嬉野

2008年10月15日(水)

嬉野でございます。

えぇ、本日は愚痴でございます。
それも思い出したような愚痴でございますよ。

なんでしょう、
このね。

ここの日記を私だけが連投して書いているとですねぇ。
藤村先生が「バランスが大事なんですよ」とか言ってね、
「鼻毛!」
みたいなことを突然日記に書かれたりしますでしょう。

あれ、なんでしょうねぇ奥さん?

実のところ。
あの先生がおっしゃってる意味がよく分からないのよ奥さん。

いや、バランスはね、
勿論、私も大事だと思うんですよ。

思いますから、
その主張に文句は無いんですよ。
むしろ同意しますもの。

だって、私だって別に連投したいわけじゃないんですから。
第一あなたネタだって尽きますよ。
そうそうないですよ文章になるネタなんて。
頑張ってる方ですよ。

要はね、
あの方がもっと書かれれば好いわけですよ。
日記を。
それだけのことでしょ。単純な話ね。

それでバランスは保てる。

つまり私が日記を書いた次の日にね、
必ずあの先生が日記を書いてくれれば、
それだけで、手もなくバランスはとれるわけでしょう。
単純な話ですよねぇ。

でも現実はね、
そういう日々のキチンとしたことをね、
あの先生が、してくださらないから、
だから私が日々連投することになるわけなんですよ。
実際問題。

そうでしょう奥さん。

別にわたしゃあの先生がね、

「嬉野さん今日はぼくが書きますよ」と言っているのにね、

横から無理やり出てきて、あの方を制してですよ、

「いやいや藤村さん!今日も嬉野が書きますから!」

みたいに、強引なことをね、
私がやりながら書いているんじゃないわけですよ。
わかります?
ねぇわかりますよねぇ。

確かにね、
そんな強引なことをして連投してるんならですよ、

「嬉野さん、バランスが大事ですよ」

とね、あの方にたしなめられても納得なんですが、

現実は、たんにあの人が書かねぇから、
私が連投することになってるだけであってね、
それで私が説教されてたら奥さん、
なんか、わたしゃ、
言われ損みたいな気がしてしょうがないんだけど。

そのあたり、どうなんだろうねぇ。

で、髭のあの人、今週いないから、
わたしゃまた連投だよ。ねぇ。

そこの所どう考えているんだろうねぇ。
あの髭の人はさぁ。

以上、本日は愚痴ネタで日記を書きましたよ。

お耳汚しでありましたですかね皆さん。

ごめんなさいね。

じゃ、解散ね。

あぁ、言いたいこといってスッキリした。

また明日。

(18:54
嬉野)

嬉野

2008年10月14日(火)

嬉野でございます。

藤村先生の青山スパイラルホールでの劇的3時間ショーも終えまして、私だけ先に札幌に帰ってまいりましたが、

振り返ればあれですね、
96年から02年までの6年間。
藤村先生とは編集室でずいぶんとお話をしてまいりましたよ。
それくらい一緒に編集室にいる時間が長かったんだねぇ。

でも、水曜どうでしょうの週一のレギュラー放送が02年に終わってね、DVDの編集に移行した03年からは、二人一緒に編集室に入ることもなくなりましたんでね、あの人と二人でいるという時間がめっきり減ってね、あの人ともろもろ四方山話をすると言うことが無くなったのでね、今回人前でしたけれど、久しぶりに藤村先生と二人で長時間話せるのが楽しみでもありました。

そしてね、実際話して、楽しくもありましたよ。

とまぁ、いうところでね、本日は終わり(笑)。

また明日。

(21:11
嬉野)

嬉野

2008年10月6日(月)

嬉野です。

とうとう、
うちのホームページのお寺の境内も木々の葉が一斉に色づいて、
すっかり秋の風情になりましたなぁ。

秋の風情と言いますとね、
いつだったか、ふらっと立ち寄った珈琲屋の二階の窓から、
なんということもなく外をながめておりましたらね、
窓辺にからまる野生の葡萄の木の蔓に実った小さな丸い実をね、野鳥がやって来てついばんでおりますのを見ましたよ。

