12月16日金曜日。

藤村

12月16日金曜日。
DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」を年内に完成すべく、再び編集室にこもっておる藤村でございます。
全八夜の本編の編集を終え、現在は「特典映像」の編集をしております。
どうでしょう班にとっては初めてとも言えるADとなった佐野くん(20代にしてすでに3人の子持ち)にDVD編集のコツを教え、今や彼は、中高年に突入してしまった我々にとって、かなりな戦力になっておりまして、今回の「特典映像」には彼の発案による「メイキング・オブ・フィヨルドの恋人」なるものが入っております。
北欧を旅する中で、唐突に始まった連続テレビ小説「フィヨルドの恋人」。その撮影の裏側で交わされていた、放送されていない会話をオリジナルテープで見てしまった彼は、「これは面白いです!ぜひDVDに入れて下さい」と進言し、それを受けて私は、「じゃぁ自分なりに編集してみたら」と、彼に編集を任せてみたのでありました。
そりゃぁまだまだね、つかみきれてない部分もあって、手直しはいろいろしましたけど、「目の付けどころはいいぞ」と思ったのであります。
「特典映像」にしてはかなり長尺の「20分」に迫る「メイキング・オブ・フィヨルドの恋人」。これは必見であります!
DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」は、ただ今!絶賛予約受付中!
今回の予約特典はなんと!
「メルヘン街道の朝に少しだけ窓が開いていた車のドアのフィギュア」
という、どうでしょうバカには「おっ!それは欲しいっす!」という垂涎のシロモノ!しかし、一般的には「なんすかそれ」という嘲笑のシロモノ。
さぁさぁ!予約受付数にも限りというものがございます。
DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」、ただ今!絶賛予約受付中でございむぁーす!
また来週!
【嬉野日記メモリアル】
2011年12月14日(水)
嬉野でございますよ奥さん。
さて、掲示板に以下のような書き込みがありましたので、
ご紹介しておきましょう。
(まぁ、ここに転載するんでなくて掲示板を更新すればいいだけなんですがね、件数が多いものですからついつい。)
●こんばんはm(__)m
えいみー@愛知
いつも楽しく拝見してます!!
掲示板を見てたら、なんか書きたくなってしまってこんな夜中に書いています(*^^*)
私は来年から保育士として就職することになりました(^^)
今の時代で就職をできたことに有り難みを感じ、
感謝しつつも、周りの子は公務員試験に受かる子も半数ほどおり、公務員試験に落ちた私はなんか少しだけもやもやした気持ちになってしまいます…。
努力と笑顔と運が足りなかったと思って前に進もうと思うけど、なかなか割り切れず子どもだなあ…と思いつつも、
試験に受かってたらお母さんをもっと喜ばせてあげられたのに…などと考えてしまいます…。
でも、こんなこと話せる人もいないし、
夜中に目が覚めるとふといろいろ考えてしまったり…
私はしあわせだなー…と、よく感じる方だし、
ポジティブ(適当なだけかも…(-_-))
3%くらい自分で生まれてきてよかったと思うのですが、
珍しくこんな気持ちをどうしたらいいかずっと消化できずにいます…どうすればいいのでしょうか?
文章のまとまりがなく、読みづらくてすみませんm(__)m
★ということでね。
ここからは再び嬉野さんでございます。
運というべきものはね、
あると思うんです。
だから、運が悪いなぁと言うしかない時もあるでしょうし、
その運の悪さが重なれば、
「私ばかり、どーしていつもこう運が悪いの」
そう言って嘆くしかない時も確かにあるような気がするのです。
でも、その「運」の良し悪しを振り分けているのは、
ひとえにタイミングだけだとおもうのです。
つまり、自分が人生を今、毎日こう歩いているでしょ。
で、歩いているその途中でね、
突然「偶然」が自分に交差してくる、
そのタイミングだけだと思うのです。
「運」が良い方向に向くか、悪い方向に向くかはね。
ほら、自動販売機にお金を入れたら缶コーヒーが出るというのは、あれは偶然ではないですね、
でも、今にも雨が降りそうな空模様を見上げて、
降りだす前に帰り着こうと、
慌てて走って帰る途中の草っ原でね、
うっかり何かにつまずいて前につんのめって、
思いっきり地面に倒れて、したたかに肘を打ってすりむいてね、
「痛っ…」
って思ったその時に、
転んだ自分のその顔のすぐ先で、
野の花がぽつんと咲いていたら。
そして鼻先で咲いている、その小さな花を見て、
「あれ、こいつは、なんてきれいなんだろう…」
