2012年1月30日(月)

嬉野

2012年1月30日(月)
嬉野です。
去年の正月明けでしたか、
このワタクシが、
ふと書店で目に留めました
『こけしBOOK』なるタイトルの本に魅了されましてから、
どうしたものですか
魅入られたように私はこけし贔屓になりまして、
それからというもの、この日記へも
「こけし、って、すごく好いじゃないですか」
と書く始末で、
そうしましたら、
「うれしのさん『こけし時代』という雑誌が出ましたよ」
と、どなたかお優しい若干名の方が
掲示板でそっとお教えくださいまして、
ワタクシさっそくネットで調べてみましたところ
創刊号は限定千部とのことでございましたので、
慌ててうちの店長の手下でありますところの
「くまくま」と呼ばれます、まだかろうじて若い女に
「お願いね」
と囁きまして、
毎号、雑誌が出るたびに
そのくまくまに取り寄せてもらってますが、
まぁ、いい大人なんだから
「嬉野くん自分でおやりよ」
というのが世間様の感慨でございましょうが、
なにぶん、やってくれますので、お願いをしております。
そうしますと、忘れた頃にくまくまが
「嬉野さん、『こけし時代』が届きました」
と会社まで持ってきてくれます。
そういうわけでね奥さん、
その『こけし時代』も、
ただいま第3号の運びとなりまして。
今回はこけし手拭いが付録でついておりました。
振り返りますれば、
ここまでのワタクシの人生で
「こけし」の世話になった覚えはございません。
それといいますのもワタクシ、
こけしにまるで魅力を感じなかったのであります。
それより、どことなく「おぞましい」とさえ感じ、
子供時分にどなたかのお宅で、
部屋のガラス棚に
ぞろぞろと飾られておりますこけしを見まして、
そのゾロゾロ感がなにやら怖ろしくもあり、
部屋の隅から恨めしそうにこちらを見つめているようでもあり、
ワタクシを、あの世へ誘いかねないオアソロシキモノにも見えるのでありました。
かくのごとく「こけし」を忌み嫌っておりましたワタクシが、
「こけし」に心惹かれたのは、
ひとえに「こけしBOOK」のページに並びました、
各生産地に生まれました、こけし達の良き顔でありました。
確かに、いっちゃってる、ような顔もあるのです。
やばい、顔もあるのでございます。
それでも、その「こけしBOOK」という本で、
生まれて初めて「こけし」の顔をまじまじと見ましたら、
そのどれもに愛着を感じたのでございますよ奥さん。
いっちゃってる、と見えた顔も、
なお良く見れば可愛いのであります。
やばいでしょう、と見えた顔も、
しげしげと見守るうちに、愛おしいのであります。
何かが生まれる時、そこには受け入れる素地が用意されてあるもののようでございます。
そういう時代が、こけしの前途に豊かに広がるかに見えた時代が、きっとワタクシの生まれる前の時代にあったのでございましょう。
その「こけし」たちに開かれた時代にあって、
東北の温泉場にありますところの土産物屋で、
その土地土地の顔をした「こけし」たちがろくろで回され、挽かれ、色を添えられ、顔を入れられ、並べられていたのでございましょう。
この国の人々の暮らしも、今よりまだ遥かに貧しく、
それでも、少しずつ豊かになり始める高揚感が訪れ始めた時、
ゆとりのある者は旅へ出て、
その旅へ出た自慢のよすがにと、
温泉場の土産物屋で名物の「こけし」が求められた。
求めた旅人は、国へ帰り、
我が家の茶の間やら玄関やらと、
御近所の目に触れる場所へ「こけし」を置く。
「おや、また旅行に行ってきたのかね」
ため息の混じった、
なんとも羨ましいという表情を御近所の顔の上に誘発する、
その物言わぬ控えめなアピールをしてくれる格好の旅の記念として、みやげ物に置物が重宝された、
そういう時代のムードが、かつて、あったのだろうと思うのであります。
北海道のシャケをくわえた木彫りの熊も、
それと同じ理由で旅行者に求められ、
ある時代の日本中の家庭の茶の間に飾られていたのだと思います。
御近所をうらやましがらせての果てに涌いて出る優越感。
その優越感のために旅に出たわけではないけれど、
せっかく北海道まで来たんだから、本当に行ったのだという証に置物を買う。
こうして木彫りの熊やこけしが盛んに求められた。
ワタクシが、少年の頃に垣間見てきましたのは、
それらの「こけし」が、その後、幾年を経て、
この国の人々から忘れられ
茶の間の片隅の飾り棚でホコリをかぶり、
訪れる人も目に留めなくなって久しい頃だったのだと思います。
誰も彼もが旅へ出ることが可能なくらい裕福になれば、
旅行は、自慢にもならなくなり、
土産を買うより、土地土地の名物の美味い物をたらふく食べて、
食った自慢をする方がよほど利があるという判断の果てに、
やがて置物は、行き場を失うことになる。
そういう運命に「こけし」もあったのだろうと思います。
そう思った上で、
でも、
こけしの上に引かれた子どもの顔は、
今も愛らしく、
この顔は、この今の時代、
他の誰に引けるものでなく、
長く伝統を継いできた、
こけし職人の指先の中にだけ、
密かに残るものであるような予感がするのであります。
この頃、見なくなったあの顔を、
ワタクシは、誰に見せるでもない、
この自分の目で眺めていたいと切望する。
おそらく何かが、完全に無くなったのだと思います。
そして、そのよすがが、こけしの顔に残っていた。
そういったことを、こけしを見て思ったのだと。
こけしたちの里である温泉町も湯治場も、
なくなって欲しくない場所と思うのです。
なぜならば、
温泉町も湯治場も、
間違いなく、
この先の時代にこそ、
必要と求められる場所だと思うからであります。
銭はなくとも、
湯治場の暖かい温泉の湯さえあれば、
心まで寒くはならないものだということを
ワタクシは知っているからであります。
どうせこれからは、
世界中が貧乏になるのでしょうから、
それなら、銭がなくても、
心の底からホッとして
屈託なく笑える場所が
きっと必要になるのです。
今も日本中には、ひなびたをとうに通り越して、
しなしなになった由緒ある温泉町がたくさんございます。
いまならまだ間に合う。
日本各地のしなしな温泉に足しげく通って、
この先の困難な時代まで、
あの心落ち着く町々を残しておきたい。
これは、ワタクシの切なる祈りであります。
ということで、
おおかたの皆様には、
何のことやら分かりません、
嬉野さんの、今日の呟きでございました。
本日もみなさま、
お寒い中、お疲れ様でした。
今日も正気で生き抜いたあなた、
ご苦労さまでした。
誰の役にたたずとも、
今日明日を正気で生きようとする、
その心根に幸アレかし。
根性もなくて結構。
才能もなくて結構。
金も才覚もなくて結構。
とくにとりえもなく、
ただ素直なだけで、かつ、やさぐれない、
どんな時代も正気でいようとするあなたにこそ幸いあれ。
どうも長くなりました。
本日も諸氏、各自の持ち場でなにぶんの奮闘を願います。
と、いつもの一説を書きまして、
本日の日記は終了。
どうもみなさん、また明日。
解散。
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(18:06 嬉野)