嬉野

2010年10月28日(木)
嬉野です。
北海道だけでの放送ですが、
ドラマ「ミエルヒ」が再放送されます。
11月3日(祝)の午後2時25分からです。
御都合のつく方はご覧ください。
さてと、
今のところは、以上。
ということでね、
本日もみなさん健吾であられますよう!
願ってやみません!
寒いぞ!札幌!
あ、そうそう。
奥さん、この前ね、
イ・ビョンホンさん見ましたよ!
生で!目の前で!
個人的には、
山田太一先生を、
間近に眺める事ができて光栄でありました。
(11:13 嬉野)

嬉野

2010年10月21日(木)
嬉野ですよ奥さん。
また私ですよ。
仕方ないじゃないですか、
藤村さん、ここんとこ留守なんだから。
ねぇ。
だから当然ながら今日も明日も私なんですよ。
もうねぇ言っときますよ今から。
だから今日もうざいくらいねぇ、
長い日記を書いてやろうと思いますからねぇ、
冗談じゃないわよって方はねぇ、
ここらでお戻りになったほうがよござんすよ。
さて、今日は秋晴れの札幌であります奥さん。
去年作りました「ミエルヒ」というドラマが、
ABU賞というアジアの国際賞をいただきまして、
藤村さんと福屋さんと私との三人で授賞式に出てまいりました。
脚本を書いてくれた青木豪さんは、
同じABUのラジオドラマ部門で本賞を取った作品の脚本も
書いておられましてね、
奇しくも青木さんは、アジアのラジオドラマもテレビドラマも征したようなことで、大変と景気の好い繁盛振りでございます。
実にめでたいことでありますよ。
そういう方にHTBは脚本を書いていただけたのだと、
実に晴れがましい思いです。
「ミエルヒ」はねぇ、あと二個くらい賞をもらってますから、
あと二回くらい授賞式に出ますよ。
でねぇ、そのたんびに三人でゾロゾロ出張してやるんですよ。
してねぇ式典のあとの立食会場で寿司食ってワイン飲んで赤ら顔で帰って来るんですよ。
でも、嬉しいですね。
苦労して作った作品がいろんなところで評価されて。
「それでも」と、
ぼくは思うのです。
「一番嬉しかったのは、ロケに入る直前だったかな」と。
おかしなこと言うようですがね。
ドラマを作ると、
ロケに入る直前にね、
オールスタッフ打ち合わせという会合がありましてね、
そこは助監督のチーフの仕切りなんですが、
台本の最初のシーンから最後のシーンまで、
撮影の準備に漏れが無いか、
新たに持ち上がった問題が無いか、
クリアされないままになっている問題はないか、
逐次確認していく場なのですが、
監督を筆頭に、
撮影部、照明部、美術部、録音部、助監督チーム、
制作部チーム、メイク部、衣装部と、
明日からのロケに関わる全スタッフが初めて一同に会する場なのです。
それは、ドラマをやれば、
普通に行われる撮影に入る直前の、
打ち合わせの場に過ぎないのですが、
私は、あの日が一番嬉しかった。
私も福屋さんもあの日が一番嬉しかったのです。
つまり、
あの日からドラマの撮影が始まったということです。
そしてそれは、
プロデューサーだったぼくと福屋さんの
仕事が終わった日だったのです。
あの日の季節は秋、
ちょうど1年前の今頃のことでした。
でも、ぼくが石狩川の畔でドラマのネタと遭遇したのは、
前年の12月でした。
あの頃まだ制作部長だった福屋キャップに、
「うれしー、ドラマの原案どうなってます?」
と、険しい目でぼくは確認されのを覚えています。
前月の11月に、四宮さんとぼくの二人で、定山渓の温泉宿に缶詰になってドラマの原案作りをやりました。
でも、どれだけお互いに登場人物や物語の展開を含めて具体的に考えを出し合っても、どうにも面白いと思えるものにはならず、
自分が面白いと思えるものが出ない以上、
