嬉野

2009年3月13日(金)

嬉野です。

小学生の頃でした。
親父から聞かされた話があります。
それは日本がアメリカと戦争していたころの話です。

日本軍はアメリカ軍の猛攻にあって壊滅的な打撃を受け。
もう組織的に戦うことが出来なくなって。

それでも。
日本軍は戦闘行為を止めてはならず。
兵隊たちは、散り散りになってジャングルを逃げ続けていた。

そんな日本の兵士の話です。
場所はフィリピンとかビルマとかニューギニアとかだったと思います。

その兵士の戦友は敵の砲撃で死亡して。
兵士は戦友の遺品を日本に持ち帰りたいと思って。
遺族に戦友の遺品を渡してあげなければと考えて。
遺品をどれにしようか迷っていました。

兵士は疲れていました。
とてもとても疲れていたのです。

いえ。
その兵士だけではなく。
日本軍の兵士は皆疲れていて。
そして皆、どうしようもなく腹を空かせていたのだそうです。

兵士は考え抜いた末に、戦友の名刺を一枚抜き取り。
この名刺を遺品として日本に持ち帰ろうとポケットに仕舞いました。
一番軽かったのです。

こうして兵士は逃げました。
もう身体も気持ちも、ぼろぼろで。
でも、死にたくは無かったので歩き続けました。
右足を出し左足を出し。前に進むのでした。

兵士なのに。
もう武器も持っておらず。
重いものはみんな途中で捨ててしまいました。
服もぼろぼろで。
ただ幽霊のような足取りになりながら。逃げました。

どれくらい経ったころでしょう。
逃げながら。
兵士は自分の左肩がモーレツに重いことに気づきました。
でも荷物はもう何も持ってはいないのです。
それなのに左肩がモーレツに重い。

兵士はよろめきながら左の胸のあたりを触ってみました。
すると、左の胸のポケットに一枚の名刺が入っていました。
戦友の名刺です。
兵士は名刺がこれほど重いのだということにその時はじめて気づきました。
でも、捨てるわけにはいきません。
これは戦友の遺品なのです。
日本で彼を待つ彼の遺族に。
彼の父に。彼の母に。手渡さなければと兵士は強く想いました。
でも。どうしようもなくその名刺は重かったのです。

兵士は、朦朧とする意識の中で必死に考えました。
そうして名刺の端を少しだけ。すこしだけ。指でちぎりました。
そうしてまた。歩きだしました。

それでも。
少し行くと、また左肩が無性に重くなるのです。
兵士は立ち止まり。またポケットから名刺を取り出しました。
そうして、また丁寧に名刺の端を少しだけ。ほんの少しだけ指でちぎりました。
そうしてまた歩き出すのです。

でも。
それでもどうしても左肩が重くなる。
兵士は立ち止まって。
また名刺の端を少しだけちぎる。

それから幾日歩いたでしょう。
運好く兵士は日本へ帰る引き上げ船に乗ることが出来。
そうして無事に日本へ帰りつくことが出来ました。

こうして兵士は、戦友の遺品を遺族に渡すという責任を果たすことができたそうです。
でも、遺族の手に渡された時。
その戦友の名刺は。
ほとんどの部分がちぎられて、
ぎりぎり戦友の名前が刷られているところばかりが小さく小さく残った、奇妙な奇妙なものになっていたのだそうです。

その話を親父は子供だったぼくにして。
そうして親子して。
うすっぺらい名刺一枚が耐えられないほど重くなるのだと言う。
極限状態に追い込まれた人の身の上に、遠く思いを馳せるのでした。

