葉は、私は今、大きらいです。
(18:44 藤村)