物語はいっそのこと脚本家に任せてしまい、
「父親と一人息子の物語」という骨格だけを残し、
この親子の家庭がどのようなものだかは分からないけれど、
ただ、息子は父を嫌って家を出て、
長い長い時間の果てに、
また父親のもとに帰ってこざるを得ない人生をおくってしまう。
その設定だけを残し、
息子が家を出た理由、そして、また戻って来ざるを得なかった人生を脚本家に考えてもらおうと決めたわけです。
そう決めた時、
「いったい脚本家は、どんな物語を作ってくるだろう」と、
面白がっている自分がいたのです。
他人任せにして気が楽になった分、
無責任に面白がれた、
それだけのことかもしません。
それでも、
面白がる自分はいたのです。
信じられるのはその自分だけだと思いました。
四宮さんは、その日を最後に体調を崩してしまい、
以来10ヶ月復帰できませんでした。
ですから12月の制作部長福屋キャップの焦りは、
そのあたりにあったのです。
現場からネタが上がらないという理由で、
ドラマの制作を頓挫させたくは無かったのだと思います。
だからその時、
「ドラマを作ろう」
そう思って切羽詰っていたのは、
福屋キャップとぼくの二人だけだったのです。
「脚本家は青木豪さんに」と、
これは、既に四宮さんが内諾を取ってくれていました、
むろん、「今回は骨格だけを脚本家に投げよう」と考えてはいましたが、それにしても、そこにはあるのは骨だけで、
それはあまりにも骨過ぎて、そして脚本家を口説きに行くだけの想いが自分の中に無い事にも気づき、ぼくは、物語の舞台を決めなければと思い至ったのです。
そう。
プロデューサーであるはずのぼくも、
そして福屋キャップも、
それほどまでに素人だったということです。
でも、仕事はおそらく、
他人とのぶつかりですから。
人がぶつかれば、斬り合いになるかもしれない、
その時の戦いようは、武器や技ではない。
それは想いです。
これをもとに、どうか物語を作って欲しいという熱です。
そしてその熱の元は、
自分の中に、本当に作りたいのだという、
切実な想いがあるのか無いのかでしかない。
ぼくはそう思ったのです。
だから「舞台は自分が決めなければ」と、思い至ったわけです。
まだ自分の中に熱が無い。
これで是非脚本を書いて欲しいと迫る熱が無い。
依頼主である自分に熱がなければ、自分は脚本家をくどけない。
脚本家が、引き受けてくれなければドラマは頓挫してしまう。
そこから自分だけとの対話が始まったと思います。
そして幸運にも石狩川で漁師の船を見て、
冬枯れた葦の茂る河川敷に迷い込み、
製紙工場の長い煙突から昇る白い蒸気を見て、
「ここはドラマの舞台になる」
そう思った自分を信じるしかなかったのです。
「そうだ、親父は時代に忘れられたような石狩川でやつめうなぎを捕る川漁師なんだ。一人息子は、そんな親父が嫌で家を出た。それでも上手くはいかず、それどころか、彼の人生には、一番帰りたくない場所に帰るしかない人生が待ち受けていただけだったんだ。けれど、帰った故郷で、親父の仕事は以前より困窮していた。この父親と息子が、その先の自分らの人生にどう折り合いをつけながら生きて行こうとするのか、そこを書いてもらおう」
ぼくは、現場の写真を撮り、
会社に戻り、キャップに話し、同意を得、
このネタで進めることに決めたのです。
こうしてキャップと二人で東京へ出張し、
青木豪さんと暮も押し迫った新宿で会って、
正式に依頼をし、快諾してもらったのです。
その後、漁協に協力を仰ぎに出向き、
市役所に出向き、
キャップは、役者の事務所に電話を入れはじめるのです。
そこからのキャスティングは、
怖いもの知らずの素人の熱情だけでした。
人間力だけで、