その親子の感慨から30年以上経ち。
話してくれたぼくの親父も病気で死んでしまい。
すっかり分子になってしまった二年後。

ぼくはロケでマレーシアのジャングルを歩きました。

ブンブン・クンバンという動物観察小屋を目がけて。
植物の繁茂する登山のような険しい山坂の道を11キロ。
熱帯の太陽に照らされて7時間歩き続けました。

栄養の行き渡った身体でも、
45歳の身体は最後にはへとへとになり。

本当に最後の辺りでは歩くのがやっとで。
背負ってた荷物は大泉くんに背負ってもらいながら。
1キロ以上あるビデオカメラは、もう重くて胸の前で構えることも出来ず。
ただ左手に下げてしまい。
それでも途中で何かあるといけないと思い。
ビデオカメラのスイッチだけは切らず。
テープを回しながら左手に下げたままで歩いていました。

画面は多少ぶれても、音声が入れば使えるからと、
ずっと回した状態にして、ただただ左手にぶら下げて歩いていました。

でも。
そのことがある時点から気になって気になってしょうがなくなったのです。
カメラが回っていることがです。
撮影していると言うことがです。

ブレブレの画になっているはずです。
もう画作りには微塵も気を使ってはいないのです。
でも撮影しているという。
その一事が気になって気になってしょうがなくなった。
そしてカメラのスイッチを切りたくて切りたくてしょうがなくなった。

自分でも不思議でした。
なぜならビデオカメラのスイッチを消したところで、
カメラの重量は減りはしない。
変わらず重いのです。

だからそう思って。
そう自分に言い聞かせて歩くのです。
ですが。
それでも撮影を続けているのだという状態に、
やっぱりぼくは我慢が出来ないのです。

モーレツに歩くのが辛くなるのです。

そうしてぼくはとうとうビデオカメラのスイッチを切りました。

その時、うそのような開放感を味わいました。
身が軽くなったのです。

ぼくは、いま分かります。
あの兵士は名刺一枚が重かったのではなかったのです。
遺品としてどうしても持ち帰らねばならないという、
その責任が重かったのです。

テープが回っている以上。
撮影している以上。ぼくには責任がある。
ぼくは勝手にそう思い込んでいたのでしょう。
その責任をぼくに課していたのは、ぼく自身だったのです。
そんなこと日ごろは意識したことも無かったのです。

でも、ぎりぎり追い込まれた時。
ぼくは身をもって感じたのです。
責任には実際、重量があるということを。

その責任は自分が自分に課したもので。
そしてその責任の重量は人間を押しつぶせるほどだということを。

責任は間違いなく人を押しつぶすだけの重量があります。
責任感の強い人はなおさらです。

日ごろは気づかないだけです。
気づかないままにぐりぐり押されているのです。
そういうことがあるのです。

無責任になれと言っているのではないことは。
お分かりいただけていると信じます。
そんなバカなことを言っているのではない。

ただ気をつけろ。と。
申し上げているだけです。

責任にはとてつもない重量があるのだということを。

まともな人ほど、責任感があるのだということを。
そして、まともな人が多いほど、社会は豊かになるのだということを。
ぼくらは、誰もが、まともでいたいと思っているのです。
そうして責任を果たしたいと願っているのです。

でも、自分の身の丈を越えた責任も持ってはいけないのです。
それでも知らぬうちに持っている。

だから身の丈を越えたと少しでも感じたら。

その分だけ、
ちぎって捨てていくほうが好いのです。
その方が好いのです。

そうすれば、あの兵士のように、
かろうじて自分を無事に保ったまま。
自分に持てる重量の責任にして、
果たすことができるのです。

そんな話です。

ただまぁ、長々書きましたが、
あてずっぽうですから、残念!大間違い!
と言うことは当然あります。ねぇ奥さん。

しかしまぁ。
わたしゃそう思うと言うことです。

さて、
藤やんは今日お休みで。
来週の月曜日もお休みです。

ということでね。
今週はこれで解散です。

それでは奥さん。
また来週!

