2月25日水曜日。藤村でございます。

藤村

2月25日水曜日。藤村でございます。

すいませんなぁ、月火と日記更新しておりませんで。

今、2分ぐらいの短いアニメーションをある所と共同で作っておりまして、その仕事をしておりました。

さて先日、制作の杉山Dと飲んでたら彼がこんなことを言っておりました。

近所の公園で不思議な光景を見たと。

小さな子供がおかあさんと滑り台で遊んでたんだけど、その子供がヘルメットをかぶって完全武装で滑ってたと。

オレはなんかの特別訓練かと思ったと。

子供を育てる。

親としては心配なことが多い。風邪を引かないように厚着をしなさい、道路を渡るときはちゃんと左右を見なさい。注意するのは当然のことであります。

しかし、んな厚着をしてたら遊べない。遊びに夢中になったら上着を脱いで汗をかき、道路に飛び出す。風邪を引いて、危ない目に遭う。だから言ったでしょう!ごめんなさい・・・。

実践があって、はじめて理解できる。

しかし、親としてはその「実践」が怖い。もし風邪をこじらせてしまったら、もし車にひかれたら。

実践させないために、注意をする。昔は親もそんなにヒマじゃなかったから注意で終わり、子供は実践してしまった。

それじゃぁよくない。で今は、なにがあっても子供についていく。物も豊富になったから子供の身を守るための道具もある。風邪を引かないように病気にならないように薬品もいっぱいある。薬を飲ませて完全武装で遊ばせておけば大丈夫。親は心配しなくてすむ。

子供は大事だ。だから親は子供のためと思い、あらゆる手段を使って子供を守ってきた。いつの時代も。でも人間は頭がいいから、いつしか「子供を守るあらゆる手段」「道具」を作り上げてしまった。結果、子供は危険な目に遭わずに完全に守られることになった。

親は安心。でもかわいそうに・・・子供たちは、実践で得る強い生命力、危機感知能力を失ってしまった。

「子供を守る」という大義名分の元、実は「自分の心配を減らしたい」という勝手なわがままで、今の親は子供の生命力を奪ってしまった。

親はもっと考えなきゃいけない。豊富な物の中でこれから生きていく子供たちに、いかに強い生命力を養わせるか、「心配だから」という気持ちを、どっかでぐっとこらえる強さが必要になってくる。

その意味では、昔の親よりも、今の親の方が考える力が必要。取捨選択が必要。中でも捨てることが必要。昔の親なんかそういう意味ではラクだった。みんな子供は放っておくしかなかったんだから。なーんも考える必要はなかった。

我々の世代は、親として、大人として、自分の心配を封印して、あえて子供を放り投げる強さが必要。

だっ
て無菌状態で大事に育てられた子供たちも、いつかは社会に出る。すると不幸なことに、今の社会は人を人として扱わない。企業の人材という、ひとつの材料と
して扱う。大切にされてきたはずの自分が、社会に出たとたんまったく大切にされない。そんなとこに適応できるわけがない。

物ばかりが豊富な中で育てられた子供が、物を効率よく作り続けることだけを追い求める社会の中に放り込まれる。今の社会のひずみが、全部子供たちに覆いかぶさってる。

今の社会を作ってきた上の世代には、残念ながらいい大人がいなかった。

我々がいい大人にならないと。

まぁ最近飲みに行くと、そんな話ばっかりです。

よし、本日は解散。

(17:21 藤村)