くりくりっとした目ん玉で、さかんに実を食っておりました。
どこから来るのだか、なんという名の鳥なのだか知りませんが、

「なんだか見あきねぇもんだな」と、ひとりいつまでも眺めておりましたよ。平和な気分でありました。

昭和40年代に立てられた民家を、そのままに珈琲屋にしたような店でね、外から見ると鬱蒼とツタ草や木の蔓が壁面を覆ってね、どことなく物悲しい秋の景観を見せておりました珈琲屋でありましたよ。

秋は侘しいものでございます。

侘しい風景を見ますとね、
視覚的に侘しい気分に誘導されるのが人間というもののようでございますね。
おそらくそういう感受性がすでに仕組まれているのでしょうね。
ですから、そういう侘しい風景を見る機会の無いままに過ごしていますとね、秋の侘しい気分も、そのうち忘れてしまいます。

秋の田んぼで、稲刈りも終わった頃にね、
わらを盛んに焼いてる臭いに冬近い秋を感じたこともありました。
昔ね。

焼き芋屋さんの、焼き芋の臭いでもすれば、これまた秋を感じるかもしれません。

それにしても、日が短いのがなんとも寂しい今日この頃。
美味いものを腹いっぱい、晩ご飯に食べたいものでございます。

あ、秋の夜長に、お香の匂いを嗅ぐと言うのも、
あれもわりと好いのですよ、奥さん。

なに?そんな暇は無い。
まったくです。

じゃ、解散。

おっと、藤村先生は、ちゃくちゃくと新式編集機をマスターしておるのだと言っておられましたよ。

まぁ、言っておられただけでしたがね。

さぁてみなさまは今晩、何をお食べになるのかしら。ねぇ。

(18:08 嬉野)

嬉野

2008年10月3日(金)

嬉野です。

4年前に書いた日記です。
書いて、
なぜだか、そのまま上げず、
パソコンの中に置いたままにしていたようです。
さっき見つけました。

こんな話です。
春の話です。

先日、夫婦でニセコまで行きました。
ニセコへ行くにあたって、女房は言うわけです。

「良い温泉を発見したのよ」と。

言った女房の鼻の穴は少し広がっていました。

「地元でお百姓をしてるおじさんが自力で掘り当てて、自力で岩風呂作って湯小屋も立派なヤツをこれまた自力で立てたのよ」。

女房は、まくしたててそう言うわけです。

「それでね、その温泉ね、泉質も良いのよ」

二週間ほど前に見つけたばっかりの、ほやほやの温泉なんだそうです。

で、亭主は女房の尻にくっついて、
誘われるまま行ってみました。

羊蹄山は、あいにく雲に隠れて見えませんでしたが、ニセコは綺麗なところです。
高原だから冬は豪雪だそうですが、そのぶん伏流水となって夏に湧き出る水がおいしい。
丘もあるし、森ではカッコウも鳴いていました。

「カッコウが鳴いたら、種は何を撒いてもいいの。」

温泉に着いたら、温泉おじさんの奥さんがそんなことを言ってました。
カッコウが鳴くのは、「もう冷え込むこともないぞ」という合図になるのだそうです。

なるほどねぇ。
さすがお百姓です。物知りです。

小柄でがっしりした体格の温泉おじさんは、日焼けした顔でそんなことを言う奥さんの横に腰掛けて「ニッ」と笑っています。

とにかく夫婦して、人が来るのが大好きな風情でした。

湯小屋の入り口には男湯と女湯のドアがあり、木彫りのみみずくが二羽、止まり木に止まって客を迎える風情です。

脱衣所もそこそこ広くって、
洗面台もあるし脱衣かごも置いてある。

のぞくと内風呂は岩風呂でした。

でもお湯の底には檜の板がひいてありますから、お湯に入っても、のっけたお尻が気持ち良い。
足を伸ばして背中を湯船の縁につけると良い具合に縁石が枕代わりになるような位置にある。