(18:22
嬉野

嬉野

2009年3月9日(月)

嬉野です。

春はどこまで来ておるのやら。

奥さん、春はさぁ。
晴れた日がいいね。

田舎道。
埃っぽい道がのびていて。
遠くには山が青く。
道の脇には菜の花がいっぱい咲いてて。
かたわらに立つ桜の木は満開で。
そこへ春の風が吹くたびに。
はらはらとピンクの花びらが舞い落ちて。

呑気な春。

そうね。
おらぁ奥さん、呑気が好いよ。
そしてさ。
やらねば!
という時になったら、きちんと緊張する。

人間ね、
そういつもいつも
緊張してばかりはいられないんだよ。
そらぁ油断してると怒られるよ。
当たり前だ。
そら怒られる。
怒ってくれてありがとうだよ。

でもね、油断するなと怒られたにしてもさ。

どっちかというとね
日常的に油断してるから
健やかに生きていけるところが人にはある。

常に緊張をしているハツカネズミは、
だから心労でショック死してしまう。

昔ね。
番組で飼ってたハツカネズミの引き取り手を、
「鈴井の巣」班が探し求めていたから、
手を上げて、家で引き取った。

死んだハムスターが昔入ってたケージに入れて飼ってた。

ある晩、家の女房が可愛いからってケージに手を入れた。
でもハツカネズミは警戒して寄って来なかった。
「おいでよ」って、家の女房は無理やりハツカネズミをつかんじゃった。
そしたら、きっとモーレツに緊張したんだろうね。
そのまま死んじゃった。

生き物好きの女房の落胆振りは、
そらぁ、はたで見るのもかわいそうなくらい
気の毒なものだった。

でも、それがハツカネズミという種の生き方なのだろう。
常に緊張して怯えることで外的から身を守るのだろうよ。
気の毒だけど、
それもひとつの種の生き方だろう。

でも人間の生き方ではない。

なんかそんなことですよ奥さん。
分かったような分からん話だな。
詰めが甘かった。
いいじゃないですか奥さん。
春なんだから。

ちゅうことでね。
本日はこれにて解散!

明日からまた出張でガス。
お留守番を頼みますよ。

(13:00 嬉野)

嬉野

2009年3月6日(火)

嬉野です。

今日の札幌は嵐です。
でも春が近い嵐です。

さて、思いつきの話をひとつ。

世間には、妻子のある男性ばかりに、
想いを寄せてしまう女性がいて。
でも、いつも仕舞いには上手くいかなくなって別れてしまう。

そんな別れを繰り返すその女性を脇で見続けるうちに、
「そんな人とばっかり付き合っていてはダメよ」と友人は助言してしまう。
すると決まって「あんたなんかに私の気持ちは分かんないわよ」と怒られて、
でも、怒った彼女は、悲しげな顔をして、
それきり黙ってしまう。

でもその女性はやっぱり今回も付き合っている男性と上手くいかなくなって別れてしまう。

「ね。あなたの前では家庭に不満がありそうなことを言っても、やっぱりあの男性には、あなたより家庭の方が大事だったのよ」。そう言うとその女性はもう何も言わない。

その女性が、いつまでも生産性の無い恋の道を突き進んでいるのは、もう誰の目にも明らかなことで。

「だから好い加減にそんな家庭持ちの男性ばかりに気持ちを向けるのはやめて普通の恋をしなさいね」と、諭すように友人はまた助言する。

でも、その女性が、
まだ小さかった頃、両親が離婚して、
早くから父親に甘えられずに人生を送って来た人だとしたならば。
そして、
そのせいで。
その女性が、家庭的な雰囲気を持つ男性にしか恋心を抱けないのだとしたならば。

それでもまだ、その女性に助言することができる人がいるだろうか。

人を好きになることに割り切れる合理性も説明のつく理屈もありはしない。
あるのは、ただその人をどうしても好きになってしまう自分と、
そう想ってしまうその人なりの理由だけだろう。

ならば求めても求めても得られない人を求めてしまう理由に縛られてしまったとしたならば。
その人の恋はただただ悲しい恋にしかならず。
どこまで行っても人生のハッピーエンドにはたどり着けない運命になる。

