2008年8月17日(日)

嬉野

2008年8月17日(日)

嬉野です。

子供の頃、私は泳げなくて、
だから水泳の授業が苦手でした。

九州は南国ですから水泳が盛んなのでしょうか。
毎年夏休み明けの九月に私の通っていた小学校では校内水泳大会がありました。夏休みの成果を見せるというような意味合いもあって九月に行われていたのかもしれません。
それは全校生徒全員参加の水泳大会でした。

小学校六年生の時です。
六年生は25メートル自由形でしたから皆クロールで泳ぎます。

私は六年生になってもクロールができませんでした。
息継ぎができなかったのです。
ですからほとんど潜水のような状況になり、
苦しくて長くは泳いでいられないのです。

だから私にとって水泳は長い間苦しいものとしてありました。

その年の長かった夏休みが終わり、二学期が始まりました。

密かに好きだった女の子も健康的に日焼けして私の前に現れ、一学期より少し大人になったように見えて眩しかったのですが、再会の喜びも束の間、私の心は既に滅入っていました。

水泳大会は日一日と近づいていたのです。

みょうに胃の辺りがしっくりいかない日が始まりました。

やがて、自分は本当に水泳大会に出るのだろうかと、他人事のように思い始めるようになりました。

水泳大会が不意に中止になったりすることは、さすがにないだろうが、自分が不意に出ないというのはアリではないかと思い始めるのです。

嫌ならば出なければいいではないかと、どこかで思うのです

風邪を引くとか、お腹が痛いとか、急に病気になればいいではないかと、どこかで思うのです。

12歳ともなれば、いい加減知恵もつくのでしょう、
自分には意思がある、人の行動を決めるのは本人の意思なのだから、嫌なものを拒否することなんか当然のように出来るじゃないかと自分の心の中で妙な葛藤が始まるのです。

仮病を使うのが嫌なら、学校に行くといいながら、学校に行かなければいいではないかと、思うのです。

いや、海パンにさえならなければいいじゃないか。
いや、飛び込み台に立ちさえしなければいいじゃないか。
いや、立ったとしても足を蹴って水に飛び込まなければいいじゃないか。

いろんなことを考えるのです。
しかし、どれもパッとしたものには思えず、
あぁ、やはり自分は水泳大会に出るのだろうなと、
人知れずまた怯え、胃の辺りが妙な具合になるのでした。

そうして私の脳裏には、来たる水泳大会の日がイメージとなって現れるのでした。

そこには全校生徒がプールサイドに集まり歓声が響いています。スタートのピストルの乾いた音がして、水しぶきの音がすると歓声はまたいっそう激しさを増すのです。
そして、黒く日焼けした小学生たちでぎっしり埋まったプールサイドの賑わいとは対照的に、10コースほどある25mプールの長方形に満たされた水面だけがガランとしているのです。

その空白の中に飛び込んでいく。

私はまたしても胃の辺りに妙なものを感じ、それ以上イメージの虜になることをやめました。

そうして、少し離れたところで授業を受ける少し大人びたあの女の子の横顔を眺めながら、ガキの恋心を足がかりに悪夢の底から這い上がろうと努めるのでした。

こうするうちにも水泳大会は日一日と近づいてくるのでした。

ところが水泳大会を間近に控えたある日のことです。
夕方のニュースが台風情報を伝え始めたのです。

台風が来る。
考えたこともなかった。

天佑神助我にアリ!

