3月30日月曜日。藤村でございます。

藤村

3月30日月曜日。藤村でございます。

札幌は雪でございます。

先週の金曜日、遠く南国久米島から送られてきたカツオを料理屋に持ち込んで調理してもらい、それを肴に制作部の面々で飲みました。

「いやいや!タタキですか!美味そうだよコレ!」

「おっ!カツオのサラダかい?マヨネーズに合うねぇ」

なんて盛り上がっておりましたら、

「ヤケドをして皮膚を移植しようとしてもね、なかなかうまくいかずにポロっと取れたりするんですよ」

唐突に、嬉野先生がそんなことを語りだしましてね。

普通の人なら、

「ん?なんですか?カツオの話ですか?」

となるわけですが、私はもう慣れてますから、とりあえず、

「うん」

と、ひとつ頷いて、とりあえず先を聞きます。

「たとえ親子であっても、体が拒絶して皮膚を受け付けないわけですよ」

「うん」

「それだけ人間には、他人が立ち入ることができない、同化できない、その人のアイデンティティーがあるわけです」

「そうだね」

「でも人は、一人では生きられない」

「そうだよ。そもそも社会的な生物なんだから、人間は」

「そう、人間てのは他人とはそんなにやすやすと同化できない個があるのに、でも人とつながりたいという群れの欲求がある、そんなもどかしさが常にあるんですよ」

「なるほどそうだね」

カツオとはまったく関係ない話でしたよ。でも「なるほど」と思いましたね。

他人が立ち入れない「個」の部分と、他人とつながっていたいという「群れ」の部分、この相容れない両極端が、人間の中には同居している。

理屈では説明できないこの両方の欲求と、だから人間は、うまいこと折り合いをつけないといけない。

先日のNHKの「テレビの、これから」で、「テレビはお茶の間の主役であり続けるか?」という問いがありました。

視聴者から、「みんな自分の時間が大切だし、ひとりひとりの要求は違うんだから、お茶の間に集まるということ自体がもうありえない」という意見がありました。

私は、「いやいや、言ってることがわからんでもないが、でもそんな考え方持ってたらおまえダメだろう!」と、えもいわれぬ反発を覚えました。

その「反発」の理由が、嬉野先生の話でよくわかりました。

「テレビをひとりで好きなように見たい」

という欲求も、

「テレビをみんなで見て一緒に笑いたい」

という欲求も、人間には両方ある。

決して片方だけではない。

でも、ここ何十年かの社会の動きは、明らかに「個への欲求」「個の要求」をいかに充足させるか、という方向に向いていた。

パソコン、携帯、ゲームしかり、自動車もしかり。

個への欲求に応え続けてきた。

でも、それが進み過ぎて、「個」の部分が重くなりすぎると、人間のバランスが悪くなってしまう。

バランスを取るために本来、「群れ」「つながり」への欲求が満たされなければいけないのに、相変わらず社会は、「個」の欲求ばかりに気を取られている。

だから自分は、「社会の流れ」だけにとらわれて、何か大事なことを見失っている視聴者の意見に、強い反発を覚えてしまったのだ。

「そうか、なるほどねぇ」

と、カツオのタタキを腹いっぱい食いながら、合点がいったわけです。

人の話を聞いて、人と話をして、そして自分で考える。

群れて話をするだけじゃダメだし、ひとりで考えてるだけでも全然ダメ。

両方ですよ、両方。

はい、そういうことで本日はこれまで!

また明日ーっ!

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(19:02 藤村)