名優たちを口説き落としていったのです。
私は名優たちへの長い長い口説きの手紙を書き、また書き、
それをメールで送り、
キャップは、ガチンコでタレント事務所に電話を掛けました。
その電話での会話で、先方には一発で、こいつはドラマは素人だなと分かる無茶な口説きようで、でも、そこで、キャップは排除されるどころか、かえって信頼されるのです、
「分かりました、私、福屋さんを信じます」
タレント事務所の担当者にそう言われ、
先方は出演に前向きになってくれる。
それでもまだ確約は出ない。
しばらくしてビビリながら電話を入れる。
電話するタイミングも分からないながら、
でもただ自分の感に頼って、
そして電話を入れる。
キャップと、何度も東京に出張に行きました。
昼間はタレント事務所に顔を出し、
夜は宿の近くで酒を呑み話し込み。
どこまでも二人だけだったのです。
それでも、どれだけ心細くなっても、
性格の違うのが二人いるのは気楽でした、
どちらかが不安でも、どちらかは平気なのですから。
そんな日々が10ヶ月続いたのです。
キャストも全員確定し、
ロケの日程も出て、
スタッフも決まり、
全ての全てが決まって、
ぼくとキャップはあの日を迎えたわけです。
広い会議室にぞくぞくとスタッフが入ってくる。
そいつらが全員席に着く。
あぁ、こんなにいたんだ。
ぼくはそう思いました。
あぁ、あとはこいつらがやってくれるんだ。
もう任せて好いんだ。
ここからは彼らの出番なんだ。
オレとキャップの仕事は終わったんだ。
そう思うと、不意に気持ちが浮き立ったのでしょうか、
ぼくは、感激して泣きそうな気分でした。
その時、となりに座っていたキャップが言ったのです、
「いやぁ、なんだか感動的だなぁ」
それがその時のぼくとキャップの、
掛け値なしの本音だったと思います。
つまり、ぼくら二人は、
あの日を迎えるまで、
全力を出し切っていたということなのだと思います。
それは特別なテクニックでも特殊な経験でもなんでもなく、
それまで生きてきた自分の経験と自力で乗り切った真剣な気持ちの先にある満足感だったのだと思います。
「やれることは、もうやりきったんだ」という。
もちろん、
撮影が始まってからの仕事もたくさんありましたが、
それは全て外堀の仕事で、
撮影スタッフを支える仕事で。
だからそれは意味が違うのです。
ドラマのプロデューサーの仕事は、
だから、あの日で終わる。
そのことをガチンコで、ぼくら二人は実感したのだと思います。
そのことを、
ぼくは実は忘れていて、
おとつい、東京で藤村くんに、
「あんたたち、そう言ってたじゃない。感動的だったって、それ聞いてオレは、あぁこのドラマは大丈夫だって思ったんだよ、だって、あの段階であんたたちには見えてたわけでしょう、このドラマが満足いくものになるんだって、だからオレは安心して撮影に入っていけたんだよ」
そう言われて、
あぁそうだったと、久しぶりに思い出しましてね、
あぁ、
思えば素晴らしい経験させてもらったんだなぁと、
あらためてしみじみとしたのでありますよ奥さん。
ということでねぇ。
てめぇらのことばっか書きましたが、
他人とぶつかるのが仕事で、
でも人とぶつかったら斬り合いになるかもしれなくて、
斬り合いになれば、
その時、自分のなかに切実な想いがなければ、
相手に斬られてしまうか、
誤って、相手を斬ってしまう。
いずれにしても、取り返しのつかないことになる。
だから油断無く、
常に自分に正直に、
自分に出来る事を全力でやる。
生きると言うのは、
おそらく、それしかないのだと。
ただ、思うばかりで。
本日は日記終了であります。
また明日も、懲りずにお出でくださいませ。
それでは解散。
グッドナイト。
(16:53 嬉野)

