7月23日水曜日。藤村でございます。
7月23日水曜日。藤村でございます。
ずいぶん留守にしておりました。
この間、東京と札幌でドラマ「歓喜の歌」の編集作業に立ち会っておりました。
あらためて思いますが、ドラマというのは奥が深い。
出来上がるまでには、幾多の過程と、幾多の人々が関わっている。
立川志の輔師匠の頭の中で、落語として生み出された「歓喜の歌」という物語。
それを、脚本家がドラマに書き起こした。
書き起こされた段階で、それは志の輔師匠の口で語られるイメージの世界ではなく、「現実のもの」「映像に映されるもの」となる。
登場人物の住む「家」、「職場」、彼らが歩く「道の一本」に至るまで、落語ではサラリと語られる部分でも、「現実のもの」としてカタチにしなければならない。
探すわけです。
ロケハンと称して、現実の町の中から、この物語に合う家、職場、道、景色を探し出すわけです。
なかなか見つからない。ようやく見つける。その繰り返し。
そうやって、すべての舞台を探し出す。
そして、そこに「人」が入る。
役者さんです。
役者さんが入って、動いて、はじめて物語が始まる。
始まったら、今度は、それをカメラで撮る。
ありのままを撮る・・・だけではなく、シーンに合わせた効果的な照明があり、シーンによって工夫された録音技術があり、効果的なカメラワークがある。
撮り終わったら、編集。
編集によって、バラバラに撮られていたシーンをつなぎあわせる。
つなぎ方によっても、物語の印象はずいぶん変わる。
シーンをつないだら、そこに音楽を付ける。
音楽もこの物語に合わせて、新たに作曲される。
音楽によって、物語の印象はまたガラリと変わる。
効果音も付ける。
足音、ドアの閉まる音、車の走る音、町の雑踏・・・
これら効果音が付けられてはじめて、町の空気をまとった現実味を帯びた物語となる。
志の輔師匠の頭の中にあった物語が、幾多の過程を経て、ドラマというカタチになる。
「ゼロ」から作る、作り出す。
そこには、何人もの人の力が加わる。
手間も時間も人手もかかる。
ドラマとはそういうものだ。
それがよくわかった。
そして、この「ゼロから作り出す尊さ」は、なにものにも変え難いものだと、わたくし、実感したのであります。
現在、編集作業が終わり、東京で音楽の制作中であります。
そして来週、出来上がった音楽と効果音を付けて、ドラマ「歓喜の歌」が完成であります。
(16:18
藤村)