そう考えれば、
「あんたなんかに私の気持ちは分からない」と言われてしまうのは、
悲しいほど当たり前のことなのではないだろうか。

異性しか好きになれない人に「同性を好きになりなさい」と言ったところで、
いったい誰が「はい分かりました」と言えるだろう。
同性しか好きになれない人に「異性を好きになりなさい」と言ったところで、
いったい誰が「はいわかりました」と言えるだろう。
それと同じことではないだろうかとぼくは不意に思って、
人というのは始末に負えないほど複雑な生き物だと思った。

ぼくらは複雑なのだ。
割り切れないものを抱えながら、苦しみながら、それでも生きていける。
そのことをぼくらは忘れてはならないのだ。

非合理でも、矛盾していても、理不尽でも、
苦しくても、絶望しても、
抑圧されていく自分の感情をコントロールしながら前を向いて生きていく能力が、ぼくらにはあるのだ。

それは、あらかじめぼくらの人体にプログラムされている能力だと、
今、ぼくは思うのです。

いったい何万年、何十万年前に出来上がったのか知らないけれど、
ぼくらのこの人体が完成した時、
荒々しかった当時の地球上で、ぼくらが生きていけるように、
ぼくらの人体に組み込まれた能力のような気がするのです。

だからぼくらは、その能力を、
そして、その能力を与えられたぼくらのこの人体を、信じるべきなのかもしれない。
信じて、前に向かって進むべきなのかもしれないのです。

なんかそんな気がするのです。

ぼくの頭の中にはもっと込み入っていろいろあるのですが、
整理してここに書くのが困難で、きょうはこの辺りで終わりです。

でも、ぼくは、この先どんな時代になろうと、
ぼくらの人体が持つ敏感な感度とバランス感覚とは、
常に正しく機能していくのだと、信じていくつもりです。

書いてること分からないですねきっと。
すんません。
私の考えてることなんか、気にする必要はありませんよ奥さん。
頭の悪いおやじのたわごとですから。

では、また来週!
本日はこれにて解散。

(18:06
嬉野

嬉野

2009年3月4日(水)

嬉野です。

昨日。
樋口了一さんが「誰も知らない泣ける歌」に出ていましたね。

樋口さんがスタジオライブで歌ったのは「手紙」 ?親愛なる子供たちへ? 。

女房はその時、初めて「手紙」という歌を聴いたのですが、
歌の途中に、「好い歌だね」って涙声でつぶやいていました。

「泣ける歌です」よっていうプレッシャーな紹介のされ方をしても、それでもね。聴いているうちに、やっぱりこの身に沁みてくるものがある。

ぼくの親父はもう死んでしまったけれど。
母親も八十歳という高齢になってしまったけれど。
その両親と一緒にくらしたのはせいぜい人生の18年くらいで。

でも。
大事な子供時代をその二人に守ってもらって、
それでも、親子仲が好かったり、悪かったり、
そんなでこぼこは、人それぞれにあるだろうけど。

でも、この歌を聴きながら、
ぼくが、いつも素朴にハッとするのは。
ひとりではなんにも出来なかった頃の自分が、
二人の親に大切に育てられた時間があったんだという事実。
その事実を今更のように思い起こしてしまう瞬間。

小さすぎたから。
その頃の記憶が、ぼくらの中にぽっかりとない。
だから、そんな当たり前のことを、
ぼくらは改めて意識することもないまま、この年になるまで生きてしまった。

でもさぁ、なんにも出来ない時期があったんだよねぇ。
誰にもね。
火がついたように泣いて訴えたり。
屈託無く笑って可愛いと思ってもらったりして。
そんなことしか出来ない時期があったんだよねぇ。

そんな時、大切に育ててくれる愛情がなければ、
ぼくらは生きては来れなかった。

それは、あたりまえのことなのにね。
全部、忘れてるんだよね。

若者だった父親のことも。
娘時代の面影を残していた母親のことも。
若い両親が、生命力の持つ明るさに溢れていた時間の中で暮らしていたことも。
そんな時間の中で何から何まで世話してもらっていたことも。
そしてそれが、なにより幸せな時間だったということも。

