2010年10月13日(水)
2010年10月13日(水)
本日の日記はね、
嬉野ですのよ奥さん。
えぇっと、
幾日か前に、私、考えたことがありまして。
ほれ、
人間が生きていく上でまずやんなきゃならないことに、
「食べる」という行為がありますでしょう?
だって食べないと死んじゃうでしょう?
いくら奥さんだって死んじゃうでしょう。
そら、ダイエットも大事だけど食べる事はもっと大事よね。
で、食べないと死んじゃうから、
人間は食べ物を獲得しなきゃならないでしょ。
そこでね、その食べ物の獲得方法ということになると、
これ幾つかあってね、
いや、そら今だったらスーパー行って買うとか、
コンビ二で買うとか、レストランで食うとかですよ。
まぁお金で済む話ですよ。
というか、お金が無いと困る話ですよ。今やね。
そら確かにそう。
だから目下の関心事はもっぱらどこのスーパーが安いとか、
あの魚屋はものが新鮮とかいうことになるでしょう。
でも私が今回考えたのはそれもっと古い古い起源の話でね。
ほら、こどもの頃に学校の社会科の、
歴史の教科書に出てきたでしょ、
狩猟と農耕って。
獣を追って狩をして、
捕らえた獣の肉をみんなで分けて食べる狩猟とね、
稲や麦やの作物をみんなで植え育てて収獲して煮炊きして食べる農耕と、
大きく二つに分けるでしょ?
なんかね、
そんなことを思い出してね、
「そういやぁ、狩猟社会と農耕社会とかあったよなぁ」って、
つらつらと考えてたんですよ。
例えば、でっかいマンモスを倒せば、
これ、みんなで当分お腹すかないで済むねって考えてね、
「じゃぁマンモスを倒すか」ってなった時ね、
奥さんだったらどーする?
なに?
マンモスを倒すなんてそんな面倒なことはしないだろう?
そらそーだよ。
そら今はそーだよ。
でもこれは「もしも」の仮定の話だからね。
相手は巨大なマンモスですよ。ギャートルズの世界よ。
一人二人でこれ立ち向かっても叶わない。
10人寄っても叶わないかもしれない。
こういう時に計略というのを思いつくやつがいてね、
マンモスを盛んに挑発してね、
怒ってマンモスが追っかけて来た時にね、
その追っかけてきた先にデッカイ落とし穴あればどーよ。
そしたら、そこにマンモス落っこちるでしょう。
そしたらさすがのマンモスも身動きできないから、
一網打尽じゃないのよマンモス。
ねぇ?そーでしょ?
これさぁ、
これやってみる価値あるでしょう?
みたいな提案をする。
そうすると、まずマンモスが集まる場所の近くに穴を掘らなきゃならないから、掘るやつを大勢集めて突貫工事で掘る。
して次に、マンモスを挑発する役のヤツを10人20人集めて、で、これはマンモスが追っかけてくるから、
各人そこそこ足に自信のある俊足のやつじゃないと危険なことになるから、これも選別して、
で、上手い具合にマンモスが穴に落ちたらどうやって仕留めるかも具体的に考えておいて、これを実行に移すわけですよ。
こうして計略どおり巨大なマンモスをね、
人間の知恵と運動能力で倒す事に成功できれば、
ここにマンモスを倒すチームが出来上がるわけですよね。
これ、組織の始まりのような感じですよね。
農耕の方はね、
土を耕すことから始まって、
田に水を引かなければいけないから、
水の確保できる土地を選んで、
植物を育てるのに適した土地を選んでして、
田に稲を植えて、
それから実りの秋が来るまで、
天候に左右されながら、毎日、稲の世話をして、
稲を襲う害虫を駆除して、
大きな台風に襲われれば、収獲は大打撃だし、
雨が降らなければ、雨乞いして、
天に祈って、
なにしろ大自然相手の大事業だから、
なんとか今年も無事に収獲できますようにと、
勢い、目に見えない巨大なものに祈りをあげるとか、
宗教色が強まっていくのかもしれないよね。
こうして大きな自然災害に襲われる事も無く、
無事に稲の収獲にこぎつけられたら、
こらもう神に感謝したくなるようなことでね、
神様に感謝するお祭だってやってしまいたくなる。
大自然を相手に裸同然の人間では力も弱いので、
一人では生きにくいとなれば、
人は、集まって暮らし、
人が集まって暮らすとなれば、そこに社会が出来て。
社会は、そこに集まって暮らす人間たちをどう食わしていくかという命題を持っているわけだから、
その人間たちの集まっている環境の違いで、
たとえば狩猟や農耕という、
食べ物の獲得方法の違いが生じていくよね。
そうすると、
その食い物獲得の方法の違いで、
その社会もまた、性格の違うものになっていく。
でね、
狩猟社会と農耕社会で、いろんな違いがあるけどね、
決定的に違うことがあるでしょう。
そう、
マンモスの肉はあっさり腐るけど、
米は、種だから保存がきくのよ。
つまり腐らない。
マンモスの肉をいっぱい食いたいからといってね、
どんだけ主張して他人より多くぶんどったからといって、
そこは人間だから食える分しか食えないわけで。
食えずにあまらせた分は、やがて腐ってだめになる。
でも、米は種だから、
タイムカプセルみたいなものだから、保存が利く。
腐らず貯えられる。
そうすると、一人では食えない量を作っても、
食いきれない量を、他人から、ぶんどったりしても、
腐らないから無駄にならない。
これがお金持ちの始まりとなるわけでしょう?
だったらって思ったのよ奥さん。
そん時。
思ったのよ。
だったら、お金も腐れば好いのにって。
お金が、マンモスの肉みたいに腐るなら、
だれも今みたいにお金を独り占めするようなことはしないよね。
自分で使い切れないような馬鹿げた額の給料なんてもらわないよね。
それどころか、いっぱい稼ぐ人は、
こんなに一人では使い切れないからって、
御近所に配るよね、お札をさ、
釣ってきたサンマみたいにね。
「これどうぞ、なんだか主人がたくさん稼いできちゃって」
「あら!もの凄い大金!」
「そーなの、とてもじゃないけどうちだけじゃや使い切れないのよぉ、もらっていただける〜?」
「あら、いいのう?うちちょうど月末で困ってたのよ、もうねぇ喜んで頂いちゃう、助かるわ〜」
「あぁ好かったぁ、だってさぁ、うちに置いといても腐るだけだもん、まだうちにあんのよ万札」
「あら、じゃぁウラの藤村さんとこ行くと好いわよ、あそこの奥さん、お金が無いの、お金が無いのっていってらしたから、きっと喜ぶわよ」
「あらほんと!じゃぁ行ってみる!助かるわぁ」
「御主人、お金儲けなんて好い御趣味ねぇ」
「とんでもない、もうね、稼ぐのもいい加減にしてよ!って、私、怒鳴りつけてやったのよ、あ!じゃ、藤村さんとこ行って来るわね、ありがとねぇ、あぁ早く持ってってあげないと鮮度が落ちてお札が腐るわぁ〜」
「まぁ、あの奥さんも大変ねぇ」
なーんてなことに、なるわけでしょう奥さん。
ねぇ。
好い世の中になるじゃないのよ。
てなことをね、考えておりましたが、
まぁそれだけのことで、
うちの女房に、これ話したら、
「で?」って言われましたがね。
はいはい。
本日もご退屈さまでね。
じゃ、また明日。
本日も各自の持ち場で奮闘してくださいね。
解散!
(20:38 嬉野)