嬉野

2010年10月16日(土)
嬉野ですの奥さん。
今日は、朝からキャップをやぼ用に誘って、
おっさん二人で車で出掛けましたの。
なんだか今日の札幌地方、好い天気でね。
昨日とはうって変わって寒くも無かった。
「当別あたりに行って見ませんか」
と、私はキャップに言ったわけです。
「あぁ、ぼく好きな浜があるんですよ」
と、即座にキャップは言うのです。
ぼくは答えました。
「浜?当別に海ありました?」
「あります。厚田の手前から見える海なんですけど」
「厚田って厚田村でしょう?」
「当別とわりに近いあたりです」
「はぁ、じゃぁまぁ行ってみますか」
「最高に眺めの好いとこですよ」
車で1時間弱。
走ったら、今年の5月に鯨森惣七と焚き火に行ったところでした。
「あぁ、ここは知ってますよ」
「最高に眺めの好いところですよ」
「眺めいいんですよ」
国道をそれて浜近くの枝道を上がると、
岬の上に出て、波の寄せる浜が一望できました。
「すばらしいですねウレシー!」
キャップは上機嫌でした。
私も同意しました。
「あぁ、確かに綺麗ですよね。これ、もう、ここは日本じゃないですよね、アイルランドとかの漁村の風景ですよね、やぁ!向こうに手稲山が見えますよ、凄い天気ですね今日は!」
今日の日光の照りつけ方は確かに最高で、
お昼前の光線の差し具合が、また好かったわけで。
つまり逆光線で海がギラギラと光ってる。
波打ち際まで走る波が大きな波頭を立てて白く崩れていくのが眼下に見える。
車を走らせる辺りは、
どこまでも草地でススキの穂が茂っている。
真昼に近い時刻の逆光線を受けて、
すべすべの草の葉がギラギラと照り返しながら、
ぼくらの行く手一面を風に揺れながら次々と光っては過ぎる。
日の高い時刻の海と草の葉とススキの穂は、
逆光線に入ると人が変わったように力強く輝きだすのです。
「この波はサーフィン最高じゃないスか。お!やってるじゃないスか!ここ穴場ポイントですよウレシー!ちょと浜に寄ってって好いスか?」
「寄っていいですけど、砂浜、入ったら、車、砂に埋まりますから要注意ですよ」
「大丈夫ですよウレシー、ぼくの車は四駆ですから、走れないところはないですよ。まったく問題なしです」
それから5分もしないうちにキャップの車は砂に嵌りまして。
「あれ?」
「キャップ!タイヤ、きゅるきゅる言ってますよ」
「ウレシー!」
「あぁ、嵌ってますね」
「なんでしょうこれ?」
「いきなり問題ありましたね」
「嵌りましたか?」
「はまってますねぇ、まだ浜に出てもいないのに」
そこは浜に出る前の草地で、
でも草地は砂地には変わりなく、
車から外に出てみると、その草地の砂地のうねに、
乗り上げて前輪も後輪も嵌っておりました。
「これはもうねキャップ」
「はい」
「JAFですよ」
「JAFですね」
それからJAFに電話して、
場所を聞かれましたが、
住所なんてないような場所でしたが、
携帯のGPSで緯度経度を表示して、
それを告げたら緯度検索して、
JAFさんは45分後に助けに来てくれました。
最高に気分の好い天気の、
最高に眺めの好い場所で起きた今日の出来事でした。
札幌って綺麗だなぁ。
最高に綺麗だなぁ、と思えたのも、
JAFさんのお陰であります。
ありがとう!JAF!
冬近い、晩夏の思い出となりました。
じゃぁ週明けは留守がちですが、
みなさんどうぞお達者で!
世間に負けずにお気張りくださいますよう、
願ってやみません。
それでは週明けも各自の持ち場で奮闘されたし!
解散!
(17:27 嬉野)

嬉野

2010年10月15日(金)
嬉野です。
札幌、寒くなってきて嫌です。
それでは帰ります。
腹も減りましたし。
諸君!
来週もなんとか前向きに生き抜くのよ。
たのむぞ!
(21:38 嬉野)