タイミングさえ合えば水泳大会は中止になる。
嵐の中、水泳大会を強行すると言い張る教師もないだろう。

苔の一念巌も通す。

私は俄かに楽しくなり、教室で級友と軽口をたたくようになりました。
そして翌日から本当に天候は下り坂になり、雨がちになっていくにつれ、私の心は裏腹に晴れ晴れとなり、ひとり陽気になっていくのでした。

ところが目前になり、不意打ちのように台風は進路を変え海上へ抜け、テレビの気象予報官は「ここ数日は快晴となるでしょう」と満面の笑顔で天気予報を伝えるのでした。

万事は窮しました。

私は夕食の後、あきらめたように「ご馳走さま」を言い、テレビの前に座るとサザエさんを見ました。
見終わると、ひとり箪笥の引き出しを開けて水着の準備を始めました。

明日こそが水泳大会の日だったのです。

紺色の海パン、白いゴムの帽子、バスタオル。
それらを水着の袋に詰め終えると、大河ドラマを観ている親父の横に座り、大人に混じって分けも分からず時代劇を見るのでした。

やがて大人たちが寝室に下がり、私も自分の寝床へ向かいました。

「明日、目が覚めると水泳大会の日になっている」

私は口の中で呪文を唱えるようにつぶやきながら暗い部屋の天井を見上げ布団をかぶりました。

翌日目が覚めると、外は快晴でした。

私は「行ってきます」と悲鳴のような声を上げ、ランドセルをからげて家を出ました。

母は私の背中に向けて「水泳パンツはちゃんと入れたね?!」と叫びました。
私は、振り向くこともせず手を上げ歩を進めるのでした。

そうして歩きながら思ったのです。

「確かに、水着を忘れると言う手もある」と、

しかしこの期に及んでそんなチープなことを担任の教師に大会直前で言ったところで、どうせ「取りに帰れ!」と一喝されるばかり、そんなものはカッコ悪さが倍増するばかりだなぁと考え、思い直しました。

そうするうちに小学校の校門が見えてきて、私は、当たり前のように自分の教室にたどり着いてしまったのです。

それでもまだ、自分は水泳大会に出るんだろうかと考えているのでした。ここから逃げ出そうと思えば逃げ出せるだろうにと、まだ考えているのです。

やがてぼくらは全員水着に着替えさせられ、担任の教師に引率されながらプールへ向かいました。

プールサイドに向かう途中にあるシャワーを浴び、急に冷やりとする水の冷たさに肝を縮めながら太陽光線で熱せられたコンクリの階段を上り、プールサイドにあがると、どぶんという嫌な音と共に水しぶきがあがり、歓声が高らかに聞こえてきました。
そして塩素の臭いが不意に私の鼻を突きました。

大会はすでに低学年生から始まっていました。
私のクラスはプールサイドに整列し
、始まっている競技を眺めながら自分たちの順番が来るのを体育座りで待っていました。

その時私は、他人が飛び込む様子を遠くから眺めながら、あの他人事がやがて我がことになる、と、そのことを妙に噛み締めていました。

このまま時間が過ぎていき、やがて三十分もしないうちに、私は、コースの縁にある、あの小さく盛り上がった飛び込み台にあの男のように立つのだと。

そうして衆目の集まる中、妙な緊張感を下腹部に感じながら、水で満たされたあの空白の長方形を目の前にして、塩素くさいあの水の中に当然のことのように飛び込んでいくのだと。

その順番が間もなく来る。

私には、自分の番が自分に回って来るということが段々不思議に思えてきました。
他人事が、やがて自分のことになる。
その当たり前のことが妙に不思議に思えて来るのです。

あんなところに立ちたくないと思っているこの自分は、まだまだ離れたところで事の成り行きを他人事として呑気に眺めている。だが、やがて自分の意思とは裏腹にあの台に立つ時が来る。

その時になって初めて、私は、今あの台に立つ男が経験している現実と直面することになる。

それまではまだまだ時間がある。
だが、やがて間違いなく自分はあの台に立つ。
そして逃れられない現実の中、その私の身に現実が襲い掛かってくる。そして私は苦痛とともに何かを経験する。

水泳大会は流れ作業のように、どぶんどぶんとしぶきを上げながら進んでいきました。

私たちは体育座りのまま、横へ横へと移動を続けていきました。

私は妙に哲学的な小学生になって順番を待っていました。

とうとう六年生の番になりました。
私のクラスの先頭の男が台に上がりました。
そうして両手を後ろに伸ばし腰を屈めました。
一拍あって、乾いたピストルの音がしました。
パーン
台の上の男は背中を押されたようにあっけなく水に飛び込んで、私の視界から消えました。

