藤村

10月28日火曜日。

札幌は朝から雨がシトシトと降っておりまして、もう秋も終盤、いつでもこの雨、雪に変わりますよという気配が濃厚になってきております。

はいどうも藤村でございます。

わたくしは、すっかりDVD第11弾の編集モードに突入しており、編集室にこもっております。

もうね、外に出ても寒いですからね、「外で何かしたい」という邪念なしに、ビシッと仕事に集中できますよ。

そんな意味では、北海道という土地は、一時集中してものを作るようなクリエーターのお仕事、アニメーションやら、曲作りやら、はたまた絵描きやら陶芸やら、やる人には向いていると強く思います。

冬はもう静かな環境の中で、じっくりと仕事に集中する。

そのかわり夏はもう邪念がいっぱい、気候はいいし、ビールもうまいですから、仕事なんかしてらんない。

でもまぁ、そうなったら仕事はそこそこ、外に出ておいしい空気を吸いながら、魚釣ったり、野菜でも育てればいいんじゃないか。

夏はそういった人間的な生活をして、冬は雪の中で、じっくり静かに仕事に集中する。

「いい生活ですねぇー。そりゃいいモノができますよ」

誰しもが思うでしょう。

「でもねぇ、なかなかできない」

誰しもが言いますね。

しかし、どうなんでしょうか。

「いいモノができそう」「人としていい生活ができそう」

なんだから、それを目指せばいいだけの話。

実に単純。

しかし、多くの人が「なかなかできない」とあっさり言ってしまう。

なぜか。

「社会の流れがそうだから」、なんですね。

たぶんもう何十年も、日本社会の目指すべき理想の生活は、

「9時5時で働いて、高級な車を買って、なるべくいい家に住む」

こと、だったから、今もみなさん、それを実現すべく働いてるんです。その理想に向かって会社も動くし、みんなも働いている。

でも、「高級な車を買って、いい家に住む」のが理想ではない人は、仕事をしながらとても苦しむわけです。

なんか社会の流れから、自分はもうズレてるなぁ、と。

しかし、実は、あなたがズレてるんじゃなくて、「今は社会の方がズレてる」んです。

だって、「高級な車を買って、いい家に住むのが理想」「それができれば幸せ」なんて思ってる人、今は逆に少数派じゃないですか。

幸せの価値を、「高級なものを多く買える生活」ではなく、もっと「人間的な生活」に求めてる。

なのに、いまだに政治の最重要課題は、「景気対策」「経済政策」であって、「景気が良くなれば人々の生活は豊かになります」なんて平気で言い続けてるでしょう。

明らかに社会の方がズレている。

そんな中で、夏は外に出て水と土に触れ、冬は中で創作活動に集中する。そうやって生活することを理想とする。

そんな単純なことを、まず自分が北海道で実現していきたいと、思っておりますよ。

そして、そんなクリエーターが集まる場所に、北海道がなれば良いと思っております。

そうすりゃぁ、いろんな人といろんな話が毎晩できて、いい酒が飲めますからね。

ささ、では今日も編集室にこもります。

また。

おっと、来月12日から九州は熊本、鶴屋百貨店さんで開催の「大道産子市」にどうでしょさん出店いたします。

九州初上陸!

熊本朝日放送さんでは、CMスポットも流れるそうです。昨日私がナレーションを読み、さっきハナタレ班のカノが編集しておりました。

熊本、行きたいですなぁ・・・。

(15:26 藤村)

嬉野

2008年10月24日(金)

嬉野です。

今週は藤村先生と京都におりまして、
留守をしておりました。
あいすんません。

帰りました本日から、
また写真集2の改訂作業をいたしておりますので、
お愛想なしでございますが、本日はこれにて日記終了!

とりあえず我々は元気であります。
皆々さまも御健勝でこの週末を乗り越えられますよう!
気張られませぇい!

どんどん。

でもまぁ、気張れない方はそれなりで結構かと存知ます。
はい。

では解散!

(15:27
嬉野)