嬉野

2010年10月13日(水)
本日の日記はね、
嬉野ですのよ奥さん。
えぇっと、
幾日か前に、私、考えたことがありまして。
ほれ、
人間が生きていく上でまずやんなきゃならないことに、
「食べる」という行為がありますでしょう?
だって食べないと死んじゃうでしょう?
いくら奥さんだって死んじゃうでしょう。
そら、ダイエットも大事だけど食べる事はもっと大事よね。
で、食べないと死んじゃうから、
人間は食べ物を獲得しなきゃならないでしょ。
そこでね、その食べ物の獲得方法ということになると、
これ幾つかあってね、
いや、そら今だったらスーパー行って買うとか、
コンビ二で買うとか、レストランで食うとかですよ。
まぁお金で済む話ですよ。
というか、お金が無いと困る話ですよ。今やね。
そら確かにそう。
だから目下の関心事はもっぱらどこのスーパーが安いとか、
あの魚屋はものが新鮮とかいうことになるでしょう。
でも私が今回考えたのはそれもっと古い古い起源の話でね。
ほら、こどもの頃に学校の社会科の、
歴史の教科書に出てきたでしょ、
狩猟と農耕って。
獣を追って狩をして、
捕らえた獣の肉をみんなで分けて食べる狩猟とね、
稲や麦やの作物をみんなで植え育てて収獲して煮炊きして食べる農耕と、
大きく二つに分けるでしょ?
なんかね、
そんなことを思い出してね、
「そういやぁ、狩猟社会と農耕社会とかあったよなぁ」って、
つらつらと考えてたんですよ。
例えば、でっかいマンモスを倒せば、
これ、みんなで当分お腹すかないで済むねって考えてね、
「じゃぁマンモスを倒すか」ってなった時ね、
奥さんだったらどーする?
なに?
マンモスを倒すなんてそんな面倒なことはしないだろう?
そらそーだよ。
そら今はそーだよ。
でもこれは「もしも」の仮定の話だからね。
相手は巨大なマンモスですよ。ギャートルズの世界よ。
一人二人でこれ立ち向かっても叶わない。
10人寄っても叶わないかもしれない。
こういう時に計略というのを思いつくやつがいてね、
マンモスを盛んに挑発してね、
怒ってマンモスが追っかけて来た時にね、
その追っかけてきた先にデッカイ落とし穴あればどーよ。
そしたら、そこにマンモス落っこちるでしょう。
そしたらさすがのマンモスも身動きできないから、
一網打尽じゃないのよマンモス。
ねぇ?そーでしょ?
これさぁ、
これやってみる価値あるでしょう?
みたいな提案をする。
そうすると、まずマンモスが集まる場所の近くに穴を掘らなきゃならないから、掘るやつを大勢集めて突貫工事で掘る。
して次に、マンモスを挑発する役のヤツを10人20人集めて、で、これはマンモスが追っかけてくるから、
各人そこそこ足に自信のある俊足のやつじゃないと危険なことになるから、これも選別して、
で、上手い具合にマンモスが穴に落ちたらどうやって仕留めるかも具体的に考えておいて、これを実行に移すわけですよ。
こうして計略どおり巨大なマンモスをね、
人間の知恵と運動能力で倒す事に成功できれば、
ここにマンモスを倒すチームが出来上がるわけですよね。
これ、組織の始まりのような感じですよね。
農耕の方はね、
土を耕すことから始まって、
田に水を引かなければいけないから、
水の確保できる土地を選んで、
植物を育てるのに適した土地を選んでして、
田に稲を植えて、
それから実りの秋が来るまで、
天候に左右されながら、毎日、稲の世話をして、
稲を襲う害虫を駆除して、
大きな台風に襲われれば、収獲は大打撃だし、
