2010年6月30日(水)
2010年6月30日(水)
どうしたことだろう。
昔から「痕跡」という言葉を耳にすると、心が揺れてね。
居たはずの人が居なくなって、
居なくなった人は「何かを」残して行くんだ。
もう20年ほど前のことだろうか。
太古の水田跡が発掘されてね。
何千年前の水田の跡だったろう。
その田の跡に、人の足あとが残っていたといって騒ぎになったことがあったよ。
ぬかるんだ土に足あとだけを残して、
その人は何処へ行ってしまったのだろう。
遺跡から出てくるのはいつも、人が生活していた痕跡だけだ。
千年以上という気の遠くなる時間の向こう側から、
突然現代に出現してくる古代人の生活。
飲みかけの珈琲を、カップに残したまま。
吸いさした煙草を、灰皿に置いたまま。
ほんのさっきまでそこら中に当たり前のようにいた人間たちが、
振り返ればもう誰も居ない。
ちょっと煙草を買ってくるよと出て行ったまま。
ベランダの洗濯物を取り込んでくるわねと言い残したまま。
「忘れ物はないの?」との呼びかけに、
「大丈夫!」と弾んだ声を残して塾へ出かけたまま。
もう、誰一人帰ってこない。
あれから、いったい何千年の時が過ぎたのだろう。
それでも痕跡の中には、
ついさっきまで生活していたと思える彼らの気配が、
いつまでも消えない残り香のように留まっている。
まるでそこだけ時が止まってしまったように。
8年前のことだよ。
親父の葬儀から戻って、
実家の二階にあった親父の書斎に上がったよ。
ベトナムにロケに行く4ヵ月ばかり前の春先のことだったよ。
書斎には親父が入院してから誰も入った形跡がなく、
部屋はそのままになっていたよ。
畳敷きの部屋に座卓を置いて、
親父は入院するまでこの部屋で日を過ごしていたそうだよ。
肝臓を患っていた親父は疲労感がとれなくてね、
仕事の合間をみては横になっていたらしいよ。
あの日もざぶとんを枕に横になっていたんだね、
見下ろすぼくの視線の先には座イスがあり、ざぶとんがあり、
しわの寄った毛布があったよ。
それはたった今まで人が寝ていたと思わせる物の配置でね。
数週間、残されたままになっていた、その配置に、
ぼくは、ありありと横たわる親父を見おろす思いがしたよ。
あの感覚が今でも不思議でならない。
もう誰も居ないのに、親父が使い残した物の配置に、
どうしてぼくは父親の気配を感じてしまったのか。
でもあれが、親父の残して行った痕跡だった。
たった今までそこに居たと思わせる、
ただひとつの、
他の誰にも再現できない、
親父の痕跡だったよ。
人が死んで…、またどこかで人が生まれて…。
だから、世間にはいつも、たくさんの人がいる。
それでも、縄文時代の人は、
もうずいぶん前にひとりもいないのだよ。
遺跡に人の痕跡を見て、
どんな人だったのだろう、どんな暮らしだったのだろうと、
懐かしい思いにかられるのは、
あの頃の人が、もういないのだということを、
その時、もう一度思い出すからなのだと、ぼくは思う。
そして、
もういないのだと思い出すことは、
かつていたのだと、
思い出すことに等しい。
人は生き、人は死に、
やがて分子に戻るだろう。
生きるものにとって、死は常に鼻先にある。
そう気づいた時から、
昔、おなじように生きていた者たちの生活の証を見る度に、
懐かしいと思う気持ちが湧く。
そんなふうに、
ぼくは、思うのです。
さて、明日から出張です。
みなさんのお相手が出来るのは、来週の月曜日から。
それまでは、世間に負けずに、
各自の持ち場で奮闘するように、
我々は切に望みます。
ただまぁ、奮闘できねぇ場合は、ま、ふて寝してても結構。
それでは、掲示板の更新もさぼってますが、(ゆるして)
サッカー一色でもありますし、
しばし、頑張った日本選手に思いを馳せて、この週末を乗り切ってください。
そうそう。
今朝、テレビで、選手のどなたかが言われておりました、
「ぼくらはサッカーがへたなので、へたなりのサッカーをやります」と。
思わず私は拍手したい気持ちになりました。
すばらしいじゃないかニッポン!
それをやっていたなら強くなるはずだと思いました。
自分が何者かを知る。
それが、生きる者の、最初の第一歩だと思い、
私の15年が過ぎました。
思いを同じにする人がいることを、とても心強く思いました。
サッカーに限らず、ニッポンも未来がある。そう思いまスた。
それでは本日は解散!
また来るように。
嬉野でした。
(16:34 嬉野)