藤村

10月20日月曜日。藤村でございます。

ずいぶんとご無沙汰をしておりました。

1週間前、表参道にご参集いただいた皆様、中でも当日券を求めてずいぶん長い間お並びいただいた皆様、誠にもってありがとうござりました。

「ひとりの人間が3時間しゃべる」という、あのイベントの真意は、表面的なことではなく、じっくりと本質的な話をしましょうや、というところにあります。

多少時間をもてあますぐらいでないと、本質的な話にはならないと。

我々は4人で旅に出て、旅館に入ると、いつも時間をもてあまします。

そんなときに、いろいろと話をする。割とマジメな話をする。

そんな話こそ、実は大切なのだと。

いうことで、私は東京・表参道のスパイラルホールを旅館の一室に見立てまして、浴衣を着て、ビール片手に3時間しゃべってまいりました。

テレビのこと、時代のこと、仕事のやり方のこと、生き方のこと・・・話は断片的です。そんな系統立てた話なんか旅館でしない。

でも、言いたかったのは、割とシンプルです。

結局、「人と会ってしゃべる」「人の話を聞く」というのが、すべての基本なんだろうと。

人を目の前にして、その人のことをよく考える。

そうすれば、話は進むし、実のある話もできる。

でもお互いマニュアル的な受け答えでは、話は進まないし、楽しくもない。

もしくは、言葉ばかりが盛り上がるカラ騒ぎにしかならない。

例えば今のテレビは、人を目の前にして、マニュアル的な番組を作っていないだろうかと。

ちゃんと人に話を聞いてもらうために、ちゃんと作り手の姿勢を出しているだろうかと。

単純に、すべては人と人。

そう考えると、あんまり間違ったことはしないと思うわけです。

3時間の最後に紹介しようと思って、すっかり忘れてたメッセージがありました。

劇的3時間ショーのサイトに寄せられたメッセージの中のひとつ。

・・・家族全員「どうでしょう」さんに笑いと元気をもらい、僕のすべての人生における3%程度は豊かになったと感じています。ありがとう。

うれしかったですね。「3%程度」・・・もう十分です。

テレビは結局、みなさん全員の顔を見て作れはしない。だから、あなたがた全員を満足させることなどハナから出来はしない。また、あなたがたにも、テレビなんてものにすべてをゆだねてもらいたくはない。

だから、この「3%程度は豊かになった」という感想は、なんというか、「それは良かったなぁ」と、心から思えたのであります。テレビの目指す使命のようなものを、正しくわかったような気がしたのであります。

よし。

ということで、また明日からしばし外出。

留守を頼む。

では!

(20:07
藤村)

藤村

2008年10月17日(金)

嬉野でございます。

ヤフーのニュースにも出てましたが(笑)、
東京青山スパイラルホールでの、
藤村先生の「劇的3時間ショー」。

私も先生のゲストとして、のこのこ顔を出しまして、
二人で2時間半くらい浴衣着て話しましたさ。

でね、聞きに来てくれた知り合いが、
先日、メールをくれましたよ。

藤やんの言葉に共感してのことのようです。

以下抜粋。

『でも、たとえどんな人間であったとしても、

「社会のためになることをするのが大人だ」。
という言葉が、私はいちばん胸に響きました。

お金をいっぱい稼げる人が大人なのではなく、
社会をいいようにもてあそぶ人も大人ではなく、
社会のためにと働く人を大人とする。
これが、ものすごく心にしみた言葉でした』

とまぁ、いうことでしたね。

科学の分野でも、経済の分野でも、政治の分野でも、
娯楽の分野でも、そこで活躍し利益を求める人たちが、
それでも社会を好くするため、
この国に生きる人の暮らしを好くするため、
それを最終目的とするならば、

今までどおり、限られた人だけが偉くなったとしても、
一握りの人だけが金持ちになったとしても、
その極一部の人たちの最終目的が、
社会を好くするため、
人の暮らしを好くするためである限り、
世の中は好くなる。

そういうことになる。
それって、とてもまっとうな話だよね。

オレね、
思うんだけどさぁ、
いや、間違ってるかもしれないよ。
でもね、思うよ。
今の時代、この世の中ね、
好い時代だとは腹の底から思えない。

必要ないような物ばかりが沢山あるようでさ。
偉くならなきゃ取り残されても仕方が無いんだって思わされてるるような妙なムードがあるようでさぁ。

そんなんじゃなくて、
なんかもっと人と人との関係が濃い、気楽に楽しい、
不安の無い世の中にならねぇだろうかってさぁ。
思うの。

でもよ、
こんなにおかしな世の中でもね、
ものすごく儲けてる人、いるよねぇ。

ひょっとしたらよ、
そんな人にとっては、こんな世の中である方が、儲けるには都合が好くて、このままこんな変な世の中がずっと続くほうが好いと思ってる人、いるんじゃないだろうか?

そういう人がいっぱいいて、その人たちはもの凄い金額のお金を持ってこの世界で力を発揮して、世の中が好くならないようにしてるんじゃないだろうかって思う。
不意に、そう思ってしまったのよ。

だから、
ぼくらは、素朴に主張して好いんだよ。
世の中を好くしたいって。
ねぇ。
そうして幸せに生きたいって。

今の時代は何かが行き詰ってる。
けど、だったら突き抜ければ好いんだよね。

突き抜けるためには、
金のために金を儲けて肥大して行くことを最終目的にするんじゃなくて、社会のために、人のために働かなきゃって思うことを最終目的にする。

それだけで、明るい未来が、すぐそこに見えてくる気がする。

いや、いいのよ。
間違ってても。
単純でも(笑)。

でも、そう信じます。

じゃ、また来週!

