2007年11月26日(月)

嬉野

2007年11月26日(月)
夜分に嬉野です。
秋の夜長に無駄に長い日記は、いかがでしょうか(笑)。
昔読んだ本にこういうのがありました。
印象的深かったのでね、未だに覚えてるんですな。
それをちょっと思い出し思い出し書いてみますよ奥さん。
こういう話なんですよ。
「まず、イギリスの諸君、撃ち給え!」
これは実際の戦場でね、イギリス軍と対峙したフランス軍指揮官の口から発された言葉だそうですな。
18世紀の話だそうでございますよ奥さん。
今から300年近く前の話ね。
生まれてました?奥さん。
まぁ当然だれも生まれてないんでね、
証言できる人はいないわけですがね。
さぁ、この時。
イギリス軍とフランス軍の第一線は、共に横一線に並び、
銃口を向け合っていたそうでありますよ。
もちろん第一線ですから、両軍とも、その後ろにも兵士は、いっぱい控えているわけです。
しかし勇敢な兵士はいつも最前列にいるわけです。
尊敬される場所にいるわけですよ。
さて、当時の軍事の常識としてね、こういう状態では、
最初に撃ち始めた方が相手の第一線を壊滅させたそうですな。
そらそうでしょう。
だってお互い声が聞こえる距離で向き合ってるんだものね。
これはそうとう至近距離ですよ。
ひょっとしたら100メートルくらいしか離れていなかったんじゃないの。
あのね奥さん。先に撃たれたら死んじゃうかも知れないのよ。
冗談じゃなくて。
そのことをお互い分かっていながら、
いや、分かっていたからこそ、
フランスの第一線指揮官はイギリス軍の第一線指揮官に向けて言い放ったわけですよ。
「まず、おめぇらの方から、我々を撃ちたまえ」と。
戦場にあっても、敵軍に対して決闘の時のような礼儀を払うことを忘れなかった。
それがヒューマニズムを第一義に貫いた18世紀ヨオロッパの面目なのだと、なんかの本に書かれてありましたな。
さぁ、フランス軍の指揮官から、この礼を受けてね、
イギリス軍指揮官だって、負けじ!と礼を返すわけです。
「いやいや、それは困りますフランスの皆さん。お撃ちになるのはまずはそちらから」と。
ねぇ、度胸千両と腹決めて、
どちらも命がけで譲り合うというんだ。
男の見せ場だったんだろうね。
「いえもう、ここはうちが払いますから」
「いや、そんな困ります奥さん。ここはうちが」
「いいのよ、うちが払うから」
「だめだめ、そんなことされたら私が主人に叱られるから。ねぇお兄さん御幾ら?」
「だめよ奥さん、あたしが払うの!」
「いやよ、私が払うのよ!」
「あたしよ!」
「いぃえ私よ!」
「あたし!」
「私!」
かくして戦場のレジ横で、いや最前線で、
男度胸の譲り合いがしばし展開されたそうですよ。
そしてね。このやりとりを間近に見ながら、両軍の兵士もまた自軍の上官の計らいを粋なものとして見守ったのだといいます。
やがて譲り合いの果てに、最初の一斉射撃はイギリス軍が受け取ることになったそうです。
「そうぉ?じゃご御馳走になろうかな。ごめんなさいね。でもあれよ次は私が払うから」。
まぁだいたい、こういう譲り合いの場合は先に言われちゃた方が受けることになりますな。
フランス軍指揮官の顔は勿論の事、ここまでの事の成り行きを見守っていたフランス軍第一線を守る兵士達の顔も満足げに高揚したんでしょうな。
「あぁ俺たちは真の男だぜ」と。
そして一瞬の静寂の後。
イギリス軍の指揮官の号令が戦場に響きましたでしょうな。
「弾込めぇ!」
上官の命令を受けてイギリス軍第一線兵士が、きびきびと銃に実弾を込めはじめますな。
さぁ、フランス軍第一線の兵士には緊張が走ります。
撃たれるのを待つ、フランス兵のみなさんのこの時の気持ちは、いかばかりでありましたでしょう。
かくして一閃雷轟。一斉射撃を受けたフランス軍の第一線は瞬く間に壊滅したそうです。
その後激しい戦いが始まりまして、混戦の末、後詰のフランス兵の獅子奮迅の活躍の果てに勝利はフランス軍の手に落ち、戦いは終わり、両軍の負傷者は、近隣の村々で手厚い看護を受け、それぞれの郷里に帰されたのだそうです。