って思ってその花に共感してしまう瞬間があったら。
それは、偶然がもたらした出会いと言えますよね。
このような出会いを「運命」というのだなと、
ぼくは思っていてね。
つまり、「偶然」が自分と交差することが無ければ、
とうてい出会うはずのなかった者たちと出会うことです。
そうした「偶然」による出会いを、昔から「運命」と言っていたのではないかなぁと、ぼくは思うのです。
全部タイミングだけで良し悪しが決まってしまう「偶然」という名の「運命」ですから、
傍目には運の良いと人悪い人が当然出てしまっても、そのことはもうしょうがない。
そういう具合に、仕事や人間関係だって、いつもきまって好い方には転がらないから、その時は、
「この上手くいかなさが、オレの星だなぁ」と、
思うことにしています。
「あぁ、やっぱり上手くいかないわ。やっぱオレって、そういう星なんだなぁ」って、自分で自分の不手際に感心することにしているわけですね。
「やっぱ、こういう星なんだな、オレはな」って、
そう思うと、なんだか自分の人生に愛着が持ててくるのです。
どしてなんだろう。
ぼくの場合、不思議とそうなんです。
自分のことを必要以上に可哀想がらないと、
なんだか、だんだん自分に興味が持ててくるんです…。
「この人、こういうことで、この先どうなるんだろう?」って。
そう思ってると客観的に自分に愛着が持てていく。
多分ね、必要以上に「自分が可哀想」って思うことって、
イコール他人にばかり、周りにばかり、気がいっちゃってる状態でもあるから、周囲の人に気持ちがべとべとひっついちゃってるので、いつまでもその鳥もちにからまって、自分の身体が前に進めないんでしょうね。
だから、自分は人と比べてぱっとしないなぁと思いがちな時ほど、
「オレって、やっぱそういうぱっとしない星なんだな…」
って自分で思ってやる。
「大変なんだなオレって…」そう思う。
夜空には、もの凄い数の星があるけど、
その中にひとつだけ自分の星があってね、
その星が天体の運行に支配されながら動いているものだから、
自分の人生は、どーしてもその星の影響を受けてしまう。
つまり、「星の定め」というのがあってね、
ぼくらの人生は、その星の定めによって決められていく。
でも、決めてるその根本にあるのは「偶然」だから。
つまり、大した物ではない。
だから、気にする価値も無い。
でも、星が、ぼくらの人生を定義しているのだから、
その星に定義された人生を歩くことの中におそらく自分の役割があるのです。
多分、そういうことなんだろなと、
いつの頃からか、ぼくは思うようになりましたね。
おそらく運命は、ぼくらそれぞれに、
それぞれの役割を果たさせることで、ぼくらを何処かに導こうとしているのではないでしょうか。
そういうふうに思います。
だから、ぼくらは、
それぞれ果たすべき役割が違っているのです。
別名「偶然」という名の「運命」が、
ぼくらといつどこで交差するのか、
そのタイミングのズレだけで、
ぼくらは、思いもしなかった場所に連れていかれる。
だけど、
何処に連れて行かれたとしても、
連れて行かれた先々で、ぼくらは、
自分に出来ることをするだけです。
だって、できることしかできないからね。
当たり前だけど。
だから、できることだけをする。
だから、自分に出来ることは何かなって考えて、
自分には出来ないことが多いと分かっても、
そういうことでは嘆かないで、
出来ることだけをやろうとする。
(まぁ、長続きすることや、興味を持てることや、なんだかやってしまえることが出来ることなんだろうなとは思うけど)
それだけでいいと思うんです、人生って。
そして、望まない方向へ流されても、都度都度、
「はぁ、どうもこういうのがオレの星なんだな」って、
思ってみるだけでいいのです。
どんどん思いがけない方向に押しやられて悲しくなっても、
「これがオレなんだなぁ…」って思ってみて、
その時その時、自分に出来ることだけをやり続ける。
人生は、それで充分というか、
それで精一杯だと思います。
そうして、いつか、
星の導くところが見えてくる…。
ま、それは私が信じるだけのことですがね。
とにかく人生は、自分に出来ることだけをする、です。
それが、それぞれの人間が、違う役割を果たす、
ということに、自動的になるのだと思います。
そういうことだから、
人生はそれほど難しいことではないし。
それほど大変なことではないです。
ということでね、
多少わけのわからんところは、
好いように受け取っていただければと思います。
では。
本日も各自の持ち場で奮闘くださいますよう!
解散
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(13:03 藤村)