雨が降らなければ、雨乞いして、
天に祈って、
なにしろ大自然相手の大事業だから、
なんとか今年も無事に収獲できますようにと、
勢い、目に見えない巨大なものに祈りをあげるとか、
宗教色が強まっていくのかもしれないよね。
こうして大きな自然災害に襲われる事も無く、
無事に稲の収獲にこぎつけられたら、
こらもう神に感謝したくなるようなことでね、
神様に感謝するお祭だってやってしまいたくなる。
大自然を相手に裸同然の人間では力も弱いので、
一人では生きにくいとなれば、
人は、集まって暮らし、
人が集まって暮らすとなれば、そこに社会が出来て。
社会は、そこに集まって暮らす人間たちをどう食わしていくかという命題を持っているわけだから、
その人間たちの集まっている環境の違いで、
たとえば狩猟や農耕という、
食べ物の獲得方法の違いが生じていくよね。
そうすると、
その食い物獲得の方法の違いで、
その社会もまた、性格の違うものになっていく。
でね、
狩猟社会と農耕社会で、いろんな違いがあるけどね、
決定的に違うことがあるでしょう。
そう、
マンモスの肉はあっさり腐るけど、
米は、種だから保存がきくのよ。
つまり腐らない。
マンモスの肉をいっぱい食いたいからといってね、
どんだけ主張して他人より多くぶんどったからといって、
そこは人間だから食える分しか食えないわけで。
食えずにあまらせた分は、やがて腐ってだめになる。
でも、米は種だから、
タイムカプセルみたいなものだから、保存が利く。
腐らず貯えられる。
そうすると、一人では食えない量を作っても、
食いきれない量を、他人から、ぶんどったりしても、
腐らないから無駄にならない。
これがお金持ちの始まりとなるわけでしょう?
だったらって思ったのよ奥さん。
そん時。
思ったのよ。
だったら、お金も腐れば好いのにって。
お金が、マンモスの肉みたいに腐るなら、
だれも今みたいにお金を独り占めするようなことはしないよね。
自分で使い切れないような馬鹿げた額の給料なんてもらわないよね。
それどころか、いっぱい稼ぐ人は、
こんなに一人では使い切れないからって、
御近所に配るよね、お札をさ、
釣ってきたサンマみたいにね。
「これどうぞ、なんだか主人がたくさん稼いできちゃって」
「あら!もの凄い大金!」
「そーなの、とてもじゃないけどうちだけじゃや使い切れないのよぉ、もらっていただける〜?」
「あら、いいのう?うちちょうど月末で困ってたのよ、もうねぇ喜んで頂いちゃう、助かるわ〜」
「あぁ好かったぁ、だってさぁ、うちに置いといても腐るだけだもん、まだうちにあんのよ万札」
「あら、じゃぁウラの藤村さんとこ行くと好いわよ、あそこの奥さん、お金が無いの、お金が無いのっていってらしたから、きっと喜ぶわよ」
「あらほんと!じゃぁ行ってみる!助かるわぁ」
「御主人、お金儲けなんて好い御趣味ねぇ」
「とんでもない、もうね、稼ぐのもいい加減にしてよ!って、私、怒鳴りつけてやったのよ、あ!じゃ、藤村さんとこ行って来るわね、ありがとねぇ、あぁ早く持ってってあげないと鮮度が落ちてお札が腐るわぁ〜」
「まぁ、あの奥さんも大変ねぇ」
なーんてなことに、なるわけでしょう奥さん。
ねぇ。
好い世の中になるじゃないのよ。
てなことをね、考えておりましたが、
まぁそれだけのことで、
うちの女房に、これ話したら、
「で?」って言われましたがね。
はいはい。
本日もご退屈さまでね。
じゃ、また明日。
本日も各自の持ち場で奮闘してくださいね。
解散!
(20:38 嬉野)