目の前は壁ではなくて全面ガラス張りの窓になっていて、
外の景色が全部見えてすがすがしい。

静かでした。

そのうち、「ゴボゴボッ」と、どこかで音がしているのに気づくのです。

自噴してる源泉が湯船の底で時折音を立てるんですね。

炭酸泉だから湯の底から小さな泡がいっぱい湧き上がって来て、湯面ではじけます。
耳を澄ますと「シュワーシュワー」とサイダーみたいに泡のはじける音が聞こえてくる。

その湯面に鼻を近づけてみると、微かに白濁したお湯から昇る湯気の中に、ほんのりと硫黄の匂いがするのがわかる。

湯の温度はぬるい。

体温より2度ばかり高いだけのお湯。
だからどれだけでも入っていられる。

お湯に入っているのがこんなに幸福だと感じる経験は初めてのことでした。

湯に浸かりながら「近いうち、また来て、この幸福な気分にひたりたい」と思ったのも初めてのことでした。

あの日、あれだけぼくを楽しませたのは、温泉の泉質はもとよりの話ですが、あの温泉を全部ひとりで作った、あのおじさんの人柄なのだと思うのです。

あのおじさんの「訪れた人を楽しませようとする繊細な気配り」が、あのくつろげる形の湯船をつくり、気持ちの良いガラス窓をつくり、露天風呂の岩組みを作り、流れ落ちる小さな滝をつくり、目に鮮やかな色とりどりの花を植えたのだと、ぼくは思います。

そのことどものあれこれが、あの日、ぼくを幸福にしたのだと思うのです。

湯から上がって、外に出て、椅子に座ってくつろいでいると、
森ではまだ、カッコウが鳴いていました。

とまぁ、こんなお話で。
好いねぇ、春は。
なんつって。
ちょっと春に戻った気がしましたな。

しかし現実には冬が近づいておりますよ奥さん。
心して冬支度をしてまいりますか。

あぁ、
でもその前に、
そろそろ山が紅葉しそうです。
今年は急激に冷え込んだから、
ひょっとしたら紅葉が、きれいかもしれないね。

では、家事に育児にお仕事に、どうぞまい進されますよう。

また来週。
解散であります。

あ!
そうそう。

本日も、藤村先生。やっております。

「よ〜し、やってやる」と、
若干小声でしたが、そう言いながら、さっき編集室に向かわれました。

合掌。

(15:15
嬉野)

嬉野

2008年10月2日(木)

嬉野です。

機材というものは、
日々進歩しておりますですねぇ奥さん。

どうでしょう班もですね、
いいかげんカメラをハイビジョン化せよということでね、
この春からいろいろとハイビジョンのカメラを物色しておったのでございますが、やっとこ昨日決めました。

選定基準は、
とくにカメラの性能とかではなくてですね、

「まず、手に持って軽いこと」
そして次に、
「だからといってギリギリテレビと分かってもらえる程度にはイカツイデザインであること」

この2つでした。
はい。

で、決定。

ほんとはね、
手に持つんじゃなくて、
風船みたく浮いてくれるカメラがあるとありがたいんですがね、
そういう風には世間は進化しないですな。
残念ながら。

そうそう、
ビデオカメラは、もうテープではないんだそうですね。
カードに記録するのだそうですよ。

こんなに小さなカード一枚にね、
3時間くらい録画できるっていうじゃないですか、ねぇ。
驚きます。
で、そのカードが小さすぎてね奥さん、
わたしゃ失くしてしまいそうですよ。

思えばねぇ、
今年はドラマ制作で新作のロケにも出れませんでしたのでね、
新たなる旅に出ることは、なりませんでしたが、
来年辺りね、タレントさんたちのお暇な辺りでね、
旅に出るのも楽しかろうと思うんでございますよ。

その時に、こう、今回決めました新型のカメラを携行して参ろうかと思っておりますよ。

好いですな。
ハイビジョンは横長の画面ですから、風景向きです。
旅行くどうでしょう班には向いているのではないでしょうか。
とくに横に画面が長い分、文字スーパーも今までよりバンバン並べられそうでございますから、画面上の情報量が格段に増やせますな。もうね、みなさん目がチカチカするでしょうよ。

