2012年11月2日(金)

嬉野

2012年11月2日(金)
嬉野です。
11月です。
さて奥さん、
温泉町というものがありますが、
自分の故郷が温泉町だったらなぁと思うことがございますよ。
温泉町は、湧き出る温泉の湯を求めて人が集まるようになり、出来た町です。そこは、温泉の湯が町の柱と誰もが認識する町です。
山間に湧き出た湯量豊富の温泉に、
湯の効能を求めて訪れた都会の人たちが、
「ここの温泉は気持ち好いなぁ。このままここに泊まりたいものだなぁ」
と言いだし、そんな声が、あちらからも、こちらからも湧き始めると、
目ざとい誰かがそんならと温泉の宿を作る。
その後、出来たその宿屋がめっぽう繁盛しだすのを確認すると
「我も我も」と名乗りを上げ次々に新たな宿が建ち始める。
その賑わいに乗じて都会から益々湯治客が押し寄せてくれば、
宿もますます出来て、それらの客のお腹を満たすために町に食堂ができ始める。
宿屋自身も自前で朝夕のまかないをして客を饗応するようになる。
町の外から人が訪れるから、泊まれる場所や、食事のできる店ができていくのだ。
そうすると今度は、繁盛する食堂や宿屋のまかないに食材を提供するための、魚屋、肉屋、八百屋、乾物屋、米屋、酒屋が以前にも増して店を構え始める。
宿屋の普請が続くので大工も足りなくなり職人が今日も町へ流れてくる。
宿屋が増えたから畳屋も商売繁盛し忙しくなる。
都会から趣味の好い上客が来る宿も出来て庭師もこの頃は忙しい。
こうして宿を支える商人や職人が温泉町の景気に乗じて流れ着き、この町に定住し町の人口は増えていく。
遊び心のある木地屋がこけしを挽き始め、
そのこけしが温泉客に気に入られ、おおいに売れ始めれば、
木地屋のカンナを作る鍛冶屋も繁盛する。
「宿の玄関に毎日綺麗な花を活けませんか」
花屋も宿屋へ足を運んで営業をし、生花が足りなくなれば近隣には花づくりに精を出すお百姓も現れる。
温泉町に都会の人たちが押し寄せて、よそからのお金が集まるようになると、郵便局や銀行も行員さんと共にやってくる。
こうして町の人口がまた増えて、その人たちも子供を育てる身だから、小学校が建ち、中学校が建ち、生徒数が増えれば、赴任してくる学校の先生たちのための下宿も出来る。
温泉町は湧き出る湯の恵みで発展していく。
「湯が枯れるようなことがあっては町の荒廃につながる」と、
湯の町の人たちは湯の恵みを大切に思い温泉神社をつくって神頼みも怠らない。
温泉町には小さな歓楽街もでき始める。
夜には酒に酔った温泉客がぞろぞろとそこを練り歩く。
暗がりでは子供には教育上良くない逢引もある。
見慣れた日常の裏側では男女の惚れたはれたや痴情のもつれもありするのだが、温泉町は、スキャンダラスには割に寛容な感じがする。だから子供たちも幼いうちから男女のことに精通するようになり固いことを言わない頼もしい大人に育っていく。
芸者さんの昼間のすっぴん顔を、買い物に出た先で不意に見かけた小学生は、お母さんとどこか違うしっとりとした女の風情を、驚きと照れくささの中で眺める。
そんな子供時代があるとすれば、それはなんともうらやましい思い出である。
温泉には、温泉→湯治という健康路線と、温泉→歓楽という福利厚生路線があるように思える。だが、なににせよ、温泉町が故郷であれば、子供時代の想い出が、自分の家や学校だけでなく、温泉町という風情に町ぐるみ包み込みこまれ、
生まれ故郷に温泉町という一体感をもたらしてくれるような気がする。
ぼくは、そんな温泉町の成り立ちと佇まいにあこがれを抱き、
そんな町が自分の生まれ故郷だったら、どんな子供時代の想い出があったろうと、わくわくとする。
それでも、都会に不景気が吹き荒れて、都会の人が温泉を目指してガヤガヤと訪れなくなれば、温泉町は往時の勢いを無くしてしまう。
湯治客が来てくれたから、そこに湯治客を迎え入れる町が出来たのに、迎え入れるはずの湯治客を失えば、温泉町は、町民がそこに留まれる理由のほとんどを失ってしまうことになる。
だが、どうして都会が不景気になったのかまでは、温泉町の人々の努力の与り知らないところであり、一生懸命自分の仕事を働くだけでは、上手くいかないことのあることを思い知らされることは、素朴に生きる生活者として途方に暮れることである。
都会の不況の原因は複雑で難し過ぎてよく分からない。
けれど温泉町には以前のように湯治客が来ない。
宿屋組合も商工会も手を打たねばと思うが、なにをどう手を打てばいいのか分からない。
世界的に有名なサーカス団を温泉町に呼んで都会のお客の興味を惹くイベントを考えたり、温泉資料館という立派な施設を作ったり、歌手を呼んだり、名物を作ったり。
温泉町は、生き残りを掛けて思いつく限りのイベントを仕掛けていく。
そうして数年、十数年、持ちこたえ、
また都会からお客が来なくなる。
これはひとつのたとえ話のようなものだけれど、
この先、この日本はどうなっていくのだろうと思うこともある。
この国で生活する人は、まだ豊かな暮らしをしているように見える。
その豊かさがどこからくるのか、どんな理由で今もあるのか、
その理由も、おそらく複雑すぎて、だれか優秀な人に聞いてもきっと分からないだろうと思う。
自分の努力の与り知らないところで、国の衰亡が始まる。
そうなら。
そんな時は、驚かず、焦らず、衰亡していくままにまかせればいいかなぁと思う。
そうして、何も手を打たない分、誰かに優しくしたり、だれかと夜更けまで話したりする方が良い。
衰亡した温泉町の家々の屋根は老朽化したままで雨漏りがするけれど。部屋の中に洗面器やバケツやらをいくつも置いて雨だれをペタンペタンと受ければいい。
ここは湯の町。
湧き出る温泉の湯を大事に守って、みんなで効能新たかな湯の恵みにふれる日を、おくれるだけおくると好いのだと思う。
ということで、気合も入らない日記でしょうが(^^)
本日も各自の持ち場で奮闘くださいませ!
解散。また来週。
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(15:53 嬉野)