2009年8月14日(金)
2009年8月14日(金)
嬉野です。
さて奥さん。
そんな気もしませんが、今日はお盆の中日ですよ。
昨日、先祖があの世から戻って来て、
今夜まで泊まって明日の夜に帰るということでね。
霊魂的に日本がにぎやかになっているはずの日ですよ。
でもまぁぼくは、
昔、親がやっていた事を何も学ばず生きてきましたのでね、
どうやって祖霊を迎えていたのやら、
今となっては皆目けんとうもつかず。
ということは死んだ親父もぼくの家には寄れずに帰ってしまうということなのでしょうか。
振り返れば、お盆やら正月やらの儀式めいたものは昔風のしきたりだと思って、子供の頃はただ眺めるばかりだったのでね。
つまり、ぼくはお客さんで、ここまで来てしまった日本人ということなんですね。
それは結局、ガキの頃に、親たちが運営していた昭和という時代を観光旅行していたに等しいことだよね。
だから流れ去ってしまえば、その旅の思い出が懐かしいという。
その程度の感傷でしかない。
つまり、ぼくは、古き良き時代と言われる昔の日本社会で生きる大変さや面倒くささに縛られる事無く、すなはち今日まで観光旅行しながら生きてきたに等しいということでね。
だから、いったい昔の日本という社会が好かったのか悪かったのかも、本当は何も判断できない人間なのですよ。
かなり責任のない気軽な人生を送ってきてしまったという事なのだね。
誰かに「やってみな」と言われなければ、
そして、自分でやり方を覚えようとしなければ、
何も後世には伝わらない。
文化は伝えなければという使命感からではなくて、
やらなきゃ、きっとばちが当たるといった、
畏れに背中を押されながらでないと、
とても長続きはしないような気がするよ。
ぼくらの内の誰かが、
いつか新しい文化を創造して、
それを後世に伝えていくのなら、
ある種、神経に脅迫的な迫り方をする、仕掛けが伴わないと、
あいかわらず、ぼくらは、お客さん的な日本人のままで、目標の見えない日本という国の中を観光旅行し続けるだけじゃないのかなぁと、思ってみたりするのです。
人は立ち止まる事が出来ても、
社会は立ち止まる余裕など無く常に動いていなければいけないのでしょうか。
立ち止まって、こっから、どっちへ向かうのか、
考えたりは出来ないのでしょうか。
どうしてもぼくは、一回立ち止まって、
こっからどっちへ向かおうかと、思案する時間がなければいけないような思いだけが、どうしてもあるのですが、
ねぇ奥さん、どんなもんだろ。
明日から、嬉野さんは道東方面に女房と旅に出ます。
道東はもう涼しかろうか。
寒いのかも知れず。
しばらくお愛想なしですが、
みなさんどうかお健やかで。
いるんですよ。
ではまた、来週の、どこかで会いましょうの、心だ〜!
解散。
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(18:38 嬉野)