だから「あっ」って思い出してしまった瞬間に、
ぼくらは「そうだった」って思い知る。

樋口さんの「手紙」という歌は、
そんな大事なことに気づかせてくれる歌。

ということでね。
もうすぐ春です。

(16:31 嬉野)

嬉野

2009年3月2日(月)

嬉野です。

先週は道内出張で富良野の方へ行きまして、
二人とも留守をばいたしまして愛想無しでございましたよ。

みなさんお変わりありませんかね。

今日の札幌は狂ったような雪嵐でございました。
春が近い証拠だとなんとなく思うのでございますよ。

さて今週は大きな動きもありまっせんので、
こつこつと書かせていただこうと思うとりますのでね。
どうぞよろしく。

じゃ、また明日ね。

また来てね。

(18:06 嬉野)

嬉野

2009年2月20日(金)

嬉野です。

アメリカという国はデカイでしょ。
ねぇ。

昔どうでしょうの4人で車に乗って北米大陸を横断したことがあったけど。
その時そう思ったのよ奥さん。
つくづくあの国はデカイなぁと。

日本はね、国道沿いに必ず町があって、
とにかく家並みが延々つづくのよ。

国道を何百キロ走っても民家が無いなんて、
そんなアメリカみたいなとこはないのよ。
ちょっと田んぼがあるくらいよ。
のんびりするのよ。
うちの女房と旅をする度にそう思うの。

でもアメリカは違う。
町と町との途中には人が住めない広大な砂漠や荒野が横たわってて延々とつづくのよ。
うんざりするくらい。

だからあの国はね、西海岸から東海岸までハイウエイをするっと整備して国中を車社会にする必要があったんだろうねぇ奥さん。

だってそれさえ可能にすれば途中の荒野を高速移動で無視して余所の町へ移動できる。したら途中の荒野を無かったことにできる。

アメリカという国に暮らす人にとって、人間の高速長距離移動を可能にすることは悲願だったろうよ。あの国へ行くとそう思う。

アメリカ人は、人間の高速長距離移動という下支えがあるからこそ、あの国で快適な暮らしを営めるようになったのだろうね。

そんなことを思うとテレビショッピングもインターネット通販もアメリカ人なら当然発想するだろうと素直に思える。

だって、そら便利だろうなって、
あそこに暮らしてたら全員思うはずだよ。
それくらいポツンポツンに人が暮らしてる国だもの。
そらそんなシステムできますよ。

でもね奥さん。
こんなにみちみちに人が暮らす日本にも、
今や高速道路が整備されて、
新幹線までも整備されて。
しかも、どんどん延長されていってね。
いつのまにやらテレビショッピングも、ネット通販も盛んで。
そしてそうなってすでに久しいけど。
それで便利になったけど。

あのアメリカという国に住む人が思うほどには、
日本の国に住む人は「便利になったなぁ」とは、しみじみ思ってないような気がするのよね。

でね、今、不意に思ったけどさぁ。

日本もアメリカ並みの車社会と通信の社会にしてしまったがためにね、反対に都市と都市との間に今いくつもある小さな町がね、無くなっていくようなことってこの先の可能性としてないのかしら?

だってこのシステムはさぁ、途中にえんえん何も無い、
草も生えないような野っ原ばかりがつづく、
そんな国が発想して整備したシステムでしょう。

だったら、そのシステム使ってたらさぁ、
反対に、途中にある町が消えていくような気がするのよ。

無くてもいいと、思われていくような気が、なんかするのよ。

社会を変えていくのは、
ぼくら人間の意識のような気がするのよ。
必要ないと思ったら、
そう思った瞬間に消してしまうのよ。

めんどうな人間関係のように。

なんかね、そんなことを思いましたよ。

とういうことでねぇ。
腹も減ります午後7時。

札幌は大雪ですよ奥さん。
今夜は吹雪くのだそうです。
荒れるだそうですよ。

北海道のみなさんは、今晩はお家でゆっくりいたしましょうね。
ではまた来週!

解散!