藤村

10月7日木曜日。藤村でございます。
昨日から札幌でミスターさん作、演出の舞台「CUT」が始まりました。
ミスターさんと出会った15年前、あの方は「オーパーツ」という劇団を主宰しておりまして、当時は、毎日夕方になるとラジオの生放送をやり、週末になれば我々と一緒にテレビをやり、その後は映画をやり、大泉さんらが所属する事務所の社長をやり・・・と、まぁいろんなことをやってきた人です。
それが今回、初心にかえってまた舞台を今一度やってみたいと、自分の意志で「オーパーツ」を改めて立ち上げました。
あの人は、常に「もがいてきた」人です。今もずいぶんもがいているでしょう。
私も、ミスターが久しぶりに舞台に立つ姿を今週末観に行きたいと思っております。
札幌での公演は10日までです。
さて、同じく昨日から札幌では「SAPPOROショートフェスト(札幌国際短編映画祭)」が始まりました。
市内の映画館や、ホワイトロックという大通公園に建てた白いドームテントで、世界中から集まった短編映画を上映するという映画祭であります。数分のものから40分程度のものまで、ドラマあり、コメディーあり、アニメーションあり、有名なフィルムメーカーのものから個人の作品まで、千差万別の短編映像が、たった1000円で観られるという破格な映像祭であります。
10日の日曜日には、全作品の中からグランプリが選ばれるアワードセレモニーがありますが、私もそこに別の目的で参加いたします。
経済産業省が推進するクリエイターの人材育成を目的とした「コフェスタPAO」というプロジェクトがございまして、その一環として今回、この短編映画祭に出品した日本人監督の中から3人を選び、制作費を提供して新たな短編映像を作るチャンスを与えるというもので、その3人(3作品)を私が選ぶことになりまして・・・その発表が10日夜7時半からのセレモニーで同時に行われます。一般入場も有り(1000円ワンドリンク付き)ですので、時間のある方は来ていただければと。
尚、今回選ばれた3人が制作する短編映像は、来年3月に東京・六本木ミッドタウンで行われる「コフェスタPAO」の公式イベントで上映されることとなっております。昨年のコフェスタのイベントでは「藤村忠寿大集会」と題しまして浅草公会堂で嬉野先生と3時間のトークをやりましたが、今年は3人の監督の映像制作を通して新たなクリエイターの育成に目を向ける、ということになろうかと。映像の世界に興味のある方は是非。詳しくは「コフェスタPAO」の公式サイトへ。
ミスターさんの芝居を観に札幌へいらっしゃった方も、せっかくですので短編映画祭もちらりとご覧になっていけばいかがでしょうかと。
さて私は、どうでしょう新作の編集をいったん嬉野先生にまかせて、次のDVD第15弾「アメリカ横断」の編集に入っております。新作もおもしろいけど、アメリカ横断もおもしろい。忙しいけど、やってこうやってこう。
(19:34 藤村)

嬉野

2010年10月6日(水)
水曜日です。嬉野です。
「水曜どうでしょうクラシック」の日です。
このところ、藤村先生、世間を飛び回っておられまして、
大層ご活躍でございます。
そして只今は編集室にて、次なる第15弾のDVD編集に猛進されております。
次なるDVDの出し物は「アメリカ横断」。
まだクリントンさんがアメリカの大統領だった頃のお話で。
ミスタさんが引き起こしましたインキー事件とかがありまして、
まぁ事件と言いましても、
ミスタさんのせいで朝から車のドアが開かなかったという、
言ってみれば、ただそれだけのことで、
えぇ、現場の4人は、バカに盛り上がっております。
ミスタさんという方は、当番組内では、
男を下げるほどに盛り上がる方でございます。
不思議な立ち位置の人でございます。
どうでしょうの火薬庫と期待されるゆえんでございます。
1999年春の海外企画でございますれば、
豊穣の年と謳われた99年ものの深い味わいをお楽しみいただくよう、只今、うちの藤村が鋭意仕込みの最中でございます。
いましばらく、座してお待ち願いたく存じます。
ということで、わたくし今夜は、ミスタさんの
オーパーツ公演を観劇に参ります。
おぉ、本日は穏やかに晴れて、
お日柄も好うございます北の大地、札幌でございます。
じゃぁね奥さん。
今日も世間に負けず、お気張りくださいましよ。
歯を食いしばって、食うもん食ってがんばるのよ。
どうしてもがんばれないって言うんなら、
それでもいいけど、がんばれる時はがんばるのよ。
それではみなさま、
各自の持ち場を離れず、
日本のために、
本日もいま少しの奮闘をいたされますよう!
願いあげ奉ります!
解散!
(15:37 嬉野)

