2011年1月10日(火)
2011年1月10日(火)
嬉野です。
去年の年末だったですけど、
珈琲屋のカウンターでね、
三人ほどで並んでしゃべってましたら、
カップを拭いていた珈琲屋のご亭主がね、
「この頃はケータイがあるからさぁ、こんな喫茶店で待ち合わせする人なんかいないんだよねぇ。世の中も変わるよねぇ」
と、お客の減りをぼやいておられまして。
なるほど携帯電話があるもんですから、
街中で落ち合うにしても、
「今どこにいるの?」
で済んじゃうんでしょうね。
それだから、お互い、時間に縛られることもないわけで。
だったらそうですよね、かつてのように、
あらかじめ時間と場所を決めてね、
待たせてしまいそうな時のことも考えて
喫茶店で待ち合わせることも、
なるほど昔の習わしとなっているわけですね。
かつてのように喫茶店に入り、
待ち人を待ってお茶を飲むという段取りを持つ必要は、
既にこの世からなくなって久しかったということに、
私ども大人三名は、その時、そのことに気づかされたわけです。
いやはや携帯電話を開発した人も、
まさか自分が開発した新時代の電話が、
ゆくゆく喫茶店の客まで奪うとは想像だにしなかったでしょう。
そういえば、大人週刊マンガの発行部数が130万部から13万部へと10分の1に激減したのも携帯のせいだと、
だいぶ前に聞いたことがありますよ。
その時は、
「なんで携帯の出現でマンガが売れなくなるのよ」
と、不思議でしょうがなかったんですが、
話をよくよく聞けば、
要するに大人週刊マンガを買っていた人のほとんどが
電車の中の暇つぶしのために(東京などの都市部ですね)
マンガを買っていたということがこのことで分かったのだそうで。
マンガを読みたいという欲求でというより、
実は電車の中でひまなのが嫌で、
その、いやーなひまというものを潰したい欲求から
駅売りの週刊マンガを買うしかなかったのだと、
確かに言われてみればそうだわと思えるわけで。
つくづく電車移動中とか、
待ち合わせで一人手持ちぶさたな時とか、
次のアクションに移ろうにも移れない宙ぶらりんな状況の時にマンガを購入していた人の数が膨大だったのですね。
そうであるならば、なるほどマンガでなくとも携帯が代わりに暇をつぶしてくれるのでしょうから、
これまでもこれからも、
携帯に市場を奪われてしまう文化はぞくぞくと出てくるでしょうね。
若者がオートバイに乗らなくなったのも
「携帯のせいですよ」
と、馴染みのバイク屋さんがぐちっていたのを聞いたことがありますが、
「マジすか!」
と、あまりにもそこに関連性を見いだせなくて
「それはどーだろう」
と、躊躇しつつも驚嘆したんですが、
うーむ確かにこの際そーいうことにしてしまってもいいかもしれないとも、この頃は思うわけで。
となれば、「とにかく携帯はスゲーな」です。
あたかも、なんでもかんでも食ってしまう巨大な胃袋をみるようです。
かつてこの国で誕生し、やがて愛され長い年月のうちに育まれ培われてきた諸々の文化への愛着も、電話が持ち運びできるようになったことで、あっと言う間に駆逐されていく様はどこかあっけにとられるところがあります。
そして、その携帯電話も既にスマートフォーンという電話へと代わっているのだそうで。
これまでの携帯と、スマホと呼ばれる新しい電話と、
どのような違いがあるのやら知りませんが、
そういうことを聞くにつけ、
このどーでもいい流れは、どこのどなたの策謀だろうかと、
つくづく思うのであります。
いったい我々をどこへ向けて押し流そうとするのやら、
皆目見当がつかない。
これまでにもいろいろなものが無くなったように、
やがて本もなくなるのかな。
つまりスマホの画面で読めればね、
もう本というものはいらないでしょう。
つまり読書も音楽鑑賞も映画鑑賞も株も競馬も、
いっそのこと、そうです、
恋愛も友情も合コンも全部電話でするようになるのでしょう。
そうなった場合、それは、それでもやはり電話なのでしょうか。
私はこの頃の電話を思うと、駅ビルを思い出すのですよ。