【ヨーロッパ企画Presents「第5回ショートショートムービーフェスティバル」】

来週末28日の東京本選のチケットは完売したそうですが、3月7日の大阪本選のチケットはまだあるそうです。

以下、大阪本選詳細。

○日程 2009/3/7(土)  13:30開場 14:00開演
○会場 大阪天満橋エルシアター
○料金  前売:2,200円 当日:2,500円[全席指定]※未就学児入場不可
 
電子チケットぴあ、ローソンチケット、イープラス

○審査委員長:いとうせいこう
○上映作品:
黒木正浩、酒井善史、角田貴志、諏訪雅、永野宗典、山脇唯(以上、ヨーロッパ企画)
イクイプメン(お笑いユニット)、筧昌也(映画監督)、せきしろ(文筆家)、ソリ(演劇ユニット)、東京03(芸人)、中山祐一朗(俳優)、藤村忠寿(テ
レビディレクター)、ポップルピーププロダクションズ(一般)、真壁幸紀(一般)、ムロツヨシ(俳優)、モッカモッカ(演劇ユニット)、モンスターエンジ
ン・西森(芸人)、

※開演時間までにご入場頂けたお客様に限り、投票の権利がございます。ご協力お願い致します。
○詳細:http://www.europe-kikaku.com/projects/ssmf/ssmf.htm

(19:00
嬉野

嬉野

2009年2月16日(月)

嬉野です。

日本のあちこちに春の便りが届いているようですが、
北海道の方にはまだなんの便りも届きません。
遅配なのでしょうか?
一日も早く春からの招待状を手にしたいものであります。

温暖化の影響で暖冬で雪は少ないんですが、
でも今日なんかえらい寒いし。
なかなかすんなり春にしてくれない。

じれったいのよ。
ということで、本日終了。

みなさん。今日も一日ご苦労さん。

解散!

(18:01
嬉野

嬉野

2009年2月10日(月)

嬉野です。

藤村先生の第11弾DVD編集作業も、
昨日で、すべて終わったようです。
あとは完成を待つばかり。

みなさまも今しばらくお待ちくださいませ。

今日は藤やんも、どこかで日記を書くでしょう。
とりあえず嬉野がご報告がてら顔を出しましたが。
また引っ込めます。

ではまたいずれ。

●「DVD第11弾」絶賛予約受付中!「写真集2(改訂版)」の第二回予約もスタート!まだ、という方は是非、ローソンロッピー端末で。

(11:35 嬉野)

嬉野

2009年2月5日(木)

昔、うちに犬がいた頃。
犬のともだちはうちの女房だった。

その女房が旅に出ると、
犬はともだちがいなくなって、
つまらなそうにしていた。

日が暮れて遅くに自宅に帰り着くと、
犬は暗い居間の隅で寝ていたものだ。

明かりを点けると犬は目を覚まし、
かったるそうに伸びをして、
ポテポテとした足取りでぼくの傍に寄ってきた。

台所の床にステンレスで出来た犬の皿を出してやり、
ドッグフードをカラカラと入れ牛乳をかけてやる。
犬はピチピチと音を立てながら食べはじめ。

ぼくは部屋に戻って本を開いて。
そうして本を読んでいた。

しばらくして目を上げたら、
廊下の向こうの居間の入り口に、
じっとこっちを見ている犬がいて。

犬はなんだか切っ掛けを待つような顔でじっとぼくを見ていて。
手招きをしたら、
いきなりしっぽを振って、早足で寄って来た。

寄って来ても、
ぼくは本を読んでいたから、
犬と遊ぶわけでもなかったが、
それでも犬はぼくのそばで丸くなって寝ていた。

そのうち飽きたのか、また立ち上がって、
とぼとぼと居間の方へと戻って行って。

しばらくして見に行くと、
犬は前足の上に顔をのせてつまらなさそうにしていたのだった。

ふと思う。
犬はどことなく寂しそうであって欲しい。
できればいつもつまらなそうにしていてほしい。
そうして、ほんの少しのことで喜んで欲しい。
ちょっと構ってやったくらいで、
しっぽを振って、飛び上がって、喜んで欲しい。