次の男もその次の男も。
同じように私の視界から消えていきました。

それを繰り返すうちに私とプールまでの距離は見る見る縮まり、私の前にいた男たちが向こう岸に泳ぎ着くごとに私の前の視界はどんどん開けていくのです。

とうとう私のすぐ前の男が立ち上がりました。
そしてその男がピストルの音を聞いて飛び込んでしまってしばらくすると、体育教師の指示で私は立ち上がりました。

やはり私の番になったのです。

私の列の男たちも横一線に立ち上がり、それぞれに手足をぶらぶらとさせ、私もそれに習うようにぶらぶらとさせ、まじないのように耳につばをいれるのでした。

そうして私は自分の足を動かして、とうとうあの台の上に立ったのです。

私は歓声の中に立っていました。
けれど、人々の歓声が不思議に遠くに聞こえるように感じる、そこは奇妙な場所でした。

私はいっぱい息を吸い、両手を後ろに伸ばし、腰を屈めました。
波打つ水面が私の目の先に見えました。

ピストルの乾いた音がしました。
その音に弾かれたように私は台を蹴ると、そのまま水面に向かって落ちていきました。
次の瞬間、私の顔に衝撃が走りました。
水面が私の顔を打ったのです。
そしてすぐ鼻の奥がツーンとしました。
耳からは、ごうごう言う水の中の音がするばかりで、歓声は嘘のように途絶えてしましました。

そこは、さっきまでとは違う、奇妙な世界でした。

私は夢中で手足をばたつかせ、水をかき、水を蹴り、どうやら進んでいるようでした。

視界の底にラインが見えました。

5メートル。10メートル。15メートル。20メートル。

そこまでが息継ぎの出来ない私の限界でした。

私は苦しくなって25メートルプールの途中で足をついてしまった。

そして、再び水面に顔を出したのです。

担任の教師が私のすぐ横で、私になにか言っているようでした。
苦虫を噛み潰したような顔で叫んでいましたから、おそらくもう少しでゴールというところで足をついた私の根性の無さを非難しているのだろうと思いました。

どうやら息継ぎもしないで泳いでいたために、期せずして水の抵抗が少なく、私はそこまでトップで泳いでいたらしいのです。

早く上がれと教師たちに促されながら、私はプールから上がりました。その時、私の頭はモーレツにガンガンとした痛みに襲われていました。酸素不足だったのでしょうか。

でも、とにかく、そうして私の小学六年の夏の苦悩は終わり、私は嘘のように清々して、次の日からまた学校に通い始めました。

今から六年前。
その小学六年生が42歳になった年。
かつての小学生の父親は肝臓を悪くしてこの世を去りました。

父親を亡くしてみて初めて、かつての小学六年生は思いました。

次は私だなぁと。

人間は誰でも永遠に生きるわけではないから、
やがて、自分の身にも、その死という瞬間がめぐってくる。

今は他人事として呑気に眺めているだけのものだけれど、
いつか自分の番が来る。

そう思った時。
私は、三十数年前のあの日の水泳大会を思い出したのです。

いつかそれは、私の現実になって、私の目の前に立ち現れ、その時初めて、私はその現実に直面する。

私は弾かれたように水に落ちていく。
すると不意に顔に衝撃を受け、鼻の奥がツーンとする。
そして外界の音が一気に消え、ごうごうという水の中の音だけがする。
私は手足をばたつかせ、もがき、そうして何かをくぐり抜けていく。

その時私に、あの台の上に立って飛び込んでいった男の気持ちがやっと分かる。

そして自分が今直面している、このことが現実のことだということを知る。

そのあとのことは誰にも分からない。

(19:15
嬉野)