さぁ、
そーして、それと平行して編集機もですね、
この2〜3年で驚くべき進化を遂げましたね。
もうね、我々が、着いて行けないくらい進化しちゃったわけであります。

だもんで、
我々はずっと古風な編集機を温存させ、
これに必死に齧りつきながら、
これまでDVDの編集作業をしてきたのでございますよ。

したが奥さん、
今回我々がドラマ制作にまい進しておりました間に、
社内の全ての編集機はすっかり進化してしまってですよ、
帰ってみればあなた、
どうでしょう班が、ずっと温存していた旧式の編集機は跡形無く捨てられですよ、ついに我々も新式の編集機を使わざるを得ない状態になっておるわけでございます。

えらいことになっております。

ということで昨日から、
藤村先生が編集室に入りまして懸命なる試運転でございます。

「どうよ先生」
「なにが」
「DVDの編集進んでるの?」
「やってるよ」

やってるそうであります。
何をやっている段階かは分かりません。
しかしながらやっております。

とはいうものの、
一日どれくらいの作業量が見込めるのか。
この量が分からないと、スケジュールも立たない。

ということで、どうでしょうDVD編集作業。
おそろしくゆっくりゆっくり進行しております。

気長にお付き合いくださいませ。

じゃ、またね。

解散!

(19:01
嬉野)

嬉野

2008年10月1日(水)

嬉野です。

寒いです。
毎日寒いです。
札幌は急になんだかもう冬みたいです。
いつの間にか暑かった夏も終わっちゃったなぁ。

ぼちぼち家の奥さんの長かった旅も終わりを迎えるでしょう。
東北の山々も見事な紅葉を見せ始めているようです。

日本全国、秋深し。
ということで、本日の日記終わり!

ということで好いね。

じゃ、また明日。

解散。

(17:34
嬉野)

嬉野

2008年9月24日(水)

嬉野です。

手相というものがありますな。
あたるも八卦、あたらぬも八卦だそうで、
いや、私も手相はそういうものだと思います。
それでいいのだと思うのです。

「運命なんて自分で築くものだから、
手相なんか迷信ですよ」。

それで好いのです。
人はいろいろに思想信条を持っておりますしね、
許せたり許せなかったりする想いがあるわけです。

それでも不思議なものというのは時に大事なものです。
私はそう思います。
そして、そういう時、入り口はとても大事なのです。
たとえば夜更けの街角に立つ手相見は、
そういう入り口となるのです。

科学的な根拠が無いから、非科学的なものは撲滅する。
そういう情熱はあまり意味が無いように思います。

なぜならね、
人の心の動きというのはさ、
その時々のコンディションで、
どうしようもなく変動するものですよ。
ふらふらと。

人生が上手くいかないとか、
頑張ってるのに芽が出ないとか、
小さい頃からずっと自分の思うようにならないとかね、
ちっとも就職が決まらないとか、
他人や世間と上手くいかないことが続いてね、
どこか心が弱っている時に、(まぁ飲み会のあとの冷やかしということもあるでしょうけどね)
夜更けの繁華街に、
手相見が出ていたら、
ふらっと寄って見て貰うという事もあるかもしれない。

そういう時のために、
あぁいうものは残しておいたが好いのです。

立場が変われば威勢のよかった気持ちも萎えるものです。
萎えた気持ちも不意に元気になったりするものです。
好い時ばかりではないし、
悪い時ばかりでもないということです。

私は手相見に見てもらったことは無いけれど、
縁ある人に手相を見てやろうといわれたことがあります。

「好い手相ですね」と、

その人は言ってくれました。

私の手相を見てくれたその人も、

「実は私も手相を見る人に、好い手相だって言われましたけど」

「ほう。」私はその人に問いかけました。
「それで、暮らし向きは良くなりましたか?」

その問い掛けを受けて、
その人は、顔の前で手を振って、笑いながら話してくれました、

「いや。現実はなんもかわりませんね(笑)。いっこうに暮らしは豊かになりませんし、相変わらず必死に生活しなきゃいけない状況はかわりません(笑)」

「じゃぁ、ぼくの手相が好いっていったって御利益は無いわけじゃないですか(笑)」

そのぼくの言葉に、その人は照れくさそうな顔で恐縮していました。

でも、私は、その人を見ながら、
その人の分かりやすい人の良さが可笑しくてなりまませんでした。

そして、その人を見ながら、

「やっぱり、手相というものはあたるのかも知れない」

と、思ったのです。

その人の暮らし向きがどうであれ、
この人は、きっと好い人生を送っているのだろうと思えたからです。

好い手相。
それは、その人がこの世で成功するとかしないとか言うことではなく、なるほど、その人が、「まっとうな人である」ということなんだなとその時生まれて初めて合点がいきました。