まぁ今の我々の頭で聞いてますとね、なんとも信じられない情景ですが、実話だそうです。
戦争であっても、むきだしの憎悪というものがなかったんですな。
相手を殺しつくすということをしなかった。
戦いといえども、手段を選ばずに勝つということを誰も喜ばなかった、そういう時代があったということですな。
そこで考えなければならないのはね奥さん。
なぜ、そのように戦争においてでさえ礼儀正しくしなければならないと誰もが思う時代があったのかということですよね。
卑怯な真似で勝っても、きっと世間が痛烈にバカにする。
勝ったところで、かえって恥をかき面目を潰すことになってしまう。
世間から批判をあび、面目を潰すことになっては誰もついてこない。
正々堂々と闘って、そして勝ってこそ、初めて世間の賞賛を浴びることができる。
だから誰も卑怯と言われそうな真似をしなかった。
できなかったんですな。
だから手段を選んだ。
常に礼儀を忘れぬような手段を選び、戦いに臨んだわけですな。
礼儀を重んじるのも命がけですな。
ただ、ここで気をつけねばならないのは、
「昔の人は偉かった」というのが、けして結論ではないということです。
ヨオロッパがね、このヒューマニズムの時代を築いた18世紀の、その前時代にね。
ある大きな災厄が、ヨオロッパに未曾有の不幸をもたらしてしてしまったのだそうですよ。
そのことが、人々をこぞってヒューマニズムに向かわせたそうなのですよ。
その災厄というのが30年戦争という宗教戦争だったそうですよ。
ドイツの地を舞台に繰り広げられたその戦争は、やがてヨウロッパ諸侯の利害を複雑にからめて、人々はもう、いたるところで殺戮の限りをつくしたそうですよ奥さん。
カトリックが良いんだ。いやプロテスタントだ。
みたいなことから始まった戦争だったそうですな。
(だったと思うよ、多分)
宗教戦争というのは、どうしてもむごい殺し合いになるそうで、ドイツの人口の実に六割近い民がこの戦争で殺されたそうです。
ヘンデルとグレーテルが迷い込んでしまったようなドイツの森が、この戦争でほとんど焼き尽くされたのだそうですよ。
焼き尽くし、殺しつくしたわけですな。
そんな殺戮が続いて続いて、30年目を迎えたころに、とうとうその殺戮は止んだそうです。
さすがにみんな、殺しあうことが嫌になったんですね。
つまり飽きたんです。
それで、カトリックだ!プロテスタントだ!と主張しあって始まった大戦争がね、最終的には、どう決着して止んだかというとね。
「カトリックでもプロテスタントでも、もうどっちでも好いよ」という、もうもう、どうでもいいような結論に落ち着いたそうですよ奥さん。
要するにみんな、宗教にまったく関心が無くなってしまったんですね。
そしてなにより、殺しあう事に、むごたらしいことに、うんざりしちゃったのよね。
だから、そのうんざりする殺し合いを止められるんならさ、なんでも好いよって思っちゃったそうなんですよね。
結局、それが栄光ある18世紀ヨウロッパのヒューマニズムの時代を生んだのだと思うと、ちょっと考えてしまいますな奥さん。
でも、きっと人間は、大昔から、そうしたものなんでしょうね。
人間は、どんなものにだって飽きてしまうんでしょうよ、きっと。
それが良い物であっても悪い物であってもね。
そしてね、それがどれほどつまらない事か。
それが、どれほど素晴らしいものであったのか。
そのことを、全員がそろって、腹のそこから分かるまでには、もの凄く長い時間と、がっかりするような大きな犠牲が必要なのだと、このドイツの30年戦争と、その後に訪れた18世紀ヨオロッパのヒューマニズムの時代は、物語っているのだということなんでしょうかねぇ。
まぁ、というお話でしてね。
いつの時代にもあてはまる、こんなのが人間の性質の中にあるんだということをね、まぁ、覚えておくのも何かの足しになるだろうと思いましてね、書きましたのよ奥さん。
だからまぁ、長くなったけども好いじゃないのよ。
じゃ奥さん。また明日!
解散!
つーか、あと1時間で今日も終わるがね。
(22:59 嬉野)