11月1日火曜日

藤村

新作のロケに出かけたのは7月初旬のこと。うだるような暑さでありました。その編集を終えようかという今、北海道はもう冬に突入しようとしております。早いものでございますなぁ。
どーも奥さん、藤村でございます。
昨日は私、朝日新聞のフォーラムに参加させていただきまして、大変おもしろい方々からお話を聞く機会に恵まれました。
フォーラム自体は夜の8時半に終わったわけですが、その後の酒席は11時過ぎまで続きまして、わたくし、酔いにまかせてご列席の大先生方にいろいろとお話を伺いました。
「転校生」以来の大ファンでありました大林先生は、酒席であっても、話す言葉、にこやかな表情、語り口、それらがひとつのりっぱな「物語」を見ているようでございまして、「はい」「はい」「なるほど」「はい」「ほー」と、ただもううっとりと聞き惚れるばかり。全体から溢れるおだやかさは、まさに映画と同じでありました。
一方、小説家の谷村志穂先生は、やたらと楽しい方でございまして、わたくし、何度か先生の肩をどついて「ぶははははは!」と爆笑をかましてしまいました。「話が合う」と言っては失礼ですが、明らかに「同じ空気」を感じまして、改めて谷村さんの小説を読んでみようと思った次第。
新しい札幌駅を作ったJR北海道の臼井さんという方も、実に楽しい方でありまして、私は興味深々で話を聞きました。というのも、あの新しい札幌駅を初めて見たとき、私は感動したのであります。「これです!これです!札幌はこうあるべきです!」と。これが本州の地方都市の駅舎であれば、「もっと日本的な建築にできないものか」と思ったでしょう。でも札幌という町は、日本の中で唯一「ヨーロッパ的な雰囲気を持ち込んでもいい町」と思うのです。いや「持ち込まざるをえない」と言った方が正しいかも。というのも、臼井さんは「札幌駅は50年後、100年後にも、ここにあっていいものにしたかった」、さらに「無秩序に氾濫する町の色もなんとかしたい」とも言いました。これはまさにヨーロッパ的な考えであって、日本の伝統的な「木造建築に瓦屋根」という風情が「気候風土的に実現しない」北海道では、この考え方はアリだと思うのです。その上で臼井さんは、なるべく地元の素材を使って駅舎を作ったとも言いまして、「いやぁ!いいじゃないですか!」と全面的に納得したのであります。
元北海道の副知事だった磯田さんからはこんな話を聞きました。基本的人権であるとか、教育を受ける権利であるとか、我々には様々な権利が憲法で保障されております。しかし北海道は、全国で唯一「文化的に暮らす権利」というのが、条例で保障されていると。小さな町のおっさんも子供も「文化的なものを享受できる権利を有する」と。でも条例を制定する当時は、「んなもん作ってどうする」「文化でメシは食えん」といった声もあったそうです。いや、いまだに北海道は「文化的に暮らす」などという余裕はないのかもしれない。だからこそ、なんとか文化でメシが食えるようにしたいと磯田さんは言っておりました。
だから私は言ったのであります。
もしも、北海道の文化に、テレビ番組も入れてもらえるとしたら、「文化でうまいメシは食えます!」と。
いや、テレビを「文化」などと思ったことはありません。「文化」という言葉の響きが、なにか誤解を与えてしまうような気がして、私は使うのをためらいます。しかし、あの席に北海道の文化として「水曜どうでしょう」を招いていただいたとすれば、私は誤解を恐れず、俗っぽい言い方で「文化でうまいメシを食える!」と言いたかったのであります。
「文化的に暮らす」というのは、なにも高尚な絵画を見たり、クラシック音楽を聴くということだけでなく、「暮らしの中で感性を使う」ということではないでしょうか。
そう考えれば、仕事を終え、家事を終え、ひとりでどうでしょうを見てバカ笑いするのも、立派な文化的暮らしであろうと。
今回お会いした方々の話は、決して難しい話ではなく、すべて「うん、うん」と納得できるものでありました。
みなさん、「まっ正直な感性」で語っておられました。
それが実に「北海道らしいなぁ」と思ったのであります。
その北海道の一員に、「私もようやくなってきてるかなぁ」と、そんなことも思いました。
さて我々、明日からしばし、出張に出ます。
ちょっと遠い所で、「枠撮り」をしてまいります。
また来週、お会いいたしましょう。
(14:13 藤村)