そもそも駅ってなんだったっけって思うのです。
たしか電車に乗る場所だったよなぁって。
スコブル素朴な場所だったよなぁってね。
そこにいつの間にかいろんな店舗ができて、くっついて
駅だっったのが巨大な街のようになってる。
でもそこは本当は街じゃないんです。
でも街のようになるから、そこに人が集まりだし、
その流れで、行く必要のなくなったかつての繁華街には人が集まらなくなる。そこはやがて衰退し、いつか変貌する。
携帯電話も駅ビルも、
なんだか出発点には同じ思想があるような気がします。
ひとつのもので事が済めば便利だからと集約されていくのでしょうね。
もちろん「良かれと思って」のことでしょう。
なんだってそうです。
良かれと思って時代は発展してきたのです。
だからこれからも「良かれと思って」社会は変貌を遂げていくのです。
いつの日か、携帯電話をひとつだけポケットに忍ばせていさえすれば、ぼくらは何も困らないという時代が訪れるのでしょう。
なぜならその電話のなかに世界のすべてと繋がる仕組みがあるからです。
もう、困ったって携帯電話に聞けばいいんです。
そして、気がついたら親もいらなくんるでしょう、
学校の先生なんてもっと早くいらなくなってるんでしょう、
友達もいらないでしょうし、
恋人もいらないです、
だって大事な人は、全部、電話の中にいるのですから、
尊敬する人は全員電話の中にいるのですから。
電話さえあれば、誰もいなくても寂しくない。
ひょっとするとあなたの代わりに
電話がぼくらの人生を決断してくれるかもしれない。
それで上手く行かなければ電話会社を訴えるだけで良いのです。
そんなことを電話の中にいる弁護士が言ってくれるでしょう。
そうやって、
電話がぼくらの人生のことごとくを解決してくれるものになるのなら、人類は困らなくなるのでしょうか。
でも、困らなくなった人類は、困らなくなったというそのことで、やがて困ることになるのではないだろうかと、怪しんでも、しかたがないですね。
「良かれと思って」
と、いう思想で考案されるものを
人は真っ向から否定することは出来ないのでしょうね。
「良かれと思って」の力だけで、
ここまで進んできたように、
この先もこのまま進み、
気がついたら取り返しのつかない事態を招いていたとしても、
誰も責任はとってくれそうにもない。
だって「良かれと思って」のことだったんですからね。
とまぁ、わけしりの大人のようなことを書いて、
澄ましているわけではないのですが、
なにぶん気持ちをしっかり持たなければ、
この先、頭がどうにかなりそうな気もするので、
これはいわゆる私のガス抜き的な本日の日記でありますよ。
おっさんの愚痴につきあわせて悪かった。
ささ、
本日も各自の持ち場で奮闘願いますよ奥さん。
幸せな明日を思い描いてね、
なるべく正気で暮らしていきましょうねー。
私は、だんだん自信がなくなってきましたよー。
【藤村先生メモリアルのコーナー】
2012年となりました。
1月7日土曜日。藤村でございます。
みなさま、明けましておめでとうございます。
年明けは4日から仕事を始めておりまして、DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」の最終仕上げをしております。
美術のビジービーさんがメニュー画面のCG動画を完成させ、プロダクションIGさんからはオープニングのアニメーションが届き、この週末で音効の工藤ちゃんと音入れ作業をして、すべての素材が完成する予定であります。
ビジービーさんのCG動画も、IGさんのアニメーションも、ますますクオリティーが上がってきております。でも、別にコレ、本編とは関係のないもので、なきゃなくてもいいんです。ぺろっと1枚メニュー画面を作ればそれでいいし、オープニングは毎回使い回せばそれでいい。手間もお金もかかるし、本編さえ見られれば基本的には商品として成立するものではあります。しかし、せっかくみんなが足を運んで見に来てくれるんだから、玄関先にキレイな花ぐらいは生けておきたいという、まぁそういう心づもりでやっておる次第でございます。