解散!

(21:25
嬉野)

嬉野

2008年10月16日(木)

嬉野でございます。

えぇ、昨日ね、
日記で愚痴を言いましたよ。
ねぇ(笑)。

いや、でも奥さんねぇ。
いいねぇ、ここの日記って。

だって、みんなオレの愚痴聞いてくれんだよ。
さっき掲示板読んでオレ驚いちゃったもん。

だってすっかり励まされちゃってるもの、掲示板で、
わたしゃ(笑)。

「まぁまぁ嬉野さん」

なんつってなだめられてんだもん、掲示板で。
オレ、来年50なのに(笑)。
自分で笑っちゃったなぁ(笑)。

いやぁ、あんたら全員、おとなだわ。
いやぁ、あやまる。オレが小さい人間だった(笑)。

いやぁ、日本は好くなる。
間違いなく好くなる(笑)。

いやぁ参った。
すまんすまん、オレが小さかった(笑)。

と言うことでね、
おっさんはテレながら本日の日記を終わりますよ。

じゃ、また明日!

解散。

(18:33
嬉野)

嬉野

2008年10月15日(水)

嬉野でございます。

えぇ、本日は愚痴でございます。
それも思い出したような愚痴でございますよ。

なんでしょう、
このね。

ここの日記を私だけが連投して書いているとですねぇ。
藤村先生が「バランスが大事なんですよ」とか言ってね、
「鼻毛!」
みたいなことを突然日記に書かれたりしますでしょう。

あれ、なんでしょうねぇ奥さん?

実のところ。
あの先生がおっしゃってる意味がよく分からないのよ奥さん。

いや、バランスはね、
勿論、私も大事だと思うんですよ。

思いますから、
その主張に文句は無いんですよ。
むしろ同意しますもの。

だって、私だって別に連投したいわけじゃないんですから。
第一あなたネタだって尽きますよ。
そうそうないですよ文章になるネタなんて。
頑張ってる方ですよ。

要はね、
あの方がもっと書かれれば好いわけですよ。
日記を。
それだけのことでしょ。単純な話ね。

それでバランスは保てる。

つまり私が日記を書いた次の日にね、
必ずあの先生が日記を書いてくれれば、
それだけで、手もなくバランスはとれるわけでしょう。
単純な話ですよねぇ。

でも現実はね、
そういう日々のキチンとしたことをね、
あの先生が、してくださらないから、
だから私が日々連投することになるわけなんですよ。
実際問題。

そうでしょう奥さん。

別にわたしゃあの先生がね、

「嬉野さん今日はぼくが書きますよ」と言っているのにね、

横から無理やり出てきて、あの方を制してですよ、

「いやいや藤村さん!今日も嬉野が書きますから!」

みたいに、強引なことをね、
私がやりながら書いているんじゃないわけですよ。
わかります?
ねぇわかりますよねぇ。

確かにね、
そんな強引なことをして連投してるんならですよ、

「嬉野さん、バランスが大事ですよ」

とね、あの方にたしなめられても納得なんですが、

現実は、たんにあの人が書かねぇから、
私が連投することになってるだけであってね、
それで私が説教されてたら奥さん、
なんか、わたしゃ、
言われ損みたいな気がしてしょうがないんだけど。

そのあたり、どうなんだろうねぇ。

で、髭のあの人、今週いないから、
わたしゃまた連投だよ。ねぇ。

そこの所どう考えているんだろうねぇ。
あの髭の人はさぁ。

以上、本日は愚痴ネタで日記を書きましたよ。

お耳汚しでありましたですかね皆さん。

ごめんなさいね。

じゃ、解散ね。

あぁ、言いたいこといってスッキリした。

また明日。

(18:54
嬉野)

嬉野

2008年10月14日(火)

嬉野でございます。

藤村先生の青山スパイラルホールでの劇的3時間ショーも終えまして、私だけ先に札幌に帰ってまいりましたが、

振り返ればあれですね、
96年から02年までの6年間。
藤村先生とは編集室でずいぶんとお話をしてまいりましたよ。
それくらい一緒に編集室にいる時間が長かったんだねぇ。

でも、水曜どうでしょうの週一のレギュラー放送が02年に終わってね、DVDの編集に移行した03年からは、二人一緒に編集室に入ることもなくなりましたんでね、あの人と二人でいるという時間がめっきり減ってね、あの人ともろもろ四方山話をすると言うことが無くなったのでね、今回人前でしたけれど、久しぶりに藤村先生と二人で長時間話せるのが楽しみでもありました。

