10月20日月曜日。藤村でございます。
ずいぶんとご無沙汰をしておりました。
1週間前、表参道にご参集いただいた皆様、中でも当日券を求めてずいぶん長い間お並びいただいた皆様、誠にもってありがとうござりました。
「ひとりの人間が3時間しゃべる」という、あのイベントの真意は、表面的なことではなく、じっくりと本質的な話をしましょうや、というところにあります。
多少時間をもてあますぐらいでないと、本質的な話にはならないと。
我々は4人で旅に出て、旅館に入ると、いつも時間をもてあまします。
そんなときに、いろいろと話をする。割とマジメな話をする。
そんな話こそ、実は大切なのだと。
いうことで、私は東京・表参道のスパイラルホールを旅館の一室に見立てまして、浴衣を着て、ビール片手に3時間しゃべってまいりました。
テレビのこと、時代のこと、仕事のやり方のこと、生き方のこと・・・話は断片的です。そんな系統立てた話なんか旅館でしない。
でも、言いたかったのは、割とシンプルです。
結局、「人と会ってしゃべる」「人の話を聞く」というのが、すべての基本なんだろうと。
人を目の前にして、その人のことをよく考える。
そうすれば、話は進むし、実のある話もできる。
でもお互いマニュアル的な受け答えでは、話は進まないし、楽しくもない。
もしくは、言葉ばかりが盛り上がるカラ騒ぎにしかならない。
例えば今のテレビは、人を目の前にして、マニュアル的な番組を作っていないだろうかと。
ちゃんと人に話を聞いてもらうために、ちゃんと作り手の姿勢を出しているだろうかと。
単純に、すべては人と人。
そう考えると、あんまり間違ったことはしないと思うわけです。
3時間の最後に紹介しようと思って、すっかり忘れてたメッセージがありました。
劇的3時間ショーのサイトに寄せられたメッセージの中のひとつ。
・・・家族全員「どうでしょう」さんに笑いと元気をもらい、僕のすべての人生における3%程度は豊かになったと感じています。ありがとう。
うれしかったですね。「3%程度」・・・もう十分です。
テレビは結局、みなさん全員の顔を見て作れはしない。だから、あなたがた全員を満足させることなどハナから出来はしない。また、あなたがたにも、テレビなんてものにすべてをゆだねてもらいたくはない。
だから、この「3%程度は豊かになった」という感想は、なんというか、「それは良かったなぁ」と、心から思えたのであります。テレビの目指す使命のようなものを、正しくわかったような気がしたのであります。
よし。
ということで、また明日からしばし外出。
留守を頼む。
では!
(20:07
藤村)