今回も、みなさんを気持ちよくお迎えする準備ができましたぞ。
ね、ということでDVD「ヨーロッパ・リベンジ」は、予約を受付中でございます。初回生産枚数には限りがございますからねー。ボヤボヤしてると受付終了しますよーぅ。
ささ、商売のお話はここまでといたしまして、よもやま話をいたしましょう。
年末に東京で、日テレの「電波少年」の土屋さんと、「ダウンタウンDX」や関西ローカルの「いつもガリゲル」という番組を作っている読売テレビの西田さんとお話をする機会がありました。
どうでしょうが始まった96年当時は、「電波少年」で猿岩石さんがユーラシア大陸を横断しておりました。どうでしょうの説明をすると必ず「電波少年みたいな番組ね」と言われておりまして、私自身「電波少年みたいな感じです」と言っておりました。あの番組は、まぎれもなく土屋プロデューサーの存在が大きく、私はいつかお話を聞いてみたいと、ずーっと思っておりまして、それが10数年の時を経て、ようやく実現したわけでございます。
土屋さんの話に出てくるキーワードのひとつに「めんどくさい」という言葉がありました。自分は「めんどくさいことはしたくない」という。でもあの番組は、常に「めんどくさいこと」をやり続けていた番組です。ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断するだの、アポなしで突撃取材するだの、それは「めんどくさいことの極致」です。何がどうなるのかわからない。めんどくさいことがたくさん起こるに違いない番組です。でも土屋さんは、「めんどくさいことはしたくない」と言う。つまり土屋さんが言う「めんどくさいこと」というのは、計画を立て、合意を形成し、段取りを踏んで、リスクを負わないように行動するという、世間一般の行動様式が「めんどくさい」と言っているわけです。
人を楽しませるとか、感情を揺さぶるとか、そういう感性を相手にモノを作る場合には、どこかでハッとするような、予想を裏切るような、そんなものが必要となります。計画を立て、合意を形成していては、そんなハッとするような瞬間は、なかなか生まれない。だから、あえて合意は形成しないし、段取りは崩す。そこから生じるトラブルは、「めんどくさいこと」ではなく、最初から織り込み済みのことで、「はははは!おもしろくなってきたよー」という喜ばしいことだと。私も、まったくそう思います。
しかし一方で、ちゃんと段取りを踏み、リスクを回避することが重要な仕事もあります。「おもしろくなってきたよー」じゃ済まされない仕事もあります。それを絶対に間違えてはいけない。政治や公共の仕事には、人々をハッとさせるような劇的なことは、そんなに必要じゃありません。人々の生活の安泰と安全が一番大事なことです。それがあってはじめて「うはははは!バカなことやってんなぁー」なんて、のんきにテレビ見て笑える社会が出来るわけですから。
読売テレビの西田さんは、実に人間味にあふれた人でした。彼が作っている「いつもガリゲル」という番組には、彼の人の良さがにじみ出ていました。彼はこの番組で、出演する芸人さんに「おもしろい言動」を求めているわけではないと。普通に、「人としての人間味」が出ればいいと言っておりました。それぞれの番組に、それを作っている人の思いや人格が醸し出されれば、それはとても興味深いものとなります。2011年の最後に、良い人たちと出会えたなぁと思いました。
さぁ皆の衆、今年も自分の持ち場で、自分に出来ることを、そんなに肩肘張らずにやっていきましょう。
そして今年、皆の衆と久しぶりに顔を合わせ、酒でも酌み交わせたらよいなと思っております。
2012年。今年も水曜どうでしょうをよろしくお願いいたします。
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くじらさんもイラスト書いてくれてますの!
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(14:55 嬉野)