嬉野

2010年10月4日(月)
嬉野です。
えぇ先週末にひどい日記を書きまして。
いえ、書いてみようかと何かを思いついた気がしてね、
いくら思い出そうとしても思い出さないので、
書いているうちに思い出すかと思い、
書いてはみたが思い出せませんなぁ、などという、
恐るべき無内容なものを延々と書き連ねたままで、
なんと終わりまして、
(で今また、同じこと書いちゃってますが…)
で、さすがのわたくしも、
「週明けからはビシッ!とした日記を書きますから」と、
なかば言い逃れめいて、しめにして終わりましたところ、
「ビシッとした日記は書かなくて好いですよ」
「あんなものです。かまいませんよ」
という御意見多数掲示板にたまわりまして(^^)
えぇどうもあいすいません。
個人的な愚痴を日記に書けば、
「そういう時もあるぞ」と掲示板で慰められ、
奇天烈なる文章をなりゆきで書いて恥じ入れば、
「かまわんよ」と時代に似合わぬ寛容さでお許しいただける。
もうね、ありがたい話ですよ奥さん。
今時、ないです。
そうかと思えば、先日心斎橋の大丸さんに行きました折ね、
お出でのみなさんと親しくさせていただくなか、
いろいろにお土産をいただきまして、
その中の奥さんでね、
「嬉野さん、お渡しした塩昆布の中に他所にあげようと思っていた○○が間違って入っていませんでした?探してもないので、もしやとおもうんですが」と、
掲示板でお尋ねになる(^^)
好いですねぇこの距離のなさ(^^)
ありませんでしたよ奥さん(^^)
探してみたけど。大丈夫?
ねぇ、あれやこれやと、気がほぐれます。
お世話になっておりますよ、みなさまには。
ほんとによ。
感謝の日々なの。
ということでね、
週明けもビシッ!としたものからは、
はるか彼方のムード漂う日記とあいなりましたが、
本日もみなさま、各自の持ち場で奮闘されますよう、
ここより見守らせていただきたいと思います。
よし!では以上!
諸氏の健闘を祈る!
解散!
最後ちょとビシッとした?
そうでもない、ねぇ。
そらそうや。
(11:45 嬉野)

嬉野

2010年10月1日(金)
嬉野です。
なにか書きたいことがあったのです。
ですが思い出せない。
「おや、これは書きたい」と、
ふと思いついたのは、
先日の出張中のホテルの部屋でだったのですが…。
いやぁ、思いついたことを忘れるようでは叶わんなぁと、
嘆きつつ、
それでも、嘆きつつ書いていれば、
思い出すこともあるかしらんと、
書き始めはしましたが、思い出すわけもない。
まぁ思い出さないくらいですから、
たいしたことを思いついたわけではないのでしょうか。
でまぁ、振り返ると、
こういう日記を私は毎年書いているようで、
実になかみの無い、
実に無意味な時間を、
お読みになったみなさんに強要しているようで、
畏れ入るばかり。
なーんつって、恐縮してるふうに書いているようであって、
でも実のところ、たいして恐縮もしていない。
こうして延々と間の抜けたことばを取りとめもなく書き連ね止めようともしないわけですから畏れ入ってるわけがない。
どうにも我ながら不思議でしょうがない、このしまりの悪さ。
反省する事しきりであります。
とまた書きつつ、
でも毎年おなじような事やってるわけですから、
本気で反省しているわけもない。
ということは、大嘘つきということなのか。
いや違うでしょう奥さん。
本当の嘘つきならば、ウソと白状するわけもなし。
そう思えば、じゃぁおちょくっているのかと、
いうことになり。
しかしそこまで悪意のある人間でもなしと思えば、
さしずめ、せっかく開いて読んでいる新聞紙の上に、
澄まして居座る犬猫の類に近いのかもしれませんな。
怒られるまでやっているという。
いやまったくもってお恥ずかしい。
これは本音です。
すんません。
来週からはビシッと!
更新してまいります所存でありますので!
本日のところはお許しを!
それでは諸氏の奮闘を祈る!
各自、本日も持ち場にて、なお一層の発奮をされたし!
以上本日終わり!
解散!
また来週!
うーむ。ひどい日記だ。
(14:53 嬉野)