そしてね、実際話して、楽しくもありましたよ。

とまぁ、いうところでね、本日は終わり(笑)。

また明日。

(21:11
嬉野)

藤村

10月7日火曜日。藤村でございますな。

先週から本格的にDVD第11弾の編集を開始しております。

世はデジタル化の時代でありますが、どうでしょうはかたくなにアナログ編集をしてまいりました。

デジタル編集とアナログ編集の違い。簡単に申せば、音楽を録音するとき、まずはパソコンに取り込んでデータ化する。そうすると簡単に曲順を変えたり消したりできる。その後CDに落とすなりする。これがデジタル。

対して、カセットのボタンをガッチャンガッチャン押して1回1回テープに録音する。これがアナログ。

どうでしょうさんはその、いまだにカセットテープを手放さないじじいのようなもんでありました。

アナログ編集をかたくなに守り通す最後の番組。それが水曜どうでしょうだったのであります。

しかし、そのアナログ編集機もついに処分され、私の編集室にはパソコンがドデンと鎮座しております。これまではジョグダイヤルでテープをきゅるきゅる回しながらひとつづつ編集してたのが、今やマウスでクリック・・・編集も変わったもんであります。

・・・と、こう書きますと、

「なんか悲しいですね、かたくなに守り続けていたものが・・・」

と、お思いになるでしょうが、実はそうじゃない。

私が「かたくなに」アナログ編集を続けていたのは、単にデジタル編集機の操作を覚えるのがめんどくさかっただけなのであります。

「いや便利そうだけど、なんかめんどくせぇーなぁー」と。

アナログ派の主張の根底なんて、実はそんなもんであります。

それがついに長年親しんだ編集機を撤去されて、

「しょうがねぇなぁー、やってみるか」と。

それで先週からハナタレやスバセカの連中にちょこちょこ聞きながらデジタル編集を始めてみますと、これが案外簡単に覚えられましてね、2日目からはひとりでバンバン編集を始めたんです。

「おー、意外といいじゃん」

もうね、あっさりどうでしょうもデジタル化ですね。

さ、それじゃぁ今日もマウスでクリックしてきますよー。

本日からは、「桜前線を捕獲する・第二夜」の編集。

もう第一夜はやっちゃったんですよー。

ほい、また明日。

(15:05
藤村)

嬉野

2008年10月6日(月)

嬉野です。

とうとう、
うちのホームページのお寺の境内も木々の葉が一斉に色づいて、
すっかり秋の風情になりましたなぁ。

秋の風情と言いますとね、
いつだったか、ふらっと立ち寄った珈琲屋の二階の窓から、
なんということもなく外をながめておりましたらね、
窓辺にからまる野生の葡萄の木の蔓に実った小さな丸い実をね、野鳥がやって来てついばんでおりますのを見ましたよ。

くりくりっとした目ん玉で、さかんに実を食っておりました。
どこから来るのだか、なんという名の鳥なのだか知りませんが、

「なんだか見あきねぇもんだな」と、ひとりいつまでも眺めておりましたよ。平和な気分でありました。

昭和40年代に立てられた民家を、そのままに珈琲屋にしたような店でね、外から見ると鬱蒼とツタ草や木の蔓が壁面を覆ってね、どことなく物悲しい秋の景観を見せておりました珈琲屋でありましたよ。

秋は侘しいものでございます。

侘しい風景を見ますとね、
視覚的に侘しい気分に誘導されるのが人間というもののようでございますね。
おそらくそういう感受性がすでに仕組まれているのでしょうね。
ですから、そういう侘しい風景を見る機会の無いままに過ごしていますとね、秋の侘しい気分も、そのうち忘れてしまいます。

秋の田んぼで、稲刈りも終わった頃にね、
わらを盛んに焼いてる臭いに冬近い秋を感じたこともありました。
昔ね。

焼き芋屋さんの、焼き芋の臭いでもすれば、これまた秋を感じるかもしれません。

それにしても、日が短いのがなんとも寂しい今日この頃。
美味いものを腹いっぱい、晩ご飯に食べたいものでございます。

あ、秋の夜長に、お香の匂いを嗅ぐと言うのも、
あれもわりと好いのですよ、奥さん。

なに?そんな暇は無い。
まったくです。

じゃ、解散。

おっと、藤村先生は、ちゃくちゃくと新式編集機をマスターしておるのだと言っておられましたよ。

まぁ、言っておられただけでしたがね。

さぁてみなさまは今晩、何をお食べになるのかしら。ねぇ。

(18:08 嬉野)