そのためにも、
犬にはいつも寂しそうなやつでいて欲しい。

そう思いませんか奥さん。
ねぇ。

私はね、そう思うの。
昔からね、寂しいのが好きだから。

なんでだろうね。
とくに理由は思いつかないけど。
きっと幸せだったんだろうね。
子供時代。

さて、明日は日記の更新はお休みします。
嬉野さんは明日は健診日なのです、
でもって藤やんもお休みだし、

ここは来週月曜までひっそりシーンとしてますのでね。
みなさんもつまらなさそうにしててください。

ともだちいなくてもね、
ともだち欲しいなってつまんなさそうにしてる状態って、
わりと好感持てる。

つまんないなぁと思いながら、好い子にしてるって、
きっと、はた目にいいのよ。

じゃ、また来週!
嬉野さんでした。

●「DVD第11弾」絶賛予約受付中!「写真集2(改訂版)」の第二回予約もスタート!まだ、という方は是非、ローソンロッピー端末で。

また明日。

(17:26 嬉野)

嬉野

2009年2月2日(月)

嬉野です。

去年の年の瀬にねぇ奥さん。
「DVDレビュー」誌の井上編集長が、
「ちょとお話があります」と、いうことでやって来られましてね。

えぇ、「DVDレビュー」さんと言えば奥さんね。
うちが「どうでしょうDVD」を世に出しました5年前の2003年にね、編集長の井上さんが、わざわざ東京からみえられましてね。

「DVDレビューも一生どうでしょうします!」
なんつって、もういきなりね、
初対面なのに後先考えずにというか、
いやもう成り行きでというか、勢いだけでというか、
意外に深い考えあってというか、
そうは言ってもとくにそういう雰囲気も見当たらずというか。

とにかく「DVDレビュー」紙上でそう宣言されましてね、
今日に至っておったわけですが。
その井上編集長が去年の年末に不意に札幌に見えられて、

「DVDレビュー」もちょっといろいろありまして、とおっしゃるわけです。

井上さんが「ちょっといろいろ」と言うからには相当の事情があるのだろうかと思いながら聞きますと、果たしていろいろあるらしく。

慮の結果、とりあえず「DVDレビュー」は年4回刊行だったところを断腸の思いで2回に減らし、その上で、DVDに次ぐ次世代高品位映像ディスク
BLU−RAYの映画ソフトの未来を大きく見据えた「月刊Blu-ray & DVD
Express」という新しいフリーマガジンを刊行することにしたのです。とおっしゃるわけです。

で、これに「映画コラム」のようなものをぼくと藤村先生とで毎号かわりばんこで書いてくれないかとの御依頼。

こちらも後先考えずに二つ返事でお引き受けしてね、

「観る・思う・考える・書く」という、
うーむ。そのまんまだなぁ、と思えるタイトルを井上編集長が考えてくれて、

で、書きました。

それが現在、既に店頭に置いてある
「月刊Blu-ray & DVD Express」Vol.3から掲載開始で。

まずワタクシ嬉野さんがトップバッターで、

確かに「観て、思って、して、考えて、でもって、書いたんだろうな」と思える内容のものを書いておりますので、
お退屈しのぎにお付き合いいただける皆様には是非ご一読くだされたく、本日ここで宣伝をしておりますしだい。

で、いったいどのお店に置いてあるのかという配布一覧がね、
「AV エクスプレス」のサイトにたどり着くと、
ずらずらっと記載してありますので、それを御覧の上、最寄の店舗に走っていただきましてね、

でもって、だまされたと思ってお手にとられまして是非お読みくださいませよ。

でもって、「だまされた!」つって、暇を潰していただければ思うわけでございます。

ということで、えぇ、
本日は、この辺りで解散、総選挙。

なーんつって。

「…」

すんません。
また明日ね。

そうそう。
月初めになりましたのでね、
そろそろお寺の景色も変わりますよ、
お楽しみに!

おっと!もうすでに変わってました!

(16:36 嬉野)