「好い手相ですね」

その人が言ってくれた言葉を、
私は信じようと思いました(笑)。

ではまた明日。

解散でござる

(19:52
嬉野)

嬉野

2008年9月21日(日)

嬉野です。

お腹がいっぱいです。
今日はめがね屋へ行って、
その帰りに、とんかつを食べました。

美味しいね。
で、お腹いっぱいです。

ちょいと前にね、
さる人の情報で、
長年探していた味のとんかつ屋に行き着いて、
以来、嬉野さんのとんかつ人生は至極満足でありますよ。

衣の薄い、
ラードでじっくり揚げたとんかつなの。

パン粉がサクサク言うほどまぶされて、
じゅうじゅう揚げられたとんかつはね、
油を吸いすぎていて、私の胃がもたれますね。

わたしも、そう若くは無いの。
だから、そんなものを食っていては胃ももたれるのです。

でも、そこのとんかつは衣が薄くてね、
カリリとした歯ざわりでね、
口の中で肉の繊維がぷつぷつと切れていくような感触がたまらないの。

幸せね。
お腹減ってる時に好きに美味しいもの食べられるって。

で、お腹いっぱいなものだから、
この胃の中にとんかつ全部入ったなという気持ちです。

でも、この胃がね。
元気に消化してくれるから。
美味しいと思っていられる。

そういうことよね。

胃のことなんか普段は考えることも無かったけど、
さっき、お腹減らして美味しいとんかつ食べて胃が膨れたもんだから、そう言えばそうだなぁと、あらためて考えたよ。

この胃が勝手に働いてくれているから、
あれが美味いこれが美味いと、お気楽でいられるんだよなぁと、みょうに胃に感謝してしまった私です。

だって、
どうしてこの胃が勝手に働いてくれているのかなんて、
そんなこと私には分からない。

だったら、いつまでこいつが元気なままに働いてくれるのか、
そのことだって、ひとつも分からないままだものね。

だからこいつが働いてくれるあいだ、
私はご飯が美味しく食べられる。

けど、寿命というものが人にはあるから、
こいつも働けなくなる時も来るよね。

そん時は、こいつに今までありがとうと感謝して、
人生を終わるということだろうか。

でも、そん時、
こいつにありがとうと、素直に言えるかどうか、
その自信は無いね。

でも、こいつのことを、
友達のように毎日気遣って暮らしていたら、
そしたら、ひょっとして、
こいつにも親近感が湧いてきて、
身内のようにこいつの身の上も心配になってくるかもしれない。

したら毎日毎日文句も言わず働いてくれるこいつに感謝して、
こいつがダメになった時、
ご苦労さんだったなと、思えるのかもしれない。

思えるかな。
いや、思えたら好いな。

だって、
文句も言わず働いてくれているなんて思ったら、
泣かせるよねぇ。

あなたにも私にもちゃんと付いてる物なのよね。
内臓も友達だと思えば案外楽しいかもしれないよ。

当たり前すぎると、そいつの存在を忘れる。
そういうのを油断というのだよね。

だから、たまに思い出しても罰は当たらないよね。

美味しいものを好きに食べられる時代が、
あとどれだけ続くかだって、この頃は分からない。

だから食べるという行為を、
大切にしとくほうが、
きっと後悔はしない。

だって終わってしまったり、変わってしまったり、
するんだもの。全てはさ。
ねぇ。

そん時は、その中で、また頑張るしかないよねぇ。

なんだか、本日はこんな日記です。

またね。

解散。

(21:21
嬉野)

