2009年6月18日(木)
2009年6月18日(木)
嬉野です。
藤やんは今日も編集で追い込んでいるから日記を書けない。
分かりますね奥さん。
それで、嬉野さんが今日も日記を書きますが、
「私は藤やんが好いです」。とか言われても困るわけだよ。
分かりますね奥さん。
好いじゃないのよ嬉野さんだって。
と、いうことでね。
本日も書き進めますが、
さてと。
福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」という本を読んでまして。
分子生物学のことなんかが書いてあってね。
どうしてだろう、読んでいると引き込まれるよ。
おかしいよね。内容をちゃんと理解できているか怪しいのだよ。
だって、ここで書けないもの。
こんなことが書かれていますって。
だから、所詮は分かった気になっているだけのことだろうと思うのだよ。
でもね、それにしても夢中で読んでいるのだよ。
ぼくの家系はね、奥さん。
文系なのだよ。理系のかけらも無いくらい文系なのだよ。
でもなんだろう。
理科的なものに心強く引かれることがあるよ。
20代の頃にライアルワトソンさんの「生命潮流」という本が流行ったことがあったよ。
1980年代だったね。
あれを読んでからのような気がするよ。
その頃の嬉野さんは気持ちが孤立していたね。
そういう気持ちの人間に自然科学は合っていたのかもしれないと、今になって思うよ。
自
然の営みには一定の秩序があるからね。誰かが報われて誰かが報われないということなどないのだよ。全てのものがおのおのの働きを続けて秩序があるからね。
ぼくら人間の体のしくみにしたっておそろしく巧妙に考えられているよ。その仕組みを科学者がこつこつと解き明かしていく。謎が謎を呼ぶようなミステリーの
世界だよ。
そしてこの世にあるものの全てがさ。物理学の法則に乗っ取っていて、どんなに巧妙な人体の仕組みでも全ては物理学で説明のつくことなのだそうだよ。
それでもね。それでもと、ぼくは思うのだよ。
そんな巧妙な事を、いったい誰が考えたんだい?と。
そのことを思うとね、急に神秘という不確かなものが顔を出すよ。
その辺りが、嬉野さんには、たまらないのかもしれないよ。
い
ずれにしても、自然科学系の本を読みつけていると、気持ちが孤立したときに心が和むよ。分子というものは、ずいぶん忙しく働いているようだからね。ぐれた
り、すねたり、ずるしたり、いじめたりする暇が無いのだろう、だからだろうかね、読んでいて、心が健全になるよ。好いものだよ。お勧めだ。
じゃ、奥さん。
また明日。解散。
あ。そうそう。
あれから、毎日、ちゃんと掲示板は読んでるから、書きたいことがあったら書き込みましょう。話は聞きます。
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(16:15 嬉野)