嬉野

2008年9月17日(水)

嬉野です。

秋田の男鹿半島の付け根あたりに寒風山という見晴らしの良い山があります。

たいして標高の高い山ではないのですが、辺りに高い山が聳えていないのでぐるりが素晴らしく見張らせるのです。

今月の初めに女房と大潟村でキャンプした翌朝、寒風山のレストハウスの屋上に上がりました。天気も良く空気も澄んでいたので遠くまで見えました。なんだか山形の鳥海山までが見えたような気がしたのですが、思い違いだったでしょうか、ねぇ。

その日の夜は、小安峡の近くにあるじゅんさい沼キャンプ場にテントを張りました。
九月の初めで、まだ暑い日が続いているというのに夏休みが終わったからなのか、テントサイトに宿泊していたのはぼくら夫婦だけでした。

その夜、空は星でいっぱいになりました。
ぼくは、外に出て、しばらく降るような星空を眺めていました。
星空は、いくら眺めていても飽きることがないのです。
それはとても不思議なことですよ。

その夜、
夜空を真横に流れていく人工衛星をふたつ発見しました。

苫小牧から夜フェリーに乗り、早朝八戸に着き、朝市を見て、
八食会館で休憩、黒石の温湯温泉の湯治宿に泊まる。
その日は一日雨の中を走る。

翌朝、雨は止み、夫婦は秋田を目指す。
秋田に入ってからは快晴。
急激に気温が上昇する。
スーパーでデカイペットボトル入りのアイスコーヒーを買うが、
あっという間にアイスではなくなる。
すっかりぬるくなったアイスコーヒーをそれでも喉が渇くたびに飲む。
途中、日本海に出てから怖ろしく眺めのきれいな海岸線を走る。

その日の夜は大潟村のキャンプ場にテントを張る。
スーパーの特売で買った豚肉を焼くが思いのほか美味く、
わけもなく喜ぶ。
夕食の席にオケラが乱入する。
少し盛り上がる。

翌日また快晴。
早朝寒風山に登る。絶景。
夜、じゅんさい沼キャンプ場に泊まる。
満点の星。

一夜明けて、山形へ向かう。
山形で亭主は女房と別れ、
亭主は仙山線の各駅停車にひとり乗り仙台へ向かう。
途中、山寺を通過。芭蕉を思う。
仙台空港から空路千歳へ。
女房は、あれから単騎南下し、九州は鹿児島へ。

先日、女房よりメールあり。

「昨日の朝ね、テントの中で蛙が圧死してました。
可哀想なことしてしまった。
そうしたらすぐ後にね、その蛙と同じ色の風呂敷が落ちていたから拾ってね、泥をきれいに洗い流したら、とても良いちりめんだったから、大切にすることにしました」

雨蛙好きの女房としては、小さい蛙の圧死はちと悲しかったに違いない。
死んだ蛙の代わりにと、拾った蛙色の風呂敷を大切にしようと思ったよと、メールしてくる辺りが、また悲しい。

悲しいが、その心根が、亭主は、なにやら嬉しくもあった。

「大切にしてあげると好いよ」と亭主は返信してやった。

人も蛙も、生きていくのは悲しい。

ぴょんぴょんと、蛙は跳ねて何処へ行くのだろうか。

ではまた明日。

解散である。

(20:47
嬉野)

嬉野

2008年9月16日(火)

嬉野です。

奥さん。
音尾さんが御結婚されたそうでね。
ニュースになっております(笑)。

わたしゃ知りませんでしたが、制作部のディレクター達はみんな知っておりましたよ。

なんにしても、おめでたいことでござります。

やっぱり安田君、森崎君、音尾君とね、
結婚する人はするんでしょうな、
で、まぁ、しない人は、ねぇ、しない。

そういうことなんでござりましょうよ。

さて、今週もねぇ、藤村先生御出張でねぇ、いないですからねぇ、ここの日記も書き手は私一人でございますよ。
ですからまぁ、思うにまかせてね、
明日辺りからは書かせていただきますよ。

じゃ、みなさん解散しますよ。

いいですね。

では、解散!

(15:55
嬉野)